「なッ、なんでちか、いまのばくはつおんはッ!?」
「まさか…敵襲っ!?」


殆ど一人で懐石料理を平らげたシャルロットと、
ようやく驚愕のショックから立ち直ったリースは
突如足元から響いた爆発音と衝撃波に表情を強張らせた。
武装一式は解除される事なく手元へ置かれており、
即座にそれぞれの得物を構えて周囲を警戒する。


「へやのそとがさわがしくなってきまちたね…」


様子を窺うと、部屋の外では獣人たちが緊迫した面持ちで混沌している。
「配置に付け」だの「賊は何名だ」と檄が飛び交う中、
何かを決心したようにリースが立ち上がった。


「…もしかするとこれは、チャンスかも知れません」
「ちゃんすって、なにがでちか?」
「この混乱に乗じてデュランと合流し、【ジャド】から脱出しましょう」
「だっしゅつ!?」
「それ以外に私たちが助かる道はありませんっ!
 万事の無事を拓くには、今、ここより逃げおおせる事が先決ですっ!」
「せんけつったって、あんたしゃん…」


それはつまり脱獄と同義である。
事情聴取を済ませて何日か拘留を我慢すれば、万事収まると言うのに、
この世間知らずなお姫様は、あえて強硬な手段を取ろうと言うのか。
脱獄となれば、最悪の場合、お尋ね者として社会から負われる危険性も高い。


「行きましょう、シャルロットさんっ!」


こうなると最早リースを止められる人間は誰もいない。
後はこの愛すべきトラブルメーカーに、それこそ地獄の果てまで付き合うしか選択肢は無いのだ。






(………デュランしゃん、あんたしゃんのくろう、よ〜くわかったでち)






先んじて駆け出したリースの背中を追いかけるシャルロットに
デュランの重々しい溜息が伝播した。













「なんつー無茶しやがるんだ、てめえはッ!?」


崩落寸前の部屋全体を埋め尽くした瓦礫から地上へ生還したデュランは、
【シェルター(峻烈なる矛にすら突き崩せぬ盾)】の魔法に護られ平然としている【ウィッチ】へ
これこそ理不尽だと怒りをぶちまけた。


「なによ、お情けで一緒に逃がしてやろうってのに、
 感謝はあっても文句垂れるのはお門違いじゃない」


自由と不自由の狭間を隔絶していた鉄格子も例外に漏れず吹き飛んでおり、
彼女の言う通り、脱出するに望ましい最低限の条件はクリアー済み。
あとは無事に地上まで抜け出せれば脱獄完了である。


「ほらほら、もたもたしてると追っ手が厳しいわよ?」
「ざけんなッ! 軽犯罪でお尋ね者になんかなってたまるかよッ!
 脱獄(ぬ)けるなら、てめえ一人で行きやがれッ!!」
「あら、いいの?
 この状況なら、あんた、間違いなく共犯者として吊るし上げられるわよ?
 今度は尋問だけじゃ済まないかもね〜♪」
「なッ!? …クッ!!」


留置所へ放り込まれたのも、【ウィッチ】の共犯として疑われたからである。
そこに来てこの状況では、「俺は巻き込まれただけだ」との弁明はまず通用しない。
【義】を踏みにじるような脱獄を、獣人たちが笑って許してくれるか? 否だ。
となればデュランの取る道は一つ、逃げの一手しか残されていなかった。


「だーッ!! なんだってこんなコトになっちまったんだッ!!」


解除だけは免れた武装…ツヴァイハンダーを担ぐと、
つい三日前とは全く異なる情況へ悪転した自分の運命に向けて
「コンチクショウッ!!」と大きく呪わしげに吼えた。


「ホントに文句の多い男ねェ、あんた。
 女々しいったらありゃしないから、お口にはチャックしといた方がいいわよ」
「…てめえのせいだろうが、全部ッ!」


自由が信条のフリーランスである筈なのに、
今では立ち止まる事も、安楽な手段も選べない。
口をついて出るのは重々しい溜息ばかりだった。













「デュランっ!」
「おうッ! リースッ! お前らも逃げてきたのかッ!」
「クソッ、待て、この犯罪者どもッ!!」


合流自体は程無くして果たせたものの、情況はむしろ悪化の一途を辿っていた。
というよりも、合流してしまったがために、情況が悪くなったと言えなくも無い。


「うっわ、あんたしゃんがた、
 またぞろなんびきおっぽをひっつけてきたでちかっ!?」
「おチビちゃんこそ、随分豪勢なお取り巻きの数じゃない?
 ま、あたしのおっかけファンの足元にも及ばないけれど」
「言ってる場合かよッ! 」


