晴れ晴れと広がる空の青さが深緑に反射して、デュランは眩げに目を瞬かせた。
子供のような仕草に隣を歩くリースが苦笑を漏らすと、
これまた子供みたいに口元をひん曲げる。
それがまたリースの苦笑を加速させ………道すがらずっとこの繰り返しだ。


「相変わらずのバカップルっぷりだなぁ、お二人さん」
「バカなんて言っちゃ、失礼だよ、ホーク。
 師匠とリース、とっても、仲良し」
「…ええか、ケヴィン。バカップルっちゅう単語は
 時として最上級の誉め言葉になるんやで。覚えとき」


二人の様子を“相変わらず”と評して冷やかすのは、
先日【アルテナ】で催された祝賀会に参加しなかった面々だ。
およそ3ヵ月ぶりの再会になる。
もちろん散開してからも手紙でのやり取りは続いていたので、
お互いの近況は把握している。
ホークアイも、ケヴィンも、カールも、帰るべき場所へ帰り、
それぞれにマサルの捜索へ尽力していた。もっとも、成果の程は前述の通りだが。


「ちんたらちんたらやってんじゃないでちっ!
 まてどもくらせどいっこうにこないから、
 そろそろおいてけぼりくらわしたろうかとそうだんしてたとこでちっ!
 あんたしゃんら、どんだけしゃるたちをまたせたとおもってるんでち?
 さんじゅっぷんのだいちこく! よがよならてうちでち、てうち!!
 そりゃかんにんぶくろのおもゆるむってもんでちよっ!!」
「私は別に構わないのだけどね、
 うちのハニーを待たせるのは感心できないな、うん。
 せめてハニーが到着する30分前には場所取りしといて欲しいね。
 個人的な意見としては」
「場所取りもクソもねぇだろうが。
 てめぇらで呼びつけといて好き勝手にほざいてんじゃねぇよ」
「むっきーっ!! ちこくしゃのぶんざいでひらきなおるでちかっ!?
 せいぜいきをつけるでちねぇっ!! せいぜいきをつけるんでちねぇ!!
 ぶすりといったあげくにもぎとられるでちよ!!
 ひゃっひゃっひゃ! しじょうさいあくのへんしたいのできあがりでちっ!!
 ざまぁみさらせ、このたまなしやろうがっ!!」
「何を?ぎ取んだよ、何を」
「なにってそりゃナニ―――
「―――は〜い、それじゃ全員揃ったところで
 そろそろ点呼と行きましょうか〜」


とてもじゃないが口に出せない、出しちゃいけない有害発言が暴発する寸前に
愛妻の言葉を遮ったヒースが、続けて集合者の点呼を始めた。
遠足に出発する直前のような子供だましにデュランはイヤな顔一つ顰めるが、
彼の機転が無ければシャルロットが暴言を撒き散らしていたところなのだから、
「ガキか、俺たちは」などと強く文句も言えない。


「はい、では最初にデュランくん」
「………は〜い」
「うん、これぞヤンキーのお手本的に不貞腐れた返事をありがとう。
 次、リースさん」
「はいっ」
「朝露の如き清涼な返事、これをデュランくんにも
 少しは見習ってもらいたいもんだね。
 じゃあ、有り余る元気に期待のかかるケヴィンくん!」
「はーいッ!!」
「元気なのは大変いい事だよ。今後も伸ばして欲しい長所だ。
 ただ、あまり有頂天が過ぎると、
 バの付く二文字の社会不適合者の烙印を押されちゃうから、
 その辺りはさじ加減でフォローしてね。
 ケヴィンくんに続くのは、やっぱり彼しかいないでしょう、カールさん!」
「おう、わかっとるな、眼鏡のアンちゃん。
 ワイとケヴィンは二人一組や」
「そこは『ワンッ!』と答えて欲しかったッ!!
 犬でないと主張するプライドに都合を付けてッ!!
 …あんまりこれにこだわると、今、目の前で牙を研ぐ御大に
 脳天噛み砕かれるからここまでにしようか」
「ハ〜イ♪」
「―――あれェッ!? 私、点呼の呼びかけしましたッ!?
 …くっそう、なかなかツボを心得てますね、アンジェラ嬢。
 先に返事を貰っちゃいましたよ。
 じゃあ次…、ハニーは私と一心同体だから除くとして…、
 うん、最後は期待のニューフェイス、エリオットくんに決まりだ!」
「何気安く“くん”付けでボクのコト呼んでんの、この眼鏡。
 ねぇ、兄貴、フレンドリーと馴れ馴れしいを履き違えたこの眼鏡、斬っちゃっていい?」
「いや、お前、こんなもんで頭に来てたら、
 俺はこいつを何べんナマス斬りにしてるかわかんねぇよ」
「人がせっかく打ち解けられるように気を遣ったと言うのに
 えらい言われようですね………。
 デュランくんも友人なら少しはフォローを入れてくださいよ」
「―――ちょ、ちょッ、ちょい待ったッ!! 俺だけなんでシカトッ!?」
「ヘタレは呼ぶ価値も無いって事だろ。
 てか、しがない泥棒が何で兄貴と肩ぁ並べてるわけ? 分ぅ弁えろよな」
「くっあああーッ!! 可愛くねぇガキぃッ!!
 お前、ホントにリースの弟かァッ!?」
「そのガキに向かって歯ぁ剥き出しにしてるアンタは何なんだよ、んん?」


