「―――【スパークリング】ッ!!」


刃先に1ミリでも触れれば真空に巻き込まれ、弾け飛んでしまいそうな恐るべき旋光の輪舞を
リースの魔法が捕らえて掌握した。
【スパークリング】は本来、暴徒鎮圧用に強烈な瞬間静電気を浴びせる魔法だが、
電力を高めた状態で鉄鋼物へ仕掛ければ、その動きを封じる枷ともなる。
魔法の特性を巧みに使いこなしたリースの勝利かに思われたが、


「愚劣ッ!! 小手先だけで御せると思ったかッ!!」
「…ッ!? そんなっ!」


イーグルの叫びに呼応した【夢霊哭赦】は【スパークリング】の支配を引き千切り、
リース目掛けて逆襲の一撃を付きたてようと輪舞を踊る。
アンジェラもシャルロットも既に散開し、攻防の魔法を詠唱し始めていたが、
精霊召喚に意識を集中していたリースはこの逆襲への反応に一歩出遅れてしまった。
回避も防御も不可能な速度の【夢霊哭赦】は、リースの立っていた直線上を抉り取るも、
彼女の肢体をバラバラにする事は出来なかった。


「くッ…、野郎…、めちゃくちゃじゃねぇか…ッ!!」
「デュランッ!?」


寸でのところでリースを抱きかかえたデュランの横跳びによって、
辛うじて惨死だけは免れたが、被害は相当に甚大だった。
リースの悲痛な叫びに仲間たちが振り返ると、そこには背中から夥しい量の血を流すデュランの苦悶。
百戦錬磨のデュランにも【夢霊哭赦】は回避し切れず、盾にした背筋を削ぎ取られてしまったのだ。


「ここはあたしが引き受けるわッ! シャルはデュランのケガをッ!!」
「ちっ、せわのやけるどんがめでちねっ!」


憑依させていた水の精霊【ウンディーネ】の魔力を癒しの輝きに換えた
シャルロットが【エンパワーメント】を、
アンジェラが十八番の【ファランクス・デュオ】をそれぞれ発動させる―――よりも早く、
イーグルの咆哮が術士たちの詠唱を掻き消した。


「砂塵の鎖に応えよッ、旋光の輪舞ッ!!」


デュランの鮮血で赤黒く染まった【夢霊哭赦】が、
走り抜けた軌跡をイーグルの叫びを合図に逆流し始めた。
物理法則に反する軌道で反転するだけでなく、
散開した術士二人のちょうど中間で停止するや否や旋回中の刃を射出、
変則的な攻撃でシャルロットとアンジェラを激しく打ちのめした。
ワイヤーで束ねられた四つの刃が再び一対の手裏剣に収められた時には、
詠唱どころか、安否を気遣う仲間たちの悲鳴にも答えられない重傷を受け、
その場に倒れこんでしまっていた。
即死にこそ至らなかったが、デュラン同様の致命傷に違いは無い。


「キッ…サマぁぁぁッ!!」
「短慮はアカンで、ケヴィンッ!!」


次々と倒されていく仲間の姿に怒り心頭のケヴィンが、
手元へ【夢霊哭赦】を手繰り寄せたイーグルへ怒涛のラッシュを叩き込む。
デュランとの一騎打ちの折にも見せた【ジャイロジェット・バルカン・ティーガー】だ。


「手数で優劣を決しようと目論むか、………面白い」
「―――ッ!! やべぇッ!! 避けろ、犬ッコロコンビッ!!」


視覚で捉えきれないほど凄まじい拳の嵐を一笑に伏されたケヴィンの表情が
侮辱の怒りから絶望の驚愕へ豹変するには一秒も要さなかった。
再び四方へ飛び散った【夢霊哭赦】の刃が、
怒涛のラッシュをも、獣人の身体能力をも遥かに上回る速度と手数で
ケヴィンの全身をズタズタに切り刻み、ホークアイの叫びは闇刃に費えた。
しかも、精密な乱撃はケヴィンだけでなくカールも巻き込んでおり、
一行にとっての切り札は切られる前に破り捨てられてしまった。


「…地獄の責め苦にも勝る心痛だろう、ホークアイ。
 貴様に手を差し伸べ、奮い立たせた者たちが、
 一人、また一人と血のため池へ沈んでいくのだ。
 …なにも知らずにいれば、命を永らえたろうにな」
「………クッ………!」


