【光の司祭】という威光輝く肩書きから老齢の人物を想像していたリースは、
謁見した相手のあまりの若々しさに思わず絶句した。


「なに驚いてやがんだよ。
 【光の司祭】の若作りなんざ、世界中の誰もが知っている常識の一つじゃねぇか」
「相変わらず口の減らない坊やだねぇ、デュラン・パラッシュ。
 次に若作りと失礼ブッこいたら、問答無用でズッ殺すぞえ?」
「【光の司祭】がとんでもねぇ事言ったよ、オイ」


“ズッ殺す”とは、『頭蓋骨をぶっこ抜いて殺す』という意味の流行語だが、
人類の心の拠り所とさえ言われる【光の司祭】の口からは
間違っても飛び出してはいけない言葉ナンバー・ワンだ。


「ちょっと、デュランッ、ルサ・ルカ様に失礼でしょッ!?
 申し訳ありません、ルカ様。
 私の従者が大変な失礼を致しまして」
「誰が従者だ、誰がッ!?」
「今更猫を被らんでもよかろう、アンジェラ王女。
 そなたには従順の仮面よりも性悪の素顔こそお似合いじゃ」
「…ホントにいつまでも口の悪いばーさまねッ!
 社交辞令を皮肉で返すなんて、【光の司祭】のする事じゃないわッ!」
「肩書きなんぞ余所者が勝手に吹聴しておるだけの重石に過ぎぬよ。
 そもそもそんな肩の凝るだけで美味くもなんともない勲章なんぞ、
 わしの方から願い下げじゃ―――」


デュランもアンジェラも、【光の司祭】とは知己の間柄にあるらしく、
砕けた(というか乱暴な)口調で会話を続けている。


「―――まあ、そちらのお嬢さんは、
 わしに【光の司祭】を放棄されると困るようじゃがの」
「えと…あの………」
「英雄王から文は頂戴しておるよ。
 …ようこそ、リース・アークウィンド嬢。精霊の姫巫女よ」


“シャルロットの祖母”と呼ぶにはあまりに年若く、リースやアンジェラよりも遥かに幼く見える、
少女のような外見の【光の司祭】ルサ・ルカが微笑みを浮かべて居住まいを正した。













【ピュティアの庭園】と呼ばれる最奥の部屋へ一人通されたリースは、
石質のテーブルへ向かい合って着いた【光の司祭】を前にして緊張の度合いをより一層強めている。
【フォルセナ】から【ウェンデル】を渡る旅の目的が、いよいよ果たされてようとしているのだ。
手にはじっとりと汗が滲み出していた。


「随分長い事待たせてしまって申し訳なかったの。
 なにしろ相手は【ジェマの騎士】。無碍に扱う事もできぬのでな」
「いえ、お気になさらないでください、ルサ・ルカ様」
「そう固く構えんでくれ。
 わしは見ての通りの婆様じゃ。
 年寄りの昆布茶の相手をする程度に考えてくれい」
「…失礼を承知で言わせていただきますと、
 とてもそのような老境へ至っているようにはお見受けできませんが…」
「ほっほっほ…、
 掴みのジョークにこうまで素直に気品あるツッコミが返ってきたのは
 生まれて当方2000余年、初めてじゃの」


2000年という無窮の時間を過ごしてきたとはとても思えない、
あどけない表情を崩してルサ・ルカが抱腹絶倒に爆笑する。
いちいちオーバーなリアクションは、シャルロットのそれと確かにそっくりだ。


「ルサ・ルカ様はエルフであるとお聞きしておりましたが…」
「いかにもいかにも。
 不老長寿という甘美な響きを体現しておるのがわしよ。
 お陰でいつしかこうして【光の司祭】なんぞというモンを押し付けられ、
 ご意見番だかババアの知恵袋だかを務めるようになってしもうたわ」


【エルフ】とは、霊長類の頂点に位置する貴種中の貴種であり、
その最大の特徴は不老長寿…数千年とも言われる命数を、
殆ど老いる事のない、瑞々しい若さで生き続ける人智を遥かに超越した存在だ。
現在では【光の司祭】ことルサ・ルカ以外のエルフは人界へ姿を現す事なく、
【エルヴン・セイファート(極めて近く、限りなく遠い彼方)】なる異世界へ去って
人間への不干渉を貫いている…と伝承には語られている。


「2000年という無窮を過ごしてきたからの。
 ヒトより幾らかは物事について熟知しておるつもりじゃよ。
 無論、そなたが【聖都】くんだりまで駆け込んだ理由も、
 …そなたが何を背負い、わしに何を望んでいるかも、な」
「………………………」


