13.過去と現在と



「―――思い出したよ、最後のフランケンシュタイナー。
あれって、お前のジィさんが“例の仕置き”に使ったのと同じ決まり手だろ」

 記憶の底に沈んでいた紙片を拾い上げ、叙述された内容をなぞったかのようなカーカスの言葉を、
アルフレッドがその背で受けたのは、クラムボン・キャンプからの帰還する途上だった。

 インターネット上に設置された掲示板では、今なお恐ろしい勢いでピナカ重工の悪事が暴露され続けているが、
シェルクザールで起こった一件に限って言えば、ガウニーを陥落させ、
またヒックスを打倒した時点で一区切りは付いていた。
 掲示板からもたらされた最新の情報によれば、どうやらピナカ重工の幹部たちは夜逃げ支度に取り掛かったらしいのだが、
脱出の間際にシェリフたちが踏み込み、身柄を拘束されたそうだ。
 社屋前にはピナカ重工に騙されたと知って逆上した人々が殺到し、これが逃亡を妨げたとも報じられている。
 ピナカ重工の完全崩壊は、最早、場末の掲示板のみに留まらず、
テレビやラジオ、インターネット上のニュースサイトでも号外として速報されていた。

 一方、フランケンシュタイナーによって脳天から垂直落下を被ったヒックスは、
シェインがナップザックの中に常備しているロープによって全身簀巻きのように縛り上げられ、
ガウニーもガウニーでマルレディから手錠を掛けられている。
 よほどダメージが大きかったのか、現在もヒックスの意識は戻っていないのだが、
悪党に気遣いは無用とばかりに、アルフレッドは言うことを訊かないペットのリードを手繰る要領で
彼の肢体を引き摺り回している。
 岩の出っ張りがモロに露出する地面を引き摺られては、毎秒ごとに生傷が増えていくだろうが、
そんなことはお構いなしである。
 意識が戻った途端にヒックスは悲鳴を上げるだろうが、
その頃にはマルレディの手配した護送用の馬車に揺られているに違いない。
 脳天に浴びた痛打と擦り傷の治療は、保安官事務所で施されることだろう。

 落魄こそすれ意識は現世に残しているガウニーだったが、精根尽き果てた彼の表情は亡霊と見紛うばかりに蒼白で、
一言も喋らないまま頭(こうべ)を垂れて一行に恭順している。
 逃亡や抵抗を図るだけの気力を完全に失ってしまった様子だ。

 意識を失っていると言えば、麻酔薬が塗布された鉄の串を射られたベテルギウス―――
“マカフィー”もその中に数えられる。
 ガウニーとヒックスの薄汚い計略に陥れられ、
アシュレイと共に危うく謂れのない濡れ衣を着せられるところだったマカフィーは、
今もまだ地底湖の水面にその巨体を横たえ、静かに寝息を立てていた。
 陰謀者ふたりを捕縛した後、クラップやフィーナが負傷の程度を確かめようとしたのだが、
思いのほか麻酔薬の効き目が強く、熟睡したきり声を掛けても小突いても一向に目を覚ます気配が見られなかった。
 ベテルギウスと言う種に対する誤った認識、それをもたらす風説を一目で覆し得るきっかけを
カメラに収めようと試みていたオットーには残念なことであるが、
揺り起こすことも叶わないほどにマカフィーの睡眠が深い以上、今はそっとしておくしかあるまい。
 幸いにして命に別状がないことは確認できている。
 正面切っての撃ち合いではなく暗殺に向くような細い串を射掛けたところで、
クリッターの堅牢な表皮の前には浅く傷がつく程度のことである。
 麻酔薬の効果は充分に見られたが、それ以上のダメージは望むべくもなかった。

 寝かせておくとは言え、手負いのまま放置して帰るのはさすがに気が咎めたらしいアルフレッドは、
グリーニャでただひとりの獣医に電話を入れ、マカフィーの診察を依頼した。
 聞けば、何度かマカフィーのことを診ていると言う。
 マカフィーにとっては専属医のようなものだとアルフレッドはカーカスたちに語って聞かせた。
笑い声を交えて話をするくらいなのだ。
一切の処置を任せても安心だとアルフレッドが全幅の信頼を以って推せるほどに件の獣医は腕が良いのだろう。
 獣医の素性を尋ねたカーカスにとってもクリッターへの出張診察などは前代未聞のことで、
あまりにも滑稽な話にまずは瞠目して驚き、次いでアルフレッドへ釣られるかのように喉を鳴らした。
 人類の天敵と恐れられるクリッターに専属医が居ると言うのだ。
 マカフィーもマカフィーでこの専属医には相当に懐いているらしく、
彼の姿を見つけると赤ん坊のようにはしゃぎ、甘え、頬と言わず鼻と言わず、顔面の至る場所を大きな舌で舐ると言う。
 診断の度にボロボロにされるものの、それでも本人はマカフィーを可愛がっているのだと、
横で耳を傾けていたシェインが専属医にまつわる逸話を付け足した。
 想像するだけで、なんとも珍妙かつ荒唐無稽な光景と言えよう。

 マルレディが持つトラウムの恩恵を受けている為、
地底であってもアルフレッドのモバイルは普段と同じように使うことができる。
 程なくしてウワサの専属医がグリーニャ側から直通しているトンネルを経てクラムボン・キャンプに到着、
彼にマカフィーの診察を任せた一行は、入れ替わりで帰路についた次第であった。

 カーカスから思いがけない話題を振られたのは、まさにその道程のことだった。
 地上に戻ってからの筋運びへ思考を巡らせていたアルフレッドは、
それが為に自身の背を追いかけてきたカーカスの声に心臓を揺さぶられ、
つい「うひょっほ!?」と珍妙な声を上げてしまった。

