「―――焦熱の地獄へ果てる事なく、よくここまで辿り着いたものだな。
そのしぶとさだけは褒めてやるぞ、虫けらよ」
イーグルとの激闘を潜り抜け、
【インフェルノ】最奥部へ辿り着いたリースたちを待ち受けていたのは、
【オアシス・オブ・ディーン】船上に姿を見せた美獣と、
【極光霧繭】での戦い以来息を潜めていた邪眼の伯爵の二人だった。
毒蛇のように絡まり合う二人の【魔族】の背後の岩壁には、
彼らの胸元へ意匠化された物と同じ【トリコロール】の軍旗が貼り付けられていた。
「追い詰めましたよっ! さあ、イーグルさんにかけた呪いの香気を解いてもらいましょうかッ!」
「しゃるのまほうでもとけませんでちたからね!
どうやらあんたしゃんじきじきにといてもらうしかないみたいじゃないでちか。
…さもなくば、あんたしゃんをずっころして、きょうせいてきにていしさせるでちが?」
「殺す? 私を? それでこの者が助かると思っておるのか…げに面白い…!」
我が身を盾として二人の【魔族】の前に立ちはだかったイーグルを救う手立てを
迫る一行に返されたのはけたたましいまでの美獣の哄笑のみ。
…突きつけられるのは過酷な現実のみ。
「薫る者の精神を蝕む私の【ヘルフレグランス】は、
既にこの男の脳にまで根を張り伸ばしておるわ。
最早私とてこの男を縛鎖から解き放つ事も出来ぬよ」
「なん…だと………」
「永遠に貴様への憎悪を燃やして戦うのみの人形となったわけだ。
呪縛から安寧に解放してやるには、そうさな、貴様らの言葉を借りるならば、
ズッ殺してやるしか手段は無い」
「ウソだろ? てめえ、そうやってまた俺たちを弄んで―――」
「偽りは真実を隠蔽する折に使う言霊よ。
…真実が貴様らを引き裂くというのに、わざわざその享楽を隠蔽する必要もあるまい?」
「………………………」
美獣を倒せば元に戻せると思い込んでいたホークアイは、
突きつけられた現実の過酷さに激しく心を揺さぶられ、折れそうになり、
けれど最後には―――
「………みんな、手を出さないでくれ」
「ホ、ホークッ!? あんた、いったい何を………」
「イーグルとサシで戦る。
どうしても戦わなければならないなら………殺さなければならないなら、
それは俺の役目だ………」
「そうはいかんで、ホーク。
お前さんひとりに辛さを押し付けるわけにはいかんッ!」
「………辛いとかそういうんじゃないんだよ、カール。
あいつは感情まで全部乗っ取られて、俺を仇としか見てないだろうけど、
俺は今でもあいつの親友だ。親友のつもりでいる」
「ホーク………」
「だから戦うッ!! あいつの【死】を背負ってやれるのは俺だけだッ!!
あいつを苦しみから解き放ち、俺がその苦しみを引き継いでやるッ!!
親友(とも)を宿敵(とも)と狙う苦しみ、哀しみ、痛み、
全部、俺が受け止めるッ!!」
―――最後には強い意志を秘めて、目の前の現実に向き合った。
「大層な咆哮だな、宿敵(とも)よ………。
お前のその決意、一体どの泉より湧き上がる冽水なのか?」
「………覚えてるか、【ウェンデル】での戦い。
お前に殺されそうになった時、助けてくれた連中の無謀さを」
「………………………」
「自分たちを狙った相手をだぜ?
お涙頂戴な事情聞きつけただけで助けに駆けつけるような連中さ。
俺みたいな甘ったれのために命を張ってくれた連中がいるんだ」
「………ホーク………」
「そいつらはさ、辛い現実があればすぐにビビッて、
ラクな方向へ逃げちまうヘタレな俺を叱り飛ばしてくれる最高の仲間なんだ。
…みんながいてくれるから、俺は現実から逃げずに済んでる」
「………………それが、貴様の冽水が正体か?」
「みんながいてくれる限り、俺は現実から逃げないッ!
みんなが俺にくれた勇気に恥じない生き方を往くッ!!
