本編第11回「異世界襲来」では、
アルフレッドにとってあってはならない事態が次々と発生する。
武装集団ギルガメシュによって故郷を焼き払われ、
妹のベルをカレドヴールフに誘拐され、
更には、かけがえのない親友まで死に追いやられてしまう………。
壮絶な死闘の犠牲となったクラップとは、
<トロイメライ>にとってどのような存在だったのか。
改めてクラップの歩みを振り返りたい。


                                   スペシャルインタビュー/制作総指揮:天河真嗣


どこまでも身近で、大きな存在―――

キャラクター紹介の項目でも明記しているのですが、
クラップ・ガーフィールドは、「地元の幼友達」と言うコンセプトをもとに、
僕自身の経験を踏まえながら人物造形を作り上げていきました。
コンセプト自体はとてもシンプルなのですが、
実際に「地元の幼友達」の距離感を表現するには些か苦労しました。
基本的には馴れ合いの関係で、フツノミタマやホゥリーと言った「戦友・仲間」とは
距離の取り方やメンタルの置き場所が全く違うわけですよ。
そうした人間関係でしか生まれない空気感は、なかなか文字として書き起こしにくい。
これは文章としての表記を超えた領域にあるのではないかと最初のうちは
頭を抱えたものです。
アルフレッドたちとクラップとの間に流れる空気の具体化が馴染んできたのは、
第3回の改訂稿を仕上げている最中だったかな。
グリーニャの住民以外の面々との差異を大袈裟にクローズアップするのではなく、
彼らと同じように日常生活を描きつつ、会話の端々の何気ない態度から
特別な親しさが醸し出せるよう努めていったつもりです。
キャラクター設定の性質上、アルフレッドはツッコミ役に回ることが多いのですが、
その中でもクラップへのツッコミは鉈のように鋭い。
相手のことを完膚無きまでに叩きのめす容赦のないツッコミは、
言ってみれば、クラップへの愛情表現ですよね(笑)。
クラップは手厳しいツッコミが通用する相手であり、
またこんなやり取りを楽しめるような関係と言うわけです。

夏休みスペシャルの番外編では主役を張ったクラップですが、
それを割愛してしまうと出番はさほど多くありません。
アルフレッドチームとグリーニャとの繋がりを描く上でも、
クラップの登場シーンをどう印象的に演出するのかは、とても大切なことでした。



その死をもって、物語が動き出す―――

クラップと言う人物は、少し穿った見方をすると、つまり「失われた故郷の象徴」ですよね。
グリーニャの焼失と言うのは、物語の中では確かに大きな出来事なのですけど、
受け手にとっては、架空の村が一つ消えた程度にしか映らないかも知れない。
でも、それでは<トロイメライ>全編を貫くテーマを完遂できないわけで。
故郷を焼き討ちされると言う大事件の重みを、
主人公たちと接点が深い=明確なパーソナリティを持つクラップを通じて伝えようと言う
作劇上の工夫も含まれています。

クラップの死がどうしてこう重いのかと言うと、彼は、本来なら死ぬ必要がない人だから。
危険にさらされる可能性が限りなく少なく、平気な顔をして最後まで生き残るキャラクターの位置にいるからです。
貴重なコメディリリーフまで死んでしまったら、物語に救いがなくなってしまうじゃないですか。
既存の作品では、クラップは間違いなく死ぬべきポジションにはいない筈です。
そんな人物ですら命を落としてしまうと言う第11回のクライマックスは、
戦争の悲惨さを強調する意図があるのではなく、命の重みと儚さを描く為に選んだ物語です。
画一的な役回りに関わらず、どのような人間にも等しく死は訪れるのだと言う展開は、
作中の登場人物は言うに及ばず受け手にもショッキングだったのではないでしょうか。
でも、残酷なまでのリアリティが<トロイメライ>を形作るピースでもあるわけで。
生き死にと真摯に向き合い、これを描ききることには、一切手を抜けません。
カレドヴールフとの最期の対決シーン〜落命へ至るシークエンスは、
執筆を担当した激々極々が僕のプロットを上回るクオリティで仕上げてくれました。

クラップの死は、どこまでも重く、苦しい。それ故に彼の死を見届けた人の心に響く。
ここで起こった波紋は、<トロイメライ>と言う大きな船を海原へと進ませる推力として
いつまでも残り続けるでしょう。
そうした意味でも第11回はターニングポイントとなりました。



アルフレッドとクラップと―――

クラップの死を誰よりも重く受け止めたのは、言わずもがな親友のアルフレッドです。
これまでは冷淡かつ朴念仁で、主人公の割には個性を欠いていたアルフレッドが、
グリーニャ焼失、クラップの死をきっかけに本性を現します。
本性を現すと書いては、何やら聞こえが悪い気もしますが、
弁護士の夢と言うモラトリアムに踏ん切りを付け、
軍略家としての才覚を発揮し始めるのは、まさしく前述のターニングポイントから。
優等生的な佇まいを崩さなかった第1部の姿からは想像もできないような一面が表に出てきます。

普段、邪険にしていたクラップのことを、アルフレッドがどれだけ大切に想っていたのか。
見聞きする人の背筋を凍らせるような恐るべき謀略の数々には、
クラップに対する友情の強さが秘められているのです。
正直、スタッフからは「やりすぎ」「主人公らしくない」「悪(わる)フレッド」とまで苦言されていますが、
回を追うごとに苛烈さを増していくアルフレッドが修羅の道の果てに行き着く先は、
スタッフにも、読者の皆さんにも納得して貰えるモノになるはず。
そう信じて、僕も心を鬼にして筆を執っています。



これまでも、これからも―――

クラップは第11回で命を落としてしまいますが、
だからと言ってその存在をここで終わりにするつもりはありません。
彼の存在はこれからもアルフレッドたちグリーニャの人々の心に残り続けます。
少なくとも、彼らの中ではクラップは永遠に生き続けるのですよ。
「人間の死は二度ある。一度目は肉体的な死。二度目は皆から忘れられたとき」とは
人の生死を語った有名な言葉ですが、
クラップと言う存在はアルフレッドたちの中でずっと生き、影響を与え続けます。
「死んでしまったね、悲しいね」と言うお涙頂戴の為の装置には絶対にしません。
と言うよりも、そうした描写自体がリアリティを欠いていると天河は考えています。
これは、激々極々も同意見。
現実世界でも、亡くなった人を即座に過去へと置き去りにすることは有り得ませんよね。
<トロイメライ>で描かれる死も、それと同じことです。
クラップに限ったことではなく、作中に顕れる全ての生と死を
僕らは責任をもって描ききる覚悟でおります。

それに、クラップをこのまま二度と描けないのは、やっぱりちょっと淋しい。
イーライの手元にはクラップ作の懐中時計がありますし、
アルフレッドたちがグリーニャで過ごした時間を語る際に回想シーンの中で
登場させることも可能だな。
そのときには、「あんにゃろう、随分と楽しい人生を満喫していたんだなぁ」と
クラップのことを偲んで頂けたら嬉しいです。
短い時間ではありましたが、彼は人生を全力で楽しんでいました。






〜クラップ ポートレート集〜



スペシャルイラスト/如月睦月



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