女神とニンゲンの世界【イシュタリアス】にただ一人残存したエルフ、ルサ・ルカは、
その長寿に裏打ちされた博識、貴種と呼ばれるに相応しい魔力を敬われ、
歴史の生き証人として【光の司祭】なる女神信仰の最高位階へ就任していた。
短命のニンゲンでは覗き見る事さえ叶わない歴史の真実、達観した視点、
お茶目とも言える人柄の全てが揃ったルサ・ルカは、
間違いなく“人類の拠り所”と世界中の尊敬を集めるに足る人物だった。


「…そなたの探し物は遥か遠く、人界と異界の狭間に漂い、
 決してヒトの手が伸ばす事叶わぬ場所に在る」
「………………………」
「…さて、どうする?
 ヒトの手に叶わぬ彼方の地へ、そなたは如何な手段を用いて到達せんとする?」
「―――私が望むものは、その在り処への具体策、謎掛けの答えです。
 禅問答をしたくてここまでやって来たのでは…
 痛みを乗り越えてきたのではありませんっ!」


答えを己の裡へ求めるかのようにはぐらかすルサ・ルカに対して、
ガラにも無くリースが声を荒げて詰め寄った。


「…お願いしますっ。
 一刻の猶予も無いのですっ、私にルサ・ルカ様のお知恵をお貸しくださいっ!」
「しわがれたモノではあるが、
 年の功には耳を傾けて欲しいものじゃよ、リース・アークウィンド殿。
 先に述べたじゃろう? ヒトの手には叶わぬ、と。
 そなたがヒトである以上、彼の地まで届く手を伸ばす事は不可能じゃ」
「それでは…、それでは、私は諦めるしかないのですか…っ?
 たったひとつ残された、私の大切な………」


憤怒も、哀願も届かないのか。
【光の司祭】から、歴史の生き証人から突きつけられた現実に、
リースは打ちひしがれて崩れ落ちた。


「…そなたは目の前に現れた現実に対して我を忘れるキライがある。
 現実の問題をクリアした先にある未来への手段を模索せず、
 早急に答えを求めようとする悪癖があるようじゃ。
 努々注意されよ、一点のみに絞られた世界は、大切なモノを排斥してゆくぞ」


それは、つい数分前にデュランから投げかけられた注意の反芻に他ならないが、
ルサ・ルカの言葉からリースは一筋の希望を見出していた。


「―――ちょっと待ってくださいっ。
 ルサ・ルカ様の今の口振りでは、チャンスはまだ絶えていないという事ですかっ?」
「ほれ、出たぞ、今しがた注意したばかりの悪癖が。
 まずは落ち着きなされ。
 そうじゃな、折角用意させたハーブティーを飲み干して、心身ともに鎮めるが吉じゃな」


興奮するリースの目の前に、芳しい湯気を上げるティーカップが突き出された。













リースとシャルロットを除くデュランら三人と一匹は、
豪華とは行かないまでも、華やかな調度の施された貴賓室へ通され、
そこで面談が終わるまで待つように指示された。
シャルロットは別件で席を外している。


「あーッ、もーッ、なんなのよ、あンのクソババァッ!
 これ見よがしに人払いなんかしちゃってさッ!
 あたしらはリースの仲間なのよッ! だったら同席する権利があっても当然じゃないッ!
 民主主義の【イシュタリアス】でこの無法行為は何よッ!?
 越権行為でブッ潰してやるわッ、むしろ【サラマンダー】頼みで物理的に破壊してやるわッ!!」


この扱いに対して甲高い声で抗議を漏らすのは、いつもながらにアンジェラだ。
自分の思い通りにならないとヒステリックになるのは彼女の悪癖だが、
次期【アルテナ】王女という矜持が場を弁えない無節操さに拍車をかける。
いつもならここで「うるせぇッ、静かにしてろッ!」と怒鳴りつけるデュランが、
今日に限っては押し黙り、何かを深く考え込んでいる様子だった。


「どうした、師匠、暗い顔? ぽんぽん、痛いの?」
「あ? …そんなんじゃねぇよ」


心配して声をかけるケヴィンにも空返事。
「頭で考えるよりもまず行動」が信条のデュランらしからぬ様子だ。


「若いの、何をけったいな表情(カオ)こさえとんのじゃ?」


気の抜けた様子を見かねたのか、はたまた辛気臭い顔にたまりかねたのか、
犬らしくケヴィンの頭の上でおとなしくしていたカールが、
例の訛りのきつい人語でデュランへ声をかけた。