それがヘタレを鍛え上げてくれる鉄槌なんだよッ!!」
甘い誘惑に乗って人の道を外れた時、大切な人の【死】を前に恐れをなした時、
いつも仲間がいてくれた。励まし、叱って、現実と向き合うだけの勇気をくれた。
「その鉄槌を、俺に、親友(とも)に振り下ろせるか…?」
「仲間だからな、お前も、俺にとってかけがえのない………ッ」
「………………………」
「仲間が苦しみに身を焼かれている時、誰が助けてやれる?
仲間を助けてやれるのは同じ【仲間】だけだッ!!」
「………………………」
力強く叫ぶホークアイの瞳には涙がいっぱいに溜まっていた。
現実に向き合い、戦う辛さが頬を伝って零れ落ちていた。
それでも、どんなに心が痛くても、仲間がくれた勇気で【仲間】を救うために、
ホークアイは逃げなかった。
「………お前が俺の【死】を受け止めるというのなら、
俺はお前の冽水を、揺るぎ無き【勇気】を正面から受け止めよう、
―――親友(とも)よッ!!」
「受け止めてみろッ!! 受け止めて、眠れッ!! せめて最期には安寧にッ!!
―――親友(とも)よッ!!」
旋光の輪舞を繰り出す【夢影哭赦】が、無数のクナイが、
ついに最後の決着を刻む―――かに見えたその時、
「………………え?」
悠然と高笑いしていた美獣の横腹から大量の鮮血が噴き出した。
ホークアイめがけて投擲された筈の【夢影哭赦】が、深々と突き立てられていたのだ。
「…バッ、バカ…なッ…こッ、これはど、どういう………」
噴き出した鮮血は【トリコロール】の軍旗をドス黒く染め上げ、
美獣の艶やかな肢体を死の彩へ塗り替えていった。
「おのれぇぇぇ、サンドベージュッ!!
貴様ッ、貴様ッ、よくも私のイザベラをぉぉぉおおおッ!!」
操られていたイーグルがどうして…と疑問を抱く間も無く、
逆上した伯爵の邪眼から強烈な光線が射出され、イーグルの身体をズタズタに切り刻んでいく。
その最中、サンドベージュのスカーフが弾け飛び、
覆い隠されていたイーグルの素顔がさらけ出された。
口元に微笑みを浮かべた、何者にも操られざるまっさらな素顔を。
†
「………なあ、覚えているか、ホーク?
お前が最後に寝小便垂れた日の事。
あれはいつだったかな………まだ、十にも満たない頃だったかな」
「………んな事、忘れたよ」
いつの間にか大きく逞しく成長していた親友(とも)に背負われて、
イーグルの気分は怖いくらい晴れやかに澄んでいた。
「お前、オヤジに叱られると思って泣き出してたっけな。
子供の頃から情けないヤツだったよな」
「もういいってばさ、俺はヘタレ確定で………」
遠い日の想い出を手繰っては微笑むイーグルは、
【インフェルノ】へ至るより遥か以前に美獣の支配から既に脱却していたのだ。
遠き地へ飛ばされ、【ヘルフレグランス】の香気が弱まった時、彼は自我を取り戻していた。
取り戻して、激しく悔恨した。
無二の親友(とも)の命を後少しで奪う所だったと、
妹のために命を懸けてくれる男を踏みにじってしまったと。
そんな自分に、いくら責め立てても足りない自分に何ができるか?
