「すみませんでした、お迎えに出れなくて」
「なに謝ってんだよ、今は身体を安静にしろ。
つーか、出迎えになんて来てやがったら、逆に怒鳴ってやってたとこだぜ」
各隊の兵たちと別れて自宅へ戻ったデュランは、玄関で恭しく自分を出迎えた妻を見つけるなり、
「今が大事な時期だろ」と軽く額を小突いた。
いくらなんでもオーバーだと言って苦笑いする妻には悪いが、こればかりは譲れない。
甲冑は兵営に置いてきてあるので、後は軍靴と上衣を脱ぐだけなのだが、
これを手伝おうとする妻の手を制し、彼女自身の腹へと当ててやった。
「まだ三ヶ月なんですよ? お腹だって出ていないのに焦り過ぎです」
「焦ってんじゃねぇよ、楽しみにしてんだよ、ワクワクなんだよっ」
「子供みたいだって、またシオンさんたちに笑われますよ?」
「笑われたら笑い返してやるさ。パパになるってのは、バカになる事だってな」
「もう、デュランったら………」
子を身ごもってから、つとに夫は、デュランは過保護になっている。
炊事場に立とうとすれば後は俺がやっておくからと座らせ、
何かの拍子にちょっとでも咳き込めば大慌てで寝かせつけられ、まさに至れり尽せりの状態である。
戦場に出る事が多くなったデュランを夫に持つ身としては、何にも変え難い嬉しい時間でもあるものの、
少しくらい身体を動かした方がマタニティには良いのだからフクザツだ。
「名前だって考えたんだぜ? 男だったらジェット、女だったらヴァージニアってのはどうだ?」
「気が早いどころの話ではないですよ、それじゃ」
「準備を万全にしとくに越した事ぁ無ぇだろ?
おばさんだって、お前、ココと【フォルセナ】を行ったり来たりじゃねぇか」
「またデュランはお義母様をそんな風に………ちゃんとお母さんって呼ばなくちゃいけませんよ」
「ヘッ、やなこった! これからは大手を振るってババァ呼ばわりできるってもんだ」
「デュランっ! ………もうっ!」
これが『御屋形様』と尊敬される【ローラント】領主の実体だとスッパ抜かれでもされたら、
たちまち評判はガタ落ち、自慢の騎馬軍団も解散に追い込まれるだろう―――と思わせるくらい、
彼女自身の腹へと置かれた妻の手を、そっと上から握り締めるデュランの表情はデレッデレに崩れていた。
眦を垂れさせて妻の腹へ頬擦りする姿は、戦場での修羅が如き猛襲と比較して不気味そのものだ。
「―――今、気が付きました。デュラン、ひどいですっ」
「おー、よしよし、パパでちゅよォ〜………って、何? 何だって?」
「帰って来て早々この子の事ばかり気遣って、妻の私は無視ですかっ」
「な、何言ってんだよ!? 俺は別にお前の事なんか蔑ろにしてねぇだろ?