イーグルの言う通り、敵として立ちはだかった自分へ手を差し伸べ、
共に立ち向かってくれたデュランたちは、圧倒的な力の前に次々と倒され、残るは自分を含めた二人。
神速の蹂躙に対し、自分のために戦ってくれるかつての敵を庇う事も叶わず、
天地の差ほど歴然なイーグルとの力量の違いに歯噛みする事しかできない。
身を刻まれるよりも深い痛手がホークアイを打ちのめした。


「―――よくもデュランをッ、みんなをッ!!」


血のため池を踏み越えてイーグルへ飛び込んだリースの【ピナカ】が
突きを、横薙ぎを、柄で叩きつける打撃の流麗な連携を繰り出す。
しかし、怒りに心が揺れ動いているために技の切れが多分に鈍ってしまい、
一撃たりともイーグルの身をかする事は無かった。


「くらえ………【スラスティングジョスト】ッ!!」
「だが、微力………ッ!」


一歩引いたのち、即座に全身のバネというバネを全開にした一文字突きで
イーグルの眉間を貫こうと全力を込めるリースの健闘も、
鉄壁の盾に換えた【夢霊哭赦】があえなく弾き上げ、
追撃の旋回が“喪服”へ鮮血のペイントを施される結果に終わってしまった。
【ピナカ】を放り出し、前のめりに倒れこむリース。
リースだけではない。
デュランも、シャルロットも…ホークアイを除く五人と一匹は瞬く間に破れ、
死屍累々を築く悪夢が【ウェンデル】の街角へ舞い降りた。


「…心優しき彼の犬死への懺悔は済んだか…ホークアイ…」


土気色に染まっていく目の前の者たちへ何の感情も抱かず、
苦悶するケヴィンやリースを踏み越えたイーグルがホークアイへ執行の刃を向けた。
このままでは彼らを本当に犬死にさせてしまう。
そうさせないためにも、明日を切り開くためにも立ち向かい、突破するしかない。
しかし、動物的本能か。
圧倒的なイーグルの戦闘力を前にしたホークアイは
抗戦の一歩を踏み出せず、ビルとベンの悲痛な叫びも耳に届かず、
蛇に睨まれた蛙のように呆然と立ち尽くすばかりだった。


「今は安らかに終われ…。
 そして、地獄の炎に焼かれてなお、後悔と絶望に焦がれよ…ッ!
 ………仇敵(とも)よ………ッ!!」
「誰に断ってあの世について説法しているのかねぇ、このヤサ男は」


いつの間にやって来たのか、いつの間にバックを取ったのか。
声に気付いた時には、イーグルの背後へ【光の司祭】ルサ・ルカが仁王立ちしていた。


「な―――ッ!?」


気配すら感じ取れなかったルサ・ルカにイーグルが振り向くよりも早く、
【光の司祭】の諸手に宿った精霊の魔力が光烈し、
死を撒き散らす【夢霊哭赦】の兇刃もろともサンドベージュの幻影を
一瞬にして消失させてしまった。














戦い終わって夕焼けが西へ果てようとする頃、死地をルサ・ルカによって救われた一行は、
ひとまず【パルテノン】へ引き上げ、そこで神官らの治療を受けていた。
治療はもっぱら【エンパワーメント】を用いて行われるのだが、
あまりに痛烈な深手は魔力だけでは完治し切れない。
手厚い治療でなんとか致死の危険から回復こそできたものの、
デュランらは全身の至る箇所へ包帯や絆創膏を施されていた。
激戦の勲章と誇るには、あまりに痛ましい。


「すまぬ、わしとした事が暴威を察知するのが遅れてしまった」
「かんじんなときに、いっつもぎっくりごしぎみなんでちよ、うちのくそばばぁは。
 いいかげん、ずっころしりすとにらんくいんでちね」


助けてもらっておいて心無いシャルロットの罵詈雑言も
ルサ・ルカの耳には安堵の音色に響く。
あともう少し発見が遅れていれば、この喧しい孫娘の軽口も永遠に失われていたからだ。


「あの…あいつは、イーグルは…」
「安心せい。今のは【アポート(瞬翔の縮地行)】の魔法。
 ここより遠き遠くへ強制移動させただけで死んではおらぬよ。
 あの場にて昇天させてしまっては、こやつらの負傷が無駄になるじゃろう?」
「そう…ですか…」


ホークアイが切り開く明日へ望んだのは、幼馴染みの少女の回復だけではない。
イーグルの、盟友(とも)の誤解を解く事も含まれている。
そのイーグルを昇天させてしまっては、
ホークアイの【意志】に共鳴したデュランらの【意気】に泥を塗ることになる。


