【モールベアの高原】での戦勝を祝う酒宴でにぎわう兵営までやって来たデュランだったが、
そこで思いがけない顔を見つけると、一瞬苦々しそうに表情を歪めると、そのままくるりと踵を返した。
デュランを発見した“思いがけない顔”が、彼に向けて手を振った直後のUターンだから、
まず間違いなくその顔を避けての行動だろう。
本気で来た道を戻って行こうとするデュランの腕を、駆け寄ってきた“思いがけない顔”が慌てて引っ掴んだ。


「大事な賓客に対してその態度はあんまりじゃありませんか、
 パラッシュさ―――じゃない、アークウィンドさん?」
「………てめぇだって知ってりゃ誰が来たもんかよ」


無作法にも掴んだ掌へ握力を込めてくる“思いがけない顔”を乱暴に振りほどいたデュランは
眦を下げて苦笑いを漏らす彼を改めて睨みつける。
何度見ても慣れず、何度見ても腹立たしい穏やかな笑顔には、
剣呑な一瞥どころか思わず拳まで動いてしまいそうになるが、
それはデュランが短慮なせいでは無く、傍目には物腰穏やかな紳士にしか見えない来客が
腹の底に隠したドス黒さに何度となく痛い目へ遭わされているからだ。


「………御屋形様? どうされたのですか?
 奥方様のところに帰られたとばかり思ってました」
「えッ? 御屋形様が来てんの? 
 ―――おぉぉぉーッ!? ホントに来てやがんのッ!! ウィーッス、御屋形様、元気ッスかぁ〜?」
「お、シオン、お前、飲み過ぎじゃねぇかぁ?
 確かに、お前、今度の合戦じゃ大活躍だったが、それに油断してるようじゃまだまだだぞ?」
「ハッハッハ〜ッ!! 余裕ッスよ、あんなへっぽこニャろう共ッ!!
 御屋形様仕込みの剣があニャあ、俺一人レも一網打尽に出来まフぜェ!!」
「おいおい、呂律回ってねぇじゃねーか」
「………ほっといてください、御屋形様。あとは私が始末しておきますか―――らッ!!」
「―――いってぇぇぇッ!? ラにフんだよ、リザぁーッ!?
 ひフォがいイ気分でロんでんのによぉ〜ッ」
「私の気分が悪くなんのよ、あんたの飲み方はっ!!」


屈託のない笑顔――それだけに底が知れない――を相手にデュランが立ち往生していると、
祝勝の宴へ参加していた部下たちが杯を片手に彼のもとに集まってきた。
今日の勝利に酔いしれているらしく、皆、上機嫌な赤ら顔だ。
中でも『火』隊の隊長として随一の活躍を果たしたシオンの泥酔は正体を無くす寸前で、
サーレントの肩を借りてようやく立っていられるくらいにベロンベロン。
あまりに見苦しい酔い方に呆れたデュランが見咎めるよりも早く、既に剥き出しになっているシオンの上半身を、
彼の同僚で『林』隊の隊長でもある【レイライネス(精霊戦士)】リザ・グレイルの平手が
思いっきり力を込めて張り飛ばした。
さすがはリースの愛弟子。くっきりハッキリ綺麗な紅葉がシオンの背中に舞い降りた。


「御屋形様も一杯どうです? それとも奥方様に叱られてしまいますかね?」
「あー………、いや、そういうわけじゃねぇんだが………」
「ああ、私の事でしたらお気になさらずどうぞ。既に頂いてますから」
「………いつの間にだよ、てめぇ………」


どこで調達してきたのか、自分用の杯を掲げる“見知らぬ顔”の抜け目の無さと言ったら、
呆れてしまうぐらいちゃっかりしている。
星明りの夜空ではしっかり確認できずにいたが、よくよく眼を凝らすと、この男も既に顔が赤くなっているではないか。
一体どれだけ呑んだというのだ。ナントカ猛々しいとは吹いたものである。


「さ、さ、アークウィンドさんも、まずは一杯、いや、駆けつけ三杯っ」
「お前に音頭取られる筋合いは無ぇんだよ、黙りやがれッ!!」


腑に落ちない気持ちを酒と一緒に流し込む為、サーレントが用意してくれた杯を手に取るデュラン。
杯の中身は、【ローラント】産の清純な水と米が結実した醸造酒だ。
口当たりの良さとほのかな辛味が“通”のお眼鏡に適った好みに適ったのか、
愛飲家の間でちょっとしたブームになるくらい、【ローラント】の醸造酒は人気なのである。
デュランも晩酌には決まってこの酒をチョイスしているのだが、これはまた別の話。


