同窓会は和気藹々。会場となった【ピュティアの庭園】の中央ではケヴィンが十八番の
“もののけ節”を踊っている。ポポイとカールも一緒だ。
良い感じに興が乗ってきたのか、踊り狂う三人を中心にてんやわんやのドンチャン騒ぎの様相を呈してきた。
ルサ・ルカなどは【光の司祭】という自分の役職を忘れて生臭に呑み食らい、
「熱いのヤー」とばかりに着衣を脱ぎ出す始末である。
慌ててシャルロットが止めに入っていなければ、今頃アルコールで朱に染まった素っ裸を晒していたに違いない。
もう一歩だったのに、と不埒にも舌打ちしたホークアイの様子は、アンジェラがモバイルを通じて遠方のジェシカに伝えており、
後日血の雨が降る事は確定している。哀れ、ホークアイ。今更真っ青になっても後の祭りだ。
「なんだ、この程度でグロッキーか? 今夜くらいはゆっくりと酌み交わそうと思ったんだがな」
「バカ言え、俺を誰だと思ってんだ? これしきで泡吹く様じゃ荒くれ軍団の棟梁は務まらねぇぜ」
「酒に強いのって、騎馬軍団と何か関係があるんですか?」
「ハーブティーしか飲めないお前にはわからねぇ世界だよ、ヴィクター」
中休みを取るべく少し離れたところで饗宴を見守っていたデュランのもとへ
ブライアンとヴィクターもやって来た。
下戸のヴィクターは酒の代わりに紅茶を楽しんでいるが、ブライアンの肌蹴た胸元からは
強いアルコールの匂いが立ち昇っている。相当呑んでいる様だ。
「全員が参加できれば言う事が無かったのですけど、やはりそれは過ぎた願いですかね」
「仕方が無ぇよ、ヒースも忙しそうだし、リースに至ってはそれどころじゃねぇ。
………そういやマサル達もいねぇんだよな。こういうお祭り騒ぎにゃ我先に参加しそうなもんなのに」
「興行に勤しんでいると言っていたな。今日の席に参加できず残念がっていたぞ」
「あいつも頑張ってんだなぁ」
「頑張ってんだなぁ………って、デュランさん、連絡取り合ってないんですか?」
「女連中はメールだの何だのでやり取りしてるらしいが、俺はいまいちああ言うのが好きになれなくってな。
近況報告っつったら、せいぜい年賀状だ」
「不精者だな。ヴィクターなど、方々へマメに連絡を取っているんだぞ」
「そう言うお前はどうなんだよ、ブライアン。
親友自慢は結構だけど、お前からメールが来るって話、誰にも聞いた事が無ぇぞ」
「………………………俺も不精者だ」
「ほれ見ろ」
「まぁまぁ、二人とも。いいじゃないですか、モバイルが使えなくても。
ブライアンの近況は私が伝えていますし、デュランさんの近況はリースさんから伺っています。
用事は足りていますって」
「「モ、モバイルが使えないんじゃない! 面倒くさいからやらないだけだッ!」」
「………文明の利器に随いていけないお父さんの主張みたいなのを声揃えて言わなくても………」
負け惜しみにも聴こえるデュランとブライアンの反論に苦笑を漏らすヴィクター。
彼の視線の先には、エリオットとの仲を女性陣から冷やかされて俯くウェンディの姿がある。
喧騒から離れ、ひんやりとした静けさが心地よいこの場所とは正反対に、向こう側のヒートアップはまだまだ計り知れない。
「しっかし、まあ、マサルが仕事優先とは驚いたよ。人は変わるもんだなぁ」
「………そう、人は変わるものですよ………」
「………………………」
―――――――――人は変わる。
何の気なしに呟いた言葉をなぞるヴィクターの言い方に含みを感じ取ったデュランが一つ溜め息を吐いた。
微かに匂わされた意図を察しての、重々しい溜め息だった。
「………ランディの事、か………?」
「湿っぽい話はご法度にしておきたかったのですが、状況が状況だけにそうも言っていられなくて………」
「………そんなに追い詰められてんのか、あいつ………」
「追い詰められている、と言うよりも、自分で自分を追い詰めていると言った方が正しいかも知れんな」
「………まあ、当然かも知れねぇな。
自分にも、部下にも無理を強い過ぎたし、戦いに勝つ為なら手段を選ばなくなってる。
それでいて武功を上げるんだから、【アルテナ】がランディ排斥に動いても已む無しとは思うぜ」
「―――デュランさん、それをどこで?」
