「うっわ、お前、寒気が走るくらい似合ってねぇな〜」
「アンタねぇ、自分の恰好鏡で見てから人の事バカにしなさいよっ!」


顔を付き合わせるなりお互いの格好を似合っていないと
口に唾するデュランとアンジェラに、リースは苦笑するしかなかった。
事実、二人とも恐ろしいほど現在の衣装は似合っていないからだ。
まずは、アンジェラの衣装。
一目で一品ものとわかる豪勢なドレスに包んでいるが、
普段のアバンギャルドな姿に見慣れているため、裾の広がった貴婦人調のドレスアップは
壮絶なギャップを生み出し、再会した仲間たちを閉口させた。

続いてデュラン。
今日袖を通しているのは、ブレストプレートではなく、かっちりとしたタキシードだ。
伸ばしっぱなしの長い髪もオールバックに整え、貴族風を装ってはいるのだが、
いかんせん、目付きや雰囲気の荒っぽさは、いくら着飾っても隠しようがない。
滑稽なチグハグさに周囲の好奇が集中し、その度にデュランの眼光は荒く、鋭くなっていく。


「馬子にも衣装とは言いますが、
 デュランの場合は荒馬に無理やりお化粧を施して見事に失敗した感じです」
「………だからよ、どんどん俺に対するツッコミが痛くなってきてねぇ?」


バッサリ辛口に切り捨てるリースは淡いクリーム色のドレスに身を包んでおり、
清楚な装いが実にマッチしている。まるで白百合の花弁を思わせる佇まいだ。
無理にめかしこんでいるアンジェラと異なり、立ち居振る舞いに自然な品性が感じられた。


「―――ま、似合ってねぇのはアッチもおんなじだけどな」


デュランが指差した方向には、燕尾服に着られた(という形容が最も最適)ランディと
麗人を髣髴とさせるフォーマルなスーツ姿が決まっているプリム。
なにやらビロードを施したチュニックで華麗さを演出する貴族の男性と話し込んでいる。
…話し込んでいると言っても、熱心にやり取りしているのはプリムだけで、
ランディも一生懸命に入り込もうと努力はしているが、
いかんせん戦を離れた途端、口下手に戻ってしまうのでどうも難航しているようだ。
事前の連絡ではポポイは欠席と聴いていたが、やはりどこにも姿が見えない。
畏まった席は性に合わないという理由でケヴィンとカールも欠席しており、
公の場に出るのは色々な理由から憚られるホークアイもこの場にはいない。
それに倣えば良かったと、デュランは会場に到着してから心底悔やんだ。


「せっかくの祝賀会だと言うのに、
 主役が浮かない顔をしては空気が淀んでしまいますよ?」
「あ………?」


丁寧な物言いでデュランに話しかけたのは、アンジェラと談笑するリースではない。
前衛的なデザインの礼服を身に纏う貴族の青年だ。
朗らかな笑顔を称える外見は大層な優男だが、腰にサーベルを帯剣しているところと、
なにより引き締まった身体つきから察するに貴族ではなく騎士なのかもしれない。


「初対面のヤツとヘラヘラお喋りできるほど俺は人間できてねぇぞ?」
「おや…? 理由は存知兼ねますが、随分とご立腹のようですね」
「生まれて初めてタキシードなんてモンを着ちまってるんでね。
 こういう堅っ苦しい席が大好きなアンタらとは育ちが違うのさ。
 えぇ、【ローザリア】の騎士サマよぉ」
「まだ名乗ってもいないのに、よくお解かりになりましたね」
「アンタの胸元に付いてるそれは紛いモンなのかよ」
「ああ、これは見落としでした」


剣呑な眼差しで値踏みしていたデュランは、相手の胸元に見覚えのある紋章を認め、
それが西の大国【ローザリア】の物だとすぐに閃いた。
【アルテナ】に比肩する国力を誇り、【フォルセナ】以上の騎士団を持つ列強国の一つだ。
世界のモラルリーダーとして強大な発言力を有する【アルテナ】と
唯一対等の立場で立ち向かえる大国として、反【アルテナ】派の小国から高い支持を受けている。
その大国の騎士団から派遣されて来たのだろうか。
もしも推論が正解ならば、目の前の男はかなり高い位に座する騎士という事になる。


「では改めて自己紹介させていただきます。
 【ローザリア王国】特別独立外部騎士隊【インペリアルクロス】隊長、
 アルベルト・I・スクラマサクスと申します」
「【インペリアルクロス】?
 おい、あんた、あの【インペリアルクロス】隊の隊長なのかよ?」
「そんな目を丸くして驚かなくても………」
「驚くも何も、世界最強の騎士団じゃねぇか」


