覇天組(はてんぐみ)――Aのエンディニオンの島国、『陽之元(ひのもと)』に属する武装警察である。
 その島国では長期に亘って内戦が続いており、外の世界の情勢とは関わりを持てずにいた。
血で血を洗う長い戦乱――『北東落日の大乱』が終結し、
国際社会に承認される政府が機能し始めたのは、ごく最近のことだ。
 覇天組はその内戦を終結に導いた功労者であり、陽之元有史以来、『最凶』として畏怖される存在である。
 首都及び要人の警備やテロリストの取り締まりを本来の任務としているのだが、
教皇庁――Aのエンディニオンを隠然と支配する者からギルガメシュ討伐を要請され、
現在は陽之元を遠く離れた土地に出征していた。
 遠征を了承させた教皇庁側も様々に便宜を図っている。
資金援助の他にも各地に所在する施設を宿所として提供し、覇天組はそこに屯営していた。
 陽之元には本拠たる屯所が据えられており、殆どの隊士はそこに詰めて任務をこなしている。
つまり、出征中の人間が寝食する場所は仮屯所と言うわけだ。
 今回も局長たるナタクのもと、十余人の隊士が北方の国まで出征していた。
この国の何処かにギルガメシュの工廠が隠されていると言う情報がもたらされたのだ。
 とある教会の敷地内に建てられた休憩室が彼らの現在の屯所である。
 小屋を改築したものであるらしく、一休みする場所にしては奥行きがあって天井も高い。
流石に十人以上の男たちが生活するには窮屈であったが、さりとて極端に不便することもない。
 最初に並べてあった机や椅子は脇に片付けられ、床の大部分には柔らかいマットが敷き詰めてある。
地べたに腰を下ろせるようにと教会側が配慮したのだ。これは陽之元国の風習である。
 隊士たちの荷物は壁際に固めて置いてあり、武具だけでなく就寝時に用いる寝袋なども含まれていた。
 三日も経つ頃には隊士たちは手狭な空間にも適応し、すっかりと寛ぐようになっている。
 ある意味に於いては、順応し過ぎたと言えるのかも知れない。
 屋根付きの台に掛けられた提燈が休憩室の玄関に飾られ、また教会の敷地内で武術の稽古が行われるなど、
司祭たちは遠方より訪れた覇天組に酷く困惑したようだ。
 先日など隊士のひとりが女性侍祭に不埒な声を掛けると言う不祥事を仕出かしている。
教会側から厳しい苦情が寄せられてしまい、局長自ら被害に遭った侍祭へ、更には関係者へ謝罪して回ったのである。

 そのような折も折、ナタクは隊士のひとりから厄介極まりない相談事を持ち掛けられていた。
そして、その隊士こそが女性侍祭に不届きな言葉を投げ掛けた張本人なのだ。
 先般のこともあってナタクは苦虫を噛み潰したような顔で件の隊士を向き合っている。
 局長の両隣では副長のラーフラ、総長のルドラも胡坐を掻いているが、両名共に穏やかならざる空気を漂わせていた。
ルドラのほうは口元に穏やかな笑みを浮かべている分、露骨に凄味を利かせているラーフラよりも恐ろしい。
 当の隊士は明らかに糾弾されている状況にも関わらず、床へ寝転がり、打ち上げられた鰻の如く身をくねらせている。
四角い黒縁眼鏡のレンズが木板で擦れても気にも留めない。
 およそ相談に乗って貰おうとする人間の態度ではなかった。
ステテコに腹巻と言う風貌からして、局長相手に畏まるつもりがないことも窺える。
 差し向かいのナタクもビリジアングリーンのジャージに赤いシャツと言う気楽な出で立ちだが、
それでもピンと背筋を立てて正座し、厳しそうに腕組みしている。
 右隣のラーフラはワイシャツからスラックスに至るまで黒一色であり、ベルトの代わりにサスペンダーを用いている。
 左眼を覆う二枚重ねの包帯だけ色彩が異なっていた。濃緑と柿色の布切れを敢えて合わせるのは、
彼なりのこだわりであるらしい。
 左隣のルドラは色違いながらラーフラと似たような風采だ。こちらはサスペンダーではなくベルトを締めていた。
クリーム色のスラックスに、同系色のベストを羽織っている。ワイシャツの袖は金色のアームバンドで絞っていた。
 ワインレッドのネクタイまで締め、生真面目な印象を一層強くしている。
 薄橙色と褐色、黒髪と銀髪――局長の両脇に控える副長と総長は、肌の色から髪の色に至るまで好対照であった。

