第1回「在野の軍師」を振り返って (天河真嗣)


 一つのストーリーへ筆を入れるときは、毎回、不安やプレッシャーとの闘いなのですが、
「トロイメライ」に関してはそれがいつにも増して大きかったですね。
 今回は自分ひとりきりではなく複数名のライターによるチーム制。
台詞回しなど作品全体を左右する部分に一つ基準を定めておかないと、
へたくそなリレー小説のように空中分解し兼ねません。チームが迷うことなく執筆を進められるように
道を切り拓くのが初回担当者の使命だと言う気負いは確かにありました。
 そう言った意味では、第1回はライターではなくプランナーとして過敏になっていた気がします。

 ファーストシーンから時間を遡って本編の幕を開けると言う手法は、前作から踏襲しているお約束。
もっと言えば、NHK大河ドラマのセオリーに則っているとも言えるのですけど(笑)。
 「トロイメライ」でも主人公たちがある程度の成長を重ね、
一つのチームとしてまとまった段階での活躍をファーストシーンへ持ってきました。

 前作は大時化の中での海戦で、今回は敵の裏を掻いた奇襲戦。ファーストシーンに派手な合戦が挿入されるのは
いかにも大河ドラマ的で、テンションがグッと盛り上がるじゃないですか。
 アニメ「機動戦艦ナデシコ」の佐藤竜雄監督が「最初のシーンが派手な作品は印象に残る」と
以前に仰られていたのですが、僕はこれに感銘を受けまして。
それ以来、受け手側のモチベーションと密接する必要のある長編では、
ファーストシーンのインパクトに命を懸けるようになりました。
 今回は源平合戦の一つとして有名な「一の谷の合戦」をヒントにして奇襲戦を考えていきました。
 「鵯越の逆落とし」は奇襲攻撃としてものすごく迫力がありますし、
華々しいオープニングになったのではないかと。

 血生臭い合戦から牧歌的な風景へと時間は回帰します。
 時間の流れが止まったような田舎で働くメカニック見習いが、やがては修羅の如き軍師へと変貌していく―――
そこに至るまでのプロセスを色々と想像して貰えたら作者冥利に尽きます。

 悪徳ゴミ処理業者に故郷を脅かされた村民たちが一致団結して立ち上がると言う第一回のストーリーラインは、
三谷幸喜作品ファンが読んだら一発でおわかりになると思いますが、
ドラマ「合い言葉は勇気」へのオマージュでもあります。
 高校生の頃に書いたRPGのシナリオが現在の「トロイメライ」のベースになっているのですが、
原作シナリオを書いていた当時、「合い言葉は勇気」へ相当入れ込んでいまして。
そのシナリオの段階では、証人や証拠を集めて悪徳業者を相手に裁判を起こすと言うドラマとほぼ同じ展開。
いくらなんでもそれは丸パクリではないかと思い直し、全没にしました。

 十数年を経て長編小説として新たにプロットを起こすにあたり、選択肢は幾つかあったんですよ。
オマージュとリスペクトを込めて元のシナリオを復活させるか。完全新規のストーリーを作るか。
 ただ、今作では「正体不明の廃棄物」は重要なキーアイテムとなっており、
その処理を巡っては世界各地で問題が発生しています。ならば、イリーガルな手段を用いる悪徳業者が
台頭しても不思議ではないし、世慣れしていない僻地の人々が付け入られる可能性もあるな、と。
 ストーリーで語るべきテーマや世界設定と合致したこともあり、
ここは批判覚悟で原作シナリオを採用していこうと決断しました。
 さすがに法廷闘争は自重しましたが(笑)。

 ゴミ問題と言う現代社会が共有するエピソードを通して作品世界と受け手を
感覚的に近付けたいと言う狙いも実はあったりします。
 悪徳ゴミ処理業者との戦いと言うシナリオの採用には、むしろこの狙いのほうが強く影響しています。