特別独立外部騎士隊【インペリアルクロス】とは、【ローザリア】王室直轄の実戦部隊で、
これまで数々の国難を斬り抜けてきた最強の騎士団だ。
驚くべき事に構成員は10人にも満たない、少数精鋭の部隊である。
少数の利である小回りを生かした機動力と徹底した陣形戦術は
最強の名を冠するに相応しい。
最強部隊の隊長と言う響きから、隊長のモンタージュをステレオタイプの鬼軍曹で
イメージしていたデュランだが、実際に会ってみればそれは大きな誤解であったと解った。
ユニセックスな顔立ちのアルベルトといかつい鬼軍曹のイメージは全く結びつかない。


「何を仰います。世界最強と言えば、
 【草薙カッツバルゲルズ】を置いて他にはありません。
 そしてそれを束ねるパラッシュさんは今や騎士たちの間で尊敬の的なのですよ?」
「公の場に出張ってる騎士サマは、リップサービスもお上手だな。
 名乗ってもいねぇ名前までリサーチ済みかい。サービス精神旺盛じゃねぇか」
「これは失敬。社交辞令のつもりはなかったのですが、
 お気に触ってしまったようですね」
「煽てられて気分が悪くなる人間もいるってこったな」
「今後の肥しとして、肝に銘じておきますよ。
 …ただ、一つだけ上申させていただくのなら、
 私の言葉に偽りは一切ございませんよ」
「あぁ………?」
「たった12人で【三界同盟】と戦い抜き、
 ついには打ち滅ぼした【草薙カッツバルゲルズ】、
 掛け値なしに最強の戦闘組織であると、誰もが畏敬を払っているのは確かです」
「12人じゃねぇ。隠密で動いてくれてたのを含めて14人だ。
 それに【三界同盟】を潰せたのは【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】や
 【黄金騎士団第7遊撃小隊】の協力あっての賜物だぜ」
「その糸を手繰ったのは、他ならぬ貴方だ、パラッシュさん」
「………………………」
「血筋と言いましょうか、
 【英雄】の血脈はご子息にも受け継がれておられるのですね」
「―――――――――ッ!!」


今のアルベルトの言葉に皮肉や悪意は無い。
純粋な敬意から出た言葉なのだが、デュランとって神経を逆撫でする最悪のタブーだ。
父と、あの決戦の日から3ヶ月間一度も姿を見せないロキと比較される事は
デュランには耐え難く、場も弁えずに鬼のような形相で
アルベルトの胸倉へ掴み掛かろうとしたその時―――――――――


「てめ………ッ」
「おーいーっ、アールーっ!!」
「わ、ちょ、ちょっと、アイシャっ!」


――――――――背後からデュランを突き飛ばし、
赤い髪の少女が元気いっぱいにアルベルトへ抱きついた。
あまりに勢いよく跳ね飛ばされたデュランは踏みとどまる事も出来ず、
とうとう各種オードブルが乗せられた円形テーブルへ正面から突っ込んでしまった。
ガシャーン、と壮絶に大量の皿が割れていく音にも、
デミグラスソースまみれになったデュランにも気付かず、
赤毛の少女、アイシャはアルベルトの胸の中で喉を鳴らして甘えている。


「これ、このお肉っ! シシ・カバブーって料理らしいんだけど、
 すっごく美味しいんだよっ♪ ね、食べて食べて♪」
「い、いや、あのね、アイシャ、今、私は大事な話を………」
「はい、あ〜ん♪」
「―――あーん………、…ん…、うん………、美味しいね」
「でしょでしょ♪ あそこ、あのテーブルにまだたくさんあるから―――って、
 ………あれ? なんでフッ飛んじゃってるの?」
「え? えええっ? あぁっ、パラッシュさんっ!?」
「………ウソでも気付けよ、てめぇらよぉ………」


光速でイチャつき始めたアルベルトとアイシャに見事無視されたデュランは、
あまりのバカらしさに怒りのやり場をも失い、呆れと憤りに愕然と肩を落とした。
ようやくデュランの事を思い出したアルベルトが手を差し伸べたが、
張本人のアイシャを背中にくっ付けたままでは謝罪に説得力がまるで無い。


「―――無様だな。いや、貴様には似合いの装いか」
「こら、ブライアンっ! デュランさんに失礼だろっ!」


アルベルトから受け取ったタオルでソースを拭き取っていたデュランに
シニカルなトーンの皮肉が投げかけられる。
薄汚れている方がお似合いだと自分でも理解しているものの、
やはり他人に詰られると頭に来る。
咄嗟に手元にあった皿の破片を投げつけてやろうと相手を確かめると、
デュランはそこに見つけた信じられない顔に絶句し、閉口した。


