「はぁっ…はぁっ………っ!」
荒い息を絶え間なく吐き出す顔には滝のような汗が流れ、
まだ幼さ残る双眸には涙さえ滲んでいた。
彼の名誉のために付け加えておくなら、涙の素は怯えや悲しみではなく、
戦意の昂ぶりが魂の汗となって噴き出した類のものである。
そして、昂ぶる戦意の顕れは、両手で握る刀剣からも立ち昇っていた。
「どうした? それで終いか?」
「まだまだぁーっ!!」
美しいブロンド髪と端整な顔立ちを振り乱す少年の眼前には、
とても大きな壁が聳え立っている。
両手に構えた、極東伝来の【カタナ】という片刃の刀剣で果たして切り崩せるか、それはわからない。
いや、今の彼の実力では一撃を与える事すら難しい。
それでも少年は諦めなかった。拙い技術でカタナを振るい、相手が重い一撃を加えてくれば、
“鎬”と呼ばれる、刃とは反対側の部分で防ぎ、反撃に打って出た。
何度押し返されても、何度叩き伏せられても、その都度立ち上がって挑みかかる。
斬りかかっては押し倒されを繰り返す内、少年の身体中に生傷が増えていき、
気がつく頃には青アザだらけになっていた。
「もう一本っ!」
「その意気や良し―――と言ってやりてぇとこだがよ、
このままやっても怪我するだけだ。
………身体にかけられる無理の限界を把握すんのも修練の一つだぜ」
「よくわかんないけど…、わかったっ!
では、もう一本っ!」
「………全然わかってねぇじゃねえか」
「わかってるって! 師匠が何言いたいのかも、
次に兄貴が『今日の稽古は終わりだ』って言う事も」
「………それでも、『もう一本』なのか?」
「今日教わった事を復習しときたいんだってば!」
「よし、それじゃ今日のおさらいだ。『無理して身体壊すな』。
一人前になりたきゃ休む時ぁ休め」
「ちぇっ、付き合い悪いんだもんなぁ〜。
そんなんじゃ、姉さまに愛想つかされるよ、兄貴」
「ナマ言ってんじゃねぇよ、マセガキ」
まだまだ戦い足りないと言うようにカタナを収めない少年の髪を
【大きな山】がグシャグシャっと撫でつけた。
大きな掌が、今日の稽古はこれで完全に終わりだ、と言っていた。
不満は残るが、ここで駄々をこねて考えを改める【大きな山】ではないと、
自身の経験や姉からの伝聞で知っていたので、渋々少年もカタナを鞘に納めた。
30cm程度の短い一振りだ。カタナの中では“脇差”と分類されている。
だいぶ使い込まれているようで、あちこちに汗による染みや汚れが目に付いた。
「それにしてもよくやるよ、エリオットも。
俺とデュランは二人交互にローテーション組んでるってのに、お前は一人きり。
だってのに、一度も参った言わないんだもん」
「ケヴィン見てりゃわかるじゃねぇか。
ガキのエネルギーは無尽蔵だぜ」
「無尽蔵って言うか、ブルーザーのおっさんとは気合いの入れ方が違うからね」
「………可愛げはケヴィンの半分も無ぇけどな」
「っていうかッ!! 俺とデュランは同い年なんだぞッ!?
なのになんでおっさんッ!?