 町を牛耳る悪党へスゴ腕たちが戦いを挑むと言うプロット自体は、
「リオ・ブラボー」や「OK牧場の決斗」と言った往年の西部劇を彷彿とさせると書き終えてから述懐。
 王道と言えば王道ですが、「トロイメライ」全体へ隠し味的に織り込んである西部劇テイストを
良い意味で打ち出せたんじゃないかと思います。
 ………「リオ・ブラボー」とか「OK牧場の決斗」なんて言っても、若い人はわからないか。
「クイック&デッド」ならどうだ。どれだけ引用するネタが古めかしいんだ、俺は(笑)。
 ガッツ石松さんお得意の「OK牧場!」ってギャグは、
そもそもクラントン一家とワイアット・アープたちの決闘を知らなければ、
本当の面白さがわからないと思うんだよなぁ(それはまた別の話)。

 第1回のハイライトは、何と言ってもゲリラ戦。
 オープニングに挿入したド派手な奇襲戦に比べるとスケール的にはミニマムにならざるを得ないのですが、
限られた人数や物資を利用して強敵を打ち負かすと言うのは、知略と言うアルフレッド最大の武器を
端的に表現できる部分。派手さには欠けるかも知れないけれど、その分、技巧的な面白さがあると言うか、
強い力を持たない村民たちが工夫を凝らして戦うと言うカタルシスを追求しました。
 考えてみると完全なゲリラ戦を書いたのは初めて。落とし穴や迷路のように入り組んだ森林と言った、
地形を生かしたプリミティブな戦術は組み立てていて面白かったですね。

 アルフレッド対フツノミタマ。トロイメライ最初の本格的な殺陣シーンです。
 アルフレッドはジークンドーをベースにしつつ拳法やサバット等をも取り入れた足技主体の格闘技者、
対するフツノミタマは抜刀術に主眼を置く剣術の使い手。双方共に技で押していく戦闘スタイルなので、
手数の多さ、それに基づく複雑な立ち回り、スピードと一撃の重みを計算しながら殺陣の段取りを作りました。
 殺陣に関しては、毎回、こだわりを持って作っているのですが、
やや優等生的なアルフレッド(マニュアルをよく読みこむタイプ)と、
勝つ為にはおよそ剣客と思えない技をも使いこなすフツノミタマの対決は特にヒートアップしましたね。
 異種格闘戦の醍醐味と言いますか、得物や身のこなしの癖、技法の違いから生み出される攻防を探っていくのは、
ある種、セッションを楽しむような感じです。
 剣客と思えない技を使いこなすって言うのは、なんか「必殺仕掛人」の小杉十五郎みたいですけど、
偶然の一致です。そうそうオマージュばかり考えてません。

 「トロイメライ」と言う作品を象徴する独自要素「トラウム」。
 これをどのタイミングで、どのような描写で初登場させるかについては、かなり神経を尖らせました。
 なにしろ「トロイメライ」の世界観のシンボルとも言うべき要素。一発で読者にイメージが伝達できるような
インパクトのある描写はないものか、と。映像作品や漫画であれば画ひとつで表現できますが、
これを活字で行うのはなかなか難しい! どうせならビジュアル的にも見栄えするシークエンスが欲しいですし、
プロットの段階から頭を捻りに捻りました。
 特に苦労したのは「トラウム」具現化。これは特撮ヒーローに於ける変身に匹敵する大切なシークエンスです。
「トラウム」発動にはヴィトゲンシュタイン粒子なる物質を必要とする設定があるので、
そこからイメージを膨らませていき、現行のような表現となりました。
 難産ではありましたが、印象的なシークエンスになったのではないかな、と。

