2.お気楽極楽


 ハンガイ・オルスを発ったアルフレッドたちは、道中さしたる危難に遭遇することなく、佐志まで無事に帰り着いた。
 出立に際して、ビッグハウスへ戻るマイクたち一行とは別れている。
最初、マイクは佐志まで随いていくつもりだったのだが、彼に代わってビッグハウスを取り仕切る人々がそれを許さない。
電話越しに妻から大変な剣幕で怒られ、ダメ押しでシェインにまで「帰ったほうが良いって」と注意されたマイクは、
不承不承ながら帰路に着いたのである。
 それでも別れ際まで渋っており、フツノミタマに蹴り出されなかったら本当に佐志まで随いてきたかも知れない。
 子どものように駄々を捏ねる冒険王を目の当たりにしたシュガーレイは、「呆れて物が言えん」と鼻を鳴らしたものだ。
ハンガイ・オルスではマイクと手合わせもしている。底知れない実力を認めた相手だけに、
落差に対する呆れも強いのであろう。
 そのマイクにも羨ましがられたのだが、シュガーレイとパトリオット猟班のメンバーは佐志まで同道していた。
彼らは独力ではギルガメシュと戦うことも出来ないような寒村の要請に応じ、警護の任務へ就くことになっている。
赴任の準備を佐志で行ってはどうかと言う守孝の招きを承諾したのだ。
 守孝は佐志をパトリオット猟班の拠点に据えることも提案した。
仲間の仇を討つべくスカッド・フリーダムから離脱したシュガーレイたちは、タイガーバズーカへ帰ることも叶わない。
守孝の申し出は幸いであったと言えよう。誰からも反対の声は上がらなかった。
 任地へ赴くまで僅かに猶予のあるジャーメインやジェイソンは特に助かったらしく、
船旅の最中、佐志の名物に舌鼓を打ちたいと暢気なことばかり繰り返していた。
 ジャーメインは佐志伝統の着物である浴衣にも興味津々で、守孝から染料や材質などを詳しく教わっていた。
 これに対抗意識を燃やしたのがマリスである。別にジャーメインはアルフレッドに披露したかったわけではない。
ところが、マリスは色仕掛けが目的と曲解し、最高級の浴衣を急いで取り寄せるようタスクに向かって叫ぶ有様だった。
 その後、タスクから説教を受けたのは言うまでもあるまい。
 叱声に項垂れたマリスの脇では飾り気のないミルドレッド相手にルディアが流行りの化粧を吹き込み、
アルフレッドとシュガーレイが煙草の銘柄について熱心に語らうなど、佐志を目指す船中は和やかであった。


 留守を預かっていた源八郎は、出発前より賑やかになって帰ってきた一行を大笑いで出迎えたが、それも一瞬のこと。
土産話に花を咲かせていられるような余裕はなく、直ちに村役場にて会議が始まった。
 一行がハンガイ・オルスへ赴いている間にマユとスカッド・フリーダムが佐志を訪れ、
難民支援に対する連携を申し入れてきたのだ。まずはこの件について話し合わねばならなかった。
 当然ながら、両者は既に出発している。おそらく同様の提携を各町村へ打診して回っているのだろう。
自分たちが身を置く連合軍の外では大きな動きが起こりつつある。これに対してアルフレッドは最大限の注意を払っていた。
 スカッド・フリーダムはAのエンディニオンに所在するロンギヌス社と同盟し、
更にそのロンギヌス社はBのエンディニオン史上最低最悪と忌まれる企業、『ピーチ・コングロマリット』と業務提携を結んだ。
これを由々しき事態と見ないわけにはいかなかった。
 三者の結託によってBのエンディニオンの土地が買収されると言った話も現実に進んでいる。
 悪名高いピーチ・コングロマリットだろうが、得体の知れないロンギヌス社だろうが、
正義の戦士たるスカッド・フリーダムが後ろ盾となれば、人々の警戒も薄まると言う算段――否、計略であろう。
 難民支援は望むところだが、さりとて侵略めいた行為を許してはおけなかった。

「……ライアン君の見方は少し穿ち過ぎじゃないか? それに一方的だ。
私も話し合いには立ち会ったが、少なくともスカッド・フリーダムの使者に悪意があるようには見えなかったよ」
「俺だってスカッド・フリーダムに問題があるとは言っていない。その背後にいるロンギヌス社が危ないと言っているんだ。
連中の不気味さはフィーが目の当たりにしている。アッシュ、あんたも良く知るあのフィーだ」
「正直、ロンギヌスと言う会社のことは分からない。でも、スカッド・フリーダムが認めたからには信じても良いのではないか? 
それはマユ・ルナゲイトも同じことだ。ルナゲイトの会長が居るからと言うわけじゃないが、熱意は本物だったように思えるよ」

 会議の席にてスカッド・フリーダムやロンギヌス社を支持したのは、
発掘調査などを請け負う『ウィリアムスン・オーダー』なる土木業者の女社長、アシュレイ・ウィリアムスン・レイフェルだった。
 彼女はアルフレッドたちが不在としている間に佐志へ入ってきた新たな疎開者である。
 もとはグリーニャの隣町、シェルクザールの住民であったが、ギルガメシュの侵攻によって住むべき町を滅ぼされ、
他の生き残りと共に佐志へ辿り着いたのだ。疲弊の極みに達していた彼女たちは、
最早、グリーニャの縁故に頼らざるを得なかったのである。
 その風聞を聞きつけ、ウィリアムスン・オーダーの力を眠らせるのは惜しいとしてやって来たのがマユと言うわけだ。
 新聞女王との提携はまだ良い。ルナゲイト家とは長い付き合いであり、何よりも会長のジョゼフが佐志を拠点として
ギルガメシュとの戦いに挑んでいる。更に付け加えるならば、マユからウィリアムスン・オーダーに打診された事業は、
戦火によって傷付いたエンディニオンの復興なのだ。至極真っ当な土木事業である。
 この場に於ける問題は先刻のアシュレイの発言に集約されていると言えよう。
義の戦士の看板に基づく無条件の信用こそアルフレッドの最大の懸念事項であった。
 アルフレッドはアシュレイとも旧知であり、目上の彼女を「アッシュ」とニックネームで呼べるほど親しい。
ライアン電機の常客でもあった為、その人となりは熟知しているのだ。
 家族を愛し、社員を愛する善良な人間である。それだけにスカッド・フリーダムのことを疑おうとはしないのだ。
自分たちの身を守ってくれる義の戦士を邪な企みの手先などと、どうして想像出来るだろうか――
それが善良な市民に備わった“常識的な判断”であり、アルフレッドとは根本的に異なる部分でもある。

