「お前にも反抗期なんてあったんだな。すっげー意外だったよ」

 暇潰しのつもりでマコシカで暮らしていた頃の昔話を披露したラドクリフは、
何やら妙に感心して頷くシェインを見て、思わずズッコケてしまった。
ラドクリフの予定では、自分以外の人間が注目される筈だったのだ。

「どうして、そこでぼくのことになるかなぁ。お師匠様や閣下の活躍に拍手して欲しかったよ」
「あ――今の話を聞いてわかったけど、ラドって見かけによらず沸点低いよな。
アル兄ィのときといい、キレまくってるもんな〜。ま、根っから短気じゃ仕方ないか」
「そ、それは反論できない……」

 敵と見なした相手には容赦も躊躇もなくイングラムのプロキシを射掛ける――
短気以外の何物でもない部分は、ラドクリフ本人としてはあまり触れて欲しくないようだ。
 可憐な容姿の持ち主とは雖も、彼はれっきとした男だ。
女に間違われると爆発するくらいに矜持も持ち合わせている。
 戦うときには先頭切って戦える勇気を親友に認めて欲しいとは思うものの、
凶暴な性格と勘違いされるのは、やはり望ましくはない。
 シェインから突きつけられた野蛮なイメージに凹まされたラドクリフは、
すっかり肩を落としてしまっている。

 シェインもシェインで悪ノリが過ぎたことを反省したらしく、ポンポンとラドクリフの頭を柔く叩いた。
 帽子の生地越しながら、シェインの気持ちを感じ取ったラドクリフは、
すぐさま花開くかのような笑顔でもって彼に応じた。
 落胆から一気に振り戻ったことで熱が急上昇したのか、ラドクリフの頬は薄紅色に染まっている。
 それがどうにもくすぐったくて、シェインはプイと顔を背けてしまった。
彼の頬がラドクリフと同じ色に染まっていたことは、改めて詳らかにするまでもなかろう。

「フツと同じくらいキレやすいんじゃないの、実は。おちおち軽口だって言えないぜ?」

 何者かに対する抵抗なのか、それとも羞恥を招く空気を打ち砕きたいのかもわからないが、
顔を背けた端からシェインは悪態を吐き散らした。
 しかし、シェインの気持ちを受け止めているラドクリフは、
その悪ぶった調子すらも照れ隠しの域を出ないと既に理解していた。
 心の内側までラドクリフに見透かされていると悟り、観念せざるを得なくなったシェインは、
「活躍って程じゃないけど、ホゥリーも意外ではあったさ」と、彼が最も好む話題を選んだ。

「あいつ、ちゃんと良い師匠してるじゃん。師匠どころか、パパだよな、ラドにとっちゃ。
そんなに面倒見が良いなんて、思いもしなかったぜ」

 今の言葉に嘘偽りはない。ラドクリフから昔語りを聞かされたときにシェインの脳裏に浮かんだ、
混じり気のない率直な感想だった。
 怠惰が服を着て歩いて、いや、寝転がっているようにしか思えない脂肪の塊が、
ちゃんとラドクリフを養育していたのである。
 初めて師弟関係を聞かされたときには、ホゥリーがいたいけな少年を罠にでもハメているのかと
疑ってかかったシェインにとって、それは度肝を抜かれる事態である。
 ホゥリーが言うには、生活臭がすることを他人に知られたくないそうだが、
ラドクリフとの師弟関係を聞かされて以来、シェインは彼に対する評価を
「脂肪の塊」と言う不名誉なものから改めていた。
 ギルガメシュとの戦いへ赴く船中にてシェインとラドクリフは初めて出会った。
そのときもホゥリーはラドクリフを自分の腹の上に乗せていたのだ。
他人を不愉快にさせる大天才のホゥリーが、だ。