石造りの一本道で合流した両者の後方からは追いすがる【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】。
そう、“両者の”後方からである。つまり状況的には挟み撃ち。
これ以上ないくらいに最悪の危機だ。


「リース、【スパークリング】の魔法でなんとかできねえかッ!?」
「数が数ですので、第一陣、第二陣を切り抜けられても…」
「保たねえか…! シャル、お前の【フラッシュ】はっ!?」
「みぎにおなじでちっ!
 しかもしゃるのばあい、リースしゃんとちがってえいしょうがひつようでちっ。
 いぬっころのすぴーどとはりあったら、はつどうまえにおじゃんでちっ!」
「あら、お困りなら、あたしの【ファランクス】でチョチョイのチョイと…」
「てめえは俺たちを瓦礫の下に埋めるつもりかッ!?
 こんな閉所であんな魔法爆発させてみろ、【シェルター】使えるてめえ以外は生き埋めだッ!!」
「あたしは別に構わないけど?」
「てめえなぁッ!!」
「喧嘩なら後でいくらでも許してあげますから、
 今は目の前の危難に目を向けましょうっ!」


リースの言う通り、仲間割れできるような余裕はどこにも無い。
前門の虎も後門の狼も、討手の影は数知れず、
敵の行動を強制停止させる【スパークリング】や【フラッシュ】ではジリ貧。
攻撃魔法で一掃するには、この一本道はあまりに狭すぎて、
周囲に爆ぜた魔力が石壁の崩落を招く危険性が高い。
そして、そんな閉所ともなれば、
デュラン自慢の巨大なツヴァイハンダーを振り回すスペースも無い。
まさしく絶体絶命だ。


「まったァッ!!」


ジリジリと前後から間合いを詰め寄られ、危難が最高潮に極まった瞬間、
思いもよらず【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】側から助け舟が出された。
制止の言葉を受けて、デュランたちの正面の群れが左右に分かれて道を作る。
獣人たちの間をやって来たのは、八番組伍長ルガーともう一人の新手。

虎柄の羽織、【義】の一文字が意匠化された胸当て、裾が足先まである、だんだら模様の腰巻。
【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】揃いの隊服だが、
他の隊士に比べてかなり使い込まれてあちこち擦り切れている。
また、腰巻のだんだら模様も、他の隊士が浅黄地に白の三角で統一されている中、
その新手だけは白地に黒の三角で区別化されている。
…最大の特徴は、ミニマムサイズの犬を帽子がわりに頭の上に乗せている事だが。



「おお、組長だ…!」
「ケヴィン組長がいらしたぞッ!!」


一目でリーダー格と判別できる装いの新手は、生真面目そうに眉を吊り上げているが、
面持ち自体は、どことなく幼さの抜け切らない少年。
直接羽織を着込んだ上半身はしなやかな筋肉で固められており、動きに全く隙が無い。






(…こいつ、かなりの使い手だな…)






一般の人間に比べて、獣人たちの身体能力は非常に高い。
その獣人たちに囲まれてリーダーを張るくらいなのだから、おそらくは相当に腕が立つのだろう。
見た目に騙されてはならない。
閉所につき薙ぎ払う事の適わないツヴァイハンダーを刺突に構えを取りながら、
デュランは注意深く相手の出方を窺う。


「オイラの名前は、ケヴィン・マクシミリアン!
 【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】、八番組長ッ!」


そんなデュランの虚を衝くように、突然名乗りを上げる新手…ケヴィン・マクシミリアン。
これも獣人たちが重んじる【義】のカタチなのか、あまりに正々堂々たる名乗りに
思わずデュランもリースも見入ってしまった。


「デュラン・パラッシュ! 女子供の救出、最優先にして脱獄する、その根性、
 オイラたちの掲げる【義】に適う働きッ! 敵ながら、天晴れッ!」






(…成り行きなんだけどな、そこは…)






脱獄も合流も自分の意思とは関係の無いところで発生して巻き込まれ、
今また自分の伺い知らないところで物語が捏造されつつある。
ツッコミを入れたいのを、これ以上情況を乱麻させてはならない一念で押し込め、
ケヴィンの名乗りに聞き入る。


「加えて、哀れな犯罪者に同情し、危険、顧みず飛び込んだリース・アークウィンド!
 ならびにシャルロット・B・ゲイトウェイアーチッ!
 ここで終わらすには、誠におし…おし…なんだっけ?」
「バカ、ケヴィン、ここでトチるなっ! 台本、台本ッ」


