「―――【ローラント】自治領軍、【黄金騎士団】との共同作戦によって
 【フォルセナ】郊外、【モールベアの高原】にてローバーン公、コルネリオの軍勢を
 撃滅したとの報告が入っています。
 【フォルセナ】攻略を狙った叛乱の砦も焼け果てた模様」
「………【バファル帝国】からの声明は?」
「コルネリオ氏は既にローバーン領主の地位を剥奪されており、
 【バファル】とは一切の関係は無い、との事です。
 なお、身柄を拘束されたコルネリオ氏以下【賊軍】の処遇については一任する、とも」
「蜥蜴の尻尾切り、か―――………わかりました。
 引き続き対応に当たってください」
「あの………」


窓辺から差し込む光を背に受けたその男は、冷たい空気を辺り構わず放つような、
他者を少しも寄せ付けない威圧的な雰囲気を常に纏っていた。
逆光で表情が陰になろうものなら、どれだけ弁舌に長けたペテン師であろうと恐慌で縮み上がるだろう。
だから、忠実な秘書であるパメラ・アイリントンは、一度息を呑み、告げようとした事を言い淀んだのだ。






(―――………恐い………)









輪郭だけは柔らかく穏やかなのだが、両の瞳は死んだ魚よりも更に輝きの薄い。
どこまでも陰気で、怖気にたじろぐほど、恐ろしい。


「デュラン・アークウィンド氏には何と?」
「………質問の意味が解りかねますね。“何か”とは何です?」
「『果敢にも敵影を一網打尽にした功を称える』ですとか、
 『この度の働き、祝着至極』ですとか………」
「つまり、【ローラント】軍へ祝電の一つでも打て、と?」
「総大将のデュラン・アークウィンドさんは、古くからのお仲間ではありませんか。
 それでしたら、せめて定型の一文だけでも………」
「………………………」


ギョロッとしたあの昏い眼光で睨まれると、慣れているはずのパメラとて、
時折心臓を鷲掴みにされたような戦慄を覚える事があるくらいだった。
そんな恐ろしげな男が、呆れの混じった溜め息を左右へ首を振りながら吐き散らすのだから、
勘気に触れてしまったのではないかと戦慄は逼迫たる焦燥に変わり、
窓辺から自身のデスクへ移動する彼を見送るパメラの顔はみるみる青く染まっていった。


「………【ローラント聖戦】から6年。
 時代がますます混沌としてきているのは、貴女にも理解できていますね?」
「はい………」
「あの大戦で我ら【アルテナ】は【社会悪】を討つべく官軍を組織し、
 そして、【賊軍】に敗れるという醜態をさらしました」
「しかし、その作戦には、貴方も【賊軍】に肩入れを………」
「言われるまでもありません。私は【賊軍】へ加担し、あまつさえその罪を免れた男。
 これがどういう意味を持つのか、当人自身が一番理解しているのですが?」
「………失礼いたしました………」
「そして、その結果がこれです」


彼が座るデスクの隣には、色付きのペンであちこちに書き込みを施された世界地図が
ホワイトボードへ貼り付けられてある。
中でも眼を引くのは、【アルテナ】・【グランベロス】・【バレンヌ】の三つの文字。
上手い具合に南半球へ【グランベロス】が、北半球へ【アルテナ】が配置されており、
ちょうど正面からぶつかる恰好である。
改めて何かと問うまでもない。パメラはこの地図を穴が開くほど見せられてきた。
現在、【イシュタリアス】を二分する勢力を図にして表した物―――文字通りの勢力図だ。


「【アルテナ】を蔑ろに考える賊徒どもは、我らの力を侮り、続々と挙兵し、
 やがて身の程を知って敗れ去っていった。
 そして、敗れた軍勢は【アルテナ】へ恩讐を抱きつつ志同じくする者たちと迎合し、
 一つの塊と化し、現在、竜騎士の大国【グランベロス】の後ろ盾を得て一大反政府組織へ膨張しつつある」
「聖戦以前から【グランベロス】は【アルテナ】に対して批判的でしたから………」
「当時反対派の急先鋒だった【ローザリア】が我らの軍門に下った事で
 全てが落着したと思った直後に造反を呼びかけたくらいですからね。
 【グランベロス】………実に忌々しい存在だ………ッ」