「牧歌的な地方自治領とは言え、俺も一国の主だぜ? 密偵の世話くらいしてる」
「………機密情報が筒抜けか………。ここは一先ず【アルテナ】の情報管理の体たらくは棚に上げておこう。
むしろ余計な説明を省けて助かった」
ホークアイもアルベルトに問い質していた“ランディ排斥”の事態は、
【アルテナ】にとってまだ伏せておくべき機密事項である。
【官軍】総大将の指揮権を一任してあるこのタイミングでランディに漏洩でもされれば、
二十万余りの軍勢がそっくりそのまま【賊軍】へ寝返る最悪のシナリオも想定される―――
―――ハズなのだが、どうやら【アルテナ】の情報管理には問題が多いらしく、一地方領主のデュランですら、
ヴァルダを始めとする首脳陣の間で進みつつある不穏な動きを把握していた。
【アルテナ】に仕える身のヴィクターやブライアンにとって、本来なら機密の漏洩は卒倒してしまうくらい甚大な事件なのだが、
彼らは何しろ前科持ち。こうした【アルテナ】の管理能力の間隙を縫って、かつては政府転覆を目論んだのだ。
それだけに情報管理の杜撰を知ろうとサバサバしたもので、別段動揺するでもなく、淡々としている。
「―――デュラン、お前、今のランディ・バゼラードを見てどう思う?」
直球の問いかけには、デュランも逡巡を覚えたが、ここでお為ごかしをしても意味が無い。
冷静に、そして怜悧に【官軍】総大将・ランディへの評価を並べていった。
「………お世辞にも感心は出来ねぇな。
【賊軍】を退治するには形振り構っちゃいられねぇんだろうが、手段がえげつなさ過ぎる。
恐喝紛いのやり口での徴兵、敵諸共の玉砕を強いる戦略………人間を戦の道具同然に扱うのは問題だな。
あのまま行ったら、そう遠くない内に必ず自滅するぞ」
「【アルテナ】軍部でも、バゼラードの無謀な采配を問題視する声が高まっている。
一軍の将とは、単に兵を死地へ送り出すものではない。粉骨砕身の功に報いて初めて将として認められるものだ、と。
功を賞賛するでもなく、ただ戦いへ駆り出すだけのバゼラードは、【官軍】を率いる総大将として正しいのか、否か―――
―――これを直訴に向かった将校を反逆罪と見做し、その場で斬首したという話も少なくない」
「その場で………斬首………そいつは初耳だったな………」
「リースさんを人質に出して騙まし討ちするという今回の一計も、実はランディさんの独断によるものなんです………」
「………何?」
「俺たちでなんとか帳尻を合わせたから良いものを、あの男………ッ!
獣人王の反発は正しかったんだよ、全くな」
「………………………」
彼の並々ならない覚悟を受け入れたからこそ、デュランもリースを人質に出す策謀を飲み込んだのだが、
それが稟議を通すなどの段階を踏み、様々な意見を取り入れた上で固まった戦略でなく、
完全にランディ個人の判断による一案であったのならば話は別だ。
リースは、見切り発進とも言える危険な賭けの道具に利用された事になる。
「………フェアリー様が、どうしてランディさんのもとを離れたかご存知ですか?」
「………大体察しは付くがな。あいつ、よく【ローラント】にも遊びに来るけど、
その度に『ランディはいいの。もう一人前の【ジェマの騎士】だからワタシが随いてる必要無いし。
これ、名誉な事だよ? 女神にそこまで信頼されて自由を許される【ジェマの騎士】は
あいつが初めてだもん♪』だとか何とか言ってるが………」
「方便半分と言ったところだろうな」
「………私やブライアンも何度かランディさんと同じ戦場に立ちましたが、
あの人はその中で一度も【ジェマの騎士】の正装を用いなかったんです。
いえ、ここ数年、【ペジュタの宝珠】を使用した事も無い」
「………つまりそれは………」
「女神に見放され、伝説の力を解放する事も出来ない―――
―――【ジェマの騎士】としての資格を剥奪されていると考えるのが妥当だ」
「………………………」
能力の一切を失い、名ばかり【ジェマの騎士】と化している可能性をデュランは否定できなかった。
【女神の後継者】が正しく世界を導く為の礎として追従する事こそ、本来、ランディが務めとすべき使命なのだが、
それを離れて戦に没入する現在の姿はどうか?