「断言するのは早計だ。例え難民の居住区を確保するのが狙いであっても、……いや、どんな理由があろうとも、
騙まし討ちのように土地を掠め取る輩は信じるに足りない。
スカッド・フリーダムが詐欺の片棒を担がされた可能性も否定し切れない」
「だからと言って、頭ごなしに悪者扱いするのはどうかと思うよ。そう言うのはキミが一番嫌うことじゃなかったかい?」
「悪いな、アッシュ――俺たちはテムグ・テングリ群狼領を主将に仰いだ連合軍なんだ。
その力が削がれるような事態を見過ごせると思うか? ロンギヌス社は他人の土地を貪り食っているだけに過ぎない」
「ラ、ライアン君……っ!」
「いずれフィーも合流する。あいつが買収の現場で見聞きしてきたことを確かめよう。そして、徹底的に事実関係を洗い出す」

 あくまでも厳しい姿勢を崩さないアルフレッドにアシュレイは酷く当惑している。
 会議に入る前後、アルフレッドにはシェルクザールとの再会と言う劇的な一幕が待っていた。
それにも関わらず、古くから付き合いのある旧友と互いの無事を喜ぶよりも、戦災を慰め合うよりも、
彼は状況の確認を優先させたのである。
 ……ギルガメシュとの戦争に勝つ為に、だ。

「悪いが、今は一刻一秒を争う。馴れ合いをしている場合ではない。久闊を叙すのは、全てを終わらせてからだ」

 この一言を浴びせられた瞬間、アシュレイの背筋を冷たい戦慄が走り抜けた。
再会の場に居合わせたカッツェやルノアリーナから窘められようとも思い直すことはなく、
我先にと会議室へ向かっていく後姿にも恐怖の念を覚えていた。
 アシュレイは軍師としてのアルフレッドを知らない。「これこそが本来の姿だ」と記憶が訴えるのは、
真摯に働くグリーニャの青年である。故郷と親友を失い、復讐鬼と化していた頃の貌(かお)など知る由もない。
 それ故にアルフレッドとの間に深い溝を感じ、ときに怖気で打ちのめされてしまうのだ。

「何もスカッド・フリーダムと手を切ろうと言っているわけじゃない。……こっちにはタイガーバズーカの出身者も多いからな。
暫くは協力体制を続けよう。泳がせている間にロンギヌス社の真意を調べ上げる。ヒュー、出来るか?」
「別のエンディニオンの企業相手だから限界もあるが――片っ端から情報屋に当たってみるぜ。セフィ、おめーも付き合えよ」
「構いませんとも。腕が鳴りますねぇ」
「分かる範囲で構わない。ラスもヒューたちのサポートを頼む」
「声を掛けてくれて嬉しいよ。ロンギヌス絡みでちょっとしたツテがあるんだ。きっと力になれると思うぜ!」
「シュガーレイ、あんたにも話を訊きたい。スカッド・フリーダムの内情を出来る限り詳しく教えてくれ」
「何それ、あたしたちにケンカ売ってんの!? 一番イタいとこなんだけどっ!?」
「割って入るな、ジャーメイン。俺はシュガーレイに頼んでいるんだ」
「これこれ、ワシに活躍の場を与えんつもりか、アル? 年長者の顔は立てるものじゃぞ?」
「痛み入ります、ご老公。では、ピーチ・コングロマリットに探りを入れて頂けませんか?」
「かっかっか――そう来ると思うてな、既に密偵を送り込んでおるよ。
怪しい動きがあらば、ワシ自ら出向いて押さえ付けてくれるわい」
「そらええんやけど、ホンマにロンギヌスっちゅ〜のがアカンかったらどないするんや? 
ケンカを吹っ掛けるわけにもいかんやろ」
「如何にも。フィーナ殿の話ではロンギヌス社とギルガメシュの間に交誼(よしみ)はないものと存ずる。
藪を突いて蛇を出すような事態は避けるべきでござろう」
「下手打ってギルガメシュとリンクされてもアウチってワケね。ンま、ザットまでブレインがローリングする腹ブラックなら、
エネミー関係ってのも建前で、リバースではもうナァナァって可能性もナッシングじゃないヨ〜」
「そのときは“スカッド・フリーダムが何とかしてくれる”。
何しろ全世界共通の正義の味方だ。悪党をのさばらせておいては沽券に関わる――だろう?」
「……オレもド汚ェ豚どもを山ほど見てきたがよ、ここまでおっかねェことを考えるのはアル公くれェなもんだぜ」
「厭味なヤツめ。……場合によっては、お前の親友にも力を借りることになるかも知れないぞ」
「言った端からコレだよ。裏の世界の話なんざ堂々とするもんじゃねぇぞ、コラ」

 平素と同じように智謀を発揮するアルフレッドにローガンたち戦友は強く頷き、
作戦家としての活躍を知り得ないアシュレイは、眼が回るような采配に驚愕し、か細く呻くばかりである。
 成る程、フツノミタマをして「裏社会の人間よりも遥かに恐ろしい」とまで皮肉られる姿は、
グリーニャに居た頃とは余りにもかけ離れている。別人さながらに見えるのも無理からぬ話だった。


 様々な意味でシビアな話し合いが村役場では繰り広げられていたが、敷地を出た外――佐志の村内は至って平穏である。
 広場ではミストが自ら手がけた童話を子どもたちに読み聞かせ、そこに隣接する大通りを源八郎の愛息、
源少七が警邏の為に抜けていく。
 小勢を率いて村中を巡邏する源少七は間もなく港に至るだろう。波除のテトラポットの上には今日も撫子の姿が在る筈だ。
以前までの撫子と言えば、日がな一日自宅に引き篭もっているのが当たり前であったのだが、
最近では屋外に出ることも珍しくなくなっていた。
 尤も、陽の光を浴びるようになってからも無愛想は変わらず、また興じる遊びも屋内と同じであるが。

