「―――それでは、堕ちた聖者の秘術をもってして、【太母】は北の地へ転送されたのだな?」
「はいっ」
「うむ、報告、祝着であるぞ、イザベラ」
「そんなっ、もったいないですっ」
三界の盟主が一柱のために用意された一室は、
泣き喚くニンゲンを模った石像で敷き詰められており、
その最奥に設えられた、やはり天を睨んで絶命する人々をモチーフに意匠を凝らされた玉座にて、
【黒の貴公子】アークデーモンは美獣―イザベラとは本名なのだろう―から
【太母】なる人物に関する報告を受けていた。
阿鼻叫喚の地獄を具現化したおぞましい空間の中にあって美獣は、
盟主からの授かった賛辞を天真爛漫な笑顔で受け止めた。
邪眼の伯爵と絡み合う平素の妖艶さとは、まるで正反対の姿だ。
「次の一手は"カトブレパス”…邪眼の伯爵か………。
持ち回りとは言え、熟してもおらん局面にて【サタン(支配階級魔族)】を差し向けるのは、
いささか気が引けるな………」
「大事の前の小事ですっ。貴公子様はご自身の事のみをお考えくださいっ!
私たちがなんとしても貴公子様の【トリニティ=マグナ(超神)】への
進化の手立てを………っ!」
邪眼の伯爵―カトブレパスとは本名なのだろうか?―の出撃に対して何事を思案気な盟主を励まそうと、
胸の前で両拳をグッと握り、「ファイトですっ」と美獣。
ますますもって、妖艶な薫風を漂わせる平素の姿とは程遠い。
まるで、人が変わってしまったかのような様子だ。
「【トリニティ=マグナ(超神)】………か。
しかし、そう急くでないぞ、イザベラ。
カトブレパスの事だ、万が一の杞憂はあるまいが、直情径行のお前は気に掛かる。
………お前を失うのは、【超神】なる進化を享受できぬ屈辱よりも耐え難い」
「嗚呼…貴公子様………」
免疫のない人間が耳にすれば、たちどころに蕁麻疹を発症してしまいそうな、
甘ったるい殺し文句に完全に篭絡された美獣は、抱き寄せられる腕に逆らう事なく、
アークデーモンの懐へ飛び込んでいった。
†
肺一杯に吸い込んだ空気は痛い程に清廉で冷たく、吐く息はどこまでも白い。
それが心地よくて何度も吸って、吐いてを繰り返している内に酸欠状態になってしまったケヴィンが
鈍痛響く頭を抑えてへたり込んでしまった事以外は、概ね平和な光景が繰り広げられていた。
目の前に広がる一面の銀世界を目の当たりにしたリースも、あの根性のねじくれ曲がったシャルロットも、
あまりの絶景に息を呑んだくらいだ。
「いつ来ても寒いだけのトコだな………だから【アルテナ】って嫌いなんだよねぇ〜」
「不穏なご挨拶ドーモ。
この町で迂闊なコト言うと、全方位から【ファランクス】を浴びせられる事になるわよ?
特にアンタは【アルテナ】にとって天敵中の天敵なんだからサ」
「【ナバール魁盗団】にとっちゃ、大変にまろやかな口当たりのカモネギなんだけどねぇ〜」
「………そこ、国際問題に発展しそうなブラックトーキングは慎もうやないか」
急ぎで買い求めた防寒具に身を包んだ一行が練り歩く雪の町の名は【エルランド】。
北の大地に聳える【アルテナ】首都とは程なく離れた場所にある、世界特区のお膝元とも言える町だ。
コートを着込んだ子供たちが寒さを物ともせずに駆け回り、建物の脇には、決まって雪ダルマがこさえられている。
【ジャド】や【マイア】とはまた趣の異なる活気に満ちていた。
「くされニキータの小船に死火山、【マナ】の軍艦…と、
ここんところ息の詰まるような閉所に押し込められてたから、
こ〜ゆ〜オープンエアなパノラマが殊更気持ちいいよな、なぁ、デュラン?」
「………ああ」
【エルランド】入りしてからと言うもの、デュランは一事が万事、この調子だ。
状況を逐一観察しているプロならではの緊張が急に壊れてしまったように、
誰に何の言葉をかけられても空返事の上の空。終始、ボーッと呆けたままでいる。
「なんか悩みでのあんの、デュラン? あたしでよければ、話くらいは聴くわよ?」
「………ああ」
「ひろいぐいでもしたんじゃないでちか〜。
あんたしゃんとびんぼうぐささはきってもきりはなせないくされえんでちからねぇ」
「………ああ」
「え、師匠、ぽんぽん痛いのっ? だったら、大変、お医者さん、行かなきゃ!」
「………ああ」
「そ〜いやさ、お前に一万ルク貸してたよな? そろそろ返してもらってもいいかなぁ、デュラン」
「………ああ」
「やりィっ! こづかいゲットだぜぇ〜♪」
「弱ったところにつけこむなんぞ男のする事やないで………それはそうとして、
のう、デュラン。死肉を買うてくれるっちゅうワイとの約束はどうなったんかいな?」
「………ああ」
「てめっ、カール! 人のコト詰れたクチかよッ!?」
「ワイの場合はれっきとした約束あってや。
お前さんのようなヘタレでビビりでペテンな男とはちゃうねん」
「………ああ」
「ちょいと待ってよマブダチッ!