常に行動を共にしなくてはならない筈のフェアリーがランディのもとを離れて自由に飛び回っている状態はどうか?
【ジェマの騎士】の象徴たる【聖剣エクセルシス】を帯びず、甲冑も【ペジュタの宝珠】へ納められたものでなく、
自前でこしらえた一領しか使わないのはどういう事か?
(………名前だけを借りた【ジェマの騎士】………)
【社会】に巣食う悪を叩く【官軍】の総大将として、【ジェマの騎士】の雷名は天下に名高いが、
仮初の存在へと成り下がったのが事実であるとすれば、これほど空虚な物はない。
自分の生き方にすら戸惑っていたランディが勇気を振り絞って真の【ジェマの騎士】へ覚醒する経緯を
一部始終見守ったデュランには、それは耐え難い痛みでもあった。
「………それで、お前ら【アルテナ】はランディをどうやって排斥するつもりなんだ?
難癖を付けて追放でもしようってのか?」
「それで済んでくれれば良いのですが………」
「………………………事が困窮に至れば、暗殺が決行される場合もある………………………」
「―――暗………殺………」
全く考えていなかった―――いや、無意識の内に考えようとしなかった最悪の事態を突き付けられ、
デュランは言葉を失った。
「ランディ・バゼラードの無理を危ぶむ声は何も軍部だけではない。
一般民衆にも広まっているんだよ、急速にな」
「【ジェマの騎士】が存在する限り、争乱はずっと続くのかも知れない。
次は自分たちが標的にされるのではないか―――【官軍】参加国の人々の間に波及した疑心暗鬼は
もう【アルテナ】の力でも抑えられないところまで来ているんです」
「………………………―――――――――」
――――――『【ジェマの騎士】って言うからには、もっと聖人みたいなのを想像してたけど………なぁ?』
『ええ、なんか………恐い』――――――
初めてランディを間近で見た時にシオンとリザの漏らした怯えが脳裏へ蘇る。
その一言が、愉しそうに盛り上がる同窓会の光景を、まるで別次元の出来事の様に塗り潰していく。
デュランは自分の視界が急速に温度を失っていくのを感じて、思わず天を仰いだ。
「………そこまで………追い込まれているのか………ランディは………………………」
冷えた視界の向こう側から飛び込んで来る笑い声が、泣きたくなるくらい哀しげに響いた。
†
「―――【ローラント】公ッ!」
どうしても気分を持ち直せず、エリオットとウェンディを残して一足早く同窓会を抜けてきたデュランは、
宿への道中、背後から公的な通称で呼び止められた。
気持ちが落ち込んでいた事もあって、ほんの一瞬、辟易と眉間に皺を寄せたが、
“ローラント公”と呼ぶからには相手もそれ相応の身分。すぐさま領主としての表情を作って振り返った。
「【タイクーン】女王………」
「夜分に失礼。出陣の前にご挨拶をと思って声をかけさせてもらいました」
「………出陣?」
「これより【タイクーン】は【バハムートラグーン】へ向けて出陣いたしますッ!」
振り返った先に立っていたのは、僅かな供を従えた【タイクーン】女王、ファリスだった。
狭い【ウェンデル】に【官軍】がひしめいているのだから、大将格の者同士が街中で顔を付き合わせるのも珍しい事ではない。
実際、宿へ戻る最中にも【フィガロ】王国のエドガー王や【バファル】帝国の皇帝代理、ジャン将軍ら諸侯と出くわした。
そのいずれも会釈で済んだのだが、今度はそうも行かないらしい。
ファリスは、【将軍女王】なる通り名を知らしめるのに一役買っている海竜を模した具足で身を包み、
決戦場【バハムートラグーン】への出陣を宣言してきた。
デュランの知る限り、総大将のランディから出陣の号令は出ていない。ともすれば、独断による行軍という事になる。
「待たれよ。いつ出陣命令が下されたのですか。よもや単独で戦場へ赴くと仰られるのでは?」
「【バハムートラグーン】へ結集し始めた【賊軍】を威嚇する為の出陣です、これはッ!
