阿鼻叫喚の嵐から一夜明けた昼下がり―――………。
瓦解した円卓の間を打ち棄て、別フロアの衆議堂へ会場を移した【サミット】は、
議題の終結を目前に意外な展開を見せた。
「【パンドーラ】の補助参加人でなく、【アルテナ】の王女でもなく、
一人の人間、アンジェラ・ユラナス・フォン=アルテナとして発言する機会を
私に与えてください」
これまでヴァルダやナイトハルトら一流の政治家たちの影に隠れ、
自己主張一つしてこなかったアンジェラが、ヴァルダへ向けて挙手し、発言の場を求めたのだ。
「どういう風の吹き回しなのです? もう閉幕だと言う時に発言したいなどと」
「全部見届けた今しか出来ない発言です」
「………………………」
会場がどよめくのも当然だ。
満場一致で逆賊ロキの討伐と、世界を滅ぼしかねない恐るべき【マナ】の即時恒久的封印を
新たに掲げる【社会正義】として議決し、ヴァルダの閉会の辞で臨時【サミット】の全日程が
終了する間際に発言の権利を乞う人間など前代未聞。
しかも権利を求めるのは、ヴァルダの実子にして【アルテナ】第一王位後継権を有するアンジェラ。
「何を始めるつもりだ」と誰もが隣近所で顔を見合わせる。
「あたしは視野を広げるため今日まで旅を―――」
「―――お待ちなさい、まだ発言を許可したわけでは………」
「よろしいではありませんか、女王。
初めて参加した【サミット】を経て、アンジェラ王女にも思うところがあったのでしょう。
ここは次代のモラルリーダーの所信表明へ耳を傾けるとしましょう」
「………………………」
本会議中の前後不覚から復帰したヴィクターのフォローに後押しされたアンジェラは、
生まれて初めて演説の席に立ち、やや緊張した面持ちでゆっくりと思いの丈を語り始めた。
「それじゃ改めまして………あたしは視野を広げるために今日まで旅をしてきました。
もちろん一人じゃありません。たくさんの、それでいてどいつもこいつも協調性のない、
個性にアクが出っ放しの連中とずっと一緒に旅をしてきました」
政治の場で行うにはあまり適切とは言えない感想文のような演説だと言うのは
アンジェラ自身にもわかっていた。けれどここは本題へ入るに避けては通れない部分。
なにより、この部分を通さずに本題は語れないと彼女は考えるからこそ、
まばらに現れ始めた「何を話しているんだ」との罵声にもへこたれずに演説を続けられた。
「たくさんの出会いが、あたしを大きくしてくれました。
時にはそりゃムカつく事もあったし、楽しい事もいっぱいあったけど、
全部が全部、あたしに考えもしなかったコトを教えてくれました」
「………………………」
「中にはあたしの故郷が滅ぼした【ローラント】の生き残りもいました。
………【ローラント】征伐なんて、ぶっちゃけあたしには関係のない世代のことだし、
最初なんか深く考えず親友を気取って、常識のあるリーダーに叱られたりして。
その娘は、あたしがいくら無神経なコトをやらかしても微笑むだけで怒りません。
悲劇を過去の事と受け止めて、その上で未来を目指すんだって言って。
そんな偉そうなコト言うクセして、実は一番ムチャするんだけどね。
………故郷の仇を前にしてそこまで優しくなれるあの娘を見ている内に、
自分が当たり前に感じてきたバックボーンが、実はおかしいんじゃないかと思い始めたんです」
旅の中で培ってきた物を、アンジェラは一言一言と共に振り返っていた。
楽しかった事、悲しかった事、苦しかった事が教えてくれた気持ちと一緒に。
そして、連戦に次ぐ連戦を経る内に芽生えた感情と疑問を、
【アルテナ】への叛意とも取られかねない想いを大国とその木陰に縁る者たちへ向けて堂々と並べていく。
「………アンジェラ、私はモラルリーダーとして、一人の母として、
貴女に今の発言の撤回を要求します。すぐに訂正して謝罪しなさい」
「一極支配とか、政治の駆け引きとか、全然わかんないわよ。
でも、普通に考えて? 政治家が動かすための【社会】を確立するために
【パンドーラの玄日】みたいな悲劇を起こしてもいいの?」
「あの事件は【パンドーラ】の若手将校らによるテロ犯罪。
【アルテナ】が関わっていたと立証するものは何らありません。
ロキ・ザファータキエの用意した文章が偽造された物である可能性も高く、
ライザ・ロンダンスに至っては、事前に用意した亡骸を用いての自作自演。
名誉毀損も甚だしい与太話めいた言いがかりです」
「だから難しい事はわかんないって言ってるでしょ。
あたしが言いたいのはね、ママ、火の無い所に煙は立たないってコト」
「………………………」
「ロキもライザさんも、【アルテナ】の悪い側面を見て暴走したわ。
でも、それってママの言った通りの思い込みなの?