 ラドクリフによれば、ホゥリーの腹の上で昼寝をするのが小さな頃の一番の楽しみであったと言う。
そして、それは今も変わっていないそうだ。
 いつまでも幼稚だと人は思うかも知れない。けれども、これだけは譲れない――
ラドクリフはそう語った。遠い昔、両親を失って泣き暮れる自分を腹の上に乗せ、
疲れて眠るまで背を撫で続けてくれた師匠との忘れ難い想い出なのだ、と。
 「シェインくんも試してみたら、ぼくの気持ちがわかるよ。ホント、フカフカなんだから」。
自分のとっておきの場を分けても良いと、ラドクリフには薦められたものの、
シェインは「フカフカじゃなくてブヨブヨの間違いだろ? あんなとこに横になったら、
ボクなら埋まっちまうよ」と減らず口を叩いて断った。
 本当にホゥリーの腹を敬遠したわけではない。ラドクリフに対する彼なりの愛情表現だと解ったからこそ、
割って入るような無粋を働いてはならないと考えたのだ。
 それは、ホゥリーとラドクリフにのみ許されたスキンシップなのである。
 実際に腹の上に寝そべるラドクリフを目の当たりにし、また師弟にまつわる昔語りを聞き、
ホゥリーが如何にラドクリフのことを愛しているのか、シェインには分かっていた。

 だからこそ、ラドクリフの反抗期がシェインには信じられなかった。
 ゼラール軍団へ参加する間際、彼は周囲のあらゆること、人に反発をしていたそうだが、
他者の入り込む隙がないほどに強く結ばれたホゥリーにまで噛み付いたと言う。
その姿すらシェインは想像もできなかった。

「人畜無害そうなんだけどなぁ。ケンカが好きって言う風には見えないぜ」

 独りでぶつぶつと言いつつシェインは正面からラドクリフを見つめた。
指先でもって髪に触れ、頬を摘んで捏ね回し、「純粋培養みてーなヤツだもんなぁ」などと繰り返している。
 特に止める理由もない為、ラドクリフはシェインのしたいようにさせている。
時折、敏感な部分に触れられると、くすぐったそうな声を出す程度である。

「女の子みたいな顔してんのに、なんであんなにキレたら怖いの?」
「も〜、また話をぶり返して……。気持ちが尖っていると、つい乱暴になっちゃうでしょ? 
シェインくんだってフツさんとよくガミガミやり合ってるじゃないの」
「それとこれとは全然ちげーじゃん。確かにアイツはうっぜーけどさ、
それでもマジでやっちまおうとは思わないもん。でも、ラドは違うだろ。全部、マジじゃん」
「またそーやっていじめる〜。ぼくだってたまたまだよ。いつも怒ってるわけじゃないからねっ!」

 抗議の意を示すかのように頬を膨らませるラドクリフだったが、
彼の顔に出来たふたつの風船は、シェインから両の指で突かれてたちまち空気が抜けてしまった。
 なんとも珍妙な音を立てて抜けていく空気で鼻先を撫でられたシェインは、
それがどうにもおかしくて堪らなくなり、ついには自身の風船をも律動させるに至った。
 彼の場合、風船とは肺を指している。肺に溜め込まれていた空気が口から勢いよく飛び出し、
今度はラドクリフの面を一撫でにした。
 シェインの口から吹き出した空気には、愉しげな笑い声が乗せられている。
 船上での失言に続いて二度目の女の子呼ばわりであり、ラドクリフの性格上、
激怒して然るべき事態(こと)なのだが、今度は反応が違った。
女の子呼ばわりを嗜めるどころか、彼もまたシェインにつられて笑い出したのだ。
 シェインが悪意をもってからかったのなら、さすがにラドクリフも目くじらを立てただろうが、
無意識に出た言葉まで咎めるつもりはない様子だった。
 あるいは、心通わせるシェインだからこそ怒られずに済んだのかも知れない。


 シェインとラドクリフの正反対なのは、ピンカートン夫妻であろう。
楽しく笑い合っていたシェインとラドクリフは、いきなり飛び込んできた刺々しい言葉の応酬に
思わず身を震わせてしまった。
 何事かと声のしたほうを窺えば、目を転じる刹那に想像した通り、
ヒューとレイチェルが喧々諤々の夫婦喧嘩を演じているではないか。
 偶然と言うか必然と言うか、近くを歩いていて騒ぎに出くわしたニコラスは、
厄介ごとながらも逃げるに逃げられず、相当な困り顔でもって口論の仲裁に入っている。
 どうやら、いつもの如く些細なことで言い争いとなったらしい。