この子もお前も、俺には同じように大事で………」
「嘘つき。帰ってからまだ一度も私の名前を呼んでくれてませんっ」
「あ、い、いや、それはだな………」
「ただいまよりも先に赤ちゃんですかっ」
「ま、待て、待てって、は、話せばわかるっ」
「デュランのド鬼畜っ」
戦場ではどれだけの銃口を向けられてもたじろぎすらしないくせに
妻にそっぽを向かれた途端にアタフタと狼狽するデュランは、もしかしたらヘタレチャンプと名高いホークアイと同等、
いや、それ以上にダメ男の素養があったのかもしれない。
「………って、あッ、お前、俺で遊びやがったなっ?」
「わ、バレちゃいました」
「コノヤロ、生意気にッ!」
「デュ、デュランがあんまりにも本気で落ち込んでくれたので
ちょっぴりいじめてみちゃいました」
「くっそ〜、こいつ、小癪なぁ〜」
そっぽを向いたまま眼も合わせてくれない妻の態度に八方塞がり、頭を抱えたデュランだったが、
彼女の口元に悪戯っぽい微笑が浮かんだ瞬間、自分が弄ばれていた事に気付き、
お仕置きの意味も込めて正面から思いっきり抱きすくめた。
「遅れちまってすまねぇな―――ただいま、リース」
「お帰りなさい、デュラン」
それからキスを、連戦の疲弊を一発で癒してくれるとびっきりの笑顔で迎えてくれたお礼を、
愛する妻へ、リース・アークウィンドの唇へ静かに落とした―――――――――………………………。
・
・
・
【社会悪】の烙印と共に後世へ様々な火種を残して崩落し、二度もの戦火に見舞われた【ローラント】の再興が
着手されてから今年でちょうど6年目になる。
再興の旗頭となったリースを筆頭に善意の入植者たちの手によって蘇った大地は
かつて三国一と謳われた風光明媚を取り戻し、パロの廃港から凄惨が刻まれた戦跡まで、
人々の活気が途絶える事の無い住宅地や商店街へと整地し直されていた。
【官軍】と【賊軍】が初めて激突した【聖戦】の凄まじさ、およそ20年もの昔に遡る民族虐殺の惨たらしさを
知る者がパロの港へ船で乗り付け、この光景を見れば、笑顔が絶えない町並みには信じられないものがあるようだが、
リースが夢に描いた理想の街づくりは、ルサ・ルカと【アルテナ】、いや、世界中の人々の助成を受けながら
残り半分のところまで完成しているのだ。
「………それで戦の首尾はどうなのですか?」
「ああ………【グランベロス】の残党、反乱軍を一箇所に集め始めていやがるよ。
………【ファーレンハイト】。【グランベロス】が誇る空中空母らしいが、
ここへ俺たち【官軍】と連中の軍勢が集まった時が………最後の決戦だな」
「そう遠くない将来………ですね」
「【ローザリア】と【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】は既に現地への斥候を急がせてる。
………次に召集が掛かった時が、いよいよってワケだ」
「天下分け目の大戦になりますね………」
「………【アルテナ】か、【グランベロス】か。………天下を二分する決戦だ、まさに」
―――そう、残り半分である。
リースの本当の夢は、戦いのない理想郷だったのだが、【イシュタリアス】全土が戦雲に包まれている中、
【ローラント】だけが非戦を貫く事は不可能で、デュランとリース、優秀な戦士たちの指導のもと、
領民たちは来たるべき決戦に向けて訓練される運びとなった。
剣に槍にと武芸十八般を血気に逸る男(まばらながら女性の姿もある)たちは会得していき、
とりわけ広大な領土を生かした騎馬戦の訓練は【ローラント】唯一無二の戦闘力として深く浸透していった。
その賜物が、コルネリオの砦を僅か数分で蹴散らした無敵の騎馬軍団である。
デュラン指揮のもとで躍動する4つの部隊はそれぞれ剣士隊、鉄砲隊、魔術隊、槍兵隊と役割に応じて分類化され、
適材適所に宛がわれる。これが強い。
【草薙カッツバルゲルズ】のリーダーで慣らした人材登用の妙が光るデュランの一案は大いに戦功を収め、
騎馬が持つ機動力とあいまった強さは、数倍もの軍勢を相手にして見事討ち果たす程に鮮烈だった。
もっとも、戦場では騎馬を駆る兵士たちの本来は職業は農民だ。
農繁期ともなれば、デュランと一緒に泥だらけになりながら田畑を耕し、作物を育んでいる。
他国の農民との一番の違いは、いつ命令が来ても出撃できるように甲冑や武具を畦道に用意しておくところか。
これが由来となって【ローラント】の兵たちは将校問わず【一領具足】との珍妙なニックネームで呼ばれていた。
「【ローラント】だって危なかったかも知れねぇぞ。
もしも【グランベロス】に飲み込まれでもしてたらって考えただけでゾッとするぜ」
「そうならないようにあなたが守ってくれたのではないですか。
ガラにも無いって言ってたのに、最後には領主まで引き受けてくださって………。
領民は皆、デュランを心から慕ってくれているんですよ?」
「よ、よせやい、ンなの照れらぁ………」
―――説明が遅れてしまったが、【グランスの牢城】脱獄後、ケヴィンたちを助けながら戦い続けていたデュランは
4年前からここ【ローラント】へ移り住んでいる。
そもそもは、当時の【ローラント】へ【グランベロス】が物言いを付けた事に端を発している。
【アルテナ】と領有権を争う【グランベロス】が断行した検地の結果、本来は自治区である筈なのだが、
【ローラント】は自分たちの旧領地であるとして所有権を要求したのだ。
確かに【ローラント】の土地は、アークウィンド家が移住する以前には【グランベロス】――正確には、
かの国の礎となった豪族の集落――が統治下に置いていた処らしいのだが、それは何世紀も昔の話。
書簡と言った物的証拠は無く、根拠に乏しい領地の変換を主張するのはあまりに横暴と言うものだが、
なんとしてでも【アルテナ】より領地を加増しなくてはならない【グランベロス】側は
この傍若無人を無理にでも通そうと躍起になり、時にゴリ押し、時にアメとあの手この手を駆使して領有権返還を迫った。
あわよくば【聖戦】で活躍したリース・アークウィンドを擁立しようと企んでいたのかもしれない。
『ここはてめぇらが手ぇ出していいような土地じゃねぇんだよッ!! 失せなッ!!
