「邪魔しやがるのは…どこのどいつだぁッ!!」
白い闇を碧の烈光で切り裂いたデュランの眼に飛び込んできたのは、
膝を付いて苦しむロキと、彼の前に立ちはだかり、盾となって庇う女戦士の姿。
紫水晶の甲冑に身を包み、交叉槍(ツインランス)を携えたライザ・ロンダンスその人だった。
「今のはてめぇが仕掛けたのか………ッ!?」
「ふ、“不浄なる烈槍”…ッ? なぜここに………」
「………この世のいとまに未練を断ち切る必要があったので、再び干戈を取った次第ですよ。
忌まわしいこの地を訪れ、貴方の盾となったのも、ね」
ロキの窮地を救ったライザの足元には、数人の骸が転がっている。
と言っても、もともと会場の中にいた人間ではない。
異様なマント姿にドス黒い血を滲ませた骸は、ケヴィンたちが追いかけていた不審者たちだ。
「この屍は………」
「これこそ【アルテナ】を逆賊たらしめる証拠だ」
「………………………」
「見覚えが無いわけがあるまい?
反対勢力を暗殺すべく貴様自身が用意したアサシンなのだからな」
「―――何を根拠にそのような戯言を? 誰が暴徒の虚言を信じると?」
「“【パンドーラの玄日】の再来を目論んだ世界のモラルリーダー”。
いかにもブン屋受けのする見出しとは思わないか?」
「常識を弁えた記者でしたら、間違いなく棄却するでしょうね」
「タブロイド紙がどう食らい付くか、考えただけで高揚してくるな」
「………………………」
「要人暗殺を目論む【アルテナ】だ。過去の歴史にも汚点を隠しているかもしれない。
世論の興味がそこへ移行すれば、やがて【パンドーラ】に費えた若手将校の夢も
果たされるものと確信しているがな」
「虚言が受け入れられると信じているのですか………愚かな」
「愚かとほざくならば、今ここで、【サミット】の席にて自白させてみようか?
利用されるだけの哀れな亡骸へ鞭を打って?
精霊を統べる者に伝わりし外法を借りれば、死者の口を開かすなど造作も無い事だ」
「………………………」
襲撃者の攻撃から護るべく盾となって立ちはだかるランディを飛び越して、
彼の背後に下がったヴァルダへ険しい眼差しを向けたライザは、
リースも、エリオットも聴いた事のない暗い怨嗟の声を絞り出した。
ありとあらゆる負の感情が入り混じる憎悪の呪詛を浴びせかけた。
「………ヴァルダ・ユラナス・フォン=アルテナ。
貴様の主義は存分に聴かせていただいた。貴様は実に理に優れた政治家だ」
「………………………」
「しかし、貴様は一つ見落としをしている。最も重要な点を忘れている」
「………なんでしょう? 見当がつきませんね」
「………貴様が語るのはあくまでも【社会】と国家の在り方ッ!!
そこに住む人間を、民衆の存在をまるで考えていないッ!!」
「考えているからこそ【社会】を確立せんと努めるのです。
貴方もその男と同じ【社会】を知らぬ無能者なのですか?」
「………『汚職ッ! 暗殺ッ! 民意を無視した断行ッ! 【社会悪】への一方的な制裁ッ!!』。
見上げた【社会】貢献よな。………一度も深くその意味を考えた事の無い言葉だ」
「………………………」
「犠牲となるのは常に民衆だッ!! 比例以上の暴力でもって蹂躙される民衆の犠牲を
貴様は少しでも、ほんの僅かでも思慮へ入れた事があったのかッ!?」
「―――貴女は………」
「我が名は【ローラント】アマゾネス軍団長補佐、ライザ・ロンダンス………ッ!!
十年の彼方へ費えた同胞の無念晴らすべく、復讐にまかり通る………ッ!!」
復讐者の怨嗟に曝されたヴァルダへ初めて怯みが差し込んだ。
【社会悪】の逆賊として征伐された【ローラント】が地図上より潰えて早十年。
【アルテナ】史上にも大きく残る最大規模の民族虐殺の犠牲者が、
十年の時を経て復讐に姿を現した。
誰もが風化させていた忌々しい虐殺の末裔が、同胞が、故郷が焼き尽くされていく様を全て見届け、
【社会正義】へ怨念を抱いたまま生きてきた復讐者が、
よりにもよって【アルテナ】の悪意を如実に証明する証拠を担いで這い出たのだ。
「【ローラント】と…、【アルテナ】への簒奪者と…、十年を経て見えるとは………ッ」
時の流れに醸造された怨恨は磐石の一点をも突き崩し、
不動の櫓すら崩壊せしめるマイナスのエネルギーを発揮する。
【社会】のモラルリーダーとして、代々復讐者の脅威を教え込まれてきたヴァルダには、
これに勝る恐怖は無かった。
「【ローラント】征伐から数えて、【アルテナ】は幾つの悲劇を産み落としてきたのだ…ッ!?
