きて残った事への喜びではない。だが、敗れていった者たちへの憐れみでもない。
誰に向けられた感慨なのかも分からない不思議な寂寥が胸を埋め尽くしていた。
デュランだけではない。アルベルトも、アンジェラも、ケヴィンも、ファリスやパメラも同様だ。
【ファーレンハイト】を見つめる【官軍】諸侯の顔には一様に空虚な感情が滲んでいた。

――――――【官軍】側の戦死者、120,400人。【賊軍】側の戦死者、228,532人。
【官軍】側の圧倒的な勝利をもって『天下分け目の決戦』は終幕を迎えた。


「………………………………………………」


総攻撃によって陥落した【ファーレンハイト】の炎上を見守る内に夕暮れを迎えた【バハムートラグーン】は
阿鼻叫喚の地獄絵図としか現し様が無く、平野にも潟湖にも、見渡す限り死屍が累々と横たわっている。
風が一陣でも吹き抜ければ、未だに燻る硝煙と死臭が酸鼻を衝き、パメラなどは吐き気を催してその場に蹲ってしまった。
だが、蹲った先―――足元を見ればそこは血の海だ。何十万もの血を吸い切れずに吐き返した平原は、
具足の中にまで染み込んで来るくらいドス黒い血で染まっており、この地獄へ耐え切れずに卒倒した兵たちも多い。
ウェンディもその一人で、気を失ってからエリオットの背中に担がれたままでいる。

………………………全ては、終わった。
【ローザリア】の様に勝ち鬨を上げる国もあれば、【アルマムーン】の様に物言わず退散した国もある。
中でも【ロアーヌ】のミカエル公の盗人猛々しい根性と言ったら眼も当てられず、


「我らは最初から【官軍】へ内応していたのだ。機を見計らって【賊軍】に一泡吹かせてやったまでの事。
 【ロアーヌ】の高度な政治判断による戦略が無ければ、今頃、【官軍】の方がああなっていたであろうよ」


寝返りを政治判断だったと美化し、正当化し、己の功名を諸侯相手に朗々と説いていた。
パルパレオスとセバスチャンの不仲に端を発して【官軍】へ寝返った【アルマムーン】の早期撤収に比べて、なんと浅ましい事か。
感心した様に聴き入っているのは、【官軍】という旨味に吸い寄せられた弱国の王のみで、
【ガルディア】や【バファル】と言った栄辱を知る大国は一瞥すらせず黙殺を通している。
功名にしか価値を見出せない下卑た連中になど、この寂寥感が理解できるものか、と。


「………ブルーザー………【賊軍】の大将………パルパレオスの身柄は………」
「………わからない。【黄金騎士団】もギリギリまでは追い縋ったんだが、
 回廊の途中で炎に巻かれて、その後は………………」
「………………………そうか………………………」


炎に包まれた【ファーレンハイト】へ果敢にも潜入したブルーザーたち【黄金騎士団】だったが、
あまりに火の手が早く、何処かへと消えていったパルパレオスを最後まで追う事は出来なかった。
………もっとも、彼に待ち受けていた悲惨な末路を見る限り、炎に道を阻まれて見失った方が幸せだったのかも知れない。
心臓の弱い人間がその光景を目撃していたら、ショック死していた可能性も考えられるのだ。


「………………………………………………………………………」


生けとし生ける者が焼き尽くされ、灰燼に帰していく【ファーレンハイト】の崩落は、
デュランの瞳にはどう映っているのだろうか。
リースの身柄の安否は既にマサルからの連絡で確認しており、それについて何ら焦燥は無かった。






(………………勝った………………いや、勝たせてもらった―――ただ、それだけだ………………………)






3分の1に近い戦死者を出しながら【ローラント】2,000騎も全霊を傾けて戦ったが、
こうして終わってみれば【官軍】諸侯が持ち得る限りを結集した死力ではなく、【バレンヌ】らの裏切りが決した合戦だったと言える。
それがデュランには虚しかった。【賊軍】の汚名を浴びたとは言え、亡骸を野ざらす彼らも見果てぬ理想を抱いて戦った勇者だ。
自らの信念に殉じた姿は敬意に値するとさえ考えている。レオしかり、パルパレオスしかり、である。
だからこそ、公明正大に戦いたかった。正々堂々と戦った果てに生きて残ったなら、こんな思いに苛まれる事は無かっただろう。
同胞と信じた者たちに裏切られ、滅ぼされていった彼らの絶望を思うと、やりきれない虚しさが胸を穿つのだ。
――――――死力の果てに切り拓いた勝利ではない、誰かにお膳立てされて得た未来に何の価値があるのか、と。


