騎士の国と名高い“社会正義の雄”【フォルセナ】には、もう一つの名前がある。
【黄金の騎士】と畏怖され、かつては世界中の尊敬を集めた【英雄】ロキ・ザファータキエと、
彼の没後、盟友にして国王リチャードの手によって整えられた世界屈指の騎士団へ
ついつい注目が向かってしまいがちだが、数限りない天然資源と豊かな緑から【草原の国】とも羨望されているのだ。
王都の近隣に広がる草原は果てしなく、河川や湿原の多くが開墾から保護され、清廉さを保っていた。


「………奴ら、なかなか動かねぇな」
「向こうも相当追い込まれているのだから、そう簡単に痺れは切らさないでしょ。
 甲羅に入って防御に徹してるって感じだよ」
「痺れ切らせよ、とっとと。頭出した瞬間に粉砕してやるってのにッ!!」
「………またキミはそうやって短絡に走る。二十歳近いんだから、そろそろ落ち着きなって」
「おー、やだやだ。ハタチ超えてるオバンはこれだからイヤなんだよ。
 デカく離れてるわけでもねーのに、す〜ぐ大人ぶる。
 ボクに言わせりゃ、そーゆー態度取ってるお前のがずっともガキなんだけどねぇ」
「………………………」
「な、なんだよ、その冷めた目は! ボクの事、バカにしてんのかッ!?」


【フォルセナ】王都に程近い【モールベアの高原】もそうした保護区画の一つに指定されており、
本来人の手の及ばない、静かな場所でなければならないはずなのだが、
果てしなく広い高原地帯は、今、軍靴と馬の嘶きが交互に鳴り響く物々しい空気に包まれていた。


「大体、お前、ウェンディ! 最近なんか調子こいてねぇ!? 兄貴の側近はボク一人で十分なんだぞ!?
 なのに、何だよ、姉様のお墨付きだか何だか知らねーが、しゃしゃり出やがってッ!!
 帰れッ!! 帰っちまえ、バーカッ!!」
「………はーい、今の会話を聴いてた限り、エリオットクンと私のどっちがお子ちゃまか、
 臨時のアンケートを取ろうと思いまーす。皆さん、振るってご参加くださーい」
「そ、そーゆーのがガキくさいってんだッ!! ………なんで兄貴はこんなのを傍に置くの許可したんだよ………。
 身内だからって甘やかし過ぎだぜ………ッ!!」
「それから、ソレっ! 『御屋形様(おやかたさま)』、でしょ。
 プライベートならいざ知らず、戦場でまで兄貴呼ばわりしたら、皆に示しがつかないって何度も言ってるじゃない」
「い〜んだよ、ボクは! 二番弟子ならではの特権ってヤツだ!!」
「………アンケート取るまでもなくエリオット・アークウィンドクンがアホガキチャンピオンに繰り上がりましたー。
 皆さん、はい、拍手〜」
「アホが余計に付いてんぞ、いつの間にかッ!! てめ、この、ウェンディッ!!」


もっとも、剣呑な物音に混じって漫才めいた男女のやり取りが聴こえてくるものだから、
それほど逼迫した印象が受けにくいのも仕方が無い。大笑いが起これば尚更だ。
だが、朝靄の中に浮かぶ巨大にして堅牢な砦を見ればそう呑気にも構えてはいられず、漫才に興じる一組の男女も、
木片と鋼の板で固められた難攻不落の塀を見る時ばかりは視線が鋭く研ぎ澄まされていた。


「随分ゆとりがあるみてぇだが、油断は禁物だぞ、お前ら。
 曲がりなりにもここは戦場だ。気ィ引き締めとけよ」


ドッと上がった笑い声へ釘をさすように、一際大きな蹄の音が轟く。
大きいのは蹄の音だけでなく、それを打ち鳴らした馬体は千里とて一夜で走り抜けると思わせる筋肉に固められ、
栗毛も鮮やかなこの牡馬は、【ドラゴンバスター】という名前通りの屈強さを周囲へ誇っていた。