 すかさずフィーナに「よく見ときなよ、フィー姉ェ。あれ、アル兄ィの地なんだよ? 
普段、すっげースカしてるけど、意外と肝がちっちゃいよね」と耳打ちするシェインと、
これを聞いて大爆笑するムルグを目じりに捉えたアルフレッドだったが、
しかし、底意地の悪いことをする弟分には、以前に一度、これと同じ醜態を見られており、
それだけに強く抗弁することも出来ない。
 口の端をヒクつかせながら生暖かい視線を向けてくるフィーナから顔を逸らしたアルフレッドは、
なるたけ幼馴染みたちを眼中に入れないよう注意してカーカスを振り返った。
 笑気たっぷりのムルグが視界にちらつき、くぐもった笑い声が鼓膜を打つ度に暴力衝動に襲われるものの、
ここで彼女に応じては、ますます自分の立場が悪くなるばかりである。
 ムルグに対する憤激をグッと堪えてカーカスの相手をしたほうが、精神衛生上、遥かに好ましい。

『―――思い出したよ、最後のフランケンシュタイナー。
あれって、お前のジィさんが“例の仕置き”に使ったのと同じ決まり手だろ』

 投げかけられた言葉を胸中にて反芻したアルフレッドは、
一拍置いてから「………よく知っていたな、そんな昔のこと」とカーカスへ返した。

 「あれは居た堪れなくなって強引に話を変えたな」と極めて冷静なツッコミを入れてくるシェインと、
それを聞いて甲高い笑い声を上げるムルグが癇に障らないこともないが、ここで反応しては元の木阿弥。
 なおもアルフレッドは全力の黙殺を貫いた。

「当然さ。オレらの業界じゃ知らない人間はいねーよ。
グリーニャを襲った風説の流布と、そいつを力ずくでねじ伏せた伝説の怪人のことはね」
「伝説の怪人とはご挨拶だな。尤も否定する気もないがね。
なにしろ我が祖父殿は、種も仕掛けもなく空を飛ぶような人間だったからな」
「こいつらをブッ飛ばすときにさ、古い友人―――マカフィーの為にって言ってたけど、
………本当はジィさんの為ってのも入ってるんじゃねーのか? あんたが戦った理由には」
「………………………」

 ヒックスを縛り上げたロープをアルフレッドは左手つまり利き手側で固く握り締めている。
空いた右の指先で鼻の頭を掻いて見せたアルフレッドの様子にヒックスは相好を崩した。

「それで思ったんだよ。お前さんが何時からこのクソッタレどもを疑っていたのかなって。
………ぶっちゃけ、こいつらが行動を起こす前から怪しんでたんじゃねーの?」

 カーカスの口から発せられたその一言に鼓膜を打たれ、ガウニーは反射的に顔を上げた。
 無理からぬ話である。彼にとっては信じ難い衝撃の一言の筈だ。
 双眸を見開いたまま硬直しているガウニーに向かってこれ以上ないと言うくらい厭味に鼻を鳴らし、
薄ら笑いを見せ付けたアルフレッドは、再び彼が項垂れるより前にカーカスへと視線を戻した。
 ガウニーがどのように打ちひしがれようと、最早、アルフレッドには何の興味も湧かない。

「前にも言ったと思うがな、作業へ入る前の夜にこの町の地質データを読んでいたんだ。
―――それでピンと来た。誰が、またどのような目的で仕組んでいるのかはわからないが、
この町では何かが起きている。作為が働いている、とな」

 過去数年の地質データに明らかな改竄が見られると思っていたら、
続けざまに、且つ強引にも程があるやり方でガウニー側が不可解な行動を起こし始めた。
それも土壌の汚染に関連する事柄で、だ。これで怪しまない人間はいないともアルフレッドは付け加えた。
 陰謀を嗅ぎ付けた、などと大仰な言い方をするまでもない。全ては首謀者の身から出た錆であった。

 「なぜそこまで…」と呻き声を搾り出したガウニーをクラップは鼻先で嘲った。

「―――スーさんの誇りに賭けてってヤツだろ。ガキの頃から何度もくたばれって思ったかわかんねーけど、
てめーのように経験を悪用する人じゃあなかったしな。つーか、比べたらスーさんに失礼ってもんか」
「クラップ………」
「………緑カビ」
「てめー、コラ。最後の最後まで人をカビ扱いかッ!」

 アルフレッドの返答を待たずに横から口を挿んだのはクラップである。
 シェルクザールの今後を案じているのか、
ピナカ重工の陰謀が阻止された後も浮かない表情(かお)のままでいるカミュを気遣いつつ
仲間たちの会話にはしっかりと聞き耳を立てていたようだ。

「まあ、こいつの頭がカビだらけと言うことには異論は無いがな。
とは言え、今の読みはそれほど悪いものではないぞ」
「おめーも少しは庇えよ! ええ、マブダチぃッ!?」
「―――………スーさんの顔に泥を塗るわけには行かなかったからな。
ムチャクチャな人だったけど、俺にとってはただひとりの祖父なんだ」
「………おい!? マジでオレのことは投げっぱ!? 人の話に乗ったクセして発言者はガン無視かいッ!?」
「ベテルギウスの悪夢、か。………オレら、こっち来てからあの事件にずっと振り回されてた気がするな。
結局、あの事件に最後のケリをつけたよーなものだもんな」
「テレビ屋ぁッ! てめーまでフツーに会話進めんじゃねーよッ!!」
「………礼を言うよ。あんたのお陰で、ずっとモヤモヤしてたもんが取れた気がするぜ。
テレビ屋の誇りって言うのかな、そーゆーもんを考え直す機会だったよ」
「何を言うんだ。俺のほうこそ礼を言わなければ。あんたやオットーがいてくれなかったら、
シェルクザールを救うことも、旧友と祖父の誇りを守ることもできなかったんだ」
「待て、待て待て待て待て。待てや、今まさにイジメが起きつつあるよね。
コレ、イジメ以外の何物でもねーよな? イジメ、かっこ悪ぃんだぞッ!?」
「へへっ―――伝説のフランケンシュタイナーを生きてるうちに拝むことが出来たんだ。
これに勝る礼なんてあるかい?」
「そこまで言われると、何だかこそばゆいな。俺は祖父の教えに従ったまでのことさ」
「………………………」

