町全体が活気に華やぎながらもどこか清廉な印象を与えるのは、
建築物がアイボリーの色彩を基調とした質素な石造りであるからか、
それとも、ここが女神信仰の中心地【聖都】であるからなのか。
どちらにせよ、その相乗効果が【聖都】と言わしめる清らかな空気を醸造しているのは間違いない。


「…ったく、なんだって女の支度には、こう地獄のように時間がかかるんだッ?」


そんな聖都【ウェンデル】の一画で不機嫌そうに声を荒げるのは、誰を隠そうデュランである。
通りがけの巡礼者が、町並みの清廉さにはまるで不釣合いな野犬じみた態度を目にして訝しげな視線を向けてくるが、
その全てをデュランはきつい一瞥で蹴散らした。


「ししょーっ! あっちに美味しそうな焼き鳥、売ってたっ」
「わふっ!!」
「…お前はお前でマイペースだな…」


嬉しそうに耳を忙しなく動かすケヴィンが、
十本以上は包まれているだろう焼き鳥のパックを小脇に“師匠”デュランのもとへ駆け寄ってきた。
肌に合わない町並みの真ん中で待ちぼうけを食わされておかんむりなデュランと対照的に、
ケヴィンは相棒のカールと【ウェンデル】を満喫している。

【グレイテストバレー】での激闘から三日が経過した現在、
デュランたち一行は無事、当初の目的地である聖都【ウェンデル】へ到着した…のだが、
リースが面談を望む【光の司祭】は貴賓の接遇に手一杯との事で、
到着から二日が過ぎても旅の目的は果たされないまま、宙ぶらりんとぶら下がったまま。
ホークアイ一味との激闘を切り抜けた直後だった初日には、そんな足止めも骨休めと考えられたが、
二日目ともなると、まるで進展のない情況に、デュランの痺れが早くも切れ始めたわけだ。


「―――ったく、いつまで待たせやがんだよッ!」
「? 師匠、オイラ、なにも待たせてない。好きなだけ、焼き鳥、食べて?」
「…そういう意味じゃなくてだな…」


こんな時に色めきたって騒ぎそうなシャルロットの姿が見当たらないのは、
なんと血縁関係にある【光の司祭】の貴賓接遇の手伝いと、
一刻も早いリースの面談への便宜を図って奔走しているからだ。


「あんたしゃんらはやどでもとってゆっくりはねをのばすといいでち。
 【ウェンデル】よいとこいちどはおいでとにゅーみゅーじっくにもなったこのまちを
 ぞんぶんにまんきつするがいいでち」


「お前らは田舎モンだから、都会を見て驚くな」と暗にせせら笑うかのようなシャルロットの言葉は、
残された女性陣二人によって大いに履行されていた。


「はろ〜、待ったぁ?」
「ご、ごめんなさい、お待たせしてしまいました…」


男性陣と別れた女性陣は、
せっかくの都会を存分に味わおうとウィンドーショッピングへ繰り出していた(というかアンジェラがリースを引っ張ってった)。
怪訝な視線に晒される中、デュランとケヴィンは彼女らを待ちぼうけていたわけだ。


「―――………遅ェよ」
「なによ、ホンットに気がきかないわね、アンタは。
 女の子が待ち合わせに遅れてきても、
 爽やか笑顔で『今来た所』って返すのが紳士のマナーじゃないの!」


大きな紙袋を幾つも抱えたアンジェラとリースが
待ち合わせ場所の中央広場へやって来たのは正午もだいぶ過ぎた頃。
「お昼キッカリに待ち合わせましょ。遅れたらタダじゃおかないわよ」と念を押してきたアンジェラを思い出しては、
デュランの堪忍袋の緒がゆるゆるに緩くなる。


