アレクサンダー大学の人々 ここはアレクサンダー大学のメインキャンパス。本日の講義を終えたダイジロウは大学の武道場へと足を向ける。 柔道部に所属しているテッドに会いに行くためだ。 ふと道すがらすれ違う女子学生は、その多くが頭や胸元、バッグに大きな造花を身につけていた。 最近流行しているファッションだとかで、 おしゃれ上級者になると頭の中ではなく上がお花畑になるのだとかどうとか、と彼は妹のミエコから聞いていた。 (こういう流行は全くわかんねえな。オレが疎いだけなのかもしれないが) 何人目かに見かけた、まるで信号機のような配色の花を身につけた女子学生を見ながら、ダイジロウはふと思った。 柔道場では道着を着た多くの学生が汗を流していた。他大学との合同練習をしているようだ。 稽古の仕上げにと団体戦の試合形式で練習が行なわれた。 テッドの相手は大会では無名だが、何か一芸を持っているような、そんな不気味な雰囲気を漂わせていた。 試合が始まり、テッドが相手と組んでみるなり嫌な雰囲気の正体がわかった。 対戦相手は審判や周囲に気づかれないように、巧みに当て身をしかけたり爪を食いこませたりと裏技に長けた様子。 当事者であるテッドや、目ざといダイジロウなら分かるが、はた目からは技の掛け合いのようにしか見えなかった。 (そっちがその気なら、こんな技もあるんだって知ってもらおうかな) テッドは相手の道着の袖口を掴むとぎりぎりとねじり上げていく。このまま相手の手首を道着を絞って締め付けるのだ。 手首がちぎれそうな、万力で締め上げられたような激痛に、対戦相手は苦悶の表情を浮かべた。 そして次の瞬間には彼は天地がひっくり返ったような感覚を味わい、視界には天井とテッドの顔が飛び込んできた。 あっという間に背負い投げで一本取られたようだ。しかも優しいことにねじった袖口は投げる瞬間に解いたようだった。 「実力はあるんだから、こんな技ばかり使っていたらダメだよ。今みたいに報復行為を受ける場合もあるからね」 テッドはそう対戦相手にアドバイスした。言われた方は何ともばつが悪そうな顔をして「ああ」とだけ返した。 「やさしいなあ。テッドの実力なら頭から叩き落すこともわけないだろうに」 「ダイちゃん、それは乱暴だよ。武道は体だけじゃなくて心も鍛えるものなんだから。 さっきの彼だって真面目に練習したらきっと大会で名を残すような選手になれるんじゃないかな」 「さすが気は優しくて力持ちなテッド君だな」 練習後にダイジロウにからかわれたテッドは照れくさそうにはにかんだ。 キャンパス内を歩いていた二人。 そこへテッドがふと思い出したように口を開いた。 「昨日はありがとう、ダイちゃん」 「礼には及ばねえよって言いたいところだけども、あんなに豚足はいらなかったな」 「そうだね、せっかく無理を聞いてもらったんだから、ちゃんとダイちゃんに何が欲しいか聞くべきだったね、ごめん」 「いや、別に謝る必要もねえんだが。つーか、テレビに出るって何の番組だったんだ?」 急な仕事と豚肉のラッシュにすっかりやられてしまったダイジロウは、結局昨日は食事をしてから入浴した後、 あっという間に寝入ってしまっていた。 長時間メタル化した反動による肉体的な疲労よりも、精神的なところが大きいがそれはともかく。 テレビの業界に詳しいわけではないので断定はできないが、 一般人を撮影当日に呼びつけてそのまま収録なんて番組があるのだろうか、とダイジロウはふと思いテッドに尋ねた。 「あー、そっか。ぼくはテレビに出るって伝えただけで番組名は教えていなかったっけ。ほら、『現金戦術』ってやつ」 「ああ、あれか。噂には聞いていたが、本当に事前通達無しに出演者呼ぶんだな」 テッドが出演した現金戦術(ゲンナマタクティクス)とは、 早い話が一般人を集めてクイズを出題させ合い、優勝者が現金を独り占めするという内容の番組だ。 出演者を当日に決定することで、心の準備ができていない出演者が現金という極めて即物的な賞を目の前にすることで彼らのよりリアルな性格がむき出しになるというのが見どころである。 しかもこの優勝者に与えられる現金、一般人の平均的年収数年分になることも稀ではない。 浅ましい、下品、悪趣味などといった批判がある一方で、各プレイヤーの頭脳を駆使した駆け引きと 大金の絡む悲喜こもごもがエンターテインメントとして抜群の面白さだ、という肯定的な意見もある。 下世話な話だが、苦学生のテッドにとっては滅多にないチャンスであるから、 何としてでも出場しようとしたのも無理はないだろうか、などとダイジロウは思った。 「んで、結果はどうだったんだ?」 心優しいというかお人よしというか、そういう性格のテッドでは、だまされる方が悪い、他人は踏み台にしてナンボ、 落ち目のプレイヤーにきっちりとどめをさせ、が基本スタンスの現金戦術で勝ち抜けそうもない。 そうダイジロウは考えていたが、それでも結果が知りたかったので聞いてみた。 