この筋運びもヒースなりの気遣いなのか。
それにしては場の雰囲気が喧々諤々に傾き過ぎではないだろうか。
可愛くないガキ―――エリオットの傍若無人はホークアイの神経を逆撫でし、
一触即発の事態にまで発展していた。


「やはりエリオットは置いてくるべきでしたか………」
「マサル以上にトラブルメーカーね。
 あの脳みそ筋肉バカと違って悪意バリバリなだけに
 余計手に負えないってカンジ?」
「ひゃっひゃっひゃ! だいせいこうでちよ、リースしゃん。
 みるでち、へたれのあのかおっ!! こどもあいてによく」
「ガキに子供扱いされる筋合いないんだけどね、ボクは。
 あ、ごめんごめん、ハーフエルフなんだから、ガキって事ぁないよね。
 訂正するよ、どんどんガキ扱いしてね、お・ば・さ・ん♪」
「ぬなッ!? あ、あ、あ、あんたしゃん、
 しゃるをおばさんよばわりするでちか!?」
「あぁ! 礼儀知らずであいすみません!
 お婆サマと敬称しなくちゃいけませんでしたよねぇ!」
「このがきっ!! そっくびだしやがれでちっ!!
 いまここでずっころしてやらぁっ!!」


ハラハラと心配するリースをよそにエリオットは
背中へ差したカタナをホークアイの鼻先へ突きつけるなどやりたい放題。
しかも、今の『禁句』に激怒したシャルットまでもが、
その騒ぎの渦中へと身を投じてしまったのだから、最早誰にも止められない。





(あぁっ、やっぱりエリオットを連れてきたのは失敗でした………)





デュランとリースの二人宛にヒースから一通の手紙が届いたのは
【アルテナ】での祝賀会へ向かう直前の事である。


「【マナ】について是非ともお話ししたい事があります」


その一文と待ち合わせ場所の指定以外には何も記されていない、
手紙と呼ぶには味も素っ気もない代物ではあったが、
デュランもリースも即座に参加を決意した。
行方知れずとなっているロキ・ザファータキエの手がかりになるかもしれない。
アークウィンド家が代々封印を護ってきたという、
【神獣】へ通じる道となり得るかもしれない。
思惑こそ異なるものの、【マナ】に手がかりを求める目的は同じだ。
もちろん、3ヵ月ぶりに仲間たちと再会できる嬉しさもあっただろう。


「なになに? 二人して楽しいコトやらかそうっての?」


―――そこで横槍を差し込んできたのがエリオットだった。
出発の支度を整えていた二人を見つけるなり、
自分も連れていけと駄々を捏ねだしたのである。
遊びや遠足の類と何度リースが説得しても、
どうせ泣いて帰ってくるのがオチだと何度ウェンディが脅かしても
随いていくと言い張って譲らず、とうとう根負けしたデュランが同行を許可してしまい、
現在に至った、というわけだ。

エリオットにしてみれば、平凡で窮屈な生活から(というか口うるさいウェンディのもとから)抜け出し、
もっと広々とした世界で教わった剣術の腕を試したいという思いが強いのだが、
姉のリースにしてみれば、確実に危険が伴う場所へ随行させるなど持っての他。
考え無しも程ほどにしてください、とデュランに食って掛かったものだ。


