12.Quod erat demonstrandum 「こうも上手い具合に引っ掛かると考えていなかったが、お陰で無駄な苦労をせずに済んだよ。 貴様の饒舌ぶりには感謝してもし足りないな」 「引っ掛かっただと!? 貴様はさっきから何を………ッ!」 「本物の在り処を知っている人間は、偽物を出されても自信を保っていられる―――つまり、そう言うことだ」 先だってガウニーは「どう言うことだ」と自分を狙うことの是非をヒックスに問うたのだが、 そこへ差し出口を挿んだアルフレッドは、尻上がりの擦れ声に対して彼の意に反するアンサーをぶつけた。 “自分の発言が裏帳簿を認めたことに?がる理由”を、だ。 成る程、ガウニーの発した「どう言うことだ、ヒックス」との呻きは、 第三者の目から見れば、“どうして裏帳簿を認めたことになるのだ?”と言う意図を含むものだと解釈することもできる。 それもまたガウニーの頭を悩ませる要素の一つではあった。 アルフレッドの手元にある物の真贋は別として、裏帳簿の存在そのものはガウニーを破滅させる鍵に違いないのだ。 「貴様が手に持つ偽物が、一体―――………………―――ッ!?」 そこまで言って、ガウニーはようやく己の浅薄を思い知った。 『証拠能力を持たない偽物を掲げて正義面とは片腹痛い』――― アルフレッドの持つ青いファイルをガウニーは偽物だとはっきり断じた。 それは、本物を知るからこそ真贋見分けられたと仮定する端緒であった。 偽物、の一言だけでは完全な自供とは言いがたいのだが、文脈からガウニーの言行を追うとまた事態は変わってくる。 こと細かな数字や勘定科目まで暴露したアルフレッドに対して、 そのファイルは偽物、アルフレッドたちが解き明かした詳細などそこには記されていないとガウニーは反論した。 彼の言葉を再度反芻するならば――― 『何が書いてある!? 何が記してあると言うのだ!? 貴様のあげつらったことがそこに書いてあるのか!? あるわけなかろうなぁ、そこには―――証拠能力を持たぬ偽物を掲げて正義面とは片腹痛いわァッ!!』 ―――である。 ガウニーが口走った“そこには記されていない”とは、 つまり青いファイルではなく本物の裏帳簿が別に実在することを自白したのに等しいのだ。 同じ罵倒の内にてアルフレッドの暴露した内容が本物であると認めている点が自白成立の最大条件であった。 その条件が整って初めて偽物と断じたことに意味が出てくるのである。 「蛇柄にあやかるとは、金運向上のつもりか? これだけ稼いでおいてまだカネが欲しいとは、強欲は底を知らないな」 ガウニーの強欲を痛罵したアルフレッドは、何を思ったのか彼の眼前へと右の人差し指を突き出した。 自然、ガウニーの意識はその指先へと集中する。 ガウニーの意識を引き付けたと確認したアルフレッドは、次いで別な方向へと己の指先を動かしていった。 アルフレッドの指先が導く先には、シェインの姿がある。 そして、シェインが両手でもって高々と掲げたある物に視線が合わさった瞬間、ガウニーの心臓は凍りついた。 「貴様の言う通りだ、ガウニー。俺たちが暴いた貴様らの企みは、あの青いファイルには書かれていない。 あれは役場で適当に見繕ってきた会計報告書だよ。………全てはこのノートの中にある」 シェインが諸手に掲げたのは、豪奢にも蛇皮の装丁が施されたA4サイズのノートである。 それが本物の裏帳簿であることは、すっかり血の気が失せたガウニーの顔が証明していた。 「“灯台もと暗し”と言うのかな? 目に付きやすい場所ほど、実は人目に触れることが少ない。 ………俺の場合はベッドの下に隠しておいて見つかってしまったのだがな」 ………クラップから拝借していた『世界制服旅情〜懺悔と奉仕の桃源郷より』が見つけられたときのことを 引き合いに出すアルフレッドへフィーナは微妙に眉を顰めたが、これは余談。 「とは言え、町長室の金庫に裏帳簿を仕舞っておけるその胆力だけは認めないでもないぞ。 いや、貴様以外には絶対に触れることのない金庫は最も安全な隠し場所だったのかもな。 いずれにせよ、疑いを持つ人間はご自慢の秘書が始末をつけていた筈だ」 「………なぜ、金庫だと………ッ」 「役場の人間に探りを入れたら、町長室の金庫には誰も近付けさせないと話していた。 それが開けられているのを見た人間も殆どいない。………怪しんでくれと言っているようなものだろう?」 「クッ………」 「それにヒックスと言う強い守りがある」 「………………………」 「貴様の行動パターンは実に短絡的だ。強引なやり口で否応無く相手を屈伏させていく。 そう言う人間は、自分が絶対的に有利とわかれば、そこで全てに満足して思考がストップする。 ………自分の権威とヒックスの工作、このふたつは貴様にとって絶対的な防御だな」 しかし、その絶対的な防御は脆くも崩れ去った。絶対的と信じて疑わなかったものが一瞬にして壊れた。 防御と共に長年の計画の全てが瓦解したガウニーには、最早、シェルクザール町長と言う権威は微塵も感じられない。 醜く哀れな狼狽を衆目に晒すばかりであった。 「だ、だが…だがッ! 金庫はどうした!? 開錠番号はワシ以外には誰も………ッ!」 「言ってなかったけど、ボクのトラウムってすっげー馬力があるんだよね。分厚い鉄板をぶち抜くくらいのさ」 「こじ開けたと言うのか、まさか―――」 「無理に力が加えられたら爆発するトラップとか仕掛けといたほうが良かったな。 楽勝でブッ壊せちゃったよ」 「そんな、バカな………ッ………」 物理的に破壊されることは絶対にありえないと金庫の耐久性には確信を持っていたのだろうが、 しかし、さすがにビルバンガーの鉄拳が相手では分が悪い。 証拠とばかりにシェインが翳したモバイルのディスプレイには、 勝ち誇ったようにVサインを作る巨大な人型ロボットが表示されていた。 その足元には粉々に粉砕された金庫の残骸が散らばっている。 「少しは思い知ったかよ、このクソジジィめ!」と言うシェインの罵声は、既にガウニーの耳には届いていなかった。 …否、耳には入っているのだろうが、これを認識できるほどの余裕など彼の脳は既に持ち得なかった。 「………だから何度も具申したではないですか。隠し場所は常に変え続けていたほうがいいと」 「ヒ、ヒックス…!」 全ての企みが露見したにも関わらず、ヒックスのほうは未だに冷静を保っている様子だ…が、 対するガウニーは、醜態と喩える以外に表しようのない取り乱し方を晒し続けている。 普段の威勢の良さはすっかり影を潜め、今や落魄の老耄でしかない。 逃亡するような気力も持ち得ないと判断したのか、 ヒックスはガウニーを狙っていた得物の銃口を改めてアルフレッドに向け直した。 自身の心臓へとヒックスが狙いを定めたと把握するアルフレッドだが、全く怯んだ様子はない。 仮にヒックスが鉄の串を撃発しようとも直撃を受けぬ自信があるのだろう。 得物が通用しないことは先ほどの戦闘で既に証明されている。 「………やはり貴様が黒幕だったようだな」 「黒幕とは心外だな。私はガウニー町長にビジネスを持ちかけただけだ。 うちのゴミを引き取ってくれたら、毎月報酬を御支払いいたしますよ、と」 「煩い、黙れ。そう言うのを黒幕と言うんだろうが」 浴びせられた皮肉を鼻で笑ったヒックスは、開き直ったかのようにアルフレッドの追及を認めた。 あっさりと全ての企みを自供して見せた。 