さも無ぇと素ッ首ねじ斬るぞ、あぁッ!?』
そこで立ち上がったのがデュランだった。
地上げ屋のように立ちふさがる【グランベロス】と張り合って一歩も譲らず、
【アルテナ】と協力体制を取って折衝に当たり、ついに【ローラント】を権力の食い物にされない、
誇りある自治領として【独立】を宣言したのだ。こうなってはいかに【グランベロス】と言えども手は出せない。
検地自体も【サミット】にて痛烈に批判された事で取りやめとなり、そして、これを機に【ローラント】は
反【グランベロス】派の仲間入りを果たす事となる。
よほどこの時の一件が頭に来ていたのだろう。【アルテナ】との間で本格的に勃発した今回の戦いでは、
領民挙げて真っ先に【官軍】参加を表明したくらいだ。
「領主が公明正大であるからこそ、皆さんが随いて来てくれるのですよ、デュラン。
もっと自信を持ってください」
「それも領主の勤めか?」
「これも領主の勤めです」
「………慣れていかなきゃならねぇのは解ってるんだけどなぁ、
いまいちどうもサブイボ出ちまうんだよなぁ」
「難しくはありませんよ。いつも通りのデュランで良いのですから」
「いつも通りってのが一番難しいんだよっ!」
そして、再興の過渡にあった【ローラント】の自主独立を守ってくれたデュランを
領民たちはリーダーとして選び、ガラにも無いと固辞する彼を押し立て、
とうとう初代領主の座に奉じて今日へと至った筋運びである。
この時には既に『反逆者』の汚名も雪がれており、領主とするには申し分無い逸材だった。
民衆からの熱心な説得に根負けして折れたデュランはついに領主となり、その就任に合わせてリースと入籍したのだ。
それから数年―――二人が出会ってから7年余り。
いつの間にか移住してきたウェンディやエリオットたち側近の力を借りながら
善き領主として【ローラント】を治めるデュランが、パパになった。
男の子か女の子かはまだまだ分からないが、リースの胎の中には、今、二人の愛の結晶とも言うべき
新しい命が芽吹いていた。
これがちょうど三ヶ月前の出来事。
医師から懐妊を知らされた際のデュランの狂喜乱舞と言ったら筆舌に尽くし難く、
出産さえしていないうちに、とリースにも呆れられる壮絶な親バカッぷりから推して知るべし。
「………天下分け目か」
「デュラン………」
いとおしげにリースの腹を、そこに眠る我が子を撫でていたデュランの表情が
浮かないものへと変わっていったのは、その言葉を口にしてからだ。
『天下分け目』――――――そう、【アルテナ】を中心とした【官軍】と
【グランベロス】が母体となっている【賊軍】の全面戦争を指して、人々はこう形容していた。
「つい6年前までは【官軍】に追われるのは俺らの持ち回りだったってのに、
今じゃまるで正反対の場所に立って反逆者の征伐に赴いてやがる。
………人生ってのは、短い時間でこうもひっくり返るもんなんだな」
「【社会】に弓引く【逆賊】と後ろ指さされようとも挫く事の出来ない思惑や正義が
それぞれの胸にあったればこそ、この度の挙兵へ及んだのでしょう。
だから、よろしいですか、あなた」
「な、なんだ、改まって………?」
「命が軋む戦場で、敵対する相手に同情を掛けてはなりませんよ」
「………言うじゃねぇの、リース。思い切り暴れて来いってか?」
「茶化さないでください。大事な事ですよ、これは」
「解ってるって、言われなくてもよ………相手に情を移さないのがどういう事かって―――」
今でこそ【官軍】へ参与しているものの、数年前に一度【賊軍】の汚名を着せられた経験のあるデュランには
色々と思うところがあるらしく、戦場から帰還し、我が家で寛ぐ中、時折今のような表情を見せていた。
「次が最後の決戦だ」
「最後の………」