自国の貧民層に穢れを強要し、【パンドーラ】では将校を誑かして再びの虐殺事件ッ!!
そして今日、再び同じ悲劇を繰り返そうとしている………ッ!!
どれだけその諸手は血塗られているのだッ!?
どれだけの人間を【社会】の錦旗のもとに屠ってきたッ!?」
「………………………」
「犠牲の上に成り立つ現在に満足できず、新たな犠牲を重ねなくては、
貴様らは【社会】を維持できぬのかッ!! 維持できぬほどの脆弱な【社会】しか築けぬのか!!
世界のモラルリーダーが聞いて呆れるその罪、万死に値するとは思わぬかぁッ!!」
「―――ゴチャゴチャやってんじゃねぇっつってんだろうがッ!!」
「―――ッ!? デュラン様………ッ!?」
あと一手詰められればヴァルダに罪状認否を吐かせられるという時に、
闖入によって立ち往生を食わされていたデュランの我慢がとうとう限界を切って暴発した。
怒りに任せて水平に照射された【プレーンランチャー】の光牙はライザをも巻き込むように襲いかかり、
咄嗟に召喚した【ジン】が呼び込んだ魔法の風に乗る事で直撃こそ免れたが、
寸分掠っただけで甲冑の肩当ての部分が弾け飛んでしまった。
(掠めただけでこの威力………ッ!? 直撃を蒙っていたら、果たしてどうなっていたか………)
一直線に伸びた光の牙は【サミット】の会場へ筆舌に尽くしがたい破壊痕を刻んでも
まだ収まりが付かないようにのた打ち回っている。
本当に、直撃を蒙っていたらと考えただけで背筋が凍りつく。
やはりライザの判断は正しかった。
重いロキの巨体は風の魔法によって即座に安全圏まで運べたが、もしも力ずくで引きずっていたなら、
回避行動も間に合わず消滅させられていた筈だ。
「………そこをどけ、ライザ。お前にはその男を庇う義理は無ぇだろ。
それとも【セクンダディ】だか何だかって集団にこだわってんのか?」
「………ロキ殿は私にとって【アルテナ】を滅ぼさんと誓う同志。
いくらリース様やエリオット様に近しい貴方の命とは言え、
ここを退くわけには参りません………っ!」
「………………………お前が退かない以上、俺は【敵】としてお前を潰す。
それでもいいってんだな?」
「デュラン様………」
そこには、リースが思慕を寄せ、エリオットが憧れ、ライザが認めたデュランはいなかった。
代わりに、眼前に崩れた【敵】を、ロキの首を斬り落とそうと迫り来る一匹の【鬼】がいた。
「………ロキ殿、ここは私が引き受けます。貴方は離脱をッ!!」
「………すまぬ、恩に着る………ッ!!」
「今度は逃がさねぇって、さっき言っといただろうがぁッ!!」
このままでは激情に身を任せたデュラン一人を相手に全滅は免れまい。
それならば、一人でも【アルテナ】を潰滅させられる可能性を持つ者が生き延びる事へ注力すべきだ、と
最善の策へ行き着いたライザがロキへ離脱を仄めかすが、修羅と化した【鬼】が
指を咥えてそれを見過ごすわけが無い。
「―――死にやがれッ!! 黒耀の騎士ィッ!!!!」
「クッ………大義も解せぬ愚息めが………ッ!!」
ようやく準備が整った【ニルヴァーナ・スクリプト】をもってロキが戦線を離脱した時には、
【エランヴィタール】の狂撃が脳天から叩き割らんと振り落とされる寸前だった。
間一髪でまたも【敵】を打ち漏らしたデュランは、まるで獲物を逃した肉食獣のように咆哮すると、
次に切っ先を、憎悪の込められた瞳をライザへ向けた。
突き刺さるほどに猛る殺気が迸った切っ先を、狂乱の瞳を。
「………てめえの用はヴァルダにあるみてぇだな」
「………私の目的は、ヴァルダを、我が民の仇敵を討ち果たす事………っ」
「残念だったな。その目的は果たせそうにねぇぜ―――」
刹那、必滅の衝動に駆られた【エランヴィタール】が暴威を振りまき、
ヴァルダを討つと宣戦したライザを強襲する。
【フォルセナ】での戦いよりはセーブされているものの、
光の柱を形成す刃は、円卓だろうと何だろうと辺り構わず破壊し、蒸発させ、
荒れ狂う狂気の塊となって襲い掛かった。
「―――てめえは俺を怒らせたからなぁぁぁあああッ!!!!」
「………私とて本懐を果たせず朽ちるわけには行きません………ッ!!