「兄貴っ!」
「兄貴、じゃなくて御屋形様だって!」
「いや、おい、御屋形様はカンベンしろって前から言ってんじゃねぇか。
 背中が痒くなんだよ、そんな風に呼ばれると」
「ダメだって、お兄ちゃん! 大将がそれだと示しが付かないからッ!!」
「いや、しかしだなぁ、こればっかりはなぁ〜」
「あんまりゴネると義姉ちゃんに言いつけるからね!」
「………ケッ、出たよ、出た出た。年上ぶっといて、手前ェじゃ“お兄ちゃん”と来たもんだ。
 公私混同してんのはどっちだってんだよ」
「う、うっさい………っ!!」


慣れない呼び方に苦笑いするのは、雄馬【ドラゴンバスター】の鞍上に跨った『御屋形様』である。
甲殻類を彷彿とさせる落ち着いた土色の甲冑に身を包んだ『御屋形様』は、
元来骨格の良い肉体を備えている事もあり、ただそこにいるだけで何とも言えない迫力を醸し出していた。
威風堂々。そう、威風堂々だ。
三叉の槍の穂先をあしらった前立て(※兜の額に設える飾り)も雄々しいヘルムから覗く精悍な顔立ちには
歴戦を潜り抜けてきただけの勇猛と闊達が滲み、顎のラインを覆う髭が沈着にして荒々しい豪胆さを控えめに彩っている。
『御屋形様』と畏敬されるだけの覇気を、その男は、甲冑の上から羽織るノースリーブの上衣(サーコート)と共に纏っていた。


「―――御屋形様が前衛へ出て来られたって事は、いよいよ………?」
「さすがシオン、察しが良いな。………砦の連中、動くぞ」


『御屋形様』の背後には数百もの騎馬が控えていた。
と言っても、ただ雑然と嘶くのではなく、人馬一体の軍勢は四つの部隊に分かれて整列し、手に槍を、銃砲を構えて待機している。
今ここで『御屋形様』より号令が下されれば、堰を切ったように野を駆け巡り、轟々たる嵐に変わるだろう。
騎馬軍団の先頭で漫才を繰り広げる男女への失笑以外には決して無駄口が起こらないところからも
隅から隅まで行き届いた統率力が窺えた。
他の馬群と揃いのチェインメイルを身に着けた白馬を駆って『御屋形様』に近付き、声を掛けたのは、
『火』の紋様がシンボライズされた旗を掲げる部隊の中心にいた剣士風の青年である。
他の『火』隊の者には見られない腕章を付けているのは、彼が隊長格である事を示す為だ。


「砦に忍び込んでる【ナバール魁盗団】の昔馴染みから連絡が入った。
 ヤツらは明朝を期して【フォルセナ】王都へ攻撃を仕掛ける。今はその準備に大忙しだそうだ」
「つまり、攻めるなら今、という事ですね。
 決戦に向けて浮き足立っている今なら、強固な防壁を突き崩すのも容易い」
「サーレントの言う通りだ。連中、俺たちの事は一先ず無視して中央突破を図るつもりらしい」
「はッはぁ〜、【黄金騎士団】ブチ抜いて王都を乗っ取るって寸法か。
 よっぽどシンガリ(※軍勢の最後尾)に自信があるみてぇですね、お貴族サマは」
「中央突破に成功したところで俺らに後ろから攻められりゃ意味無いってのにな。
 ―――ま、時の勢いに乗じるしか能の無いコルネリオ公にしちゃ上出来。
 兵を預かる人間としちゃ最低ってトコだな、今度の中央突破は」
「御屋形様もなかなか言いますねぇ………」


『風』の紋様をシンボライズした部隊の中心で軍勢の様子を確かめていた魔術師風の青年が
“シオン”と呼ばれた剣士と同じ様に『御屋形様』の近くへ馬を進めた。
『御屋形様』を間に挿んで馬頭を揃えたシオンとサーレント(魔術師風の青年を『御屋形様』はそう呼んだ)は
明暗がくっきり分かるくらいの好対照で、鼻息荒くプレートアーマーを着込んだシオンに対し、
サーレントは鎖帷子以外に防具らしい防具を持たず、立ち居振舞い穏やかにローブの裾を直している。
直情径行と冷静沈着。一目見ただけで二人の気質は判別できた。