二大勢力の脇には【バレンヌ】が様子を窺うように控えているが、
これも非常に大きな区画へ陣取っており、類まれな権勢を誇っているのが窺える。


「そして、【バレンヌ】、ジェラール皇帝の政治手腕は恐るべきものがある。
 聖戦に先立って催された臨時【サミット】にも―――」
「そう、確か、【サミット】にも参加せず、聖戦時の招聘にも応じず、
 のらりくらりと【アルテナ】の要求をかわしつづけていますね。
 ………これはやはり【グランベロス】へ同盟しようという動きの表れでしょうか?」
「あるいは、【アルテナ】と【グランベロス】を激突させ、疲弊したところで漁夫の利にも
 覇権争いへ名乗りを挙げるつもり、か………」
「狡猾………ですね」
「そうでなくては、【イシュタリアス】西国一円を一代でもって統一できるわけがありません。
 アメとムチを使い分ける老練には、我ら【アルテナ】も重々注意しておく必要があるな」
「卑怯な手段が得意なだけではありませんか?
 接収に従わなかった国土の領民を虐殺したという噂も耳にしていますし」
「………戦乱の世というのはそういうものだよ、パメラさん」
「………また失礼を………………」


―――――――――戦乱。
ちょっと口の悪い一面こそあるものの、慈愛と豊穣を司る【女神・イシュタル】へ祝福された
ここ【イシュタリアス】は水質や資源が実に豊富で、【戦乱】という物騒な二文字からは
遠く離れた存在だと誰もが考えていた。
実際、女神の一存によって進化を止められている間の数千年は、いざこざ以外の本格的な闘争は無く、
利権争いこそ穏やかではないものの、誰もが静かな生活を享受していた。
それもこれも【サミット】の議長権を掌握する【アルテナ】の一極支配的な統率あっての事なのだが、
【ローラント聖戦】で【アルテナ】が初めて【賊軍】に敗北すると状況は一変。
【アルテナ】とて数でかかれば敵ではない。今こそ大国を討つべしとの機運が反対派との間で高まり、
ここにアルテナ派と反対派によって天下を二分する動乱の時代を迎えたというわけである。


「―――あ、それから、これ。新型兵器の開発も忘れてはならないね」
「………今では国家間の闘争というよりは、武器商人たちの技術競争の様相を呈しています………」


レプリカでこそあれど、戦略兵器として採用された【マナ】の存在も戦乱へ油を注いだ責任は大きい。
【アルテナ】がリードを独走していた魔法の技術から聖戦時に用いられたライフルやバズーカランチャーへ
軍の好奇が移行し、戦争がいよいよ近代化し始めたのだ。
複雑なシンクロや詠唱も無く、引き金一発で敵影を壊滅させられる威力があるなら、誰だってそちらに飛びつく。
そうなれば死の商人や若者はしたたかなものだ。
簡単に人を殺められる“軽い武器”を得た兵士たちは、思考し、詠唱し、相手を見据えて力を行使する魔法を放棄すると
銃火器を主武装にした広範囲かつ殺傷的な戦い方を徹底的に訓練された。
魔法大国【アルテナ】の威力などに平伏す必要はもはや無い。
こちらには【マナ】のレプリカという強烈な武装があるのだ―――過信にも似た自負が【発展】を強く刺激し、
兵士たちの進むべき指針を歪め、ひいては銃砲等の戦略兵器の急速な改良に繋がっていた。



―――より強く、速く、広く殺傷できる武器は何か? どちらがそれを早く開発できるのか。



旧態依然とした体制を捨て、【アルテナ】も【マナ】の兵器の開発へ本腰を入れて乗り出した事で
天下を二分する戦いの行く末は、どちらの兵器がより優れているかに左右されつつあった。
ハイテク戦争とはよく言ったものである。≪アビス事変≫のような合戦とは明らかに様子が違っている。


「そんな状況で叛乱分子を率いて起ったのが、南にその名ありと謳われた【グランベロス】帝国。
 【ローザリア】に【バファル】と東の国家がでしゃばって来ているが、
 実質は【官軍】を率いるアルテナと【逆賊】の巣窟であるグランベロスの一騎打ちになるだろうな」


忌々しそうに呼ばれたのは、ホワイトボード上でも【アルテナ】の向こうを張る大国、名を【グランベロス】と云う。
元々は翼竜へ跨って攻め入る空中戦に長けた竜騎士部隊で高名な軍事国家だったのだが、
皇太子ナイトハルトの政治的敗北によって【ローザリア】が【アルテナ】の傘下に入った今も
決然と批判を繰り返す最大の反【アルテナ】派として同志に頼られ、
現在では各地で敗北した【逆賊】を抱え込んで国家転覆を狙っていた。
軍勢にしておよそ十万。隣国との協力体制を整えた今、名実共に最大規模の反乱軍である。


「そして、【バレンヌ】。共和国を称してはいるが、体質は軍事国家そのもの。
 そのくせ、“皇帝”ジェラールの老獪さにほだされ、戦わずに退く国家も多いと聴く。
 ならば温厚かと思えば、都市部に戦術の研究施設まで建造する根っからの武断派。
 ………虎視眈々と覇権を狙っていると見て間違い無さそうだ」