 三人が背にする最奥の壁際には、漆黒の装束が台座でもって飾られている。
フード付きのコートであるが、各所に装甲と思しき鋼の板が縫い付けられており、軍装の一種であることが窺える。
 白い襟には赤糸で持ち主の名前が刺繍されているが、そこに記されたのは局長のものではない。
副長でも総長でもない。『伍長』なる役職に『ショウリュウ』と言う名が添えられていた。
 『伍長 ショウリュウ』――その名を持つ者は相当な巨体なのだろう。黒装束はナタクと比してもかなり大きい。
 まるで覇天組の隊士たちを見守っているかのような黒装束は、至る所に銃弾の痕跡が散見される。
 そして、黒装束よりも更に後方――黒地に『捨』の一字を銀糸で刺繍した隊旗が壁に立て掛けられている。
旗棒は室内での掲揚に適した短い物に交換し、角型の頑丈な台へと差し込んであった。
 漆黒の装束と『捨』の隊旗を背にしたナタクは、覇天組を率いる局長の表情(かお)で隊士と相対している。
左頬に一筋走った傷痕は血の色が相当に濃く、見る者に言い知れぬ威圧を与える筈だ。

「毎日毎日、デカい騒ぎを起こしていないと気が済まねぇのか、お前は」
「ま〜たそんな気難しいコト言って。嵐を呼ぶ男と呼んでくれや〜」

 半ば落ちかけている双眸に厳しさを湛え、眼光でもって叱責する局長であったが、
向かい側の隊士は反省の色もなく身をくねらせ続けていた。
 毬栗のような短髪である――が、ルドラのように地肌が透けるほどではない。
適度な長さに切り揃え、それ故に「毬栗」の如く見えるわけだ。顎に生えた無精髭も針山≠フ一角である。

「……お前は一回くらい痛い目を見たほうがいい。俺に言えんのはそれだけだ」
「局長だろぉ? 相談乗ってくれよぉ〜!」
「まともな相談なら幾らでも乗ってやるけどな。ホフリ、お前、これで何回目だか分かってんのか?」
「何がよ?」
「女絡みの揉め事じゃ。自分の相談事で何をしらばっくれておるかっ!」

 ナタクとラーフラは殆ど同時に溜め息を吐き捨てた。
 ホフリと言う名の隊士が局長たちに打ち明けたのは、所謂、女性問題≠ナある。
以前に遊んだ≠アとのある女性から妊娠した旨を一方的に通達され、併せて慰謝料を請求されたと言うのだ。

「昨夜、延々とモバイルで話してるから何かと思ったんだけど、そーゆーコトね」

 隊医のゲット――サロペットジーンズと言う普段着姿なので医師には見えないが――は、
下方へ視線を落としたまま、ホフリの醜聞を「いつかはこうなると思ったんだよ」と笑い飛ばした。
 彼は皿に盛り付けられたトウモロコシのパンに手を伸ばしつつ、
旗持役――アラカネと言う名の巨魁だ――と盤上遊戯に興じており、
妙な動きを続けるホフリには顔を向けようともしない。
 ルーレットを回し、そこに記された数字の分だけ駒を進め、
マスに設定された出来事をこなしながらひとつの人生を体験していく遊戯だ。
 勝負の相手であるアラカネも耳だけをホフリに傾け、遊戯盤から目を離さない。
 小柄なゲットと相対する為、二メートルを越す巨躯を窮屈そうに縮める姿は滑稽だが、その双眸は猛獣のように鋭い。
 旗持≠ニは、その役名(な)が示すように『捨』の旗を守る者である。
如何に激しい戦場の真っ只中であっても覇天組の先頭に立ち、隊旗を掲げて駆け抜けるのだ。
 戦闘が繰り広げられている間、局長の傍らに在って旗を掲げ続ける役目は生半可な覚悟では務まらない。
戦場で『捨』の隊旗を掲げることは、格好の標的(まと)になるようなものである。
しかも、両手が塞がっている為に敵から襲われても応戦出来ないのだ。
 人を寄せ付けない苛烈な気魄を纏わせているが、それは幾多の修羅場を潜り抜けてきた胆力の顕れでもあるわけだ。

