【グレイテストバレー】…俗に大地の裂け目とも呼ばれる、世界最大の断層地帯だ。
草木もまばらにしか生息できない荒涼な山岳へ幾重にも切り立った亀裂が走り、
山道を往く旅人の足を妨げている。
山慣れしていなかれば、空気の薄さに意識が朦朧となってしまうほど標高が高く、
転落すれば間違いなく命は無い。
旅をするには極めて危険なルートだが、海路を立たれた今、
【グレイテストバレー】を挟んで陸路を隔絶された【ジャド】から【聖都】へ向かうには、
この切り立った山道を抜ける以外の手立ては残されていなかった。


「うっわ〜♪ すっごいじゃないの、コレッ!」


かつて太古の昔、女神【イシュタル】が世界と共に在った遥かな彼方に起きた
大戦争の爪痕と伝承される【グレイテストバレー】だが、
夜の帳が下りれば、昼の過酷さが嘘のような、圧倒的なプラネタリムとなる。


「はぁ〜ん、溜息出ちゃう…。
 このまま額縁に収めてお持ち帰りしたいくらいだわ〜♪」
「どんよくなこむすめでちね。
 いっしゅんのかがやきだからこそ、ほしぞらはきれいなんでちよ」


天にも届く頂が見せる満天の星空は、
過酷な山道にもめげずに足しげく通う者が後を絶たない程に美しい。
切り立った断層の凄惨さが、より美しさを際立たせているのだ。


「………ったく、こんなもんのドコがそんなにいいんだか…」


美しい物に敏感な女性陣が、この超自然的なプラネタリムを見逃す筈も無く、
シャルロットも、新たに旅路に加わった“アンジェラ王女”も、溜息まじりに星空を仰いでいた。
…カレーを煮込む鉄製の鍋と飯盒を睨むデュランには眼もくれずに。


「あの…、なにかお手伝いしましょうか…?」
「…手伝わない事が一番の手伝いだから、
 あんたはあのガキ共の子守でもしていてくれよ」
「あう…、同じ断るにしても、もっと優しい表現にしてください…」


非協力的な女性陣の中でも殊勝なリースの申し出だったが、デュランは即座に断った。
本来であれば喜んで受け入れる申し出の筈だが、
どうにも世間知らずなこのお姫様と『料理』という言葉は縁遠いものらしく、
既に一度、【亡き大河の一雫】から【ジャド】へ向かう途中のビバークの折に
任せた朝食では、実に前衛的なコーンスープが飛び出した。
味の形容は難しく、強いて挙げれば「混ぜるな危険」。
悲しい事に、シャルロットも“アンジェラ王女”もリースに同じく、調理ナイフを握った事すら無い。


「だったらもうちょい料理の仕方を覚えてくれよ。
 缶詰のコーンスープにあれこれ自分なりのアレンジ加えるのは、まず基礎を予習してからだ。
 調味料だってバカにできねぇ値段なんだぜ」
「あう…」


武者修行で世界中を飛び回り、野宿にも慣れているデュランは、
人並みには料理のスキルを備えていたので、
殆ど消去法的におさんどん担当を任されるハメに陥ってしまった。


「あッ、見た見た、シャル!?
 今の流れ星よ、流れ星っ! すっごい大きいのッ!」
「ながれぼしにがんかけなくても、
 シャルはすでによのなかのすいもあまいもかみわけてるでち。
 いまさらやっきになってたかのぞみするのもあほらしいんでちよ」
「ッンとに夢が無いわねぇ。
 長寿なハーフエルフってのも、案外、つまらない人生なのねぇ」
「ほっとけでち、このあばずれが」


他の二人が星空に現を抜かしている一方で、
コトコトと煮立つカレー鍋を、隣へ腰掛けたリースと二人で眺めているデュラン。
星空に想いを馳せるのも一興だが、こうして緩慢な時間の流れに身を任せるのも、
また一つの無我の境地と言うものだ。