「………で、兄貴。どうすんの、いつ、攻めんのさ?」
「こちらの準備は整っているから、いつでも出陣できるよ?」
「そうさなぁ、あんまり時間をくれてやったら、向こうさんの準備が済んじまうからな。
 ―――――――――ボチボチ、行くか」


至るところに鎖の編みこまれた上衣とブレストプレートが鋭敏にして峻烈な活躍を予感させる、
腰へ二刀のカタナを差し込んだ青年剣士・エリオットと、
肩当などをあえて取り除く事によって身のこなしを最大限にまで引き出すアークゥィバス・アーマー(胴鎧)を身に付け、
脇にナギナタと呼称される棒状武器を構えたポニーテールの女戦士・ウェンディの二人に促された『御屋形様』が
自らの率いる騎馬軍団を振り返った。


「皆の者、よく聞けッ!! 御屋形様からのお話だッ!!」


近習として傍に控えるエリオットの宣言を受けた軍勢の面持ちがサッと変わっていく。
痴話喧嘩めいたエリオットとウェンディの漫才に笑い声を漏らしていた兵たちが一斉に口を噤み、
人馬を見渡す『御屋形様』の言葉を待つ。
その誰もが、これから始まるであろう合戦に向けて高揚し、頬へ薄い赤みすら差していた。


「―――皆に告ぐッ!! 断じて気を緩めるなッ!!
 ここはまさに天下分け目への辻ッ!! いずれ来たる決戦への正念場だッ!!
 今、ここでコルネリオ公を討てば、バファル帝国に息づく禍根は悉く断ち切れるだろうッ!!
 肝に銘じろッ!! この一戦に勝つ事こそ、民が安寧への布石になるとッ!!
 戦えッ!! 炎となって攻め抜けろッ!! 常勝無敗の【ローラント】の力、存分に見せ付けてやれッ!!
 よく戦い、よく生き、帰りを待つ家族のもとへ胸を張って凱旋せよッ!!!!」


鞍の脇に収めておいた相棒【ツヴァイハンダー】を引き抜いた『御屋形様』は剣先を天空へ掲げ、
昇ったばかりの旭日を背に全軍を灼熱の如く鼓舞した。
そして、『風』・『林』・『火』・『山』と四つに分かれた部隊の正面を駆け巡りながら、「戦え、生きろ」と激を飛ばして回る。
熱い言葉の応酬によって大いに戦意を昂ぶらせた軍勢から「応ォッ!!」と言う雷鳴が返ってきた。
―――――――――機は熟した。今こそ砦を打ち破る刻(とき)である。


「全軍、このデュラン・アークウィンドに続けッ!!!!」


旭日を浴びた『御屋形様』―――デュラン・アークウィンドはさながら戦神のような神々しさを放ち、見る者全てを圧倒した。
具足に備え付けられた拍車を掛け、ひと度先頭を切って【ドラゴンバスター】を走らせれば、
この威風に魅入られた兵達は全てを捨てて追従するだろう。
果たして今度も、豊穣の大樹を象る【ローラント】の徽章が染め抜かれた軍旗を翻すと
騎馬軍総員がデュランの背中を追うように馳せ、極大の塊となって、朝靄に霞む砦目掛けてぶつかっていった。


「エリオットッ!! 『山』隊鉄砲組へ伝令だッ!!
 全軍のどの部隊よりも先駆けて突撃し、銃弾の雨と霰を降らすべしッ!!
 一雨見舞うだけで構わねぇッ!! 連中の出鼻を挫いたらすぐに下がれッ!!」
「応ッ!!」
「ウェンディは『火』隊へッ!! 鉄砲組が引いた後、砦の守りは剣戟で攻め崩すぞッ!!
 シオン得意の斬り合いだッ!! 派手に暴れてやれってなッ!!」
「はいッ!!」
「『火』隊の連中にはな、いいか、俺が一番乗りするって伝えとけッ!!」
「シオンさんがまた怒るよっ! 大将に美味しいトコばっか持ってかれるってっ!!」
「だから尻を叩いてやんだよッ!! 功名は競い合ってこそデカくなるんだッ!!」