「実はね、他の人たちがみんな深読みしすぎたり焦ったりで自滅しちゃって、ぼくが優勝できたんだ」 「えぇ!? おいおい本当かよ。そりゃツイていたな。そんで、下品な話だけど賞金はいくらだった?」 勢いで聞いてしまったが、いささか突っ込みすぎた質問だったか、とダイジロウは口にしてから少々気まずそうな顔。 そのあたりをテッドが察したのだろうか、 「具体的な金額は避けるけど、ここの学費四年分を納めてもまだ余裕があるくらい、かな」 とぼやけた表現で返した。給付された奨学金で大学に通うテッドにとってはたいそうな金額であるのは間違いない。 これを機に卒業と同時に一括で返済するつもりだ、と彼は予定を述べた。 「そりゃあずいぶんな額じゃねえか。でもよ、そんなんだったら喜びの勢いでオレに電話してくれてもいいんだぞ?」 「うーん、なんだか自慢するみたいになるから。そういうのは違うと思ってさ」 「相変わらず変に気を遣ってくれちゃうね。ま、それはそれとしてせっかくだからお祝いだな」 テッドの奥ゆかしさについつい笑いながら、ダイジロウは祝勝を提案した。 それにテッドは賛成したものの、賞金をもらったのは自分だから自分が二人分を支払うと主張する。 しかしダイジロウは、祝い事なんだから祝う方が当然、とテッドの意見に反対する。 それは申し訳ないから、そっちが払うのは理屈に合わない、おごってもらうは気が進まない―― と互いに意見をぶつけた結果、自分の分は自分で払うという極々普通の結論で落ち着いた。 「これじゃいつも通りだろ」 「そうだね。ぼくたちっていつもこんな感じになっちゃう」 キャンパス内を歩きながら笑う二人。そんな彼らのやり取りを横目で見て、面白そうに笑む人がいたそうな。 「しかし、なんつーか、案外あっさりっていうか思った以上に騒がれないな」 「ん? それってどういう意味?」 学食で食事をしながら、ダイジロウは周囲を見回して拍子抜けしたような様子で言った。 「現金戦術で優勝したやつがここにいるんだから、もう少し注目されていてもいいんじゃないか?」 「それは確かにそうかもしれないね。でも、同じ昨日の出来事ならアサヒくんの方が目立っていたからかもしれないよ」 「? 昨日はテレビ見ていなかったからよくわからねえや」 「彼も昨日テレビに出ていたんだよ。ほら、『アカペラコロシアム』の全国大会」 「へえ、そうなのか。カンサイ・アサヒのやつ、そんなん出ていたのか。ってかアカペラなんてやってたのかよ」 テッドが説明してくれたことで、ダイジロウは何となく納得できた。 この「アカペラコロシアム」という番組、要は出演者たちがアカペラで歌い、その優劣を競い合うというもの。 健全で青春ものっぽさが売りのこの番組は、現金戦術と比較すればかなり人気が上。 そこに出場して、しかも敗れたとはいえ決勝まで進んだとのこと。 ダイジロウもテッドも、この話題に上がったカンサイ・アサヒとは同じゼミを履修したことがある。 彼が度々教授と交わす、とんちんかんだが何故か面白みのあるやりとりには二人とも大いに笑わされた記憶がある。 番組出演時にもその調子だったようで、番組司会者とのちょっとズレたやり取りは多くの観客から笑いを誘った。 そのユニークなキャラクター(とそれをいじりたおした司会者の話術)によって、 彼は優秀選手の一人に歌唱力以外が評価されて選ばれるという歴代の大会でも数少ないパターンの出演者となった。 となれば、テッドよりもアサヒの方がキャンパス内での話題の的になるのだろうか。 実際、本日のアサヒはキャンパス内を歩けば何度も見知らぬ学生から声をかけられ、 講義に出席すれば他の学生からの視線を一転に集めていたようだった。 「そういうこともあるし、元々ぼくが地味なせいもあるし、知名度が違っちゃうんだよ」 テッドはそう締めて笑った。ダイジロウも「お前が地味ってそりゃねえわ」と苦笑した。 そんなこんなで食事を続けていると、二人を発見した人がへらへら笑いながら近づいてきた。 「よう、パジトノフくんよ。儲かっているかい?」 「分かっていて聞いているね? それはさておき、自分で自由に使えるお金なんてほとんどないよ。 学費と生活費、それから将来のために貯金しておかなくちゃ。お世話になっているおばあさんにもお礼しないとね」 「えらいなあ。さすがは勤労青年、テッド・パジトノフ」 「ってかお前誰だっけ? 大学で全然見ねえから忘れちまったぞ」 「おあぁ、冗談でも傷つくそのセリフ」 こんな感じでノリの軽い様子の彼は、テッドと同学年の学生。ではあるが、めったに講義には出席せず、 家でゲームかネットをしているか、そうでなければ友人と遊び歩いている典型的なダメ学生だ。 「冗談つーか、オレが大学で見かけないのは事実だぞ」 「それは生活スタイルの違いってやつ。ちゃんと大学には入っているって。現に今もいるわけでさ」 「えー、本当に?」 「見くびっちゃ困るよ、パジトノフ。