「御屋形様、まさか一杯で済むなんて思っていませんよね?」
「おーッ!? 俺のシャケが呑めニェえってワきゃ無いでヒョうねェ、御屋形様ァ?」
「こんな美人どころにお酌してもらえるんだから感謝してくださいよね。
 それとも奥さんじゃなきゃ、満足できません?」
「………って、おい、お前ら、そんな呑ますなよ。
 酒臭ぇ息で帰ってみろ、リースに追い出されちまうぜ」


一杯呑み干すと、別のところから酒瓶が、注がれ空けるとまた別のお銚子が………といった風に
デュランの周りから酒を勧める声が消える事は無かった。
皆、デュランと酒を酌み交わすのが嬉しくて嬉しくて仕方が無いらしく、
呑んで呑んでと子供の様にせがんでは、年甲斐もなく表情をキラキラと輝かせている。
それを遠巻きに眺めていた“思いがけない顔”はクッと喉を鳴らして一つ笑いを飲み込んだ。


「………『御屋形様』ですか」
「………あん? なんかおかしいかよ?
 いや、そりゃ俺だってくすぐってぇけどさ、そんな風に呼ばれるとよ」
「ああ、いえ、そういう事を言っているんじゃありませんよ。
 ただ―――」
「?」


リーダーとして【草薙カッツバルゲルズ】を率いていたデュランの姿をよく知るその男も、
大勢の部下に囲まれ、慕われる彼の姿には新鮮な驚きを覚えていた。
【草薙カッツバルゲルズ】当時から高いカリスマ性は感じていたし、非凡なモノを察知したからこそ、
かつて、自分たちの陣営に引き込もうとあの策この策を企んだのだ。


「―――慕われているな、と思いまして」
「な、なんだよ急に………気色悪ィ野郎だなぁ―――元からだけどよ」
「一言余計ですってっ」


しかし、当時の彼のカリスマ性は、強烈な統率力で我の強い面子を牽引している感があり、
部下たちに囲まれて笑顔するデュランの現在とはまるで異なっている。
現在の彼が醸すカリスマ性は、何者をも受け入れ、許してしまえるような包容力だ。
そして、部下たちもそんな包容力に惚れ抜き、心の底から慕っているのだろう。
たった一瞬、ほんの微かの時間だけど、この光景を垣間見ただけで、
デュランが本当の意味でリーダーになった事、彼と部下たちの厚く熱い関係がよく理解できた。


「なーんか騒いでんな〜と思ったら、結局デュランも来たんか―――って、
 ………おいおいおいおい、穏やかじゃねぇの連れてんじゃんか」


別のグループで呑んでいたホークアイ――帰りもせずに遊び惚けている――も人だかりの中にデュランを見つけ、
酒瓶を担いでやって来たのだが、やはりそこで“思いがけない顔”と出くわし、思わず絶句した。


「ホークさんもご存知とは………一体どなたなのですか?」


ひたすら邪険に扱うデュランに続いてホークアイまでもがこの態度となると、
ますますこの男の正体、只者では無いのだろう。訝るサーレントの視線も強さを増していった。


「―――え、あれ? お前ら、知らねぇの?
 アルベルト・I・スクラマサクス。【ジェマの騎士】の片腕だよ、コイツ」
「あァッ!? アルベルトだぁッ!? てミェ、御屋形様をハメた野郎じゃねーキャ、そいチュはぁッ!!」


“アルベルト・I・スクラマサクス”の名前が飛び出すなり逆上したシオンが
帯剣していたブロードソードを引き抜き、いきり立って“思いがけない顔”ことアルベルトに向かっていった。
【ローラント】の領民にとって、奸計に陥れてデュランとリースへ【逆賊】の烙印を押させた【ローザリア】―――
―――というよりも、そこに所属する騎士隊【インペリアルクロス】の名前は
長らく鬼門とされており、不倶戴天の敵そのもの。
【インペリアルクロス】の隊長であるアルベルトの名前に至っては、
率先して働いた事もあってサーチ・フォー・デストロイな治外法権が許されるほど忌み嫌われている。
バーに設えられたダーツの的にも彼のブロマイドが貼り付けられているのだが、
それは読者の貴方と【ローラント】の人々だけの秘密にしておきましょう(でないと角が立つので)。