 てめぇらみたいのを世の中じゃ外道って言うんだァ―――クラップから繰り返される批難と、
ついでに自分たちの会話を眺めながら好物を目の前にした肉食獣如く舌なめずりするフィーナを
全力で無視したアルフレッドは、改めてカーカスの言葉を反芻した。

 ベテルギウスの悪夢が起こった時期と、シェルクザールに不発弾が運び込まれた時期は
多少のズレはあれどもほぼ一致する。
 そのことを知る人間は、地元であってもごく僅かなのだが、
シェルクザールとグリーニャは地下のトンネルで一つに?がっているのだ。
 シェルクザールの地下へ埋められた不発弾に反応したベテルギウスが、
トンネルを彷徨う内にグリーニャへ顔を出したとしても不自然ではなかった。

「………俺たち、グリーニャの人間もこの町の住人と同じなんだ。
植え付けられた先入観で判断力を歪めてしまった。そして、真実を見失ってしまったんだ」
「“ベテルギウスは猛毒を撒き散らす”―――未だに根強く残っていやがるからなァ、こいつは」

 「そこをてめぇらテレビ屋がグリーニャ汚染なんつってデタラメな記事を並べやがっから、
ややこしいことになったんじゃねーか」とクラップから悪態が飛んで来たが、
カーカスはあえて言い返すことなく、静かに頷いて見せた。
 メディアへ携わる立場の人間として『ベテルギウスの悪夢』に寄せる心情が、
その殊勝な様子へ表れているように思えてならず、クラップも次なる罵倒を紡げなくなってしまった。
 後先考えずに悪言を連ねるクラップと雖も、人の真摯を嘲るほど不調法ではない。

「俺の祖父は、マカフィーが地上に現れてすぐに土壌の汚染を調べた。
案の定、土壌への汚染は全く見られない。つまり、マスコミが騒いだような事実は確認できなかったと言うことだ。
続いて祖父は、自らマカフィーに組みかかり、直に触れても、周辺の空気を吸っても
毒に冒されて死ぬことはないと証明して見せた。文字通り、身体を張ってな」
「これ以上ないって証明だよな、ソレ。………しかし、よく実現できたな、そんな荒業」
「グリーニャの人間に追い立てられていたせいか、マカフィーもかなり気が立っていたからな。
間近で胴体に取り付いたのを俺も見ていたが、スーさんと雖もかなり梃子摺っていたよ。
最後には、昂ぶった気を一度鎮める為、完全に意識を飛ばすとか言い出し始めてな。
ラリアット気味に首根っこへ腕を絡めたかと思えば、次の瞬間にはフライングメイヤーを食らわせたんだ」
「………首投げッ!? クリッター相手に首投げッ!?」
「可愛いものだ、フライングメイヤーなんて言うのは。
孫や息子への鉄拳制裁にゴールデンギロチンネックブリーカードロップを使う男だぞ、うちのスーさん」
「ちなみに孫の親友にはパイルドライバーな。ご近所さんが余所の子を叱るなんて、古き良き時代の話だぜ」
「………おれはどこからツッコミを入れたらいいんだ………」

 フライングメイヤーとは、相手の首や肩に組み付き、その状態から勢いや体重を前方へ振って投げ飛ばす荒業である。
 アルフレッドに聞かされた当時の情景を、想像力を総動員して頭の中に思い描いたカーカスは、
あまりにもシュールな絵面へ自分勝手に困惑している。
 尤も、カーカスが困惑するのも無理からぬ話だ。
 クリッターを相手に、それも猛毒を撒布すると恐れられていたベテルギウスに飛び掛り、
それだけならまだしもフライングメイヤーを決めてしまうとは―――
アルフレッドは自分の祖父を例える際に“種も仕掛けもなく空を飛ぶ”と言っていたが、
列挙されたヒストリーの数々から判断する限りでは、その荒唐無稽な所業の全てが現実であると思うしかない。

「フライングメイヤーでマカフィーを沈黙させた後に何を言うかと思えば、
『タイマン張った以上、自分たちは戦友(ダチ)だ。こいつには誰も手出しさせねぇ。
こいつに武器を向ける野郎には、』と啖呵を切るわ…。しっちゃかめっちゃかだったよ、最後は」
「一回一回プロレス技を挟むのには、なんか意味があんのか」
「それはともかく、スーさんは誰もが先入観や固定観念に囚われている中、
ただ一人だけ真実の導き方へ到達していたんだ」
「つまりはそいつが、プロレス技に並ぶ―――」
「―――祖父の教えさ、プロレス技はともかく。正しい判断を下したいのなら、
ときには体当たりでぶつかっていくことも必要。………祖父は物理的に体当たりしたんだけどな」

 ベテルギウスに害がなく、またグリーニャが汚染されてもいないと見極めた“スーさん”は、
間髪入れずにテレビの制作会社へ乗り込み、風説の流布を牽引した相手に直談判で抗議。
 それでも非を認めず、訂正報道もしないと厚顔にも言い放った番組のチーフ相手に“スーさん”は―――