「【逆賊】の総勢が【ファーレンハイト】に結集してやがるからな。
これを攻め落とせば、反乱分子は一掃できるだろうよ」
「………………………」
「………どうした?」
「本当に最後の戦いになるのでしょうか?」
「………………………」
「そもそも【グランベロス】のこの度の挙兵は、【アルテナ】の専横に叛旗を翻しての事。
政治の表舞台でさんざんに押さえつけられ、味わった苦渋が暴発して武力蜂起へ至ったと聞いています」
「ああ………」
「力でもう一度屈服させて………同じ手段で相手を押さえつけても、結局振り出しに戻るだけではありませんか?
恨みは新たな反乱の芽を育てます。芽が育ち、再び大樹となれば、繰り返されるのは戦乱ばかり………。
ここまで軍勢が膨らんだ以上、最早武力衝突は避けようもありませんが、
無闇に全滅させるのでなく和解の道を残しておき、話し合いの場で解決すべきでは?」
「………………………」
「今までと異なる解決の糸口を模索する事こそ、恒久的な平和への一石になると私は信じています。
いえ、新しい道を模索できなければ、争いは無限に繰り返されます」
リースの穿った指摘にデュランは返す言葉がない。
まさにその通りの疑念を、この天下分け目の決戦に彼自身が誰より抱いているからだ。
敵対する国家を武力でもって力ずくに征圧し、取り潰す事が真の意味での安寧へ通じているのか、
戦場に立てば立つほどデュランには解らなくなっていた。
(―――おそらく、最後にはならねぇだろうな)
デュランを疲弊させるのは、いつ果てるとも知れない戦乱への焦燥だけではない。
世界中で散発する大火事に乗じて権力を得ようと画策する略奪者など幾ら斬り捨てても何とも思わないが、
【賊軍】の構成員の中には、かつての自分たちと同じく命を捨てても義を貫こうとする志高い者も存在し、
彼らを討つ度、空虚な思いに打ちひしがれる。
どうしてこんな事になったのか、世界をより良いものにしていこうという願いは同じ筈なのに、
生まれた国が違うというだけで殺し合わなければならないのか。
(………せめて、この子が生まれてくるまでには、争いを終わらせてやりたいが………)
一軍を率いる領主の立場にある以上、迂闊な発言は命取りだし、
【社会】を脅かす純然の悪たる【賊軍】を成敗する度に人々の心へ安心が生まれる事も解っているから、
部下相手になど何があっても口になどしないのだが、そこは愛する我が妻と子の手前、
みっともないと知っていて、ついつい愚痴を漏らしてしまう。
そういう時は決まって「我ながら甘いな」と苦笑いを漏らして。
「―――夫婦ってのは考え方まで似てくるもんなんだな。また一つ学んだぜ」
「………デュラン」
やりきれない空しさと焦燥を噛み潰しながら、デュランはベランダに足を向けた。
ベランダからは深夜だと言うのに明るさを保つ町の明かりがよく見渡せる。
天下分け目の一戦が控えてはいるものの、全員無事に帰還できた喜びを肴に
今夜は誰も彼もが飲み明かすのだろう。
垣根どころか何の変哲も無いベランダには、領民たちの嬉しそうな笑い声がよく響いた。
「………………………」
領主と言っても特別に大きな屋敷を構えているわけではない。
アークウィンド家は、あくまで民衆と同じ目線に立つ事にこだわった造りの、何の変哲もない一軒家だ。
質素倹約を旨とする賢妻のリースらしい発想だが、領民に歩幅を合わせて土地を富ましていきたいと
考えるデュランにも何の異存も無かった。
「………………………決戦………………………」
自分の采配を少しでも誤ったなら、この笑い声を、歩幅を合わせて一つずつ一つずつ築き上げてきた一杯の喜びを
絶望へと塗り替えてしまう事になる。
今回のような散発的な戦闘ならいざ知らず、天下分け目の決戦ともなれば、