先鋒として着陣し、奴らに【官軍】の威力を知らしめてみせましょうッ!!」
「早まってはなりませぬぞ、女王ッ。一丸となってぶつからねば勝機の無いこの一戦、
単独行動は命取りにございます。
………【ジェマの騎士】殿の不興を買う事にも繋がる………ッ!」
「何を寝惚けた事を言っておられるのだッ。
我々は【官軍】へ参加した同盟者ではあっても、【ジェマの騎士】の配下では無いッ!
つまり、いちいち下知(※軍事上の命令)に従う義務も、必要も、一切無いって事だッ!!」
リアクションの激しいファリスが何か言葉を発する度に海竜の具足がガチャリ、と擦れる音を立てる。
今でこそ【タイクーン】の女王という玉座に治まっているファリスだが、驚くべき事に前身は海賊である。
幼い頃に手違いで海賊船に紛れ込んで以来、荒くれの海賊として育てられてきたのだが、
紆余曲折を経て母国へ戻り、王位第一継承権を継いだ今もその頃の気質は抜け切らず、
有事においては自ら刀槍を取って先陣を切って戦っていた。
今回も、海賊時代の経験を元に鍛え上げた自慢の海軍を含む15,000の軍勢を率いて参戦している。
「【ジェマの騎士】殿には私も思うところがある。女王が憤る気持ちも理解できるつもりです。
しかし、この場は、この場だけは何卒抑えてください。
足並みを乱せば、勝てる戦も拾えなくなるッ! 武勇に優れた貴女にもこの道理、ご理解いただけましょうッ!?」
「それなら、【ローラント】公、貴方も共にいらしてはどうだろう!?
貴方は奥方を人質に取られている。俺たちと一緒に撃って出て、名乗りの一つでも挙げられては?
【賊軍】め、正義の怒りの前に縮み上がるだろうよッ!!」
「お気遣いはありがたく頂戴いたします………が、それとこれとは話が違う。
全軍の意志を一つに束ねて戦う【ジェマの騎士】殿のご意見こそ、私は必勝の布石と存じます。
我が妻をお気遣いいただけるのであらば、逸る闘志を鎮めて頂きたい」
「あんな男に【イシュタリアス】の命運を託せるもんかッ!!」
段々と気勢が昂ぶるにつれて話し言葉も荒くれてくるファリスをデュランは懸命に引き止める。
決戦の勝敗は勿論の事だが、ここでファリスが単独行動を取れば、ランディの猜疑心は【タイクーン】へ向けられる。
そうなれば【賊軍】討伐後に狙われるのは【タイクーン】だ。【逆賊】の汚名を着せて【官軍】を差し向けるだろう。
もしもここでファリスの独断専行を許せば、リースと二人で危惧した通り、戦乱の連鎖は永遠に続く。
世界の平穏を願う者として、領民を守る国主として、デュランはファリスを押し止めに掛かった。
【官軍】であろうと、【賊軍】であろうと、これ以上の犠牲者を出すべきではないと考えて。
「【ジェマの騎士】、【ジェマの騎士】、【ジェマの騎士】とぉッ!!
あんたは昔からのお仲間だから贔屓目で見すぎなんだよッ!! 買い被るのもいい加減にしろッ!!
最後まで中立を守っていた【バレンヌ】のジェラール公も、
あの男の恫喝に腹を立てて【賊軍】へなびいたそうじゃねぇかッ!!」
「………………………」
その噂はデュランの耳にも入っていた。
ランディと共に【官軍】への参加を直訴した【バレンヌ】のジェラールは、説得の直後、総勢50,000の精鋭をもって挙兵し、
【賊軍】へ協力する事を表明したと言う。
【バレンヌ】の【賊軍】参加は未だ公にこそなっていないものの、【バハムートラグーン】へ不時着した【ファーレンハイト】を
護衛する様に大軍を布陣させた事から、ジェラールの意志は誰の眼にも明らかである。
ランディの説得は、完全に裏目に出ていた。
「それについては同席した私にも責任がございます。勘気に触れた事、伏して詫びます故、何卒―――」
「あんたさぁ、自分の立場を悪くしてまで庇うなってんだよッ!
