11.Miss Fire



「き、貴様、どこから………いや、ど、どうやってここに………ッ!」

 映画にしろ小説にしろ、不意の突かれて追い詰められた悪役と言うのは、
その大半が同じようなことを口に出すものである。
 “どこから現れた”“どうやってそんな場所から攻撃を仕掛けてきたのか”と。
 小心の発露は矮小な悪役には似合いの醜態で、月並みな演出と言ってしまえばそれまでなのだが、
実際に恐慌状態に陥った人間の反応も創作物のそれとさほど変わらなかった。
 と言うよりも、思考回路が焼き切れるような危機に置かれながらも周囲の状況を冷静に判断し、
正常な判断を働かすことのできる人間のほうが珍しかろう。

 であるからこそ、ガウニーがやっとのことで搾り出したのが悪役に相応しい台詞の連続だったとしても、
誰にも責めることは出来ないのだ。
 それは、ある意味に於いては最も人間らしいリアクションなのである。

 そもそもガウニーが責められるべき罪状(コト)は、別にある。
 アルフレッドが繰り出した渾身のパルチザンによって意識を破砕され、
車輪の下敷きになったヒキガエルのような風体で転がったヒックスは、最早、ガウニーの盾にはなってくれそうにない。
 彼が自分自身の力でアルフレッドより向けられる追求の刃と切り結ばねばならなかった。

「シェルクザールの町長にしては、随分と間の抜けた質問をするものだな。
貴様も知らないわけではないだろう? ここは断層が生み出した天然の洞窟だ。
ひずみは湖中にもある。水中にもトンネルがあると言うことだ。そこを通れば、隠密裏にここへ辿り着くのは造作もない」

 要は、ガウニーとヒックスがフィーナたちを追い抜いてクラムボン・キャンプへ先回りできたのと同じことだった。
 天然の空洞が縦横無尽に走るベルエィア山の構造を把握していれば、子どもにも思いつくこと―――
そうアルフレッドは締めくくった。

「―――ま、オレは遠慮させてもらったけどね。機材が濡れたら、片っ端からおっ壊れちまう」

 ガウニーから投げられた問いかけに答えて見せたアルフレッドを律儀が過ぎるとばかりに笑い飛ばしたのは、
鍾乳石の柱からひょっこり顔を覗かせたオットーである。
 アルフレッドとムルグがヒックスの始末をしている最中にようやく追いついたらしいのだが、
それにしては額に汗を滲ませている様子でもない。脇に撮影用のカメラを抱えているにも関わらず、だ。
 何の前触れもなく背後からオットーの声が上がったことに仰天したフィーナやクラップは、
口々に心臓に悪いと文句を言うばかりであったが、唯一、カーカスだけは―――

「さすがっスね。隙がねぇっつーか、抜け目がねぇっつーか………」

 ―――そう言って上司の抱えるカメラに注目した。
 カーカスの疑念へ「特ダネってのは流れ星とおんなじさ」と片手を振って答えたオットーは、
どうやらここに到着するまでの間もずっと撮影をし続けてきたらしく、可動を知らせる表示ランプが赤く点滅していた。
 カーカスと交わした言葉の中に出て来た“流れ星”とは、つまりそう言うことなのだろう。

「貴様ァ…! コケにしたか、我らをッ!?」
「コケも何もない。貴様のような薄汚い人間の考えそうなことなど簡単に予想を立てられる。
貴様らの狙いが俺たちの始末だと言うことも一秒で割り出せた。
そのように根性のねじくれた人間が正面から戦いを挑むとも思えない。
………順を追って推論していけば、貴様らの性格上、トドメを刺すのは待ち伏せしかないと分析もできる。
“こうもうまく計画が運ぶとは”―――そんなことを抜かしていたが、それはこちらの台詞と言うものだ」
「奇襲の更に裏をかいたと言うのかッ! 小ッ…賢しい真似をしてくれるッ!!」
「小賢しいのはお互い様だ。………が、貴様のような浅知恵と同列に見られるのは、些か心外ではあるな」

「あえて湖から飛び出してくる意味はなかった気がするんだけどねぇ」とのオットーの苦笑いはさて置き―――

「バ、バカなッ! バカな! バカな! バカなぁぁぁァァァッ!!」

 ―――万事が狙い通りに運んだことで勝利を確信していた人間が、一転して絶体絶命の窮地へと追い込まれた場合、
果たしてどのような状態になってしまうのか。
 最後まで逆転を諦めない者、諦念を抱きながらも報復の一矢を射ようとする者、
あるいは、絶望感に心を握り潰されて醜態を晒してしまう者―――
 窮地に対して示す反応は、メンタルの持ち方によって形が異なるだろうが、いずれのパターンにも共通するのは、
それが虚勢などでは隠し切れないコアな部分の発露と言う点だ。
 その人の本性とも言える部分である。
 普段から大言壮語をしている人間が、いざと言うときに狼狽して打たれ弱さを露呈することは意外と多く、
逆に穏やかで物静かな人が芯の強さを見せ付けて周囲を驚かせるケースも少なくはない。
 その点、ガウニーは平時も窮地も横柄な態度は全く揺るがず、
自身の妨げとなるアルフレッドたちを粗暴な大声でもって罵り続けている。
 決して誉められたものではないにせよ、横柄さのみは首尾一貫していると言えた。

「ガキどもが…ワシの邪魔ばかりしおってからに………! 貴様ら、一体、何が狙いなのだ!? 
アシュレイ・ウィリアムスンを救おうてか!? それとも、このワシを討つつもりで…おるのかァ!? 
そのようなことをして、我が町民が黙っておると思うでないぞッ!! 必ずや貴様らに報復に出ようぞッ!?」

 ………尤も、横柄なのは口調や態度だけで、よくよく聞き耳を立てて彼の罵倒を精査すれば、
明らかに腰が引けているのがわかる。
 当人としては平時と同じように喉を震わせることで弱みを似せぬように気を張っているつもりなのだろうが、
上っ面だけの虚勢などは殆ど無意味に等しかった。
 血走った双眸は、後ろ回し蹴りに顎をぶち抜かれて吹っ飛ばされたヒックスへ向けられたまま、微動だにしていない。
 おそらくは彼の早期の回復を祈っているのだろう…が、
アルフレッドのパルチザンは、直撃を被ろうものなら顎が砕かれる程の破壊力を秘めた、まさしく一撃必殺の大技である。
 しかも、ムルグによって顔面を締め付けられ、
バタフライエフェクト、ライトニングシフトと立て続けに叩き込まれたダメージが抜け切らない顎へ
トドメとばかりに必殺の後ろ回し蹴りが浴びせられてしまったのだ。
 度重なる強撃をいずれもクリーンヒットで貰っているヒックスが再び立ち上がる可能性は、
運を司る神人(カミンチュ)、ティビシ・ズゥの思し召しと言ったところであろう。