「あのサンドベージュの男…【ナバール魁盗団】のイーグルだろ?
 噂には聴いた事があったが、まさか、まるで歯が立たねぇとはな…」
「イーグルは俺らの中でも突出してるからな。
 ガチでやり合って、こうして命があるのが信じられないくらいだよ」


羅刹の如き壮烈さで猛襲したイーグルを思い起こすと、
百戦錬磨のデュランですら身震いが走る。
強くなる事を目的に武者修行へ打ち込むデュランは、
戦いに敗北すれば悔しさに心を弾けさせ、苛烈な性情へ拍車がかかるのが常なのだが、
今回の惨敗は、打ちひしがれる敗北感よりも、生き残った安堵が先立ち、大きい。
それほど、イーグルの猛襲は凄まじかったのだ。


「ちょっと待ちなさいよ…、
 それじゃ、なに? あんたら、【ナバール魁盗団】の一味なわけ?」
「今更何を驚いてんすか、アンジェラ姐さ―――あッ!!!!」


お互いの顔を見合わせて唖然となるアンジェラとビル。
先刻から会話に登場してきている【ナバール魁盗団】とは、
【イシュタリアス】南端へ広がる砂漠地帯を拠点に世界中を荒らしまわる盗賊団だ。
その実態は【アルテナ】とその属国の富裕層をカモに狙い、
最低限の収入以外は第三者たる民衆へ還元する義賊集団で、
標的にはもちろん【アルテナ】王家もその例外に漏れない。


「なによ、なによ、なんなのよッ!!
 あんたら、ホントのホントに敵じゃないのッ!! 社会のダニじゃないのッ!!
 あーッ、もーッ!!!! 助けて損したッ! 助けて損したァッ!!」
「お前らが悪どい事してなきゃ狙われねぇだろ。
 実際、盗賊団の中には諜報活動で社会貢献してる連中だっているじゃねぇか」
「【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】も、何度も、お世話、なってる」
「…オ兄サン、あんた、なかなかあげまん上手じゃないのっ♪」
「オウさッ!」


デュランはそうしてフォローを入れるが、
相手は【アルテナ】にとって目の上のタンコブだ。
実質的に被害に遭い、にくいあんちくしょうッ! と憤怒の極みにあるアンジェラは、
デュランのフォローに浮かれ喜ぶ【魁盗団】三人組をモグラ叩きの要領で張り倒した。


「アンジェラさんと遊ばれるのは、元気な証拠で何よりですが、
 これからどうするんですか?」
「さ〜てね…こっちが聴きたいくらいだよ。
 誘拐するよう言われてたあんたらに助けられ、あまつさえ手を組む形になっちまった。
 ここまで恩を頂戴しちゃった以上、俺らもあんたらを狙えないし、
 あの女…クライアントもその辺りは理解してるだろうな。
 …早い話が、イチから出直し、さ」
「一から出直しじゃありませんよ。
 私たちは、こうして出会ったじゃないですか」
「一より、ずっと、ずっと、先に、いる。
 オイラたち、力、合わせれば、きっと大切な人、助けられる」


自嘲気味に苦笑するホークアイへ、リースとケヴィンの二人が微笑みかけた。
大輪の希望を思わせる、温かな笑顔で。


「なに言ってんだよ…あんたら、やる事があるんだろ?
 なのに、俺なんかのためにこれ以上………」
「…【マナストーン】」
「え?」
「あたしたちがこれから探すお宝の名前よ。
 なんでも、ヒトも精霊も超えた、【女神】に等しい魔力を秘めた代物らしいわ」


逸る思いに言葉が足りないリースらの説明を、
そっぽを向いたままでアンジェラが継ぐ。

「そんなとんでもないお宝なら、あんたのオサナナジミとやらも、
 きっとたちどころに全快全開よ」
「そっ、それ、まじなのかッ!?」
「向かう先が同じなら、交わる始発点は、今、ここにあると思います」


神にも届く【マナストーン】ならば、
指向される魔力のベクトルは一定では無い筈だし、応用力とて自在に操作できるだろう。
アンジェラの分析通りに事が運ぶなら、ホークアイの向かう先も【マナストーン】に他ならない。
ならばいっそ、このまま手を組むのも最良の一手だ。


「ちょーど一人、欠員が空くコトだしぃ? タイミングとしては絶好よぉ?」
「けッ…、皮肉垂れやがって…」


『仕事上の関係』である自分を暗に指した
アンジェラの当てこすりには荒い鼻息で返せたデュランも、
シャルロットが、ケヴィンが、カールが一斉に浴びせてくる視線には敵わなかった。