傍らに控えたルガーからカンペのような物を差し出され、
そこに記してある文章をしげしげと確認するケヴィン。


「――誠に惜しいッ! そこでッ! 特赦の念も込めて!
 しょく…あちっ、噛んだ…えと、諸君らに、今一度機会を与えるッ!!」


それまでの緊迫感が打ち砕かれ、
明らかに興ざめなコメディへ成り下がってしまったにも関わらず、
まるで何事も無かったかのように獣人たちは振舞った。
勿論、大仰な名乗りが筋書き付きの三文芝居と知ってしまったデュランたちは
口をあんぐりと開け放って呆れているが。


「…ルガー、やっぱり、オイラ、こういうの、苦手だ…」
「犯人の前で弱音を吐くなッ、ケヴィン、いや、組長ッ!
 お前はやればできる子なんだから、しっかりしてくれッ!!」
「バウッ!」
「ほら見ろ、カールだってしっかりしろと言ってるじゃないか!」
「ううん、今の、『お前はそれが限界だろうな、このドン亀がッ!』だって…」
「おいッ、カールッ!」


帽子サイズの子犬、カールを挟んで漫才を始めるケヴィンとルガー。
それまでの威勢の良さはどこへ消えたのか、頭頂部のサイドから伸びる、
犬のそれと同じ形の耳を力なく折って落ち込んでしまったケヴィンを
補佐役のルガーがフォローするも、その努力を嘲笑うかのように妨害するカールという
黄金の三角率が見事に形成されていた。


「デュラン・パラッシュ! お前に、サシの決闘を、申し込むッ!
 そこで、お前、勝てば、全て、水に流して、釈放する!」


涙ぐましいルガーのフォローによって、なんとか盛り返したケヴィンが
デュランを指差して挑戦状を叩きつけた。
決闘…社会通念で計るなら、とても褒められた手段ではないが、
ある意味では、【義】を重んじる獣人らしい公明正大な解決手段だ。


「ヘッ、いつまでバカやってるかと思えば、
 そういう提案はもっと早くにしてくれや」
「デュラン…」
「あんたを目的地まで無事に護衛するのが俺の仕事だ。
 だったら、少しでも危険の少ない方法を選ぶ。
 …なおさら、このチャンスをフイにゃ出来ねぇよ」


ヘタな策を打って、このまま全ての獣人を向こうに回しても勝ち目は薄い。
ならば、最小限の危機で血路を切り開く他無い。
退路の絶たれたデュランにとって、その提案は願っても無い好条件だった。













その決闘は、開始直後から見守る者全員を釘付けにする激戦となった。
舞台は【ジャド】郊外の造成地。
見守るのはリース達と、ルガー率いる数名の【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】隊士。
照りつける太陽の下、デュランのツヴァイハンダーが、
ケヴィンの拳脚が、周囲を巻き込む程の暴風雨を生み出していた。


「いっくぞぉッ!!!!」
「来やがれッ!!!!」


気合いを漲らせたと同時に生身で上空20メートル以上へジャンプするという、
およそ人智からかけ離れた荒業をケヴィンが披露したかと思えば、
デュランは急降下の速度を加重した凄まじいキックめがけてツヴァイハンダーを投擲する。


「そんな、小手先の技じゃ、オイラは、墜とせないッ!!」
「だろう―――なァッ!!」


その轟々たるカウンターを、獣人ならではの超反応で交差気味に回避したケヴィンへ、
普段は担ぐために取り付けられているツヴァイハンダーのベルトを無理やり引き込み、
得物を手元へ戻したデュランが重撃を見舞った。


「チッ…! 今のを避けるのかよッ!! まじに一筋縄じゃ行かねぇかッ!!」
「だから、言った!! 小手先の技じゃ、墜とせないってッ!!
 会心の一撃って、言うのは、こういう技を、言うんだッ!!」


反動と重量を完璧に計算した高次元な攻撃だったが、人間の倍以上に鋭い超感覚を備えるケヴィンには、
ギリギリのところで躱されてしまった。
しかし、攻防はそれで途切れはしない。
躱し様に反撃へ転じたケヴィンのラッシュパンチがデュランを猛襲する。


「必殺拳ッ! 【ジャイロジェット・バルカン・ティーガー】ッ!!」
「小手先云々が聴いて呆れるぜッ! 手数で勝負じゃ先が知れるんだよ、坊主ッ!!」


脅威の身体能力から繰り出されるラッシュは拳の台風となって吹き荒れる。
ツヴァイハンダーを盾に見立てて一過を待つデュランの技術は、
左右上下と変則的に繰り出される拳を的確に捌くなど、防御面でも発揮された。