フケ面度数で言ったら、デュランのが確実にフケてんだろッ!?」
「兄貴の場合は達観してるんだよ。
あんたはボケが進んでるおっさん。つーかジジィだな」
「ジジィってッ!! いくらなんでも、そりゃ飛躍させ過ぎだろッ!?」
「うっそ!? 自分で気付かないの? あんた、自分の顔、鏡で見たことあんの?」
「く………このガキ………ッ!」
「おい、エリオット、その辺りでやめとけよ。
じゃねぇとブルーザーが投身自殺に走るぜ」
「いいじゃん、別に。
年下にボロカス言われて満足に反撃もできないボケ野郎なんかさ。
これからはボクが兄貴の背中を守るって!」
「それにはまだお前はガキ過ぎるぜ。
ブルーザーがジジィなら、お前は赤ン坊だ」
「おーい! お前も幼馴染みだったら、ちょっとは俺のフォローしてくれェ!!」
【大きな山】ことデュランと少年、エリオットの荒々しい立ち回りは、全て稽古。
模擬戦を中心にデュランが組んだ、エリオットのトレーニングメニューだ。
1時間ごと15分の休憩を除き、朝から晩まで模擬戦を続ける地獄の特訓メニューだが、
エリオットは一度も弱音を吐かず、ロクに手加減もしないデュランへ必死に喰らいついていった。
今日は有給休暇のブルーザーも加わって、特訓の厳しさは3割増し。
にも関わらず、エリオットは一度も降参しなかった。
大した根性とデュランが評価するのも頷けるタフネスだ。
………目上に対する態度は非常によろしくないが。
「…ま、そう急がなくてもお前はきっといい剣士になれるよ。
いい筋してるからな」
「ホントにッ!? いや〜、兄貴にそう言ってもらえると嬉しいな〜!」
「生意気なのはいけ好かないけどな。素質は認めてやるよ」
「兄貴とおんなじ言葉なのにアンタに言われると
なんでか貶されてるようにしか聞こえないから不思議だよな」
「お前さぁ、俺になんか恨みでもあんのかよッ!?」
そもそも剣の稽古はエリオットから頼み込んで始まったものである。
【三界同盟】との決戦から3ヵ月。
アークウィンド姉弟は揃って一時的に【フォルセナ】のパラッシュ家へ身を寄せているのだが、
きっかけは本当に些細なコト。
パラッシュ家の末っ子、ウェンディがエリオットを見て一言「うわ、ひ弱なボウヤ!」。
これがエリオットの逆鱗に触れたらしく、その日の夜から特訓が開始されたわけだ。
それほど年齢の変わらないウェンディにコケにされたのが、よほど悔しかったようだ。
「やっぱりまだお稽古してたぁ〜!」
「―――うえッ!! 何しに来たんだよ、あのゴリラ女」
稽古場として利用している自然公園の入り口から、
傾きかけの夕陽に照らされて一つの影が伸びた。
それが誰かと確認するよりも早く声の主に思い当たったエリオットは、
あからさまに顔を顰めて呻いて見せた。
「ちょっと聞こえてるよ!
こんな可愛い女の子捕まえて、ゴリラは無いんじゃないかなーっ?」
「それじゃ訂正するよ。
グチグチうるさいナメクジ女だ―――って、痛ぇっ!?
いきなりつねんなよッ!! 卑怯だぞッ!?」
「カラッとお天気娘って、近所じゃ評判なんだよ、私っ!
それをナメクジさん呼ばわりなんてサイテーだよっ!! もうお夕飯抜きっ!!
エリオット君になんか、絶対にあげないんだから!」
「ウェンディなんかに誰も頼まないよーだっ!!」
「だからそれもおかしいって何度も言ってるでしょ!?
年上の私を呼び捨てにするなんてさぁっ!」
「はんっ! そいつぁスミマセンでしたねェ、ウェンディサン」
「すっごい棒読み! 悪気丸出しじゃないっ!」
「あーっ、もう! ホントにナメクジ女だなっ!
大体何しに来たんだよっ!?」
「何しに来たって、いつものに決まってるでしょっ!」
「“いつもの”なんかいらないっての!!