 ラドクリフの語ったマコシカの昔話には、ピンカートン夫妻のルーツも含まれていた。
 ヒューがマコシカの集落に居つくようになったきっかけは想像を超えて過酷なものだったが、
軽佻浮薄な口八丁やレイチェルとのじゃれ合いは現在にも通じる姿であり、
不思議とシェインを安心させた。
 脱走兵。その言葉がどれほど大きな意味を持っているのか、軍事に疎いシェインには分からない。
言葉の響きと、漫画あるいは小説など他聞に脚色された作り物から得た知識では、
死罰を伴うほどの重大な罪科だと想像できる。
 平素から見慣れたヒューと昔語りの中でも出会えたことで、
俄かに高ぶった緊張感が解きほぐされたのだ。どのような過去を背負っていても、
ヒューはヒューなのだ、と。
 シェインと同じ方向へと視線を巡らせるラドクリフは、
苦笑交じりに「酋長もヒューさんも昔から変わんないよ」と呟いた。
昔から変わらないと語るその言葉もまたシェインを安心させる材料だったわけである。

「両親があんなんじゃ、ミストも苦労しただろうな」
「ヒューさんが住み始めた頃はソニエさんも下宿してたから、だいぶ楽だったんじゃないかな。
それでも、すぐに慣れたみたいだけどね。……たまらないのは、ぼくらのほうだよ。
あのふたりってなまじ声が大きいから、集落中に聞こえちゃうんだよね」
「ラドたちからすりゃ、何かとんでもねーコトがあったと思うわけだ。
――んで、いざ駆けつけてみたら、心配したのがバカバカしくなるようなケンカってオチか」
「お師匠様なんて、最後には『夫婦ゲンカはラドも食わない』なんて言ってたよ」





「あぁ、ホゥリーもたまには面白いコト、言うのな。確かにラドって犬っぽいもんな」
「食いつくトコ、そこなの!?」
「ほれほれ、ラド。お手、お手」
「やんないからねっ! もうっ! シェインくんったら〜」

 しつこく茶化してくるシェインの胸をポカポカと軽く叩いた後、ラドクリフはふと表情を暗くした。

「……ミストさんは慣れたけど、ぼくはね、違ったんだ」
「ん? 夫婦ゲンカはお前も食わないんじゃなかったっけ?」
「それはお師匠様の例え話だよ。本当は違ったの。ふたりのケンカを見たり聞いたりするのが、
すごく苦痛だったんだ。今は平気だし、なんだか微笑ましいなって思えるようになったけど、
……一時期はふたり揃ってるところを見るのもイヤだった。ヒューさんがそこにいるって言うのが。
そう言う時期がね、あったんだよ」

 過去の出来事とは雖も、なんとも穏やかならざる発言だが、
ヒューの受け入れに関してレイチェルに猛反発したことがあると、先ほども語っていた。
ラドクリフは、そのときのことを、今一度、振り返ったのだろう。

「ヒューさんが探偵のお仕事を始めて、世界中を飛び回るようになって――
そのあたりから、色々な物や情報が外界からマコシカに入り込んでくるようになったんだ。
それまでの何倍の量とスピードでね」
「そいつをヒューが持ち込んだってワケ、か」
「世界を股にかけたお仕事だから、外から帰ったヒューさんにくっ付いてくるのも、
仕方ないとは思うんだけど、」

 ありとあらゆる情報を収集し、格闘することも探偵の仕事の一つである。
つまり、ヒューをアンテナにしてマコシカへ種々様々な情報が入り込んでくると言うことだ。
それは、女神信仰のみを志向するマコシカの民にとって、本来、不要である筈の雑多な情報に違いない。
 目に見えない情報と言うものを統制するのは殆ど不可能に近い。
ヒューのほうでも儀礼を妨げないよう随分と気を遣ったのだが、
そうした情報は瞬く間に集落中へ伝播していったそうだ。
 人は、禁じられたことほど手を伸ばし、また、不要な知識こそ望んでしまう愚かな生き物なのである。