「デュラン、お前の気持ちは解る………この地に倒れた者は【アルテナ】が全責任をもって弔うつもりだ。
 ………思うところもあるだろうが、それで収めてくれ………」
「ブライアン………―――――――――そんなんじゃねぇよ………」
「………デュラン」
「俺たちは………【官軍】は………勝ったのか?」
「………形式上は、な」
「俺たちは何に勝ったんだ? 【賊軍】か?
 追い詰めたって手応えも無いこの腕がどうやって【賊軍】の息の根を止められたんだ?」
「………俺たちは死力を尽くした………傷だらけになって戦った………これこそ一番の手応えじゃないか」
「死に物狂いで戦ったさ………敵の増援がやって来る前にケリつけなきゃならなかったんだ。
 だがよ、絶体絶命の危機とやらは、ほんの一瞬で逆転して、呆気に取られている内に勝っちまった………。
 ………俺たちは、何か一つでもこの戦で何かを得たか? 何かを残せたのか………」
「………デュラン………………」
「ほんの一瞬の出来事の前に俺たちが費やした犠牲は………あいつらは何のために死んでいったんだ………。
 ………………報われねぇよ………………………報われねぇ………………………」


悄然と佇むデュランの肩へブライアンが手を掛けた。
同じ表情(カオ)だ。何の感慨も浮かばない無機質な瞳を空虚さで満たしたブライアンの表情(カオ)は
輪郭線さえ書き直せばそっくりそのまま自分へ当てはめられる。
まるで分身を見ている様な錯覚へ陥ったデュランは、気遣わしげに置かれた掌へ部下の前では決して口にしない本心で応じた。
表し様のない想いをポツリポツリと語るデュランの言葉にブライアンは静かに頷く。
浸れば浸るほど虚しさを増すばかりの傷の舐め合いだったが、今日だけは互いの虚しさを拭う癒しとなっていた。


「戦略上の経緯から【官軍】参加への表明と【バハムートラグーン】への着陣が遅れました事、
 皆様には伏してお詫び申し上げる」


【ファーレンハイト】を包む炎が頂点を迎えようとしていた頃、
圧倒的な兵力で戦場を支配し、【賊軍】を悉く滅尽せしめた【バレンヌ】“皇帝”ジェラールが諸侯の前に姿を現した。
やり場のない虚しさの根源を産み落としたと言えるジェラールが。


「おぉッ!! ジェラール殿ッ!! 良いところへ参られたッ!!
 我ら【ロアーヌ】と共に勝ち鬨を上げようではございませんかッ!!
 【官軍】が今日の大戦を勝ち得た第一の功績は、貴方様の采配でございましょうッ!!」


権力と言うものに忠実なミカエルなどの“寝返り組”は、ジェラールに対して異常な親近感を持っているらしく、
彼の登場を見るなり嬉しそうに擦り寄っていった。
どこまでも愚かと言うか、浅はかと言うか、最早掛ける侮辱すら見つからない。
そんな厚顔無恥の“寝返り組”を適当にあしらうと、まずジェラールは【アルテナ】の王女であるアンジェラのもとへ足を運び、
卑劣以外の何物でもない自らの采配を誇る事も驕る事も無く、粛々と戦勝の賀詞を述べた。
さすがは【バレンヌ】という超大国を築き上げただけの事はある。
『天下分け目の決戦』においてキャスティングボードを掌握しつつも、諸侯から白けた眼を向けられる自らの立場を弁えた彼は、
ミカエルの様に愚劣な口を叩く事なく、戦塵に塗れて粉骨砕身した【官軍】の先鋒らへ礼を尽くし、
一人ずつに頭を下げていった。


