―――ここで現在の状態を説明しよう。
精神崩壊に基づく昏睡状態に陥ったブライアンを養生させるため一行は、
デュランの勧めで【フォルセナ】へ、彼の自宅へ招かれていた。
【アルテナ】への叛意を露にしたブライアン、そして、ヴィクターを気遣っての判断だ。
ブライアンが看護されるのは客室である。
その客室へ繋がる廊下から飛び込んできた先ほどの怒号は、この家の家主であり、
デュランの養母、ステラ・パラッシュその人の物だった。
「ちょい待てよッ!! だからその事ぁここ三日間、ずっと説明してたじゃねぇかッ!!」
「説明もクソもあるかッ!! 『ダチ連れてきたから泊めてやってくれ』ェ?
ご宿泊どころの騒ぎか、これがァッ!? ココは託児所じゃないんだぞッ!!
次から次へと食客連れ込みやがってよォッ!!」
「泊めてやってる事に違いはねぇだろ!?」
「屁理屈こねるなコラァッ!!」
「危ねッ!! ちょっと待てよクソババァッ!!
たかだかこんな口ゲンカで物騒なモン持ち出すんじゃねぇッ!!」
「やっかましいッ!! 折檻だ、折檻ッ!!」
「折檻で済むかッ! 死ぬわッ!!」
その家主に庭先まで追い詰められたデュランは、普段の大人びた表情を粉砕させて怯え切っている。
それもその筈、ステラの両手には、大の男が両手でやっと扱えるツヴァイハンダーが
それぞれ一振りずつ握られ、轟音唸らせデュランを追い立てていった。
ドッキリ企画か、雑技団か。
色々な意味で常識を外れたデタラメな状況を眼前にしたアンジェラとヴィクターは、
ステラを止めるべく差し出した手を思わず引っ込めた。
「畜生ッ!! 覚えてやがれッ!!」
「当然覚えとるわッ!! 帰ってきたら地獄見せてやるからなぁッ!!」
無様に躓き、尻餅をつきつつ走り去っていくデュランの後姿へ
容赦なく罵声を吐きかけるステラに、ますます二人はかける言葉を失ってしまう。
今の怒号を聴いていれば、家主の憤激の大元は自分たち客分にあるのは明白。
揉め事の種が口を挟めば、余計に問題がこじれてはしまわないか。
…と言うよりも、ツヴァハンダー二刀流が自分たちへ向けられる事が恐ろしいわけなのだが。
「あ、あああ、あの、やはり私たち、お邪魔でしょうか…?」
「へぇッ!? あ、ああ、いたのかい、あんたたち。
こりゃ大人気ないトコを見られちまったね」
「大人気ないトコっていうか、あり得ないトコっていうか………」
「邪魔も何もあるもんかい! 家族ってのは多いほうが賑やかなもんさね!
三日といわず、この先もずっとゆるりとしていきな!」
揉め事の原因が自分たちとわかっているからこそ、あえて口を挟まなければなるまい。
意を決したヴィクターが死んだつもりでステラへ話しかけると、返ってきたのは意外な言葉。
「で、でも、おばさま、デュランに言ってた限りじゃ、
アタシたち、厄介な寄生虫ってカンジで………」
「ちょ、バカ、アンジェラ、薮蛇だろ、それ!!」
「イヤな部分だけ抜粋して聞かれちゃったね。
あたしが怒ってるのは、あんたたちが寄宿してる事じゃないの。
キチンと説明もせずにあんたたちを迎え入れたドラ息子に腹が立ってね!
大切な話を通さないなんて、人の道に背いてるじゃあないかッ!!」
「は、はぁ………」
「だから! あんたたちは何も心配せず、自分の家と思ってくれていいんだ。
家賃とか細かい事を気にしてるんなら、
…そうさね、デュランのトンチキを折檻する手助けしてくれたら、それで採算オーケーさ!!」
気風の良いステラの笑顔は見上げた青空のように爽やかで、
アンジェラもヴィクターもホッと心を落ち着けたが、どうしても家主の背中に二振りの巨剣がチラつき、
安心と裏腹に、引きつった笑いを返すしか出来ないでいた。
「―――姉さま、カンベンッ!!」
デュランが去ったと思えば、今度はエリオットがパラッシュ家から大脱走。
状況はよくわからないが、全力で走り去るエリオットは、なぜか女装を施されている。
「お待ちなさい、エリオット! それでは話が違いますっ!!」
前言撤回。ポカンと口を開け放って目を丸くするヴィクターの隣で
アンジェラは【マイア】でケヴィンへ降りかかった一件を思い出していた。
滴る一筋の鼻血もあの日と同じ。恍惚とした表情を暴発させているところも同じだった。
もちろんエリオットを追いかけようとしているのはリースである。
リボンやらブラシやら、おめかし道具を両手一杯に握り締めている。
「………何やってんの、リース。
まあ、訊かなくたってどういう状況でエリオットくんが逃げ出したかは
すぐにわかるけどさ」
「つれない事言わずに聴いてくださいよ、アンジェラ!