欠陥の発生した不発弾および未使用弾頭についてピナカ重工も最初の内は誠意と責任を持って処分してきたのだが、 世界中から押し寄せてくる回収品の量は早々に彼らの処理能力を超過してしまった。 何事にも限界はあるものだが、粗雑乱造を繰り返してきただけに手詰まりとなるのも早かったわけだ。 そこでピナカ重工のトップはある奇策を案じた。 “うちのゴミを引き取ってくれたら、毎月報酬を御支払いいたしますよ”――― つまり報酬を餌に欠陥品を引き取ってくれる人間を募ると言う発想の転換に行き着いたわけである。 金で簡単に釣れる手駒を見繕ったと言い換えても語弊はあるまい。 多分に自転車操業的なサイクルではあるものの、社の信用を賭している以上、背に腹は変えられなかったようだ。 いかにも悪徳企業らしい最低の奇策である。 杜撰な体制で欠陥品を叩き売りしてきた企業が行き着くのに相応しく、 こうして悪事が明るみに出ても驚きより納得のほうが先行するから不思議だ。 ガウニーもまたピナカ重工に吊られた胴欲者のひとりに過ぎない。 ………過ぎないのだが、さりとてこの地に害悪を振り撒いた首謀者には他ならず、 自らがその全存在を賭して守らなければならない筈のこの町、この土地を、 私欲の赴くままに食い散らかしてきた罪は何よりも重い。 ガウニーは己に課せられた責任を忘れ、シェルクザールと言う町をあらゆる意味で食い物にしてきたのである。 ヒックスの介在があったか否かは、問題ではなかった。 であるからこそ、マルレディは怒りに震える指をトリガーから離せないでいるのだ。 私的制裁の銃撃を加えてはならないと必死になって己に言い聞かせているのである。 「―――成る程な。地中に埋めてしまえば後はわからないと言う計算か」 「他の場所でもコレで成功してきたのでね。………腹が立つほど手の早いお前のことだ、 他の埋め立て場所についても調べは済んでいるのだろう?」 「貴様のようなエージェントが送り込まれていることか? いちいち調べるまでもなく予想はつくさ」 「フン―――口が減らないな、いちいち」 「………だが、貴様らの計算にも狂いが生じた。 埋めた欠陥兵器から有毒な物質が染み出してくるとは思わなかったのだろう? ………尤も、貴様らの粗雑ぶりを見知っている人間にして見れば、この結果は当然の末路としか言えないがな」 「おいおい、そこまでウチをバカにしないでくれよ。土壌汚染なんて予想はついたさ。 だから私のようなエージェントが要るんだよ」 「………土壌の調査データを改竄する為の、か」 「そりゃそうだ。調査によって割り出されたデータは、面倒でもその都度書き換えなきゃならん。 ………ああ、汚染の実態を公表するだとかほざいた熱血漢もいたなぁ、そう言えば。 そう言うお利口でない人間は、我々のほうで“処理”させてもらったがね」 「処理だと………」 「責任をもって仕事をすると言うのは、こう言うことだよ、ライアン君」 「………わかった、わかったよ。やはり、貴様は正真正銘の下衆だ。救いようのない下衆だよ」 マルレディの葛藤に埒を開けたのは、ヒックスから発せられた非情にして卑劣な一言であった。 土壌汚染の実態に感づいて彼らの正体を暴こうとした人間を“処理”したと言い放ったのだ。 しかも、だ。“処理”を施した後には、痕跡が残らないようクリッターの餌にしてしまったとヒックスは付け加えた。 郊外に放り投げておいた亡骸は、今頃はクリッターの腹の中に納まっているだろう、と。 最早、彼はピナカ重工から送り込まれた工作員と言う自分の正体を隠すつもりがないらしい。 「この腐れ外道がァ―――ッ!!」 勇気ある者の死をせせら笑ったヒックスに激昂したマルレディは、 この憎むべき仇敵へとショットガンの照準を合わせ直した。 咄嗟の判断でシェインが押さえ込んだからこそすんでのところで撃発を止められたものの、 数秒でもその動きが遅れていたなら、今頃、ヒックスは私的制裁の銃弾をしこたま浴びていた筈だ。 マルレディもシェリフと言う立場を忘れ、何ら躊躇うことなくショットガンのトリガーを引いていたに違いない。 あるいは、死んでいたのはマルレディのほうかも知れなかった。 ヒックスもまたマルレディの動きに即応し、鉄の串によって迎え撃つ構えを取っていた。 その動きはマルレディよりも幾分速い。 仮に早撃ちによる勝負へと状況が転じていたら、先に致命傷を被ったのは明らかにマルレディだ。 マルレディを庇う為、攻めに転じようと身構えるフィーナとムルグをアイコンタクトで制したアルフレッドは、 一連の挙動に薄ら笑いを浮かべるヒックスに対して、もう一度、「救いようのない下衆だ」と吐き捨てた。 この場に居合わせた仲間たちの怒りを代弁である。 「そんな折にアシュレイ・ウィリアムスンが遺跡の発掘調査を申し込んできたと言うわけだな。 貴様らには渡りに船だったろう」 「あまりに私を侮らないでもらえるか。ウィリアムスンの身辺へ遺跡の情報が流れたのは、 まさか偶然だとは思っていないだろうね?」 「そちらこそ侮るな。貴様らの汚さはイヤになるほど聞かされていた。 推理上にピナカ重工の名前が浮かんだときから、大方、そんなところだろうとは踏んでいたさ」 何もかもお見通しと言った様子のアルフレッドにヒックスはくぐもった笑い声を上げた。 応じるアルフレッドは、なんとも下卑た笑い声に神経を逆撫でされたらしく全身に殺気を滾らせている。 「まんまと乗ってきたバカどもの幌場所へ砲弾の残骸を放り込んだ―――そこまでは首尾よく運んだのだよ。 あとはウィリアムスンが砲弾を持ち込もうとしたと信じ込ませるだけだった。 それで万事解決の予定が、思わぬ狂いが生じてしまった。何事にもイレギュラーはあるものだ」 「解決だと? 笑わせるな。解決の二文字を貴様らが使って良いとでも思っているのか。 ………恥を知れ、腐れ外道」 アルフレッドに面罵されてもヒックスはまったく堪えていないようだ。 それどころの話ではない。不法投棄の実態が暴かれてからも彼は不敵な面構えを全く崩していなかった。 元締めであるところのピナカ重工にまで波及するような窮地へ追い込まれている筈なのだ。 にも関わらず、未だにヒックスは余裕の表情(かお)でもってアルフレッドを嘲り続けている。 ………否、“嘲り続けていられる”。 いかんともし難い窮地に於いて不敵な笑みを作れるのは、起死回生の切り札を隠し持った者のみである。 逆転の可能性を持つ者にのみ許された特権とも言い換えられるだろう。 「チンケと言えばチンケな幕切れになるが、こちらとしても仕事は完遂せねばならない。 まずはお前たちを全員始末してしまうとしよう。ウィリアムスンのことならどうとでもなる」 「その貧相な串が通じないのはもうわかっているだろう? 勝ち目などどこにある」 「ハハッ―――切り札をこんなにわかり易い形で出すわけないだろう? 取っておきは最後の最後まで取っておくから効果的なんじゃないか」 言うや得物の具現化を解除したヒックスは、高笑いを交えながらダークブラックの上着を脱ぎ捨てた。 ワイシャツの上からでもはっきりと見て取れるくらい逞しい筋肉が脈動をしている。 上下を黒の単色で統一していたと言うこともあり、これまで硬質なボディラインが表に出ることはなかったのだが、 ヒックスが全身に纏う筋肉の鎧は、見る者を圧倒するほどに見事なものであった。 