「――うぜぇんだよ、太陽風情がッ! 画面が見えねぇんだよ、照り付けやがってッ! あんま粋がってっとマジ潰すぞッ!?」

 時折、理不尽な悪態を吐きつつモバイル遊びに精を出すのが、如何にも撫子らしい。
 これら全てが佐志の日常の風景であった。
 佐志の民兵を気取り、八雲を染め抜いた旗を翻す『叢雲カッツェンフェルズ』の面々も、
源少七に倣って同じルートを経巡っている。彼らが村を闊歩する姿も日々の情景として馴染みつつあった。
 叢雲カッツェンフェルズからしてみれば、これは立派な巡邏なのだが、
改めて詳らかにするまでもなく周囲の目には遊びとしか映っていない。
その証拠に村役場での会議には同席すら許されなかったのだ。
 そもそも叢雲カッツェンフェルズが結集したきっかけとは、以前にアルフレッドが口走り、猛反発を以って却下された、
「一般の村民から志願者を募って戦闘訓練を施す」と言う暴案である。
 ある意味に於いて火付け人とも言うべきアルフレッドですら彼らの活動を認めようとはせず、
中心メンバーのハリエット・ジョーダンなどは「ごっこ遊びでウロチョロするな。目障りだ」と手厳しい叱声まで浴びせられていた。
 結局、叢雲カッツェンフェルズから出席を許可されたのは隊長のマルレディひとりだった。
だが、これは隊の活動内容とは全く関係のない選抜である。保安官と言う前歴が注目されたに過ぎないのだ。
 今でこそ職を辞しており、また組織そのものもギルガメシュによって壊滅させられたが、
彼が在籍していたシェリフ・オフィス(保安官事務所)は、任務に当たって遠方の町村と連携を取ることも多い。
そのネットワークの中で得られた情報を吸い上げ、今後の手掛かりにしたいとアルフレッドは期待したのである。
 自然、マルレディ以外は門前払いとなった。

 マルレディを除く他のメンバーは、やむなくオノコロ原に移り、「演習」と称して自主トレーニングを始めた。
来るべき決戦に力を蓄えるのも叢雲カッツェンフェルズの重要な任務――そのように自分に言い聞かせている。
 しかし、一度心中に垂れ込めた鬱憤は容易く晴れるものではない。
テンガロンハットをトレードマークとするハリエットは仏頂面を隠そうともしなかった。
 持ち前の正義感から保安官助手として働き、ギルガメシュが襲来した当日は遠方へ出向していた為、
戦うべきときに戦えなかった少年――彼もまたグリーニャの出身である。
 それ故、自分の手でギルガメシュを倒すことが故郷への弔いになるとハリエットは固く誓っていた。
そして、アルフレッドならば自分の想いを汲んでくれると信じて疑わなかったのである。

(こんなのあんまりじゃないか。おれが一番アルフレッドさんの力になれるのに……!)

 アルフレッドは叢雲カッツェンフェルズを「ごっこ遊び」と切り捨てたが、
その一方で、年少のシェインを両帝会戦に引き連れていったのは、どう言う了見なのか。
 シェインの亡父にして伝説的な保安官と名高いショーン・アネラス・ダウィットジアクのことをハリエットは心から尊敬していた。
柄頭に猫目石をあしらったサーベルをお守りとして携えているが、これも剣の使い手であったショーンへの敬意なのだ。
 しかし、その息子のシェインが自分より強いとは思っていない。実際に口に出すことはないが、遥かに格下と見なしている。
 ハリエットは己の戦闘力へ絶対的な自信を持っていた。先端を丸く結んだロープを投擲し、
これによって標的を搦め取る逮捕術に関しては、それこそ模擬戦では負け知らずであった。
 唯一の弱点は、若年の助手と言うことからシェリフ・オフィス時代も実戦に参加させて貰えなかったことだが、
ロープテクニックとトラウムを合わせれば、経験不足も補えると信じている。
 『スターダスト・メモリー』と名付けたトラウムは、空間そのものへ概念的に作用し、
標的を任意の座標軸に固定すると言う特異なものであった。影響下に置かれた者あるいは物は、
ハリエットが設定した“軸”から離れることが出来なくなってしまうのである。
 無限の可能性を秘めたスターダスト・メモリーに敵はないとハリエットは胸を張っていた。
その力を発揮する場に立てない不満も大きいのだ。

 そんなときにシェインの顔を見るのは、不愉快以外の何物でもなかった。
 会議に参加しなかったシェインもジェイソンを伴ってオノコロ原へトレーニングにやって来たのである。
 難しい話の分からないシェインは「会議に参加しなかった」。対するハリエットは「会議に参加させて貰えなかった」。
これらは似て非なるものであり、前者の振る舞いは後者の苛立ちをとてつもなく刺激する。
意思さえあればシェインは会議にも参加出来たのだ。

「後からノコノコやって来て、なに我が物顔でやってんだよ。
ここはおれたち、叢雲カッツェンフェルズのフィールドだぜ。とっとと出ていきな!」

 妬ましく思う相手が現れた途端、ハリエットは難癖を付け始めた。
 メンバーのまとめ役に納まったミルクシスルは、親友であるミストを手伝う為に今日は隊を離れている。
これはつまり、暴走を止めるブレーキの不在をも意味しているのだ。
 佐志出身の葛(かずら)が「誰もそんなこと決めてないでしょ。みんなで使えばいいじゃない」と諌めるが、
年少者にまとめ役の代行は荷が重い。誰が制止しても耳を貸さないハリエットはシェインに絡み続けた。
 当のシェインはハリエットの難癖を聞き流し、黙々と柔軟体操をこなしていく。同郷だけに彼の性格を熟知しているのだ。
迂闊に応じて口論にでもなれば、まず間違いなく拗れるだろう。
 見兼ねたジェイソンが「相手してやったほうがいいんじゃねーの?」と促してもシェインは首を横に振るばかりである。
 腹に据えかねたハリエットは、ついには「決闘だ、決闘! 勝ったほうがココを使うってコトでいいな!?」と
理不尽な要求まで言い始めた。
 決闘とまで言われては、さしものシェインも黙殺を決め込んではいられず、ハリエットと向き合わざるを得なかった。

「……アル兄ィに冷たくされたからってボクに当たんなよ」
「そんなんじゃねぇ! ハッキリ白黒つけようって言ってんだッ!」
「白黒って何だよ。いつからボクとハリエットはライバルになったのさ?」
「そ〜そ〜、シェインのライバルはオイラ! ジェイソン・ビスケットランチなんだぜ!?」
「余所者はすっこんでろ! こいつはおれとシェインの戦いだッ!」
「だーかーらー! 勝手に因縁の対決みたいな演出すんなっ!」

 鞘に納めたままブロードソードを構えるシェインを威嚇するように、ハリエットは投擲用のロープを頭上にて振り回し始めた。
万が一、すっぽ抜けることがないようシェインは右手を鞘に添えている。
 両者の臨戦態勢はそのまま決闘開始の合図となり、叢雲カッツェンフェルズの面々は俄かに後退りした。
一応の立会人を務めようとその場に留まったジェイソン以外は、遠巻きに決闘を眺めるばかりである。
 ハリエットには完勝する自信があった。と言うよりも負ける理由すら見つからない。
仮に『精霊超熱ビルバンガーT』を具現化されても、スターダスト・メモリーさえあれば御することなど容易いのだ。
 自分より弱いのに過分な待遇を受けるシェインを叩きのめし、鬱憤を慰めようと言う腹癒せのつもりであったのかも知れない。
ところが、ハリエットの自信もとい慢心は一分にも満たない間に打ち砕かれることになる。