皆さんに迷惑をおかけしたバツとして女装すると約束したのに、
エリオットったら途中で逃げ出したんですよ! ひどいとは思いません!?」
「じょ、女装!? リ、リースさん、弟さんになんて事しようとしてるんですかっ!?」
「男の子が可愛い恰好するのに理由が必要ですか? いえ、いりませんっ!!
逃げ出す方がおかしいです!! ケヴィンは黙っておめかししてくれましたのにっ!!」
「な、な、ななな? 何ですか、あなたらしからぬトンデモ理論はっ!?
というか、なんで鼻血出してんですか!!
………ア、アンジェラ、リースさんって素はこんな変態さんなのかい?」
「変態かどうかはともかく、真性のショタコンには間違いないわね」
「ちょいとお待ちよ、リースッ!!」
「は、はい、なんでしょう、ステラおばさまっ?」
「抜け駆けなんてズルいじゃないかっ!
エリオットで遊ぶ時はあたしも一緒だってあれほど約束したのにっ!!」
「そ、それはおばさまも同じです!
この間も私に内緒でエリオットにメイド服を着せたと聴きました。
ひどいです! 一目見たかったのに!! 写真に収めたかったのにっ!!!」
「あっ、そこを突かれると痛いね、こっちも…!
ふと出来心ってヤツに誘われちゃってね…」
「「………………………」」
エリオットがパラッシュ家から抜け出し、【ペダン】行へ同道したがった理由は、
単に穴倉へ押し込められていた反動だけでは無いようで、アンジェラは彼の災難に心から同情した。
「くそったれめ…っ! なにもツヴァイハンダー持ち出す事ぁ無ぇじゃねえかよ………」
さて、養母の戦慄から逃げ遂せたデュランはその後どうなったか。
取る物もとりあえず、命からがら逃げ延びたデュランは、商店街までやって来てようやく脂汗を拭った。
凄腕と称されるデュランの剣腕はステラ譲りの物である。
養母であり師匠でもあるステラのシゴキによって生え抜きの実力を備えたデュランだったが、
未だ彼女に一太刀も浴びせられない。
それは同門として共に学んだブルーザーにも同じ事が当てはまり、
二人にとってステラは絶対的な壁として常に立ちはだかっていた。
(ったく、たかだか数人連れ込んだくらいで目くじらたてんなよなぁ〜)
最盛期には鬼神と恐れられたステラに敵うはずナシと無条件に白旗を振ってしまう、
ある種の強迫観念に恐れをなした自分の情けなさを棚に上げ、
ブチブチと養母への文句を溢しながら、乾いた喉を潤してくれる行きつけの酒場へと気持ちは急ぐ。
(………話せるわけねぇじゃねぇかよ。話せば…巻き込んじまう………)
委細を説明しなかった理由は、実はここにあった。
昏い眠りに就いたブライアンを招く以上、何があったのか、なぜ心を壊してしまったのか、
問い質されるのは自明の理。
そうなれば、没したはずのロキ・ザファータキエが生存していた事実、
【社会】の全てを敵に回す【革命】を企てている戦慄にも言及せざるを得なくなる。
ホークアイあたりの弁舌で上手にその場を切り抜けたとしても、後々の事を考えると、
自分やリースが真実を隠し通せるとは思えなかった。
ただでさえ【剣聖】として達観した洞察力を持つステラの事。
わずかに漏れたボロから真実へと到達してしまうだろう。
到達すれば、巻き込む事になる。骨肉相食むロキとの戦いに、家族を引き込む事になってしまう。
それだけはなんとしても避けたかった。
(………………………あのクソオヤジめ…!
ありとあらゆる意味で俺の邪魔ばっかりしやがる………ッ!!)
ボロを出さない最後の手段として考えられるのは、ダンマリを決め込む事。
閉じこもりの貝になっていれば、先ほどのように説明が無いと叱られても、
戦いへ巻き込む危険は回避できるだろう。
(………つっても、いつまでもダンマリ決め込んでたんじゃ
逆に怪しまれてバレんのがオチだしなぁ………)
極めた洞察力が、ダンマリから秘め事を見抜いてしまう可能性も無きにしもあらず。
デタラメに卓越したステラの慧眼と、自分に不必要な苦労をかけるロキの影に、
デュランは息の詰まる思いで肩を落とした。
―――落ち込んだその肩を、何者かが後ろからポンポンと叩く。
「その節はどうも。こんな所でお会いするとは夢にも思いませんでしたね」
「あ? …あぁ! あんた、【インペリアルクロス】の………」
「ええ、アルベルト・I・スクラマサクスです」
何と言っても【フォルセナ】は地元だ。
自分を見かけた知り合いが声をかけてきたものと思って振り返ると、
そこで破顔していたのは、地元で遭遇する筈も無い男だった。
†
「―――状況は大体わかった。マッちゃんたちの具合はどうなんだ?」
アルベルトとの思わぬ邂逅にデュランが素っ頓狂な声を上げている頃、
商店街から程なく離れた裏路地では、人目を忍ぶかのように
スカーフで深く顔を覆ったホークアイが、彼同様覆面を施した何者かと密会していた。
「それがわからんのです。
洞穴の中を逃げ回ってる内にはぐれちまいやして………」
「オウさ………」
「気を落とすなよ、そんな状況じゃ仕方無いさ。
ま、あのマッちゃんが刺されたくらいで死ぬとは思えないし、
きっと無事に逃げてるだろうよ」
「だといいんですが………」
「だーかーら! お前までしょげ返ってどうすんだよ。
まるでマッちゃんが死んじまったみたいで縁起でも無いだろ?」
「オウさっ!!」
密会の相手はビルとベンの、【草薙カッツバルゲルズ】隠密コンビの二人だった。
【鳳天舞】を名乗る暗殺部隊の奇襲から命からがら逃げ落ちた二人は
マサルと伯爵の危機を報告すべく、全身に負った怪我の治療もそこそこに
ホークアイが逗留する【フォルセナ】へすっ飛んできたのだ。
討手による襲撃は予想していたものの、かつて互いの命まで預け合ったランディの首謀とは
さすがのホークアイも想定外で、異常事態に混乱する舎弟へ見せる表情も戸惑いに曇っている。
「兄ィ、やっぱりココはデュランの兄ィたちにも相談した方がいいんじゃないですかい?