「ずっと穴倉生活でいたんだ、エリオットだって外の空気を空いてぇんだよ。
 それに男ってのは、率先して外の世界へ飛び込んで行かなきゃデカくなれねぇ。
 苦労させて苦労させて、四分の一人前を半人前にしてやろうじゃねぇか。
 それが俺たち目上の役目ってモンだろ?」


そうなだめすかされて、ようやっと首を縦に振ったリースだったが、
あの時折れてしまった事をこの時ほど後悔した瞬間は無い。
身内の恥が目の前で垂れ流される状況を黙って傍観していられるほど
リースの神経は図太くなく、居た堪れない気持ちで真っ青になった顔を両手で覆って、
だんだん鋭くなっていく胃の痛みに呻いた。


「………寂しゅうなってもうたな………」


コントなやり取り(含・リースの神経性胃炎)を眺めていたカールがポツリと寂しげに呟いた。
湿っぽい呟きを拾っていたデュランが、
ケヴィンの頭で寂しげに丸まった背中をポンポンと叩いて励ましてやった。


「その代わり騒がしいのが一匹入ったろ?
 入れ替えってワケじゃねぇが、前とは別の意味でイキが良くなった」
「ニューフェイス結構。元気になるんはええこっちゃ。
 せやけど、オールドフェイスがおらんようになってしもうた。
 ………騒がしさもどこか隙間風が吹きぬけるようで、
 ちぃとな、寂しゅうなってもうてな」
「マサルはともかくランディたちにとっちゃ晴れの門出なんだからよ、
 そう暗くならずに明るくいてやろうじゃねぇか」
「マサルはともかく…か。
 あのアホ、今頃どこで何をやっとるんやろか…」
「………俺たちが行動を始めりゃヤツだって
 きっと何らかのリアクションは返してくるハズだ。」
「そうなってくれたなら、いっちゃんええんやけど、な」


カールの呟きはもっともで、送り出した身であるデュラン本人も、
やり場のない寂しさには背中を丸めたくなる気持ちだった。
ランディは正式に【アルテナ】へ仕官し、プリムとポポイも彼に従った。
【ジェマの騎士】へ依存するフェアリーも同道するので、
一気に四人が【草薙カッツバルゲルズ】を去った事になる。
しかも現在はマサルが全国指名手配中。
トラブルメーカーでありムードメーカーでもあるマサルの欠員は、
底抜けだった明るさを大きくトーンダウンさせてしまっている。
人数的にも、ボルテージ的にも、寂しさは隠しようも無かった。


「ま、私としては【ジェマの騎士】…、
 いいえ、【女神の後継者】であるフェアリーに同席してもらうと
 色々と按配が悪いので、外れていただいたのは好都合ですがね」
「含みのある言い方するやないか、メガネの博士」
「…こちらさんは私を最大級に警戒してらっしゃるようですね。
 そんなに気を張らなくても、別に取って食べたりしませんよ?」
「どうだか。あんさんの腹ン中はロクなモンが詰まってなさそうやからな。
 ワイらがあんさんの本心を穿り返す前に、ちゃっちゃと本題に入ってもらおやないの」
「ははは、ホント、えらい言われようですねぇ。
 私としては進行に邪魔な閑話休題を省けるので、
 むしろあなたの毒舌はありがたいくらいですが」
「なんなら五割増しでリップサービスをお届けしたるで?」
「遠慮しておきますよ。胃がクレーターで一杯になりそうだ。
 ………では参りましょう。我が【マナ】のラボ、時が停まりし地【ペダン】へ」


人里を遥かに離れた森林地帯の中心にポツンと置き去られた遺跡。
祠を思わせる石造りの遺跡を、彼曰く【マナ】の真実が秘められた地を、
ヒースは【ペダン】と呼んだ。












ヒースがラボと呼ぶ【ペダン】は、外見こそ埃を被った祠だが、
内部へ潜入してみるとその印象は一変した。
以前乗艦した【インビンジブル】と同じ鋼鉄造りの通路の至るところに
【マナ】と思しき数々の機械群が錆付いたまま無造作に打ち棄てられ、
この遺跡が歩んできた悠久の時間を物語っている。
【イシュタリアス】に生きる者には異質な遺跡は、
ヒースに説明させると衛星観測ポイントとやらに分類されるらしい。


