水を司る神人 カトゥロワ ・初期設定資料画 |
水を司る神人。白鯨の背に乗って世界中の水在る地を見通す存在。 三叉の矛を携え、その穂先でもって海洋、河川、湖、池に至るまで全ての水の流れを 操っているとされる。 たおやかな水の流れの如く物静かな麗人だが、その外見と裏腹にかなりの武闘派であり、 己を守護するこの白鯨も十年にも及ぶ戦いの末に屈服させたもので、 更に死闘の際に左足を失い、現在は義足で補っている。 船舶・海運に携わる人々からの信仰が殊更強く、安全な船旅を司る神人とも伝わっているが、 これは民間における願掛けが長じ、いつしか神性の一部へ接合された物であって、 カトゥロワ本来の役割ではない。 |
マコシカに伝わるおとぎ話 「老人と白鯨」 |
いつだったかの時代のどこだったかの話。 とある海岸沿いの村に住んでいる漁師たち。 いつもは近海で魚を取っているのだが、まれにクジラがやってくると漁師たち総出でクジラ漁を行なうのである。 クジラ漁というものは大変に危険を伴うものである。 この村での漁法は船上から銛を投げつけたり、クジラに飛び乗って突き刺したり、と伝統的であるからなおさらである。 そういう危険なクジラ漁を行なうからか、漁師たちは自分たちの仕事に誇りを持っている者ばかりであった。 そんなこの村には一つ、語り継がれている話がある。 十数年、ないしは数十年に一度、全身が白いクジラが近くの海に現れるのだ。 体躯は他のクジラと比較しても巨体で、性格はかなり荒っぽい。 屈強な漁師が数多いこの村の男たちでも、この種のクジラを狩るときには多くの犠牲者が出てくる。 しかしそれを乗り越えて見事に白鯨をしとめることができれば、村にはしばしの幸福と繁栄が訪れるのだとか。 こんな言い伝えがある漁師の村だったのだが、潮の流れが変わったとか何とかで村では漁獲量がめっきり減り、 漁師を廃業する者や他の町村へと移る者が次々と現れ、 その一方で漁業を生業としない者がこの村に移り住むようになったことで、漁師の割合は圧倒的少数派になっていた。 「海の男としての生きざまを貫けないくらいなら生きていても仕方がない」とか、 「漁師の誇りを捨てて生きる腑抜けどもめ」と憤る漁師もいることはいるのだが、 時代と環境の変化を食い止めることは彼らには不可能だった。 漁師も高齢化が進み、今となっては白いクジラの話を語り継ぐ者も老人ばかりになってしまった。 この状況になっても頑なに漁師として生きていく者たちの中では、 「もう一度、漁師の村として栄えないものだろうか」と考える者もおり、 そこから話が発展して、「あの白鯨をしとめられれば栄えるのではなかろうか」となり、 彼らの多くが幸福をもたらすといわれている白いクジラの出現を待ち望んでいた。 そんな数少なくなった漁師たちを、他の村人たちは「いつまでも夢物語を」と冷ややかな目で笑っているか、 そうでなければ相手にしていなかった。 それからどれだけかの月日が流れた。 いつもと同じようにほとんど魚のいなくなった凪いだ海、のはずだった。 しかし、それは唐突に現れた。 語り継がれていた白鯨が、海と空が交わるほどの遠方に姿を見せたのである。 「ついにやってきたか」と銛を担ぎ、勇んで船を出す漁師たち。 力いっぱいに櫓を動かし櫂を漕いで一目散に白いクジラをしとめんとする。 だが、間近に見る白鯨はかなりの巨躯。 過去に白鯨を見たことのある老漁師も初めての大きさであった。 やらいでか、と勇む漁師もいるにはいたが、状況は圧倒的に不利であった。 昔日のように村民の数多くが屈強な漁師であったのならばいざ知らず、 当時よりも目に見て少ない数で、しかも体力的には下り坂を走る年齢の者ばかりなのである。 歯牙にもかけずといった様子で白鯨がその巨体を震わせると、周囲には大波が巻き起こった。 あっという間に漁師たちは波にのまれ、いくつかの船は転覆し、また幾人かの漁師はそのまま海の藻屑となった。 さすがにたまらず、生き残った漁師たちは船首を返して村の方へと戻って行った。 白鯨はというと、まるで漁師たちがまたやってくるのを待っているかのように、あたりの海を漂っていた。 