西の大陸を統一した【バレンヌ共和国】も、ホワイトボードでの配置に同じく油断ならない存在である。
王立の近衛兵団のみならず支配下に置いた各国の精鋭を選りすぐった傭兵部隊は
双方合わせて三万有余という途方も無い大軍勢だ。
これがもし【グランベロス】へ味方しようものなら、いかに屈強の【アルテナ】と言えども
総崩れになるのは間違いなかろう。

しかし、真に恐ろしいのは、そうした物理的な戦闘力ではない。
“人たらし”と陰で揶揄される手練な人身掌握術で各国首脳陣を篭絡し、
出身も思想も異なる“人種のるつぼ”を一つに纏め上げ、なおかつ高い水準の統率力で
維持していられるだけのカリスマ性が“皇帝”ジェラール(本来は単純に国王なのだが、
軍勢の大きさからこう呼ばれている)に備わっている事だ。
【バレンヌ】の精鋭たちは、死をも恐れずジェラールの為だけに命を捧げるというタイプが多いのだが、
こうした『死を覚悟した人間』の凄まじさは、時として一人につき一千騎相当の力が宿るもの。


「【バレンヌ】は未だに態度を曖昧にしております。
 再三再四、【グランベロス】からも説得の使者が飛んでいるようですが………」
「【アルテナ】と同様の結果………つまりは失敗、と」
「ブライアンさんとヴィクターさんも提唱されていましたが、
 やはり【バレンヌ】の出方次第でこの一戦は決まるのではないでしょうか」
「………貴女の役職は………?」
「………秘書、ですが………」
「私は軍人。戦場を往く者です。
 外地にあって紙面と向き合う貴女より、その辺りの勘が優れている自信がありますよ」
「………………………」
「貴女のご意見はごもっともだ。何故なら、私が半年も前に導き出した結論だからです」
「………差し出がましい事を致しました。申し訳ありません………」


最終的に【バレンヌ】が味方するのは、【官軍】か、【賊軍】か。三つ巴の世界大戦となるのか。
直接闘争へ従事する者のみならず、【イシュタリアス】に暮らす人々も、
間違いなく時代を揺るがすであろうかの国の一挙手一投足に細心の注意を払っていた。


「―――さて、大戦の仕儀を私がわざわざ振り返った理由、そろそろ察しては貰えませんかね?」
「え………………」
「まさか意味もなくつらつらと回顧していたとでも?」
「………………………」


恐縮して俯いているパメラへ呆れの溜め息を吐きかけると、彼は腰掛けていたデスクから立ち上がり、
ホワイトボードの地図へ自らのペンを突きつけた。
ペンの先で指し示された場所は、【アルテナ】から見て南東に位置する小さな領国である。
まだ新しい字で【ローラント自治領】と記されたその領国の脇には、
“デュラン・アークウィンド:官軍”と注釈が振ってあった。
よく見ると、同じような注釈がそこかしこに振ってある。
【グランベロス:逆賊】、【バレンヌ:中立】と言った具合に、【アルテナ】から見た各国の立場が
一目でわかるようになっているのだ。


「我々は【グランベロス】皇帝・サウザーを一ヶ月前の合戦で破っています。
 その後、反乱の【賊軍】を率いているのは一介の将軍―――」
「―――サスァ・パルパレオス・ヴァン=デル=サンフィールド………」
「その通り。皇帝サウザーを筆頭に次々と誅殺されていく中、
 【グランベロス】勢の中で最後に残った将軍が、十万の兵を囲っているのです」
「………………………」
「敵は、まだ、十万も犇いている。ローバーン公? あんなものはゴミ溜めの中の塵に過ぎず、
 我々は圧倒的な力でもって踏み潰せなくてはならない。
 そうでなくては【社会正義】が揺らぐのですよ、パメラさん」
「………………………」
「―――つまりね、勝てて当然。勝てなくてはおかしいというわけです。
 散発的な戦いの勝利は常識であり、なんら誉める事ではありません」
「ですが、長年共に戦ってきた御盟友では………」
「貴女は衣服を着た事で、食事を正しく摂っただけで誰かに誉められるのですか?」
「………………………」
「私が言っているのはそういう事です」


有無を言わせぬ口調と、なにより鋭さを増した眼光に射抜かれたパメラに
これ以上どう反論できるというのか。
恐縮が極まる余り、フォーマルなスーツへ身を包んだ彼女の肩はカタカタと小刻みに震えていた。