「―――腹の底まで腐りきったウジ虫みたいな人間には、フランケンシュタイナーのお仕置き。
俺もこれは伝聞でしか知らないのだが、その一撃で社内が静まり返ったらしいよ。
かくして、謝罪と訂正がその日のうちに用意され、グリーニャとマカフィーは無罪放免となったと言うわけだ」
「しかも、その番組チーフってのが………」
「そう―――悪質な農業団体と癒着していたってオチさ」

 言って、アルフレッドとクラップは何とも苦々しい顔を見合わせた。
 つまり、十三年前の『ベテルギウスの悪夢』にはもう一つのからくりが合ったわけだ。
 グリーニャ産の野菜によって市場を奪われ、敵愾心を抱いていた悪質な農業団体が
テレビ番組の制作会社や新聞社を懐柔し、意図的に誤った情報を流していたと言うわけである。
 農村としての価値を貶め、グリーニャを生鮮品の市場から放逐しようと言う下卑た陰謀だ。
 マカフィーの出現自体は偶発的な出来事だったのだが、件の農業団体にとっては渡りに船。
これ幸いとばかりに作為的な印象操作を図った―――それこそが『ベテルギウスの悪夢』の本質である。

 入念な調査を続け、やがて真相を突き止めた“スーさん”が黙っている筈もない。
 『ベテルギウスの悪夢』を演出したとも言えるテレビ番組の制作会社に乗り込んだ“スーさん”は、
農業団体と癒着していたチーフをフランケンシュタイナーで仕留め、
間髪入れずに彼らと連携していた新聞社も襲撃、またしても悪党を蹴散らした。
 諸悪の根源である農業団体を壊滅させる頃には、すっかりグリーニャに対する悪評は立ち消えていた。

「………本当に忘れちゃならない事件だぜ。おれたちは特に………ッ!」

 神妙に頷くカーカスの声は果てしなく重く、報道・情報に携わる人間としての矜持を感じさせる。

「………『ベテルギウスの悪夢」が幕を引いたとき、俺はまだほんの小さな子どもだったが、
それにしてもムチャクチャな祖父だと愕然としたものだよ」
「そこは素直に尊敬したとか、誉めちぎってやったっていいんじゃね? 草葉の陰で泣いてるぜ、スーさん」
「人の祖父を勝手に殺すんじゃないぞ、クラップ。暴力に頼るやり方が必ずしも正しいとは限らないと、
俺にはそう思えたんだ」

 暴力に訴えて解決するのが果たして万事の正解ではあるまいが、
勧善懲悪を世の中に示すと言う観点からも、“スーさん”の行動に意義が有ったのは明確であろう。

「そうして風説の流布を一度は払拭された筈なのに、時間が経過して事件そのものが記憶から風化していくと、
先入観として頭の中にこびり付いているモノが、またしても真実に摩り替わってしまう。
………今回の一件は、まさにそれだ。忘れたくても忘れられないものは、いつだって胸糞が悪いものだからな」

 間違った情報に躍らされたのは、村を取り巻く世間ばかりではない。グリーニャの村民とて同じことである。
 偶発的に――正確には、シェルクザールの一件が綿密に絡んでいるにせよ――地上へ顔を見せただけのマカフィーに対し、
グリーニャの人々は銃口を向けたのだ。
 クリッターと言う人類の天敵を狩る―――それだけの理由ではない。
有毒物質を撒き散らすと言うこの化け物のせいでグリーニャそのものが滅びるかも知れない。
その焦燥と憤怒をぶつけようとしたのである。

 かつて毒獣と見なし、カメラが回っている前でマカフィーを追い立てようとしたグリーニャ側にも
“彼”の名誉失墜には大いに責任があるとアルフレッドは教え込まれてきた。
 ベテルギウスが有毒ガスを噴霧すると言う報道に怯えきったグリーニャの人々のインパクトは、
風説の流布を現在にまで引き継いでしまった遠因の一つなのだ、と。

 だが、ベテルギウスを貶めた遠因であるのと同時に、グリーニャの人間はマカフィーにとって最も良き友人でもあるのだ。
それだけは忘れてはならない。
 ベテルギウスは、有毒なガスを撒き散らす悪魔の如きクリッターなどではない。断じてそのような存在とは違う。
それどころか、地表を冒すだろう遍く毒素を中和してくれるベルエィア山の守り神なのだ―――
テレビ番組の制作会社を占拠し、彼らに強要した謝罪会見の席で祖父はそのように熱弁を振るっていた。
 “スーさん”にまつわる昔日の記憶は、真実の導き方も含め、今なおアルフレッドの胸中にて熾火のように赤熱している。

「お前さんの好きな言葉と一緒だな、今回の事件は。いや、十三年前から続いていた事件って括るべきか。
どちらにも共通しているみたいじゃあないか」
「“Eppur si muove”、か。確かに言われてみるとその通りかも知れないな」

 少し前にアルフレッドが披露した歴史的偉人の格言をオットーが反芻する。
 「それって偉人サンのお言葉だろ? その人の場合、むしろ真実を曲げざるを得ないような状況に追い込まれたんだから、
今回の騒動とは正反対なんじゃないんかね」と混ぜ返したカーカスに対して―――

「そして、歪曲された筈の真実は、現代まで常識となって生き残っている。………それが全てを物語っているだろう」

 ―――と、アルフレッドは切り替えした。
 オットーもカーカスも、その答え一つで得心がいったらしく、微笑を浮かべながら彼に頷き返した。
 クラップだけはアルフレッドが言ったことの意味が通じず、不思議そうな表情を浮かべたまましきりに首を傾げていたが、
いちいち面倒を見ていてはキリがないとばかりにアルフレッドは親友の間抜け面を視界から退けた。

