「デュランは、………人を斬った事がおありですか?」
「………随分答えづらい質問してくれるな」
「あっ、す、すみません…、私、無神経なコト………」
「別に構やしねぇけどさ。………人、か。なんでそんな事を急に訊いてきた?」
「いえ、これまで何度かデュランの戦いを見させていただきましたけど、
 その…、実戦慣れしていると言いますか………」
「いちいち飾りつけしなくてもいい。要は修羅場に慣れてる風に見えたんだろ?
 命のやり取りによ」
「………はい………」


バットムやシャルロットの襲撃にも遭わず、快調に洞窟の中間まで進んだ時、
デュランでなくても誰もが答えにくいと顔を顰めるだろう質問を投げてしまったリースは、
それが失言だったと痛感し、気まずげに俯いた。
リースにしてみれば、戦士論の延長のつもりだったのだが、
困ったように眉間へ皺を寄せたところから推察するに、デュランにはあまり触れて欲しくない話題のようだ。
………常識で考えれば当然だが。


「俺が武者修行の為にあちこち旅して回ってるって事はちょろっと話したよな?」
「あ、―――はい………」


落ち込んだリースが醸造させる居た堪れない空気にまとわりつかれるより
自分の話をした方がずっとも気が楽なデュランが、「人を斬った事があるか?」との彼女の質問へ
ポツリポツリと答え始めた。


「武者修行っつっても、もっぱらご当地の猛者と手合わせする荒っぽいもんだから、
 お世辞にも修行なんて言えるほどカッコよくは無ぇな」
「模擬戦………ですか」
「言ったろ、荒っぽいもんだって。
 訓練用の剣を使う模擬戦もありゃ、真剣で実際に命のやり取りする決闘まがいなモンまである」
「………………………」
「俺の場合、むしろ後者のが多いくらいだ」
「………それで、その…、真剣勝負の結果は………」
「お前と喋くってる男の足を見てみな。途中でちょん切れちゃいねぇだろ」
「………そうでした………」


またしても愚問。
またしても落ち込むリースの鬱陶しさから目を背けるようにデュランは語りを続ける。


「初めて人を斬ったのは14の時だ。
 ………近頃じゃ犯罪の低年齢化が騒がれてるが、俺はその駆け出しってワケだ」
「………そこは笑うところでしょうか………」
「いちいち反応すんな、聞き流せよ。
 ………当時の俺は、自分が世界で一番強ェなんて思い上がったクソガキでな、
 ちょっと腕に覚えがあるのを鼻にかけてたから、その分、敵も多かったっけな」
「………………………」
「ある時、町のゴロツキ集団と揉め事起こしてな。
 相手は20人からのちょっとした軍隊。もちろん俺には味方なんざ一人もいねぇ。
 ………殺られるな、と初めて怖くなったよ」
「………………………」
「少数で大人数相手を切り抜けるには、大将首を取るしか無ぇ。
 他の雑魚には目もくれず、俺はゴロツキのリーダーへ挑んだ」
「………………………」
「何をどういう風に戦ったのかも覚えちゃいねぇ。
 ただ夢中で剣を振りまくって、メチャクチャに斬りつけて、
 ………ふと自分がズブ濡れになってる事に気付いた」
「………………………」
「………最初は夕立かと思った。気付かない内に雨に降られてたんかなってな。
 ………だが、どうだ。剣を握る両手に残った妙な感触と、肥溜めみてぇな臭いはどうだ」
「………………………」
「辺りを見回せば、俺を取り囲んでた連中が一目散に逃げてく。
 わけわかんねぇわな。殺されるかもしれねぇって思ってたのに、
 急に駆けて逃げてくんだもんな」
「………………………」
「そこまで来て、ようやく把握できたわけだ。
 俺は夕立に降られたんじゃねぇ、相手の返り血を吹き付けられたんだってな。
 両手に残る感触は、真っ二つになって足元に転がってる男の―――」


今もまだ鮮明に思い出せるその感触を話す内、
他人へ聞かせる物では無いほど表現が生々しくなってしまい、
リースが頬を青くしている事に気付いたデュランは、そこで人斬りの過去を語る口を閉じ、
気まずげに頭を掻いた。


「………ま、傭兵の中にはこういう人間もいるって雑学程度に知っといてくれや。
 アンタと違う人種の人間もいるってな」
「………違う人種………」
「アンタは洞察力から人斬りの経験を直感したが、
 俺がどういう人間か、嗅ぎ分けちゃいなかったよな。
 ………血の匂いを嗅ぎ分けられるのは、同じように血を被った人間だけだ」
「人を殺めた経験があるか、無いかだ………と?」
「………正確には、人を斬るのに慣れた人間………ってとこだな。
 ………アンタは違うだろ?」
「もちろんです。人を殺める事だけが戦いの結果とは思いませんから。
 ………私は誰の命も奪ったりしません」