デュラン様が私を斃すおつもりならば――――――私も夜叉となりて貴様を討つッ!!」
力任せの横薙ぎを風を纏って鋭敏に躱わしたライザの戦法は実に合理的だ。
直接触れれば焼き切らされてしまう【エランヴィタール】の有効範囲をギリギリで見極めて避け、
それまでに宿らせておいた【精霊】の魔力で中間距離から攻撃を繰り出すという物。
間合いを詰められれば遠間へ逃げ、離脱の合間に炎を、氷雪を、雷撃をぶつける。
最大の攻撃力と鉄壁の防御力を兼ね備えたヒット・アンド・アウェイに梃子摺り、
決定打を与えられないままダメージばかりが増えていくデュランは忌々しげに舌打ちを繰り返した。
「―――ライザッ!!」
【狂戦士(ベルセルカー)】と【女傑(アマゾネス)】の攻防が超絶を極める頃になって
ようやく【サミット】の会場へ到着したリースたちは、滅茶苦茶に破壊された会場の惨状に呻いて絶句した。
ヴァルダや英雄王、それにナイトハルトといった英傑を残して首脳陣は既に避難を済ませているが、
逃げ遅れていたらまず間違いなく多大な犠牲者が出ていただろう。
それだけ二人の死闘は壮絶な物へ激化していた。
「………リース様………」
「どうしてこんな………、だって、貴女は…、
貴女が教えてくれたのではないですか…!
【アルテナ】を憎んでも、誰かに恨みをぶつけても意味が無いって…!
なのに、…今になって、どうして………」
「………………………」
「………“今しかできないから”………なのですかっ!?」
「―――――――――ッ!」
「だとしたらっ…、私は、貴女を軽蔑しますよ、ライザ………っ!」
「………リース様、どうして“その事”を―――」
―――と、その時、ライザの視界にポリポリと頬を掻く道化師の姿が飛び込み、彼女は全てを悟った。
「………あのお節介者め………」
「………ライザ………」
「………リース様、確かに私は貴女に云いました。
恨みから何も生まれない。受け止めて、許す事から始めなさい、と………」
「その貴女がどうして【アルテナ】へ攻め入るのですかッ!?
矛盾しているではありませんかッ!!」
「………許し、受け止めただけで晴れるほど、失われた者の無念は浅い物ではありません」
「………………………」
「親や、友、故郷の無念を背負って戦う者が、失われた魂への鎮魂歌を歌う者が、
許し、受け止める者と同じく必要…という事です。
………復讐の暗夜に戦う贄は私だけでいい………ッ!!」
「………………………貴女を軽蔑しますよ、ライザ」
「………心が安らぐまで存分に罵倒してください。
そして、落ち着いたその日には、………闇を振り返らず、光の道を生きてください、リース様」
「………………………―――――――――ッ!!」
動揺とショックでボロボロになった唇を一瞬だけ辛そうに震わせたリースだったが、
次の瞬間には強い意志を取り戻し、決然な瞳でライザと正面から向き合った。
何物にも挫けず、幼稚な正義感を振りかざすでなく、信念を貫くために戦う、
一人前の【精霊戦士(レイライネス)】の姿だった。
「やれやれ、またまた浪花節な展開となりそうですね。
正直、私はこういうの苦手なんですがねぇ」
「だれもヒースのすききらいなんかきいてないでちっ!
あんたしゃんはだまってしゃるのいうこときいて、
ちゃきちゃきうごけばいいんでちよ、このへなちんやろうがっ!!」
「………ま、リースがそう言うんじゃあね。
【ナバール魁盗団】の身としちゃあちょいと複雑だけど、
ヴァルダ王女を見事守ってみよーじゃないの!」
「ちょっと! あたしのママでもあるんだから、
リースばかりじゃなく、きちんとそこらへんもフォローしなさいよっ!!」
「ヴァルダ王女は、アンジェラの、お母さん。
ライザさんも、リースやエリオットには、お母さんとおんなじ。
………その二人が、傷付け合うなんて、オイラ、ゴメンだッ!!
だから、絶対、ここで、食い止めてみせるッ!!」
「子に光を歩ませ、自分は闇を生きる言うあんさんの信念、理解はでけるで。
せやけど、あえて言わせてもらうで! あんさん、間違うとるッ!!
あんさん自身が不幸になれば悲しむ人間が最低でも二人はおるんやッ!!
あんさんが嘆いた【犠牲】やッ!! そいつを忘れたらアカンねんッ!!」
自分の故郷を滅ぼしたヴァルダを、自分を愛し、育んでくれたライザから守るべく
銀槍【ピナカ】を構えたリースの脇を仲間たちが固める。
間違いなくリースには辛いものになるだろうこの一戦を全力で支援するため、肩を並べてくれる。
「ヴァルダ様に受けた恩義…ッ、一命をもって報いるつもりですッ!!」
「気張ってんなぁ、ランディの兄ちゃん!! どうよ、惚れ直しちゃいそう?」
「バッ…、なんで私がランディにときめかなければいけないのッ!!