「手数がどれだけ多くても、繰り出す腕は二本が不変の法則だッ!
 だったら―――」


右の拳がツヴァイハンダーを直撃した瞬間、
不動の待ちを決め込んでいたデュランが急速に前進し、捉えた拳ごとケヴィンを跳ね飛ばした。


「―――【撃斬(げきざん)ッ!!!!】」


予想だにしなかった反撃に体勢を崩され、一瞬、完全な無防備となったケヴィンへ
この機を逃すまいと縦一文字の重撃を浴びせかける。
頑強な鋼鉄をも紙のように断ち切る必殺剣【撃斬】がケヴィンを捉えようとした瞬間――


「わふッ!」
「ぅうわッ!? てめ、この犬ッコロッ!?」


――絶えず離れずにケヴィンの頭へしがみ付いていた子犬、カールが
デュランの顔面へ飛び掛り、逆に体勢を崩されてしまった。


「カール、手出し、ダメっ!」
「ったく、ちゃんと躾とけよなぁ…」


一対一の決闘に手を出すなと相棒を嗜めるケヴィンだが、
カールのフォローが無ければ、今頃は真っ二つに断ち切られていた事だろう。
目前で標的を反れた【撃斬】は、地面に深々と真一文字の痕跡を残していた。


「これが…本当に人間の闘いなのでしょうか…?」


獣人の闘いを初めて見るリースにとっては、
彼らの驚異的な身体能力は信じられない物に違いなかった。


「あんたしゃんはじゅうじんのぱわーをまのあたりにするのははじめてでちか。
 そうでちねぇ、おおむねこんなかんじでちよ?
 あのけむくじゃらのぱわーをみていると、ひっしこいてしゅぎょうするのがばからしくおもえると
 せんしのみなしゃんのあいだでもっぱらのひょうばんでち」
「虚しく思うかは別として…、なんだか気が遠くなってきました」
「デュランしゃんもデュランしゃんで【きょうが】といふされるだけあって
 あいかわらずばけものじみてまちね。
 あのひと、ほんとははんぶんじゅうじんのちがながれてるんじゃないでちか」


勿論、リースが驚愕する要因はそれだけではない。
デュランがツヴァイハンダーを振るう姿は何度か見てきたが、
それはモンスター相手の“掃討”であって、一対一の“戦闘”はこれが初めてだ。
ケヴィンという強敵と向き合ったデュランの戦闘力は
モンスターの相手が片手間潰しと思えるくらい、凄まじいまでに高まっていた。
攻防の技術、センス一つを取っても、自分の銀槍では遠く及ばない。
そんな“神業”を眼前で連発されては、いかにリースが優秀な戦士であっても、
いや、優秀な戦士だからこそ、この人間離れした激闘に度肝を抜かれるのだ。


「デュラン・パラッシュ…! まさか、ここまでやるとは、思わなかった!」
「お前ェもな…! いいぜぇ、こんなに骨のある奴ァ、久しぶりだッ!」


犯罪者として追われる者、それを追う者という切羽詰った立場を忘れているのか、
心の底から愉快そうな笑みを浮かべ、次なる激突へ両者が駆け出したその時である。


「【ファランクス・デュオ】ッ」


リースとシャルロットの会話にも参加せず独り黙りこくっていた【ウィッチ】の両腕から
二連装の【ファランクス】が放出され、造成地の中心で光爆した。













「ホンットに信じらんねぇ野郎だな、てめえッ!?
 勝負に水差すどころか、爆弾投下たぁどういう了見だよッ!?
 てめえのせいで全部台無しになっちまったじゃねぇかッ!!」
「どこが台無しなのよ!
 こうしてうまいコト、ピンチを切り抜けられたじゃないの!」
「全ッ然うまかねぇよッ!! 最悪じゃねえかッ!!」


オーナメントを施した樫の杖に腰掛け、暢気にコンパクトで化粧を直す【ウィッチ】は、
煤を全身に被ったデュランの罵声を冷ややかに切り捨てた。
杖は空中に浮揚し、魔女のホウキのように自走している。


「でもっ、この方の仰る事も一理あります!
 あの場を切り抜けるには、あのような奇想天外な妙策が必要でした!」
「ンなわけねぇだろッ! 言ったよな、俺、言ったよなッ!?
 安全にあんたを護衛するのが仕事だって!
 結局やってる事は脱獄だッ! もう【ジャド】には近付けねえし、船も使えねぇッ!
 最悪、まじで指名手配食うぞ、俺たちッ!!
 あそこで俺があの獣人の小僧に勝ってりゃ、
 全部丸く収まったってのに………クソッ、このバカ女ッ!!」