「さっきは無様なところをお見せしたがね、本来の得意は打撃(コチラ)なんだよ。 二度と遅れは取らぬから、そのつもりで来たまえ」 その場で軽く拳を突き出しただけだと言うのに風が弾かれ、アルフレッドの頬を鋭く撫でていく。 切り札と誇るだけあって徒手空拳の戦いには相当に覚えがあるようだ。 「己の筋肉を爆発的にパワーアップするこの秘義…名付けて、『ヘルパワー・ダイナマグナム』―――」 「わざわざ説明する必要があったんか!?」とのカーカスのツッコミは、 ヒックスの口から漏れ出す野獣の如き唸り声によって掻き消された。 と言うよりも、ヒックスに訪れた変化を目の当たりにした瞬間、 二の句もろとも喉の奥に引っ込んでしまったと表すほうが正しいように思える。 少しずつ声量を増していく重低な唸り声と共鳴するかのようにヒックスの筋肉が膨らみ始めたのだ。 世にもおぞましい光景としか言いようがない。 筋肉の軋む音がクラムボン・キャンプと言う閉鎖された空間内で反響し、アルフレッドたちの鼓膜を打つ。 それもまたを筋肉の膨張を促す鼓動ではないかと思えてならなかった。 ワイシャツやスラックスを引き裂きながらもヒックスの筋肉は急速に膨張し続け、 ついには平時より二回り以上大きくなってしまった。 「―――こうなると自分でも抑えが利かなくなるのでねッ! 申し訳ないが、すり潰されても自己責任で頼むよォッ!」 不恰好にも頭部のサイズだけ置き去りにしてそれ以外の部位の筋肉を膨張させたヒックスは、 激烈に強靭さを増した己の肉体を誇示するかのように、今一度、アルフレッドをせせら笑った。 ヘルパワー・ダイナマグナム―――それがヒックスの隠し持つ最後の切り札の名称である。 名称が示す通り、全身を覆う筋肉のポテンシャルを一気に覚醒させ、爆発的な身体能力を発揮すると言う荒業であった。 メカニズム自体は至ってシンプルなのだが、仮に頬にでもクリーンヒットを被れば、 最悪の場合、頚椎そのものが弾け飛ぶ危険性がある。 はち切れんばかりに盛り上がった全身の筋肉を見れば、それも瞭然だと言えよう。 「私のように単独で動く者はね、このように独力で窮地を脱する訓練を積んでいるのだよ。 ただの小賢しい武器商人と見ていたかね? あまり人を侮らないほうがいいぞ」 言うや、己の威容を見せ付けるようにしてヒックスは力瘤を作った。 連山のように膨張したヒックスの二の腕は、力瘤などと言う可愛らしい喩え方は完全に不釣合いとなっており、 筋肉の塊としか表しようがなかった。 ひねくれた者の目には薄っぺらくも見える単純明快な力自慢であるが、 しかし、瞬間的に鋼鉄の如き肉体を作り上げるこの秘義は、他者に誇っても浅はかな驕りとならぬだけの凄みを備えている。 「トラウムではないようだな、それは」 「トラウムならもう見せただろう? 私の修練の成果だよ、これは!」 トラウムは、その発現の仕方によって幾つかのパターンに分けられる。 例えば、トラウムの具現化に必要なヴィトゲンシュタイン粒子を体内に取り込み、 身体能力あるいは同機能の強化を行うものは、アルタネイティブ型へ分類された。 ヒックスがアルタネイティブ型トラウムの使い手であり、 これに力を借りてモンスター級の肉体を得ると言うのであれば、極端に驚くことではないのだが、 彼はこのヘルパワー・ダイナマグナムを独力で会得した秘義と称している。 そもそもヒックスのトラウムは、鉄の串を強力なバネで射出する物だった筈だ。 具現化の瞬間にもヴィトゲンシュタイン粒子の燐光が確認されており、 ヒックス持ち前のトラウムであることは疑いようもない。 にわかには信じがたいほどに人間離れしているものの、 ヘルパワー・ダイナマグナムはトラウムの類ではなくヒックスが自ら開発した技術のようであった。 暗殺には適しているだろうが正面切って戦うには些か貧弱に過ぎるトラウムに対し、 切り札を目する修練の成果とやらは、理屈抜きの力技。 なんとも皮肉な話である。あるいは、緩急自在の戦闘能力を賞賛すべきなのだろうか………。 「大したものだ。そこまで鍛えるには相当な労力だったろうに」 「ピナカ重工の技術力を甘く見てもらっては困るな。 筋力を効率的に強化する装置などもう十年以上昔から研究しているのだよ。 これがなかなかの売れ筋でね。新兵を鍛える時間の短縮にもなるだろう?」 「腹回りの肉を刺激するアレか? ダイエット用品に宗旨替えでもしたのか」 「いちいち皮肉が厳しいね、キミは。だが、あながち間違ってはいないよ。 電流を流して筋肉の運動状態を強制的に維持し続けたらどうなると思う? 筋肉を増強させる薬物の摂取と組み合わせたなら―――」 「つまりはドーピングか。随分と安っぽいタネだな」 「―――だが、時間をかけて肉体を改造していくよりもずっと効率的に兵を鍛えられるのもまた事実。 ………その成果は、ご覧の通りだよ」 アルフレッドが怯むまで力を誇示するつもりなのか、 ヒックスは鋼鉄さながらに硬化した右脚でもってたたらを踏むかのように地面を踏みしめた。 ほんの少しだけ上げた足で地面を踏む。挙動としてはたったそれだけのことなのだが、 ヒックスが踏みしめた場所は地盤沈下でも起こったかのようにひび割れ、その足は地中深くにめり込んでいた。 「―――見たまえ、このパワー! 筋肉を器官の一つ一つからコントロールできるようになった! これぞピナカ重工の技術力! これこそ世界が求めるパワーッ! ………キミも格闘技の心得があるようだが、ならばわかるだろう? 私のこの秘義と、我が社の技術力の価値がッ!?」 「無駄と言うか、くだらない努力だな。自慢の技を見せることもお前にはできない」 肉体改造と、その効率性の是非については判断に迷うところだが、 少なくともアルフレッドにはそれほど高い評価は得られなかったようだ。 ヘルパワー・ダイナマグナムを発動させたことをきっかけにして何らかのタガが外れたらしく、 それまで保っていた冷静さをガウニーとは別の意味で乱したヒックスを捕まえて アルフレッドは「脳味噌筋肉野郎」と一蹴した。 筋肉の塊と化したヒックスと、痩身のアルフレッド――― たったの一撃を喰らうことすら許されない危機的状況のように傍目には思えるのだが、 当のアルフレッドは歴然たる体格の差など全く意に介していない。まるで動じていない。 薄ら笑いすら浮かべない氷のような横顔からその意図を察することは難しいが、 さりとて一撃とて喰らわないと言う絶対的な自信を持っていない限り、 ヘルパワー・ダイナマグナムを向こうに回して平然とはしていられないだろう。 「いいだろう―――そこまで言うなら、私の最大の拳でもって貴様を葬り去ってやろうではないか」 アルフレッドの態度は、どうやらヒックスの目には負け惜しみと映ったようだ。 弱者の僻みを憐れんだような笑気交じりの溜め息を吐き出したヒックスは、 盛り上がった胸板を思い切りそり返し、それと同時に筋肉が軋むほど強く右の拳を握り締めた。 いたずら小僧を叱るカミナリ親父のようにアルフレッドの痩身へ拳骨を振り落とすつもりなのだろう。 「脳味噌筋肉野郎」との別称が実に似合った単調極まりない攻撃ではあるが、 腰の捻りによって最大限にまで引き出される上半身のバネが加わった拳は、 竜巻さながらの暴威と化してアルフレッドを飲み込む筈だ。 触れれば最期、間違いなくアルフレッドの痩身は弾け飛ぶであろう。 