そこで相槌打たれたら、俺が最低の三拍子をすっかり備えたダメ人間みたいじゃんかッ!?」
「………ああ」
「くわぁ〜んッ! デュランがいじめるよぉ〜ぅッ!」
「うっとおしいでちね。ちっとはだまるでち、このへたれがッ」
針の飛んだレコードと化した放心のデュランへ付け入ろうとして、
逆に思う存分やり込められたホークアイの後方で考えに耽っていたリースが、
何かを決意したように頷き、仲間たちを掻き分けてデュランの前へ進み出た。
何を言うのか、何をするのか、皆の視線が集中する中、リースの頬がだんだんと紅潮していく。
「デュ、デュ、デュランも私の事、好きですかっ!?」
「………ああ」
衝撃の発言とは、まさにこういう物を言うのだろう。
予想を完全に覆すリースの爆弾発言に、一同盛大な「何ィッ!?」との驚愕の大音声を張り上げた。
原因は不明だが弱っているデュランに付け入る言葉として、これ以上のインパクトは無い。
「おっ、おっ、おいおいおいおいおい〜♪
なんだよなんだよ、リースってば大胆ぢゃんよ♪
公衆の面前ド真ん中で愛の告白なんてサッ♪」
「き、聴いてるアタシたちのがドキドキもんよ、これっ!
な〜んか二人してイチャイチャしてるとは思ってたけど、
まさかまさかの特大進展じゃないっ♪
良かったわね、リース♪ デュランからもOK出たわよん?」
「そっ、そそそそーゆーつもりでなくてですねっ!
その、な、なんと言いますか、
デュランがなんだか気が抜けているみたいなので、
その、一種のショック療法と言いますかっ!」
「「照れない照れない♪」」
「あうう〜…、だから違うんですってば〜…っ」
「? リース、顔、真っ赤。リースも、ぽんぽん、痛いの?」
「いいか、ケヴィン、お坊ちゃんなお前にも解りやすく説明するとだな、
リースがどうして真っ赤になっちゃるかと言うとだな、
ほら、今、デュランがリースの告白にな―――」
「―――わわわっ、
ケ、ケヴィンにまで妙なコト、吹き込まないでくださいぃ〜っ!」
リースが自称するところの『ショック療法』とやらは、
恋話(コイバナ)に目が無い若者二人にとっては願っても無い餌食だ。
告げられた言葉に対してデュランも空返事でOKを出してしまったのだから、さあ大変。
嬉々として目を輝かせるアンジェラとホークアイに取り囲まれたリースは、
「いつの間に?」「どこを気に入ったん?」と冷やかしに冷やかされ、
真っ赤になってショートしてしまった。
「はっ、おぼこどもはこれだからしまつにおえないでち。
すいたはれたでこーものーてんきにさわげるんでちからねぇ」
「若いっちゅーのはそれだけでエエ事やないか。
―――にしてもリースのあの反応、
いやいやどうして、冗談で切り抜けるには、ちと分が悪いんと違うか?」
若者たち(デュラン除く)の盛り上がりを
遠巻きに眺めていた年長組のシャルロットとカール、示した反応はそれぞれ異なるが、
確かにリースの様子は語るに落ちていると言える。
「『デュラン“も”私の事、好きですかっ!?』と来たもんや。
………存外に面白うなりそうやな」
「けっかがさいしょからみえてるぷろせすなんて、なにがおもしろいんでちか。
おそかれはやかれのじかんのもんだいと、
さいしょにふたりにあったときにびびびときたでちよ」
自分に関する恋の空騒ぎでチームが冷かしムードに染まっているにも関わらず、
自分に愛の告白を暴発させたリースがチームの食い物にされているにも関わらず、
デュランの意識は、まるで抜かれてしまった魂を天へ追うかのように、
ここではないどこか遠くへ向いたままで、周囲の喧騒などはまるで耳に入っていなかった。
†
雪の町並みの散策から遡ること、およそ一時間前。
【エルランド】へ入った一行は、この町を治める太守、ホセ・モンタルバンの屋敷を訪ねていた。
遍く魔力を超越した神秘の輝石――マナストーンと輪郭の酷似する――が眠るとされる、
