【黄昏の火山】…正式には【ブッカ】という名称の無人島へ漕ぎ出した小船は、
これで本当に航海が可能なのか、誰もが疑問に思わずにはいられない程にオンボロで、
大波が甲板を揺らそうものなら生きた心地がしなかった。


「どうです皆さん、快適にゃ船旅は?」
「どこが快適なんだ、どこがッ!! お前、ニキータッ!!
 ちゃんとアシも渡しといたってのにケチりやがったなッ!?」
「し、仕方にゃかったんですってッ!! 急な」
「二等クラスの帆船を手配できるくらいのアシ渡しただろ、俺はッ!!
 着服か、こら、ネコババかッ!? 帆船とオンボロボートの差分を返しやがれッ!!」
「一度収めたお金には、にゃにがあってもケチをつけにゃいのが
 オイラたちの暗黙のルールじゃにゃいですかッ!!」
「うっせぇッ!! 」
「うっさいのはアンタら二人でしょうが!
 ただでさえ安定しないんだから動き回らないでよっ!!」


【マイア】に常駐し、船舶を手配してくれた商売仲間である半猫の獣人、ニキータと
すったもんだを繰り広げるホークアイのせいで船の揺れは三倍増し。
今にも転覆しそうな危険性にアンジェラは悲鳴を上げ、
こんな時、真っ先に怒鳴って鎮めそうなデュランは見事に船酔いして甲板へ突っ伏したままだ。


「………………………」


身の回りの荷物一式を詰め込んだズタ袋を枕に低く呻くデュランを
少し離れたところからリースが心配そうに見つめているが、
見つめるばかりで、声をかける事も、介抱する事もできずにいた。
呻く彼に踏み出そうとすれば、昨日の出来事と頬の痛みが疼き、全ての行動を凍結させるのだ。


「師匠、お加減、大丈夫?」


リースに代わって声をかけるケヴィンに、デュランは片手を挙げて答えるが、
蚊の鳴くような声すら出せず、顔面は恐ろしい程に蒼白だ。


「もともとへちゃもくれてたかっこうがよけいぶざまになったもんでちねぇ。
 ふなよいでぐろっきーのデュランしゃんも、ばかふたりにおはらだちのアンジェラしゃんもあんしんするでち。
 もくてきちはすぐそこでちよ」


すったもんだとそれを窘めるグループにも、船酔いとそれ心配するグループと
どちらにも属さず船首で航路を確認していたシャルロットが振り返って
【黄昏の火山】への到着を告げた。


「あれが…【黄昏の火山】………」


ケヴィンに支えられてようやく上体を起こしたデュランは、
草木も見当たらない荒涼な孤島の真ん中へ悠然と聳える火山を、
目前まで押し迫った目的地を見据えて、短くそれだけ搾り出した。













丸々一日を費やした船旅で疲弊していたのはデュランだけではない。
底抜けの体力を備えたケヴィン以外は皆、船を下りた瞬間にぐったりとへたり込んでしまい、
到着する頃には既に夕暮れ。
この日は無理に火山を探索せず、出発を翌朝へ順延して野宿する事に決まった。
体調が不完全のままモンスターにでも襲撃されれば、戦力のまとまったこのパーティとてひとたまりも無い。


「―――ったく、あのネコまため…! 無事に【マイア】まで帰ったら、
 最低三十回はシメてやる…!」


「それじゃ明日あたりまた迎えに来るですにゃ!」と言い残し、
早々に火山島からトンボ帰りにしたニキータへの恨みつらみを
ホークアイはニンジン、ジャガイモ、玉ねぎへありったけぶつけていた。
夕食の献立はクリームシチュー。
よほど気に入ったのか、アンジェラはデュランのカレーをリクエストしたが、
疲弊した身体には刺激の強いスパイシーな料理よりも、
胃に優しいシチューの方が望ましいとホークアイが押し切ったのだ。
まず第一に、ダントツで体調不良な現在のデュランは使い物にならない。


「はあー…、ホークアイさんもお料理、お上手なんですね………」


次から次へと一人で器用に食材を捌いていくホークアイの手際を
飽きる事なくリースがじっと眺めていた。
デュランの調理は、どちらかと言えば大雑把で、『これぞ男の料理』という趣き漂う物。
カレーで例えるなら、具の大きさは一定せずにバラバラ、
煮込めばとろける程小さいニンジンから、いくら煮込んでも火の通り切らないジャガイモまで、
ある意味においてバラエティに富んでいた。
ホークアイの調理はそれとはまるで正反対。
食材の大きさはキレイに揃えられ、味付けにしても、絶品ながらも大味なデュランと異なり、
絶妙に舌を躍らせる、隠し味の利いた繊細な物。
デュランが大衆食堂風とするなら、ホークアイは三ツ星レストランのシェフさながらの腕前だった。