(―――“それでもこの星は回っている”………)

 ふと気付けば、我先にと先頭を切っていたシェインが、出口間近であることを大声で報せている。
 洞窟内を反響するシェインの大声は、普段であれば耳障りにさえ感じられるのだが、
今のアルフレッドには、それすらも心地良く思えた。







 数多の急転を経て、無事に地上へ生還したアルフレッドたちを待ち受けていたのは、
当惑しきった面持ちで立ち尽くすシェルクザールの住民たちである。
 エンディニオン中の人間と同じように彼らも町長とヒックスが企てた悪事の一部始終を既に知っている。
 思考を委ねるほどに信頼しきっていた町長から、許し難い裏切りを受けたのだ。
その怒りがはち切れ、暴徒と化してもおかしくないような状況の筈である。
 シェインやマルレディは、ガウニーが姿を見せた途端に住民たちが殺到するとまで想像していたくらいだった。
 名ばかりとは言え、マルレディにもシェリフとしての矜持がある。
 如何に許し難い犯罪者と雖も法律に則った取調べを行い、然るべき処罰を与えるのが正道なのだ。
今回のような事件を取り扱う場合、とりわけ強く法の遵守を意識せねばならない。
 いざと言うときには、身を挺してでもガウニーやヒックスを守ろうとまでマルレディは思いつめていた…が、
住民たちが暴徒化する気配は一向に見られなかった。
 それどころか、諸悪の根源たるガウニーの姿を認めても罵声の声が一つとして上がらないような有様である。

 無論、ガウニーのもとから住民たちの信頼が離れていることは見て取れる。
そのような事態へ陥ったことに動転しているのも明らかである。
 だが、誰ひとりとして完全には憎悪に染まっていないのだ。
 町長のほうが罠にハメられていて、実はアルフレッドたちのほうこそ真の悪なのではないか―――
想像とは全く異なる様相を目の当たりにしたマルレディは、
住民たちが突拍子もない期待を抱いているようにすら思えてならず、それ故に背筋へ冷たい戦慄が走った。
 多年に亘って支配してきた側と、されてきた側。その関係が生み出す奇妙な心理の交感は、
人情と呼ぶにはあまりにも歪な形をしている。

 ともすれば閉鎖空間特有の歪んだ群集心理へ傾きかねないシェルクザールの住民たちだったが、
しかし、そこに楔を打ち込む人間も確かに存在している。
 だからこそ、住民たちは御すことの出来ない心の動揺に翻弄され、当惑したまま立ち尽くしているのである。

 アルフレッドたちを出迎えた住民たちの中心には、
腕組みしたまま地べたに座り込むウィリアムスン・オーダーの姿を見て取れた。
 カーカスが焚いた煙幕に隠れ、そのまま遠方へ逃れたかに思われたアシュレイは、
堂々と胸を張って群衆の中心に留まり続けたのである。
 サルーンで待機していた社員たちも騒動を聞きつけてすぐさまこれに加わった。

 煙幕と言っても一時しのぎの防御策でしかなく、時間の経過と共に全く意味を為さなくなる。
その上、ガウニーたちの悪事が解き明かされるまでには相応の時間を要した筈なのだ。
 濡れ衣が晴れるまでの間、ウィリアムスン・オーダーは住民たちのもとに生身を晒していたようなものである。
逃げも隠れもせずに座り込みなどしていれば、暴徒側にとって見れば格好の的だった筈だ。
 たちまちの内に蛮行に遭い、あるいは私刑(リンチ)の名のもと、皆殺しにされていたかも知れないのだが、
アシュレイたちは今も生を長らえている。
 多少の揉み合いはあったのだろう。衣服は皺くちゃ、顔面などの露出している肌には
路面を擦ったような傷痕が散見されるものの、所謂、“負傷”と認定せねばならないような怪我を負った人間は、
ただの一人としていなかった。
 痛めつけられるどころか、身の潔白を体言せんとする決然とした瞳の輝きは、
町長たちの悪事が暴露されたことによって絶対的な自信を帯びたようにも見える。

 ウィリアムスン・オーダーが無事を保っているのは、武威によって住民たちを退けたからではない。
ましてや、ガウニーたちの悪事が暴露された頃合―――
つまり、自分たちへ危害が及ばなくなるタイミングを見計らって、ちゃっかりやって来たと言うわけでもない。
 仰いで天に愧じず。自分たちには何もやましいことはなく、であればこそ逃げる理由もない。
堂々としていようではないかと言う強固なる信念へ触れた住民たちが心を揺り動かされ、
これによってガウニーの煽動に奪われた冷静な判断力が蘇り、結果として手出しできなくなってしまった次第だ。
 ガウニーが吹聴したような悪巧みがアシュレイの側に本当にあったとするなら、
ここまで大胆な真似は絶対に出来ないだろう。
 本当に潔白の身だからこそ断行できる勇気ある証明であり、また、こうしたものが最後には人間の心を動かすのである。
 饒舌に言い繕うのでなく態度で以って潔白を示したカミュの勝利と言っても差し支えあるまい。

 アシュレイに正義があるのか、それとも、やはりガウニー町長が悪なのか―――
つまるところシェルクザールの住民たちは、迫られた二者択一をどうにも判断し兼ねているのだ。
 裏切りに対する失望と反動が生じる以前の問題である。