「喰らいやがれ、クソガキ――」

 罵声と共に投擲されたロープを掻い潜ったシェインは、そのまま間合いを詰めてハリエットに肉迫し、
脳天目掛けてブロードソードを振り下ろした。
 そんなバカなことがあってたまるか――脳裏に浮かんだこの一言こそ、ハリエットの驚愕を端的に表している。
ロープにはヴィトゲンシュタイン粒子の燐光が纏わりついていたのだ。
即ち、スターダスト・メモリーを発動させていたと言うことである。
 それにも関わらず、だ。シェインは臆することなく地面を蹴った。一歩間違えれば確実に負けると言う局面に於いても、
彼はありったけの力で前進することを選んでいた。
 そして、その勇気が勝敗を分けた。
 思わずよろめいたハリエットに対し、シェインは片膝立ちとなって柄頭を突き入れ、
次いで刀身を低く沈み込ませて彼の足を払った。
 もしも、鞘から抜いた白刃であったなら、両の脛は惨たらしく斬り裂かれていただろう。
宙を舞って横転する程度では済まなかったに違いない。
 足払いを繰り出すと同時に自らも跳ね、着地と同時にブロードソードを構え直したシェインは、
寝転がったままでいるハリエットの鼻先へと鞘の先端を突き付け、「白黒ついた――だろ」と通告。
ややあってからこれを引いた。

「この一番、シェインの勝ちだ」

 立会人のジェイソンが勝敗を確定させた瞬間、グリーニャ出身のメンバーからざわめきが起こった。
ハリエットのように侮っていたわけではないにせよ、ここまでシェインが強くなるとは夢にも思わなかったのである。
 誰ともなしに血筋の成せる業かと漏らし、シェインは「オヤジが聞いたら絶対キレるよ」と苦笑した。
今し方披露したのはフツノミタマから叩き込まれた技であり、実の父から受け継いだ業(もの)などではない。

「いつまでゴロ寝してんのさ。足だって別に痛くないだろ? 引っ掛けただけなんだから」
「あ……ああっ……」

 シェインに右手を引っ張られ、ようやく上体を起こすハリエットだったが、
当人は自分の敗北すら認識出来ていないらしく、口を開け広げたまま呆然と固まっている。
 倒れた拍子に草や土こそ付着したものの、外傷らしい外傷はどこにも見られない。
第一、ハリエットは殆どダメージなど受けてはいなかった。脳天への打ち込みも、鳩尾への突き込みも――
足を払った一撃以外は全て寸止めだったのだ。
 絵に描いたような完敗であった。
 幼少の頃から冒険者を志し、野山を訓練場所として心身を鍛えてきたシェインは同世代と比べて相当に逞しい。
フツノミタマやジェイソンとのトレーニングを通じて身体能力も飛躍的に高まっているのだ。
 確かに剣の道を志してから日は浅いものの、グリーニャ出発まで遡ればそれなりに場数を踏んでおり、
模擬戦の域から一度も出たことのないハリエットとは強さの質が根本的に違っていた。
 スターダスト・メモリーの脅威を前にしたら、足が竦んで戦えなくなる――
そのような予想は思い上がりも甚だしく、計算違いが生じるのも当然だった。
 ようやく自分の完敗を理解したハリエットは悔しげに地面を叩き、すかさず再戦を申し入れた。
 しかし、これは立会人を務めたジェイソンが許さない。「みっともねー真似すんなって。おめーは負けたんだよ」と、
シェインに代わって突っ撥ねた。

「今の勝負な、ガチだったら最低三回はシェインに殺されてるんだぜ」
「な、なにっ!?」
「脳天ハチ割られて、鳩尾もブチ抜かれて、顔面までブッ刺されて――おまけに両足もバッサリだ。
実戦じゃ寸止めでカンベンして貰えることなんか有り得ねぇ」
「な、なにカッコつけてんだよ! 今のはただの試合じゃねぇか! 二本勝負だってアリだろ!」
「おいおい、先に決闘を挑んだのはおめーだろ。だったら、引き際っつーのを弁えろよな。
……これ以上、ゴネる気なら今度はオイラが相手になるぜ?」

 食って掛かろうとするハリエットだったが、ジェイソンに凄まれた瞬間、いきなりその勢いを失ってしまった。
 白虎の如きジャケットにだんだら模様の入った腰巻と言う特徴的な隊服から
ハリエットはジェイソンのことをスカッド・フリーダムの隊員であると認識していた。
少し前に佐志を訪れたエヴァンゲリスタと変わらぬ装いなのだ。
 厳密に言えば、ジェイソンが身に着けるのはスカッド・フリーダムから分離したパトリオット猟班の物であり、
黒色のマウスピースやオープンフィンガーグローブなど本隊の装備とは細かく違っている。
 分離の事情など知る由もないハリエットに見分けがつかなかったのは当然であろう。
 だが、問題はそこではなかった。自分より強い相手を前にしただけで立ち竦んだことにある。
確かにスカッド・フリーダムの隊員は誰もが武術の達人であり、常人離れした戦闘力の持ち主とされている。
ハリエットはその観念に震え上がり、手合わせをする前に挫けてしまったのである。
 彼が身を強張らせる一部始終を見ていたシェインは、頭を?きつつ「遊びじゃないんだよ」と痛烈な批難を飛ばした。

「悪いけど、ボクらは遊びでやってるんじゃないんだ、ハリエット」
「あ、遊びだと!?」
「アル兄ィみたいにお前たちのコトを丸っきり認めないってワケじゃないけど、……でもさ、ジェイソンの言う通りなんだ。
合戦では一瞬でも怯んだら、そこで何もかも終わっちまう。それがどう言うことか、ハリエットは分かってる?」
「命を張るってコトだろ! そんなこと、お前に言われなくたって――」
「――いざってときに、ホントに命を張れるのか?」
「ぐッ――」

 それは侮辱にも等しい批判であったが、ハリエットは何も言い返すことが出来なかった。
生死が飛び交う実戦を経た者と、安全圏に留まった者の違いが理解できないほど浅薄ではない。

「……合戦に出てきたヤツは言うことが違うな。実戦慣れってヤツかよ……!」

 最後の抵抗とばかりに低い声で負け惜しみを漏らすハリエットだが、シェインはそれにも首を横に振った。

「場数なんて大した問題じゃないよ。凄いことみたいに誤解されてるけど、合戦だってボクは一回しか出てない。
そのときだってギリギリまで戦いに加えて貰えなかったんだ」
「オイラなんて合戦も知らね〜よ。砂漠のドンパキんときゃ別のトコにいたぜ」
「じゃ、じゃあ、一体……」
「どうしてもやらなきゃならないときには自然と身体が動く――ボクが身に沁みた戦いは、そう言うものだったよ」

