「―――追討の令旨を【ジェマの騎士】へ出した覚えはありませんね」
「かの者が独断で行動した線も考えられません。
まして教頭職(※軍の教官)へ就いたばかりのバゼラードに
一個小隊を動かせるだけの器量と信望があるはずも無し」
「では、影も形も無い霞に襲われたという事ですか、反逆者の、ええと………」
「マサル・フランカー・タカマガハラでございます、ヴァルダ様」
「そうです、タカマガハラは」
【ケーリュイケオン】最上階に設けられた私室で寛いでいたヴァルダは、
テーブルのラディッシュからつまんだクッキーを頬張りながら
側近であるホセにマサル襲撃の報告を受けていた。
華美なソファに身を沈めるというリラックスぶりは、とても機密報告を受け止める姿勢ではない。
「ただ、一つ気になる事が―――」
「伺いましょうか」
「今は散り散りに逃げおおせたようですが、
タカマガハラ達を襲撃した討手の中には左利きの剣士がいたとかいなかったとか」
「それのどこが引っかかるのでしょう」
「我らの耳に入らぬ独断の追討である以上、
【アルテナ】の支配下にない第三国の手の者による仕業と考えるが必定。
あろう事か当方手飼いの【ジェマの騎士】を騙る傍若無人から推察するに、
偽の勅旨を掲げた討手を派兵したのは―――」
「―――【ローザリア】………」
「先日の祝賀会へ招いた【インペリアルクロス】を覚えておいででしょうか?」
「【インペリアルクロス】…?
さて? 【ローザリア】の話をしていたのに、どうしてテーブルかけの話題に飛ぶのですか?」
「【インペリアルクロス】は【ローザリア】きっての騎士隊でございます、ヴァルダ様」
「あぁ、あの者たち、【インペリアルクロス】という名前なのですか」
「その騎士隊を率いるスクラマサクスなる男が―――」
「―――左利き、なのですね」
「仰せの通りにございます」
「何を目的に【ローザリア】は【ジェマの騎士】の…、ええと………」
「ランディ・バゼラードでございます、ヴァルダ様」
「バゼラードの名を騙ったと思いますか、ホセ」
「鋭意調査中にございます。いましばしお待ちくださいませ」
「よろしい。吉報をお待ちしていますよ」
「励みになりましょう、その御言葉。
………それにつけても頭を悩ませるのは―――」
唇に付着した油を拭ったプライナプキンを床へ放り投げたヴァルダに代わって
ダストボックスへクシャクシャのゴミを捨てたホセが言葉を繋ぐ。
そうして繋がれた言葉にヴァルダはさして興味が無いようで、
聞きようによっては国家機密でもある報告は彼女にとって、
ティータイムをより楽しませる蓄音機の音色を妨げる雑音でしかなかった。
変調を繰り返すワルツの美しい音色がホセのダミ声で濁される度、眉を顰めた。
「―――ドゥルーズ、クォードケイン両名の処分についてでございます」
「処刑なさい。【アルテナ】の意に沿わぬ謀反人は見せしめに首を刎ねてしまいなさい」
「第二、第三と連鎖せぬよう楔を打ち込むは簡単な事です。
されど両名、とりわけドゥルーズは忌々しい【マナ】に幾度と無く接触している様子。
ここはあえて生かし、泳がせ尻尾を掴むが上策かと献策いたしまする」
「………今、それを言おうとしていたのですが」
「これは失敬を」
「二人の現状は?」
「ドゥルーズは精神崩壊。クォードケインは【黄金の騎士】の子息と行動を共にしております。
現在はひとまず【フォルセナ】に」
「【黄金の騎士】の………」
「ロキ・ザファータキエでございます、ヴァルダ様」
「ロキの名は旧知しております」
「重ねて失敬」
旧知する名がホセの口から飛び出した瞬間、ヴァルダの表情がかすかに歪んだが、
口紅を直すために鏡台と向かい合っているため、その揺らぎが忠実な側近の目に触れる事は無かった。
「今後、ヒース・R・ゲイトウェイアーチとの接触も考えられる以上、
ここはヴァルダ様の仰る通り、泳がせておくが吉でしょうな」
「【マナ】の復古を成す者…か。国家にとって厄介な存在ほど乱立するものですね」
「ザファータキエ、【フォルセナ】へ攻め入る動きありとの見解もございます。