「アッシュ…無事なんだね、アッシュ………」
「カミュっ! そっちこそよく…よく何事もなく………っ!」

 事情はどうあれ、アシュレイの無事をその眼で確かめたカミュは、安堵の為に膝から崩れ落ちた。
 アシュレイの潔白を証明すると意気込んでクラムボン・キャンプへ単身突入したカミュだけに
ウィリアムスン・オーダーの無事は何にも勝る喜びだったのだろう。
 双眸からは熱い迸りが幾筋も幾筋も零れ落ち、顎の下にて玉を結んでいた。

「………―――ッ!?」

 駆け寄ってくるカミュを抱きとめようと上体を起こすアシュレイだったが、
しかし、その肩越しに不気味な動向を捉え、全身を一気に硬直させた。
 最早、進退窮まっている筈のガウニーが、自らの“手駒”を見回しながら薄ら笑いを浮かべているではないか。

「―――諸君ッ! 騙されてはならんぞッ!! 我らはこの者どもに誑かされたのだッ!!
諸君らも見ていただろうッ!? 誘導尋問に掛けて人の足元を掬う邪悪なやり口ッ!! 
そのような悪辣な者が正義であるわけがないッ!! 正義は、諸君らと共に生きてきた我にこそあるッ!!」

 ガウニーが“手駒”を、シェルクザールの住民たちを先導し始めたのは、
アシュレイが彼の意図に気付いたのと殆ど同時であった。
 性懲りもない悪あがきとはこのことである。
世界中にその汚名が知れ渡っている状況では何をやっても無駄な徒労でしかなかろうに。
 煽動によって暴走した住民がアルフレッドたちへ雪崩れ込んだ隙に逃げようと企んだか、
あるいは、今もって自分への信用を残している憐れな手駒の中であれば、
生きていく上で最低限の保身も叶うなどと甘い見通しを立てたのかも知れない。

「諸君らを導いてきたこの自負を正義の証に替えることは不遜であろうかッ!? 
―――否ァッ!! シェルクザールと共に歩んだ我が人生が正義の在り方を語っておるッ!!」

 ここぞとばかりに血を吐く勢いの大音声を張り上げたのには、実は大きな意味があった。

「我が人生、我が軌跡に些かも不徳は無いッ!!」

 この大音声自体が、ガウニーのトラウム、『ボイスパラダイム』なのである。
 聞く者の心理状態へ強く作用し、自身の言葉を半ば洗脳のように信じ込ませると言う
恐るべき特性を持ったボイスパラダイムは、
成る程、これ以上のものはないと断言できるくらいガウニーには相応しかった。
 そのボイスパラダイムを発動させたと言うことは、つまりはこれがガウニーの打つ最後の賭けなのである。
 そして、ガウニーは自身が最後の勝者になることを微塵も疑ってはいない。
 切り札を最後まで隠し持っておくのは必ずしも悪い判断ではなかろうが、
肝心要の機転が破綻していては本末転倒以外の何物でもなく、最後の反撃を睥睨したアルフレッドは、
それを「浅知恵」の一言で片付けてしまった。

 アルフレッドが口にした浅知恵と言う唾棄の意味は、その直後にカミュが解き明かした。
 ガウニーがお得意の演説で住民たちを丸め込むものと認めたカミュは、
すかさず自身が備えたウソ発見器のトラウムを発動させた。
 ガウニー最後の大演説に対してウソ発見器が示した判別は、改めて詳らかにするまでもなく“×”。
事件の顛末を全て見届けたカミュが、ガウニーの言葉が偽りと言うことを証明してみせた恰好だ。
 愚の骨頂とも言うべき悪あがきは、カミュの手によって粉々に打ち砕かれたのである。

「―――やっちまえ、このクソジジィッ!!」

 再びの裏切り行為を、それも目の前で披露された住民たちは、今度こそ堪忍袋の緒が切れたらしく、
最後の一手まで封殺されてすっかり呆けてしまったガウニーに向かって猛然と押し寄せていった。
 最悪の事態が起きたと真っ青になったマルレディは、とりあえず我が身を盾にして住民たちの前に立ちはだかったものの、
試みる前から結果が明白なほど、多勢に無勢。
殺到する人波に撥ね飛ばされ、気付いたときには外周からガウニーたちが吊るし上げに遭うのを
見届けるばかりとなっていた。
 さすがに殺されるようなことはなかろうが、ガウニーとヒックスは身を以って自分たちの罪を購うことになるだろう。
 町長としての威厳など粉微塵に吹っ飛んだガウニーは、誰に向けたか「たァすけてぇ〜!」と救出を乞うたものの、
奇特な助っ人の耳へ入る前に何重もの怒号がこれを噛み砕いてしまった。
 そのうちに同様の悲鳴がもう一つ増えたのだが、
何と言うこともない、意識を取り戻したヒックスが恐るべき生き地獄へ引き摺り込まれただけの話である。
 自慢のドーピングもトンネルを出る頃にはすっかり効力が切れており、
爆発的に増強されていた筋肉はウソのように萎えてしまっている。
 副作用の無いドーピングなど有り得ないことであり、
おそらくヒックスの身体は自由が利かないまでに疲弊していることだろう。
 疲労が回復し切るまでには、きっと住民たちの吊るし上げも終わっている筈だ。

 オットーとカーカスは、時こそ来たれりとばかりに千載一遇のスクープ映像へカメラを向けている。
 そもそもオットーがヘッドルーム・リポートのトラウムを所有し、
このレンズでガウニーの醜態を捉えている以上、どのような悪あがきを企んでも全く意味を為さないのである。
 それを失念して浅慮を働くとは、どこまでも愚か。
ボイスパラダイムを利用したとは言え、よくぞ今日までカリスマとして権威を保っていられたものだと
首を傾げてしまうような醜態だ。
 吊るし上げを喰らってベソかく様は、老獪な策士どころか狼狽した幼児に等しかった。