地響きを上げて突き進む進軍の激音をも押し退ける大音声を張り上げ、
エリオットとウェンディに各隊への伝令を指示したデュランの輪郭は
一匹狼を気取っていた傭兵時代より彫りが深くなっているものの、燃えるような瞳には、
昔と、【草薙カッツバルゲルズ】を率いて世界を救った頃と少しも変わらない希望の輝きが灯っている。
両手持ちでようやく扱える大剣【ツヴァイハンダー】を得物にするのも、あの頃と同じだ。


「俺と『火』隊が正面から斬り込んだ後は、全軍円形に砦を包囲しろッ!! 人っ子一人逃がすなッ!!」
『応ォ―――――――――ッ!!!!!!』


【草薙カッツバルゲルズ】時代とは異なる点を探すとすれば、
甲冑姿でもって千にも及ぶ【ローラント】の騎馬軍団の手綱を引き、兵達から『御屋形様』と慕われているところか。
苗字が“パラッシュ”から“アークウィンド”に変わっている事も見落としてはならない。


「―――――――――かかれェッ!!!!!!」


時にしてロキ・ザファータキエの叛乱【ローラント聖戦】から6年後。
【モールベアの高原】に築かれた砦へ濁流と化して突撃していく【ローラント】騎馬軍団が大地を揺るがすように、
【イシュタリアス】もまた、激震の戦雲期を迎えていた―――――――――………………………。
















「なッ、なな、何だッ!? これは何の………ッ!?」


突如として轟いた数百の銃声に怖れ戦いた【バファル帝国】所領がローバーンの公主、コルネリオは
今まさに跨ろうとしていた鞍から足を滑らせ、無様に落馬してしまった。
【モールベアの高原】へ築いた砦を拠点に据えたは良いものの、【フォルセナ】が誇る【黄金騎士団】と
彼らの加勢に参じた【ローラント】の軍勢に挟み撃ちにされて行き詰まり、
立ち往生に立ち往生を重ねた末、王都への中央突破を図ろうとした矢先の出来事である。


「申し上げますッ!! 【ローラント】勢、全軍にて我が砦へ攻撃を仕掛けて参りましたッ!!」
「な、何だとォッ!?」
「只今の銃撃は【ローラント】よりの宣戦布告と思われますッ!!」
「も、申し上げますッ!! 【ローラント】勢、防壁を突き破り、砦の内部へ推参いたしましたッ!!」
「申し上げます―――――――――………………………」


次々と戦況の悪化を運んでくる伝令たちの報告にコルネリオは目を回し、その場にへたり込んだ。
砦の最奥部に位置するこの作戦室まですぐに軍勢が入り込む事は無いだろうが、
物見櫓は横倒しに斬り崩され、一合、ニ合と剣戟の衝突する悲鳴が大きくなっていくこの状況では、
いずれにせよ時間の問題だ。


「これでは…ッ!! これでは【グランベロス】に応じて挙兵した意味が無いではないかッ!!
 【アルテナ】を打倒し、【バファル】の実権を握る私の夢は―――――――――」
「―――――――――夢? ………笑わすんじゃねぇ。
 てめぇが見てるのは夢なんて上等なもんじゃねぇ。もっと薄汚ェ野望ってヤツだ」
「………………………ッ!!」


いや、時間の問題どころではなかった。千里を一夜で勇往する雄馬にかかれば、
乱刃を掻い潜って最奥へ辿り付くなど数分も必要としないのだ。
衝立で隠れた日陰の向こうから、一歩を踏みしめる度に砦全体を揺るがすほど大きい蹄の音と
悪辣な精神を宿した罪人の心臓を鷲掴みにする裁判官ような糾弾が投げかけられ、
続いて白日のもとに現れた威容にコルネリオは卒倒しそうになった。