「てめぇ…、ブライアン………」
「貴様に呼び捨てにされる筋合いは無いのだがな。
 ………まあいい。その大道芸に免じて一度だけ許してやろう」
「おいっ、ヴィクターっ! ………すみません、デュランさん」
「い、いや、こいつの口の悪さは慣れっこだからいいんだけどよ、
 お前、自分の立場がわかってんのか? 第一級のお尋ね者じゃねぇのか!?」
「貴様のような札付きと同類に考えるな、腹の立つ」
「だって、お前、つい3ヵ月前まで【三界同盟】に………」
「ブライアン! そうか、貴方ですか!
 【三界同盟】へスパイとして潜入した勇敢なブライアン・ドゥルーズさんとは!」


横から割って入ったアルベルトの言葉で全ての説明がついた。
どう情報工作したのかまでは解らないが、どうやらブライアンは無罪放免。
それどころか【三界同盟】を潰滅させた英雄の一人として知られているようだ。
なおもアイシャを背中にくっ付けたまま、
興奮してブライアンを質問責めにするアルベルトに気付かれないように
デュランはそっとヴィクターに耳打ちした。


「………どこまでが吹聴でどこからが本当だ?」
「どこまでも吹聴で、どこまでも本当…という答えで納得いただけます?」
「今更はぐらかすんじゃねぇよ」
「はぐらかしているわけじゃありません。
 ………もう少し説得力を持たせるならば、
 【アルテナ】も一枚岩では無い、というわけです」
「………狡賢ぇな」


ヴィクターの言葉通りに受け取るならば、
【アルテナ】は事前に【三界同盟】の存在を察知し、ブライアンを送り込んだ事になる。
それでいて世間に【三界同盟】などという危険分子の存在を公表せずにいたのだから、
政治の世界の闇が知れると言うものだ。


「ヤツらが上手い具合に乗ってくりゃ利用する事も視野に入れてた。
 どうせそんなトコだろ、てめぇら」
「その辺りのデリケートな部分はご想像にお任せしますよ」
「………チッ、これだからマツリゴトってのは胸クソ悪ィんだよ」


送り込まれるがままに諜報活動をしていただけならば、
ブライアンの唱える【革命】の理念も単なる方便という事なのだろうか。
アンジェラから聴いた限りでは、彼が【革命】に傾ける火勢は
とても芝居には思えないのだが………


「わ、デュ、デュラン、どうしたんですか、その恰好っ!?」


―――と、ブライアンの腹の底を推理していたところに
アンジェラと談笑を終えたリースがやって来た。
やって来た…というよりは、ソースまみれになったデュランに驚き、
ハンカチを片手に駆けつけた、と表現する方が正しいかも知れない。


「見ての通りだ。そこのガキにやられた」
「アイシャ、ガキじゃないもんっ!」
「それじゃあれか、今流行りのアダルトチルドレンってヤツか?
 見た目は大人だけど頭ン中はガキそのものだって言う」
「ぶーっ! 失っ礼だね、このお兄さんーっ!
 ね、アルー、ちょっと一発斬り捨てちゃってよー!」
「物騒な事を言うものじゃないよ、アイシャ。
 この一件はキミが全面的に悪いのだからね。
 そもそもキミはまだパラッシュさんに謝ってもいないだろう?」
「そ、それには及びませんっ!
 事情はわかりませんが、どうせウチのデュランが暴れたとか、
 そうした当方の不手際でしょうし………っ」
「え、い、いえ、そんな事では………」
「この度は誠に申し訳ございませんでしたっ!
 ほらっ、デュランも頭を下げてっ!」
「おいッ、バカ、お前、ちょっと止まれッ!!
 なんでやられた側が謝らなけりゃならねぇんだよッ!!
 話してる最中にいきなり突っ込んできたのはこいつなんだぞッ!?」
「―――へ? そ、そうなのですか? 本当に?」
「俺がお前にウソついた事があったか?」
「あ、あう…、ご、ごめんなさい、デュラン………。
 私、また、てっきりあなたが悪ぶって問題起こしたものとばかり………」
「お前が普段俺をどんな目で見てるかよ〜くわかったぜ………」
「ふ〜ん…、可愛い奥さんだね♪」
「なッ!?」
「えぇっ!?」