「手前ェで待ち合わせの時間指定しときながら、手前ェで遅れるなんざ、
 マジでいい度胸してやがんな! まともな神経の持ち主とは思えねぇぜッ!」
「そんなコトより、どうよ、コレ? アンジェラ・プロデュースのファッションセンスは?
 今年の【アルコレ】グランプリ確定もんよ?」


【アルコレ】とは、【アルテナ】で年に一度盛大に催される
そのグランプリ確定的とうそぶくアンジェラと、彼女の傍らで薄く頬を染めているリースの装いは
普段着用しているそれと大きく異なっていた。


「今流行りのセクシャル・バイオレットでバシッと決めて魅せたわ♪」


大袈裟にしなを作ってポーズを取るアンジェラのファッションは実に電撃的で、
独特のセンスと受け取るか、頭の中に幸せの蝶々が遊泳していると白眼視するか、
意見の真っ二つに分かれそうなオートクチュールだった。
身体のラインがくっきり映えるラバー製のボディスーツの端々には、
それが最大のアクセントなのか、蝶々(パピヨン)の刺繍が施されている。
まるで今すぐにでも仮面舞踏会へ駆けつけられそうな仕上がりだが、
成金ならではの思考とでも言おうか、およそ一般人のセンスにかち合うとは思えない。


「あ、あの、本当にごめんなさい………。
 私がいつまでも渋っていたせいで遅刻してしまいました………」


申し訳無さそうに頭を下げるリースは『セクシャル・バイオレット』などどこ吹く風の、
極めて質素で清楚な服装だ。
ミルクのように鮮やかな白いワンピースの所々には、
インディゴブルーのリボンが結わえ付けられ、純真な愛らしさへ花を添えている。
まるで今すぐにでも群青の浜辺へ飛び込んで、恋人と追いかけっこに興じられそうな、
爽やかな色合いの逸品である。


「なにがセクシャルバイオレットだ、てめぇは痴女かってんだッ」
「変態呼ばわりとは何事よッ!? アンタこそ自分のセンスを少しは疑いなさいッ!
 なによソレ!? 裾の擦り切れたパーカーにゴツいリアクティブ・アーマーってッ!?
 明らかに浮いてるじゃないのッ! 明らかに変質者じゃないのッ!!」
「街頭100人アンケートを今すぐ採ってみるかッ、この変態ッ!?
 どう考えても人間界の常識からはみ出してんのは、てめえの方だッ!!」
「―――んまッ、世界のモラルリーダー(予定)に向かってッ!!
 アンタ、明日の朝日を拝めないと思いなさいよッ!?」


普段と違う装いの少女に胸をどぎまぎさせるどころか、
少しも悪びれていないアンジェラに怒りの沸点を軽々と超えていたデュランは、
“喪服”を纏って年頃の少女らしさを封印している普段の姿からは想像もできないほどに
明るく着飾ったリースに眼もくれず、売り言葉に買い言葉の論戦の火蓋を切った。


「リース、その服、買ったの? すごく、似合ってるっ」
「わふっ!!!!」
「カールも言ってる。『俺様があと二十年若かったら、声ェかけずにはおられんわ』って」
「ありがとうございます、ケヴィンさん、カールさん」


デュランの視線が一瞬たりとも白いワンピースを捉える事なく、論戦を更に白熱させていく。
野生的で猪突猛進な彼らしさを理解してはいるのだが、
まるで関心を示されないのも、乙女心には複雑だ。






(…デリカシー満点のデュランが見たいわけではありませんけど…こうも相手にされないのはいささか悲しいです…)






いつもは悩ませる側に立つ場合の多いリースが、珍しくほろ苦い溜息を吐き出した。













「―――【ジェマの騎士】ぃっ!?」
「そうでち」


焚き染められた御香がほのかに薫る霊威な神殿へアンジェラの素っ頓狂な声が響き渡った。
先導して前を歩くシャルロットは、場所の神聖さを読もうともしない小娘に顔を顰めつつ、
二日も待たせた責任を果たそうと【ジェマの騎士】なる人物についての説明を続けた。