「デュランは、もうずっと前から気付いていましたよね。
 ………私が【ローラント】の生き残りだって」


無我の均衡を破ったのは、抱えた膝に顔を埋めるリースだった。


「あー…、まあな。
 …【ローラント】と言えば、優秀な精霊戦士を輩出する秘境で有名だ。
 【ローラント】が地図上から消し飛んでからこっち、大した精霊戦士は出回らなくなった。
 血筋っていうか、【ローラント】の民は精霊との感応性に優れてたんだろうな。
 そこへ来て、あんただ。
 俺も何人か精霊戦士を知ってるが、あんた程の使い手は初めてだった。
 それで確信したってのはあるな…」
「そう…ですか」
「まあ、ピンと来たのはアレだな、
 英雄王のオッサンからあんたの護衛を押し付けられた時な」
「…私のような小娘を警護するからには、
 それなりの事情があると推察した結果…ですか?」
「ンな高尚なモンじゃねぇよ。
 あんた、自分で名乗ったじゃねぇか、 リース・アークウィンドってさ。
 【アークウィンド】って言えば、世界中の誰もが知ってる忌み名だ」
「………………」


【ローラント】を襲った民族虐殺から十年が経過し、
サミットの構成員が【パンドーラの玄日】を境に様変わりした今日に至っても、
民主社会へ弓引いた逆賊として、【アークウィンド】の名は人々の間で忌み嫌われている。
あたかも、民主社会の裏側に隠された【アルテナ】一極支配の実情を把握していなかった
自分たちの落ち度を打ち払うかのように。


「…あんたが何の目的があって【聖都】へ向かうのかも知らねぇし、
 クライアントのプライバシーへ踏み込むのは傭兵失格だから詮索もしねぇ。
 けどな、自分の故郷を滅ぼした仇敵【フォルセナ】へ
 助けを求めなけりゃならないくらいに決めた覚悟はしっかり伝わってるぜ」
「デュラン………」
「あんたは必ず無事に【聖都】へ送り届ける。
 あんたに降りかかる火の粉は、ツヴァイハンダーで全部振り払ってやるよ」
「それは………」


力瘤を作って「必ず護る」と約束してくれるデュランの心強さに、
なぜかリースは表情を暗く落とした。


「それは、あなたが【フォルセナ】の人間だから、ですか?
 私の故郷を滅ぼした国の出身だから、その償いに………」
「…ばーか」


見当違いの落胆で気落ちするリースの額を、デュランが指でピンと撥ね付けた。
乾いた軽い音と共に「…あうっ」と小さな悲鳴が上がる。


「俺がそんなセンチメンタルな男に見えるか?
 言ったろ? 俺はな、そういう美意識に凝り固まった騎士サマが大嫌いって。
 騎士道振りかざして罪滅ぼしなんて反吐が出るぜ。
 俺があんたを護るのは、あくまで仕事だからだ」
「…お仕事、と決め付けられてしまうのも、ちょっぴり淋しいのですけど…」
「仕事以外に何を求めんだよ」
「…それはそうですけど………やっぱりデュランはデリカシーがありません」
「ハッ、デリカシーに満ちた俺を見たいか、あんた?」


頭に思い浮かべてみるが、
「君を護るために命を賭けるのが俺の喜び」などと気のきいた台詞を謳うキザなデュランなど、
イメージの一片すら湧かない。


「………想像もできません」
「だろ? いいんだよ、それで。
 …でもな、仕事に向かうのはあくまで『俺』だ。俺自身の意思だ。
 俺はあんたの覚悟を個人的に気に入ってるんだぜ?
 だからこそ、あんたを護るって仕事へ全力を尽くせる。
 俺が仕事の依頼主を気に入るなんて珍しい事なんだぜ? あんた、ツイてるぜ」
「トラブルばかり起こすから、嫌われているかと思ってました」
「………そこんところはまじに善処してくれや。
 こっちが防衛策を練っていても、あんたがブチ壊しにしてくれたんじゃ、
 さすがに身が保たねぇからよ」
「…ご迷惑ばかりおかけして、本当に申し訳も立ちません」
「頭下げなくても、自重してくれりゃそれでいいって。
 …あんたのそういう向こう見ずな正義感も、俺は気に入ってんだ」