おふざけを言っていると、貴方から先にやられてしまうわよッ!!」
ランディが、プリムが、ポポイが、かつて共に戦った仲間も、あの頃と今とでは立場こそ違えど、
【草薙カッツバルゲルズ】時代と同じ陣形を組んで臨戦態勢に入った。
もちろん、ルガーも、ブルーザーも、イーグルたちも一緒だ。
「………………………」
怒りに燃えた【鬼】は、何を感じたのか。胸に去来する物は何か。
無言のまま切っ先だけをライザへ向けるデュランの心根は、誰にもわからないが、
これが避けては通れぬ戦いである事は理解しているようだ。
心と共鳴する光の刃の輝きが、それまで以上に出力を増幅させていった。
「ボクを忘れてもらっちゃ困るねッ!!」
「―――エリオット様………」
最後に、危険だからと制止する英雄王を振り切ったエリオットが
脇差を抜きながらデュランの隣へ滑り込んだ。
年端も行かない小さな身体に背一杯の勇気を燃やして、最愛の家族の前に立ちはだかった。
「―――なんかさぁ、復讐がどーとかこーとかカックイイ事言ってたけどさ、
ライザ、本当はそんな後ろめたいもん、考えてないんだろ?」
「―――――――――ッ!」
「ほら、図星だ」
民族虐殺の憂き目に遭った故郷の無念を晴らす【復讐】を掲げて
【ケーリュイケオン】へ乗り込んだ決死の蜂起を根底から覆すようなエリオットの推察は、
鋭さへの驚愕に言葉を失ったライザの反応によって立証された。
エリオットの穿つ一言で戦意を削がれたライザへ、銀槍の穂先を下ろしたリースが一歩ずつ近付いていく。
「やられたらやり返す理論の【復讐】なんかじゃないよな。
ボクらの将来に【アルテナ】みたいな厄介モノを残さないように、
………ボクらに平和な未来を繋いでいくためにクーデター紛いの無茶やらかした。
そこまで深読みすんのは、ボクの勝手な思い上がりかな?」
「………………………」
「………ライザ、貴女は私たちに教えてくれましたよね。
全て奪い取る力でもって復讐を成したところで、
そこに残るのは、また、不条理。それでは恨み抱く【社会】と同じだ、と」
「………………………」
「私は今日までその教えを指針に生きてきました。
どんな不条理も許し、受け止め、その上で平和を紡いでいく事を人生の糧に」
「………リース様………」
「時には叱られる事もありました。でも、最後には貴女の言葉を信じて貫いた。
………見てください。貴女の教えは、こんなにも素敵な人たちを私に与えてくれました。
貴女の言葉が、かけがえの無い絆を与えてくれたんです」
「…………………………」
「犠牲の上に築いていく未来は、もう私たちだけで終わりにしましょう、ライザ。
未来の可能性を変革するのは、大国の傲慢でも、
それを許さない【復讐】でもありません―――」
「…………………………」
「―――貴女が授けてくれたこの言葉が、未来なのです」
「…………………………」
「―――ボクぁ、姉様みたいに回りくどい事は面倒くさいから、
世界で一番短くて、世界で一番ハッピーな文章にまで縮めるよ」
「………エリオット様………」
「………殴っても殴られても痛い。だから心を通わせる。これでいいじゃん」
「…………………………」
「ありゃっ!? だいぶ短くないな、これ。つかフツーの文章じゃんっ!!」
「…………………………」
【家族】の対話を、皆が、ヴァルダを含めた皆が見守る。
【復讐】を大義に、愛する子らの【未来】へ大国の脅威を残さない為、許されぬ暴力に走った母へ、
愛する母に、【復讐】からは何も生まれないと教えてくれた母に、子供たちが心からの言葉を贈る。
それは、紛れも無く、子が母を超えた瞬間だった。
「………………………私の負けですね」
そう言って天を仰ぐと、自分が授けた、…いや、自分の教えを遥かに超えた想いが紡いだ絆を、
時代を継ぐ者たちの顔を見回し、ライザは静かな呼気を一つ吐いた。
カラン、と二つの金属音がヒビ割れた大理石の床で響く。
落ちた【交叉槍(ツインランス)】が、死闘の終焉を告げた―――
「………ライザ………」
「………過去の怨嗟に身をやつした夜叉に拓ける未来はありません。
未来は、常に先を行く者の歩みに。………考えなくてもわかる事なのに」
「ダメだなぁ〜、ライザは〜。
そんなんだからいつまで経っても頼りないんだよ………」
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