「リースちゃんだって、アンジェラちゃんだって、これくらいできるっしょ?
 女の子の三種のスキルは料理だってよく聞くしさ」
「期待するだけ無駄だぜ、ホーク。ウチの女性陣に三種のスキルとやらを求めるのは」
「アンタはホント、いちいち失礼しちゃうわねっ!」
「俺は事実を述べてるまでだぜ? 反撃するなら、料理の腕でやり返してこいよ?」
「ぬぐぐぐぐぐ〜…、アンタ、いつか社会的に目に物見せてやるから覚悟しときなさいよ!」


出来上がったクリームシチューの美味しさに感心する女性陣をホークアイがおだてるものの、
スプーンを銜えたまま皮肉を垂れるデュランにしてみれば、
そのおだて文句は、現実を知らない人間の虚しさにしか聴こえなかった。


「はっ、なにがおんなのこのさんしゅのすきるでちか。
 どーせおんなをしらないちぇりーぼーいどもの、じこまんぞくまるだしのりそうぞうじゃないんでちか?
 おとこにとってじゅうじゅんでつごうのいいおんななんて、このよにゃそんざいしないでち。
 かりにいるとすれば、それ、きゃらつくってるだけでちよ。たいじんじらいでち。
 あさはかなゆうわくにつられてじらいげんにあしをふみいれて、いっしょうをぼうにふるがいいわ、このちぇりーどもが!」
「えらいまあ長々とミもフタも無い事ご高説いただいてアリガトですよ、シャル師範」
「…誰も女に従順さなんか求めてねぇっつーの」
「? チェリーって、あの果物の? …チェリーと女の子、なんの関係、あるの?」
「………お前さんにはちょう早い話題や、ケヴィン。聞き流しとけ」


身も世も無いシャルロットに男性陣は各々異なる反応を見せる。
特にデュランは、身の回りに『男にとって都合の良い女』とやらにこれまでの人生で遭遇した事が無いらしく、
露骨に鼻で嘲笑った。


「ちなみに、女の子の三種のスキルって、何があるのよ?」
「『料理』、『編み物』、『お掃除』…だったけ。いわゆる家事全般ってヤツだね」
「きもッ! まさしくちぇりーのえごじゃないでちかっ!」
「あちゃー…、あたし掃除くらいしか出来ないわよ…」
「へぇ、意外だな。
 アンジェラが綺麗好きとは思わなかったぜ」
「あたしほど潔癖症も珍しいわよ?
 邪魔な(人間の)ゴミは即座に【ファランクス】で一網打尽に………」
「それは『お掃除』とは言わねーよッ!!!!」
「リースは、編み物とか、できるの?」
「えっと、お料理以外でしたら、なんとか………。
 あっ! それじゃ今度、ケヴィンさんに何か編んであげますねっ!
 何がいいですかっ? ニットの帽子も似合いそうですね! それとも毛糸のパンツとかっ?」
「………鼻血、また出とるで………」
「俺は手袋までなら編めるんじゃねぇかな」
「なんでアンタが編み物できんのよ、デュランッ!?」
「いや、なんでって言われても………」
「うへぇー、意外と少女趣味なのな、お前。
 もしかしてマイ・ソーイングセットとか持ち歩いてる派?」
「あんたしゃんができるおとこをきどってもきしょいだけでち」
「随分好き放題言ってくれんじゃねぇか、てめえらッ!!
 まじで一辺地獄見せンぞ、コラァッ!?」
「しょうじょしゅみのやんきーにすごまれてもぜんぜんこわくないでち。
 むしろきもさがばいりつどん! さらにばいでち」


モンスターすら棲息できない荒涼な大地の上で催されたささやかな宴は
夜が更けるまで盛り上がった。













あらかじめ野宿の前に周囲の様子を窺ってみたものの、火山の外周へモンスターが棲息する形跡は無く、
過敏に警戒する必要は薄いのだが、不測の事態が起こらないとも言い切れない。
火の番は二時間おきに二人ずつ行う交代制の形で行う事になった。
現在の当番はリースとアンジェラ。他の仲間たちはぐっすりと寝入っている。
さんざん好き放題に言われて拗ねてしまったデュランは、不貞腐れたように毛布を被っていた。