 頼みの綱を失ったガウニーがどれほど喚き散らしたところで、所詮は叶わぬ妄言に過ぎないのだと、
虚しく消えていくばかりである。
 会話へ入ることが出来ず、誰からも相手にされなくなったことに自尊心を傷つけられ、
肩を落として不貞腐れたのはほんの数分前の出来事であるが、
その哀れな姿が示す通りにガウニーのメンタルは実は非常に打たれ弱いのかも知れない。
 パルチザンで顎をブチ抜かれた拍子に取り落としたらしいヒックスの得物が、
丁度、ガウニーの足元に転がっているのだが、彼はそれが自分の爪先に少し触れただけで盛大に肩をビクつかせていた。

 火を吹くような勢いでアシュレイら自分に逆らう者を責め立てていたのは、つい数時間前のことだ。
 シェルクザールに独裁政権を布くほどの威容を誇っていた者と同一人物とは思えない無様を目の当たりにしたアルフレッドは、
ガウニーにとっては最も触れられたくないだろうその醜態を、これ見よがしに鼻で嘲笑(わら)った。

「虚勢ばかりうるさい老人だ。それに鈍すぎる。そこに転がっている秘書に仕事を任せきりにして、
自分で考えることを止めたから頭が錆び付いたのではないか?」
「なにぃッ!?」
「この期に及んで俺たちの狙いを見誤るような阿呆が、どう言い繕うつもりだ? 
………足りない奴め。俺たちの目的は三つ。貴様らの薄汚い陰謀を明らかにし、アシュレイとマカフィーを救うことだ」
「マカフィーだとぉ? ベテルギウスを救うだとォ!?」
「当然だ。古い友人が貴様らの薄汚い企みに利用されようとしている。それを看過できると思うのか」
「古い友人!? ベテルギウスを友人だと言ったかッ!?」

 アルフレッドがベテルギウスのことを古い友人だと呼んだ途端、
怯えを宿していた筈のガウニーの目の色が攻撃的なものへと変わった。

「ククク―――やはり…やはりな。天運はワシに味方しておるわ」
「何かそんなにおかしいことでもあったか? それとも恐怖で壊れたか?」
「………古い友人とはっきり言ったな、貴様。
自分が何を言ったか、自分が言ったことにどんな意味があるのか、わかっているのか?」

 数分前までの落胆ぶりから一転、ガウニーは勝機を得たと言わんばかりに強気の態度に出た。
 どうやら彼と話す内にこの窮地を脱する手がかりを得たらしいのだが、
自分が劣勢なときは虚勢を張って失態を犯し、優勢を見て取るや強気に出て相手を挑発するとは、
どうやら本当に救い難い小悪党のようだ。

「次は現実逃避か。哀れとしか言いようがないな。尤も、憐れむつもりは毛頭ないが」
「では、問おう、アルフレッド・S・ライアンよ。ワシが何を企んでいると言うのだ? 
ワシはこの町の為、害悪を撒き散らすベテルギウスの掃討に参ったのだ。
それをどうして妨げる? ………あと一歩までベテルギウスを追い詰めたヒックスを倒してしまうとは、
貴様らこそがこの事件の真の黒幕ではないか? このような魔獣を旧友などと呼ぶとは………。
ウィリアムスンと謀って、何をしようと言うのだ?」
「ひ、開き直るつもりですかっ! ど、どこまで腐れば気が済むのですか!?」
「バカめが、状況証拠がワシの潔白を物語っておるのだッ! 
………さて、ワシの言葉と貴様らの言葉、町民どもはどちらを信じると思う? 
どちらが忌まれておるか、訊くまでもなかろう? どうだ、裏切り者よ。
シェルクザールを裏切り、グリーニャの鼠輩やウィリアムスンと結託した裏切り者よォ!」
「裏切り者…だって?」
「ワシがそう言えば、貴様は裏切り者となる。………この意味が解せぬような莫迦であれば、
もそっと長生きできたやも知れぬのに、残念であったな、カミュよ」
「あなたと言う人は…どこまでも最低な………ッ!!」

 開き直って急に居丈高に取り戻したガウニーに向かってカミュは心の底からの軽蔑をぶつけた。
 個人の憤激が大部分を占めているのは見て判る通りなのだが、
それと同じくらいにシェルクザールの町民を利己の為だけに裏切った町長へ公憤を抱いているらしい。
 燃え滾るような怒りがカミュの全身から立ち昇っていた。

「そうやって貴様は物事を強引に押し進めてきたわけだな。
貴様の権力の前にはクロもシロに、シロもクロになる。典型的と言うか、古典的とも言うべき独裁者だ」
「小僧の貴様にはわかるまいがな、“地盤”と言うものは機(とき)として最強の武器になるのだ。
ワシには実績がある。シェルクザールを率いてきた実績がな。
ワシの権力(ちから)はな、シェルクザールの信頼によって成立しておるのだよ」
「その実績が人を惑わす“地盤”だと言うのか。………確かに貴様の言う通りだ。
俺には貴様の屁理屈などわからない。わかろうとも思わないな」
「ほざけッ! ワシがこの町に君臨しておる以上、貴様らに勝ち目などないわぁッ!!」

 シェルクザールに於ける自らの権力を推力として完全に勢いを取り戻したガウニーは、
演説でもするか如く大きく両腕を開き、容赦なくアルフレッドより飛ばされる侮蔑の数々を真っ向勝負で跳ねつけた。
 先ほどまでのヘタレ具合からは想像もつかない意気軒昂たるオーラを放つのには、
さしものフィーナたちも戸惑ってしまったが、彼の眼差しはなおも未練がましくヒックスばかりを追い続けている。
 ヒックスの回復を窺い続けている様子がその目線から窺い知ることが出来るのだが、
彼は事態(こと)がここに至っても、肝心な部分は他力本願を決め込むつもりなのだろう。
 自分には戦う武力(ちから)が備わっていないと見極めているのか、はたまた権力者ゆえの悲しき習性なのか―――
判断に迷うところだが、ガウニーの性情から察するに、そのいずれも含んではいそうだ。