さて、いかがしたものでしょう………」
「臨時に【サミット】を開催します。
各国首脳に併せて【黄金の騎士】にも出席を募ろうではないですか」
「それはまた大胆な」
「議題は、そうですね、『【マナ】と【革命】』が最もタイムリーでしょう」
「【黄金の騎士】と【ローザリア】の動向を探る手立てにもなるでしょうな」
「結果如何では………わかっていますね、ホセ?」
「【パンドーラ】ならぬ、【アルテナの悲劇】となりましょう。
………早速工作員へ下知を」
「【未来享受原理】の妨げは、すべからく処断せねばなりません」
「御意」
19歳の娘がいるとは思えないほど熟れて艶やかな唇へ紅を落とすヴァルダが
世界のモラルリーダーと標榜されるに相応しい、堂々たる采配を下した。
為政者たちが策謀を張り巡らす密室には、格調高く、それでいて耽美に響くワルツの変調が
毒々しいほどに似合っていた。
†
『…成程な。で、【アルテナ】を【革命】した暁には何が待ってるんだ?』
『決まってるだろ。みんなが笑顔でいられる新しい国だ。
そして―――――――――そして、私もお前も、身分違いの恋と涙する事なく、
正々堂々とアンジェラに想いを告げる。
【革命】が成立した時、【アルテナ】は、
きっと誰もが自由に想いを遂げられる国になっているよ』
『突拍子が無さ過ぎて頭が痛くなってきた………だが、面白い…!』
『言っておくけど、【革命】の後は恨みっこナシだからな』
『余裕に構えていていいのか? 後でヤケ酒に付き合えってのもナシだぞ』
『そっくりそのままお返しするよ』
――――――――それは、過ぎた日の約束。
純粋に、ただ純粋に【自由】を求める二人の約束を改めて明かされたアンジェラは、
ベッドに臥床したまま三日以上目を覚まさない―あるいは、この先ずっと眠ったままの―
ブライアンの頬を摘んだまま、深い深い溜息を吐いた。
「………これが私たち二人の交わした約束の全てです」
「………何よ、それ。最初から最後まで、あんたたちの独り善がりじゃない。
色ボケに命懸けるようなバカをアタシが好きになるとでも思ったわけ?」
「………………………」
「男ってこれだからイヤ! いつまでもガキのまんまッ!!
理屈こねてカッコつけたって、最後には力ずくなんだもん!!
しかも好いた腫れたで国家転覆? バッカじゃないのッ!!」
「それは違うッ!! 私もブライアンもその為だけに【革命】を志したんじゃない!!
誰に憎まれる事もない、誰も汚される事のない、本当の【自由】を目指して………」
「じゃあ訊くわよ!? 【自由】を勝ち取るための暴力って何ッ?
それは誰かに【不自由】を強いるって事じゃないわけッ!?」
「………………………」
「あんたたちのやってる事は、
あんたたちが許すまいとした【アルテナ】と同じなのよッ!!」
「アンジェラ………」
「これまでさんざん好き勝手やってきたアタシが言っていい言葉じゃないのは解ってるわよ。
でも、好き勝手やってきたから解るモノもあるわ。
暴力で未来を夢見たって、道は絶対切り開けないッ!!」
世界を主導する【アルテナ】の寵児に生まれ、何不自由なく育ったアンジェラは、
自分の思い通りにならないモノ=不条理に対する暴力の行使を常識と考えて生きてきた。
【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】との揉め事が最たる例だ。
彼女にとっては【ローラント】征伐に代表される【アルテナ】の度重なる暴挙も“正当”だった。
しかし、現在のアンジェラはまるで違う。仲間たちとの出会いが彼女を大きく変えていた。
勝手気ままに生きてきた悔恨と、旅の中で得た経験の二つがアンジェラに【アルテナ】の不条理に気付かせ、
その思いがヴィクターを叱りつけさせたのだ。
「………なんだか悔しいな」
「何がよ?」
「私たちがウジウジ引きこもってる内に、
キミは手の届かないような遠いところへ行ってしまった。
………どうやら酒に痛手を任せる時は、互いに顔を突き合わせる事になりそうだ」
「また出た、自分勝手ッ!!