「デュ………デュラン・アークウィンド………ッ!!」


空色の上衣に旭日を反射させ、それを後光のように纏う戦神の姿にコルネリオは嫌と言うほど見覚えがあった。
数年前の【サミット】で【ローザリア】側の参考人として出席し、その時の不穏な発言から逆賊に認定され、
ついには処刑寸前まで追い詰められたこの男を忘れられるわけがない。
いずれの場面にもコルネリオは居合わせ、ふてぶてしいまでに精悍な面相を幾度となく目の当たりにしてきたのだ。
今は許されているが、【逆賊】の烙印を押された際には唾を吐きかけた事さえあった。


「覚えていてもらわなくても結構なんだがな、てめぇみてぇな虫けらによォ」
「………………………」


当時愛用していたブレストプレートから土色の甲冑へ装いは変わっているものの、
歴戦の瑕が刻まれる【ツヴァイハンダー】が、彼を置いては【剣聖】ステラ・パラッシュ以外に使い手がいないだろう大剣が、
デュラン・アークウィンド本人であると痛切なまでに証明していた。


「よう、待たせたな、兄貴ッ!!」
「お兄ちゃんっ!!」


百獣の王すら萎縮させるだろう鋭い眼光に睨めつけられて失禁という醜態を曝してしまったコルネリオを護るべく
デュランへ繰り出された雑兵の槍を跳ね除け、逆に返り討ちにしたのは、彼の後を追って作戦室に駆け込んできた
エリオットとウェンディだった。
伝令の任務を終え、『加州清光』の二刀と【ナギナタ】を暴れさす二人がデュランの両隣にそれぞれ馬頭を並べる。


「首尾はどうだ?」
「聞くまでも無いでしょ。シオンさんなんか、『ジジィはすっこんでろ』って言ってるくらいだし」
「あの野郎、後で蹴り入れてやるからな………大体、俺とそんなに歳変わらねぇじゃねーか」
「―――って、うわ、このオッサン、漏らしちゃってんじゃねーかッ!
 うっわー………【サミット】以来久しぶりに髭面見たと思ったら、とんだショッキング映像だよ」


砦を固める防壁から火の手が上がったのはその時だった。
開戦の銃撃を済ませて一旦退き、指示通り砦を包囲していた『林』隊が一斉に火矢を放ったのだ。
砦の内部を斬り崩した後、火炎をもって焼亡せしめる―――総攻撃を仕掛ける事前に軍議で決定していた作戦だ。


「オラオラァーッ!! 休んでんじゃねーぞ、そこッ!!
 敵はもう総崩れなんだッ!! 手ェ抜かずに踏み潰しちまえッ!!」
「気持ちばかり逸ってはいけませんよ、我々は一団を率いる身なのですから。
 冷静を失わず、引くべき時は引き、攻める機(とき)は一気呵成に攻める。
 攻守のバランスを見失っては、貴方が好きな功名も拾えなくなります」
「俺を功名心の塊みたいに言うなッ!! ―――男は剣ッ!! 剣こそ男の花道ッ!!
 俺はそいつを体現したいだけだッ!! 御屋形様みたいになッ!!」


衝立に隔てられた入り口付近では威勢の良い声が絶えず飛び交っている。
今も白馬に跨ったシオンが、デュランに手ほどきを受けた自慢のブロードソードを振るい、
敵味方入り乱れる戦場を縦横無尽に駆け巡る姿が目に浮かんだ。
ともすれば直情径行に走りがちな窘めつつ、自らも攻撃魔法で敵陣を打ち据えるサーレントも
魔術師中心で構成された『風』隊を率いて奮迅している事だろう。
銃弾をも避けて通る機動力を備えた騎馬が、隊長格から兵卒に至るまで漏れなく配備されている【ローラント】勢と
権力に溺れた愚か者の群れの戦力を比べれば、遅れを取るなど案ずるまでも無い。