「…なんだか浮かない顔してるわね、リース」
「―――ふえっ?」


ボーッと焚き火の揺らめきを眺めていたリースは、
不意にかけられたアンジェラの言葉に間の抜けた驚き声を上げてしまった。


「やっぱり何か思うところがあるみたいね。
 あんまりボケーッとしてるから、なにか心配事でも抱えてるんじゃないかなって」
「………………………」
「―――デュランの事、でしょ?」
「ふええっ!?」


リースが抱える悩みなど手に取るようにわかるアンジェラは、
相談しようかしまいか迷うリースへ吐け口を示唆してやった。
ともすれば余計なお世話にも見えるが、こうでもしなければずっとリースは悶々と悩み続けていただろう。
内向的なリースとは正反対の、外向的なアンジェラならではの心配りだった。


「他の連中はみんな疲れて寝入ちゃってるから、
 安心して吐き出しちゃっていいわよ、悩み事。
 あたしでよければいくらでも受け止めるわ」
「………………………はい」


それから少しずつ、デュランに対して抱く蟠りについて、リースが独白し始めた。
仕事上の契約でしか無かったのに、今では仕事を抜きにして旅に同道してくれている事への感謝、
それなのにいつも迷惑ばかりかけている事への後悔、…頬をぶたれた叱責に残る痛み。


『『だったらどうしろ』―――だとッ!?
 そんな台詞が出てくる時点でな、
 手前ェのした事、きちんと反省できてねぇ証拠なんだよッ!!』


どうすれば良いのか、何がチームへの償いとなるのかわからなくなって爆発した時、
デュランはそう言ってリースの頬を平手で打ったのだ。
『だったらどうすればいいのか』―――デュランから突きつけられた問いに対し、
いまだにリースは答える言葉を見つけられずにいた。
それが、蟠りの根本だった。


「…私はあの時、どうすればよかったのでしょうか…。
 どうすればデュランの望む答えを提示できたのでしょうか…」
「多分、デュランはそんなの望んでないと思うわよ?」
「え…っ?」
「さっき言ってたじゃない、『誰も女に従順さなんか求めてない』って。
 デュランはね、きっと、自分の予測する答えが
 リースから返ってこなかったのに怒ったんじゃなくて、
 リースがどうしていいのかわからないって、
 自分で悩む事、全部終わりにしちゃったから怒ったんだと思うわ」
「悩む事………」
「もちろん単独行動でチームを乱した事が許せないって気持ちもあったと思うけど、
 一番はそこじゃないかな。
 どんなに子供っぽい意見でも、どんなに自分勝手な意見でも、
 きちんとリースが自分なりの答えを返していたら、必ず受け止めてくれてたと思うわよ」
「………………………」
「なのにあの時、リースは自分で悩む事をやめて、デュランに答えを求めちゃったじゃない。
 『どうすればいい』って。だから本気で怒ったのよ、あいつ」


アンジェラの言う事は一つ一つが正しかった。
仕事を抜きにして同道すると公言して以来、デュランはリースに対して厳しい態度を取るようになった。
それは、依頼主でなく、肩を並べる仲間としてリースを認めたからに他ならない。
失敗の責任を放棄すれば、それを叱正するのは誰か? 肩を並べる仲間だ。
間違いを犯せば、殴ってでも立ち直らせてくれる、それが仲間という物だ。
一人前の仲間としてリースを認めているからこそ、
勝手な振る舞いでチームに迷惑をかけた事をデュランは激しく叱り、
自分で考え、悩む事を放棄してしまったリースを叩いたのだ。


「………………………」
「…すぐになんて答えは出ないだろうけどさ、
 これから見つけていけばいいじゃん、答え。
 そしたらアイツ、きっと喜んでくれるよ?」
「………はい」


恥ずかしくて仕方が無かった。
そこまでデュランが自分を心配してくれているなど、アンジェラに言われるまで気付かなかった。
これまでの言葉は全てアンジェラの推測だが、おそらく正解だろう。
デュランとはそういう青年なのだ。短いながらも旅を共にしてきたリースには痛いほど理解できた。


「―――ックションッ!!」


その時、夢の中まで噂は侵食しているのか、毛布にくるまったデュランが盛大なくしゃみをした。





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