「【ジェマの騎士】って、あれよね?
 世に災い起こる時、【女神・イシュタル】の化身と共に現れるって昔話の、
 あの【ジェマの騎士】なわけ?」
「それいがいに【ジェマのきし】とやらがしゃしゃりでるとんでもでんせつがあるなら、
 いまここでひろうしてほしいもんでちね。
 そんながきでもわかるようなじょーしきをいちいちふくしょうしないでほしいでちよ、このうすらばかが」
「【ジェマの騎士】、ここに、来てるの?」
「いまさっきたったところでちがね。
 だからあんたしゃんらをよびにきたんじゃないでちか」
「そうか、残念、手合わせ、お願いしたかった…」


【ジェマの騎士】とは、【創造女神・イシュタル】に選ばれた英雄のみ許される称号である。
アンジェラの言葉を反芻するならば、世界の危難に現れると言い伝えられる英雄で、
現在も【女神】信仰と並び、人々の間で広く流布される伝説の一つだ。


「おんなじ剣士としては複雑なんじゃないのぉ、デュラン?
 『もしかして俺が女神に選ばれた勇者かも!?』とか思ってたクチ?」
「思うかッ!
 昔話の英雄に自分を重ねて悦に入るなんざ、
 流行言葉を借りるならヲタクだ、ヲタクッ!」


その【ジェマの騎士】が【光の司祭】へ面談を申し入れたのが二日前。
つまりシャルロットが接遇に奔走した貴賓とは、生きた伝説なる【ジェマの騎士】なのだ。
伝説上の人物が姿を現したとあれば、いくらアルテナ王女を引き連れていようとも
“一般人”のカテゴリーを出ない一行が後続へ回されるのも頷ける。


「…第一、その【ジェマの騎士】サマとやら、本当にホンモノなのかよ?
 やれ伝説、やれ神話と、古めかしいモンを謳い文句にした詐欺師ってのは絶えねぇからな。
 騙されてんじゃねえのか?」
「あんたしゃんはじつぶつをみたことがないから、そーゆーひにくったれしかいえないんでち。
 たしかにひととなりはまるでだめなぼっちゃんでちたが、
 こしにさげた【せいけん】はまぎれもないほんものでちたよっ」
「…あの、それでは【聖剣】だけが本物で、
 【勇者】の部分を全否定しているようにも聴こえるのですけど…」


【ジェマの騎士】が【光の司祭】とのを終えて出発した今日、
ようやくシャルロットから迎えの報せが届き、
こうして司祭の住まう【パルテノン(唯一女神の大聖堂)】へ足を踏み入れる事が叶ったのだ。

ちなみに、アンジェラ・プロデュースのファッションは
神聖な【パルテノン】へ立ち入るにはあまりに不適切と即座に却下され、
宿を発つ際に普段の恰好へ着替えていた(といっても、普段が普段だけにあまり変化は無いが)。
リースもワンピースではなく、正装としての“喪服”を羽織っている。


「それじゃ、シャルは、本物の【聖剣】、見たのっ!?」
「ろんもちでち。
 みためはさいしょうげんのいしょうをこらしただけのきしけんでちたが、
 そこにやどったまりょくのきよらかさ、ちからづよさといったら、
 しょんべんちびりそうでちたよ」
「伝説では、聖剣の銘は【エクセルシス】だったわよね?」
「ほほう、くさっても【あるてな】のおうじょだけはあるでちね。
 そのとおりでち。せいけん【えくせるしす】、たしかにげんぞんしていたでち」
「くぅぅ〜、やっぱり、一度手合わせ、してみたかった!」
「わふっ!!!!」


デュランとリースの二人だけは、
【ジェマの騎士】について談義を交わす四人から少し距離を取って後を随いていく。


「これであんたの依頼も完了ってわけだな」
「はい。
 …デュランさんのお陰で無事にここまで辿り着く事ができました。
 本当に、ありがとうございました」
「まだ最後の締めが残ってるけどな」