「倒叙ミステリーと言う推理小説の形式を、皆さんはご存知ですか?」


【ペダン】の構造だけでも戸惑って仕方が無いところへ
不意にヒースから意味不明な単語を尋ねられたデュランは混乱を更に煽られ、
もうお手上げだと首を竦めた。


「あぁ? なんだよ藪から棒に。
 …なんだって、トウジョ? おい、誰か解るヤツいねぇか?
 俺、ミステリーなんてまだるっこしいモン、読んだ事ねぇからよ」
「倒叙って、アレだろ? 冒頭で犯人が殺人をやらかして、
 それ隠蔽するトリックを探偵が崩していくってヤツ」
「何ソレ。推理小説って言ったら最後まで犯人がわかんないもんじゃないの」
「だから“倒叙”ね。順序を前倒しするって説明すりゃいいのかな。
 犯人探しってよりもトリックを暴く過程が面白いって言うか。
 あとはアレね、犯人が探偵に追い詰められてく一種のパニックもミソなんだよ」
「ホーク、オイラ、説明されても、全然わかんないよ…」
「ケヴィンはミステリーなんぞ読まんからなぁ」
「倒叙ミステリーのキモが一通りご理解いただけたところでお話しさせていただきましょう。
 ロキ・ザファータキエは現世を一度消滅させて、
 その上に新世界を築かんと企んでいるのです」
「―――ぶッ!?」


わけのわからない会話には付き合いきれないエリオットは
物見気分で廃棄された【マナ】を観察して回っていたが、
思いも寄らずいきなり明かされた最大の謎に驚き、
口を付けたばかりの水筒から飲料水を盛大に噴き出してしまった。


「こら、エリオットっ。
 行儀よく飲まなければいけないとあれほど教えたでしょう?」
「天然ボケかましてる場合じゃないっての、姉さま!!
 い、いきなりとんでもないコト、バラしてくれやがったよこの人っ!
 そーゆー解決編ってのは、もうちょい先へ進んでからじゃないの、フツー?」
「だから倒叙ミステリーを説明いただいたんじゃありませんか。
 ただ順を追って説明するだけでは、
 おそらく貴方がたの理解力が追いつかないので、
 まず大目的を前倒しさせていただいた次第ですよ。
 それに………」
「それに?」
「それに、本当のクライマックスは、
 ロキ氏の目的以外にちゃんと用意されていますから。
 ミステリで例えるところの最後の解決編が―――」
「ちょっと待てコラッ! もういっぺん言ってみろッ!!
 あいつが何やらかそうとしてるってッ!?」


『現世を消滅させ、その上に新たな世界を築く』………。
ロキの思い描く途方も無い目的をなぜ前倒しにしたのかを、
一同へ淡々と説明するヒースの胸倉をデュランが力任せに掴み上げた。


「あのバカはそんなイカれた事を考えてやがったってのかッ!?」
「少し落ち着きましょうか、デュランくん。
 これでは説明を果たす前に私が窒息死してしまいますよ」
「いちいち回りくどいご高説はいらねぇんだよッ!!」
「よせ、やめろって、デュランッ!! このままじゃまじでヤバイッ!!」
「師匠! ヒースさん、何も悪くない! だから離して!!」
「どうしてしまったのですか!? 貴方らしくありませんっ!!」
「なんなんだよ、ええッ!? あいつはどこまで腐れてやがんだよッ!!」


血走った眼で問い詰めるデュランを、ケヴィンとホークアイが懸命に羽交い絞めにする。
追いすがるデュランの両腕をなんとかヒースから引き剥がし、
抱きすくめるように正面から押さえ込もうとするリースの懇願も彼は全く耳を貸さなかった。


「………成程。お父上が【イシュタリアス】の真実を目にした瞬間の様子、
 ご子息の貴方を見ているととてもよくわかります。
 行き場のない絶望に激しく取り乱したのでしょうね」
「あぁッ!? てめぇ、俺はだから回りくどい話は………」
「真実を知りたいのなら、少しは状況を弁えたらどうだ、愚か者ッ!!」