現実に故郷を攻められたライザさんならともかく、
本当に説得力の無い与太話だったらロキは絶対に信じなかった筈でしょ?」
「………アンジェラ………」
「それなのにやる方なくブチギレて政府転覆まで企ててさ。
そうなるまで追い詰めたのは、多分、他でもない【アルテナ】に原因があると思うのよね。
だったらそれって、間違いなく【アルテナ】に根付く問題よ」
「貴女がさきほどから並べ立てている言いがかりは、
例外なく憶測に基づく推測の域を出ていないと忘れないように」
「もちろん、わかってるわよ。自分がどんだけ底の浅い話してるかもわかってるつもり。
だけど、従順な英雄の感覚さえ狂わせる悪事を【アルテナ】が隠してたのは事実でしょ」
「それは【社会悪】を自ら買って出るという逆転の【正義】の―――」
「だから、政治の話をしてるんじゃないの、あたしは―――」
子供じみた言い回しではあるものの、取り繕う物のない真摯なアンジェラの言葉が
発言の撤回を求めるアンジェラの反論をジリジリと隅へ追いやりつつあった。
「―――あたしはね、ママ、新しい国を作ろうと思う」
「………………………」
「具体的には説明できないんだけど、そう、たとえば国の垣根を取り払って、
議長とかそんなのも無くて、けれどみんなが平和でいられる国の仕組みを作るわ。
権威を中央へばかり集中させるんじゃないの。村や町単位の地方へ分権していくのよ」
「【地方分権】を行えと?」
「難しい話じゃないわよ。要は隣組の人達ともっと話し合いすればOKってワケ。
話し合いの輪がブワッと世界規模で波及してけば、
権力に統率される事のない【平和】の明るさが差すんじゃないかな」
「……………………」
「これがあたしが貫こうと決めた【未来享受原理】なの。
ホントの【民主】じゃないかなって、自分でも胸を張って言えるわ。
そこまで思い切って仕組みを変えないと、第二第三のロキが生まれるのは明白ね」
「……………………」
「このままじゃ、【アルテナ】も先が長くないわ。だったら喝を入れなきゃダメッ!