普段のデュランだったなら、裏の世界を知らないこの発現に
世間知らずの偽善者、と吐き捨てそうなものだが、字面だけ見れば気丈なリースの声は
断言し切れない自信と怯えで微かに震えており、とても鼻で笑う気分になれなかった。


「………ま、アンタがどう考えてようが関係無ぇけどよ。
 戦士として生きるつもりでいるなら、一つだけ経験から出たアドバイスしといてやるよ」
「………『いざとなった時には人を殺める覚悟でいろ。
 でなければ戦士失格』………と言ったところでしょうか?」
「………人を殺める努力はするな。ギリギリの寸前まで相手を生かす戦いをしろ」
「………………………」
「人を斬るってのはそんな甘いもんじゃねぇ。斬った相手の呪いを浴びて、一生魘され続ける。
 だから、命を惜しめ。自分の命も、相手の命も」
「………………………」
「………もしも、万が一、相手を殺めちまったら、その時に初めて覚悟決めろ。
 相手の呪いを背負って生きてく覚悟を、な」
「………………………」
「それができなきゃ自分が取り殺される………………………覚えとけ」


想像していたものと異なる“覚悟の決め方”に驚き、
目を丸くして立ち止まるリースを待つ事なくデュランは洞窟の先へ進む。
人を殺めた事も無いような無垢な彼女に、今、覗き込まれれば困るからだ。






(懇切丁寧に説明してやる事でも無ぇもん、ベラベラ喋らせやがって………このお嬢様はよぉ………)






間違いなく呆然となるリースへどんな反応を返せば良いのか困ってしまうほど、
デュランの横顔には、苦々しいくらいの血の匂いが垂れ込めていた。













「ふっくくく…ようやくごとうじょうでちか、おふたりしゃん。
 ひーろーはおくれてとうじょうするとのげばひょうどおりに、
 おもしろいぐらいにおどってくれたでちねっ…」
「てめぇ…シャルロット………ッ!」
「それでは、さきほどのモンスターも、あなたの差し金なのですか…っ?」
「ふっくくく…そうでちっ! そうにきまってるでちっ!
 こうもりしゃんあいてにずいぶんとおたのしみだったみたいでちねぇ…?」


洞窟の終盤、今はもう干上がってしまった巨大な滝壺を背景に仰ぐ一本道の崖上で
デュランとリースは今回の事件の首謀者と対峙していた。


「どういうつもりだ…? なぜ俺たちを…いや、状況的に考えてリースを、か。
 何の理由があって襲うんだッ!?」
「そんなのはどうでもいいことでちっ!」
「良くねぇだろうがッ!! ハッキリさせとかねぇと、斬って捨てた時に後味悪ィんだよッ!!」
「――あのさぁ、そっちで盛り上がってるトコ、大変に申し訳ないんだけど、
 俺を置いてけぼりにして話進めんの、やめてくんない?
 泣くよ、俺。いいトシこいて泣いちゃうよ、みんながどん引きするぐらいさ?」


偉そうにふんぞり返ってデュランを見下すシャルロットだが、小さな両足は地面に付いてはいない。
付いていないどころか、猫のように後頭部を引っつかまれて宙吊られ、
重力の支配を離れた両足をジタバタさせている。


「だからそんなのはどうでもいいでちっ! はやくしゃるをたすけるでちっ!」
「てめえも厄介なのを人質に取っちまったもんだな。
 俺だったら、そいつを盾に取るくらいなら死んだ方がマシだぜッ!!」
「ちょ…デュランっ? こんな時に何を言ってるんですかっ!?」
「まじ? やっぱ?
 このコさぁ、人質に取ったはいいんだけど、うるさいのなんのって…。
 全然言う事聞いてくんないしさぁ――」
「いまさらなにいってるでちかっ!? をとめにたいしてしつれいきわまり――………」
「――次に騒いだら、勢い余って、ちょっと乱暴なコトまでしちゃいそうだよ」







鮮やかなパープルの髪を後ろでに一房で縛り、オシャレにバンダナを巻いた首謀者は、
お世辞にも人質を取って迫るような悪辣なイメージの湧かない青年だった。
広がった袖が特徴的なシャツの上から、
リベットやパターンをスタイリッシュにあしらったサバイバルベストを着こなしており、
なにより、首元へ巻いたスカーフへ半分埋めている、
スラリと整った造作ながらもどこか幼さの抜けない甘いフェイス。
犯罪者に見えるべくもない。
しかし、腰から提げたポーチのベルトには、“クナイ”と呼称される独特の投げナイフを何本も垂らし、
瞳に冷酷な光を宿らせてシャルロットの首筋へクナイを突きつけるその姿は、
彼が紛れもない【敵】である事を何よりも如実に証明していた。