「探偵やり始める頃にはヒューさんもすっかりマコシカの一員だったからね。
……それで他のみんなも感覚が変わっていたのかな――ヒューさんにくっ付いてきた外の世界の情報を、
拒絶するどころか、すんなり吸い込んでいったんだよ」
「それも意外だな。てっきりホゥリーがバンバン宣伝してたと思ったのに」
「お師匠様もポテトチップスとか食べまくってたけど、……ほら、基本、相手にされてないからさ。
堂々と戒律を破っているのに、人目に触れなかったんだよ」
「結構キッツいツッコミするのな、ラドも」
「だって、事実だもん。身内だから厳しく言わないと。
でも、村のみんながヒューさんに影響されてからは、お師匠様に向けられる目も変わっていったんだ」

 ラドクリフ曰く、ヒューに外の世界への興味を刺激され、
情報と言うものに敏感になったマコシカの民は、それまで眼中にも入れてこなかったホゥリーの戒律違反を、
なんと好意的に見るようになったと言う。
 性根が下衆なホゥリーは、興味本位で寄ってきた人々に煩悩の原因となるような情報や嗜好品を売りつけ、
これによってマコシカと外界との距離は一層近付くこととなった次第である。
 一族の長老たちと言った保守層もさすがに叱声を飛ばしたものの、
ホゥリーが情報の発信源となる頃には、最早、手遅れであった。

「そのときからかな。みんなのやっていることが信じられなくなって、噛み付くようになっちゃったのは。
……改めて振り返ると、すっごい恥ずかしいんだけど……」

 ラドクリフが思春期および反抗期を迎えたのは、
彼の故郷の様子が、そして、マコシカの民の在り方そのものが大きく変わり始めた時節でもあった。
 ヒューやホゥリーが持ち込んだ情報と、外来の物を広く受け入れようとするレイチェルの意志によって、
善かれ悪しかれマコシカは永年の眠りから覚めたのである。
 当時、大人の階段を上り始めたばかりのラドクリフの精神(こころ)は、
自身を取り巻く環境の急激な変化に対応しきれず、その苦しみを反抗と言う形でしか発露できなかったのだ。
 周囲に当り散らしていたことを、ラドクリフはむず痒そうな表情(かお)で振り返っているが、
それだけ彼が少しだけ大人になった証拠でもあった。
 ほんの一瞬のことながら、ラドクリフの帯びる空気が大人びたものに変わった。
思春期を越えた者だけが纏えるもので、当然、シェインはその域には未だに達していない。
達していないからこそ、何かにつけてフツノミタマに反抗してしまうのだ。
 親友から置いてきぼりを食らったような悔しさに心を揺るがされたシェインは、
反射的にラドクリフの頬を捏ね繰り回していた。
 「ボクのことを置いて、自分だけ遠くには行くなよな」と、
両の指先にはそんな願いが込められているのかも知れない。

「お前は師匠に恵まれてるよ、羨ましいくらいだぜ」
「お師匠様?」
「ゼラールもな。良い師匠なんだろ?」
「師匠だなんて、恐れ多いけどね。……でも、閣下にお仕えできて、ぼくは本当に幸せだよ。
自分がどれだけちっぽけなのか、教えてくださったのは閣下だからね」

 くすぐったそうにシェインの両手首を取ったラドクリフは、
暫しその指先を見つめた後、親友の手を解放した。
 次いで、双眸を遥か彼方へと転じる。

「大きな、本当に大きな方だよ、ゼラール閣下は……」

 彼の双眸は、自身の進む前途ではなくゼラールの覇道のみを見据えていることだろう。
その為には如何なる労苦も厭わないと言う決意が、その表情からも窺える。
 ラドクリフの面は、愉しげな笑気に満たされていた。
 尊敬する人間の大望を手助けし、そのことに生き甲斐を見出せる。
それはとても幸せで、ラドクリフの面を喜びに輝かせるのだ。
 またしてもラドクリフは大人びた空気を纏わせたが、シェインも今度は頬に手を伸ばすことはない。
憎まれ口を叩くこともなく、ただ親友の面を眩しそうに眺めていた。
 いつまでもいつまでも、飽きることなく見つめ続けていた。








モドル