リースの自分に対する評価に仏頂面を作って抗議するデュランへ向けて
またしてもアイシャがトラブルの銃爪を引いた。


「ば、バカ言ってんじゃねぇ、このガキッ!!
 俺とリースは、まだ、そんなんじゃ、なぁ………ッ!!」
「え、ええっ! 私とデュランは別にまだそのような間柄では………」
「“まだ”って事は、近い内にそうなる予定が立ってるんだ♪
 うりうり〜、やるじゃん、このスケコマシッ!
 見た目アレなのに、こ〜んな可愛いお嫁さん貰うなんてさ〜♪」
「………アイシャ、キミね、スケコマシの意味わかって使ってる?」
「女誑しでしょ」
「………わかっているならなお悪い。
 本当にすみません、パラッシュさん。
 うちの家内が大変なご迷惑をおかけしてしまって………」
「カミさんッ!? こんなガキがッ!? どう見たってまだ学生じゃねぇか!!」
「失礼だなー、いちいち〜!
 私、これでも二十歳は越えてるんだからね〜!」
「ごめんなさい…、デュランと同じで、私も学生さんかと思っていました…」
「ああ、ロリコン野郎がまた出やがったのかってな」
「ははは…、いくら私でも童女趣味はありませんよ。
 それにアイシャは着やせするタイプでして。
 こう見えて、出るところは結構ナイスなんですよ」
「やんもう♪ それは私とアルだけの秘密でしょ♪」
「ああ、すまなかったね、アイシャ。うん、私たちだけの秘密だ♪」


呆気に取られている間にイチャつき始めたスクラマサクス夫妻に
開いた口の塞がらないデュランとリースだが、
そうやって談笑していられるのはここまでだった。
にわかにパーティー会場が騒がしくなり、そのすぐ後に数名の護衛を従えた、
妙齢の女性が上座へと姿を現した。と同時に招かれた賓客一同に緊張が走る。


「―――お、おぉ、ヴァルダ様だ。【理の女王】ヴァルダ様だっ!!」


慈母のような微笑を絶やさず、それでいて威厳に満ちた女性の名が誰ともなく連呼され、
ついには大合唱となって会場全てを包み込んだ。
世界の主導権を握る、事実上の支配者【アルテナ】の王女、ヴァルダ・ユラナス・フォン=アルテナは
響き渡る尊敬の連呼に小さく手を振って答えた。
世界のモラルリーダーを標榜する彼女は【理(ことわり)の王女】とも敬称され、
【社会悪】と戦い続ける英雄の一人として、誰しもの尊敬を集めていた。
魔法が文明を主導する【イシュタリアス】にあって、魔法研究の先駆者である【アルテナ】の発言力は
他の追随を許さぬ強大な背景を備えているが、力だけでは人を束ねる事はできない。
全ては、慈母の精神と【社会悪】を許さぬ高潔な戦士の魂を兼ね備え、
正義に燃える姿勢を決して崩さないからこそ。
そうした人格を評価する民衆の支持に裏打ちされているからこそである。


「【理の王女】…、ヴァルダ………」
「ずっと前に話したろ、【パンドーラの玄日】の事。
 あのクーデターを征圧したのがあいつだ」


【ローラント】征伐に直接関与していないとは言え、
【アルテナ】の代表者であるヴァルダとの対面は、リースにとって複雑な想いがあるようだ。
深い溜息を一つ吐くと、ヴァルダの微笑みから目を逸らして俯いてしまった。
【社会正義】を自負する騎士や【アルテナ】の為政者に対して
良い感情を抱いていないデュランもそれに続く。
顔の見えない絶対権力者は朗々と演説の口火を切ったが、それでも二人は俯いたままでいる。


「今日、ここにお集まりいただきました全ての勇士に、まず心からの感謝を述べたいと思います。
 私たちの【イシュタリアス】をお救いいただき、本当にありがとうございました。
 貴方がたが命懸けで戦ってくださったからこそ、私たちは今日の生を喜ぶ事ができるのです」


心の琴線に触れる優しい労いの言葉に、招待を受けた【黄金騎士団第7遊撃小隊】の一人が
感極まって嗚咽し始めた。
泣き崩れる部下の姿を、ブルーザーは複雑そうに見つめている。






(“私たちの”………か。デュランじゃないが、支配者気取りだな。
 俺たちは別に【アルテナ】のために戦ったわけじゃないのだけどな)






全ては【社会正義】の名のもとに。
自らの信じる志のもとに命を懸けたと言うのに、このような物言いをされては、
まるで【アルテナ】の尖兵として動いた形になってしまうではないか。
両手を広げて熱弁するヴァルダに困惑の思いを抱いた時、
決戦で負った脇腹の傷痕が疼き、思わずブルーザーは呻いた。


「特に【草薙カッツバルゲルズ】の皆様には感謝のしようもありません。
 貴方がたの勇気が多くの心を繋ぎ、ついには大きな悪を討ち取るまでに至ったのです。
 その勇気、その力、なによりの誇りにしてください。
 純潔たるその魂こそ、世界を【社会悪】から護る絶対の盾となるのですから」