「いっそ虚勢でもしちまえよ。ここに腕の良い医者がいるんだからよ」

 この巨魁は目付きだけでなく口も悪い。一度、打ち解けてしまえば遊戯盤を囲めるようにもなるのだが、
愛想がなく、何かにつけて痛烈な悪態を吐くので取っ付きが悪い。
身体に密着したジャケットとズボンは共にラバー製だが、この上下が人を遠ざけるような毒々しい光沢を放っている。
 ホフリの身に降り掛かった災難にも彼は冷ややかだった。

「ふ、ふざけんなよ、アラカネ! ヤだぜ、おれ! 友達のアレをちょん切るなんて寝覚め悪過ぎるもん!」
「今まで何人を解剖≠オてきたんだ。棒っきれ一本、どうってこともねぇハズだろ」
「棒っきれと棒状の何かの間には大きな隔たりがあるんだよっ!」
「――いや、アラカネの言うことにも一理あるぞ。災いの芽は事前に摘んでおくに限るわい」
「ラーフラさん、話をややこしくしないでくださいよ〜!」

 アラカネが飛ばした痛罵の声にラーフラは真顔で頷いた。
虚勢≠ニは些か行き過ぎであるが、覇天組の規律を守る役目を負った副長として、隊士の醜聞は捨て置けないのだ。
 ラーフラの言葉を肯定するような視線が皆から浴びせられ、
ホフリは「人の勲章≠お花みてーに言うんじゃね〜よ!」と身震いして立ち上がった。

「いっそ身を固めたらどうですか。ホフリさんは落ち着かれたほうが良いと思いますから」
「お、おい、ちょっと待てってば!」
「責任を持つと人生変わるものですよ。物の見方も違ってきますし、今のホフリさんに一番必要なことかも知れません」

 戦闘の際に着用するプロテクターを手入れしていたハハヤは、最も適切な片の付け方をホフリに勧めた。
 純朴を絵に描いたような青年に見えて、ハハヤは立派な妻帯者である。より正確に言うならば、局長の妹婿なのだ。
それだけに彼の語る「責任」の一言には重みがある。
 コーデュロイのズボンに淡いグリーンのボタンダウンと言う今日の服装も妻が見繕った物だ。
 義兄であるナタクもハハヤの言葉を頼もしそうに見つめていた。

「『所帯染みる』って喩えがあるだろ? そいつは人によっちゃネガティブな捉え方をされちまうんだが、
おれに言わせりゃ、あれほど前向きな言葉もないよ。ハハヤの言うように独り身の間には分からなかったことだって
実感を伴って見えてくる。浮ついた趣味も自然と収まるもんさ」

 総長の指揮のもと、隊の経理や庶務を取り仕切る部門、『勘定方』の長であるニッコウも首肯した。
 非番に当たる今日は、ポロシャツにバギーパンツと言う快活な服装だ。
頭を上下させた拍子に肩掛けにしているスカーフも揺れた。
 彼もまた既婚者である。即ち、「責任」の取り方にはハハヤと同じように厳しいわけだ。
 帳簿を睨みつつ弾いていたソロバン――彼には電卓よりもこちらのほうが馴染んでいるそうだ――を手元に置くと、
改めてホフリに男として責任を果たすよう迫った。垂れ気味の目に宿る光は鋭い。
 ハハヤとニッコウの説得(ことば)は極めて常識的なものだが、それを素直に受け入れるような性格であったなら、
そもそも不埒な事件など起こすわけがない。案の定、ホフリは逆立ちして「勘弁してくれよぉ〜」と拒絶した。
逆立ちをする理由は分からないが、彼なりに抵抗の意思を示しているのだろう。