変わる事で痛い目見るとか、ツマラナイ理由で足踏みしてたら何も変わらないもん」
それがどれだけの覇業なのか、本人にも自覚は皆無だろうが、
全世界の連邦政府化をも視野に入れたアンジェラの草案は抜本的改革を行うに足りる
大胆極まりない代物だ。
「―――あたしは、行き詰った【アルテナ】を【革命】してみせるわ」
そんな大改革案をハッキリと明言したアンジェラへ、まばらながら拍手が起こり始めた。
「………………………………………………………………」
やがて万雷に変わった拍手の渦は、決してアンジェラに賛同し、祝福をもたらす物ではない。
乾いた音の中には「政治もわからん子供が何をナマイキに」との冷ややかな侮辱と嘲りが
これでもかと言うほど込められている。漏れ出す失笑の数も決して少なくない。
自分なりの精一杯の宣戦布告を遂げたアンジェラに対する【大人】たちからの嘲りの洗礼だった。
「………立派だったじゃない」
「当たり前でしょ? ライザさんにも約束したんだからさ。
“次に会うまでに”………死ぬまで時間かけても、あたしはこの【革命】、
絶対にモノにしてみせるわ」
発言を終えて席に座るなり肩を抱いてくれたプリムが、真剣な表情で拍手してくれるランディが、
誰にも見られないようにサムズアップで答えてくれるヴィクターが、
嬉しそうに頷く英雄王が、数少ないけれど理解者がいてくれるから、
アンジェラの信念は嘲りの洗礼を吹き付けられても少しも磨耗する事は無い。
(………ブライアンも眠りこけてないでとっとと起きなさいよね。
今日からようやく【革命】が始まるんだから、寝てる間もなく忙しくなるわよッ!!)
―――――――――【社会】をもひっくり返すほどの大いなる【革命】は、
今日、この瞬間に、アンジェラの演説にて幕が切って落とされたのだ。
†
「………母様が【ケーリュイケオン】へ切り込む直前です。
突然姿を現した【三界同盟】の道化師が、全てを打ち明けてくださいました」
「………死を喰らう男だったな、確か」
「【三界同盟】との最初の交戦の折に落命した母様の無念を感じ取ったかの男は、
死者にかりそめの命を与える外法を用いて、母様に再び魂を吹き込んだのです」
「抵抗空しく連れ去られたエリオットの救出と、
お前たち二人の成長を見届けられなかった無念を………か」
「かりそめの命は、言ってみれば泡沫の夢。そして、夢は必ず覚めるもの。
母は、己の命の限界を道化師に告げられると、その足で【アルテナ】へ向かったそうです」
「………将来、お前たち【アークウィンド】の前に【アルテナ】が立ちはだかる事のないよう、
禍根を断っておくってか………親バカも、そこまで行き着けば芸術だぜ」
ところどころ材質の違う木材がはめ込まれたロッジの壁を、
リースは言葉を交わしながら慈しむようにそっと指で撫でていく。
やがて指先が窓の縁に当たり、ふと外の景色へ眼を向けると、抜けるような青空のもとで、
小さな石がポツリと置かれただけの簡素な墓標を囲むように仲間たちが輪を作っていた。
墓標に刻まれる名前は確認するまでもない。
ライザ・ロンダンス。最愛の母の墓標だ。
最初に墓標を立てた時には、たった一輪しか添えられなかった献花が、
今では溢れるばかりの大輪を飾っている。
仲間も、家族も、皆が母の死を悼み、白い手向けの花束を添えていった。
「【三界同盟】が潰滅した後、私たちのもとを離れた母様は、
ずっとここで…、【ローラント】を負われたあの日から私たちが暮らしてきたこのロッジで、
戦いによって損壊した箇所を独り修繕してきたそうです。
………また、家族三人で暮らせる日を想い、一心不乱に、コツコツと………」
【マナストーン】を求める旅へ出発した時は、殆ど半壊していたロッジを
3ヵ月もの間、たった一人で修繕した母の労力を考えると、頭を垂れてもまだ足りないほどだ。
再び家族で暮らすという夢に想いを馳せての行動だったのだろうと、
痛いくらいに理解できるからこそ、いくら頭を垂れて感謝しても足りないのだ。
「………それだけじゃねぇだろ、こさえてたモンは」
「………………………」
「エリオットから聴いてたが、予想以上にぶきっちょみてぇだな、お前のお袋さんは。