恐怖で相手を押さえつけようとして、そんでもって墓穴掘るバカなんざ、さっさと見切りつけちまえッ!!」
「………………………」
「恐怖統制の先に平和が来るかってんだッ!!」
戦乱を食い止める為にも、何としてもファリスを止めなくてはならないのだが、
正論に正論を重ねられたデュランには最早虚栄で取り繕う事も適わず、ついに言葉を失ってしまった。
「穏やかではありませんな、お二人とも。
この様な夜更けに一国の王同士が激論されては、領民の安堵も吹き飛びましょう」
万事休すかと肝を冷やした時、思わぬところから助け舟が浮かべられた。
説得に集中する余り気付く事が出来なかったが、いつの間にかデュランとファリスが言い争うすぐ近くまで
【バロン】聖王、セシルが白馬を寄せていた。こちらもファリスと同じく数人の供しか連れていない。
今の助け舟は、セシルが鞍上から差し向けてくれた物だったのだ。
「ファリス女王、貴女の【イシュタリアス】を思うご意志、失礼ながら遠方より拝聴させていただきました。
烈火の如き闘志、正義を愛する勇気、感服いたしましたよ」
「い、いや、それほどでも………」
「しかし、貴女ともあろう御方が実に惜しい。正義に燃える余り、視野が狭まっておられる様だ」
「視野―――狭窄?」
「御覧なさい、お供の方々が貴女の闘志に中てられ、怯えていらっしゃる。
彼らは貴女が守るべき領民の心を映す鏡でもあるのですよ」
「う………っ」
「鋭い牙をお持ちであるなら、尚の事、剥くべき場所を考えなくてはいけませんよ。
そうでなくては、愛する領民の皆様にもあらぬ疑いを及ぼします。
暴力で何もかも解決させるつもりと疑われては、貴女としても心外でしょう?」
「………………………」
「怯えさせるのでなく、包み込んであげてください。
今は恐怖を生むだけの強い闘志も、然るべき場所、然るべき戦にて駆り立てれば、
領民を鼓舞する太陽に変わるのですから」
ゆったりとしたローブを翻しつつ鞍上から降りるセシルの言葉でハッと我に返ったファリスが
従者を振り返ると、諌められた通りに怯えた表情を浮かべている。
これが領民の心を映す鏡だとするなら、闘志を剥き出して戦いに逸り、従者を怯えさせるのは、
彼女自身が最も忌む【ジェマの騎士】と同じ穴の狢に成り下がる事を意味していた。
「―――他言無用にお願いします………」
ようやく失態を見落としていた事に気付いたファリスは、己を恥じ入って頬を朱に染め、
一礼してその場から立ち去っていった。
一時の感情の昂ぶりから独断での先陣取りを宣言した女王に不安を隠せなかった従者たちも、
それでようやく安堵した様に生気を取り戻し、彼女の後へと続く。
「助かりました………聖王殿」
「いえ、なんの。私も若い頃には彼女と同じ失敗を繰り返したものです」
セシルが偶然通りかからなければ、ファリスも思い直してはくれなかった筈だ。
感謝を述べると共にデュランは、彼女を説得し切れなかった自分の威厳の足りなさを悔やみ、苦虫を噛み潰した。
二十代そこそこの若輩と老練な【聖王】を比べる事もおこがましいが、それでも自分を不甲斐なく思った。
「しかし、一つだけ忠告がありますぞ、デュラン公」
「………なんでしょう」
「貴方と御妻女の英断によって、今や【官軍】は一枚岩となりつつあります。
だが、それも全て表面上の事。内面へ眼を向けるなら、そう楽観視も出来ません」
「上辺だけの団結―――と?」
「【社会正義】を示すという共通の目的へ邁進する構えは万全だと申しておるのですよ。
問題なのは、集中が脇に反れた時が怖いという事」
「………………………」
セシル聖王は、穏やかな眼差しを幾分厳しくして話を続けた。
「同じ目的に向かっている内は良い。
けれど、ふと足を止めた時、自分たちは【ジェマの騎士】に道具の様に扱われているだけではないか?