「ヒにニャがれ、このド外ロォォッ!!」


完全に眼は座っていたが、生まれたての小鹿をかくやと思わせる千鳥足では、
斬りかかる以前に彼のもとまで辿り付く事自体が不可能で、途中でグロッキーしてリザに足蹴にされるのがオチである。
オチというか、現実に大の字になって倒れこみ、無慈悲なストンピングを浴びせられているわけだが。


「………だから言わんこっちゃない………。
 サーレント、リザ、悪ィが、そのバカに水の一杯でも持ってきてやってくれ。
 なんならバケツでぶっかけたって良い。悪酔い覚まさなきゃ帰るに帰れねぇだろうよ」
「バケツはよろしくないのではありませんか? 急激に冷やすのは、かえって身体に毒ですよ」
「てめぇが俺に指図すんじゃねぇッ」
「―――つーか、普通に会話してんのな。めちゃくちゃ馴染んでんのなっ。
 ………ちょっとは警戒しろよ、デュランっ! この野郎、何しに【ローラント】来やがったっ!?」
「ああッ、そうでしたよ、そうでした。遊びに来たわけではありませんでしたね、私も。
 仕事でやって来たんですから、ええ」


さもトンと忘れていたかのような思い出し方でおどけてみせるアルベルトの、
【ローラント】におけるアルコールの摂取量は、ゆうに酒瓶5本分は超過しており、
肴に用意された牛肉のソテーを口一杯に頬張りながら『仕事』と切り出されても白々しいだけである。
彼の中にこうした二面性に溢れる態度があるから、ホークアイもデュランもアルベルトを今一つ信用しきれないのだ。
シオンが激怒した通り、過去の事件では、なにしろデュランはアルベルトのこの笑顔に騙されており、
尚更、彼の言動一つ取っても疑って掛かっていた。


「いささか立ち話が憚られる話題なので――――――どこか適当な場所を見繕ってもらえません?」













【アルテナ】よりの指示を仰せつかって来たというアルベルトを追い出すわけにも行かないデュランは、
不躾な要求を渋々飲み下し、兵営の一角に軒を構えたブリーフィング・ルームへ彼を案内した。
ブリーフィング・ルームは練兵施設や厩舎を通り抜け、兵営の中でも奥まったところにある。
祝賀の酒宴に沸き立つ嬌声すら届かないような場所だ。ここならば誰の邪魔も気にする事は無い。


「しかし、何度見ても立派な軍勢ですね。
 いや、【アルテナ】の兵団と言ったら術師隊と銃砲隊が主軸ですからねぇ、
 白兵戦の攻撃力に難があってもう………羨ましいの一言ですよ」
「いつからお前は【アルテナ】シンパになったんだよ、【ローザリア】の狗がよ。
 持ち上げといて、腹ん中じゃ何を企んでんのかわかったもんじゃないぜ」
「こりゃ手厳しいっ」


騎士として、軍人として、やはり興味を惹かれるのだろうか、
一夜で百里を走ると噂される強健の軍馬や歴戦の甲冑が立ち並ぶ区画を通り過ぎる際、
アルベルトはそこかしこへ首を動かし、視線を這わせていた。
デュランにしてみれば、軍事上の機密を観察されているようで気分が良いものではないのだが、
他人の機嫌を悪くさせるのがこの男の才能だと割り切り、喉元まで出かかった文句を
無理やり腹の奥底へ押し込めた。
もっとも、押し込めた分だけの文句は、隣に控えるホークアイが全て吐き散らしてくれたので
結果的にはオーライだ。


「―――ですが、私も今は【ジェマの騎士】の副官を任ぜられております。
 【アルテナ】の軍監も併せてね。
 ま、確かに貴方の仰る通り、【ローザリア】からの派遣に変わりはありませんがね」