「―――だったら、あんたのそのしみったれた権力(ちから)ってもんを全部ブッ壊してやるよ」

 シェルクザールで戦う以上、絶対に負けはしない―――
絶対的な自信をもって繰り出された舌鋒をアルフレッドに代わって受け止めたのはオットーだった。
 彼が両手で構える大型カメラのレンズは、ガウニーに向かってピントが合わせられている。

「ほう―――ワシを脅そうてか? ろくでもないことばかり垂れ流して信頼を失くしているような連中が、
この町で、我が権力の城でそんなものを武器に戦いを挑もうと言うのか? 片腹痛いわァッ!!」
「あらら、片腹痛いとまで言われちゃったよ」
「なに腰砕けになってんスか!? そこはもっとビシッと言い返してくださいよ!」

 自身に向けられたカメラからオットーの言わんとしている意味を理解したガウニーは、
ほんの一瞬だけ怯んだものの、すぐさまに体勢を整え直し、逆襲とばかりに彼の企みを笑い飛ばした。
 聴く人の心をざわつかせ、不快指数を煽る喧しくも憎々しい高笑いであった。

 撮影されたビデオを盾に脅しをかけるつもりなのだろうとオットーの狙いを読み切ったガウニーは、
既に本来の悪辣さ、強引さを完全に取り戻している。
 成る程、ここで撮影されたビデオは証拠能力が極めて高いだろうが、
しかし、表沙汰となる前に始末をつけてさえしまえば、それは闇に葬り去ることができるのだ。
 独裁者の権力(ちから)を行使すれば、証拠の湮滅などは造作もなかった。
 オットーの奥の手とも言うべきビデオテープを「捏造された物」として町民たちに信じ込ませ、
証拠能力そのものを抜き取ってしまうと言うようなやり口もガウニーは心得ている。
 そのような力技を達成し得るのは、シェルクザールに於ける絶対的な権力(ちから)を持つガウニーだけである。
言わば最強の特権とも言えた。

 今なおガウニーの視線はヒックスへと注がれている。
 最強の特権を備えているとは言え、ここで物理的にやられてしまえば、それを行使することもできない。
今は一刻も早くヒックスに復活して貰わなければならなかった。
 大言壮語でも何でも披露し続ける。そうやって敵の意識を自分に引き付けていれば
ヒックスが復活するまでの時間稼ぎになる。あとは足元にある彼の得物を蹴ってでも渡してやれば良い。
ヒックスさえ復活すれば、邪魔者は一網打尽にできる筈なのだ―――
結局のところ、ヒックス頼みから脱け出せていないのだが、
悪知恵を働かせることは出来てもフィジカルの強さはからきしのガウニーにとって、
それは現時点で講じ得る最善の手立てなのだった。


「―――ビデオテープは簡単に千切れるんだろうけどさ、こんな分厚い帳簿はさすがに無理じゃあないの?」

 己の悪徳を恥じるどころか、天より許された特権だと誇るガウニーにカミュの怒りが爆発しかけたそのとき、
新たな役者がクラムボン・キャンプと言うステージへと上がった。
 怒りに任せて掴みかかろうとしていたカミュの出鼻を挫き、その動きを制止させたのはシェインである。
 彼に追従するようにして歩みを進めてくるのは、胸に保安官バッジを付けた――見る人によっては、
そのバッジは飾り物だろうと揶揄されてしまうのだが――マルレディだ。
 地底湖へ到着するまで息を潜めて聞き耳を立てていたのか、ことのあらましを既知している様子で、
多連装ショットガンの銃口はガウニーへと向けられていた。
 ガウニーたちともクラップたちとも違うトンネルを通ってきたらしいシェインとマルレディは、
ちょうど地底湖と向かい合わせになる位置―――つまり両者の中間に現れた。

 シェインは何やら分厚いファイルを掲げている。
 プラスチック製の青いケースに収納されたそのファイルは、一見すると何の変哲も無さそうなのだが、
背表紙には十数文字のアルファベットで綴られたラベルが貼られており、これには誰しもが注意を引き付けられた。
 ほんの数センチ四方のラベル一枚だが、これが貼り付けられているか否かで、
ファイルに向けられる人々の視線は全く様変わりするのである。
 ラベルにはまず『トップシークレット』との注意書きがあり、
そこから数文字分の空白を設けた後に『ピナカ重工・会計明細』と締め括られていた。

「なんだ、小僧。何の真似だ!?」
「なんだもクソもあるかってんだい。ほら、よ〜く、目を凝らして見てくれよ。
アンタの黒〜いコトがぎっしり詰まった裏帳簿じゃないのさ!」

 これ見よがしに青いファイルをオットーのカメラへと翳したシェインが“裏帳簿”と口にした瞬間、
ガウニーの表情は優越の喜色から一変した。
 先ほどから情況に応じて百面相してばかりのガウニーだが、
しかし、裏帳簿と言うキーワードに即応して浮かべた表情(かお)は、
秘密を暴かれた人間のそれとは些か様相が異なっている。

 闇に隠しておくべきモノが明るみに出た焦りでもなければ、これを暴いたシェインへの怒りでもない。
 不思議なものでも見るような視線が、シェインの手にあるファイルへと注がれていた。

「町長、あなたと言う人は………!」

 感情の飽和を満面に貼り付けたガウニーとは対照的に、ショットガンを構えるマルレディの表情は底なしに暗い。
 信頼を裏切られた苦しみが額の皺をより深くさせ、また悲しげなものへと歪ませている。

「この期に及んでどうやって手に入れたかなんてマヌケなことを訊くなよ? 
あんたの大好きな権力をひっくり返す手段はいくらでもあるんだぜ」

 言うや、シェインはマルレディの胸にて輝いている保安官バッジを指で弾いた。
 薄っぺらな金属板を小突いた際に鳴る乾いた音が不快であったらしいガウニーは、
舌打ち交じりで右の眉毛を吊り上げた。
 飽和状態から不快感へと表情を明確に変えたのを認めたシェインは、挑発でもするかのように口笛を一つ吹いて見せた。
 子ども相手になんとも大人気ない話だが、さりとて自分に向けられた挑発を黙殺できる性質(タチ)ではない。
挑発の口笛を受けてガウニーの眉毛は両方とも完全に吊り上がった。