微笑みを浮かべて語らう静かな時間をアンジェラのけたたましい声が引き裂いた。


「ちょっとデュラン、晩御飯まだなのっ!? もうお腹ぺこぺこよーっ!」
「うるせぇッ!! メシ食わせてもらう立場をちったぁ弁えやがれ、てめぇッ!!」













「なにコレ、デラうまッ!
 こんなに美味しいカレーが作れるなら傭兵辞めてカレー屋さんに転職しなさいよ!
 成功間違いナシよ! ね、リースもシャルもそう思うでしょっ?」
「食うか喋るかどっちかにしろよ、お前、本当に王女かよ?」
「何よ、何をとんちんかんなコト言ってんのよ。
 この隠そうにも隠し切れない、全身から滲み出る気品でわかるでしょ、恐れ多いでしょ?」
「わからないからぎもんなんでちよ。
 ぼけてるんでちか、このあまは」


静かの星空も、“アンジェラ王女”にかかればたちまち大騒ぎだ。
咀嚼途中のカレーを行儀悪く吹き出しながら、
身体をくねらせて、王女らしさをアピール(自称)してみせるも、
腰を振るボディランゲージのどこに気品を感じ取れというのか。


「リースとあたしが並んだら、それこそ大変よ、直視できないくらいの後光が差すわよ?
 無意識に跪いて、せっせと靴を磨くくらいに」
「そ、そんな事はないと思いますけど…」
「っつーか、てめえ、よくもリースに向けてそんな事が言えるよな」


肩に腕を回して嘯くアンジェラに、引き合いに出された当のリースは困惑気味。
慎ましいリースと対照的に、権威を笠に着るような態度を当然としているアンジェラを
傍から聴いていたデュランが不機嫌そう睨みつける。


「お前が肩に腕を回してんのは、
 お前の国が滅ぼした【ローラント】の生き残りなんだぞ」


突如として旅に同道する事となった、このおかしな闖入者を
デュランは“王女”と呼び、シャルロットは自分の立場を把握しろと嗜めた。
高貴な出自に違いない彼女の正体とは―――


「そんな大昔のハナシ、気にしたって無為、無為。
 大体、【ローラント】進行の指揮だって、おばあさまの代よ? 今更蒸し返すなんてバカげてるわよ。
 人生、もっと楽しくいかなくっちゃ♪」


―――世界のモラルリーダーであり、実質的な支配者【アルテナ】ただ一人の王女。
次世代の【イシュタリア】の担い手である。
あっけらかんとした言行からはとても高貴な生まれとは想像し難いが、
その端々に支配階級に座す者のみが身に纏う、民意を物ともしない酷薄な性質が窺えた。


「踏みにじったほうは痛みを感じねぇけどな、
 踏みにじられたほうはそうも行かねぇんだよッ!」
「落ち着いてください、デュラン。
 私はむしろアンジェラさんの考え方に賛成なのですから」


あっけらかんと自らの祖国が招いた過去の悲劇を笑い飛ばすアンジェラに
憤激を弾けさせようとしたデュランを、寸でのところでリースが宥めた。


「賛成って…。
 あのな、人が好いのも大概にしとけよ。
 ふざけた事を抜かす輩にはな、ガツンと一発かましてやらなきゃならねぇんだぞ」
「…確かに【アルテナ】の行為は許されるべきでおありませんし、
 私だって許すつもりもありません。
 けれど、だからと言って【アルテナ】の全ての人が悪辣とは思えませんし、
 アンジェラさんの仰る通り、世代も変わり、【未来享受原理】の在り方も、
 ヴァルダ現女王の導きでより善い方向へ進みつつあります。
 それならば、恨みを忘れて、手と手を取り合う事だってきっとできます」