怪我の手当てくらい自分で出来―――あつつっ!?」
「ちょっと傷口触ったぐらいで悲鳴を上げてる人に
手当てなんかできないでしょっ。
いいからホラ、早く怪我見せてっ!!」
「だからいいって言ってんだろぉ………」
いくら強く突っぱねても、結局押し切られる形で天敵に怪我の手当てをされている。
稽古終わりの日課だが、なんだかウェンディにやり込められているようで、
「なんでこんなヤツに…」とエリオットには気に入らなくて仕方無かった。
兄貴と尊敬するデュランの妹でなければ、今頃とっくに突き飛ばしていた事だろう。
「あ、あのさ、ウェンディちゃん、
俺も稽古やってて半死半生の重傷を………」
「やめとけ。ガキ相手に情けねぇ」
「だってよぉ、ンな事言ったってよぉ、
あのドリーム状況、羨まし過ぎんだろぉ………。
俺もウェンディちゃんに癒して欲しいんだよぉ。
それをあのガキがッ、あのガキが横からぁ〜っ!」
「いい機会じゃねぇか、ロリコン卒業しろよ、そろそろ」
「ロリコンじゃないッ、プラトニック・ラヴだッ!!」
「うるせぇよ、変態」
ブスッと仏頂面ながらもおとなしく手当てを受けるエリオットと
文句を言いながらも甲斐甲斐しく手当てするウェンディは、
傍から見ていると、仲の良さげな愛らしいカップルといったムードだ。
片手では数え切れない年齢差のウェンディに想いを寄せるブルーザーにとって
このシチュエーションはいかんとも許しがたく、
汗を拭うタオルを噛んで妬ましげな眼光を生意気な少年へ浴びせ続けていた。
「あ、よかった、まだここにいてくれましたか、デュランっ」
幼馴染みの情けない恰好に呆れ果てていたデュランへ、
鈴を転がしたような明るい声が掛けられた。
声のした方向、公園の入り口を見れば、
そこには若草色のエプロンをかけたリースの姿。
うっかり持ってきてしまったのだろう。
手には得意の槍………ではなく、真鍮製のオタマが握られていた。
「おう、どうした? メシの時間にゃまだ早ぇんじゃねぇか?」
「はい、お夕飯は、今、最後の煮込み中ですっ。
きっと帰る頃には美味しくコトコトと―――って、
ああっ、すみませんっ、これが言いたかったわけでなくて!」
「はいはい、とりあえず深呼吸、落ち着こうな。
“これ”じゃねぇって事は別に何か言いてぇ事があるんだな?」
「はい、そうなんですっ。実は先ほどデュランと私宛に手紙が着きまして。
なにか招待状のようなのですけど………」
「それを伝えにわざわざ?」
「は、はい。いけなかったでしょうか………?」
「悪かねぇけどさ、ンなもん、伝えに来なくたって別にいいじゃねぇか。
帰る家は同じなんだからよ」
「す、すみません………」
「………あのな、リース、
稽古の様子を見にきたいってんなら、最初からそう言えよ。
まだるっこしいこじつけなんかいらねぇから」
「でも、あの、その、
せっかくエリオットがやる気になっている時に
姉の私が水を差してしまったら、台無しになってしまうようで………」
「そうだな………、だったら俺を見に来た事にすりゃいい。
俺だけに集中してればエリオットも変なプレッシャーも感じねぇだろうし、
俺を見つめてりゃ、イヤでもエリオットが視界に入るだろ」
「あ、あの、何気に恥ずかしい事、言ってます、デュラン………」
「はぁ? どこが恥ずかしいって?
俺はただ、エリオットじゃなくて俺を見つめてろって―――」
稽古の様子が気になって仕方が無いリースは、
こうしてちょくちょく様子を見にやって来るのだが、エリオットも微妙なお年頃。
姉の目があっては稽古に集中できず、少し前からリース見学禁止令が出されていた。
最初の内は我慢できていたリースも、段々と居ても立ってもいられなくなり、
やれお豆腐を買いにチャルメラを追っていた途中だの、
やれおばさんと24時間耐久鬼ごっこでバトルしているだのと
何かと理由をつけては自然公園へ足を踏み入れていた。
今日も今日とて配達された手紙をダシに稽古の様子見にやって来たのだが、
思いも寄らぬデュランからの不意打ちを受けたリースは、
当初の目的も忘れ、真っ赤になって俯いてしまった。
無論、思いがけず歯の浮くような科白を漏らしたデュランも同様の反応だ。
初々しいと言えばあまりに歯痒い。
「………なんつーか、俺って、THE・負け犬?」
その夜、ブルーザーが独りでかっくらったエール酒は、