「ぶっちゃけ、ボクも保安官バッジなんて最初は全然信用してなかったんだよね。
てゆーか、シェリフって仕事自体、役立たずだってずっと思ってたし」
「―――市民からここまでボロクソに言われるのもどうかと思うが………。
しかし、私たちとて無力じゃない。シェリフと言う職務を及ばずながら遂行しているつもりだ」
「本人凹ますくらいボロクソ言ってる市民の代表だけどさ、
でも、保安官バッジ付けてる人間の言うことには、ついつい頷いちゃうんだよね。
腐ってもシェリフって言うか」
「そう、腐っても我々はシェリフなんだ。町の平和を守る為なら、出来ることはなんだってする。
その為のシェリフなんだから!」
「………ね? 熱血バカの典型でしょ? いつもは情けないけど、一度、火が点くと意外と頼り甲斐があるんだよ。
やっぱりさ、ボクらもそう言う人に協力を申し込まれたら断るに断れないじゃん?」
「一方的な命令をするつもりはないよ。治安維持に?がる指示は出せるけど、命令をする権限はない。
―――だが、共に戦おうと語りかけることは出来るんだ!」
「………………………」
「どうだよ、クソジジィ? 足払い喰らったような気分だろ? 
………あんましナメんなっての。悪巧みに利用されるよりそれをブッ倒すに協力するのが人間だぜ!」

 シェインの弁ではないが、マルレディとて胸に保安官バッジを着けるれっきとしたシェリフだ。
権威が地に堕ちているとは雖も、やはり星型のバッジが持つ力は大きい。
 これが立場を利用した強権的な命令であれば聞き届けられることはなかっただろうが、
善良な市民の“協力”を取り付けるのには十分に効力を発揮するのである。

「町役場には町長のアンタしか開けれない秘密の金庫があるみたいだね。
………“あるみたいだね”なんて流れで言ったけど、これ、推理したのはマルレディさんね」
「今回の一件、冷静になって振り返ってみると、どうにもキナ臭い。
ベテルギウスが出現したときには既にクリッターハンターのチームがスタンバッてたみたいだけど、
これはさすがに手際が良すぎる。………そこで私は一つの仮説を立てた―――」
「―――何か善からぬ悪巧みをしているんじゃないか。
例えば、クリッターハンターのチームなんてのは建前で、
実際にはマカフィー…ベテルギウスを売り飛ばす密猟団じゃないのか?」
「密猟団と言うのは飛躍し過ぎかもしれないが、ベテルギウスの出現を最初から見越したような手配は、
どう考えても怪しい。怪しすぎる」
「そんでちょっくら調べてみたら、例の金庫から裏帳簿なんてヤベーもんが出て来たってワケさ」

 「よくもまあ、ここまで好き勝手やってたもんだね。これが明るみに出たら、あんた、おしまいだね」などと
皮肉を垂れながらファイリングされた書類をめくっていくシェインであったが、
地底湖を中心に淡い光で包まれているとは言え、
明かりも何もない場所では記述された文字を読むことなど到底できない筈だ。
 暗がりに身を置いていることも、闇が文字の羅列を食んでいることもお構いなしに
シェインはパラパラとページをめくり続けている。
 その目は既に書類の記述を読んではいない。

 シェインにとってすれば、何が書かれているのかは然程大きな問題ではなかった。
ざっくばらんに言うなら記述が読み取れなくても別に構わない。
 ファイルの中に悪徳の限りが詳述されていることと、動かぬ証拠としてシェインがこれを確保していることを
ガウニーに突きつける為のパフォーマンスなのだ。

「役場の人たちもメチャ疑ってたよ。絶対なんかヤバいことしてるって。
そんなヤツにへつらうなら、ちょっと頼りないけどシェリフのほうを信じるってもんさ」
「マスターキーもすぐに貸してくれた。………ダイヤル式ではなく錠前式の金庫を使っていたのが仇になったな」

 シェルクザール内に於ける絶対的な基盤が根底から覆されるような決定的証拠を眼前に突き出されたガウニーだったが、
意外にも取り乱すことなく冷静さを保っている。
 忌まわしきファイルを突き出されたからには、知らぬ存ぜぬを強引に押し通す為に声を張り上げるか、
あるいはヒックス撃墜の前後に見せたのと同じ狼狽を晒すものとばかりクラップやカミュは予想したのだが、
結果的には全くの逆であった。
 悪徳の町長ことガウニーは、感情を爆発させることも、危機的状況にうろたえることもなく、
シェインが突き出したファイルをただただ凝視し続け、そのまま微動だにしなかった。
 生来の激情家とは思えぬ不気味なほどの静けさである。

「本当にそんなことが書いてあったの? マカフィーの密売なんて………」

 フィーナから寄せられた質問に答えるシェインは、存外にリアクションの薄いガウニーを煽るつもりなのか、
「町長にトドメ刺すようなもんさ」とばかりに指を鳴らし、口笛まで吹いてみせた。

「密売ってのはシェリフのおっさんも考えが飛び過ぎだって言ってたでしょ? 
いや、そこらへんはボクの想像だったんだけどさ」
「仮に私が懸念を撤回するとしても、だ。残念ながら、ハンターとの密約を匂わせる文言は
このファイルの中には見つからなかった」
「―――ところが、もっとシャレにならないもんがファイルの中から見つかっちゃったんだよね」
「もっと大変なものって言うと………裏帳簿だけに何かの裏取引の証拠とか? 
………あ、でも、ハンターさんが無関係なら裏取引なんて起こらないかな」
「お、やるじゃん、フィー姉ェ! ビンゴだよ。裏金の流れが細か〜く書いてあったぜ、このタヌキジジィの」
「そかそか、裏金―――………って、えぇッ!? 本当なの!?」

 金銭の授受を詳述した一覧と思しきページを開き、高く掲げるシェインではあったが、
やはり書類に記された文字は暗闇に蝕まれており、輪郭を満足に捉えることすらできない。
 ………その筈なのだが、何の脈絡もなく鳥目の才能を発揮したらしいフィーナは、
常人には文字の羅列を追うことすら出来ない状況にも関わらず、何ら障碍がないようにシェインとの話を進めていった。

「町長さんよ―――あんた、そこでくたばってる秘書とは、本当はどう言う関係なんだい?」
「………………………」
「ど、どう言う関係ってどう言うこと? そ、そそ、そう言うコト!?」
「そこでなんでフィー姉ェが興奮すんのかわかんないけど………とりあえず鼻血を拭いて、フィー姉ェ」
「表向きは村長とその私設秘書だが、ヒックス氏の経歴には不明な点が多過ぎる。
上手い具合に隠蔽したのか、それとも片田舎の人が好い町民たちは気にしなかったのか―――
この際、それは置いておこう。問題はそこではない」
「シェリフのおっさんが言う通りさ。最大の問題は、ヒックスの正体にあるんだ」
「………………………」