復讐でなく、未来を見据えて一歩を踏み出す。
それは、一族の滅亡という憂き目に出遭った実質の被害者ゆえの言葉だった。


「だから、今は、昔の話を蒸し返すよりも明日のカタチを見据えたいのです」
「イイコト言うじゃないの、リースっ♪ もうっ、かわいい♪
 あたしんところへお嫁に来なさいっ♪」


戦災者がこうして強い意志で未来の形を模索していると言うのに、
実際に手を下した側の人間はどうだ。
リースが切った免罪符に甘えて、過去に遺した悪行を訓戒とするのも置き忘れ、
「愛いヤツ♪」と能天気に頬ずりしている。






(………こいつ、まじで救いようのねぇカスだな………)






【アルテナ】の主導に乗り、【ローラント】を攻め滅ぼした【フォルセナ】の出身者であるからこそ、
デュランはアンジェラの人の気持ちを顧みない態度に腹が立って仕方が無かった。
実際に手を下した側の人間なのだから、過去の悪行を強く悔い改めなければならないと言うのに。


「ところであんたしゃんは、またどうちて【ジャド】なんかでもんちゃくおこしてたんでちか?
 【アルテナ】おうじょがほいほいとしょこくまんゆうをおたのしみなんて、
 どうかんがえてもあんたしゃんのあたまがいかれてるとしかおもえないでち」


仏頂面でそっぽを向いてしまったデュランの代わりにシャルロットが会話を繋ぐと、
待ってましたと言わんばかりにアンジェラの口上が始まった。


「そうそう、そこよ、そこ。
 ホラ、あたしってば未来の支配者サマじゃない?
 下々の皆様の生活をよぅく観察しておかないと、いざって時に困るでしょ。
 だからこうして現地査察。いっやー、驚いたの何のって。
 高い出窓からは見えない下層の暮らしって書物の中の話と思ってたけど、ホントにあるのねぇ」


全身に施された無国籍なアクセサリーの数々は、
『現地視察』の最中に買い求めたもので、気に入ったものは気に入った分だけ購入してきた。
金に糸目を付ける必要のないロイヤルなアンジェラならではの道楽である。


「そのげんちしさつのさいちゅうにおおたちまわりをおっぱじめたわけでちか。
 ますますもって、せかいのみらいはあんうんにつつまれてるでちね。
 あんたしゃんのようなげすがしはいするせかいなんて、そうぞうしただけでもみぶるいするでち」
「ま〜たそうやってヒネくれた見方するんだからー、このお茶目さんは。
 世界の未来は眩いばかりの光に溢れてるわよ。
 なんたって、このあたしが支配者として君臨するんですからっ、ね、リース?」


悪意をたっぷり込めたシャルロットの皮肉だが、
おそらくアンジェラの脳には皮肉として届いていないのだろう。
幸せな、そして極めて愚かなご都合主義である。


「そこまで言い切ってしまえる胆力に満ちているのですから、
 アンジェラさんに任せておけば安心かもしれませんね」
「具体的にはどのようなプランで世界のモラルリーダーとなるつもりなのですか?
 やはり基本は民主政治と【未来享受原理】でしょうか?」
「うんうん、さすがはリース、可愛い娘! ちゃーんとわかってるじゃないの。
 そうよね、そうでしょ。あたしがリーダーとなるからには、まずマニフェストの―――」
「おい、ちょっと待てよ、ここは簡単に流していいトコじゃねぇぞッ!?」


事態はアンジェラのお気楽なご都合主義では塗り替えられない程の急転を見せた。


「何をそんなに慌ててんのよ、カレーでもこぼした?」
「あんたしゃんのしんけいがめすぶたのどてっぱらなみにぶっといことは
 シャルもみんなもちゃーんとりかいしているでちから、
 そろそろそのくさったさかなのめをひんむいてまわりをみるでち」
「何よ、シャルまでしかめっ面してさ。リースからも言ってやっ………」