「………………………」
「………………………」


半ば機械的に動いていたジェラールの足が立ち止まったのは、会釈の相手がデュランへ差し掛かった時である。
【バレンヌ】の首都、【アバロン】で二人は一度謁見を果たしており、面識程度には互いを見知っていた。
面識こそあったが、当時のジェラールは、まだ【官軍】と【賊軍】のどちらへ着くか決め兼ねていた為、
この場でこうして向き合う“同志”になるとは思っても見なかった。むしろ決戦が始まった当初は不倶戴天の敵になったと戦慄したのだ。
それが今は回りまわって【官軍】の仲間とは、運命の悪戯か、人の知恵の賢しさか。
奇妙な縁だ、と顔を付き合わせながら、デュランは感じていた。
リースを引き合いに出して懸命の説得を試みた謁見の日が、何故か遠い昔の様に思えて仕方無い。
不思議な感覚に囚われたまま、デュランとジェラールは静かに視線を交錯させ続けた。






(………………人の心へ付け込む卑怯者と言えば俺も同じか………………)






一人の武人として、人間として、ジェラールのした事を許せるとは思えない。
だが、一方的に非難するのでなく、生き残る為には必要な選択だったと理解は出来る。
主を亡くした【ガストラ】の敗残兵らの心理を操作し、味方陣営に引き入れた自分とて、程度と規模の違いこそあれ、
やった事はジェラールとそう変わりは無いのだ。
微かな怒りと理解、自分の所業への否定と肯定………矛盾した思いがジェラールを鏡としてグチャグチャに煮凝り、
虚しさへ換わって胸を刺す。最悪のジレンマにデュランは陥っていた。


「―――デュラン、アレ見ろッ!!」


なおも視線の交錯を続けていたデュランの腕をホークアイが引っ張った事でジェラールとの対面は終わりを告げた。
厳密に言えば、そんな瑣末へ気を取られている場合ではなくなったのだ。


「………あれは………ッ」


ホークアイにされるがまま振り返ったデュランが目にしたのは、
【ファーレンハイト】の中でも一際火の勢いが小さい艦体が内側から何か強い力で粉砕され、ブチ抜かれた大穴から
【LIVE・あ・ライフ!!!】の面々が脱出してくる光景と―――


「――――――――リース………ッ!」


―――彼らに続き、美獣に支えられる様にして大穴を抜け出す愛妻、リースの元気そうな姿だった。
マサルたちの報告から安否の確認は済んでいたので【ファーレンハイト】が炎へ包まれた後も取り乱す醜態は晒さなかったが、
やはり本人を目の前にすると気持ちも揺らぐ。
人質となって【賊軍】へ戦いを挑んだ彼女の無事を喜ぶ歓声がドッと巻き起こった中、大慌てで彼らに駆け寄る救護班に混じり、
妻を、仲間たちを出迎えようと、デュランの足は自然と彼女たちのもとへ動いていた。






(リース………………………リース………………リース………リースッ!!)






別れた帰還とすれば半月にも満たなかったものの、彼女を心から愛するデュランにとって、この時間は長すぎる。
「逢いたい、逢いたい、逢いたい」と心の求めるまま、愛しいリースのもとへ赴く足を急がせた。


「―――ちょっと待った、なんだアレ? おい、デュラン、ちょい待てッ!!
 もう一人、別の何かが出てきやがるぜッ!?」


しかし、救護班の応急手当てを受ける彼女たちの背後に開いた大穴から新たな影が這い出した時、
一刻も早く妻を抱き締めたいという想いが逸るデュランの足は、爛々と輝く第三者の瞳に一瞬ビクッと激しく身震いし、
そのまま地面に接着でもされてしまったかの様に動かなくなってしまった。
視線の先にはリース―――ではなく、突如として姿を現したもう一人の、第三者の影。
あどけなさが残った可憐な面持ちへ満面の笑みを浮かべて、何かの返り血を浴びてドス黒く変色した口元から狂乱の哄笑を上げて、
球状とも楕円形とも覚束ない物体を右手で振り回しながら、轟然なる炎を背に姿を現した第三の存在とは―――――――――


「【賊軍】総大将の首、ヨヨ・サンフィールドが討ち取りましたわッ!!」






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