「………出やがったな、進化論外のバケモノめ」
「犬コロ呼ばわりされるよりもずっともええで。若いの、魔狼の気持ちをよう理解しとる。
 …ええか? 一人で抱え込んでおらんで、周りのモンにブチまけるのも、
 気晴らしにはええもんやで」
「ハッ、俺は別に何も悩んでねぇし、相談なんて…」
「悩みなんて高尚なもんでなくてもええ、
 相談なんて議論めいたもんでなくたってええ。
 ハラん中で、なんやようわからんけどムカムカしてるモン、
 周りの衆に愚痴ってみるだけでも意外とスッキリするもんやで?」
「ケッ、口の回るバケモノなんて聴いた事が無ぇや。
 …別に俺は何も悩んでねぇし、腹ン中に溜め込んでるモンも無ぇよ。
 じきに今度の仕事もアガりだ。まとまったカネだって入る。
 これほど晴れやかな日に何を暗くなる必要があるってんだ…ッ」


老成じみたカールの人生訓をにべも無く遮ったデュランは
もはや聴く耳持たないとソファへ寝転び、ケヴィンたちへ背を向けてしまった。
まるで、図星を突かれた事に不貞腐れた子供のような態度で。


「…ま、ダンマリ決め込むんも、一つの解決法や。
 どちらが心に気持ちええかは、若いの自身で決める事やからな」
「るっせぇよ………」


どこまでも心根を見透かしたカールの人生訓が、
デュランには癇に障って仕方が無かった。


「あんたッ、デュランッ! 特にあんたよ、あんたッ!
 あんた、リースの彼氏のクセして、なんですんなり横暴を許せるわけッ!?
 彼氏だったら彼氏らしく、ズバッと、ビシッと言ってやりなさいよッ!!」
「…誰が、誰の彼氏だって?」
「あんたとリースがカレカノって言ってんのッ!」
「あのなぁ………」


憤懣やるかたないアンジェラが煩わしくて仕方が無いデュランは、
背中を向けたままで声だけを返す。決して顔は見せない。


「俺とリースは、警護の依頼で一時的に結ばれただけの、仕事上の関係なんだよ。
 前に話したのをカンペキに忘れてやがるな、お前」
「…あ、ら? そうなの?」
「リースがルカの婆様んトコロから戻ってきて、今回の報酬を頂戴したらハイソレマデ。
 お前らがこの先もリースへ随いていくのかは知らねぇが、俺はここでオサラバだ」


「オイラは、師匠に、随いてくっ」と元気いっぱいに自己申告するケヴィンの隣で
アンジェラが我意を得たりとしたり顔でウンウン頷き始めた。



「…あー、そー、ふーん、なるほどナットクねぇ〜」
「あぁッ?」
「あんた、さっきから何を不貞腐れてるのかと思えば、
 リースと離れるのが寂しいわけね♪」
「はあッ?」


顔を突き合わせずやり過ごそうと考えていたデュランだが、
さすがにいやらしさ全開のアンジェラに我慢できなくなり、固い意志を覆して振り向いた。
はたしてそこには、底抜けにいやらしい、冷やかすような視線を向けるアンジェラがいた。


「ンもー、男ってどうしてこうも七面倒臭いのかしらねぇ♪
 仕事上の付き合いだから、報酬貰ったらサヨウナラ? かっわいいじゃないの〜♪
 自分からは仕事抜きで協力してやるって言い出せないもんだから、
 そうしてむっつり拗ねちゃってるわけなのねぇ♪」
「―――バッ! 誰が拗ねてんだよッ!
 こっちゃてめえの顔を見なくて済むから晴れがましい気分でいっぱいなのによッ!」
「はいはい、ボクちゃんは噛み付き方も可愛らしいでちゅねぇ〜♪」
「…殺すッ!!!!」


まるでご近所のスキャンダルを掴んだオバちゃんのような小憎らしい笑い声が
デュランの神経を壮絶に逆撫でする。


「…アホやな、あのネンネ。
 わざわざ口に出してもうてどないするっちゅーねん…」
「カール、どうして、師匠、あんなにアンジェラに怒るんだ?」


まだ精神的に幼すぎるケヴィンには、ヒトの心の機微は難しく、
自分よりも達観した頭上のカールへ助けを求めるものの、
言葉少なにニヒルな笑いを返すばかりで明確な回答を与えてはくれなかった。


「ええか、ケヴィン。
 人間っちゅーもんのはな、痛いところを突かれた時、ああして癇癪を起こすもんなんや。
 それが【子供】ならなおさらにな。
 素直になれへん子供ほど、素直になれと言われた時、頑固になってまうねん」
「…? オイラ、よく、わからない」
「もう少し大っきなったら、イヤでもわかるようになるさかいな…」


傭兵として世界各地を旅してきたデュランは、
ちょっとやそっとでは動じない、当てこすりも冷やかしも相手にしない鋼の精神を備えていた。
そのデュランが取り乱して全否定に奮起するのだから、カールの人生訓はあながち誤りでは無いのだろう。






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