だが、ヒックスが攻撃態勢に入ってもなおアルフレッドは余裕の構えである。 「望むところと言いたいのだが、無駄な足掻きをしたところで貴様らはもう終わっている。 今更、やり合っても無駄な労力でしかない」 「………どう言う意味だ?」 自身の勝利を疑わないヒックスではあるものの、闘うこと自体が無駄な労力とまで断言されては、 さすがにアルフレッドの意図を怪しまざるを得なかった。 応戦の構えすらアルフレッドは取っておらず、力に訴える解決方法は完全に思考の外へと置いている様子だ。 兎にも角にも、アルフレッドの真意に訊く耳を傾けることにしたヒックスではあったが、 上体はそり返したままである。 ことと次第によっては、すぐにでも拳骨を振り下ろして始末をつけるハラのようだ。 あるいは、その意思を明示することで「小賢しい真似は許さない」とアルフレッドを威圧しているのかも知れない。 当のアルフレッドは、ヒックスから向けられるプレッシャーなどどこ吹く風と言った涼しげな佇まいである。 「こう言う意味だよ、脳味噌筋肉野郎」 言うや、アルフレッドは手招きするようなゼスチャーをオットーに送った。 何らかの合図だったのだろうか、ゼスチャーを見たオットーはズボンのポケットから一つのモバイルを取り出し、 これをアルフレッドへと投げ渡した。 デコレーションで飾るのは勿論のこと、ストラップすら付けていない。 全く味気のないそのモバイルは、アルフレッドの持ち物であった。 水中へ潜るに当たって壊れてしまわないよう予めオットーへ預けておいたのだ。 「モバイル? ………そんなものをいじっていられるとは、恐怖で気でも狂ったのかね?」 「―――ヒックス・ベルトラン。ヴィクド出身。イシュタル暦一四五八年十月にピナカ重工へ入社。 それ以前は傭兵として各地を転戦…と。勤続二十年か。あんた、見た目より年を重ねているんだな」 「………ッ!?」 オットーから受け取ったモバイルのディスプレイを覗き込んだアルフレッドが、 そこに表示されている内容を独り言のように読み上げ始めた瞬間、 ヒックスの満面に貼り付けられていた余裕が地滑りさながらの勢いで崩れた。 「入社後まもなく兵器コーディネーターに就任。傭兵時代に培った経験や人脈を生かしたセールスで 順調に業績を伸ばしていく―――ほぅ、入社三年目で業績トップとはやるじゃないか」 「いい給料(カネ)、貰ってたんだろうねぇ。くぅ〜、しがないサラリーマンにとっちゃ夢みたいな話だぜ」 「ちなみにその当時の年俸は五千万。自分の肉体を実験材料に提供し始めたのもこの頃だな。 それを込みに算出したのなら、妥当な額面かも知れないな」 「すっげぇ手慣れたやり方だったけど、シェルクザールに来る前にも幾つかこんな企みをしてたんかね?」 「ちょっと待てよ―――あぁ、あったあった。仕事が速いと言うしかないな。 タウンデーヴィーと言う町でシェルクザールと全く同じことをしていたようだ。 ちなみにこの町は有力者同士の土地争いが過激化した末に地図上から消滅している」 「抗争の果てに町ごとブッ潰れたってか………。なんともやりきれないニュースだな。 一応さ、念の為にさ、訊いておくんだけど、その抗争で使われたのって―――」 「―――ご明察。ピナカ重工が市販していた重火器だ。 面白いことにこの男は抗争が始まる寸前に町から姿を消したようだな」 「えげつねぇったらありゃしないね。しかし、ライアン君、よくまあそんな情報(ネタ)を調べ上げたもんだ。 こっちの情報網にだって引っ掛からなかったぜ」 「貴重な情報提供だ。何しろタウンデーヴィーの生き残りからの証言だからな。尤も、自称生き残りだがな」 「自称でもレア情報に変わりはないさ。手がかりさえあれば、裏づけ調査はこっちでも協力できる」 「そう言うことなら、後で返信をしておこう。向こうとしてもオットー重工に復讐できるなら大喜びの筈」 どうやらアルフレッドは、オットーの合いの手を受けつつディスプレイに表示された内容をなぞっているようだ。 モバイルのキーを忙しなく押していると言うことは、表示される情報量がそれだけ膨大だと言う証拠でもある。 ときにオットーは問いかけも交えてくるのだが、それには検索機能を使って応じているらしい。 キーワードを指定すれば、必要な情報を自動的に抽出および検索してくれるのだから便利と言うものだ。 (なんだ? ………一体、何が起きているのだ?) ―――アルフレッドがモバイルを使って何をしているのかは、傍観者のガウニーにも察せられた。 つまるところ彼は、ディスプレイに表示された内容を確認しながらヒックスの素性を暴いているのだ。 先ほど同様の猿芝居を行っているあたり、オットーとも事前に打ち合わせを済ませているのだろう。 それ自体がヒックスを、ひいてはガウニー自身を窮地に陥れるものである為、 極めて珍妙な言い方になるのだが、悪事の暴露は先ほどからずっと行われていたのであり、 今更、衝撃を受けることでもなかった。 アルフレッドもオットーも、猿芝居を繰り返しているに過ぎないのだ。 怒りを焦りはあれども驚くようなことは何一つ見当たらない。 であるからこそ、満面を歪めながら絶句し続けるヒックスがガウニーには理解できなかった。 猿芝居にも等しい推理劇を見せられたヒックスは、たじろぎもせずに証拠隠滅などいくらでもできると豪語したのである。 ほんの数分前のことなのだ…が、そのときの余裕は今では見る影もない。 ビッグマウスで通っていた人間が、本当の難敵を前にして化けの皮が剥がれてしまった――― 額から顎の下までを脂汗で満たすその様子は、急に自信を萎ませたとしか思えなかった。 雇い主の贔屓目を抜きにしてもヒックスは実に頭の働く男である。 その彼が次の手を見極められないまま追い詰められること自体、ガウニーには理解の限界を超えるものであった。 「まだわからないのか? ヒックスの素性を誰が調べているのか」 「バカにするでないわ! それは―――」 そこでようやくアルフレッドの言わんとしている意味を悟ったガウニーは、ヒックスと全く同じように絶句した。 ヒックスの本来の勤め先―――つまりは派遣元までアルフレッドたちは突き止めていたが、 それ自体、ピナカ重工の手の者であることは自分以外には絶対に知り得ぬ秘密である。 しかも、だ。シェルクザールへ派遣される以前の経歴までアルフレッドたちは掴んでいた。 ピナカ重工へ入社する以前に傭兵として活動していたことはおろか出身地まで彼らは暴いてみせたのである。 よしんばピナカ重工の手の者であることは嗅ぎ付けられたとしても、 前職・年俸・詳細な業績までは派遣元が直接密告でもしない限り、アルフレッドたちの耳に入る可能性は絶無の筈だ。 「貴様のカメラ、それはァ―――」 「―――『ヘッドルーム・リポート』。イカすトラウムだろ、コレ」 ガウニーとヒックスが最悪の事態に気付いたのは、まさしくこの瞬間(とき)であろう。 オットーは自身の構えるカメラについて、それがトラウムであることしか明かさなかったのだが、 特性を問い質すまでなくヘッドルーム・リポートによって取り返しのつかない状況へ陥れられたことは、 ヒックスにもガウニーにも解っていた。 「私のトラウムも忘れないでくれよ。