捨石同然に放られているのではないか? ―――と考える危険性があるのです、現状のままだとね」
「それが暴発すると、先程の【タイクーン】女王の様な反発が出てくる、と?」
「我々【官軍】は危険な均衡の上に成り立っている烏合の衆。いつ壊れてもおかしくない。
少なくとも、ファリス女王が頭へ血を昇らせた事の重大さを胸に留め置く必要はあるかと思いますよ。
………血気に逸った若者の勇み足と簡単に飲み込まずに、ね」
「………………………」
改めてセシルに念を押されるまでもなく、デュランは今しがたの騒動を簡単に捉えるつもりは無かった。
武功に報いる事もせず、兵たちをただ死地へ向かわせるだけのランディへいつ不満が爆発してもおかしくない事は、
先程交わしたブライアンとヴィクターの言葉から痛感している。
その事で胸を痛めた直後だけに、ファリスの暴発とセシルの訓戒は深く突き刺さった。
「デュラン殿は、今も【ジェマの騎士】殿を信じておいでか?」
「ランディを………ですか?」
「ランディ殿とは【草薙カッツバルゲルズ】時代からの御盟友と聞き及んでおります。
それだけに現在の変心をお認めになりたくない気持ちは解りますが………」
「………解りません………」
それが、デュランの正直な考えだった。
勝利を第一に考えながらも兵たちの命を軽んじ、フェアリーやポポイと言ったかつての仲間の離反を招いたランディを
100%受け入れられる自信はどこにも無い。
リースを捨石同然に扱った事を許せる寛大さも持ち合わせてはいない。
大事な存在(もの)を喪(なく)した傷が膿んで心が壊れた―――というだけでは免罪し切れないほど、
ランディが重ねた暴挙は少なくなかった。
「解らないからこそ、私はランディを信じてみたいのです」
「―――ほう?」
「私は【ジェマの騎士】として半人前の頃からランディを知っています。
流されるまま【ジェマの騎士】となった自分の生き方に疑問を抱き、迷っていた頃から」
「………………………」
「あいつは迷いに迷いました。世界を救うという漠然とした使命に命を賭けられるのか、と。
思えば可哀想な男ですよ。自分の意志とは関係無く【英雄】に仕立て上げられてしまったのですから」
「………………………」
「しかし、最後には、自分の運命に誇りを持ち、使命を完遂すべく剣術、兵学、執政と修練に励みました。
【ジェマの騎士】としての使命感でなく、自分自身の意志として運命を受け入れたのです」
「………………………」
「―――だから、私はランディを信じたい。戦うだけでは平穏は訪れないという事を受け入れてくれる事を。
自分の過ちに気付いた時、あいつは自分を責めるでしょう。
責めて責めて、立ち上がれないくらいに責め抜いて―――――――――そして、また立ち上がります」
「………………………」
「―――あいつは、ランディ・バゼラードはそういう男です。
自分の過ちも、運命も全て受け入れて立ち向かうだけの強さを、あいつは備えている」
これも、デュランの偽らざる想いだった。
出逢った頃のランディは、【ジェマの騎士】へ選ばれた名誉にも戸惑い、流されるだけの生き方に迷っていた。
それが、どうだ。同志として戦いを続ける内にランディは強い精神を育て、
ついには【ジェマの騎士】としての自覚に目覚めた。
いや、未熟を常に意識し、自己研鑚を怠らなかった彼の精神は、ある意味において、
伝説上の英雄である【ジェマの騎士】を超えていたのかもしれない。
【女神】の後継者であるフェアリーにただ従属するのでなく、【イシュタリアス】へ生きる一人の人間としての誇りを持ち、
自分自身の意志で戦い続けた―――それが、デュランの知るランディ・バゼラードだった。
「あいつは、俺の自慢の弟分です」
今は深い霧の中にいて、かつての強さを見失っていても、必ず還って来てくれる。
他の誰が見捨てようとも、自分だけは最後の最後まで信じるんだ―――デュランはそう宣言して締め括った。
(―――俺が信じてやらなくて、誰があいつを助けられるってんだ………ッ!!)
ランディの苦しみの全てを理解出来なくても、兄貴分として信じる事は出来る。信じて待ってやれる。
―――――――――怒涛の様に渦を巻く迷いの中からデュランも答えを見出したのだ。
「………御注進、傷み入ります」
幾分険しくなっていた眼差しを元の穏やかな物に戻したセシルへもう一度感謝の一礼を述べ、
今度こそデュランは宿舎へ向けて歩き出した。足取りは強く、微塵も迷いを感じさせない。
手向けられた「信じる道をお行きなさい。必ず道は開ける」という励ましを背中へ感じながら、
精一杯に胸を張って前へと進んだ―――――――――………………………。
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