どうしてかしょっぱい涙の味がしたと言う(合掌)。
†
改めて説明するが、【三界同盟】との決戦から3ヵ月が経過し、
【草薙カッツバルゲルズ】は次の行動の指針が立つまでの間、
一時解散という運びになった。
デュラン同様、メンバーそれぞれ帰るべき場所へと戻っていった。
リースとエリオットもそのつもりでいたのだが、土壇場になって一つの問題が生じた。
ライザが忽然と行方を眩ましたのだ。
「やり残した仕事がある。まだ一緒には帰れない」
その旨を記す手紙が定期的に郵送されてくるので、どうやら息災ではいるようだが、
どこで何をしているのかまでは文面から推理する事はできなかった。
これでは捜索のしようも無い。
【草薙カッツバルゲルズ】の面々も何か情報を掴み次第、
すぐに連絡すると約束してくれたものの、未だに有力な手がかりは掴めていない。
かつて暮らしていた山間のロッジに戻る時は、
ライザを含めた家族全員で、と決めていたリースは自分一人でも探しにいくと言い出し、
頑なな態度を見かねたデュランが、
「ヘタに動いてすれ違ったら、それこそバカみてぇだろ。
だったらジッと待ちに徹してろ。
………そうだな、アテが無ぇなら俺んトコ、来りゃいい。
ボロ家でうるせぇのが二匹いるが、姉弟二人、
雨風凌ぐくらいのスペースは保証してやるよ」
―――と持ちかけ、現在に至るわけである。
アンジェラやプリムも、自分の屋敷でリースを預かると立候補していたが、
デュランの一声を受けて即座に取り下げた。
取り下げる際に二人が浮かべたイヤらしい笑顔の意味を、
その時のデュランはまるで理解していなかった。
まして、彼の提案に頷きながら、真っ赤になって俯いてしまったリースの心情など
目にも入っていない。
「………マサルさん、最後まで見つかりませんでしたね」
「見つかったら見つかったで困りもんなんだけどな。
………トラブルメイカーとは思ってたが、
まさかここまでのバカやらかすとはな」
【草薙カッツバルゲルズ】散開の日、
デュランとランディが最後の最後まで心配していたのは、
こういう時、誰よりも盛り上げる筈の人間がこの場にいない事。
隊旗でこしらえた三分割のバンダナの一つを巻く、豪放磊落な男。
マサルは最後まで姿を見せなかった。
邪眼の伯爵にシンパシーを感じたマサルが【黄金騎士団第7遊撃小隊】を殴り倒し、
【キマイラホール】から失踪した一件は、社会への反逆として大変な問題になっている。
敵将に絆されたばかりか、連れ立っての逃亡となればフォローのしようもない。
国際指名手配をかけ、即座に抹殺すべしとの意見が飛び出すまでに
マサルを取り巻く情況は悪化していた。
【草薙カッツバルゲルズ】が一時解散の道を選んだ最大の原因もここにある。
なぜ、マサルが強行に伯爵と逃亡したのかは、
ランディとホークアイの頭脳をもっても判然としないが、
推察と捜索を進める中、【草薙カッツバルゲルズ】にも疑いの目が向けられた。
大仰に捜査などしているが、彼らも共犯ではないか。
発見されないように逃亡を手引きしているのではないか、と。
「このまま集団でゾロゾロやっててもラチ開かないぜ。
だったら一度解散して、各々探りを入れるってのはどうだい?」
解散を提案したのはホークアイだった。
疑いの目を分散させ、自由にマサル捜索に動くには、最早解散しか残されていなかった。
【草薙カッツバルゲルズ】に思い入れの深いランディはギリギリまで反対したが、
結局はデュランに諭され、苦渋の一時解散に踏み切った。
「今は離れてしまうけど、すぐに再会できますよね。
その時はマサルさんも一緒に、きっと一緒にいてくれますよね」
そう約束を交わしてから3ヵ月。
「みんな一緒に」との誓いは果たされていないけれど、
全ての顔が集うわけではないけれど、今日、ひとまずの再会が果たされる。
舞台は魔法大国【アルテナ】。その王城とも言うべき堂塔【ケーリュイケオン】。
パスポートは、各人宛に郵送された招待状。
―――再会の宴が別離の始まりになるとは知らず、集う者皆、
躍る気持ちに心を弾ませながら馬車に揺られていた。
最後の物語は、煌びやかなシャンデリアの下で開幕の刻限を迎えた。
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