スカートの丈、左右の端と端を見比べると、どうにも釣り合ってねぇように見えるんだけどな」
「似合いませんか?」
「………つか、見慣れねぇ。いつも黒いコート着てたからか」
「喪服はもう着ません。忌が明けましたから」
「………そうか」
ロキを斬り逃した事で余計頑なに無機質化していく彼の表情(カオ)に
微かな驚きが宿るのを見逃さなかったリースは、
苦笑まじりに自らの装いを改めて見下ろし、改めて【忌明け】を実感した。
ブロンドの長い髪を束ねるリボンと同じ若草色のワンピースは、
確かにこれまで絶えず着用してきたゴテゴテしいブラックレザーのコートと比べて印象がガラリと異なる。
若草色のワンピースと桜色のブラウスが合わさると、まるで春風が吹きぬけたかのように爽やかだ。
明るい色調は、リースの微笑みをより温かに際立たせてくれた。
母が愛情を込めて繕ってくれたワンピースを纏っているのだから、心が温かに満たされないわけがない。
「―――なぁ、リース。俺が、お前のお袋さんに約束した事、覚えてるか?」
「“俺はリースを守らねぇ”…でしたっけ?」
「それじゃねぇよ、その後だ」
「………………………」
「………結局途中でブツ切になったまんまで、まだ伝え切れてなかったからな。
せっかくの【忌明け】だ。ちゃんと全部話しとく」
「………………………」
「お前は一人前だ。だから俺はお前を守るようなヤボな真似はしねぇ。
でもな、俺はお前を―――――――――」
「―――今のあなたに、その言葉を言ってもらったって、ちっとも嬉しくありません」
最後まで伝えきれなかった約束を口にしようとするデュランを、リースの拒絶がピシャリと遮る。
デュランなりに決意を込めての発言だっただけに、にべも無く切り捨てられた瞬間は
落胆に膝から崩れそうにもなったが、言葉の裏側にこもった含みに気付くと、
何事か思案したまま瞳を閉じた彼女の二の句を黙って待つ事にした。
「人の弱さはつっつくクセに、自分の弱さはさらけ出してくれない薄情者のド鬼畜なんかに、
そんな言葉は口にする権利もありませんから」
「………えれぇ言われ様だな」
「どんな言われ様でも、本当の事に変わりはないですよね?」
「………………………」
「だから、今のあなたにその言葉を言って欲しくないんです。
………全部が終わった時に、もう一度、お願いします。
それまでずっと待っていますから」
「………一度わがまま押し通したら味をしめやがったのかよ、お前は。
お前のわがままに付き合って俺自体が忘れちまってたら、そん時ぁ責任取らねぇからな」
溜息交じりに頭を掻いたデュランが仲間たちに合流しようと玄関へ向かおうとした時、
彼の胸へ、ドンッ、とぶつかるようにして軽い物が圧し掛かってきた。
次いで鼻腔をくすぐる春の香りがする。
それは、少しだけ頬に熱を帯びた、春を纏う少女の香りだった。
「………言葉はまだいらないけど、今は、…今だけは、こうしていてもいいですか………?」
「………わがままばっか言ってっと、エリオットに笑われるぞ」
「わがままとは違いますよ。相変わらずデリカシーがありませんね、デュランは」
「あんまくだらねぇ事言ってやがると振り解くぞ、コノヤロ」
「うそつき。振り解くほど厭なら、抱き着かれた時に突き放しているじゃないですか」
「………………………」
「デュランの事なら、なんでもわかってるつもりですよ」
「………―――もう、いい。とにかくお前は黙っとけ」
―――――――――雲一つない青空が祝福する【忌明け】には、季節外れの【春】が訪れていた。
†
「アンジェラ・ユラナス・フォン=アルテナに謀反の嫌疑あり―――」
―――その頃、仲間たちと合流するため、アンジェラが早々に出立した【ケーリュイケオン】の一室では、
そんな彼女の想いを無残に打ち砕くヴァルダからの勅命が
【ローザリア】や【フォルセナ】といった選りすぐりの軍事国家へ通達されようとしていた。
「―――よって、かの者とそれに追随する郎党を逆賊―――すなわち【社会悪】と承認し、
ただちにこれを討つべし―――――――――ッ!!」
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