 両帝会戦の折には、友人同士の血で血を洗う殺し合いを止めるべく剣を振るった。
ラドクリフの身が脅かされたときには、己の危険も顧みずに馳せ参じた――
絶対に譲れない瞬間に臆することなく立ち向かえる心の強さ。それこそがシェインとハリエットの差であった。

「ボクにはやらなきゃならないことがある。その為には一分一秒だって無駄には出来ないんだ」

 だから、前へ前へひたすら突き進む――シェインがそう言い放った直後、
事態を遠巻きに眺めていた叢雲カッツェンフェルズのひとりが大声を上げ始めた。
 メンバーの中でも際立って大柄な青年である。自身のトラウムを具現化するや否や、
「シェインのクセに生意気だッ!」と不条理極まりない罵声を迸らせた。
この青年もグリーニャの生き残りで、ハリエットと共に保安官助手をしていたとシェインは記憶している。
故郷で暮らしていたときも親交らしい親交もない。ギャスパールと言う名前もうろ覚えだった。
 錘として鉄球を括り付けた無数のロープを束ね、これらを標的目掛けて投擲するボーラと言う武器が彼のトラウムだ。
その内の一本を頭上にて振り回すあたり、どうやら友人の意趣返しをするつもりのようだ。
 錘の反対側の端をまとめて結び、取っ手のように用いるのだが、これをこれを握り締める左手の甲には
血管がありありと浮かび上がっていた。
 迎え撃とうとするジェイソンを目配せでもって制し、一足飛びに青年との間合いを詰めたシェインは、
左半身を開くことで鉄球の飛来から逃れ、続けざまに剣の柄へと右手を掛けた。
 このとき、シェインの体勢は相手に対して垂直に近い状態となっており、右の順手で握り締めるブロードソードの柄頭は、
ギャスパールから見てひとつの“点”となっていた。その点が右足の踏み込みと共に前方へと迫り出し、相手の脇腹を穿つ。
 鈍い音が轟くや否や、ギャスパールはボーラを放り出しながらその場に膝を突いた。
 フツノミタマが得意とする居合い抜きに着想し、シェインなりに工夫を施した殴打の技法である。
相手の死角から一気に剣を抜き、柄頭で急所を打ち据えて無力化を図るのだ。
 技名(わざな)を『フラッシュオーバー』と言い、これは刀身を納めた状態からの一閃を瞬間的な爆発に見立てた由来である。

 果たして、ダメージは見た目より遥かに重い。死角からの攻撃と言うものは、
命中精度の向上だけがその成果ではないからだ。
 仮に直撃を被るとしても、どこを狙われたのかが把握出来ていれば、
激痛に耐えるべく気力を振り絞ると言った備えが整えられる。筋肉を引き締めて衝撃を緩衝することも不可能ではなかった。
 最も恐ろしいのは、そうした思考の及ばない不意打ちである。無防備のままで強撃を受けようものなら、
如何に骨太な大男であろうとも一たまりもないわけだ。現にギャスパールは意識の外から襲ってきた一撃だけで
戦闘不能状態に陥ってしまった。

 ギャスパールが崩れ落ちるのと同時に叢雲カッツェンフェルズからは殺気が噴き出した。
双方が納得ずくで行う決闘ならいざ知らず、喧嘩も同然の状況でメンバーが倒されては黙っていられないのだ。
恥ずべき意趣返しの失敗と言う経緯は、早くも激情によって塗り潰されている。
 最早、荒事は避けられそうにない。殺気立つ一同を見据えたまま、シェインは「結局、お前らはその程度かよッ!」と
大音声を張り上げた。

「もうちょっとマトモな集まりだと思ったんだけどな! ケンカしたいだけなら今すぐやめちまえ! 
そんなのギルガメシュと同じじゃないか! ……どうしても暴れたいヤツはボクが相手になってやるッ!」

 鼓膜を貫いて腹の底にまで響くような大喝だ。そして、反抗を寄せ付けない直球の正論でもある。
少年が発するものとは思えない迫力に叢雲カッツェンフェルズはすっかり気圧されていた。
 真隣に立ったジェイソンと共に一同を睨み付けていたシェインの前にひとりの少女が進み出た。
 葛である。三毛猫模様のスカーフを風に靡かせながらシェインと相対し、その瞳をじっと覗き込んでいる。
 佐志に伝わる忍術を継承したと自称――その割にはパステルカラーのポシェットや迷彩柄のジャケットを用いるなど、
影に忍ぶ努力を著しく怠っているが――する葛は、忍服なる装束に身を包み、その背に得物を担っている。
忍刀と呼ばれる小振りの刀剣だ。
 暫時、シェインとの睨み合いを続けるものの、忍刀を抜き放とうとする気配は見られない。
他の者と違って殺気も発してはいなかった。
 それでも油断なく拳を握り、すぐさまシェインをサポート出来るよう備えるジェイソンだったが、
次の瞬間に葛から発せられた一言で気構えの全てが吹き飛び、堪らず前のめりに転びかけた。

「――好きです! お付き合いしてくださいッ!」

 葛からシェインにぶつけられたのは、何の脈絡もなければ場の空気も読まない愛の告白である。
 この場に居合わせる誰よりも困惑したのはシェイン当人だ。佐志出身の葛のことなど全くと言って良いほど知らない。
そもそも、顔を合わせたのも今日が初めての筈だった。
 およそ十秒の硬直の後にようやく搾り出したのは、「……お前、誰?」。

「ちょ〜っと待て待て。どうした、いきなり!?」
「割り込んで来ないでよ、ウスラトンカチ! 私はこっちのコに用があるんだから! ああ、シェイン様!」
「あのなぁ、シェインにはもうベルって言う心に決めた相手がいるんだよ。おめーの出る幕はねぇんだ。
……いや、オイラも実際に会ったことね〜んだけど」
「そんなの知ったこっちゃないわ! 恋は後出しじゃんけん全然アリでしょ!? ルール無用でしょうが!」
「て言うか、おめーら、初対面なんだろ? シェインもさっきそう言ってたべ」
「初めて会った瞬間に恋の稲妻はビビビッて走るのよ! 一目惚れの運命ってステキだと思うなっ!」
「……うッわ、なんじゃコイツ!? オイラ、初めて出会う人種だわ。おめー、何系? 何人(ナニジン)?」
「シェイン様に心奪われた星人! 人呼んで、宇宙くの一!」
「こいつの言葉を翻訳出来るヤツを呼べッ!」