【三界同盟】潰滅の祝賀パーティーには、直接戦闘に参加した者だけでなく、
各国の代表者も多数招かれていた。
彼らは繰り糸に繋がれた人形のように、ヴァルダの一挙手一投足に反応し、
よくもここまで全身全霊を込められるものだと呆れてしまうくらいの
惜しみない賛辞と拍手を送り続ける。
【社会】において権勢を維持するためには、
絶対支配者たるヴァルダの足元に縋るより他ないと尻尾を振っている哀れな飼い犬連中だ。






(我が母ながら、大した支配力よね。こんなに大勢の犬を傅かせるなんてさ)






【草薙カッツバルゲルズ】の一員として旅して、多くの事を学ぶ前のアンジェラなら、
いつか自分もこうして権力の頂点に立つのだと呑気に喜んでいられたが、今は違う。
何も知らずにいた頃とは全く違う。
具体的に何を為せば良いのか、その答えにまでは至っていないものの、
こうした支配体制が【社会】に波紋を起こし続けている事を把握した今は、
母の演説はどこか空々しくアンジェラの鼓膜に響いた。


「フン…、まるで手前ェの手柄のように抜かしていやがる」
「こら、ヴィクター。そういうのは思っていても口に出してはいけないよ。
 せめてこの場では、ね」


慈愛に満ちた声質を除けば、傲慢以外に何も残らない【理の王女】の言葉に
鼻を鳴らしたブライアンの気持ちがよく解る。






(………【革命】………か)






―――理解できるからこそ、彼が宣言した【革命】の行方が不安でならない。
あれは【三界同盟】を欺くための方便だったのか、それとも本心か。
今はこうして復帰しているが、【アルテナ】に対して【革命】の叛旗を翻すつもりでいるのか、
叛乱するのであれば、それはいつなのか。
問い質そうにもあと一歩を躊躇させる疑念の出口を、アンジェラが腕組みして考え込んでいると、
ヴァルダは上座から降りて一直線にランディのもとへ向かった。


「なによりの僥倖は我らに【ジェマの騎士】が味方してくれた事ですっ。
 聖剣と女神の化身のもとに【草薙カッツバルゲルズ】が集ったからこそ、
 勝利を切り拓く事が叶ったのですっ」
「そ、そんな僕…、い、いや、私めには身に余るお言葉にございますっ!」
「ランディ・バゼラード。そして、【草薙カッツバルゲルズ】の皆様。
 以降は我が【アルテナ】に仕官し、今後も【社会悪】と戦い続けていただきたいっ!
 世界に平和の福音を打ち鳴らす【未来享受原理】の護りとしてっ!!」






(何言い出しやがったんだ、このアマ………ッ!?)






ランディの手を取り、涙さえ滲ませるヴァルダの宣言に
デュランは俯けていた顔を上げ、困惑の色を見せるリースと顔を見合わせた。
やはり困惑してこちらを窺うプリムやフェアリーとも目線が合う。






(こいつ、俺たちを抱え込むつもりか…! 政治の道具にするつもりかよ…ッ!!)






ヴァルダの狙いは即座に看破できた。
今や三国一の英雄とさえ謳われる【草薙カッツバルゲルズ】を擁立する事で
対外への権勢をより一層固めようという魂胆なのだ。
【ローザリア】を中心とする反【アルテナ】勢力が強まってきているこの時期に
【英雄】という手駒を置く意味は大きい。
ますます【アルテナ】支持の世論も高まるだろうし、そうなれば容易に反対勢力を押さえ込める。
【英雄】を巧みに利用すれば、反【アルテナ】派の勢力図を覆す事も可能になるだろう。


「あ、ありがたき幸せにございますっ!
 我ら【草薙カッツバルゲルズ】一同、
 身命を賭して【社会正義】の礎となりましょうッ!」






(………あのバカ、乗せられやがってッ!!)






ヴァルダの優しい言葉にすっかり心を掴まれたランディは、
少し考えれば解りそうな狡猾な罠に易々と嵌まり込んでしまった。
周囲の仲間から撤回を求める視線を投げかけられても、まるで気付かず、
感激の涙を流しながら何度も何度もヴァルダに握手を求め、
最後に跪いて【アルテナ】への仕官を宣誓した。


「皆さん、お聞き届け下さったでしょうか!
 本日、我が【アルテナ】と、【未来享受原理】の護りの要は磐石の物となりました!
 これを祝わずに何を祝うと言うのでしょう!
 【イシュタリアス】の次代を担う【英雄】たちに今一度祝福の献杯をッ!!」