「…重ねて聞くぜ、てめえの目的は何だッ!?
 こうして用意周到に待ち構えていた以上、行きずりの強盗ってワケじゃねぇよなッ!?」
「そうねぇ、とてもお天道様に誇れる生き方してるわけじゃあないけれど、
 チンピラにまで落ちぶれた覚えもないわなぁ…」


いつでも一足飛びでツヴァイハンダーを刻み込めるように間合いを計るデュランの隣では、
やはりリースが隙あらば突撃せんと油断なく銀槍を構えている。


「………あなたは、“あの者”たちの仲間なのですかッ!?」


リースの口から鋭い詰問が飛び、余裕に構えていた首謀者がその疑念に首を傾げた。


「…“あの者”? 生憎下請けの人間には、思い当たるフシが多過ぎてね。
 クライアントが、お姫様の仰る“あの者”かどうかは解かり兼ねますねぇ〜。
 俺の仕事は、ただシンプルに、アナタ様をお連れせよ…ってね。
 悪い気分じゃないでしょ? ハンサムに連れ去られるんだから、さ。
 一種の“乙女のロマン”ってヤツじゃん? なんなら“お姫様だっこ”もサービスしますよぉ?」
「悪ぃな、下品な押し売りは間に合ってるんでね。
 門前払いで済む内に、おとなしくシャルロットを解放しやがれッ!!」
「おとなしく? あれあれ〜? オ兄サン、自分の立場が解かってます〜?」


おどけた態度で突き刺さるようなデュランの戦意を飄々と躱わす青年だったが、
シャルロットの首根っこを掴んだ左手を切り立った崖へ動かした。
ここで手を離されたら、いくら小生意気なシャルロットでも一巻の終わりだ。


「――ひ………っ!」
「おとなしく武装解除すんのは、おたくらでしょうが。
 足元に武器を置いて、お姫様をさっさとこっちへ差し出しなッ!!
 ………10数える内に決めないと、このコは滝壺へノーロープ・バンジーだよ〜?
 うっわぁ〜、たっけぇ〜! こりゃあ末代まで祟られるコト、間違いナシだなぁ〜。
 即決の心意気も、オトコノコにとっちゃ大事だって、パパママに教わったでしょ?」


嫌味な微笑を消して、冷徹に青年が武装解除とリースの投降を要求する。


「は〜い、そんじゃカウントダウンをはっじめま〜す。
 まずは10…」
「数える必要はありません。…おとなしく投降します」
「お、おい、リースッ!? あんた、何考えてんだッ!?」


あまりにあっさり投降の意思を明示したリースに、
現在の危機的状況も忘れてデュランが食って掛かった。


「そんなに簡単に諦められる程度の物なのかよ、
 そんなに簡単に投げ捨てられる程度の物なのかよ、
 あんたが【ウェンデル】で叶えたい目的ってのはッ!?」
「けれど私的な事で関係のないシャルロットさんを巻き込むわけにはいきません」
「俺を納得させるには足りない答えだッ!
 俺はあんたの護衛を請け負って、今、ここにいるんだッ!!
 そんな誰にでも言える言葉じゃ、俺はこの仕事を下りるわけにはいかねぇッ!!」


一度受けた依頼は最後まで貫き通すのがデュランの仕事上での信念だった。
それを少しの逡巡もなく切り捨てられては立つ瀬が無いし、
その程度の覚悟で自分を雇い、【ウェンデル】を目指したのかと腹が立つ。
雇用関係である以上、依頼主のプライベートにまで踏み込むつもりは無いが、
簡単に諦めてしまう人間が、デュランはこの世で二番目に嫌いだった。
二つの要因が揃ったなら、なおの事、簡単に投降してしまうリースをデュランは許せなかった。


「はいは〜い、なんならオ兄サンも一緒に連れてってあげるからさ、
 メロドラマはひとまず投降してからにしてくんない?
 俺、この後も予定詰まっちゃってるんだよね。こう見えても忙しいのよ」


しかし、決断の刻限は待ってはくれない。
デュランを言いくるめる事も、リースを説得する事もできないまま二人は武装解除に応じ、
ツヴァイハンダーを、銀槍【ピナカ】を足元へ置いた。


「そうそう、それでいいってもんさ。ニンゲン、素直が一番。
 さて、それじゃ次はお姫様、独りでこっちに来てもらおうか?
 …おっと、オ兄チャンは動くなよ? 一歩でも動いたら、このコは滝壺へドボ――」


そこまで言って、手中にあった人質の少女が何やら呪文めいた言葉を紡いでいた事に初めて感付いた首謀者は、
自らの迂闊とシャルロットがサーキットライダー…神官だったとの失念に舌打ちし、
予想される【魔法】での反撃に備え、シャルロットの身体を滝壺めがけて放り出そうと身構えた。






(チッ! 俺にもヤキが回ったもんだぜ…ッ! 『下』がうまく機転を働かせてくれるか…!?)