 反応を確かめるようにガウニーへと視線を巡らせるシェインだが、彼はなおも頑として動かない。
 シェインの話など聴く耳持たないとでも体言するかのように岩の如く押し黙り、
いかつい顔を青いファイルへと向け続けている。

「ヒックス…いや、正確にはヒックスが前に勤めていたピナカ重工って会社から
毎月百万単位の支払いがあるんだよね、この帳簿を見るとさ」
「少年の説明を補足するなら―――支払いは十三年前からスタートしているな。
十三年前と言えば、ヒックスが町長の秘書になった時期と重なる。
そして、十三年前の一番最初の勘定科目には不発弾処理費用と書かれている」
「そう、シェルクザールの地下に密かに埋められていた不発弾の、ね」
「―――ふ、不発弾だぁッ!?」

 三人の居る位置が角度的に悪いのか、あるいは、三人以外の夜目が利きすぎているだけなのか、
濃い暗闇によって書類の内容が全く読み取れないが為にクラップとカミュ、カーカスは、必死になって目を細めていたのだが、
シェインの口からあるキーワードが発せられた瞬間、一転して大きく双眸を見開いた。
 シェインは、確かに不発弾と言った。シェルクザールの地下に埋められていた不発弾、と。

「不発弾って何だよ!? いきなりどこからそんな物騒なもんが出て来たってんだ!?
………シェイン、それ、マジなのか?」
「少なくとも裏帳簿にはそう書かれてるよ。これが偽物でないなら、
シェルクザールに不発弾が持ち込まれていたってコトになるね」
「本物と見て間違いないだろう。偽者であるならわざわざ金庫に入れて隠しておく必要がない」
「ピナカ重工って言ったら大砲の弾を専門に扱ってる武器商人だ。
ガウニー町長に不発弾の処理を依頼したって言うんなら、ま、どこの誰よりも納得できるビッグネームだねぇ」

 シェインからの説明にますます動転するクラップに向けて、アルフレッドとオットーは更に補足を付け加えた。
 ヒックスの前の勤め先―――つまり、突然降って湧いた不発弾の出所である。

「ちょっと待ってよ………それじゃあ、何? ぼくらの町にはずっと不発弾が埋まってたってことなのかい? 
そんな話、ぼくは初めて―――いや、町の誰だって知らないはずだ………ッ!」

 カミュは信じられないと言った様子で頭を振り続けている…が、それも無理からぬ話であろう。
 ガウニーとヒックスがアシュレイを巻き込んで良からぬ企てをしていることは明々白々ではあったが、
突き詰めていった先に不発弾の埋蔵と言う結果が待っているとは、よもや夢にも思うまい。
 自分たちが安穏と暮らす町の地中深くに未処理の不発弾がずっと埋められていたと言う真実も、
カミュの心を大きく揺さぶっていた。

「支払いの日付は今月分までキッチリ載ってるよ。カミュには酷な話だけど………」
「ところが、ここ一年くらい勘定項目にちょっと変化が見られるようになった。新しい項目が増えたんだ」
「………埋蔵不発弾の回収費用。この項目が増えた日付は、
アシュレイ社長に発掘調査の許可が下りる直前から加えられている」
「――――――ッ!」

 シェインとマルレディから付け加えられた説明は、
ただでさえ動揺しているカミュへ更なるショックを叩きつけるものだった。

「ピナカ重工の砲弾は粗雑乱造で有名だ。弾殻つまり砲弾を覆う装甲がとにかく弱い。
性能の悪さを価格設定の低さと叩き売りでカバーするのがピナカのやり口だな」

 手招きに応じたシェインから裏帳簿と目されるファイルを受け取ったアルフレッドは、
顔面から血色が全く失せてしまったカミュへ気遣わしげな視線を向けながらも
書類に記載された内容へと更に言及していく。

 今にも膝から崩れ落ちそうな様子のカミュにはクラップとムルグが付き添っており、
それが為にアルフレッドはガウニー追及の手を止めずに済んだと言える。
 クラップに至っては肩を抱き、全身でもってカミュを支えようとしていた。
今こそ愛しいカミュの力になりたいと願うクラップなりの男気、と言っても差し支えあるまい。

 それだけに眼福と言わんばかりの好奇の視線がフィーナから注がれることは、
クラップにとって多くの意味で心外だった。
 自分とカミュが睦まじくする姿は、決して彼女が鼻血を垂らす類のものではない筈だ、と。

「安上がりに出来る分、傭兵の間では有り難がられていたようだが、雑な作り方ではすぐに限界が来る。
トラブル一つが部隊の全滅に?がるのが戦場と言うもの。
以前に俺が聞いた話では、炸裂弾やガス弾の弾殻が搬送の途中に破損し、事故を起こしたらしい。
………想像してみろ、大量に安く仕入れた爆弾やら毒ガスの砲弾が一斉に自爆した光景を」
「………そんなもん売って儲けるなんて………」
「当然、信用問題に発展する。あわれ粗雑乱造の砲弾たちはまとめてキャンセルとなり、
ピナカのほうで回収と処理を余儀なくされたわけだ。リコールと言っても良いだろう」
「砲弾の自主回収なんて話、聞いたこともねぇぞ、オレ」
「そこがキモなんだよ、クラップ。一度、悪い噂が立てば一気に倒れるのは兵器メーカーも同じことだ。
商売は信用が第一だからな。ピナカ重工が起死回生の為に打ち出したのが、
未使用の砲弾や弾頭を自社で回収し、改良を加えた新規モデルと交換すると言う事業だった。
未使用分のみならず使い物にならなかった不発弾の回収をも打ち出し、
ピナカ重工は倒産するか否かのギリギリで踏み止まったんだよ」
「おたく、すごい詳しいねぇ。こっちの仕事がなくなっちまったよ」
「………昔取った杵柄と言うやつだ」

 撮影を続けているオットーへ「アルは士官学校出身なんです」とフィーナがそっと耳打ちをした。
アルフレッドの学歴は既に本人から聞いていたのだが、そうとは知らないフィーナが気を利かせた形である。
 オットーが構えているカメラはマイクが搭載されたタイプのもので、
これによってフィーナのささやきが集音されてしまうのではないかと
傍目に見ていたカーカスは思わず顔を顰めてしまった。
 部下のしかめっ面を目敏く見て取ったオットーは、「ノープロブレム」とのアイコンタクトを送り、
カーカスの短慮を諌めた。
 多少なりともフィーナのささやきをマイクが拾ってしまってもオットーは構わない様子である。
 そもそもオットー自身、かなりの頻度でアルフレッドたちの説明に口を挟んでいるのだから、
今更、フィーナひとりのささやきなど物の数にも入らないと言うことかも知れない。