「くッ、くそッ!! くそくそくそゥッ!! こうなればッ、こうなれば貴様だけでも道連れだァッ!!」


腰が抜けてしまったコルネリオには、最早逃亡するだけの気力が残っておらず、
赤ん坊のようにハイハイしながら周辺を這い回るのが精一杯だった。
そうして足をバタつかせる内にとうとう袋小路へ行き当たり、いよいよ逃げ場は八方塞がった。
それでヤケになったのだろう。懐へ忍ばせていた短銃を引き抜くと、やおら銃口をデュランへ向けた。
ガクガクと震えた手では照準も定まらず、満足に引き金を引く事もままならないのだが、
殺傷力の高い銃にすがるのが、コルネリオに出来る唯一にして最後の抵抗なのだ。


「死ね死ね死ね死ね死ねッ!! 死――――――――」
「―――――――――はいはい、そ〜ゆ〜セリフのヤツに限って真っ先に退場するもんなんだぜ?
 捨てキャラの黄金パターンってヤツだな」


しかし、いつの世も小悪党に見せ場無し。
コルネリオが引き金へ人差し指を掛けるよりも早く、横から別な銃声が割り込んで彼の短銃を弾き飛ばした。


「………………………………………………」


きっちり二つ撃ち込まれた銃弾で最後の拠り所を弾かれたコルネリオは今度こそ完全に打ちのめされ、
自らの失禁で水浸しになっている床へ呆けたように倒れこんだ。


「―――サマになってんだろ? コレ、ニ挺拳銃って言うんだぜ?」
「聞いてねぇよ、ンな事ぁよ」
「いや、聞けよ。聞いてくださいよ、まじで。これ、覚えるのに結構苦労したんだぜ?
 そんでもって、こっからが見せ場! こう…な、クルクルやってからホルスターに片して………
 ………って、あ―――――――――」


銃口から立ち昇る硝煙を一息に吹き消しながらその男が歩いてきたのは
無気力状態に陥ったコルネリオをエリオットが縄で縛り終えたのとほぼ同じ頃合だ。
自分に激しく陶酔しているらしく、襟へ巻いたスカーフに隠れがちな口をキザッぽく吊り上げ、
リボルバーと呼ばれる拳銃の引き金部分に指を引っ掛けてはクルクルと回している。
先程の銃火と同じ数の、ニ挺の拳銃を同時に回転させられれば、それはとてもサマになっただろうが、
いかんせん何をやっても決まらないタイプらしく、脇の下に装着したベルト式のホルスターへ収め損ねて
ニ挺ともに取り落としてしまった。
それをすごすごと拾い上げにいく様子は情けないと言ったらありゃしないが、デュランもエリオットも、
ウェンディでさえ失笑一つ漏らさないあたり、この男はいつでもこんな感じなのだろう。


「………ホンット、相変わらずだよな、ホーク………」


それもその筈だ。
【草薙カッツバルゲルズ】のブレーンとして活躍していた頃からこの男は、
ホークアイは年下からもヘタレと詰られるような、いざと言う時しかキメられないダメ人間の筆頭格なのだから。


「ひっでぇなぁ、親友(マブダチ)ぃ〜!
 危険を顧みずに敵地へ潜入した俺に対してなんて愛の無ぇ言い草だよォ〜。
 泣くぞ、俺、まじで泣いちゃうぞ?」
「ハタチ超えてからソレやられても気持ち悪いだけなんだよ。
 いい加減トシ相応に生きろよ、万年ヘタレが」
「お前もお前で変わらずナマイキ盛りだなぁ、ジャリタレぇっ!
 いつまでもガキのまんまじゃ、ウェンディちゃんにまで嫌われちまうぜぇ〜?」
「少なくとも自分の武器をどっかに飛ばしちゃう人よりは嫌いになりませんから」
「………………………」
「さすがウェンディ。ボクと肩を並べるだけあるね。バカの扱いに慣れてるぜ」
「いやいや、そこは俺の教育の賜物だろ。感染する前にバカは掃いて捨てろって教えてあったし」
「お前ら、兄妹してカップルして、俺に何か恨みでもあんのかッ!?」


