―――死闘の終焉は、同時に未練を断ち切ったライザの、最期の始まりを告げるものでもあった。
「何!? どういう事よっ!? ライザさん、どうしちゃったのっ!?」
「………にくたいのげんかいがきたようでちね………」
愛する子らと【家族】の対話をするライザの肉体が、朝靄のように白み始めていく。
ポロポロ、ポロポロと微かな生命を光の粒子へ変えて、止められない涙のように零れ落ちていく。
シャルロットはその様子を『肉体の限界』と称したが、極致と例えるには、
ライザの溢す燐光は哀しいくらい美しかった。
「ちょう待て! もしや、ライザは………」
「………アンデッド、と便宜上分類すればいいのでしょうか。
【ネクロマンサー】によって仮初の命を与えられた、無念残した死人です。
【死】を司る道化師に甦らされたアンデッドが、彼女の正た―――」
「そんな言い方すんじゃねぇ、ヒースッ!!
あの人は死にながら生きてるようなバケモノなんかじゃないッ!!
あの人は、リースとエリオットの母親だッ!! 最期の最後まで、母親として生きたんだッ!!」
【三界同盟】との戦いに敗れ、壮絶な闘死を遂げたはずのライザが、
どうして現世へ戻って来れたのか、その理由を淡々と解いていくヒースの分析をホークアイが一喝する。
「【あんでっど】は、せいじゃにうらみをもってうごくあくりょうでち。
ライザしゃんは、みとどけられなかったかぞくのしあわせをねがって、
もういちどすがたをあらわした。
ホークしゃんのいうとおり、かのじょは【あんでっど】なんかじゃない。
まぎれもない、ふたりのおかあさんでちよ」
「………失言でしたね………」
最後の最後に、かつて自分が否定した暴力で未来を守ろうとしてしまったけれど、
仮初の命によって動かされた生霊かも知れないけれど、
ライザは、決してアンデッドではない。
最後の最後まで、誰よりも愛する我が子を想う母親だった。
「フェアリー…ッ、キミの力でライザさんを助けてあげられないのかッ?
不完全とはいえ、【女神】のキミなら………ッ!!」
「そうよッ、そうだわッ!! 回復魔法をありったけ重ねがければ、もっと時間を………」
「………ランディ………プリム………」
「………そんなにフェアリーを困らせてやんなよ。
………全うされようとしてる魂を、延命なんかできわけないだろ………」
「ポポイの、言う通りだよ。………」
フェアリーへ無茶を要求するランディとプリムを制止したケヴィンの顔面は、
涙でぼろぼろになってしまっている。ポポイも、フェアリーだって同じだ。
皆が、ライザのために涙を流し、彼女が迎える最期を見守っていた。
「肉体が、限界をきたしたって事は、もう、何も、思い残すこと、ないの?」
「………ええ。夜叉へ堕ちる淵にいたのが不思議なくらい、清々しい気持ちです」
「なら、ええねん。や、リースやエリオットの気持ち考えたら手放しに十字も切れへんけど、
この世の暇乞いに後ろ髪を引かれちゃ真っ直ぐ昇ってけへんしな」
悟りに至ったかのような顔つきは、現世にやり残した無念を全うし終えた者の、
生から解放された者の達観からか、果てしなく穏やかに揺らめいている。
「………ま、そんなとこだろうと思ってたけどさ」
「申し訳ありませんでした、エリオット様。
このような幕引きとなってしまって………」
「ムシが良過ぎるもんな。目の前で死んだ人間がホイホイ生き返るわけないし」
「………………」
「てゆーかさ、心配症が過ぎるんだよ、ライザは」
「過敏になってもまだ足りない心配が、成長を見守る者の、………親の務めなのです」
「うっぜぇな、おい!
死んだ身体に鞭打ってまで来られても、生きてるボクらは、逆に引く一方なんだけど!」
「………………」
「そりゃ心配になるのもわかるよ?
まだまだ半人前にも手ぇ届かないガキだからさ、ボク。
でもさ、何ができるか、何もできないのか、それだってわかんないけど、それでも精一杯やってくから、
………もう休んでよ。………これ以上、ライザがムリするの、ボクは見てられないんだよ………」
「………………」
「てゆーか、脂ぎった親バカなんて見ぐさいだけだってのッ、しょーじきッ!」
歯に衣着せぬ物言いはいつも通りに横柄だが、ライザの命の粒子がだんだんと薄れるにつれて、
声のトーンがピンと張り詰められていく。触れれば壊れてしまうほどに。
溢れだしそうになる鳴咽を懸命に押し込めて明るく振る舞うエリオットには、
せめて最期だけはライザに心配をかけまいと堪える必死の想いがあった。
「大丈夫!エリオットは、オイラたち、みんなが、守るからッ!」
「へっ、ナマイキさ加減を直さない限り、俺は知らんぷりすっけどな」
「あんたしゃんはみずをさすんでちか、ここでっ!