「不発弾の処理ほど面倒なことはないからな。
未使用ならまだしも、事情はどうあれ一度使ってしまった砲弾を回収及び返却するのは、
使用済みと言うリスクも含めて厄介極まりない」
「そのあたりのことも自分たちで責任持つって言うんだから、まあ、今回だけは大目に見てやろうってな。
マーケットもそう言う流れになって、信用の下げ幅に歯止めが掛かったってオチさ」

 オットーが付け加えたピナカ重工の小賢しい善後策の説明にアルフレッドは無言で頷いた。

「―――ここまで言えば、もうわかるだろう? ヒックスと、……不発弾の正体が」

 ヒックスの正体は既報の通りであるが、不発弾の詳細にはまだ誰も言及していない。
………否、改めて詳らかにするまでもないことであろう。
 有毒な物質を嗅ぎ付けるベテルギウスがどのような形であれ絡んでいることから推察するに、
地中へ不法に埋蔵されていた不発弾は、所謂BC兵器の類される毒ガス弾と見て間違いなさそうだ。

 爆発させてしまえば万事収まる炸裂弾などに比べて同じ砲弾でも毒ガス弾は非常に処理が面倒だった。
リスクも格段に高い。一歩間違えると自分たちのほうが毒ガスの餌食になってしまうのだ。
 であるからこそピナカ重工も大量に回収したのは良いものの、砲弾の処理が暗礁に乗り上げてしまった。

 いよいよ毒ガス弾の処理に窮したピナカ重工が、非公式ながら引き取り手を募り始めたのは、
それから間もなくのことだった。
 相応の謝礼を支払うので、どうか不発弾を買ってはくださいませんか―――
その呼びかけに応じて諸手を挙げたのがガウニー町長と言うわけだ。

 以上は裏帳簿と思しきファイルから得られる情報を基にしてのアルフレッドの推理だったが、
正鵠を射ているからなのか、ガウニーからは反論一つ、野次一つ飛ばされるようなコトはない。
 ガウニー当人はアルフレッドと言うよりも彼の持つファイルに執心の様子である。
口先による論証以上に物的証拠を脅威と感じているのかも知れなかった。

「マカフィーが地上にまで姿を現したのは、破損された不発弾から漏れ出した毒性の物質に反応してのことだ。
無論、それも計画の一端だったのだろうがな」
「ちょっと待てよ、破損だぁッ!?」
「先ほど説明したばかりだろう? ピナカ重工の砲弾は装甲が劣悪な出来だと。
………そんなものを地中に埋めてみろ。腐食して壊れるのは自明の理だ」
「壊れたガス弾がどう言った影響を土壌に及ぼすのか、それもまた自明の理ってわけさ。
しかし、アルフレッド君が調べた限りでは土壌汚染は確認されなかった。
少なくとも役場からはそんなアナウンスはなかった。………なんとも奇妙な話じゃないか? 
間違いなく土を侵す猛毒が埋まっていると言うのに、調査データって結果には何も動きは見られない。
土壌の調査は毎年行っているんだから、砲弾の劣化に比例する筈なんだがねぇ………悪化の推移がさァ」

 アルフレッドとオットーが掛け合いのようにして町長の非道を暴いていくが、
その追及は残酷なほどに冷徹で、我が町の汚染を攻撃材料のように扱われるカミュの体調が
クラップには気がかりで仕方がなかった。
 無論、アルフレッドたちが憎きガウニーを論破してくれることはクラップにとっても胸の思いではある。
それはカミュにしても同じであろう。
 だが、カミュの場合はクラップやアルフレッドたちと些か事情が異なる。
 カミュの故郷は、アルフレッドたちが攻撃材料として連呼する“汚染”によって直接ダメージを被っているのだ。
話の流れから予想は出来るものの、さりとて最悪の事態を面前に突きつけられて心安らかでいられる人間はさほど多くはあるまい。
 抱きしめたクラップ当人が驚くほどカミュのか細い肩は小刻みに震えていた。

「土壌の汚染だと? それは何年も前からあったのか? ………どう言うことだ、ガウニー町長ッ!!」

 土壌汚染の話を聞くにつけ、アルフレッドの手に移ったファイルを見るにつけ、
心を激しく揺さぶられたのはカミュばかりではなかった。
 シェインの傍らに立って多連装ショットガンを構えていたマルレディが、
胸の保安官バッジを震わすほどの火勢でもってガウニーへ怒号を発した。
 なんとも情けない風体でサルーンに転がり込んできたときとは正反対の威容であった。

「―――町長、昨年来行方不明になっている酪農家の男性は、もしかして町長へ直訴に出向いたのではありませんか? 
土壌汚染の傾向が見られる、と」

 マルレディがガウニーに向かって難詰したのは、彼が捜索に注力している酪農家失踪事件のことである。
その男性は、真夜中に出かけていったきり何処かへと蒸発してしまったと言われていた。
 忽然と失踪してしまった男性の捜索がマルレディに課せられた主務であり、
その人物の消えた先が、今、目の前に明確な答えとして現れたのである。

 ………最も避けたかった結末を突きつけられ、マルレディも黙ってはいられなかったようだ。

「………………………」
「十三年もの間、あなたがたが改竄してきた土壌調査のデータに疑問を持ったのではありませんか、その人は?」
「………………………」
「ガウニー町長ォッ!」

 アルフレッドとオットーに続き、マルレディからも問い詰められたガウニーであったが、
貝になって暴風が去るのを待つ腹づもりなのか、自身に向けられた舌鋒には一切応じようとはしない。
 その間にも追及の暴風は収まる気配を見せずに吹き荒んでいく。

「………十三年と言えば、マカフィーが初めてグリーニャに現れた時期と、
あんたがピナカから裏金を受け取り始めた時期も大体そんなものだな。なあ、町長さん?」

 マルレディの怒号へと重ねるかのようにしてアルフレッドが翳したのは、
十三年前にグリーニャで起きた事件―――『ベテルギウスの悪夢』であった。

「―――数時間、発掘予定地は封鎖されていた。マカフィーが毒物を撒き散らすという風聞が立ったのだから、
誰も近付こうとは思わないわけだ。まるで十三年前の再現だな」
「『ベテルギウスの悪夢』を言っているのか、貴様………」
「他に何がある? 貴様もそれを意識してあの場を作り上げたのだろうが」
「マカフィーは利用されたってこと!?」