今回もコルネリオが築いた砦へ潜伏し、デュランへ内部の情勢を知らせるスパイ活動を
請け負ったまでは良かったが、そこでセーブしておけばいいのに、わざわざカッコ付けにやって来て、
それで醜態を曝すのだから世話が無い。


「やれやれ………出撃を見て飛んで来てみれば、ものの数分で完全制圧とは恐れ入ったよ。
 いや、いつもながらのお手並みと言うべきかな?」


非道と言えば非道な連携でホークアイを完膚なきまでにコケにした三人へ
また一つ新たな声が掛けられた。


「お前らが遅過ぎんだよ、ノロマのブルーザー。ボクらで全部食っちまったかんな」
「もうっ、エリオットクン! 仮にも【黄金騎士団】総隊長さんに向かって失礼だよっ!
 ホークさんならいざ知らずっ!!」
「………ウェンディちゃんもさぁ、最近、俺の扱い、ドンドン酷くなってね………?」
「そうだぞ、エリオット。勝手知ったる仲つっても、戦場ってのは一応、公の舞台だ。
 せめてブルーザー総隊長か、【二代黄金の騎士】の敬称で呼べ。
 ホークアイならいざ知らず」
「………………………」
「よ、止してくれ、みんなして。
 気取る仲でもあるまいに、エリオットみたく呼び捨てで構わんさ。
 ホークアイならいざ知らず」
「―――おッ、お前まで言うかぁッ!!」


アイボリーの光沢が眩しい牡馬に跨り火勢の強まりつつある崩壊の砦へ現れたのは、
これといって特徴らしい特徴の無いデュランの甲冑と好対照に様々な意匠が凝らされた黄金の鎧に
身を包む盟友――偉大なる初代の後を継ぎ、【黄金の騎士】の第二代を名乗る―――ブルーザー・K・ジャマダハルだった。















【モールベアの高原】に築かれた砦が焼け落ちるのを見届けたデュランは、
ブルーザー率いる【黄金騎士団】―――正確には【フォルセナ】側へ生け捕りにされた
コルネリオと彼の部下の身柄を引渡す打ち合わせを整えるべく王都へ向かったが、
真っ黒な炭と化した瓦礫を処理する作業はまだ残っている。
これを滞りなく済ませるのは、側近として付き従い、戦闘と内政双方からデュランを支える
エリオットとウェンディの役目だった。


「おい、そこの緑髪ッ!! その木材、そっちじゃねーよ、こっちだ、こっちッ!!
 こっちの荷車に載せなきゃ運べねーだろ!! 頭使え、バカッ!!」
「ンだとォッ!? お前、デュランさんの三番弟子だか何だか知らないが、デカい口叩くなよなッ!!
 大体、なんでお前にアゴで使われなきゃなんないんだよッ!!」
「カッチーンッ!! せっかく人が片付け場所教えてやってんのに、なんだその口の聞き方はぁッ!!
 国交問題にすんぞ、コラァッ!!」
「―――するかボケェッ!! ガタガタとくだらねェ無駄口叩いてっと
 二人仲良く簀巻きにして流すぞコラァッ!!」


瓦礫の撤去は【黄金騎士団】の面々と共同で行う事になっているのだが、
何分にもお互い血の気連中ばかりなので、こういう諍いが起こる事も少なくない。
そうした場合には現場監督を任されるエリオットがすっ飛んで行き、
若干16歳にして右に出る者が無いとまで謳われる剣豪ならではの迫力で一喝して事を収めている。
すっかり変声期を終えたエリオットの一喝には、師匠譲りとも言うべきドスがこれでもかというぐらい利いており、
大抵の人間は(例えそれが目上であっても)これ一つで押し黙ってしまうのだ。
遠くない未来にデュランを超える事を予感させる風格は堂々そのものである。