仲間たちを突き飛ばして詰め寄ってきたデュランだったが、
物腰穏やかなヒースが珍しく声を荒げた一喝でピタリと硬直させられた。
一喝と共にデュランを突き刺すのは、心臓すら凍りつかせる冷ややかな眼光だ。
普段は決して見せないヒースの怒号に当てられてはひとたまりも無い。
【狂牙】さえ黙らせた鬼気迫る一喝に共鳴したのか、
突如としてヒースの背後に【映像投射光板(デジタル・ウィンドウ)】が表示された。


「これは………」
「………【イシュタリアス】。我々の住む世界です」
「なんやて!? こないな球体が世界なわけないやろ!?
 【イシュタリアス】っちゅうんは、
 バカデカいテーブルの上に乗っかってるもんとちゃうんか!?」
「砂漠じゃ亀の甲羅の上って説だぜ?」


鮮明な色合いの【デジタル・ウィンドウ】の中には、
夜空を思わせる真っ暗闇の中で白や緑で部分部分を塗り分けた青い球体が
ポツンと一つ、浮かんでいる。
玩具のような小さな球体を見せられて、これが今我々の立っている世界ですよと
説明されて納得できる人間はいない。
ホークアイもケヴィンも、デュランの手前詰め寄るような事はしなかったが、
淡々と説明していくヒースに対して真っ向から意義を唱えた。


「【イシュタリアス】がどのような形を成しているのか、
 それを現実に知る者はこの地上には殆ど存在しません。
 カールさんの意見も、ホークアイさんの言い分も、
 現実として見る事のできない人間が立ち上げ、派生した仮説の一粒です」
「仮説も何も無いやろッ!?」
「では逆にお尋ねしましょう、カールさん。
 貴方は【イシュタリアス】がテーブルの上にあるとどこで確認しましたか?
 我々の前で仮説を立証できますか?」
「………………………」
「…俺たちの負けだよ、カール。
 どうやらこの丸いのが、本当に【イシュタリアス】らしいな」
「ええ、監視衛星が捉えたリアルタイムの【イシュタリアス】です」


【仮説】を常識としてこれまでに生きてきた一行にはにわかに信じ難い真相だが、
ヒースの反論の通り、【仮説】を真相として打ち出せる証拠を持つ者は誰もいない。


「か、監視衛星ってのは、一体どんな代物なのよ?
 どうやって世界を映し出してるわけ? 仕組みがまるで意味不明だわ!」
「『かんしえいせい』ってのは、はやいはなしが【いしゅたりあす】を
 おそらのうえからかんそくするきゃめらのひとつでち。
 アンジェラしゃん、ほしぞらをそうぞうしてほしいでち。
 まんてんのそらにかがやくひかりのひとつが、ちじょうをみまもってるいめーじでちね」
「的確なフォロー、感謝するよ、ハニー。ステキなキミはいつも詩人だね♪
 ………今の説明にもあったように、監視衛星【テトラポリトカ】は
 常に【イシュタリアス】を見守り、ここ【ペダン】へとデータを転送し続けているのです。
 ここ千年分のデータは保管されていますよ」
「せっ、千年だぁっ!?」
「ああ、説明が不足していましたね。
 千年と言うのは世界が【イシュタリアス】へ移ってからの時間ですよ。
 監視データだけなら、千年と言わず数千年分以上遡る事が可能です」
「気が遠くなってきちったよ、ボク………」
「…お待ちください。今、【イシュタリアス】へ移ってから、と仰いましたよね?
 それはつまり、今より以前の『世界』は別物だった、という事ですか?」


弟はそこで許容量の限界を超えてしまったが、姉は一味違う。
今の説明から拾い上げた疑問を、【デジタル・ウィンドウ】を駆使して
信憑性高く語り続けるヒースへ投げかけた。


「あなたは本当に聡明な方だ、リースさん。
 アークウィンドの末裔を名乗るに相応しい」
「ボクも一応アークウィンドの末裔ってヤツなんだけど〜…」
「そう拗ねないでくださいよ。エリオットくんは発展途上、というコトで。
 ………えぇと、どこまで話しましたっけ?」
「【イシュタリアス】以前の世界の話です」
「ああ、そうでしたそうでした。一番のキモを外してしまうところでしたよ。
 ここを除いては、ロキ氏が【革命】へ傾倒した動機がボヤけてしまいますからね」
「なにィ―――………痛ぇッ!?」
「………お話を続けてください、ヒースさん」