「十万の【逆賊】はパルパレオス将軍の乗艦する空母【ファーレンハイト】へ続々と結集している。
 眼を離さないでください。それが私の秘書たる貴女の仕事です。
 “それだけ”が貴女の仕事なのですよ、パメラ・アイリントン女史」
「………………はい………」
「理解してさえくれたらそれで良いのです―――――――――………っと、ああ、そうだ。
 もう一つ、仕事が残っていましたね―――」


黒塗りの鞘が厳しいサーベルを腰のベルトへ差し込みながら耳元へ口を寄せて何事かを呟くと、
頬を紅潮させて固まるパメラを置いて足早に部屋を出て行ってしまった。
彼の背中を見送る彼女の瞳は、ほんの数分前の恐怖から恍惚めいたモノへ変わっており、
小刻みな肩の震えはいつの間にか止んでいた。


「………………………」


―――――――――ベッドを温めておくのも貴女の仕事でしたよ。
それが、すれ違い様に告げられた言葉だった。


「あー…、センセーショナルな話題は二人きりの時に、せめて私がいない時にしてくれないかな。
 いささかリアクションに困ってしまうんですけど?」
「―――アッ、アルベルトさんッ!?」


蕩けるような瞳が愕然と見開かれたのは、見送る背中の彼ではない別の男の声が
惚けた横顔を引っ叩いたからである。
見れば、ライトブラウンのコートを羽織ったブロンド髪の青年が困ったように眉を顰め、
肩を竦ませていた。


「の、のの、覗き見なんてサイテーだわッ! それが騎士のする事ッ!?」
「人を置物扱いしてロマンスの神様と接触してたキミが言う事かい?」
「う………………………」
「【官軍】の上層にあるという立場を、少しは弁えて欲しいもんだね」
「………………………」


そう、別にこの男は隠れていたわけではない。最初からずっとこの部屋の中に佇んでいた。
ただ、パメラたちが二人だけの世界に入ってしまった為に声をかけるタイミングを逃し続け、
気が付けば観葉植物同然に眼中から外されていたというわけだ。
デバガメ、覗きとパメラは罵るが、彼の名誉の為にも明言しておくが、
第3の青年―――アルベルトに下卑た目論見は一切無い。
むしろ、二人きりの世界を勝手に作られ弾かれた被害者である。


「………『英雄色を好む』、か。
 ここらへんは【ジェマの騎士】といえど変わらないようだね」
「うっ、うるっさいッ!!」
「人によって態度変える悪癖もどうかしなさいって。
 キミもキミで【官軍】では上の立場なんだからさ」
「………ぐ………っ!」


いよいよ何も言えなくなって唇を尖らせたパメラが、本当に人によって態度をコロコロ変える彼女が
おかしくて仕方が無いアルベルトは、尻目に見る不貞腐れた態度をもう少しからかっていたかったのだが、
ワインレッドのカーペットが広く長く続く廊下をズンズンと進む彼に遅れれば、
何を言われるかわかったものではない。
冷徹なように見えて内には激情を秘める彼の勘気に触れて処断された人間は、決して少なくないからだ。


「【ジェマの騎士】―――ランディ・バゼラード、か………」


喪服を思わせる漆黒のフロックコートを翻して執務室を出て行った伝説の英雄【ジェマの騎士】の名前を、
アルベルトは畏怖と憐憫を込めた声色でそっと呟いた。

―――ランディ・バゼラード。
【女神・イシュタル】の後継者であるフェアリーに【ジェマの騎士】として選ばれ、
【聖剣・エクセルシス】を手に数々の巨悪を打ち破ってきた救世の勇者であり、
その雷名をもって【官軍】を統率する総大将。

しかし、【草薙カッツバルゲルズ】へ参加し、【ローラント聖戦】を勝ち抜くまでの姿と
現在の姿を見比べると、アルベルトには、いや、誰しも違和感を禁じえない。
共に在るべき筈のフェアリーの姿はどこにもなく、佩刀は【エクセルシス】からサーベルへ持ち替えられ、
【聖戦】の最後まで臣従し、脇を固めた二人の仲間の陰すら見当たらない。


「………何をもたついているのですか? 置いていきますよ」
「ええ、ええ、今参りますとも。バゼラードさんの向かうところ、
 アルベルト・I・スクラマサクス在り、ですから」


かつてアルベルトが対面した事のあるランディ・バゼラードと現在の彼とでは、
6年前のランディとは全てにおいて別人の様に変わっていた。
頼りなげに眉をハの字に曲げては仲間たちに翻弄され、けれど優しさだけは無くさない、
誰もが認め、誰もが頼りに思った【ジェマの騎士】の姿は、ニコリともしない表情のどこにも無かった。






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