【アルテナ】に認められれば、より【正義】の使命に邁進できる。
ランディはそう考えていたのかも知れない。
しかし、希望に燃える彼の思惑とは裏腹に、この瞬間、【草薙カッツバルゲルズ】は
事実上の消滅を迎えたのである。


「………やられたな。
 【理の王女】、どんな人物かと思えばとんでもねぇ食わせモンだ」
「お前に言われるまでも無ぇよ、ブルーザー。
 篭絡するにはランディが狙い易いって、あのババァ、眼ぇ付けてやがったな」


今もタキシードの左腕に巻かれるバンダナの締め付けが、
デュランには殊のほか空しく、哀しく感じられた。













ヴァルダの演説を皮切りに始まった、
アルテナ主催の『打倒三界同盟祝賀会』がたけなわになる頃、
デュランとランディの二人は、パーティー会場となった屋敷の中庭へ
誰にも気付かれないようにこっそりとエスケープしていた。
人類の危機を救ったと言っても過言ではない二大英雄だ。
招かれた為政者たちが魅力的な【道具】を放っておくはずもなく、
握手を求める者、露骨に政治的繋がりを打診する者が次から次へとひっきりなしに訪れる。
デュランはそれに辟易し、ランディは彼と二人で話がしたくて彼の後を追った。


「―――生まれて初めてなんです、誰かに認められたのって」
「そうかよ」
「僕は父の顔を知りません。母とも小さい頃に死に別れました。
 …それからは子供一人、農業で生計を立てていたけど、
 だからって誰かが認めてくれるわけじゃない」
「そうかよ」
「【ジェマの騎士】を拝命してからもそうです。
 ずっとプリムたちに引っ張ってもらって、僕は何一つ誇りに出来るものはなかった」
「そうかよ」
「でも、今夜、やっと自分が信念に据えられる物が見つかりました」
「そうかよ」


二人で話しと言っても、言葉を紡ぐのはランディだけで、デュランは専ら相槌を打つ係。
最初から気乗りのしない話題だったが、熱が篭ってくると、
段々とデュランの相槌も適当になってくる。
ヴァルダから認められたのがよほど嬉しかったのだろう。
辟易を前面に出したデュランの態度にも気付かず、ランディの饒舌は速度を増すばかりだ。


「デュランさん」
「そうかよ」
「『そうかよ』って…、あの、ちゃんと聴いてました?」
「………そうかよ」
「………今、カンペキ意識して言いましたよね」
「聴き手無視して一方通行の独白ブチかますお前が
 まともな返事を要求してんじゃねぇよ」
「え? …あっ! す、すみません!!
 僕、だいぶ一人で喋り過ぎちゃいましたね」
「ま、いいけどよ………」


冗長な独白を自覚し、慌てて頭を下げるランディの素直さは普段なら心癒される物なのに、
今夜に限ってはデュランの目に痛かった。
デュランのようにプロの傭兵として活動し、若年ながら世間の酸いも甘いも噛み分けた人間と異なり、
ランディは片田舎で暮らしてきたため、今時珍しいくらい朴訥。
朴訥な人間と言うものは往々にして付け入られやすく、
現にヴァルダの懐柔にいとも容易く篭絡されてしまった。
為政者の食い物にされつつあるランディの笑顔は、本人の自覚が皆無なだけに、苦く、痛々しかった。


「せっかく有難いお言葉を頂戴したんだ。
 認めてもらった誇りとやらは大事にしとけよ」
「認めてもらったのは僕だけでは無いじゃないですか。
 デュランさんだって同じですよ」
「………………………」
「デュランさん。これからも世界のため、【未来享受原理】…でしたっけ?
 平和のために力を尽くしましょうっ!」
「………俺は降りるぜ。後はお前の好きにしな」
「―――――――――え…?」
「お前のやりたいようにやれ。
 俺は誰かに飼われるのはゴメンなんでね」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」


思いがけない拒絶の返答にランディは当惑する。
これまでもずっと一緒にやって来て、これからも共に戦っていくだろう仲間から
一方的に告げられた離脱に納得できるべくも無く、
立ち去ろうとするデュランを力ずくで押し止めた。


「どうしたんですか、突然!?
 僕たち、ずっと一緒に戦ってきた仲間でしょうッ!?」
「当たり前だろ。俺たちはこれからも仲間だ」
「だったらどうして降りなんて話になるんです!?
 脈絡だって無いし、おかしいですよッ!!」
「理由は十分にあるじゃねぇか」
「マサルさんの事だったら、【アルテナ】の捜査力で一気に探し当てればいい!
 探し当てたら、罪に問われる前に僕ら一同結束して起訴取り下げを
 上申すればいいじゃないですか!」
「だとしてもだ。俺は政治だの騎士サマだのってのが、根っから性に合わねぇんでね」
「………もしかして、お父様の事が気にかかっている………ですか?」
「………………………」
「【キマイラホール】での出来事、ホークさんに聴きました。
 ………リースさんはご存知なんですか?
 その、デュランさんとロキ・ザファータキエの血縁………」
「…俺から話した事は一度も無ぇよ。わざわざ話す必要も無ぇしな。
 ただ、あいつの事だ。薄々は感づいてるだろうよ」
「そう…ですか………」