「これにて一件落着、かな」
「アル兄ィってば、どんだけ無茶すんのさ。ヘタすりゃ冤罪でボクらのほうがお縄だったよ」

 土下座までして住民たちに許しを請う――謝罪ではなく痛い目を見たくないと言うのが本音であろう――小悪党ふたりを
遠巻きに眺めながら、フィーナとシェインは本件第一の功労者であろうアルフレッドをねぎらった。
 当のアルフレッドはいつもながらに素っ気ない反応で、「確実に仕留められると思ったから動いたんだ。
考えもなく突っ走れるような勇気を、俺は持ち合わせていない」と至って冷淡。
 祖父と旧友の誇りを守り、シェルクザールを救うことにも成功したと言うのに、
完遂の感慨は些かも湧かない様子である。少なくとも傍目には、だ。
 ここで忍び笑いを漏らしたのがフィーナだった。

「………スーさんも喜んでると思うよ、きっと」
「別にそう言うわけじゃない。結果的にスーさんがやり残した落とし前をつけていた―――それだけだ」
「うそばっかし。アル、すっごいおじいちゃん子だったじゃない」
「………煩い、黙れ………」

 “スーさん”のことを冷やかしたフィーナが、今度は腹を抱えて笑い出した。
 その様子を横目で睨めつけるアルフレッドの頬は、少し赤みが差している。
 彼とて達成感を全く持っていないのではない。自分のキャラクターに合わないとでも思っているのか、
他人に気取られぬよう冷淡を装って噛み殺しているだけだったのだ。
 しかし、そこは長年共に過ごしてきたフィーナである。プライドの裏に隠された本心など簡単に見抜いてしまい、
だからこそアルフレッドはバツが悪そうにそっぽを向くのだった。

「………クラップ? どうしたんだ? おい、クラップ」

 そっぽを向いた先では、ある一点を凝視したままクラップが全身を硬直させていた。
 声はなく、瞬きもせず、身じろぎ一つ確認できない。
動的なのは、後から後から溢れ出ては顔面を濡らしていく大量の発汗くらいなもので、
呼吸まで止めてしまっているのではないかと心配になるような佇まいである。

 怪訝に思ったアルフレッドがクラップの視線が向かう先を辿ってみると、
そこには固く抱擁するアシュレイとカミュの姿があった。

「ああ…やっぱり落ち着くよ。カミュの体温を感じると、骨まで温かくなるんだ………」
「アッシュがぼくに教えてくれたんじゃないのさ。人はこうやって温め合うんだって」

 仲睦まじく抱き締め合うアシュレイとカミュへ視線を固定したまま彫像と化したクラップに
「何を固まっているんだ、お前は」と声を掛け、右肩を揺すって正気を呼び戻そうと試みていたアルフレッドは、
そこで一つの推論に行き着いた。

「お前、まさか今の今まであのふたりのことに気付いてなかったのか?」
「だーかーら、ボクが言った通りだろ? クラ兄ィの目ぇ見てたらわかるってさ」

 その言葉によってようやく意識を現世に引き戻したクラップは、声の主であるアルフレッドとシェインへと顔を向ける。
 視線を交えた幼馴染みふたりは、クラップの胸中に湧き起こった疑念に正解と申し付けるべく、静かに頷き返した。
 三人のやり取りが何を意味するか理解したフィーナも、続けてクラップに頷いて見せる。
 ムルグに至っては、右の翼の先で自分の頭部を指し示し、そのままグルグルと回転させている。
暗にクラップのことを「アタマ悪過ぎ、現実見ろよ」と小馬鹿にしているのだ。

「―――オレ、かませ犬にもなってねぇぇぇぇぇぇぇぇぇェェェェェェェェェッ!!」

 言うなれば、それがクラップにとってトドメとなったのであろう。
 回路に異常を来たしたロボットのように奇怪かつカクカクとした動きで身悶え始めたクラップは、
最後に何とも哀しい悲鳴を上げ、錐揉みしながらその場に身を投げ出した。







 それからシェルクザールで起こったことは、自然の成り行きと言えるものだった。
 アルフレッドたちに対する殺人未遂と、件の失踪…いや、殺人事件の容疑で逮捕されたガウニーとマルレディは、
その他の余罪を含めて徹底的に追及され、裁判の結果、陪審員全員一致の禁錮刑が確定。
 逮捕後、間もなくガウニーにはリコールと言う住民決定が下され、ついに町長の座からも転落されてしまった。
 生あるうちに服役を終えたとしても帰るべき場所など何処にもなく、
ある意味に於いては死刑に処されるよりも険しい末路となったわけだ。
 『ボイスパラダイム』による陪審員の洗脳の危険性があるとアルフレッドが裁判長に具申し、
ガウニーに限って法廷での発言は全て筆談で行うと言う異例の展開となったのだが、これは余談。

 今度の一件は、紙上稀に見る大捕物として世間の好奇を独占していたが、それも僅かな間のことで、
禍根とも言うべきピナカ重工の重役たちが一網打尽に逮捕される頃には昼時のワイドショーでも取り扱わなくなり、
お茶の間の話題に上がることもなくなっていった。
 匿名で書き込みが可能な電子掲示板には、今も該当するスレッドが残っているようだが、
足を運ぶ人間はごく僅か。せいぜいピナカ重工に対する恨み節や嘲りが散発的に書き込まれる程度であった。
 個人情報が特定されるような情報も管理者側から削除され、スレッドそのものは役目を完全に終えている。