まじくそにどーしよーもないげそっぱちでちねっ!」
「イカの足扱いかよ俺って!人がせっかく明るく見送ろうとだなあ〜!」
「………とまぁ、愉快どころかイタいくらい騒がしい連中が一緒だから、エリオットもリースも絶対元気でいられるわ!」
サムズアップも明るいアンジェラの笑顔を直視するのは、戦いを終えたとは言え、
ライザにも複雑な想いが去来するらしく、瞳が合うなり気まずげに俯いてしまった。
「………アンジェラ王女………私は―――」
「………みんなが元気でいられるように、あたし、頑張るから。
あたしが何をどう頑張って、どうなっていくのか、空の上から見ていて」
「…………………」
「もしも二人の元気がなくなるくらいダメダメになっちゃったら、
死ぬまであたしを呪ってくれてもいいわ。」
「………その時が来てしまったら、今度こそ容赦しませんから。
再び甦って地獄の底まで追いかけ回します。お覚悟を」
「親の執念はおっかないからね。
ま、次に会う時までには、お茶でも飲もうと笑ってあなたを誘えるようにしておくわ」
「“次に”…ですか」
「そ。“次に”よ」
【社会】から限りない寵愛を受け、【社会】の何たるかを知らずに生きてきた
【アルテナ】王女の物とは思えない言葉の意味を噛み締め、受け止める事はできたが、
【発展】の可能性を認められても、一度内包した複雑な想いは一朝一夕で消えるほど根が浅くはなく、
声で答えは返しても、視線を合わせる事は出来なかった。
そんなつれない程度でもアンジェラは満足だった。
“次に”会う時には、きっと顔を見合わせて笑い合えるだろうから。
「………デュラン様………」
「………………………」
「私の役目は、ここで終わりになります。
私の後を、リース様をお守りする役目を、貴方様へ託してもよろしいですか………?」
我が子の確かな成長を見届けたライザには、それだけが心残りだった。
この先も降りかかるだろう数々の困難から、彼は我が子を守ってくれるだろうか。
迷う事なく正しい未来へ導いていってくれるだろうか。
「………………………俺は――――――――――」
返答に困る問いかけと解っていた。だが、それでも確認しなければならなかった。
「必ず守る」と望む答えが返ってくると解っていても、彼の口からその言葉を聴かなくてはならなかった。
「―――――――――俺は、リースを守らねぇ」
「………デュラン様………?」
―――しかし、デュランから返された言葉は、彼女の予想を大きく裏切る物だった。
今までリースを守り、導いてくれた筈のデュランが、今になってどうして否定するのか?
真意を計り知れず、訝るように見つめたデュランの表情は、相変わらず無機質なままだが、
この瞬間だけは修羅の炎は影を潜めていた。
言葉に、瞳に、ライザへ手向ける、確かな餞の感情が込められている。
「………リースは、もう一人前の戦士だ。俺が守る必要はどこにも無ぇ」
「………………………」
「―――………俺は、リースを守ったりしねえ。
………………………ただ―――」
ああ、そうか。そうなのだ。【死】という停滞へ埋没した人間に予想できる未来は、もうどこにも無いのだ。
今を生きる若者たちは、自分の想像よりも遥か先へ歩いていく。
リースがそうであったように、デュランも、今では彼女の希望の彼方に立っているのだ。
「ただ―――」の後へ続く言葉を、遥か彼方から握り返してくれた未来を、
静かに揺れる彼の瞳から汲み取ったライザは、
満足そうに頷き、デュランが返してくれた想いを深く、噛み締めた。
「………一つだけわがままを言ってもいいですか?」
「初めてじゃありませんか、リース様がわがままなんて………」
「………私を、“リース”と呼んでください」
「………………………」
「………ズルいぞ、姉様。ボクだって呼び捨てにしてもらった事ないのに」
「………………………」
最初で最後のリースのわがままに、人生で最高の幸福を感じたライザは、
喜びで弾けそうな諸手を差し出し、骨が軋むくらい強く二人を抱き締めた。
はにかみながら身を預けてくるリースの愛しさを、くすぐったそうに身じろぐエリオットの仕草を
決して忘れないように、我が子と生きた証明を刻み込むために、強く、ただ強く。
「―――――――――リース、エリオット………」
「………………………母様っ!」
「お母さん………っ!」
薄まる感触が現世から切り離されるまで、最期の瞬間まで最高の幸福を抱き締めていられたライザは、
光の粒子となって散りゆく瞬間、悲しいほど淡く儚く、例えようのないくらい美しい笑顔を称えていた。
「………………………だ………い………………す………き………………―――――――――
もう二度と抱く事の出来ない子供たちを永遠に見守ると誓うように、
光の粒子は輝きを失わないまま、愛する姉弟の周りを舞い踊って―――――――――………………
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