鋭いランディの読みにこそデュランの本心は隠れていた。
【三界同盟】崩壊の終点で二転三転した造反劇の末に行方を眩ましたロキの消息は、
マサル同様に手がかりの一つも無い。


「ヤツとはいずれ必ずケリをつける。
 全てが終わったら、リースにきちんと話すつもりだ」
「でも、お父様を探すつもりなら、なおさら仕官するべきです。
 どこにいるとも判らない人間をヒントも無く追いかけるのは、
 砂漠で白ゴマ一粒探し当てるのと同じ事ですよ? 不可能に決まってる!
 決まっているけど、仕官さえすれば人海戦術で燻りだせるし―――」
「国家権力なんぞに頼りたかねぇんだよ。
 …これは、俺が手前ェの手でつけなきゃならねぇケリなんだ」
「僕が言いたいのは物理的な手段だけじゃありません!
 貴方のお父様は、ロキ・ザファータキエは、【アルテナ】に宣戦布告したんですよ?
 こちらから出向かなくても、黙っていても向こうから攻め入ってくる。
 だったら戦力を万全に蓄えて迎え撃つ。その方がずっと効率的だ!」
「………………………」
「それに、万が一にも旅の途中ですれ違ったらどうするんです?
 デュランさんが望む決着は永久につけられなくなるんですよ!?」
「………………………」
「僕の言い分に間違いはありますかっ?」
「ねぇよ。お前の理屈は完璧だ」
「だったら………ッ!」
「けどな、ランディ、理屈じゃ動かねぇ人間も確実にいる。
 感情と衝動の赴くままに行動する人間が、な」
「………………………」
「俺は俺の心に巣食う苛立ちを振り払うために、ロキを斃す。
 ケリを着けに行く。感情と衝動に突き動かされてな。
 ………【英雄】として世の中を先導していけるお前らとは、
 最初から歩く道が違ってたんだよ」
「………………………」
「お前はお前の道を行け。
 【アルテナ】に仕官して、戦上手の才能を思い切り生かしてこい」
「そんなの、やだ………ッ!」
「駄々をこねるなよ。
 いいか、ランディ、人にはそれぞれ一分ってもんが―――」
「―――理屈で煙に巻いてるのはアンタの方じゃないかッ!!
 僕はデュランさんと一緒に戦いたいんだよッ!!」


平素の謙虚さがすっかり立ち消え、聞き分けが無くなったランディは
驚き戸惑うデュランの左腕を右の手で力いっぱい掴んだ。
どこにも行かせないと言う意思表示が、デュランの心へ痛切に伝わる。
奇しくも友情の証であるバンダナの巻かれる左腕を、
同じく永遠の友情を宿すランディの右手が掴んでいた。


「………僕はデュランさんにずっと憬れてましたッ!
 誰にも挫けない強靭な心を持って皆を支える貴方を
 お兄さんのようにずっと思ってきたッ!」
「………………………」
「デュランさんも、僕の事をきっと弟みたいに見てくれてるって…!」
「自分勝手に浸ってんじゃねぇよ」
「自意識過剰と言うのはわかってますッ!
 でも、情けない僕を叱咤してくれるデュランさんは
 これまで出逢った誰よりも頼もしくて、僕はずっとずっと尊敬してたッ!」
「バカ、そうじゃねぇ。
 …俺だってな、お前の事、弟みてぇに思ってたんだぜ」
「だったらどうして離れて行こうとするんですかッ!?
 ずっと一緒にいてくださいッ!
 デュランさんには、まだまだ教えて欲しい事がたくさんあるんですッ!!」
「………兄弟は同じ道を歩く事はできねぇ。
 いや、人間はみんな、必ず同じ道は歩けねぇんだよ、ランディ…」


大粒の涙を流しながら必死の説得を続けるランディへ頼れる兄からかけられた言葉は
縋りつく弟を突き放し、決して交差する事の無い【人の道】を諭す物で、
降板の撤回や慰めの言葉などではなかった。
しかし、決して冷徹に聞こえないのはなぜだろう。
物言いだけなら酷薄にも響くデュランの言葉には、穏やかな優しさが込められていた。
乱暴な言葉の中には、不器用な彼なりの優しさが篭っていた。