素早く獲物に手を掛けるデュランとシャルロットを見かねて、
リースへ同意を求めようとしたアンジェラは、目の前の異常事態に絶句した。


「リ、リースが二人? リースがどうして二人もいるのよっ?
 さてはアレね、新手の宴会芸ねっ!?
 あたしたちを驚かせようと、精霊のパワーでもってイリュージョンを………」
「てめえのドタマはどこまで都合よく出来てやがんだよッ!?
 リースがそんな気の利いたジョークを披露するようなタイプかッ!!」
「ボンガボンガと魔法で建造物爆発させるだけしか能のないてめえとは違うんだよッ!
 頼むからお得意の魔法で脳みそ素洗いしろッ!
 洗って乾かして、少しはマシな判断能力を回復させてくれッ!!」
「なんなのアンタは!?
 さっきっからイチイチあーだこーだと文句つけてくれちゃってさッ!
 惚れた? ねえ、惚れたわけ? 好きな子ほどいじめちゃう思春期スピリッツなのッ?」
「あらあらあらあら♪ それならそうと早く言ってくれればいいのに♪
 お姉さんに全部任せない♪ あ、でも、抜け駆けしちゃうとリースに恨まれるかしら?
 ね、シャル、恋に後出しは適用OKかな?」
「このまかふしぎくうかんにたいして、
 シャルにもとめるりあくしょんがそんなもんでちか。
 あんたしゃんはやっぱりいっぺんじごくをみてげだつすべきでちっ」


シャルロットをして摩訶不思議空間となった【グレイテストバレー】宿営ポイントには、
デュランが二人、リースが二人、アンジェラが二人、同時存在していた。
これを摩訶不思議と形容せずにどう例えるのか。

「ここまで見事なアホ面晒してくれると、
 仕掛けたこっちも奇術師冥利に尽きるってもんだよ」
「てめえはこの間の…ッ! 生きてやがったのかッ!」


同じ顔を見合わせ、あんぐりと間抜けに口を開け広げる三人×3のもとへ
どこからともなく聞き覚えのあるイヤミな響きの冷笑が吹きぬけた。
【亡き大河の一雫】にてシャルロットを人質に取った誘拐犯、ホークアイだ。


「いよぅお、覚えててくれて光栄だぜ。
 っていうか、この短期間の内に忘れられらりでもしたら、
 知り合いの精神科医を紹介するところだけどさ」
「うるせぇッ! てめえ、隠れてねえで姿を現しやがれッ!」
「ハッ! それとも俺が怖いから、手品で脅かすのが精一杯かよッ?」


二人のデュランが同時に吼え声を上げる。
まるで双子のシンクロのように息がぴったりだ。


「そうそう、それそれ! そのシンクロ加減が、我ながら苦労したんだよな!
 どうよ? ドッペルゲンガーと相対した気持ちは?」
「ドッペルゲンガー?」
「詳しく説明し始めると長くなるから自主的にパスしま〜す!
 要はアレよアレ、自分の分身とでも考えてくれりゃOKなわけよ」


この異常事態もホークアイの仕掛けた奸計の一つらしいが、
『分身』との言葉通り、まるで単細胞生命体が分裂したかのように
姿形から声から性格まで、全てにおいて瓜二つだ。
どちらが本物か、とても視認だけでは見抜けない。


「どちらかが本物で、どちらかが偽者。
 殺しあって生き残ってたほうが本物って寸法ね。
 至ってシンプルで解かりやすいだろ?」
「…てめえはその混乱に乗じてリースをかっさらうって寸法か」
「おっ、ジャックポットの大当たり!
 ゴツいだけかと思ったけど、オ兄サン、なかなか切れ味鋭いじゃないの」