どうもデュランは『ロキ』という名詞が登場する度に見境が無くなる傾向にあるようだ。
彼の過去を考えれば、それは無理も無いのだが、
いちいち相手にしていては説明が停滞する事になる。
大人気なくまた暴れだしそうなデュランの尻を、
戒めとばかりにリースが思い切りつねり上げて黙らせた。


「………今から千年前になります。
 それまで世界は【イシュタリアス】でなく【テラ】と呼称されていました」
「………【テラ】………」
「オイラ、初めて聴く、言葉だ」
「噛み砕いて説明するなら、
 今日で言うところの【旧人類(ルーインドサピエンス)】の時代ですよ。
 彼らが万能の機械【マナ】を発明し、栄華を誇った世界を【テラ】と呼び、
 【イシュタリアス】と分けているのです」
「せやけど、わからん。ほしたら【テラ】っちゅう単語が今の世界に
 どこかしかで残っとってもおかしないやろ。
 【旧人類】の足跡や【マナ】は発掘されとるのに、
 一番残りそうな世界の呼び名が砂に埋もれて誰も知らんなんて矛盾しとるで」
「そうでもありませんよ。もともと【マナ】という呼び名は発掘者が、
 我々【イシュタリアス】の新人類が勝手に当てはめた呼び名ですからね。
 本当はもっと別の名前があったかも知れない。
 …そこに関しては、鋭意研究中です」
「もしかしてこういう事かな。
 なんらかの理由があって【テラ】の存在は徹底的に抹消されて、
 足跡そのものは【イシュタリアス】には残っていない…ハズだった。
 けれど、俺たちが【マナ】と呼んでる機械が採掘された事でその秘匿は覆される。
 現代人の技術では再現不可能な技術に古代人の足跡を見つけた新人類は、
 古代人を【旧人類(ルーインドサピエンス)】と勝手な仮名を与え、
 彼らの存在を解き明かす考古学へと躍進していく。
 そうした幾つもの【仮説】が一般に流布される内、
 いつの間にか正統な歴史として、教科書にも載るようになっちまった、とか?」
「ほほぅ………」
「…ゴメン、ホーク、オイラ、やっぱしまるでわかんない…」
「いえ、今のホークアイさんの仮説は実に正確でしょう。
 【仮説】が【仮説】を塗り固めた上、
 誤った情報をも取り込みながら正統な歴史として広まった【旧人類】の時代の歩みです。
 そうした偽りの大前提に毒されている我々には、
 採掘された足跡から【テラ】の真実を読み取る事は不可能でした」


たったこれだけのわずかな情報から鋭く真実へ接近できるホークアイの明晰さに
ヒースは舌を巻いた。
ケヴィンだけでなく、知恵者のカールまでもが首を傾げる【テラ】の存在を
誰よりも柔軟にホークアイは咀嚼し、解析していた。


「千年もの時間があれば、誤った歴史が正統化されんのも無理無いさ。
 …けれどここでまた矛盾が生まれる。
 気が遠くなる時間の間に、どうして誰も疑問を持たなかったのか。
 今のヒースみたく、誰か一人くらい感付いてもいいもんじゃんか?」
「そこで登場するのが【女神・イシュタル】ですよ」
「【イシュタル】が………?」
「破壊と隷属を司る邪神【イシュタル】が、ね」


創造と豊穣を司る女神が、破壊と隷属の邪神―――
―――【マナ】の研究者である前に従順な女神の信徒でもある筈のヒースが吐き捨てた言葉に
誰もが声を詰まらせる。


「…さて、【イシュタル】の段へ話を進めるに当たっては、
 まず【テラ】が辿ってきた歴史について触れなければならないのですが…」
「………なんで俺を見んだよ」
「話が回りくどいとまた暴れだされては叶いませんからねぇ」
「ご安心ください。いざとなったら私が止めますから」
「それは頼もしい! デュランくんもリースさんには頭が上がらないようですし」
「………チッ!! くだらねぇ話してねぇでとっとと進めろよ。
 俺が暴れださねぇ内によォ」
「そうさせてもらいますよ」






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