「お前と出会えた事、俺にはかけがえの無い誇りだ。
 最初はナヨナヨしたウジ虫みてぇな野郎かと思ったが、その後はどうだ。
 やる時ぁちゃんとやるし、何よりお前は努力を欠かさない」
「………………………」
「聴いたぜ、【キマイラホール】での戦いの事。
 敵の大将相手に一歩も譲らなかったそうじゃねぇか」
「それはだって! …デュランさんたちが戦ってる時に、
 自分一人遅れを取るわけにはいかなかったから………」
「そのためにお前は何をしてきた?
 俺たちと別行動を取ってる時、お前、必死に剣の稽古に打ち込んでたそうじゃねぇか。
 いや、剣の技だけじゃねぇ。
 古今東西色々な戦略、戦術、兵法の書物に齧りつきだったってな」
「えぇっ? な、なんでそんな事―――」
「プリムやポポイが自慢げに話してくれたぜ。
 『ウチの大将は努力の天才。誰にも負けないヒーローだ』ってな」
「あ、あいつら…! 黙っていてってあれほど頼んだのにぃ…っ!」
「つまり! 俺が何を言いてぇかって説明すると!」


掴まれた左とは反対の右の掌をランディの肩へ置く。
自分の左腕を掴んで離さないランディの右の肩へ置く。
見れば、いつも険しく眉間に皺の寄っているデュランの顔には、
本当に穏やかで、そして、力強い微笑みが浮かんでいる。
それは、可愛い弟分へ手向けられる、デュランにとって精一杯の餞だった。


「―――お前はもう一人前だって事だ」
「………デュランさん………」
「全然一人前じゃねぇ俺が偉そうに言ってんじゃねぇってハナシだけどな」
「そ、そんな…! デュランさんは誰よりも一人前ですっ!!」
「………だったら約束しろ、ランディ。
 お前はお前の目の前に拓けた道を突き進め。今よりもっと強くなれ」
「………………………」
「言っとくが、俺は弱ぇ弟なんかいらねぇからな。
 一人前のクセに兄貴に頼りきりのウジ虫なら今夜限りで勘当だ」
「………デュランさん………」
「俺なんかいなくても、お前は一人で十分やっていける。
 自信持って行ってこい」


ランディを送り出す事に不安が無いわけではない。
朴訥な弟がヴァルダによって政治の道具にされない危険性は決して低くは無いだろうし、
そうなれば真っ先に駆けつけて守ってやりたいとさえ考えている。
だが、それではダメなのだ。
甘さを見せては、ランディへ向けた餞の全てが台無しになってしまう。





(きっかけはなんであれ、いいチャンスには違いねぇよな)






これからランディが進む道には、これまで経験した事も無いような苦労や挫折が
手薬煉引いて待ち受けている事だろう。
【英雄】を快く思わない人間も数多く存在するだろうし、
月を睨んで静かに泣く夜も続くかもしれない。
けれど、デュランはあえてその荒波の中へランディを突き放した。
それらの苦難の全てが、きっと弟を成長させてくれるだろうから。


「俺たちは今日から別々の道を進む。
 だけど間違えるな。離れたからってもう仲間じゃないって事はねぇんだ。
 別々の道を歩いていても、俺たち【草薙カッツバルゲルズ】はずっと仲間だし、
 俺とお前はこの先も永遠に兄弟だ」
「………はい………」
「マサルの事も、クソオヤジの事も、俺がケリを着ける。
 だからお前は、脇目も振らず一直線にこの道を行け。
 次に逢った時、一番の笑顔で胸を張れるように、お互いに全力を尽くそうぜ」
「はい………ッ!」
「本当に、もうどうしようも無くなったら、その時は訪ねてくりゃいい。
 愚痴なり酒なり、お前の気が晴れるまで付き合ってやるからよ。
 …その代わり、限界までは絶対に弱音吐くんじゃねぇぞ」
「もちろんです。
 僕だって、せっかく出来た大事な兄さんに勘当されたくありませんからね」
「おう、わかってるじゃねぇか。さすがは俺の自慢の弟だ」


成長の先には【英雄】が導く正しい【社会】がある筈だ。
【社会悪】を問答無用で処断するような、暴力支配の無い、秩序ある【社会】が。
ロキが後世に遺した禍根を、誰よりも朴訥なランディならきっと打ち祓ってくれる。
自分には決して実現できない一つの【夢】を、デュランはランディへ託したのだ。


「―――ああ、それからタイミング外して訂正してやれなかったけどな、
 お前、一つ勘違いしてるぜ」
「え………?」
「あんな小賢しいババァよりもずっと前に、俺はお前を認めてたんだからな」






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