北の大地の遺窟【極光霧繭(きょっこうむけん)】の所在を確認する為に。
【アルテナ】国内でも長老格に数えられるホセは、アンジェラの魔術の師であり、
幼少の頃から彼女の侍従として仕えてきた。
ドン・ペリに勝るとも劣らない賢人と称されるホセならば、
アンジェラですら知りえなかった【極光霧繭】について、何か情報を備えているかもしれない。
他ならぬアンジェラの提案によって屋敷を訪ねた一行だったが―――
「貴様らのような下賤な連中に関わっている暇は無い。早々に失せろ」
―――極めて門前払いに近い扱いを受けて経ち追う往生するハメとなってしまった。
いくらアンジェラと親しい間柄ではあっても、事前にアポイントの取れていない、
急な来訪には応対し切れないという事なのだろうか。
ちなみに今の突き放すような物言いはホセ翁当人ではない。彼の側近を務める若い魔導師の物だ。
屋敷の人間が共通して身に着けているローブをタスキがけに引っ掛けた、
見るからにアウトローを地で行くかのような若い魔導師、ブライアン・ドゥルーズは、
見下すような紅蓮の瞳で一行をこき下ろし、ホセへ確認を取るまでも無い事だ、と
突き放しにかかってきた。
「ちょっと待ちなさいよッ、ブライアンッ!!
ホセのパシリにしか過ぎないクセに、アンタ、何様ッ!?」
これに真っ向から異を唱えるのは、もちろんアンジェラである。
「…あんたもいたのか、お姫サマ。
ヴァルダ女王に迷惑かけっぱなしの放蕩娘が説教できたクチでもあるまいに」
「んなッ! ウチの家庭事情はどーだって良いのよッ!
パシリはパシリらしく、あたしたちとホセを繋げばいーのよッ!」
「パシリとは外聞の悪い言い方をしてくれるものだな。
言葉使いの汚さ、いい加減、直してくれないと困るんだがなぁ?
なぁ、将来のモラリリーダーさんよ」
「うっさいッ! アンタのそのファッションセンスもどうかと思うわよ?
ナニよ、そのちょっとだけヤンキー路線狙ってみましたってアレンジ?
斜に構えてれば女の子にモテるとでも勘違いしてるわけ?
思春期のオトコノコじゃないんだからさぁ、ハッキリ言って、みっともないだけよォ〜」
「なッ、バッ…、だッ、誰が勘違いするかッ!
これは俺が自分で考え出したアレンジであってだな…ッ」
「こないだ男性向けのファッション雑誌に同じ着こなしのモデルがいたっけねぇ〜」
「被っただけだッ! お、おいッ、なんだその茶化すような眼はッ!?」
「はてさてふふ〜ん、さてふふ〜ん♪」
「お前な、アンジェラなぁッ!!」
どうやら無礼千万なブライアンとは旧知の仲であるらしく、
手馴れたように次から次へとお互いを攻め立てる罵詈雑言の嵐、嵐、嵐。
旧知だけに飛び交う言葉も手厳しい物ばかりだが、
それは、それだけ相手の事を熟知しているからこその手札である。
最初は「お姫さま」と慇懃無礼な敬語で接していた筈なのに、
段々「アンジェラ」と呼び捨てに崩れてくるあたり、長年のケンカ友達なのかもしれない。
「はいはい、それ以上ヒートアップすると騒音罪でしょっ引かれるよ。
…ブライアン、せっかく訪ねてくださったお客様を門前払いなんて、
ちょっと常識が足りないんじゃないかい?」
「………チッ、マニュアル人間のお出ましか………」
「それと、アンジェラ…この場ではあえて昔なじみの名前で呼ばせてもらうけど。
ブライアンじゃないけれど、キミもそろそろ自覚を持って振舞って欲しいものだね。
アクティブな性格は生まれつきと熟知しているけど、
世界人民全てが、ボクらのように好意的に解釈してくれるとは限らないからね」
「ヴィ、ヴィクター………」
この横槍も、随分と手馴れて二人の間に割って入り、
暴走の様相すら呈し始めたアンジェラとブライアンの口論を一発で制止した。
パンパンと手を叩いて暴走をいなす声の主は、
かっちりとローブを着込んだ、物腰穏やかそうな碧い瞳の青年。
アウトローを気取るブライアンとまるで正反対なこの青年の名を、