不意に投下された【ファランクス・デュオ】の光爆に乗じた四人は、
辛くも追っ手を振り切って【ジャド】から脱出できたのだが、
デュランの言う通り、むしろ情況は悪くなる一方だ。
これで【聖都】への最短距離である連絡船は使えなくなり、
そればかりか、【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】の手配が回れば、
あらゆる公的機関まで使用できなくなる。
重々しい溜息をいくら吐いても尽きない最悪の情況に、今、一向は立たされていた。


「ッとに、あんたんトコは揃いも揃って無茶苦茶だらけだなッ!!
 えぇ、アンジェラ王女サマよぉッ!?」
「あら? あたしの名前、知ってるわけ?
 なんだ、ただのモグリじゃないじゃないの」
「しってるもなにも、
 あんたしゃん、じぶんのたちばをもちっとじかくしたほうがいいでちよ」
「…お二人はこの魔法使いの方とお知り合いだったのですか?」
「あー、もーッ!! この世間知らずのお姫様はァッ!!
 説明は後だッ! こうなっちまった以上、全力で駆け抜けるぞッ!!」


どんどん狭まり崩れ、追い立ててくる退路から逃れるには、
一瞬の油断も許さず駆け抜けるしかない。






(…どうしてこう、このお姫様の周りにはトラブルばっかりなんだッ!)






もう何度目ともわからない溜息を吐き捨て、
デュランは己の運命にもたらされた、決して望まない変調を呪いに呪った。















「組長! しっかりしてください、組長ッ!!」
「奴ら、なんて【義】の欠片も無い極悪外道なんだッ!! 許せねぇぜッ!!」
「応ォッ! 近隣の部隊も召集して、一気に捻り潰してやるッ!!」


一方、【ジャド】に残された【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】の面々は
零れる怒りを隠そうともしなかった。
【義】をもって接した結果、後ろ足で泥を掛けられて逃亡されたのだ。
獣人たちにとって、これ以上の侮辱は無い。


「お前たちは、このまま【ジャド】で市中見回りを続けるんだ。
 奴らは、オイラが、追うッ! ルガー、後の事、任せた」
「承知…だが、無茶はするなよ。
 お前に万一の事があれば、御大将に叱られるのは俺なんだからな」
「わかってる…! カールも一緒だから、大丈夫!」
「わふッ!」


今にも突貫しそうな隊士たちを組長として推し留めて立ち上がったケヴィンは、
【義】を踏み躙った悪党たちが逃亡した方向を、【グレイテストバレー(大地の裂け目)】を睨み据えた。













「兄ィ、連中、この船にゃ乗ってないみたいですぜ?」
「オウさッ!!!!」


【聖都】へ向かう連絡船内をくまなく散策するも、
目標の影も形も見つけられなかったビルとベンが落胆して船室へ戻ってきてみると、
二人を散策へ出したホークアイはベッドの上で小鳥と戯れていた。


「おう、戻ったか、お前ら」
「戻ったかじゃないですぜ。
 俺たちばっか働かせて、自分は小鳥とイチャイチャなんてズルいですよ。 
 いや、むしろズルいのはその小鳥ッ! 兄ィを独り占めするなんて百万年早ぇえ!」
「オウさッ!!!!」
「ば〜か、誰が遊んでるって?
 ホラ、こいつを見てみろ。このコが運んできてくれた。
 【ジャド】を根城にしてる商売仲間からのレポートだ」


ホークアイから何かの紙切れを放られたビルとベンは、
そこに記された文章を目にした途端、肩から崩れ落ちた。


「どうやら連中、獣人たちと揉め事起こして乗船どころじゃなかったらしいな」
「そ、それじゃ全くの無駄足になっちまったってわけですかい…」
「全部が全部、無駄ってわけじゃないさ。
 奴らは獣人たちに追われてる。つまり、それだけ余裕が無いってコトだ。
 …そこに付け入れば篭絡するのも難しくないってな」
「あッ、な〜るへそ!」


ベッドから起き上がり、水平線上に浮かぶ【ジャド】の町並みを
お決まりのシニカルな笑顔で見つめるホークアイ。ビルとベンもそれに倣う。


「というわけだ、すぐに引き返すぞ、ビル、ベン。
 連中の次の目的地は【グレイテストバレー】だ。
 今度こそ先手を打って好機を掴む」
「兄ィが行くなら、どこまでもッ!」
「オウさッ!!!!」


…ここに世界の【偽り】を塗り替えてゆく運命の7人が出揃ったのだが、
今はまだ、目前に聳えた現実と向き合う事しかできず、
己の運命を、運命を共にする仲間を、そして、世界の【偽り】を思う事など、
遥かに遠い未知の領域にあった。






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