 初対面の葛から一目惚れの運命と謳われても、シェインには答えようがない。
 ハリエット、続けてギャスパールまで瞬時に制し、また叢雲カッツェンフェルズの短慮をも叱り飛ばした彼の勇姿に
心を振るわされた様子だが、それにしても急過ぎるではないか。
 喧しく言い争うジェイソンと葛の傍らにて固まり続けるシェインだったが、
一度おかしくなった流れは、最早、誰にも堰き止めることが出来なかった。
 次なる変調はハリエットに訪れた。葛の告白を呆然と眺めていた彼は、次いでけたたましく奇声を破裂させ、
テンガロンハットを地面に叩き付けた。それ以降はひたすら頭を掻き毟っている。
 「お、おれが一緒になろうって言ったときは、お前、ガン無視したのにッ!」と言う悲痛な叫びにこそ、
彼の歯車を乱したものの正体が表れているだろう。

「シェインのバーカッ! お、お前なんか、お前なんか……この……バーカッ!!」

 さんざん喚き散らしたハリエットは、泣き声を引き摺りつつオノコロ原から駆け去ってしまった。
 脇腹に走る激痛に悶えつつもハリエットを呼び止めようとするギャスパールだが、まず間違いなくその声は届いていない。
 残された叢雲カッツェンフェルズの面々は、どのように収拾をつければ良いのかを見失い、
ただひたすら呆然と立ち尽くすばかりであった。

「葛はシェイン様だけのくの一ですっ! ニンニンっ!」
「だから、お前は誰なんだよ!?」

 無遠慮にも唇を押し付けようとする葛を引き剥がしたシェインは、ご他聞に漏れず呆気に取られたジェイソンと顔を見合わせ、
己の意思と関係なく拗れ始めた諸々に心底より嘆息を漏らした。


 有り得ない大敗で鼻っ柱を折られ、ほのかな恋も破れ、ダメ押しで醜態まで晒した為に
オノコロ原へ戻ることも出来なくなったハリエットは、生気の失せた顔で村内を徘徊していた。
 怒涛の如く押し寄せたショックの連続に打ちひしがれ、周囲の憐れみを誘うほどに双眸は腫れてしまっている。
 アルフレッドが視界を横切ったのは、そんな折であった。現在地からひとつ先の通りではあるものの、
垣間見たのは確かにグリーニャが誇る軍師の横顔だ。錯覚でなければ、ニコラスも随伴していた筈である。

(こいつぁ、何かあったに違いねぇ! 見ていろ、おれの第六感に狂いはねぇんだッ!)

 事件の匂いを敏感に嗅ぎ付けた――と本人は信じて疑わない――ハリエットは、
アルフレッドとニコラスの後を慌てて追い掛けた。
 行き交う人々を押し退けながら疾走し、転がるようにして角を曲がり、ようやく捉えたその背に向かって、
「アルフレッドさん!」と大声で呼びかける。迷惑も顧みず、何度も何度も彼の名を連呼し続けた。

「……煩い、黙れ」

 明らかに不機嫌な声を引き摺りつつ振り向いたアルフレッドは、そこに見つけたハリエットの姿に顔を顰め、
ショルダーバッグからポケットティッシュを取り出すと、これを放り投げた。
 ハリエット本人も気付いていなかったのだが、滝のような鼻水で顔面が見るに堪えない状態と化していたのだ。
ようやく我が身の不衛生を悟ったハリエットは、急いで鼻から下の付着物を拭い取っていった。
 その間にもアルフレッドのもとへ歩み寄ることを忘れない。ナメクジの如くジリジリと近付いてくるハリエットに、
ニコラスは思わず仰け反ってしまった。

「ど、どこに行くんスか!? もしや、またギルガメシュが襲ってきたってんじゃ……」
「そうじゃない。フィーから連絡があってな。迎えに行ってくるだけだ」
「フィーナさんって……あれ、一緒じゃなかったですっけ? おれの記憶違いかな……」
「知らなくて当然だ。お前には詳しい話などしてもいないし、その必要もない」
「ひ、ひでーっスよ! そんなん差別だぁー!」
「人聞きの悪い。区別と言え」

 アルフレッド曰く――連合軍敗北の混乱に乗じて不穏な動きを見せるテムグ・テングリ領内の村を調べていたフィーナが、
全ての役目を終えて『バティストゥータ』なる港町で待機していると言うのだ。
 フィーナにはルディアやネイサン、更に不良冒険者チームとして名高いメアズ・レイグも同行している――
と言うよりも、テムグ・テングリ群狼領より調査依頼を受けたのはメアズ・レイグのほうであり、
正確にはフィーナこそが同行者と言う立場なのだ。
 そのフィーナからの報告によると、別行動を取っていたトリーシャとも件の港町で合流したそうである。
 この報せを受けた守孝は、陸路よりも海路のほうが安全であり、ならば佐志から迎えの船を出そうと提案。
反対の声が上がる筈もなく、バティストゥータへと赴くことになった次第だ。
 港では既に第五海音丸が出立の支度を済ませており、今や遅しとアルフレッドたちの到着を待っている。
愛弟子は自分が出迎えたいと名乗りを上げたハーヴェストは、気早にも既に乗船しているそうだ。
 口早に要点のみ説明し、港へ向かおうとするアルフレッドだったが、その前途にハリエットが滑り込んだ。

「……何のつもりだ?」
「おれも一緒に連れて行ってくださいっ! 頼んますッ!」

 直角四五度で頭を垂れたハリエットは、自分も同行させて欲しいとアルフレッドに直談判を試みた。
 ギルガメシュとの実戦でないのは残念だが、ここは叢雲カッツェンフェルズの名を高める好機。
船旅の道中にアルフレッドの信頼を勝ち取ることが出来たなら、公に活動が認められるかも知れない――
早い話が自分たちを売り込もうと胸算用したわけである。

「別にいいんじゃねぇか? ヤバいトコに行くってわけでも――」
「――駄目だ、認められない」

 並々ならない熱意を汲み取ったニコラスは、それとなく彼の同行を取り成そうとするものの、
アルフレッドはこれを素気なく一蹴。「分かったら、帰れ」とだけハリエットに言い捨てた。
 またしても冷たく切り捨てられたハリエットだが、今日ばかりは簡単には引き下がれない。
シェインへの対抗心もあって意固地になっており、懲りることなくアルフレッドに食い下がった。