「大体よぉ、オイラが誰かひとりのものになっちまったら、世界中の良いオンナが悲しむじゃねぇか。
オイラはまだまだ世の中の良いオンナを幸せにしてやらにゃあならねぇ。所謂、ひとつの世直しってヤツさ!」
「実際問題、ど〜やって幸せにしてんの? お前の場合、あちこち呑み歩いてるし、趣味に入れ込みまくりだし、
カネだって持ってないだろ。……オレにも教えて欲しいもんだぜ」
「おっ、食いついてきた食いついてきた! 知りたい? 知りたい? 知りたいィ?」

 ホフリの話に反応を示したのは、武器開発などを担当するハクジツソと言う名の小太りな隊士である。
皺くちゃのシャツにスパッツと言う飾り気のない風貌だ。
 ゲットと同じ小柄で童顔だが、彼の場合は福々しい頬に贅肉が目立つ。
下腹の弛みも武闘集団の隊士には有るまじきものであった。戦いの場に於いて迅速に動けるとは思えない。
 自堕落にも床に寝そべったまま携帯ゲーム機に熱中していたのだが、
それは美少女との恋愛を疑似体験すると言う内容だった。
 本物の女≠知らないハクジツソにとってホフリの話は実に刺激的であり、何よりも興味を惹かれるのである。
 彼が身に着けるシャツには、幼い面立ちの美少女のイラストが大きく描かれている。
 逆立ちの状態から勢いよく床へと身を投げ出し、次いで身をくねらせてハクジツソに近付いていったホフリは、
もっともらしい咳払いを経て女≠語り始めた。

「いいかい、ハク。狙い目は頭の良いオンナだ。見てくれの良いヤツにしか興味のねぇガキは置いとけ。
そーゆーのは絶対につまらねぇし、後が面倒くせぇ。その点、賢いオンナは必ず内面を探ってくる。
良いオトコは向こうが嗅ぎ分けてくれるって寸法よォ。要は身も心も許せるって相手に思わせることだ。
そしたら、お前、入れ食い状態だぜぇ?」
「さっすが、ホフリは言うことが違うぜ。他はヘタレばっかりだから話がつまらないんだよ」
「だから、ホフリの中身を知って、慰謝料請求してきたんじゃねーのか、例の賢い女≠チてのは」

 ホフリとハクジツソによる与太話をナタクは呆れ声でもって一喝した。

「母性本能をくすぐられただけってオチじゃないの〜? 
あくまでも統計だけど、ダメなヤツほど放っておけないってデータ、物の本で目にしたことがあるよ」

 仲間たちの輪から少し離れ、壁に凭れ掛かりながら当地の酒を呷っていた覇天組の軍師が――
ジャガンナートが皮肉混じりで薀蓄を披露した。
 彼もまたニッコウと同じくカジュアルな服装だ。フードにロップイヤーの飾りが付いたパーカーとカーゴパンツ、
更に密閉型のヘッドフォンを首に引っ掛けている。
 ルドラと同じ褐色の肌と銀髪の持ち主だ。ただし、銀の髪をわざわざ金色に染め直しており、
斑模様のヘアピンで長い前髪を留めてある。
 軍師の披露した薀蓄は完全なる当てこすりであったのだが、ホフリは自分に対する擁護と勘違いしたらしく、
「そうなんだよ、知恵の働くヤツには通じるんだよ」などと言いながら尻を滑らせてにじり寄っていく。
 ホフリが馴れ馴れしく肩を組もうとした瞬間、ジャガンナートは彼に地酒の瓶を手渡し、
煩わしい腕をすり抜けるようにして立ち上がった。そのまま屋外へと出て行ったのは、
馴れ合うつもりはないと言う意思表示だ。