ともすれば、声はすれども顔は見えないホークアイの不穏な提案が自己証明の最短の近道だが、
もしも、もしも斬り捨てた相手が本物で、
生き残った味方が敵だったという最悪の結果を考えれば、
自慢のツヴァイハンダーも迂闊に振るうわけにはいかない。


「シャル、お前の魔法に人探しとか、嘘を見抜くもんはねぇのか!?」
「そんなつごうのよいものはアンジェラしゃんのあたまんなかだけで―――」
「あたし以外をみんな飲み込めッ、【ペネトレイト(蒼空を貫く天轟への咆哮)】ッ!」


成す術なく焦れったい時間が続くかに思われた膠着を
いとも簡単に破砕するのは、いつもながらに無軌道なアンジェラだった。
風の精霊【ジン】の魔力を借りたアンジェラがまっすぐ天空へと突き出す指先には幾筋もの稲妻が迸り、
膨大な電圧の塊が集中していく。
制御し得る限界まで蓄積された電光を横に薙ぎ払うと、術者以外へ凄まじい雷撃が襲い掛かった。


「てめえッ、何考えてやがるッ!?
 いや、攻撃してきたからにはてめぇが偽者かッ!?」
「そんなわけないでしょっ! モノホンよ、モノホン!
 全身から滲み出す高貴なオーラでわからないの、あんたたちッ!?」
「畜生ッ、この憎たらしさッ! こいつが本物かッ!?
 普通ならこれで偽者確定なのに、お陰でドンドンこんがらがっちまうッ!!」
「っていうか、なんでシャルまでねらうでちかっ!
 シャルにばけてるふとどきだぬきはどこにもいないじゃないでちかっ!」
「ノリよ、ノリ! 生きてたからにはノープロブレム♪」

シャルロットの抗議にサムズアップで答え、より怒りを増幅させる高飛車さや
自分以外を全く考慮しない無軌道な戦い方から推理すれば、
雷撃の魔法【ペネトレイト】を放ったアンジェラを本物と判断できるかもしれない。
もちろん、確率は二分の一なので、判断材料が揃っただけでは、
攻撃へ転じる真贋の確定にはまだ至らないのだが。


「―――やぁッ!!」
「え? ちょ…リースッ!?」


分身の放った【ペネトレイト】に巻き込まれた、もう片方のアンジェラへ
リース(の一人)が銀槍【ピナカ】を繰り出した。
鋭く一文字に突き出された穂先を、樫の杖で辛うじて捌くが、
不意の一撃に虚をつかれたため、腰砕けに横転してしまった。
素早く連撃へ転じたリースは続けざまに柄の部分を振り下ろし、
強打でもってアンジェラ(偽者?)を打ち据えようとする。


「バカ野郎! 考えナシが過ぎるぞ、リースッ!!」
「デュラン…っ!」


樫の杖は初撃を捌いた際に遠くへ弾き飛ばされ、
完全な無防備に陥ったアンジェラ(偽者?)と振り下ろされた柄の間に
デュラン(の一人)が割って入った。
ツヴァイハンダーと【ピナカ】が正面衝突し、鈍い音が夜天へ轟いた。


「そこをどいてください、デュラン」
「もしもこいつが本物のアンジェラだったらどうすんだ…!
 手前ェで言った言葉だろうがッ、武術は『戦術』、頭で考えて対処すべきだってッ!」
「冷静に演算した答えです。
 このアンジェラさんは、【ペネトレイト】に対して【シェルター】の防御壁を発動しなかった。
 つまりドッペルゲンガーには魔力は備わっていないという事です。
 【ファランクス・デュオ】と【シェルター】を同時詠唱するような英才のアンジェラさんが、です。
 あまりに不自然とは言えませんか?」
「それだって、あくまで判断基準の一つだろうッ!?
 とっさの事で防御壁の詠唱が間に合わなかったとか…ッ!」
「訝るばかりでは勝機は見出せません。
 ならば、少しでも敵を潰しておかなければ―――」
「―――それはつまり、仲間の命を何のためらいもなく奪えるという事ですかッ?
 ………悪辣非道の偽者めッ!!」