「ヘタレ………か。
それを言うなら、俺はもっとヘタレだ。
あんな奴らに操られ、我を忘れて、
気付いた時には親友(とも)をこの手にかける寸前だったんだからな………」
「全くだよ。
とっくに我に返ってるクセに、
俺に怒られるんじゃないかってビビッて敵のフリなんかしやがって………。
お前こそホントのヘタレだ、ヘタレ」
「ああ………、どうしようもないゴミタメ野郎だよ、俺は」
やがてイーグルは美獣によって遠き地より呼び戻され、その時、彼は心に決めたのだ。
―――拾ったこの命、親友(とも)のために捨てよう、と。
動機としてはライザと同じ思いだが、彼の秘めた心は、
味方を装い美獣を欺き、油断を誘って相討ちを試みる―――という悲愴な物だった。
その現実をホークアイが知ったのは、息も絶え絶えな美獣を抱えて邪眼の伯爵が姿を消した後、
灼熱の渓谷での戦いが終息した後の事だった。
「………だから、もういいんだぞ、ホーク。こんなゴミタメを背負わなくて。
お前にはこんなところで足踏みしてる暇は無いんじゃないか?」
「ああ、そうさ。
仲間が…リースが探してる弟の居場所、結局わかんなかったからな。
一刻も早くあいつらの後を追わなけりゃならないッ!」
「………俺に解ればよかったんだがな………」
「どーしてお前はツメ甘いんだよ。
それとなく探るとか、色々やり方あったでしょうが」
「………本当に………ゴミタメだな………」
薄く笑うイーグルを背負って出口を、
還るべき場所【オアシス・オブ・ディーン】を目指すホークアイの傍らでは、
無念そうに表情を沈めてリースたちが随行している
特にシャルロットの沈み方は尋常ではない。
彼女の魔力をもってしても、リースの助力をもってしても、
ズタズタに引き裂かれたイーグルを回復させる事はできなかった。
【死】を前にして、シャルロットは手も足も出せなかったのだ。
消えかけようとしている命を前に何もできず、シャルロットは悔しさに唇を噛んだ。
「そんなゴミタメでもなぁ、俺の大事な仲間なんだッ!
だから…俺は諦めないッ!!」
「………仲間…か……こんな俺を……まだ…仲間と…呼んでくれるのか……」
「俺が仲間から貰った勇気の一つに、
『最後まで諦めない』ってのがある。
命の炎が消し飛びそうなジェシカを目の当たりにして諦めそうになった時、
無理やり押し付けられた勇気だよ」
「………………それはさぞ腹が立ったろ。
お前、人から何かを押し付けられるのがいっとう嫌いだったものな………」
「ああ、大喧嘩したさ。大喧嘩したけど、それでも最後まで諦めなくて良かったよ。
あそこで本当に挫けてたら、ジェシカも女神様に見捨てられてたかもしれないし、
なにより、俺は今、この戦場に立つ事もできなかった」
「………………諦めない心を持って…いたから…天も見放さなかった…か………。
お前らしい………ロマンチズムな考えだ…な………」
「だから決めたんだッ! 最後まで俺は諦めないッ!!
【オアシス・オブ・ディーン】へ戻れば、みんなの顔…見れば…お前も元気になるよ」
「………そうだ…な…昨夜は…ちゃんと見れなかった…ものな…。
………ジェシカも…オヤジも………みんなとまた…呑みたいな………」
「呑もうぜ………今度は…俺の仲間…も一緒にさ…盛大に…やろうぜ」
「………ホーク………」
「………ん?」
「………………………ありがとう」
その言葉を最後にイーグルから力が抜けていくのを背中越しに感じたホークアイは、
涙と鼻水で顔がグチャグチャになるのも気にせず、
シャルロットやケヴィンが泣き出すのも視界に入れず、
もう何も言わない親友(とも)へ、いつもの明るい口調で投げかけた。
「ガラにも無いコト言ってんじゃないよ、お前は。
…そうだ、ジェシカがさ、メシ作って待っててくれてんだよ。
俺もそうだけど、お前も久しぶりに食うだろ、あいつのメシさ。
衝撃的にマズいスープとか、コゲしか無いチャーハンとか、それこそフルコースだよ。
お前に半分任せるからな、全部俺になんか預けんなよ。腹壊して死ぬぞ、俺」
「―――――――――」
「…てめ…コノヤロ………無視したって居眠りしてたって、
口ん中へ詰め込んでやっからな………覚悟………しとけよなぁ………」
「―――――――――」
「…聴いてんのか………イーグル………………ッ!」
何も答えず、ただ安らかに微笑みを称えながら眠る親友(とも)を
ホークアイが声を嗄らして、何度も何度も叱咤した。
「ざけんなよ………自分一人でカッコつけやがってさ………。
諦めない…俺は最後まで諦めない………ッ!!」
その時、一陣の風に乗って二つの足音が近付いてきて―――――――――
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