デュランの擁立を画策した【ローザリア】の尖兵として、かつて【草薙カッツバルゲルズ】と
鎬を削ったアルベルトの現在の役職は、【インペリアルクロス】の隊長でなく、
【ジェマの騎士】―――つまり、ランディの副官に変わっていた。
反対派を地で行っていた【ローザリア】だったが、【ローラント聖戦】の折りに
図らずも【アルテナ】へ屈服する恰好となり、以降、【フォルセナ】に並ぶ“属国”として
世論から認識を新たにされている。

侮辱とも言うべき認識を受けても、なお、一切の国政を執るナイトハルト皇太子は強かなもので、
“毒を喰わらば皿まで”、この数年の間は徹底して恭順の姿勢を崩していない。
アルベルトもナイトハルトの命令で【ジェマの騎士】への補佐を任官したわけだが、
この辺りにも【アルテナ】に対してゴマをする【ローザリア】の意図が見えていた。


「殊勝な事言っちゃって、ホントはランディの揚げ足取ろーとしてるだけなんじゃないの?
 そ知らぬ顔してスパイ働くのとか、あんた、得意そ〜だもん」
「あはは、それはそうですよ。【ローザリア】が何の得もナシに【アルテナ】へ貸しを作るとお思いですか?
 それなりのマージンは頂戴していますよ」
「ケッ、抜け抜けと、まあ、相変わらず………」
「………そこまでにしとけよ、ホーク。一向に話が進まねぇぜ」
「アークウィンドさんに助け舟を出していただけるとは、望外の喜びですね………感謝です」
「寝ボケてんじゃねぇよ、タコ。
 てめえのツラを一刻も早くこっから追い出してぇだけだ、俺は」
「あらら〜、思った以上に嫌われてるんですねー、私。
 人生相談コーナーに訴えかけちゃいますよぉ、営業先で馴染めないって」
「るせぇっつってんだよ、とっとと始めやがれッ」


そう言ってデュランはおどけてみせるアルベルトの尻を蹴り上げた。
口にこそ出さない(行動に移した同じ気もするが)ものの、ドスン、と鈍い音を立てる蹴りへ込められた体重は
決して軽くは無く、ホークアイ同様、ヘラヘラしているアルベルトに相当胸糞悪い鬱憤を感じているようだ。


「では、リクエスト通りにそろそろ本題へ入るとしましょうか―――」


ほろ酔い気分で肌蹴ていた襟元を正したアルベルトは、
これに応じて呆れ顔から真剣そのものになったデュランとホークアイを見据え、
今回仰せ付かって来た【アルテナ】からの伝令を諳んじるように語り始めた。


「我々【官軍】総司令部は、翌月一日を期して【賊軍】へ総攻撃を仕掛ける事に決しました」
「………いよいよ決定したか」


総攻撃―――つまり、天下分け目の決戦の期日である。
喉を鳴らしたデュランの手に自然と汗が滲み出す。


「現在、数万の【賊軍】は、エンジントラブルによって【バハムートラグーン】なる広大な原野へ不時着した
 【グランベロス】最後の空中空母【ファーレンハイト】を拠り所に続々と結集しつつあります」
「大方の予想が当たったってわけか。最後の決戦の舞台は―――」
「―――【バハムートラグーン】に相違ありません」
「………………………」
「【官軍】司令部も状況が整い次第、【バハムートラグーン】へ軍勢を動かすでしょう」
「つまりお前は【ローラント】へ決戦の報告にやって来たわけだな」
「―――は? 何を仰ってるんですか。全っ然違いますよ」
「―――じゃあ、何なんだよッ!!」


滾る血潮の赴くままに拳を鳴らし始めていたデュランだったが、継がれた言葉に拍子抜けを覚え、
思わず腰掛けたテーブルから転げ落ちそうになった。
その様子を見て笑いを噛み殺すアルベルトは、こうなる事を見越して梯子を外し、
確信犯的にシチュエーションを楽しんでいる様にしか見えない。
人の嫌がる事に率先して触れたがる彼ならではの悪趣味は、今も健在である。


「結集の大号令は、私などの口からリークされずとも、近いうちに下知(※命令)されるでしょう。
 こういう事なら、むしろ血気に逸る騎馬軍団の皆さんの前で披露しますって」
「用件のみを話してもらいましょうかッ、スクラマサクス殿ッ!!」