オットーさんとの合わせ技一本なのだからね」 シェリフにとってトレードマークとも言うべきテンガロンハットの代わりに被っている―――と言うか、 頭の上に乗せているパラボナアンテナのような形の帽子が、 実は電波塔のトラウム『フルオブスタビライズ』だとマルレディが明かしたことは、 ヘッドルーム・リポートの特性をほのめかしたのと同義であった。 マルレディが持つ電波塔のトラウム、フルオブスタビライズは、 ありとあらゆる電波を受信し、モバイルやテレビのアンテナへ送り届けることをその最大の機能としていた。 役割としてはモデムやルーターに近いが、電波に分類されるものを全て送受信できる為、 その性能は類例のそれとは比較にならないほど高い。 本来であれば電波の送受信など到底不可能な地の底であっても 地上と同じように使える強力なアンテナがフルオブスタビライズ最大の特性と言えた。 アルフレッドのモバイルが地上にいるときと遜色ない動作をしているのも、 このフルオブスタビライズの恩恵によるものだ。 では、オットーが携えるビデオカメラのトラウム、ヘッドルーム・リポートが備えた特性とは何なのか――― 「ぶっちゃけね、性能は後から販売されたカメラに全然負けるんだけどさ、 生のドキュメンタリー撮るのには欠かせないんだわ。なんと言っても生中継にも強いしね。 コレさえあれば、中継用の機材もいらね〜し。アレってさ、また費用をバカみたいに食うんだわ」 ―――それは、オットーが漏らしたこの一言に集約されていた。 レンズに納めた映像をリアルタイムでアンテナに配信できるこのトラウムは、 まさに生中継向けの機材と言えよう。 前述の通り、最大の特性は“アンテナへダイレクトに映像を配信できること”。 非常に地味な特性のように思えるが、使い方によっては途方なく恐ろしい力を発揮できるのだ。 通常のテレビ映像は、電波塔を経由して戸別のアンテナに配信されるものだが、 ヘッドルーム・リポートを使用した場合、そうした中継を必要とせずに指定のアンテナへと ダイレクトに電波を飛ばすことが可能となるのである。 配信の源流とでも言うべきテレビ局を通さず電波塔に直接コネクトすることも出来るし、 更に遡ってテレビ局のアンテナそのものをジャックしてしまうことすらヘッドルーム・リポートには可能であった。 ヘッドルーム・リポート最大の特性は、電波ジャックとも言い換えることが出来るのだ。 「言ってなかったけどさ、ボクらがココに到着したのって、アンタらが来るよりずっと前なんだよね。 アンタらが悪そうなツラ引っさげてのこのこやって来るのも、ちゃ〜んと見ていたぜ」 「オレもちょっと不気味だったもの。ほら、ライアン君もいなかっただろ? ひとりでホラー映画観てる感じでさぁ。 遠赤外線機能使って撮ったってのもあるけど、町長さんたち、まんま幽霊みたいに見えたもの」 シェインが言うには、最短距離でクラムボン・キャンプへ辿り着ける近道を使い、先回りして隠れていたそうだ。 偽物と本物、両方の裏帳簿を用意してもまだ余裕があったと言うのだから大したショートカットである。 オットーもオットーで、シェインやマルレディと殆ど同時にこの最奥へ到着していたと言う。 それは、“古い友人”のもとへ何度も足を運んだことのあるグリーニャの人間にしか出来ない芸当だった。 カミュとカーカスの誘導を引き受けたクラップがそうであったように、 アルフレッドやシェインも悪党ふたりより遥かにこのトンネルのことを熟知していた。 シェインの後に追従したマルレディと、アルフレッドに導かれたオットーが――― 暗所をも撮影し得る遠赤外線機能を備えたヘッドルーム・リポートと、 如何なる場所でも電波を送受信できるフルオブスタビライズが悪党ふたりの到着に先んじて揃っていたと言うことは、 つまり、クラムボン・キャンプで起きた全ての出来事がリアルタイムで地上に送信されていたことでもある。 余すところなく全てが、だ。 「知恵の回る貴様のことだ。誰が貴様の情報を俺たちに提供してくれているのか、もうわかっているだろう? そして、どう足掻いても勝ち目がないことも」 「………………………」 オットーのヘッドルーム・リポートには、ふたつの役割が与えられていた。 一つは、当然ながらガウニーとヒックスの正体を探り、暴き、その全てをレンズに納めること。 もう一つは、シェルクザールで起きていること、 クラムボン・キャンプで暴かれたピナカ重工の悪事を外の世界に知らしめることであった。 通常のビデオカメラで撮影してもシェルクザールの外へ持ち出し、 実際に放送をする前にテープごと隠滅されてしまう可能性がある。 その点、ヘッドルーム・リポートはその特性を生かして映像をリアルタイムに配信することが出来る。 暴き立てた悪事を、即座に世間へと公表することが出来るのだ。 問題点はクラムボン・キャンプが地底に存在することだが、 これについてはマルレディのフルオブスタビライズが解決してくれた。 「これはまた興味深い情報が入ってきたぞ。アッシュの幌馬車に運び込まれた錆だらけの破片のことだ」 「あのガラクタみたいなヤツね。型番までしっかりと撮らせて貰いましたよっと」 「そうだったな。それじゃ、これはあんたの大手柄だ。 型番を調べてくれた人がいるんだがな、やはりあれは毒ガス弾の弾殻だったようだ。 しかも損壊した形状から推理して弾頭付きで投棄された可能性もあると言う」 「弾頭付けっ放しで砲弾を捨てるなんざ、アタマおかしいとしか思えないね。 ―――おっと、こいつは放送禁止用語だな。また始末書だよ、これ」 モバイルのディスプレイに表示されているのは、アルフレッドが言うところの“提供者”からもたらされた情報であろう。 ウィリアムスン・オーダーの幌馬車へいつの間にか運び込まれていた鉄の破片が、 ピナカ重工製の砲弾―――の残骸であることも“提供者”の情報によって明らかとなった。 「―――さて、アッシュの幌馬車に詰め込まれていた錆だらけの破片。 あれを兵器だと見なした人間がこの場にたったひとりだけいるんだよ。 調べがつく前からあの破片の正体を知っていた人物がな」 「………………………」 「論より証拠ってやつだね」 「―――ほう…。フィーもなかなか気の利いたことを言うな」 フィーナが自身のモバイルを掲げたのは、 ウィリアムスン・オーダーの幌馬車に積載されていた鉄の破片についてアルフレッドが論じ終えたのとほぼ同時であった。 おそらくはタイミングを見計らっていたのだろう。 皆に見えるようディスプレイを向けているものの、 如何せん小さな液晶画面ではそこに映されている映像も鮮明とは言い難く、 人影らしき物体が何か忙しなく動いている程度にしかわからなかった。 だが、映像の質はこの際の問題にはならない。 肝心なのは、最大の強さに設定されている音声が、この場に居合わせる皆に行き届くことであった。 『見たか、我が住民たちよ! アシュレイ・ウィリアムスンめは静かなる我が町になんとも恐ろしいものを持ち込んだッ! これがベテルギウスを呼び寄せたものだ! これさえなければシェルクザールの平和が乱されることはなかったッ! このような兵器―――………貴様、何のつもりでこの町に持ち込んだァッ!?』 ………それは、幌馬車の中に毒ガス弾の残骸を発見したときにガウニーが発した怒号であった。 ほんの少しだけノイズ混じりではあるものの、音声は正確に保存がされていたらしく、 オットーのルームヘッド・リポートにも集音出来るほど質が高かった。 