新章突入にあたって
制作総指揮 天河真嗣


 最近、旅に出かけることが多くなった。
 旅と言っても、目的地を設定することは少なく、
漠然と方向性だけを決めたら、後は気の向くまま道なりにエンジンを蒸かし上げる。
 休日ともなれば、執筆や打ち合わせがないときは、もっぱら車中で過ごしている。
 観光目当てで数百キロを飛ばしているわけでもないので、
エッジの利いた言い方をするならば、死に場所を探して徘徊しているようなものである。

 たまの寸暇なのだから、今後の執筆に必要な資料を調べたり、
あるいは他の優れた文章に触れて勉強をするべきなのだろうが、
物を書くことのハンドルをインテリジェントではなくセンシティブに委ねている身としては、
そうした感覚を研ぎ澄ましてくれる気ままな旅のほうが、
実はクリエイティブにとって良い方向へ作用するのではないかとも思っている。
 根拠も、論拠もない。まさしく直感による判断だ。
 プロットを作るときは構成表とにらみ合いながら計算に計算を重ねて、
伏線の効果まで細かく熟考しているのだが、実際に文章を起こす段階に至っては、
もはや自分の感覚だけが頼りとなる。感覚で勝負するしかなくなる。

 直感と言うものは、閃きや描写力にもダイレクトに影響するから疎かに出来ない。
 緑溢れる山河のビジュアルを頭の中へすぐに思い描けるように。
 廃棄ガスか、あるいは別の何かが充満している為に深呼吸さえ困難な、
大都市特有の汚れた空気を、その嫌悪感までを読者へ届けられるように。
 極めて優れた文学作品は、読者にそうしたイメージをも提供してくれるが、
立場が読み手でなく書き手に替わると話は別。
 僕のような能ナシの場合、まず自分の頭の中でカッチリとイメージを作るのに
膨大な時間がかかるし、そこまで努力してもチンケな物しか捻り出せない。
 だからこそ、欠損のある閃きや描写力を補う努力は欠かせない。
 旅は、それらを大いに養ってくれる。

 旅を初めて改めて感じ入ったのは、プリミティブな自然と言う存在(もの)は、
人間のイマジネーションなど遙かに超越していることだった。
 街灯もなければガードレールさえ満足に整備されていない酷道を、
よりにもよって真夜中に走ったとき、僕は初めて夜の闇を知った気がする。
 夜は暗い。そんなことはキンダーガートゥンの子どもですら知っている。
 と言うよりも、知識だ何だと大上段に構えて論じる以前の話だ。

 しかし、人一倍遅鈍な僕は、その限りなく大きな懐に抱かれてみなければ、
夜の闇の深さと言うものを本当には理解できなかった。
 険しい峠道に入るまでは、やかましいくらい明るい街灯や、
もしもの場合に命を救ってくれるだろうガードレールは意識するまでもなく彼方此方に設置されていた。
 ところが、一、二キロばかり人里を離れた途端、世界は一変する。
「一寸先は闇」と言う例えが似つかわしい暗中へ至るのだ。
 闇の中で頼りになるのは、ヘッドライトと、これを反射して道程を教えてくれる木立や小川。
ときには風の音や虫の鳴き声も聴覚を通して道の有無を訴えかけてくる。
月が出ていれば、それもまた心強いナビゲーターになるだろう。
 そこにあるのは、自然と言うものの存在感である。
 自然が誇る圧倒的な存在感が僕を新しい町へと導いてくれるのだ。
 木立のざわめきが、小川のせせらぎが、車輪と戯れて跳ねる小石が、
切り立った崖さえも進むべき道、次なる街の灯火へと僕を導くのである。

 夜の闇に抱かれて、僕はとてつもないことに初めて気付いた。
 人智を超越する存在感を見せつけながらも、常に人間へ寄り添っている。
 霊長類の傲慢と批難されたなら、これはもう頭を下げるしかないのだが、
ちっぽけな僕にはそのように感じられたのだ。
 その偉大なる存在感を、自然と言うものの凄まじさを僕に教えてくれたのは、
言わずもがな夜の闇であった。
 俗っぽい例え方を用いるのなら、真っ黒なキャンバスとでも言うのだろうが、
なんだかそれすら当てはまらないような気がする。
 自動車の教習所では、夜の闇は危険を運ぶものだとレクチャーするのだが、
あるいは「生死(しょうじ)の間」にも近い状況へと人間を誘い、
漫然と生きていては見逃してしまうような物に気付かせてくれる導師の役割を担っているのではなかろうか。
 導師としての機能を捉えるならば、夜の闇は危険をもたらすのではなく、
そこに潜む危険を僕らに警告しているとも考えられるわけで。
 勿論、恣意的な見立てですけども。

 またしても恣意的な見立ての上で<トロイメライ>第2部を解説すると、
ここで描かれるストーリーは、全体の中でも導師的機能=夜の闇の要素が最も強い時期となる。
 青春群像劇の趣で、どこか和やかなプロローグだった第1部を知っているからこそ、
これから始まる第2部の道のりが一際険しく思えるのだ。
 登場人物たちを次なるステップへと導く第2部の“闇”は、
危険を報せてくれる親切な設計であるどころか、厳然と立ちはだかる残酷な壁そのもの。
 これを突破しないことには、峠道を登ることすら困難である。

 深い闇が浮かび上がらせ、主人公たちが縁(よすが)にするものとは、果たして何か。
 漫然と生きているうちは絶対に気付かないものを、彼らは拾い上げることが出来るのか。
 「生きることは、夢を往くこと」。
 <トロイメライ>最大のキャッチコピーの意味は、これから始まる新章にある。

(2012年8月某日)