極めて攻撃的な慇懃無礼でアルベルトに詰め寄るデュランの眼球は
隣のホークアイが引くくらい赤々と血走っており、むしろ混じり気の無い白目の部分の方が少なかった。


「………バゼラードさんからの依頼をお持ちしたのですよ、私は」
「ランディの?」


突如、アルベルトの声のトーンが低くなる。どうやらこれが件の“本題”の様だ。


「今からおよそ三日前になります。
 【アルテナ】の本営へ招かれざる客―――もとい、この上無い賓客が訪れましてね。
 全てはそこからです」
「………ホーク、お前、何か聞いてるか?」
「いや、ビルとベンが張り付いちゃいるが、【ナバール魁盗団】でもそこらへんは掴んでないハズだな―――
 ―――っと、こいつはアンタの前で話す内容じゃねーかな」
「お互いオフレコってコトにしておきましょう。
 かく言う【オアシス・オブ・ディーン】の諜報力は確かに凄まじいものがありますが、
 今度の来客は【アルテナ】にとって極秘も極秘、国家機密レベルの問題ですからね。
 ごく限られた人間にのみ、この話は知らされています」
「………成る程、確かに人目を憚る話題だな」
「実は【グランベロス】の―――――――――………………………」


と、そこまで話すと、アルベルトは一旦語り口を閉じた。
『御屋形様』と呼ばれる前のデュランであったなら、焦らすような話し方を勿体ぶるなと怒鳴りつけたところだが、
複雑な思いで眼を泳がせたアルベルトの逡巡をも敏感に察知できるまでになった今の彼は、
噤まれた口が活力を取り戻すまで待ちに徹せられる度量を備えている。
何度かの深呼吸を経て、再びアルベルトが語り始めるまで、デュランは静かに待ちつづけた。


「―――………【グランベロス】で竜騎士部門の戦闘総隊長を務めていた男………ビュウ・シャムシールが
 先日、【アルテナ】へたった一人で亡命してきたのです」
「亡命ッ!?」


空中戦において唯一無二の常勝を誇る竜騎士と言えば、間違いなく【グランベロス】帝国の要であり、
【賊軍】に身をやつした今となっても、その誇らしいまでの強さと気高さは、
【官軍】へ対抗する全ての反乱分子を幾度となく鼓舞してきた。
名誉あるべきはずの竜騎士たちの長が、仲間を置いて単独敵国へ逃げ込んだというのか。






(―――ビュウ・シャムシール………)






陸戦無敗の騎馬軍団を率いるデュランも、彼の名前だけは聞いた事があった。
公明正大な戦いを信条とする好漢と耳にしていただけに、国を捨て、友を捨て、全てを捨てて
亡命したという事実がデュランにはとても信じられなかった。
永遠に続く戦いへの恐怖に中てられたのか、臆病風に吹かれたのか。
英雄然とした活躍ばかりが飛び交うビュウ・シャムシールの風聞から亡命の動機を探るのは難しかった。


「けどさ、そいつをデュランに聴かせてどうしようってんだよ?
 確かに敵の大将が亡命したなんて、度肝抜かれるような大事件だけどもさ、デュランにゃ何も関係無くね?
 こんな秘密、誰かに話さなきゃもったいないッ! とか思っちゃったわけ?」
「貴方が私の事をどのような眼で見ているか、非常によく判りましたよ………」
「俺もホークの意見に賛成だな。お前が俺に何を望んでるのか、まだ把握し兼ねるぜ?」
「………ここからが重要なんですよ」
「………なら、耳の穴かっぽじって拝聴しようじゃねぇか………」
「―――………現在、シャムシール氏の身柄は追っ手から秘匿できる場所へ移してあるのですが、
 明後日、バゼラードさんが彼に直接謁見する運びになりまして」
「ランディが、か………」
「その席に、貴方にも同席していただきたいのですよ、アークウィンドさん」
「俺にッ!?」


【英雄】として名高い筈のビュウが卑怯な裏切りを呈した事に、
同じ一軍を率いる者として割り切れない思いを抱いていたところへ
急に横から冷や水を引っ掛けられたデュランは、鸚鵡返しでアルベルトに質問したまま硬直してしまった。
いつもの様に冗談だと答えてくれるのを微かに期待したアルベルトは、無情にも首を縦に振っていたからだ。