ヴィクター・クォードケインという。
†
「…【極光霧繭】…か。
これはまた、随分と厄介な物へ挑もうとしているんだね」
「身の程知らずの愚者なんだよ、どいつもこいつも。
アンジェラに引っ付いてるくらいだからな、類友だ、類友」
「―――ッントに、いちいちあんたは一言多いのよねぇッ!」
近く開催される【サミット】に向けての会合へ参加する為に
屋敷を不在にしているホセ翁に代わって、
彼の賢人から特に文武の『文』を授けられたヴィクターが一行を接遇する事になったのだが、
横から子供じみた皮肉を入れるブライアンと、それにいちいち反応するアンジェラの口論によって
度々流れが途切れてしまい、先ほどから一向にミーティングが進まないでいる。
その都度ヴィクターが仲裁に入って収めてくれるのだが、
脱線の回数は既に度を越える域へ達していた。
「詳しい事はひとまず後回しにして、とにかく結論だけ教えてくれ。
【極光霧繭】はどこにあるのか、それと、輝石とやらについての伝承。
なんでもいい、具体性のある情報を聞かせてくれないか」
断片的にしか得られなくなってきた情報を総合しようと、
比較的話が通じそうなヴィクターへホークアイが取りまとめを促す。
【インビンジブル】では思わぬ醜態を見せてしまったホークアイだが、
【ニンジャシーフ】として世界中を股にかけているだけあって、
頭の回転は一行の中の誰よりも速い。
所在の有無と地図上の位置の確認は当たり前として、
そこにまつわる伝承を質問したのは、眉唾な情報の裏付け調査だ。
火の無い所に煙は立たないと言うが、今度のケースにも同じ事が当てはまる。
つまり、確たる伝承に由来しない遺跡には、眉唾な吹聴は出回らない、というわけである。
「地図上の位置は、ここ、【エルランド】から北へおよそ30キロ。
周囲を氷原に囲まれているから、接近すれば視認もできるけど、
なにしろこの地は万年雪。徒歩での到達は極めて難しいと考えてください」
「………空の上から見下ろせば一発だが、
お前たちにそんな高等な技術も知恵も、持ち合わせていないだろうからな。
不可能と諦めろ」
「だ・か・らッ! アンタはどーしてそうやっていっつもいっつも…ッ!」
「―――伝承はどうだい、ヴィクターさん」
またしてもじゃれ合い始めたアンジェラとブライアンには
最早付き合っていられないと無視して話を進めるホークアイ。
二人の言い合いに参加できないのが寂しいのか、
ヴィクターは少しだけ眦を下げて、テーブルに広げられた地図上へ赤丸で印された、
【極光霧繭】の所在地をペンで突きながら、
輝石の眠るとされる氷雪の遺窟にまつわる伝承を語り始めた。
「長々と伝承を語るのは効率的とは言えないから要旨のみを紹介すると、
かつて伝説の英雄が封印したとされる輝石は現存する筈です。
その輝石は、貴方がたが賢者ドン・ペリから入手した情報…
遍く魔力を超越した神秘という一文も、
この地に語り継がれる伝承の一つに確かに存在します」
「ウソッ!? あたし、知らなかったわよ、そんなのッ!?」
「…『その輝石、持ち主を選び、選ばれし者、
遍く魔力を超越する神秘を開眼し、星を喰らう逢魔を根絶せしめる』…。
【カリバーン叙事詩】の一節だろうが。
【アルテナ】の出身者なら、その辺りのガキでも知っているぞ?」
「バカにし腐ったようなアンタの言い回しが、
あたしの神経をこれでもかってくらい逆撫ですんのよねぇ…ッ!!」
「―――つまりッ!」
何か火種がある度に、いちいちご丁寧に燃え上がる口論を
無理やり断ち切ったホークアイは、
知的会話を外野で眺めていた仲間たちへ向き直り、
力強いサムズアップとウィンクでこのミーティングの成果を示した。
「俺たちの進む道はこれで定まったってワケだっ!」
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