どうやらフィーナが再生しているのは、有害な物質が持ち込まれたと疑惑される幌馬車へ ガウニー以下シェルクザールの町民と共に真偽を確かめに赴いた際の映像のようだ。 ガウニーは当初から幌馬車に持ち込まれたものを、“兵器”と呼ばわっていた。 それは、フィーナが再生した映像が証明している。 ところが、この段階ではガウニー以外の人間は、その奇妙なフォルムから何らかの容器としか認識しておらず、 大きさから巨人のコップなどと呼ぶ向きすらあった。 誰一人としてあの残骸を兵器などとは想像もしていない中にあって、ただ一人ガウニーだけが兵器だと明言しているのだ。 「納得の行く説明が出来るか? あれを兵器だと言ったことについて」 背筋に悪寒を走らすほど冷たいアルフレッドの声は、 納得の行く説明が出来なければ一巻の終わりだと脅しているように思えてならない。 実際、それほどの意味を持っていることはガウニーにも解ってはいた。 その段階では単に“有害物質”としか認識されていなかった残骸を、ただ一人だけ“兵器”と呼んでしまい、 なおかつその肉声がルームヘッド・リポートを通して地上に流れてしまっているのだ。 返答次第では、墓穴の下へ更に墓穴を掘ると言う事態に発展しかねなかった。 「あれは言葉のアヤだ。そんなものは誰にでもあることで―――」 小賢しくも言い逃れを画したガウニーであったが、その薄汚い小細工はカミュによって阻まれた。 言葉のアヤだと言うガウニーの抗弁に対して、自身のトラウムを発動させたのだ。 カミュの持つトラウムは、ウソ発見器のダックスープ・フレーバーである。 シルクハット型のダックスープ・フレーバーは、頭頂部に“○”と“×”のパネルが飛び出す仕掛けが施されており、 これによって、嘘か真実かの判定を明示するのだ。 検知を行う対象が真実に背いていた場合、“×”が飛び出す仕組みとなっている。 当然と言うか何と言うか、ガウニーの「言葉のアヤ」はダックスープ・フレーバーにウソの判定を受け、 シルクハットの頭からは勢いよく“×”のパネルが飛び出した。 「この期に及んで恥の上塗りをするなぁッ! 恥を知れぇッ!!」 「うぐッ………」 涙を迸らせて絶叫するカミュに気圧されたガウニーは、その場へ腰砕けにへたり込んでしまった。 ルームヘッド・リポートのレンズは、ダックスープ・フレーバーからウソを判定するパネルが飛び出し、 あまつさえその結果にガウニーが打ちのめされるまでを全て捉えていた。 勢いに乗っていた頃のガウニーであれば、不躾とも言えるオットーのカメラに因縁をつけ、 撮影を打ち切るよう喚き散らしたであろうが、最早、その気力さえ失せている様子だ。 落魄のガウニーは、「こんなバカな………」と頭(かぶり)を振り続けている。 記憶違いでなければ、フィーナはカミュらと共にサルーンへ残留しており、あの騒乱の場には居合わせなかった筈だ。 否、正確には後から駆けつけてきたのである。 少なくともフィーナたちが幌馬車まで駆けつける頃には、件のやり取りを終えていた記憶している。 よしんば追いついたとしても、モバイルで録画をしている暇などあろう筈もなかった。 最初からモバイルのカメラを起動させていたと言うのなら話は別だが、 そのようにタイミングが合致するなど奇跡の世界のことであろう。 (いや、まさか―――) ガウニーの脳裏に、ある仮説が過ぎった。 サルーンから飛び出して現地へ行こうと誘ったのがフィーナであったなら。 後々の証拠になるかも知れない…と、一字一句逃さぬようにモバイルのカメラを最初から起動させていたとしたら。 人波に紛れて騒動の渦中へと接近し、レンズとマイクを向けていたとしたら………。 「………ッ!!」 「………何をそんなに驚いている。貴様のような人間は行動パターンを読みやすい。そう説明したばかりだろう?」 モバイルのディスプレイから視線を移すことなくアルフレッドはそう吐き捨てた。 行動パターンを把握していれば、いちいち顔色を視認せずともリアクションなど簡単に予想が出来るのだ。 一瞥くれる時間すら勿体無いとアルフレッドは思っていた。 「うっひゃ、こりゃすげ〜な。次から次へとよくまぁ書き込みがあるもんだ」 「それだけ恨みを買ってるってことかなぁ………」 「コッケーコケ!」 動画の再生を終えたフィーナも、自身のモバイルを起動させたシェインも、 アルフレッドに倣って液晶画面へと目を落としている。 見れば、ムルグまでもがトサカから自分専用のモバイルを取り出し、 器用にも羽根の先端で何やらキーを操作しているではないか。 つくづく何でもアリなムルグはさておき、クラップもカミュも、彼らのモバイルの中で何が起きているのか、 全くと言って良いほど解らずにいる。 所在なげに立ち尽くすクラップとカミュを手招きしたマルレディは、 吸い寄せられるようにしてやって来たふたりに自身のモバイルを差し出した。 訳知り顔でモバイルを見せるあたり、ディスプレイに表示されている内容は、アルフレッドたちと共通しているらしい。 「なんだこりゃあッ!?」 「これ………全部、この人のことを………ッ!?」 「ネットの掲示板だよな、こりゃあ………」 マルレディたちのモバイルは一斉にWebページ閲覧機能を立ち上げていたのだが、 表示されている内容へと目を通した途端にクラップとカミュ、それにカーカスも素っ頓狂な声を上げ、 次いでヒックスと同じように絶句した。 クラムボン・キャンプにてモバイルを操作している面々は、全員が同じページを閲覧している。 そこは、インターネットに接続している不特定多数の人間が、 匿名で様々な情報を書き込むことのできる電子掲示板であった。 電子掲示板の使い方は人それぞれだが、スレッドつまりテーマを個別に設定した掲示板へ、 その趣旨に沿った書き込みを行うのが一般的である。 アルフレッドたちが同時に閲覧しているページは、『シェルクザール事件〜ピナカ重工の断末魔』と銘打ってあった。 電子掲示板全体の中でも更に細かくカテゴライズがされているらしく、 当該のスレッドは“ニュース速報(生中継)”と言うジャンルに指定されていた。 特筆すべきは、タイトルの尻尾に付帯するナンバリングである。 スレッドが新たに立ち上げられる度にカウントを重ねるのであろうが、 『シェルクザール事件〜ピナカ重工の断末魔』なるテーマの掲示板の数は、既に五十を越えていた。 『シェルクザール事件〜ピナカ重工の断末魔』のスレッドには、 殆ど秒刻みで新たな情報が書き込まれている。 中には見るに耐えない誹謗中傷や、「あのスカした銀髪が気に食わない。何様だよ」とか 「どいつもこいつも甘っちょろいんだよ! 面倒くせーからとっとと殺っちまえよ! ハンバーグゥ!!」と言った 趣旨に合わない書き込みも散見されるものの、大半がピナカ重工の悪事を暴露であった。 この暴露の中には、ヒックスのパーソナリティを暴き立てるものも含まれている。 ルームヘッド・リポートによってライブ中継された映像を見た人々が 電子掲示板のサイトに『シェルクザール事件〜ピナカ重工の断末魔』と言うスレッドを立ち上げ、 ピナカ重工とそれにまつわる黒い噂を次々と書き込んでいるのだ。 ヒックスの手によって消滅させられたタウンデーヴィーなる町の生き残りがその好例であるが、 実際にピナカ重工の被害に遭った人々が報復の為に情報を提供している節もある。 中でもリサイクル業者を名乗る人物からもたらされた情報は最有力と言っても良い。 