「なんで俺なんだよ? こんな地方の一領主が、【官軍】に参加してるっつっても一つの駒に過ぎねぇ俺が
 何の因果で亡命者の尋問に立ち会う理由があるってんだ?」
「バゼラードさんからのたっての依頼なのですよ。
 ………理由は存じませんけど」
「聴いてこいよ! 一番大事な部分をッ!」
「可愛い弟分の頼みだと言えば、理由も聴かずに来てくれるとバゼラードさんは仰っていました。
 貴方を心の底から信じて慕っているのですよ、彼は」


正直、今のデュランにはランディに付き合ってビュウの尋問へ参加するだけの余裕はどこにも無かった。
天下分け目の決戦が間近に切迫していると言う事は、それ相応の軍備を整えなければならないし、
自軍の士気を奢らず恐れず戦えるように高めていく必要もある。
これらは全て一筋縄では行かない作業だ。
決戦までいくらも時間が足りないのなら、尚更遠征している暇が勿体無い。






(―――………ったく、俺も甘チャンだな、大概よォ………)






―――――――――勿体無いのだが、だからと言って多忙を理由に断れば、
説得を一任されて【ローラント】までやって来たアルベルトは立場を失うだろうし、
たっての願いを込めて同行を依頼するランディの思いを踏みにじる事になる。


「………小一時間ほど待っててくれ。
 名代に事の仔細を伝えて戦支度の手筈を整えてくる。
 それくらいは融通利かせられるだろう?」


ともすればデュランの取るべき道は一つしかない。
名代を立てて兵力を整える事に不安が無いと言えば嘘になるが、アルベルトの面子を保ち、
なおかつランディの心にも応えるとなれば、これしか手段は見当たらなかった。


「アークウィンドさん………」
「………いいのかよ、ホントに」
「どこぞのひねくれ騎士隊と違って、理由を話せば解ってくれるヤツらばかりだから、【ローラント】のみんなは。
 それに名代に………エリオットに任せておけば、万事上手くやってくれるさ」
「いや、俺は別にそこら辺を心配してんじゃねーよ。エリオットの実力は誰より知ってらぁ。
 ………今のランディにそこまでしてやる義理があんのかって話だよ」


上衣を翻して自宅へ戻ろうとするデュランの足を、いささかトゲのあるホークアイの物言いが一瞬絡め取った。
―――『今のランディにそこまでしてやる義理があるのか』。
ランディを貶めている様にも聴こえるホークアイの言葉に葦を止めた以上、
デュラン自身も思うところがあるのだろうが、それでも彼は否定せず、肯定もせず、ただ一言――――――――


「………アイツは俺の弟分だからな………」


―――――――――とだけ言い残し、今度こそエリオットが休んでいる自宅へ戻っていった。


「………ランディは何の目的があってデュランを呼びつけたんだ?
 アンタなら、知ってんだろ、どうせ」
「残念ながら、本当に聴かされていないんですよ。
 私だって具体的な理由が無くては説得に困りますから、何度もお伺いを立てたのですけど………」
「………独断専行ってワケか………………………俺が釘刺したのは、まさにそこなんだけどな………」


デュランの背中を見送りながら、改めてホークアイが突然の召喚の理由を問い質しに掛かったが、
常に手の内を隠す性悪なアルベルトにも、今回ばかりはお手上げ。
「連れて来い」と命令を下されただけで、動機や説得の材料に関する他の事柄は一切与えられておらず、
珍しくアルベルト自身が怪訝の波を右往左往している状態なのだ。


「―――――――――で、あの件はどこまで進んでんだよ?」
「………“あの件”?」
「トボケんなよ、さっきも言ったろ? 俺の仲間がお前ら【アルテナ】の動きを探ってるって。
 ………………………権限持ち過ぎたランディを政局から排斥しようって動きは、
 今、どこまで進んでんだって聴いてんだ」
「………………………………………………」
「………………………【ジェマの騎士】も………お前らには………もう用済みってコトかよ………………………」


苦笑いを浮かべて去っていったデュランには決して聴かれない様な小さな声で、決して聴かれてはならない密かな声で、
物言わぬアルベルトに対してホークアイが重々しい溜め息を鬱屈混じりに掃き捨てた。
無言の肯定に異論を唱えるように、何度も何度も、溜め息を掃き捨てた。






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