「ここでおりるなんて、かいしょうなしでちよ、ほんまもんの」
「師匠………」
「若いの、根性見せるんが漢の生き様とちゃうんか?」
「だーッ!! そんな目で見るんじゃねぇッ!!」


加えて、ありったけの哀願を込めた瞳でリースに見つめられては一たまりも無い。
責めるような、急かすような視線を蹴散らそうと、すぐさまデュランは噴火を起こした。


「あのな、アンジェラのヤツは先走ってあんな事言ってやがるけどな、
 俺はあんたに最後まで付き合うつもりだったんだよッ!」
「ほ、本当…ですか?」
「形式的には仕事上の関係だから、今後は契約ナシで手ぇ貸してやるって、
 タイミングを見て切り出そうと思ってたのに、
 それをこいつが勝手に………」
「なによあんた、それであんな悶々とやってたわけ?
 あたしの言う事、図星だったからあんなに拗ねちゃってたわけね?
 …あ〜らあら♪ ホントにかわい〜じゃないのぉ♪」
「〜〜〜うるせぇやいッ!!」


人一倍素直でない人間なので、こうしてはっきり口に出すのは相当に照れくさいのだろう。
アンジェラの冷やかしを受けるデュランの顔は熱された鉄より真っ赤だ。


「―――まあ、そういうわけで、な。
 “あんた”を護衛する【仕事】はここまで。
 “お前”と一緒に戦う【意志】はここから。
 …これからも一つよろしく頼むぜ、リース」


「あんたを気に入っている」と口にした瞬間から胸にあった【意志】。
タイミングを逃して伝えられずにいたが、ようやくここに表明する事ができた。
依頼主として“あんた”と呼んでいたリースを、共に戦う仲間として“お前”に換えて、
新たな絆を結ぼうと右手を差し出すデュラン。


「―――デュランっ!!」
「…って、おいッ!?」


男所帯で暮らしてきたデュランにとって友情を形に表すのは握手だが、
感極まったリースは差し出された右手を飛び越え、彼の懐へ抱きついた。
女性に対して免疫の皆無なデュランは、思いもかけないリースの行動に驚き、
けれどどうして良いものかもわからず、なされるがままに呆然と硬直するばかりで、
最大限に紅潮した耳には、周りの冷やかしも既に入っていない。


「ありがとうございます、ありがとうございますっ!
 デュランがいてくれれば、私、怖いもの無しですっ!」
「わかった、それはわかったから、とりあえず離れろッ!!」
「なに言ってんのよ、役得を無碍にするなんて男じゃないわよ!?」
「やるときゃやるでちね、リースしゃんもっ!
 おーけー、おーけー! そのままおしたおして、きせいじじつをばっちごーでちよっ!」
「ケヴィン、お前はあんまり見たらアカンで? …子供には目に毒や…」
「? よくわかんないけど、カールが言うなら、わかった、目、つむってる」
「なになに? アヤシいとはニラんでたけど、あの二人、そーゆー関係なわけ?
 ちきしょ〜、リースちゃん、けっこ好みだったから、まじ悔しいんだけどな〜」
「あ、兄ィ…、なんでしたら、その、…俺でも………」
「オウさッ!!!!」


静かの夜を迎える夕暮れにしては、あまりに賑やかな大騒ぎ。
果てる今日を明日に繋ぎ、そのまた未来を切り開いていく【若者たち】ならではの喧騒。
ここに集った仲間、ここに結ばれた絆を喜ぶ声は、
いつまでも、いつまでも収まる事は無かった。


「………やれやれ。
 【終わりの始まり】にしては、いささかキャピキャピし過ぎておるが、
 ま、未来を築きゆく若い衆の心意気は、これくらいが心地よいのかも知れんな」


いつまでも落日しない若者たちの夕焼けと、
西の空へ沈みゆく現実の夕焼けの両方を見渡しながら、
ルサ・ルカが誰にも聴こえないような小さな呟きを漏らした。






――――――【終わりの始まり】。






この呟きの意味するところを、若者たちはまだ知る術も無いが、
確かなのは、今日ここに結ばれた絆が世界の【偽り】を塗り替えていく事。
そして、この出逢いが全ての物語の幕を開くという事。


「頼むからッ、お願いだからッ、もう離れてくれ…っ!」
「いやですっ、離しませんっ!」
「………カンベンしてくれぇ………」


―――待ち受ける運命を想像もできず、今ある希望に心を躍らせる若者たちの本当の戦いが、
彼ら自身もうかがい知らない次元にて、始まりの時を迎えた。






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