そう、成り行きで行動を共にするようになったアンジェラやケヴィンと異なり、
この二人だけは、警護者と依頼主…仕事上の関係なのだ。
【聖都】までの護衛という今回の依頼内容が達成されれば、デュランがリースに同道する理由もなくなる。
旅の終わりは、すぐそこまで迫っていた。


「…あんたは大人びているように見えて、実は不安定なタイプらしいからな。
 今後もトラブル呼び込まないよう、努々気を付けるんだな」
「不安定…ですか?」
「自覚の足りなさが、また危険なんだよなぁ…」


敷き詰められた大理石のマイルにデュランの苦笑が溶けて消える。


「【グレイテストバレー】での一件が好例だぜ。
 【アルテナ】の民族虐殺を『過去』の出来事として水に流すと言ってみせたかと思えば、
 【あの者】とやらを知る『現在』の敵には『人質に取ってでも』なんてブチ切れる。
 …目の前のモノに対して、あんたは見境を無くすキライがあるんだぜ」
「観察していたんですか、全部…」
「それくらいの情況把握能力が無けりゃ、護衛なんて務まらねぇよ。
 クライアントの起伏には、逐一気を配る。でなけりゃ仕事にならねぇんでな」
「………やはりデュランは凄腕の傭兵さんなのですね」
「旅の終わりにとって付けられたように褒められても、
 社交辞令にしか聴こえねぇんだけどな…」
「さっきからなにをいちゃいちゃやってるでちか、あんたしゃんらは。
 ついたでちよ、このとびらのむこうがわに【ひかりのしさい】が、
 しゃるのばーさまがひよっているでち」


デュランが最後のアドバイスを送ったところで目的の御座所へ到着し、
リースの表情が緊張に引き締まった。













「…まずいな、【パルテノン】なんかに入り込まれたら、
 余計に手が出しにくくなるってのに…」


デュランたち一行が【パルテノン(唯一女神の大聖堂)】の門を潜る様子を
人影に隠れて窺うホークアイの傍らには、
常に張り付いている筈のビルとベンの姿が見当たらない。
【聖都】へ入るまでは行動を共にしていた二人の仲間だったが、
宇宙恐竜と化したカールに負わされた怪我が思いのほか重く、
そのような状態で戦いの場へ連れていくわけにいかないと判断したホークアイに
宿泊先の部屋へ押し込められてしまったのだ。






(…へっ、俺にもヤキが回ったもんだぜ…ホント、ザマぁないよな…)






手勢は自分一人だけ、相手は手強い五人と一匹だ。
【グレイテストバレー】までの優勢は覆され、ここからの逆転は難しい。
追い詰められた自嘲に薄く笑う声が、虚しく【パルテノン】の石壁へ吸い込まれていく。
しかし、ここで諦めるわけにはいかないのだ。諦められない理由があるのだ。







「ジェシカ…ッ、…俺はお前を必ず―――」
「―――“必ず”…なんだ? なんだと言うのだ?
 砂の掟を自ら抜けた貴様が、
 塵の彼方へ浮かぶ蜃気楼(まぼろし)に如何なる想いを馳せると言うのだ?」
「―――ッ!?」


それは一瞬の出来事。音もなく、影もなく、気配もない、刹那の揺らぎ。
立ち尽くすホークアイの背後へ、いつの間にかサンド・ベージュの男が回っていた。
…傷付いたホークアイ一味を小高い一本木から見下ろしていた、あの猛鷲だ。


「貴様が最期に視る幻影(ゆめ)は、
 あらん限りの絶望と壮烈を綾なした断末魔の藻屑、
 風切り羽をもがれた猛禽が墜落の瞬間に視る、大地に口開く無間地獄だ。
 ………仇敵(とも)よ…ッ」
「お前…ッ、………イーグルッ!!」






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