この人物は、ライブ中継された“巨人のコップ”の映像から型番を拾い上げると、 それを基に残骸が毒ガス弾であることを突きとめ、更には弾頭および弾殻の耐久年数まで割り出していた。 また、“名探偵・恐妻家”を名乗る人物は、数ある書き込みの中でも群を抜いて調査能力が高い。 自称リサイクル業者の情報提供を読んだ“名探偵・恐妻家”は、 毒ガス弾の製造年月と流通期間、リコールによる回収時期から推理を働かせ、 ピナカ重工が同型の残骸を持ち込んだポイントとその量まで示して見せた。 “名探偵・恐妻家”の推理によれば、シェルクザール以外にも総計で二十箇所には同型の毒ガス弾が埋められていると言う。 秘密裏に搬送する為の日数には限界があること。自警の意識が高い場所は避けられていること。 またヒックスが傭兵時代に築いたネットワークをも考慮し、具体的な場所まで“名探偵・恐妻家”は言い当てた。 果たして名探偵の推理は的中し、ヒックスは双眸を剥いて驚愕している。 その挙動は、毒ガス弾の不法投棄に彼が関わったと言う自供に他ならない。 「本社に連絡したら全世界ネットの緊急特番を組んでくれるって言うからさ、オレも気合いを入れちゃったよ。 おたくらは早々に地下に降りちゃったから番組観れなかったんだよね。残念だね、主役だっつーのに」 「………………………」 今頃はピナカ重工の電話回線はパンクしていることだろう。 あるいは、顧客や復讐者たちが押しかける未然に逃げの一手を打っているかも知れない。 いずれにせよ、この一件がスレッドのタイトル通り『ピナカ重工の断末魔』となったことは確かであった。 「無駄な足掻きをしたところで貴様らはもう終わっている。今更、やり合っても無駄な労力でしかない」とは アルフレッドの弁だが、成る程、格闘に決着を求めるまでもなくオットーのカメラが毒ガス弾の残骸を捉えられた段階で ヒックスたちの命運は尽きていたわけだ。 匿名による情報提供は信憑性に乏しいと反論する向きはあるかも知れないが、 裏づけの精査は後でも出来ることであって、この場合に最も強く求められるのは ヒックスとガウニーの化けの皮を剥がし得る攻撃力であった。 そして、その目論見は最も望ましい形で達せられた。 「まさか、キミは………」 “廃棄物をレンズで捉えられた段階で”―――つまり、その時点からアルフレッドは罠を張り巡らせていたことになる。 フィーナがガウニーの失言を押さえたことも、オットーが幌馬車の中の残骸を舐るように撮影したことも、 シェインとマルレディが迅速に裏帳簿を回収したことも、猿芝居を仕掛けてピナカ重工の悪事を暴いたことも、 一連の出来事をライブ中継し、電子掲示板へ情報を集めたことも――― ここに至るまでのありとあらゆる行動が、ヒックスとガウニーを陥れる為の罠だったと言うことだ。 謀ったな―――血走った眼を向けるヒックスに対し、 アルフレッドはその無言の問いかけを肯定するように冷ややかな薄ら笑いを返した。 「………これが論証だ」 それからアルフレッドは、疑惑を抱くに至った要素は無数にあると続けた。 発掘調査の開始を宣言するセレモニー会場にベテルギウスが出現した直後、 混乱を鎮めるべき立場にいる筈のヒックスが聞こえよがしに大きな声で誤った認識を吹聴し、 人心を乱した段階でアルフレッドはキナ臭いものを感じ取っていた。 続けて行われた第二段階を目の当たりにして、疑念は確信へと変わった。 不安と混乱を煽られた住民たちの心にとって指導力に溢れたガウニーの大音声は、それこそ女神のお告げに等しく響く。 平時ですら高い支持を受けているガウニーだけに、差し迫った緊急事態に於いては、 彼の口から出たこと全てが無条件で受け入れられるほどの絶対的な指導力を得られるのだ。 乱れた人心が不安の捌け口を求めて殺到するのは世の常である。 「最初におかしいと思ったのは、この町で毎年行われている地質調査の結果を読んだときだ。 尤も、これは発掘調査を安全に進める手がかりにしようと思って借りたのだがな」 「不思議で仕方がないと先ほども繰り返していたね。他の町と同じように土壌改良を施されているのに、 この町だけが地質データに変化がないと」 「活動範囲、つまり情報の行き来が限定される田舎町ではよくあることだが、 年代が上がるにつれてコンサバティブとなる傾向がある。 よく言えば、独立独歩。悪く言えば、独り善がりかな。そうなると他方の情報を必要しなくなる。 必要としないから、他の町の土壌改良がどのように進んでいるのか、全く知らないし、興味も持たない。 役場が…いや、ガウニーが地質調査を主導していたとも聞いている。 彼の口から発表されたデータに農家の人たちは満足し、それ以上は何も求めなくなる」 オットーから合いの手を受けつつ、アルフレッドはそもそも疑念を抱くに至った端緒へ初めて言及した。 シェルクザールの住民の中でも、特にガウニー支持が強いのは中高年層。この層は農家の経営者がその大半を占めている。 ガウニーの指導力へおんぶにだっこの状態を漫然と甘受する層とも言い換えられた。 毎年のデータに少しも変化が見られないことへ疑念を抱くような能動性すら持ち得ない。 指示されたこと、提示された情報を鵜呑みにし、思考をそこで停止してしまっているのだ。 あるいは、長年かけてガウニーがそのように町民たちを洗脳していったのかも知れない。 ヒックスとしても、シェルクザールは実に“仕事”のやり易い環境だったであろう。 「極めつけは、あからさまなほど強引なアシュレイへの責任転嫁。 しかも、不自然なタイミングであいつの会社の幌馬車から有毒なモノが発見された。 常識の範囲で考えれば、徹頭徹尾、不自然なのだが、この町では違う。ガウニーの独裁下では違う。 傍目には明らかに怪しい事柄でも、この町に住む人間はガウニーの一声で鵜呑みにする。 何の疑いも抱かずに、シロでもクロと思い込む」 「………………………」 「………………………」 「マカフィーが出現してからおよそ六十三分の間、発掘予定地は完全に封鎖された。 六十三分の間、あの場所に立ち入ることができたのはガウニーとヒックスだけだった筈だ」 「………………………」 「………………………」 「俺はここで断言してもいい。その六十三分の間に貴様は予め掘り返しておいた砲弾の残骸を幌馬車へ放り込み、 アシュレイたちを毒物の不法投棄者に仕立て上げようとした。 そのように町民たちに信じ込ませ、アシュレイたちを私刑に掛けて抹殺しようとした―――」 「………………………」 「………………………」 「―――確かにこんなムチャクチャな計画はシェルクザールでしか成立しない。 シェルクザールでしか成立しないが、確かに貴様らにとってはこれがベストだな」 「………………………」 「………………………」 「全てが完璧に行く筈だった…だが、シェルクザール以外の人間が居合わせたことで計画に狂いが生じた。 この町で起きていることを不可解に思う人間が一度に何人も現れてしまった」 「………………………」 「………………………」 「これだけ条件が揃っているんだ。疑わないほうがおかしかろう? それとも、貴様らも貴様らでシェルクザールの空気に飲み込まれたか? ………あらゆる事態を想定して手を打つのが、作戦・計画と言うものだ」 「………………………」 「………………………」 ウィリアムスン・オーダー所有の幌馬車から有毒な残骸が見つかったとき、 アルフレッドの頭の中では点と線が繋がり始めたと言う。 