「また荒っぽくしちゃって………もぅ………っ!」


………もっとも“良いお付き合い”を続けているウェンディには、彼の粗暴は悩みのタネなのだけれど。


「ったく、ちょっと目ぇ離すとすぐにこれじゃ、たまんねーよ―――
 ―――って、………どうかしたのか? 珍しくおセンチな表情(カオ)してるけど?」
「………あー、いや、前にもこんなコト、あったなぁって思ってさ」
「前にも………?」


今回の戦闘には【ナバール魁盗団】から出向する形で単独参加しているホークアイは
撤去作業へ関与していないものの、焼け落ちた砦には何か思うところがあるらしく、
黒く焦げた廃墟をどこか遠くを見るような眼でジッと眺めている。
先程までアホを全開にしていたヘタレと同一人物には見えない、ひどく感傷的な表情で。
それに気付いたのが、取っ組み合いになりかけていたシオンたちを一喝して戻ってきたエリオットだった。


「お前が【草薙カッツバルゲルズ】に参加するちょっと前だよ。
 そう、【三界同盟】を壊滅させた直後の事だ」
「【キマイラホール】の合戦………通称、【アビス事変】、か」
「【アビス事変】が終わってから少しの間、俺らは連中の残党を潰しに駆けずり回っててさ。
 その内の一つに嵐の海での船戦があったんだよ」
「老け込むよーな昔話は寝てからにしろよ。そのテの武勇伝は聞き飽きたぜ」
「武勇伝じゃねっつの! ………その船戦に、今度の戦いが似てたなーって、ふと思っただけだよ」
「そう………なのか?」
「なんとなく………なんとなく、ね」


ホークアイの言う通り、今日にも世界最強の戦闘集団と名高い【草薙カッツバルゲルズ】は、
歴史にその名を刻んだ合戦【アビス事変】の事後、彼らは崩壊した【三界同盟】とその秘密結社に加担した悪党を追い、
各地で追討戦を展開した。
【バファル帝国】の【イナーシー(内海)】における海戦はその最たる例で、
【三界同盟】に取り入って母国の実権を握ろうと企んだ男を【草薙カッツバルゲルズ】は成敗している。
政治的利権を得る為、策謀を練り、最後には滅ぼされたという点では、
確かに【イナーシー】の海戦と【モールベアの高原】における合戦は類似点が無いわけではない。


「あれから何年経った事やら………………………」
「だから老け込むなって。こっちまで気が滅入っちまうだろ」


しかし、たったそれだけの事だというのに、どうしてホークアイはここまで感傷的な眼をしているのか。
最初、エリオットにはそれがわからなかった。


「………………………変わっちまったよな………色々………ホント………色々………」
「………………………」


数年前に起きた事件と今回の戦い。類似する二つの出来事を重ねたホークアイが、
ふと漏らしたその呟きにこそ、言葉にならない彼の心情が集約されていたのかも知れない。
そして、それは、さんざん訝っていたエリオットの心にも強く響く呟きでもあった。









………………………『変わっちまった』………………………









顔を付き合わせれば相変わらずと言い合うが、この6年の間に変わらないものが一つでもあっただろうか。
一匹狼を美徳にしていたデュランが数百人もの軍勢を率いている今の姿を変化とは言わないか。
時代の移ろいと共に自分の得物もクナイから拳銃へ持ち替えている。これこそ変化ではないか。


「………………………………………………」
「………………………………………………」
「………………………………………………」
「………………………………………………」
「………………………………………………」
「………………………………………………」


【ローラント聖戦】を最後に【草薙カッツバルゲルズ】も完全に解散し、
皆、それぞれの場所でそれぞれの人生を生きている。中には人生を―――――――――………………………。
二つの事件を照らし合わせて浮かび上がった【年月】には、普段は底抜けに明るいホークアイも、
いつまで経っても生意気盛りなエリオットも立ち尽くさせる【重み】があった。


「………………そうだな………ああ………変わっちまったな………………………」


セピア色に変わりつつあるいつかの想いを去来させる廃墟を見つめたまま言葉を失くしたホークアイに代わって、
今度はエリオットが、もう一度、『変わった』と呟いた。
深く、深く、暗い水底のように深く、重く、噛み締めるように呟いた。






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