正直、俺たちだけじゃどうにもなりやせんぜ?」
「オウさ…ッ!」
「それが出来ない相談だから、お前ら二人に任せたんだろ?
今、デュランは一番大切な戦いに挑もうとしてる。
そんな大事な時期に、あいつの悩み事を増やすわけにはいかねぇさ」
ビルとベンは単にマサルへ表の【社会】の動向を
報せるメッセンジャーとして動いていたわけではない。
近況報告はあくまでタテマエで、その実、彼らの行動を監視していたと言う方が正しい。
【草薙カッツバルゲルズ】を離れ、邪眼の伯爵と高飛びしたマサルが何を思い、
どう動くのか、つぶさに監察していたのだ。
それは、ホークアイからの指示だった。
「あくまで極秘裏に動くんだ。
決して他のみんなに悟られないように、慎重に慎重を重ねてくれ」
ホークアイの指示はこの言葉で締めくくられた。
【社会】からの危険視を警戒して【草薙カッツバルゲルズ】解散を提案したと言うのに、
【魔族】を伴って逃亡した事で今や【社会悪】の急先鋒と見なされるマサルと
交流があるなどと暴かれては全て水の泡。
間違いなく逆賊の汚名を着せられ、一筋の光へすがる事も許されないまでに追い立てられる。
もともと日影に生きてきた自分はそれでも構わないが、他の皆は違う。
仲間たちを逆賊にするわけには行かない。もちろん【仲間】の中にはマサルも含まれる。
逆賊と目されたマサルを救うために、逆賊の汚名を仲間たちに着させないために、
全てを極秘裏に取り成すと決意するホークアイは、ビルからの再三の説得も頑なに拒絶していた。
「いいんだよ、お前たちまで厄介な心配、抱え込まなくたって。
これは俺たちの問題なんだから―――」
「―――いくら兄ィでも今のは怒りやすよッ!?
兄ィたちだけじゃない、こいつぁ俺たちの問題でもあるんでさぁッ!!
俺たちぁ、これでも【草薙カッツバルゲルズ】一の隠密を自負してんですからねッ!!」
「オウさッ!!」
何気なく放った一言が二人の逆鱗に触れてしまったらしい。
「あ、ああ、ごめん、悪かったよ。そうだよな、皆、仲間だもんな」
顔を真っ赤にして詰め寄るビルとベンに、ホークアイは即座に頭を下げた。
頭を下げながら、ビルとベンがここまで【草薙カッツバルゲルズ】を
大切に思っていてくれた事がホークアイには嬉しくて仕方が無かった。
「―――よし、じゃあ【草薙カッツバルゲルズ】隠密方のお前たちに改めて頼みたい。
急いでマッちゃんの居場所を探ってくれ。
一刻一秒を争うピンチだ。抜かりなく頼むぜ」
「承知ッ!!」
「オウさッ!!」
「………それと」
「………ランディの兄ィの事、ですね?」
「お前ら、ランディの刺客と聴いてどう思った?」
「正直、今でも信じられやせん。
あんなに物腰穏やかで気弱なランディの兄ィに限って、
仲間を討てだなんて命令を下せるなんて………」
「オウさ………」
「それでいいんだよ。信じられない気持ちを信じようぜ。
もしかしたら【アルテナ】のバカが【ジェマの騎士】を騙って
マッちゃんを襲わせたとも考えられる」
「地盤固めのマツリゴトってヤツですかい………」
「【アルテナ】の為政者ならその線も十分考えられる」
「オウさッ!!」
「そこらへんの事実関係を、捜索と併せて洗ってくれ」
「重ねて承知でさぁッ!!」
「―――それともう一つ。
…いいか、これが一番大事な部分だ」
「オウ…さ?」
「………死ぬなよ」
「………委細承知ッ!!」
「オウさぁッ!!!!」
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