 悲鳴にも似たフィーナの金切り声が稲妻のように暴風の間を走った。

「マカフィーには幾つかの役割が与えられていた。一つは偽の風説で町民たちに恐怖心を植え付け、
不発弾を掘り起こすまでの間、誰も発掘予定地に近付けさせない役割。
二つ目はアッシュたちが持ち込んだとされるモノがどれだけ毒性が強いかを知らしめる為。
マカフィーが反応するほど強い毒なら誰も近づけないし、それと同時にアッシュへの憎悪が駆り立てられる。
町の人間の様子を見ただろう? あれが憎悪の成れの果てだ」
「確かに狂ったように怒っていたけど………」
「最後の一つは、真相に近付きつつあった俺たちをここで抹殺し、マカフィーをその犯人に仕立て上げることだ。
………尤も、これは計画のほころびを取り繕う為に急遽付け加えられたものだろうがな。
最後には俺たちだけでなくマカフィーを始末するつもりなのだろう」

 それでなくてもマカフィー=ベテルギウスが生きているのはガウニーたちにとって厄介である。
 クリッターハンターを予め手配しておいたのも、
最後の始末をつけさせる為に違いない、とアルフレッドは“三つの役割”の説明に付け加えた。

「ここまで手の込んだ計画を練り上げたのは、ひとえに毒ガスの不発弾を再度回収する為―――
違うか、ガウニー町長? 土壌汚染によって自分の悪事が明るみに出るのを恐れて手を打った」
「………」
「ピナカ重工としてもせっかく回復した信頼を再び損ねるのは致命傷だ。
回収への協力は惜しまないと言ったところだろう」
「………………」
「シェリフが問い質していた失踪者のことも追及せざるを得ないな。
今はまだ憶測の域を出ていないが、仮にその男が土壌汚染の事実に気付いたとするなら、
失踪に関わった容疑者も自動的に絞り込まれてくる」
「………………………」
「アッシュから申請された発掘調査に合意したのは、今日と言う日の為だったのだろうな? 
遺跡発掘の名目で人里離れた場所を掘り返し、地中深く毒物を埋めようとする悪徳企業のドンに仕立て上げる。
それが貴様らの計画の集大成だった筈だ。
………自分たちの悪事をそっくりそのまま被せようとは図太いにも程がある」
「………………………………」
「返事がないのは肯定と受け取ることにしよう。………証拠隠滅の手口も相当に悪質だな、貴様らは。
町民たちを暴徒化させて一切の証拠を消―――」
「―――ククク………クハッ………ハァーッハハハハハハッ! 実に愉快だったぞ、ライアン君ッ!! 
これ以上の寸劇はあるまいッ! いや、最高に愉快な茶番であったわッ!!」

 悪事の全てが暴かれた直後、何を思ったのか、ガウニーはそれまでの厳しい面構えを一転して崩し、
腹を抱えて高笑いし始めた。
 とうとう気が触れたかと訝るアルフレッドであったが、ガウニーの顔は至って闊達である。
 絶望的とも言える窮地にまで追い込まれてしまったにも関わらず、
満面には己の勝利を確信したかのような狂喜を貼り付けていた。

「貴様の手にあるそれが裏帳簿だとッ!? そこに書かれていることが真実だと言うのかッ!? 
ならばその紙束をライトに照らして見せてみよッ!! 見せてみよッ!! 見せぬかぁッ!!」

 血迷ったとしか思えないことだが、ガウニーはアルフレッドの手にあるファイルを、
より鮮明な形で皆の前にさらすよう迫った。
 彼自身の破滅を招く筈の物的証拠を、だ。
 この場で起こった一部始終を記録するだろうカメラが回っている最中に
己の立場を不利にする物的証拠の開示を促すなど自殺行為としか思えなかった。

「何が書いてある!? 何が記してあると言うのだ!? 貴様のあげつらったことがそこに書いてあるのか!? 
あるわけなかろうなぁ、そこには―――証拠能力を持たぬ偽物を掲げて正義面とは片腹痛いわァッ!!
そのような紙束、尻を拭くのにでも使うがよいッ!!」

 貴様のあげつらったことがそこに書いてあるのか―――
兵器メーカーぐるみで取りまとめられた卑劣なる計画を暴く唯一無二の証拠を指差し、ガウニーはそのように吐き捨てた。
 アルフレッドが望むような記載などそのファイルのどこを探しても見つからないのだ、と。

 だが、動かぬ証拠であるファイルはアルフレッドの手元にあり、
また、彼やシェインによって不発弾の不法投棄計画の一部始終が暴き立てたばかりであった。
 今、この場でガウニーの薄汚い計画は全て暴かれた筈なのだ。
 それにも関わらず、ガウニーはファイルに証拠能力がないと一笑に付すのである。
 進退に窮した苦し紛れの言い逃れにしては荒い語気へ自信が満ち満ちており、
胸を反り返しながら高笑いする様子などは誰がどう見ても勝利を確信したパフォーマンスだ。

 ガウニーの理論や言行には、多くの意味で無理と矛盾が内在している。
 理論の破綻すらも得意の強弁でもって押し切り、有耶無耶のうちに己の勝利へ換えるつもりなのか―――
これまでさんざん見せられてきたガウニーの剛腕を瞼の裏に描いたクラップは、その悪質な様に、今一度、身を震わせた。
 このまま無理を押し切られてしまうのではないか、と言う恐怖的なものではない。
やり場なく込み上げてくる怒りが武者震いとなって発露したのだ。

 胸を反り返したのは、どうやら高笑いではなく肺一杯に息を吸い込むのが目的だったようだ。
 貪欲に溜め込んだ空気を一挙に噴出させた口から吐息と共に撒き散らされるのは、
件のファイルを計画暴露の切り札と目したアルフレッドやシェインに対する罵倒の嵐だった。

 一旦、口火を切ってしまうとガウニーも自身の唇が悪言を紡ぎ出すのに任せている。
 どこの金庫にファイルが隠されていたと言うのか。背表紙のラベルも完全な捏造だ。
出るところに出たとしても、ファイルに証拠能力がない限り、貴様らに勝ち目はない―――
いちいち数えていたらキリがない量の罵倒が乱れ飛ぶ。
 次第にガウニーも調子が上がってきたらしく、爆発的に膨れ上がっていく声量は、
ついには地底湖の水面へ波立たすまでに至った。

 無知で蒙昧。厚顔な恥知らず…とまで正面きって愚弄されたアルフレッドだったが、
彼の表情には些かの変化も見られない。
 満面に赤熱を宿し、口に唾して悪言を乱舞さすガウニーを向こうに回したアルフレッドは、
ただ冷ややかな眼差しでもって耳障りな雑音の発生源を見据えるばかりである。