さてさて、どうしたものやら、と村へ帰ってきた漁師たちはクジラへの対抗策を練る。 近くによってみると山のように大きいクジラである。追い立てるにしろ銛を打ち込むにしろ人手が足りない。 かつて漁を営んでいた者や、他の村に移住した者に声をかけ、彼らも漁を行なうことになった。 とはいえまだまだ人手が必要そうだった。だが他の村人は手を貸しそうにない。 仕方なく、漁師たちは市場に行って買えるだけの奴隷を買ってきた。 奴隷たちを大量投入すれば、なんとかあの白いクジラにも対抗できるようだと考えた。 そして翌日、漁師たちはありったけの船と銛を持ち出して白鯨狩りに挑んだ。 今度は網をもってクジラを追い込み、銛を突き刺すのに十分な人手があった。 しかし連れてこられた奴隷たちは怖気づくばかり。 詳しい話も聞かされないでこんな大きいクジラの漁をやらされるのだからそれも当然だろう。 奮戦するのはベテランの漁師たちだけで、奴隷は満足な働きができない。 そんな中で怒号と罵声をあげながら漁師たちは後方から銛を打ち込んでクジラを網へ追い立てる。 だが白鯨が一たび暴れると大波が起こり、いくつもの船や人が波に飲み込まれてしまった。 この様子に恐慌状態に陥る奴隷たち。そんな彼らを無理やり動かしながら漁師たちはさらにクジラに挑む。 するとそんな時、海面に濃霧が吹いたかと思うと、そこから一人の男が姿を現した。 細身ではあるが引き締まった体、そしてそこには無数の傷跡。特徴的な金色の義足。 優しげな顔立ちであるものの、屈強な意思を感じさせる力強い眼光。 海の神人、カトゥロワで間違いなかった。 どうしてカトゥロワがこんな時にこんなところに現れたのか、クジラ漁の手助けに来たのか。 そう漁師たちは思ったのだったが、さにあらず。 どうもこの白鯨、彼の戦友(と書いて『とも』と呼ぶのだとか)であるという。 だからクジラを殺すことはあってはならないし、仮に殺してしまえば「お前ら全員殺す」のだそうだ。 神人にこうまで言われては漁はやめざるを得ないが、しかし漁師たちも食い下がる。 白鯨を狩ることは村の繁栄のためであるし、漁師としての誇りでもあるのだからと主張する。 「仕方ねえな。殺させるわけにはいかないが、そっちの誇りってのも尊重してやりたいところだ。 じゃあこいつの頭のてっぺんに銛を打ち込んだらお前たちの勝ちってことにして、 こっちから勝利の証としてこの海を恰好の漁場にしてやるよ。それでいいだろう?」 早い話が漁師たちとクジラの戦いをカトゥロワが審判するというわけである。 頭に一本でも銛を突き刺せば勝利として認められるのだから、殺すよりはよほど簡単である。 もちろん、白鯨の方も抵抗するというが、それは漁の時と変わらないのだからさほど問題ではない。 一にも二にもなく漁師たちはカトゥロワの提案に乗り、白鯨の周りを取り囲もうとした。 しかし、白鯨が神人の友だと知った奴隷たちはさらに怯えるばかり。 「勝ち目なんか無い」、「銛を刺す前に全員死んでしまう」、などと言って漁師たちの指示には従おうとはしない。 「漁師としての意地と誇りは無いのか」、「海の上で死ねるのならば本望だろう」と漁師たちは言うものの、 それは彼らの言い分であって奴隷たちの方はそんなようには思っていない。 「漁師の誇りなんてクソくらえだ。いくら奴隷だからって、そんなことに付き合わされるのはまっぴらだ」 とどこからか声が上がった、そしてその発言に同調して奴隷たちは次々に口を開く。 矜持を汚されたからかなんなのか、漁師たちの中からついに我慢の限界にきた者が、奴隷を銛で突き殺してしまった。 すると、それにつられたのか、漁師たちは文句を言った奴隷を次々に殺してしまった。 この光景を目にしたカトゥロワは「バカ野郎どもが」とひどく憤慨し、 白鯨が起こした大波よりもはるかに大きな、空を包み込んでしまうほどの波を呼び起こした。 猛りきった波にのまれ、漁師たちは全員船もろとも海の底へと沈んでいってしまった。 教訓 「誇りとかそういうのは他人に強制されるものでもないし、 強制してもいけない。」 |
教皇庁に伝わる神像 |