アンジェラを巡り、激しく鎬を削る一組のデュランとリースの攻防へ、
もう一人のリース(…本物?)が鋭く駆け込み、自分の皮を被る偽者へ【ピナカ】を突き込んだ。


「…ッ! くっ…ッ!」


電光石火の突き込みだったが、
咄嗟にツヴァイハンダーを踏みつけてスプリング台に換えたリース(偽者?)は、
ひらりと上空へ身を踊らせて難なく回避した。


「あいつがそいつで、そいつがあいつでっ!?
 うあーっ、かんさつすればするほど、どんどんふかみにはなっていくでちっ!」


交戦する三人×3の真贋を見極めようと目を凝らすシャルロットだが、
デュランの言葉通りに判断材料までは行き着いても
最終的に偽者を絞り込むだけの確証を見つけられず、頭をかきむしる結果に惨敗した。


「おチビちゃんよ、残念だけど、ドッペルゲンガーにゃ偽者も本物も無いんだわ。
 ドッペルゲンガーってのはな、同じ肉体、同じ魂から抜け出した分身であり、
 複製だけども純度100パーの本物ってわけよ」
「いちいっちむかつくちゃらおでちねっ!
 こうせつたれるよゆーがあるなら、おとこらしくせいせいどうどうとしょうぶするでちっ!」
「そんなおチビちゃんに一つ、面白い話を聞かせてやるよ。
 ドッペルゲンガーってのはな、同じ素材から構成される純度100パーの複製なんだよな。
 ンで、世の中ってのはうまく出来ていてさ、同じ人間が同じ時間、同じ空間に存在してたら、
 最終的にどうなると思う?」
「もったいぶるんじゃないでち、このねくらのまがりち●こがっ!」
「…同質の魂を相食んで、最後には片方だけが生き残る。
 そういう風に習性付けられてるのさ」
「………………ッ!」
「ドッペルゲンガーに魅入られたら最後、バトロワるのが宿命なんだよ。
 もちろん、自分と全く同じ能力の持ち主とガチでやり合えば疲弊するのも自明の理。
 ボロゾーキンになったところを、あとは俺たちが美味しいトコ取―――」


その時、またしても常軌を逸脱した事態が怒涛の波となって押し寄せた。


「―――うぅぅぅああああああぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!
 【ブレイズバード・ハルバーティング・ムーンアサルト】ッ!!!!!!」


嬉々として万全の策をペラペラと高説するホークアイの嘲笑は、
突然上空から降り注いだ風切り音と激突音、
終始一貫して轟いた裂帛の気合によって掻き消された。


「なッ、なんだなんだ、何事だッ!?」


余裕綽々に構えていたホークアイも、
ドッペルゲンガーとの舞踏会という非常識を更に、遥かに超越した不測の事態に狼狽の声を上げた。
【グレイテストバレー】の一角、舞踏会場となった宿営ポイントには盛大な砂埃が巻き上がり、
続いて重力に従い、巻き上げられた小石が霰の如く大地へが逆流する。
石質の霰に見舞われた舞踏会の踊り手たちも、
あまりに人智を超えた事態に戦いの手を休めて一様に呆然と硬直した。


「【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】八番組長、
 ケヴィン・マクシミリアンとその相棒、カール、ここに、推参ッ!!」
「わふッ!!!!」


「ハァッ!」という猛々しい気合一喝で砂埃を吹き飛ばしたのは、
上空から落雷の如く飛び込んできたのは、
【ジャド】にてデュランとまみえた、獣人の少年、ケヴィンとカールのコンビだった。
超常を地でいく獣人にこそ成せる荒業か、
【ブレイズバード・ハルバーティング・ムーンアサルト】なる蹴り技と共に降り立った
彼の周辺の地面にはそこら中に激しい亀裂が走り、月面のクレーターのように深く陥没していた。