全員が無事に帰還するなど不可能と思っていいだろう。
―――だから、デュランは迷うのだ。
同じ手段を講じている以上、際限なく繰り返される事が予想される大戦の度に彼らを巻き込んで良いものか、と。
扶養する子供だって配偶者だっている、質素ながらも穏やかに暮らす領民に
命の危険を幾度となく冒させるのが、領主として正しいものなのか、と。
【草薙カッツバルゲルズ】のリーダーとして仲間たちを引率したデュランは、
今では何百もの世帯に責任を果たさなければならない立場にある。
チームを組んでいた頃の比ではない責任と義務を背負っているのだ。
「若い頃のあなたでしたら、考えるのは後回しにして、まずは行動、決戦だッ…と
勢い勇んだものですけど、今となってはそうは行きませんね」
「なんだよ、人を退職間際の老人みてぇに言いやがって」
「何もあなたを貶めているわけではありませんってば。
………ただ………………………」
「ただ?」
「………もう若くはないのですね。若いままではいられないのですね………」
「………やっぱりジジィ扱いしてんじゃねぇかよっ」
リースが指摘する通り、領民の命を預かる領主である以上、
デュランは勢い一つで戦う事が出来ない分、若さを無くしたと言えるだろう。
猪突猛進ではなく、時代の趨勢を見極め、考え、決断を下さなくてはならないのだから、
それは若さを無くしたと言うよりは【大人】になったと闊達すべきなのだが。
「でも、これだけは履き違えてはいけませんよ、デュラン」
「ん………?」
「柵が出来た分だけ、貴方は責任が重くなりました。けれど、この責任は重いだけの荷ではありません。
あなたを慕って敬って集まってくれた、かけがえの無い部下です。
満足に動けない貴方に代わって、先陣を切ってくれる頼もしい仲間なんですよ。
彼らは、あなたに出来ない事をしてくれる。かつてあなたがそうしたように勢い勇んで戦ってくれます。
だからこそ、あなたは彼らにできない領主としての役目に力を注いでください」
「領民に危害が及ばない選択を、か?」
「誰かに出来ない事を、他の誰かが成し遂げる。
立場を超え、世代を超え、能力を超えて、皆で皆を支え合っていく―――
―――そうやって【社会】は成り立つべきだと私は考えます」
「“人は石垣”の考えだな。
………誰もがリースのように考えられたら、こんな戦争も無くなるんだろうがな………」
腕組みしたまま眉間に皺を寄せて迷いに没入してしまった自分を気遣う様に傍らへ寄り添い、
温かな訓戒を投げてくれるリースが愛しくて愛しくて、たまらずデュランは妻の肩を抱き寄せた。
「………言っとくけど、“足腰”の方はまだまだヨボついちゃいねぇぜ?」
「デュ、デュランっ!」
夫のするがまま、素直に身を預けていたリースだったが、
耳元でそっとささやかれた、ちょっとだけ不埒な“誘い”にはさすがに敏感な反応を示し、
「これからが大事な時期なんですっ、母子ともにっ!!」と真っ赤になって文句をつけた。
子供を設けるようになってまで、そうした話題を振られて真っ赤になるとは、
いやはや、いつまで経っても初々しいではないか。
デュランもデュランで、誘っておいて自分で照れるくらいだから堪らない。
【イシュタリアス】広しと言えど、幾つになってもずっと天然のままでいられる夫婦は
未来永劫この二人だけだと、デュランとリースを知る人間は誰もが断言していたが、
まさしくその通りである。
「………夫婦で外出てるから何してんのかと思えば、
野外プレイの真っ最中かよ………カンベンしてくれ」
「エリオットクンっ! そういう下品な事を言わないのっ!」
天下分け目と比べれば遥かに規模は小さいものの、
デュランにとっては本気レベルが高い「いざ決戦ッ!!」へ及ぼうとした出鼻を