腹が減ったら大学に行って飯食うようにしているから」 「メシ食うために大学来てるのかよ」 「来るだけ偉いじゃないか。一か月前なんてガチで行っていなかったわけでさ。今はいわゆるリハビリ」 「何がリハビリだっての。そんなんじゃ単位落としまくりじゃねえのか?」 「安心してちょうだい。ダブるから来年も大学生できるんだな、これが」 「ダメじゃねーか」 「そう、ダメなのさ」 そう言って彼はなはなはと笑いながら食券の券売機の方へと歩いて行った。 全くいい加減というべきか、何も考えていないというべきか、である。 「本当に大学ってのは不思議なところだとつくづく思うわ。 テッドみたいなまじめな学生がいる一方で、あいつみたいな自堕落が服着て歩いているようなやつもいるんだから」 「あはは、ああいう人もいるからこそ大学の多様性が成り立つって気もするけどね」 「必要ないフォローしなくてもいいだろ」 向こうの席で鳥カツ定食を旨そうに食べる彼を見ながら、ダイジロウとテッドは少し乾いた笑い顔を浮かべた。 学食内には大型のテレビジョンが設置されている。 昼間は休講や補講の知らせであったり学生課からの連絡が映し出されたりするが、 夕方になると画面が切り替わり、主に海外のニュースが流される。 どうやらこのところ問題が深刻化している未確認失踪者にかかわることのようだ。 画面の中では乗星国の女性将軍(というテロップが入っている)がここ数か月での国内における 未確認失踪者に認定された人数などを報告していた。淡々とした語り口だったが、 報道陣から彼女の夫も行方不明となっているようだがその真相は、と問われると彼女は突然取り乱し、 この前の夫婦喧嘩は自分が悪かっただの、内緒で新車を買って悪かっただの、 もっと姑と仲良くするように努力するだのと全くの個人的な話をしだす。 夫を見つけ出したものには国庫から莫大な恩賞を出すと言いかけたところで三人の部下によって強制的に 退席させられ、無人となった画面には「そのまましばらくお待ちください」というテロップが映し出されていた。 「そうなんだよね。ここら辺ではまだ問題にはなっていないけど、 現にぼくの知り合いも連絡取れなくなっちゃっているし。無事でいるのか本当に不安だよ」 「ああ、トキハのことか」 テッドは大きくため息をついた。 このアレクサンダー大学には通信制の学生も在籍しており、何らかの事情で大学に通っていられない人が 紙媒体なり電子媒体なりで受講し、レポート提出などの課題をこなして単位を得ている。 アルバトロスカンパニーで働いているトキハ・ウキザネもその一人。 ひょんなことからテッドと知り合った彼は、意気投合してちょくちょくメールのやり取りをする仲になっていた。 そんなトキハがある時を境にぱったりとテッドに連絡しなくなったのだ。 電話はつながらないし、メールは送っても返送されてしまう。 ダイジロウがプロフェッサーを脅かして大学のデータに(不正に)アクセスさせると、 今まで一度もトキハが欠かしたことのないレポート提出も、 彼との連絡が取れなくなったころと時を同じくしてずっと未提出が続いているのが判明した。 彼が住んでいるフィガス・テグナーではこういった失踪者が多発しているということで、 まさかトキハも、とテッドはずっと気にしていたのである。 「関係あるのかわからないけれど、陽之元や緬、プールなんかも不穏だし、 ギルガメシュって組織も活発に活動しているようだし、世の中どうなっちゃうんだろう」 「情報が少ないってか錯綜しているかってんで何とも言えねえな。 でもまあ、分からないことを気に病んでいても仕方ないわけで、神人同好会の話をするとだ――」 ダイジロウはテッドの不安を絶ち切るように無理やり話題を変えた。 彼らが所属している神人同好会は、名前の通り神人に関する遺跡や資料などのデータを収集する、 物好きが何となく集まっている団体である。 本日、ダイジロウがテッドに会うのも、同好会のメンバーが新しいタイプの神像の画像を入手したので 一緒に精査してみようというのが目的である。なのだが、いまだにその肝心の人物が姿を現さない。 先ほどメールを送った時には「あと十分くらいで学食に着く」との返信があったのだが。 二人が外に出て待ってみようとすると、にわかに外の方から騒がしい声が聞こえてきた。 なんと、一人の学生がトイレごと消失してしまったとのこと。 一抹の不安を覚えたダイジロウが彼に電話をかけてみると、 問題の現場に落ちていたモバイルが彼からの着信を告げていたのだった。 「……。なあテッド、これってもしかして……」 「うん、それはきっと正しいよダイちゃん。まずはプロフェッサーに――」 「今日は会う気分じゃなかったんだが、そんなことも言っていられねえか」 ついに大学のキャンパス内でも起こってしまったのかと、 まさかの事態に驚く二人はさっそくことの顛末を伝えにプロフェッサーYの研究室へと駆け出して行った。 |