「早ッ! そ、そりゃないッスよ! 少しくらい考えてくれたっていいじゃないスか! 
こちらさん――えーっと、弁当ピューレさんだってそー言ってくれてんスから!」
「ヴィントミューレだ。ラスの名前をチューブ入りの醤油みたいに言うな」
「オレ、別に気にしてねーよ。それにしたって、お前、厳し過ぎるじゃねーか。後輩なんだろ?」
「おぉっ、話がわかるッ!」
「甘やかさないでくれ、ラス。これは考えるまでもないことだ」
「ど、どうしてスかぁ〜!?」
「お前は動機が不純だ」
「動機って! そんなのひとつしかないっしょ! 海を越えて広い世界を見てみたいんス! 
おれ、まだ船にも乗ったことないンスよ!? 漢に生まれたからには荒波に揉まれねぇと!」

 やる気を表そうと言うのか腕を振り回しつつ動機を述べるハリエットだが、
大仰に語れば語るほど、アルフレッドの面に滲む苛立ちは一層濃くなっていく。
深紅の瞳には失望すら湛えているようにも見えた。
 目の前の少年が“地雷”を踏んだことに気付いたニコラスは、最早、橋渡しを諦めるしかなかった。

「お前のそう言うところが甘いと言っているんだ、ハリエット」
「え? えっ? えぇっ?」
「――ひとつ訊いておこうか。お前、スカッド・フリーダムのことをどう思っている? 
……シュマンツと言う戦闘隊長のことを」
「はいぃッ!?」

 突然に場違いな質問をぶつけられたハリエットは、アルフレッドの意図を測りかねて首を傾げた。
 出航するか否かと言うときに、どうしてスカッド・フリーダムの話題を持ち出してきたのだろう――
不可思議としか言いようがなかったものの、答えに詰まれば失格と見なされるかも知れない。
アルフレッドの歓心を得るには何を語るのが最適であるか、ハリエットは思料し始めた。
 幸いにしてひとつの手掛かりが提示されている。先日、佐志に訪れたスカッド・フリーダムの戦闘隊長、
エヴァンゲリスタ・デイナ・シュマンツのことをアルフレッドは問い掛けているのだ。
 彼と初めて出会ったのは、マユを交えた話し合いの席である。
スキンヘッドに炎のタトゥーと言う威圧感に満ちた外見とは裏腹に、懐の深い好漢だとハリエットは感じていた。
 佐志の独立部隊と意気込む叢雲カッツェンフェルズを一度は叱咤したが、
最後にはその勇気を称え、いつの日か共に戦おうと約束まで交わしたのである。
 言わば、初めて叢雲カッツェンフェルズを認めてくれた相手なのだ。悪い印象を抱こう筈もない。

「一回しか会っちゃいませんが、イイ感じの人ッスよ! 見た目がちょいとおっかねぇってのが玉にキズ? 
でも、話してくれることは何でもタメになるし、義の戦士ってのはあーゆーモンなんだろうなって思いましたね。
おれは嫌いじゃないッスよ? アルフレッドさんとも相性イケてるんじゃないッスかね!」

 あの人と肩を並べて戦うのが今の夢――そう締め括ったとき、
ハリエットは初めてアルフレッドの機嫌を損ねていることに気が付いた。
 今の回答に彼は明らかに満足していない。既に相槌を打つことすら放棄しており、双眸にも昏(くら)い憤激を灯している。

「……源八郎から聞いた。お前、スカッド・フリーダムに上手く転がされたそうだな」
「こ、こここ、ここぉっ!?」
「ムルグか、お前は。……本当に分かっていないのか」

 どこで何を誤ったのかも分からずに困惑し続けるハリエットに向かって、
アルフレッドはこれ見よがしに溜め息を吐き捨てた。
 ハリエットとエヴァンゲリスタが如何なる言葉を交わしたか――その顛末をアルフレッドは源八郎から聞かされていた。


 それは先刻の会議のことである。スカッド・フリーダムへの対応を論じる最中にミルドレッドが口を挟み、
「油断がならない相手ってことに間違いはないね」と、エヴァンゲリスタの経歴を説明したのだ。

 シュガーレイの跡を継ぎ、戦闘隊長へ就任したことからも察せられる通り、一廉の人材であることは間違いない。
プンチャック・シラットなる武術の達人であり、スカッド・フリーダムでも指折りの猛者。
パトリオット猟班ではシュガーレイくらいしか互角に戦えないと言うのだ。
 しかし、武術の腕前はエヴァンゲリスタと言う男の一側面に過ぎないとミルドレッドは続けた。
彼の本当の恐ろしさは、プロモーターとしての手腕にあると言う。
 如何に見返りを求めない義の戦士と雖も、組織として活動するからには人員の采配や依頼主との交渉が不可欠になる。
これらをスカッド・フリーダムに有益な形で取り仕切るのがエヴァンゲリスタの役目であった。
 この役目には運営費用の効率的な“回収”も含まれていた。
 スカッド・フリーダムの活動は有志の寄付によって成り立っているのだが、やはり、富豪ほど莫大な額を投じる傾向にある。
 ここにもエヴァンゲリスタはカラクリを仕掛けていた。あるときは言葉巧みに、あるときは活動の成果を以って
富める者たちの“義務感”を刺激し、より多額の寄付を引き出しているのだ。

「……俺たちが知っているイメージから随分とかけ離れているな」
「ヒラの隊員だって上層部(うえ)がこんな計算してることは知らないさ――なんて偉そうに語っちゃいるけど、
アタシらも最近まで知らなかったよ。何しろ、エヴァンゲリスタは総帥のご贔屓でね。
いつでも特別任務とやらに出張ったから、滅多に顔も合わさなかったんだ」
「その特別任務が“猿回し”と言うわけか。プロモーターとは言い得て妙だな。依頼主と隊員の両方を転がすとは……」

 言わば、エヴァンゲリスタはスカッド・フリーダムの影――汚れ役を一手に引き受ける身であるが、
理想と現実に折り合いを付け、調整を施す者がいなければ組織としての運営が不可能であることもまた事実。
名実共に隊の要なのだ。
 彼は自身の言行が人に与える心理的影響や心象まで完璧に計算していると言う。
そうやって相手を自分のペースに巻き込み、交渉を有利に展開させるわけだ。
 奇抜な風貌も交渉術のカードに過ぎなかった。見る者を圧倒するような威圧感は人情味溢れる言葉が発せられたとき、
「見た目と違って紳士的」と言う心象に昇華される。
 顔面の殆どを覆い隠すミルドレッドのタトゥーも威嚇の性格が強いものの、
エヴァンゲリスタは期待する方向性からして正反対と言えよう。
 ミルドレッドの話に耳を傾けていたジャーメインは、「ミル姉さんの言いたいこともわかる……かなぁ」と
躊躇いがちに本音を漏らした。