「あいつは【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】の…ッ!」


獣人たちの【義】に泥を塗る形で脱獄してしまったのだから、
追手が差し向けられるとは思っていたが、まさか最悪の情況で襲撃されるとは。
この混沌に加えてケヴィンを向こうに回し、果たして勝機がどれ程あるものか。
絶望的な構図に冷や汗を浮かべるデュラン(…本物?)へ
ケヴィンから掛けられた言葉は、罵声でも怒声でもない、やはり予想を覆す物。


「【義】によって、デュラン師匠とその仲間に、助太刀いたすッ!!」
「は…? 師匠…?」


ケヴィンを弟子に取った覚えのないデュラン(本物?)のツッコミを待たず、
獣人ならではの凄まじいスピードでリース(…本物?)の鳩尾へ正拳を叩き込む。
防御も何もない状態で激しく打ち据えられたリース(本物…?)は、
先程もう一人の自分へ突き込んだ【ピナカ】を取り落とし、その場に崩れ落ちた。


「お、おいッ! いきなり割り込んで何しやがる…!?」
「師匠、惑わされないで、こいつ、偽者ッ!」
「なんでそんな事がわかんだよッ!?」
「オイラ、獣人。ヒトよりも身体機能、優れてる。
 身体機能、単なる戦闘能力じゃない、優れてるのは、五感もッ!」
「五感…!?」


鸚鵡返しのデュランの問いに、ケヴィンは鼻をひくひくと動かして答える。


「まさか…、臭覚で本物か偽者か、見抜いたってのか!?
 ンなバカな話………」
「だから、オイラ、獣人。鼻には、誰よりも、自信、ある!
 デュラン師匠も、リースも、シャルロットも、アンジェラ王女も、みんな、嗅ぎ分けられる!
 姿形までは似せられても、オイラの鼻、騙す事、できないッ!!」


これも超常を地でいく獣人にこそ成せる荒業か。
人智で物事を計らざるを得ないヒトには、にわかには信じ難い荒業だが、
何にせよ、これでドッペルゲンガーの奇術は通用しない。


「やーれやれ、まさかこんなカタチで見破られるとは思わなかったよ」


おどけた調子でデュラン(偽者?)が指を鳴らすや、
ドッペルゲンガーとして本物と戦った偽者たちがその正体を白日の下の曝け出した。
デュランがホークアイに、苦悶の表情を浮かべるリースとアンジェラが
見慣れぬ新手の二人組――ビルとベンだ――にそれぞれシェイプシフトする。


「ビル、腹の具合は大丈夫か?」
「痛…くないッ! 兄ィがいる限り、まだまだイケますぜッ!!」
「ベン、お前はどうだ、バテてないか?」
「オウさッ!!!!」
「―――という次第だ。
 こちとら今日に勝負を賭けてるんでね、
 変化の術が見破られたからって逃げ帰るワケには行かないのさ」
「搦め手ばかりの狡すっからいネクラと思っていたが、
 真っ向から勝負張るだけの根性があったとはな」


西と東に分かれて対峙するデュランら五人とホークアイのトリオ。
数の上では圧倒的に不利だが、微塵も勝利を疑わないホークアイは
例のごとくイヤミな嘲笑を浮かべている。


「師匠、こいつら、本当に手ごわい、油断、ダメ!」
「そいつも獣人ならではの直感か?
 …それくらいなら、俺にだってわかるぜ」


見ているだけで人を不快にさせるイヤミなホークアイも、
その取り巻きの二人も余裕を気取っているが、付け入る油断も隙も一切ない。
相当に技量が高い強敵と即座に看破できる。


「―――そんじゃ、開戦と行きますかっ!」


ホークアイの宣戦が正面激突の幕を切って落とした。





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