 記念すべき「トラウム」の第一号は、シェインの持つ巨大ロボット「精霊超熱ビルバンガーT」。
 「トラウム」とはどのようなモノなのか、クドクド説明せずに一発で理解して貰うには
やはりシンプル・イズ・ベストでの勝負が相応しいと思いました。
 まず「ビルバンガーT」でもって「トラウム」の一つの基準として印象付けておき、
そこを軸にして「アンヘルチャント」や「グラウエンヘルツ」などバリエーションを増やしていったイメージ。
特に「グラウエンヘルツ」みたいな変り種は、「ビルバンガーT」と言う基準が無ければ
説明を重ねても印象が散漫になっていたと思います。
 余談ですが、この「精霊超熱ビルバンガーT」自体は、スタッフのびるば清水さんとの雑談から
誕生した小ネタだったりします。そもそもビルバンガーと言うネーミングも、びるば→ビルバンガーだし。
 そのときはまだ「トロイメライ」の企画も始まっておらず、別作品の小ネタでしかなかったのですが、
色々なアイディアを出し合う内に捨て置くには勿体ないようなモノにまで膨らみまして。
いつかどこかで使いたいと温めていた小ネタを「トロイメライ」でようやく発表できました。
 最初の段階ではゲッターロボやゲキ・ガンガー3のように三つのモードにチェンジする
可変型のロボだったのですが、シンプル・イズ・ベストを追求した結果、
鉄人28号を彷彿とさせるスペックに落ち着きました。
 ビルバンガーTの“T”は、現在は“Thunder”の頭文字と言う設定ですが、
三段階変形の案が生きていた頃は、そのまんま“Three”の頭文字でした。
初期設定時は三人乗りだったしなぁ(笑)。
 「超熱マナ神空斬り」と言った数々の必殺技案も全て没。スタッフからも必殺技を持たせてはどうかと
提案があるにはあったのですが、鉄人28号が鉄拳以外の攻撃を持ってしまうのは、ある種の美学に反するので却下。
男だったら拳一つで勝負せんかいってコトですね。

 そして、第1回のクライマックス。フィーナが犯してしまった過ちについて。
 不可抗力とは言え、シェインを救う為とは言え、人を殺めてしまった事実は、
誰よりも暴力と言う行為を悲しむフィーナの心へ重く圧し掛かります。
 そんなフィーナを取り巻く家族、仲間………旅立ちへと向かっていく各人の心情の変化には、
デリケートなテーマと言うこともあって非常に注意を払いました。
 なにより端役とは言えども人の生き死にを簡単に扱いたくなかったんです。

 一概には言えませんが、能力バトルものって格闘のカタルシスが優先されて戦いの果ての結末=生死については
軽視される傾向があると思うんですね。勝ったほうが正義と言う勧善懲悪的な図式で。
 勿論、そう言ったフォーマットの作品にも優れた傑作は多いのですけど、
少なくとも「トロイメライ」の中ではそれはやってはならないな、と。
 これまで自分の作品では生き死にを力の及ぶ限り掘り下げて描いてきましたが、
「トロイメライ」ではより深い領域にまで踏み込んでいくことになります。
 生と死が持つ凄まじいまでのエネルギーを逃げることなく描ききってこそ、
人間ドラマとしての「トロイメライ」が完成されるのだろうと信じているからです。
 「トロイメライ」に託したテーマを完遂する為に僕らが採ったのは、
作品を象徴する特殊能力にまで人間の感情を込めるという選択肢です。

 ヒロインによる殺人と言うショッキングなシーンが初回のクライマックスです。
 そこには、「トラウム」と言う能力は単なる戦闘手段ではなく、
使用する人間の感情が宿った分身であるとの意味も含まれているのです。

 第1回「在野の軍師」の掲載を終えて思うことは、「トロイメライ」と言う作品の方向性を
ひとまずは捉えることが出来たのかな、と。おぼろげながらも進むべき道筋が見えました。
 嬉しかったのは、初回を読んで下さったさめじま師匠に「面白い!」と喜んで貰えたこと。
その一言で向こう十年分のやる気を充電出来ました。いつだって師匠が見守ってくれている。
これほど勇気が湧くことはありません。




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