今でこそグリーニャでメカニックの見習いをしているアルフレッドだが、彼はアカデミーつまり士官学校の出身であり、 辺鄙な農村で燻らせておくには惜しいほどの軍事知識を修得しているのだ。 幌馬車に運び込まれた鉄くずの山が砲弾であることは一目で判別できていた。 『シェルクザール事件〜ピナカ重工の断末魔』のスレッドに書き込まれた情報と、 シェインが確保した裏帳簿によってピナカ重工が裏で糸を引いていたと確認し、 これをもって全ての辻褄が合ったとアルフレッドは締めくくった。 思えば複雑なパズルを完成させたようなものだった。 個々のピースに強い関連性を感じつつも、どのように嵌め込み、組み合わせていけば良いのか、 手がかりすら判らないような状態からアルフレッドは推理を重ねていき、ついに論証として一つの形にしたのである。 パズルに描かれた絵柄は、見るに耐えぬおぞましい欲望の渦であった。 最早、喉の奥から反論を搾り出すことすらできなくなったガウニーとヒックスであるが、 沈黙そのものが墓穴を掘るのに等しいとは、当人たちも自覚するところだ。 とは言え、全世界ネットでライブ中継されている以上、弁論の余地は全く残されておらず、 口を開こうとも黙秘を貫こうとも、八方塞の窮地を脱することは不可能である。 端的に言うなら、一巻の終わりであった。 「もう…もう、何もかも知るもんかああああああぁぁぁぁぁぁァァァァァァッ!!」 極限的な焦燥によって真っ先に壊れたのは、ヒックスだった。 狂乱半ばの嬌声を上げながら膨らんだ腕を車輪のように回し始めたかと思えば、 次の瞬間、地面を蹴ってアルフレッドへと襲い掛かった。 やけっぱちでアルフレッドを道連れにするハラであろう。 充血を通り越して赤色に染まったヒックスの双眸は、既に現実を現実として認識しておらず、 真っ白な世界へ独り飛んでしまっていた。 「どいつもこいつも、まとめてブッ殺してやるああああああぁぁぁぁぁぁァァァァァァッ!!」 大回転させて遠心力をつけた拳を轟然と振り下ろす―――それがヒックスの最後の反撃だった。 地面を蹴ることによって突進の勢いにも乗っている。ふたつの力が一点に集中した瞬間に打ち込まれる拳は、 間違いなく一撃必殺の威力を秘めている。 「―――させるかよっ! 流星飛翔剣でぇいッ!!」 アルフレッドの肩越しに激烈な光が走ったのは、今まさにヒックスが攻撃の姿勢へ移ろうとする寸前であった。 クラップだ。懐中電灯のトラウムを発動させたクラップが、強烈な光をヒックスの顔面目掛けて浴びせかけたのだ。 『流星飛翔剣』などと大仰に必殺技名を叫んではいるものの、クラップの持つトラウムは正真正銘の懐中電灯であり、 例えば降り注ぐ光によって標的を焼き尽くすとか、そう言った直接的な攻撃力は全く持っていない。 不意打ちに喰らわせたとしても、せいぜい目眩まし程度の効果しか期待はできなかった。 「ぐ…がッ―――!?」 だが、後先を考えず攻撃一辺倒に傾いたヒックスを幻惑するには、クラップの繰り出した流星飛翔剣は最も有効であった。 退くことを忘れて前へ前へと突進していたところに激烈な光を浴びせられては、 いかに肉体を鍛え上げていようとも一たまりもない。 遠心力を乗せて爆発的な攻撃力を得た筈の剛腕は、不意打ちに視界を突き刺した真っ白な闇から顔面を守るべく、 反射的にガードの体勢へと動いてしまった。 攻撃に至るまでの一連の動作が水泡に帰した次第である。 一撃必殺の大技を封殺せしめたのだから、このタイミングで流星飛翔剣を放ったことは、殊勲賞ものの活躍と言えるだろう。 そして、クラップの活躍を無碍にするようなアルフレッドではない。 ヒックスの視る世界に再び彩(いろ)が戻ったときには、アルフレッドの姿はどこにもなかった――― 「計画がご破算になった途端、キレて暴力に訴える――― インテリ気取りのインチキ優等生にありがちなパターンだが、やはり貴様もその類か」 ―――否、正しくは彼の目が届く範囲から姿を消したと言うべきか。 頭上から降り注いだ痛烈な皮肉に慌てふためき、次いで自分の身にこれから何が起ころうとしているのかを理解したヒックスだったが、 そのときには既に手遅れだった。 刹那の後、中空より舞い降りたアルフレッドが両足首でヒックスのこめかみを挟み込み、 その体勢のまま、振り子の原理で後方へと重心をそり返した。 自然、ヒックスの体重もこれに追従する形となる。二人分の体重が同じ方向へと進めば、 それだけ強力な遠心力が発生するのだ。 二人分の影がさながらアーチを描くようにして中空を舞ったのも、つまるところこの物理的条件に寄るところが大きい。 ヒックスにとっての不幸は、自慢の肉体が持つ重量が遠心力の増幅に?がってしまったことだろう。 言うまでもなく、アルフレッドはこれを最大の利点とした。 「なッ―――うわ………あああぁぁぁァァァ―――――――――ッ!?」 ブン、と風薙ぐ轟音が駆け抜けた。 哀れヒックスは、鍛え上げた肉体であったが為に生じた強力な遠心力に為す術もなく振り回され、 ついにその脳天を地面目掛けて墜落させた。 鈍く、重低な激突音がクラムボン・キャンプに響き渡る。 アルフレッドの両足が頭部から離れるよりも先に脳天を軸としてヒックスの体がぐらりと傾き、 そのまま仰向けに倒れ込んだ。 水際で眠るマカフィーと同じような体勢で身を投げ出したヒックスは、そのままぴくりとも動かなくなってしまった。 口の端には、だらしなくも泡がこびり付いており、彼の意識が完全に消し飛んだことを無言のうちに語っている。 ―――フランケンシュタイナー。 相手の頭部を自分の足で挟み込み、後方へと跳ね飛んで脳天から落下させると言う、 投げ技の中でも特に難易度が高いとされるものの一つである。 見せかけの武器を投げ捨て、最強の切り札を出す――― アクション映画のクライマックスに登場する悪役のような芸当をヒックスはフルコースで見せ付けてくれた。 このようなことを行う人間と言うのは、大抵の場合はパワーアップして主人公たちを苦しめるものだが、 現実はそう甘くはないのだ。 さんざん誇示していたヘルパワー・ダイナマグナムの真の力を披露することもなく アルフレッドのフランケンシュタイナーで一撃のもとに沈められてしまった。 「………老齢だから目溢しがあるなどと甘く考えるなよ。俺は無法者には情けをかけるつもりはない。 ―――ガウニーッ! 貴様もこうなりたいかッ!?」 ヒックスの再起不能を指差しでもって示すアルフレッドが、鋭い恫喝をガウニーへ浴びせかける。 クラムボン・キャンプへ足を踏み入れる前まで見せていた威勢の良さは何処へ消えたのか、 電流が走ったようにビクリと大きく肩を震わせたガウニーは、それきり声もなく項垂れ続けた。 それ以外の選択肢を、彼は既に持ち得なかった。 無様極まりないその醜態をオットーは舐るようにレンズへ納めていくが、 精も根も尽き果てたガウニーには、これを見咎めるだけの気力すら残っていない。 直接、フランケンシュタイナーで沈められたわけではないのだが、 ガウニーもまた別の“逆落とし”を味わった身であり、 長年かけて築いてきた権威も栄光も、今や死に体同然の有様であった。 ←BACK ・ 番外編トップへ戻る ・ NEXT→ |