「腹黒いとは言わないけど、底が見えないんだよね、なんか……。あんまり関わりたくはないタイプだよ」
「それは単にお前が単細胞なだけじゃないのか。うちのフィーも大概考えナシだが、お前はもっと酷い」
「――今、フッと思ったけど、シュマンツさんってスカッド・フリーダムの軍師みたいなものかも。アルのライバルだね」
「……そう言うのは、もう間に合っている」
「え〜、似た者同士だって。モーントだってそう思うでしょ?」
「いや、その――こちらに振られても困るよ」

 スカッド・フリーダムに入隊して間もなく出奔したモーントは、他のメンバーのようにエヴァンゲリスタの人となりを
熟知しているわけではない。だからこそ、自分は何も語れないと思って口を噤んでいたのだが、
その一方で、嘗ての上役に対する警戒も否定していない。アルフレッドとの類似にも異論を挿まなかった。

「……ただ、何を考えてるのか、ぼくにも分からなかったかな。とにかく、ヒトっぽいニオイがしなかったよ。
口で言っていることと、心で考えていることが別々なのかも知れないね」
「――あ、じゃあ、アルとはちょっと違うか。アルってめちゃくちゃ素直だもんね」
「……待つんだ、メイ。それはきみ、危ないことだよ。この男は腹の底では怪しいことしか考えていない。
目がそう言っている。今すぐ離れなさい。それから絶対に近付いちゃだめだ。孕まされてからでは遅いんだよ?」
「ちょっと待て、なんだそれは。悪意が感じられるぞ」
「悪意の塊はお前だ、アルフレッド・S・ライアン。ルール無用のバラマキマンめ。
一体、何人の女の子を手篭めにしてきたんだ。行く先々に赤ちゃんがいるんだろう? ひとりベビーブームか?」
「……例えから何から意味がわからない」
「モーントってば、どこでそんな言葉を覚えてきたの? あんまりヘンな本を読んじゃダメだよ〜」

 ジャーメインに懐いているモーントは、彼女と親しいように見えるアルフレッドのことがどうにも気に食わず、
ことある毎に厭味をぶつけていた。今し方の理不尽な言い掛かりにも両者を引き剥がそうとする意図が含まれているのだ。
 残念ながらジャーメイン当人は冗談としか思っておらず、モーントが望むような成果は得られていない。
 迷惑を被るのはアルフレッドばかりである。身に覚えのない濡れ衣を一方的に着せられた挙げ句、
マリスと、その背後に控えるタスクから冷徹なる眼光で突き刺されるのだ。

「……エヴァンゲリスタ個人などさして問題ではない。スカッド・フリーダム全体の方針に気を配れ。
どうも俺たちが抜けてからキナ臭いことになっているようだ」
「アタシも隊長に賛成だね。……妙なほうに舵を切ったんじゃないだろうね」

 “恋人”からあらぬ誤解を持たれて閉口するアルフレッドに成り代わり、シュガーレイが注意すべき要点を挙げ、
ミルドレッドも首肯を以ってこれを支持した。
 汚れ仕事を専門にこなしてきた男を『戦闘隊長』と言う要職に据えるなど、傍から見ても異例の抜擢と判る。
この肩書きを授かった者は、即ち、スカッド・フリーダムに係る全ての戦いを取り仕切ることになるのだ。
義の戦士の総代(かお)と言い換えても差し支えあるまい。
 そこで、エヴァンゲリスタ抜擢の是非が問われる。纏う影が濃ければ濃いほど、染み出す闇が深ければ深いほど、
義の標榜が難しくなるのは間違いなかった。彼の所業が明るみに出ようものなら、
スカッド・フリーダムに対する信任や評価は一瞬で覆るだろう。
 それを承知で戦闘隊長に据えたからには、遠謀めいた企図を感じずにはいられなかった。
 先代のシュガーレイがこの点を指摘すると、殊更に重みがある。今でこそ復讐の想念に囚われ、屈折してしまっているが、
朋輩が惨殺される以前までは「正義の味方」を地で行く好漢であったのだ。

「……ギリギリのところで踏み止まっていた何かが壊れた――それだけの話よ。
もともと壊れていたのかも知れないけれどね。皮をブチ破って膿が噴き出したと言えるんじゃない?」
「ハーヴ、そないなこと……」
「……そうとでも思わなきゃ、やってらんないわ。義の戦士が聞いて呆れるじゃない。……だから、あたしは――」

 生まれ故郷に渦巻く怪異を悲嘆し、苦しげに瞑目するハーヴェストとローガンはさて置き――
“プロモーター”と言う説明に表情を曇らせた源八郎は、
エヴァンゲリスタと叢雲カッツェンフェルズのやり取りをアルフレッドたちに打ち明けた。
件の戦闘隊長が如何なる言葉で少年少女に働きかけたのかを。
 これによってエヴァンゲリスタ、ひいてはスカッド・フリーダムに対する不信感が一等高まったのは言うまでもない。
辣腕なプロモーターにして見れば、夢見がちな子どもを操ることなど造作もないことであった。


「お前は甘い。甘過ぎる。何も分かっていない。……そんな未熟者を連れて行くわけにはいかない」

 呆然と立ち尽くすハリエットにそれだけを言い捨て、アルフレッドは反応も確かめずにその場を後にした。
 半ば見捨てられたようなこの少年が余りにも痛ましく、ニコラスは「キミのことを心配してるだけなんだよ」と、
労わるようにその肩を叩いた。
 悲しいかな、万策尽き果て八方塞となった人間には、そのような言葉は何の慰めにもならない。
ニコラスの手を強引に払い除けたハリエットは、アルフレッドが向かう港とは正反対の方角へと駆け出した。
 「アルにはオレのほうから言っとくから! 気にすんな!」と言うニコラスの声がその背を追い掛けるが、
恨み言を唱えるのに忙しい彼の耳には全く届かない。

(み、みんなしておれをコケにしやがって! ……ちきしょうめーっ! 今に、今に見てろよ! おれはッ!)

 ハリエットの足は仲間たちが待つオノコロ原――ではなく、佐志唯一の喫茶店『六連銭(むつれんせん)』へと向けられていた。
 心が捻じ曲がるくらい厭なことがあったときは、何もかも忘れて飲み明かすのが一番なのだ。
今日くらいは自棄になって許される筈である。『六連銭』特性のクリームソーダは、
あらゆる鬱憤を吹き飛ばすくらい抜群に美味かった。
 それに――と、ハリエットはシェルクザールから佐志に移り住んだ“看板娘”のことを思い浮かべた。
快活な笑顔がボブカットに映える可憐な人を、だ。
 傷付いた自分を年上の包容力でもって優しく慰めてくれるに違いない――
いつの間にか、ハリエットの心中は醜い恨み言ではなく不埒な妄想によって埋め尽くされていた。




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