「“そこには”? では、“どこには”書いてあるんだ? 俺たちが暴いてやった真実は」
「―――なにィ…!?」

 口汚く罵るのにも幾分疲れ、額に汗したガウニーが息継ぎをしたその瞬間を狙い、
アルフレッドは氷のように冷たい抗弁を鋭く突きこんだ。
 ガウニーから浴びせかけられる罵倒などアルフレッドは最初から全く相手にしていない。
追及すべき一点のみに狙いを定め、雑音の切れ間を見計らって攻めに転じた次第であった。

 それは、ファイルが持つ証拠能力の有無を論じた際にガウニーが自ら発した言葉だった。

『何が書いてある!? 何が記してあると言うのだ!? 貴様のあげつらったことがそこには書いてあるのか!? 
あるわけなかろうなぁ、そこには―――証拠能力を持たぬ偽物を掲げて正義面とは片腹痛いわァッ!!
そのような紙束、尻を拭くのにでも使うがよいッ!!』

 ―――ガウニーは、このように言い捨てている。
 “そこには”、何が書いてある。“そこには”、何が記してあると言うのか。
 アルフレッドたちがあげつらった内容(こと)、
つまりピナカ重工と共謀した不発弾の処理計画の全容が書いてあるのか、“そこには”。

 “そこには”、“そこには”、“そこには”、“そこには”………。

 青いファイルを偽物と切って捨て、自らが最後の勝利者だと驕るガウニーを小馬鹿にしているのか、
アルフレッドは“そこには”と言う四文字を何度も何度も繰り返して見せた。

 自分が嘲られていることを察したガウニーは青筋を立てて怒り狂った…が、
さりとてアルフレッドが何を思って“そこには”と連呼しているのか理解できず、
斬り込める箇所を見つけられないまま、反論のタイミングを失して惑うばかりであった。

 地団駄を踏むガウニーを目端にも入れていないアルフレッドは、
この場に居合わせた仲間たちを見回すと「この面子で劇団を結成しても食って行ける気がするな」などと言って
珍しくおどけて見せた。

 ―――刹那、糸が切れた人形のようにマルレディがその場にへたり込んだ。
 よほど気を張り詰めていたのだろうか、アルフレッドが喉を鳴らすのを見て取り、
それによって緊張が解けて腰砕けに崩れ落ちるまでの間、彼の膝はまるで生まれたての小鹿のようにガクガクと震えていた。
 盛大に息を吐くマルレディの額では、水分不足に陥るのではないかと心配になるくらい夥しい量の汗が玉を結んでいる。

「こ、こんなもので良かったかな?」
「演技終わった途端にヘタレに戻っちゃった!」
「しかし、ラベルを偽造するとは考えたものだ。どちらのアイディアだ?」
「シェイン君だよ。私はあからさま過ぎると思って止めたんだけどね。
尤も、シェイン君の判断力のほうが冴えていたようだ」
「だってさ、絶対引っ掛かるタイプじゃん、このジジィ。頭悪そうだし」

 雰囲気を急転させたアルフレッドたちに対して、ガウニーは混乱の極致に達していた。
先ほどまでの張り詰めた空気から一転し、シェインなどはゲラゲラと腹を抱えて笑っているではないか。
 マルレディの変化は誰よりも顕著で、ガウニーに対峙した凛々しい姿がウソのように
元の頼りない風体に戻ってしまっている。

 ………しかしながら、ショットガンの銃口はガウニーへ向けられたままであり、
物腰こそ軟化させたものの、彼に対する怒りは正真正銘に根深い様子だ。
 次に悪辣な手段を取ろうものなら、そのときは容赦なくショットシェルがガウニーの全身を射抜くであろう。

 目の前で起きている喧騒を受け入れられずに呆然と佇んでいるのはガウニーだけではなかった。
クラップやカミュ、カーカスと言った、先んじてクラムボン・キャンプへ辿り着いた面々も
アルフレッドたちの急変に随いていけない様子である。
 「アルってば、なんかドラマに出てくる探偵さんみたいだったよ」と
苦笑いを交えつつアルフレッドたちの輪に加わっているのは、フィーナとムルグくらいだった。
 それはつまり、フィーナとムルグがアルフレッドたちに同調していた証左とも言える。
彼らがこのタイミングで変転することを、おそらくはあらかじめ知っていたのだろう。

「ど、どう言うことだ? なんのつもりだッ!?」
「………あなたは裏帳簿が本当にあることを認めてしまったのですよ、町長」

 ヒックスの呻き声がガウニーの鼓膜を打ったのは、そんな機(とき)だった。
 反射的に足元へと目を落としてみれば、あるべき筈の物…ヒックスの得物はどこにも見当たらない。
 次いで声のしたほうと視線を移すガウニーだったが、その途中、不意打ちで強烈な発光を浴びせられてしまい、
視界の全てが白い闇に閉ざされた。
 眩んだ拍子に全存在が白の単色と化していた世界へ再び色彩が戻ったとき、
ガウニーはそこに信じられないものを見つけ、慄然とした。

 手元に自身の得物を取り戻したヒックスが、その照準をガウニーへと合わせていた。
 アルフレッドとムルグにやられたダメージが相当根深く残っているらしく肩で息をしているものの、
狙いは全くブレていない。銃口は、確実にガウニーの眉間を狙っていた。
 着衣である黒服には淡い燐光が余韻のように纏わりついている。
 右手に構える得物の周りでは、幾条も重なり合った光の帯が明滅を繰り返しながら消え去ろうとしている。
 夏の夜の蛍火を彷彿とさせる儚げな光の帯は、ヴィトゲンシュタイン粒子―――
トラウム発動に必要となる具現化粒子の残照であった。

 一旦、トラウムを解除した上で間髪入れず再度具現化させたのだろう。
 戦闘そのものに不慣れなガウニーは、拾い上げて手渡すことしか頭になかったのだが、
こうしたほうが無駄な動きを省ける分、相手に付け入る隙を与えずに済むのだ。

「何の真似だ、ヒックス………」

 ヒックスがどのような意図でトラウムの解除と再具現化を行ったかなどはガウニーにはどうでも良いことだ。
彼にとっての大問題は、その銃口が自分に向けられていることなのである。
 本来ならば、攻撃の意思を隠そうともしないマルレディに対して銃口を向けるべきではないか。
迎え撃って然るべきではないか―――。
 至極当然の疑念にアンサーが示されないまま、ガウニーはふたつの銃口から同時に狙われ続けた。




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