アタシはどこにも行ってないし、いつだってアンタたちと一緒だったでしょ!
わけわかんない距離感に打ちひしがれちゃってさ、バッカみたい!!」
「………………………」
自分たちはいつだって一緒と言い切るアンジェラの姿にこそ、ヴィクターは距離感を禁じえない。
成長は、それを遂げた当人にはわからないが、周囲の人々は刮目して驚くものだ。
【アルテナ】の不条理に最も毒されていながらもそこから解脱し、
自分たちの【革命】をも乗り越える信念を備えるに至ったアンジェラが眩しくて仕方無く、
ヴィクターは自嘲気味に薄く笑った。
「―――それにッ!! アンタもブライアンも、肝心なコト、忘れてるじゃない」
「え…、な、なんだろう。まだ、私は何かを見落としていたのかな」
「アタシの気持ちよ!!」
「あ………ッ」
「アタシの気持ちも考えずに一人で結論出して悲劇ぶっちゃってさ!
それでよくも想いを告げるだの何だの、カッコつけれたもんよねッ!!」
「………………………返す言葉も無いよ」
「だったら代わりにアタシが返してやるわ。
悪いけどアンタもブライアンも眼中にナシッ!!
女の子の気持ちを無視するような傲慢野郎なんか大ッ嫌いよッ!!」
「………………………」
「だから―――這い上がってきなさいよねッ!!」
「アンジェラ………」
自分たちの一人上手で何もかも壊してしまったと嘆息していたヴィクターを
再度アンジェラが叱り飛ばす。
ヴィクターだけでなく、静かに眠るブライアンに向けても叱声は言い放たれた。
「プレゼント攻勢でもなんでもドーゾ! 正面から受けて立ってやるからさ!!
せいぜいブライアンとガチンコ張って、アタシのハートを射抜いてみせなさい!!
………言っとくけど、アンタら二人の評価は最低ランクなんだからね、アタシの中で。
一筋縄じゃいかないんだからッ!!」
「それは………なんとも手強い話だな、私にも、ブライアンにも………」
「バカな男にはお似合いの逆境でしょッ!! 惚れた弱みと諦めてッ!!」
以前までのアンジェラなら、裏切りとも取れるブライアンとヴィクターの結託を許さず、
その場で絶縁と共に【エノラ・ゲイ】の一発も叩きつけていただろうに、
今では愚かな革命家たちへ進むべき希望すら示唆できるまでに成長していた。
知らない間に人間的に一回りも二回りも大きくなっていた幼馴染みの少女に、
ヴィクターはもう一度自嘲の笑顔を浮かべ、それをアンジェラに見られないよう俯いた。
「―――こンのドラ息子がぁッ!!」
ふと胸へ差した寂しさにしんみりする間を打ち砕く剣呑な怒号が
ブライアンの眠る寝室を揺るがした。
張りのある大音声の矛先は、どうやら不孝者の放蕩息子とやらへ向けられているらしく、
ドラ息子という蔑称に次いで、槍玉の息子の名前が呼びつけられる。
「待ちくされ、デュラン」―――と。
「…どうも三人で話している場合では無いようだね」
「みたい、ね。っていうか、アタシらが出張ったところで収められるかしら」
「収めなきゃならないでしょう? お怒りの原因になってる客分の身としてはさ」
「トホホ…、ユーウツだわね」
顔を見合わせて苦笑したアンジェラとヴィクターは、最後にもう一度ブライアンの頬を指で摘み、
寝室を後に大音声轟く廊下へとドアを開けた。
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