しかし、その逡巡すらも命取りだった。


「ちゃらおふぜいがずにのるんじゃないでちっ! ――【ふらっしゅ(邪心を退ける聖火の烈)】っ!」


シャルロットの手のひらで【ウィスプ】の魔力が光爆し、
洞窟内が一瞬、眩いばかりの輝きに満たされる。
主として痴漢撃退の目潰し目的に使われる事の多い【フラッシュ】の魔法だが、
至近距離で食らった首謀者にはその用途はまさに覿面だったと言えよう。
眩んだ眼を押さえながら呻く首謀者へ、拾い上げたツヴァイハンダーでもってデュランが斬り込み、
リースは即座に召喚した【ジン】の優しき風で、空中に放り出されたシャルロットの身体を捕らえた。


「――ッおおおおおおぉぉぉぉぉぉッ!!!!」
「――ありゃりゃりゃりゃ、しくじっちまったぜ…」


山をも両断するデュランの重撃を寸でのところで躱わすも、そこまでで命運尽きたか、
首謀者はそのまま底の見えない真っ暗な滝壺へ身を踊らせる事となった。
最後の最後まで、余裕しゃくしゃくの嫌味な笑顔を残して。













「…なんとか“亡き大河の一雫”は抜けられたが、
 こいつは想像以上に厄介だな…」


閉塞的な洞窟を抜けて、開放的なパノラマ広がる街道へ出たデュランは
気持ちよさそうに伸びをする。
最も爽やかな伸びと異なり、その話しぶりには暗澹な不安が見え隠れしていた。






(…言っちまえば、俺は、もしもの時のための『盾』代わりってわけか)






圧倒的な戦闘力を誇りながら、わざわざ護衛を付けた理由。
それが、今日の事件を通じてハッキリした。
つまり自分は、今回窮地に立たされたシャルロットと何ら変わらない立場なのだ。






(あのオッサンの入れ知恵か、それとも存外に頭のキレるこいつの一計か…)






横目で見れば、そんなデュランの怪訝な視線に気付かないリースが、
危地を切り抜けた無事を確かめるように、
シャルロットと一緒に外界の清涼な空気を肺一杯に深呼吸している。






(厄介この上無いけどよ…誰かを命がけで護る事が出来たなら、きっとアンタを越せる筈さ…)






デュランの思考は、不安からやがて別の次元へとシフトしていった。
誰も知る事の無い、誰も思いも寄らない、負の次元へ。


「…【騎士】を騙って民族虐殺なんかしやがった、最低のアンタをな」


思わず口をついて出てしまった言葉に「なんです?」と反応を示したリースを
適当に誤魔化すと、


「オラ、いつまでも道草食ってねぇで、今日中にジャドの港へ入るぞ。
 女二人と野宿なんて、想像だけで身の毛がよだつぜ」
「どういういみでちかっ! あんたしゃんにとっちゃはーれむじゃないでちかっ!」
「…ハーレム…って、なんですか?」


草花で遊び始めた二人を置き去りにし、自ら先立って街道を急ぎ始めた。
左の腰では、デュランの呪詛を嘆くかのような金属音が、チリン、と小さく鳴った。
後を追ってきた二人の少女にも気取られる事なく、小さく、小さく。













「大丈夫ですかい、兄ィ?」
「大丈夫でなけりゃ、今頃こうしてお喋りも出来ないだろ?
 …結果オーライとは行かないが、真っ二つにされてジ・エンドよりはマシかな…」
「オウさッ!!!!」


三人の去った滝壺の底では、
クモの糸をかくやと思わせるくらい幾重にも張り巡らされたロープをクッションに、
先ほど転落した筈の首謀者が、待機していた子分二人と会合を打っていた。
嫌味なまでの余裕の笑顔は、このような子分たちとの連携プレイに裏打ちされた、
本当の『余裕』の笑顔だったのだ。


「とはいえ、手痛い黒星食わされたのは変わり無いからなぁ」
「どうしやす? 奴さんら、お次はジャドへ向かったようですけど?」
「ジャドか…。海路へ追い込めば、より仕事もし易くなるってもんかな。
 ――よし、ビル、ベン、急ぐぞ。お姫様たちよりも先にジャドへ入る。
 今日は徹夜で下準備だから覚悟しとけよッ!」
「さっすがホークアイの兄ィだ、切り替えが早くて惚れ惚れするゼ!」
「オウさッ!!!!」


まだ、終わらない。まだまだ、終わらない。
リース誘拐未遂事件の首謀者、ホークアイら三匹の鴉の羽撃きは、
静かに、しかし着実にリースへ忍び寄っていた。
まるで、闇夜に蠢く地獄の淵の影のように。






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