エリオットとウェンディに背後から挫かれたずっと天然夫婦は
互いの身体を弾くように慌てて引き剥がし、
「お、おう、お前ら、帰ってきたんかっ?」
「エ、エリオットもウェンディちゃんも、よ、よくご無事でっ」
さも何事も無かったように振舞うが、それで誤魔化すにはちょっとばかり無理があり過ぎだ。
思いっ切り声も裏返っているし、デュランもリースも、あり得ないくらい額から背中から発汗していた。
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
デュランは冷や汗、リースは真っ赤、エリオットはジト眼でウェンディも困ったように眉間に皺を寄せて、
四者四様の、重い重い沈黙が続く。
この沈黙の時間を利用して、アークウィンド家について説明を補足しておこう。
アークウィンド夫妻が構えた一軒家には、リースを手伝う為に【フォルセナ】から移ってきたウェンディや
デュランの側近を自負するエリオットも同居していた。
それ自体にはデュランもリースも異論は無いのだが、いかんせん年頃の居候と一緒に暮らす状況下では、
なかなか思うように逢瀬を試みる事が出来ず、ちょっとした禁欲に陥る場合も少なくない。
ともすれば巡ってきたチャンスを逃さずにコミュニケーションを取りたいところが、
醜態をさらした現状のように、寸前で邪魔が入る確率の方が成功率を圧倒的に上回っているのである。
「………客だよ、兄貴に。
兵営で待ってっから、出迎えてやれよな………顔洗って、気ぃ引き締めてさ」
―――以上、補足説明&沈黙終了。
これ以上無いくらい気まずい空気をその一言で蹴散らしたエリオットは、
何がしかをリースへ話し掛けようとするウェンディの手を引っ張って、
自分たちの私室がある二階へさっさと上がっていってしまった。
「お客様だそうです、あなた」
「あ、ああ………」
「助かりましたね、ある意味………」
「あ、ああ………」
「………きっと明日の朝飯は会話が絶えますね」
「………ああ………」
「…………………………気が重いです」
「言うなよ………ますますブルーになっちまう………」
“親にスケベ本を発見された思春期の少年”の心境とでも例えれば良いものか。
別に悪い事をしているわけではないのにメチャクチャに気まずくて、頭を抱えたくなる―――
―――そんなどうしようもない焦りに身を焦がすデュランには、
正直、来客を応対できる余裕など微塵も残ってはいないのだが、
だからと言って無碍に追い返すわけにも行かない。
どれだけ追い詰められた状況にあっても、外部の者が訪ねてきた以上は冷静に応対できなければ、
領民を預かる立場とは言えないのだ。
「―――行って来る」
「あっ、…は、はいっ! いってらっしゃい、デュラン」
領主になって数年、こうしたメンタルコントロールは手馴れたものだ。
ここ数年の経験からデュランは、一つ大きく深呼吸するだけで揺らいだ心を落ち着けられるようになっていた。
ハンガーに掛けてあった上衣を羽織ると、リースに手伝って貰いながら襟元を正し、
【ローラント】領主たるに威風を纏って来客の待つ兵営へと玄関を開いた。
「………あうっ、失念していました………デュランが行ってしまったら、
私、この家に味方がいなくなっちゃうじゃありませんか………っ」
人並み外れた胆力で持ち直せたデュランならまだしも、こうした事態に慣れていないリースは、
ぎりぎりまで我慢していた羞恥にとうとう絶えかねたのか、夫の背中を送り出した後、
真っ赤になってその場にへたり込んでしまった。
初々しいと言うか何と言うか、いつまで経ってもリースはリースのままである。
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