 ガウニーの後を引き継いだ新町長は、改めてウィリアムスン・オーダーへ謝罪。
両者は蟠りもなく和解し、本来実行する筈だった遺跡の発掘事業も再度の準備期間を設けて継続されることになった。
 ガウニーやマルレディの悪事に利用されてしまったが、発掘事業自体はシェルクザール側にとっても大いに意義が有る。
万難を廃し、今度こそ成功させるべきだと町議会で正式に採択された。

 今度の一件の最大の被害者とも言うべきマカフィーは、
それから間もなくしてシェルクザールの住民たちとも“良き友”となったようだ。
 瞬間的とは言え、エンディニオン中を騒然とさせた事件によって一躍脚光を浴びたベテルギウス種は、
その評価が再び見直され、彼らのことを猛毒の塊のように忌む風潮は拭い取られたと言っても良い。
 今度の一件と、これに付帯してクローズアップされた『ベテルギウスの悪夢』の実録が、
図らずもベテルギウスと人間とが共存できることを証明した形である。


 ―――それからもう一つ、シェルクザールには大きな変化があった。
 兼ねてから交際を続けてきたカミュとアシュレイが、晴れて入籍する運びとなったのだ。
現在は仕事で世界各地を飛び回っているものの、いずれこの町に根を下すつもりだとアシュレイは話していると言う。
 紆余曲折はあったものの、シェルクザールの住民ともすっかり馴染んだアシュレイならば、
この町でも安穏に暮らしていけることだろう。
 あまりにも劇的なふたりのゴールインは、無論、誰もが祝福した。
 カミュの面倒を見てきた『一本のえんぴつ亭』のマスターはまるで我がことのように喜び、
挙式やその後の披露宴まで諸事に亘って相談に乗っていたようだ。
 アルフレッドたちグリーニャの友人もカミュから結婚式への招待を受けており、
シェインはリングボーイの大役を任されることになった。
 「そんなこっぱずかしい仕事、ボクにやらせようっての!?」とブツクサ不満を漏らすシェインではあったが、
友人の慶事を誰よりも喜んでいた彼のこと、憎まれ口は本音ではなく照れ隠しであろう。
 ブーケトスの勝者になろうと意気込むフィーナとは対照的にアルフレッドの面はどこか気鬱である。
よりにもよって彼は披露宴での余興を頼まれていた。
 頭の回転は早いものの、それ以外のことに関しては無類の不器用であるアルフレッドにとって
披露宴での余興など公開処刑に等しく、何をすれば良いのか煩悶する日々であった。
 様々な参考資料を読み漁った末、一般ウケもする漫談を披露することに決めたものの、
練習に付き合ったフィーナやシェインの反応は、イマイチどころか、かなりの不評であった。

 全くウケない漫談も問題であるが、それ以上に危ういのがクラップである。
 アシュレイの存在によって初恋砕かれたクラップであったが、どうしてもカミュへの想いを断ち切れず、
ついには挙式の最中に“花嫁”を攫うとまで言い始めたのだ。
 さすがのバカでも、まさかそこまでの暴挙はするまいと高を括っていたアルフレッドだったが、
迎えた挙式の当日もクラップは会場へ姿を見せておらず、にわかに断行の可能性が現実味を帯び始めていた。
 グリーニャを出発する直前に掛かってきた電話では、「必ず後から行く」と明言していたが、
それも切羽詰った声色であり、尋常ならざるクラップの情況を如実に表している。

(………攫ったところでどうなるものでもないだろう。大体、“花嫁”を攫ってどうすると言うんだ)

 恙無く挙式が進められているシェルクザール郊外の教会では、今まさに誓いの言葉が交わされようとしている。
 この宣誓が終わったとき、晴れてふたりは夫婦となるのだ。

「ちょっと待ったァァァァァァァァァッ!!」

 ―――カミュとアシュレイが女神イシュタルへ夫婦の宣誓を行おうとした寸前、
花嫁たちを出迎えて以降、静かに閉ざされていた教会の大扉が、制止を訴える大声と共に開け放たれた。
 言うまでもなく、現れたのはクラップだ。
 どこで調達してきたのか、真っ白なタキシードに身を包んだクラップが、ふたりの挙式に割り込んだのである。

「カミュちゃ―――」

 アルフレッドに宣言した通り、本当に“花嫁”を攫いに来たのだろう。
 大扉の向こうにまで目を向ければ、屋外には逃避行に使う為の馬が?がれている。
間の抜けたところがあるクラップにしては、なかなかに周到な準備と言えよう。
 ところが、だ。そこまで準備をしておきながら、彼は大扉の前で全く動かなくなってしまった。
正確には、その位置から見える光景に衝撃を受けて硬直したと言うべきであろう。

「………………………」

 クラップが見つめる先には、今まさに夫婦になろうとしているカミュとアシュレイの姿がある。
 ………奇しくもクラップと全く同じ色合いのタキシードに身を包んだカミュと、
純白のウエディングドレスを纏ったアシュレイの姿が。

「生まれてこのかた、ずっとアホだと見なしてはきたんだが、どうもお前は俺の想像を上回る未知のアホのようだな」

 呆れたように言うアルフレッドと、「ダブルタキシードの略奪愛ってのは意外だったよ! やるね、クラ君! 
萌えのツボを新開拓だなんてッ!」と鼻血を吹きながらのたまうフィーナとを交互に見やったクラップは、
それからもう一度、壇上に立つカミュたちへと視線を戻した。
 驚いたようにクラップを見るカミュは、つまり“新郎”、その隣に立つアシュレイは“新婦”であって―――

「これがオレの初恋物語かよォォォォォォォォォぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 ―――十八年分の初恋物語が予想もしていない形で粉砕されたクラップの絶叫は、
教会に響き渡る祝福の鐘の音よりも遥かに大きかった。



(番外編 終)





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