「本当に賢い女性は軽々しく心を開いたりしないものさ。だから、駆け引きが面白いんじゃないか」

 背中越しに別の薀蓄を飛ばすジャガンナートであったが、ホフリ当人は首を傾げるばかりで意味が解っておらず、
受け取った地酒を呷りつつ、「どんなオンナだって、開かせたら∴齒盾カゃん」と、
如何にも厭らしげな笑い声を上げた。
 ジャガンナートと入れ替わりで仮屯所に入ってきたシンカイは、室内の奇妙な空気を敏感に察知し、
間もなく仲間たちの様子からホフリが何らかの悪事を働いたことまで悟った。
 彼は剣術の道衣に袴と言う出で立ちである。汗みずくで木刀を担ぐ姿からも察せられる通り、
先刻まで表で武術の稽古に励んでいたのだ。後ろに撫で上げた黒髪はあちこちが乱れている。
 実に爽快であったと言うのに、その気持ちが一瞬にして萎えてしまった。

「またホフリが問題を起こしたのか。お前も本当に飽きんな」
「シンちゃん、ひでぇぜ、そりゃあ。オイラが悪さしたなんて決め付けねぇでくれよ。誰も何も言ってねーじゃん」
「今回の面子の中で問題を起こしそうなのはお前か『シュテン』くらいのものだ。
しかし、シュテンはそこで平然としている。……消去法と言うヤツだ」
「おう、やるねぇ! 名推理! ンまっ、オイラだって今回は被害者なんだけど」
「……詳しい事情は知らんが、お前が被害者でないことだけは俺にも分かる」

 鬱陶しそうに溜め息を吐くシンカイの後ろには銀髪の少年が続いている。
まだ十代前半ながら覇天組の正式な隊士であり、密偵のような任務を担う『監察方』に所属する身であった。
 その名をヌボコと言うが、何らかの任務を帯びて潜伏する際には『セシル』なる偽名を用いている。
 肌の色はルドラやジャガンナートと異なり、ナタクと同じ薄橙だった。
 彼もまたシンカイと武術の稽古に励んでいたらしく、薄橙の肌を包む藍色の道衣は汗でずぶ濡れとなっている。
両手には「金剛杵」と呼称される短い棒状のような武器を携えていた。

「……どうかしたのですか、父様?」
「いや、……その、なんだァ――」

 ヌボコの帰還を見て取った瞬間、ナタクは気まずげに顔を顰めた。
 この少年隊士のことをナタクは養子として迎えている。
 父の旧友のひとり息子であり、幸せとは言い難い生い立ちを背負っていたヌボコに深い憐憫を覚え、
自らのもとへ引き取ろうと決意したのである。ヌボコの両親は既に他界しており、
頼みに出来るような親族もいなかったのだ。
 つまり、ホフリが仕出かした醜聞を年端も行かない養子(むすこ)へ聞かせることをナタクは憚ったわけである。
遊び相手が妊娠した上に慰謝料を請求し始め、その対処に苦慮している――
倫理も何もあったものではない話はヌボコへ善からぬ影響を与えることも予想された。

「――それがよォ、ホフリのヤツがオンナ孕ませちまってな。責任取れだの取らないだのって揉めてたトコなんだよ。
どいつもこいつもバカっつーか、クソ真面目っつーか。ンな電話、シカト通せば良いのにな。
それにしても、ホフリのアレも斬っちまうかってハナシになったときゃ傑作だったぜ。
根≠取っちまえば、そりゃ二度と同じコトは起きねぇだろうけどさぁ〜」
「てめ……シュテン!」

 局長の葛藤を察知することも出来ずにヌボコへあらましを語ったのは、
今し方のシンカイの話の中にも登場したシュテンと言う隊士であった。
 女性が羨むほどきめ細かい黒髪を肩の辺りまで伸ばし、左右に分けた前髪を赤く染めている。
手入れをしていない所為か、毛先までボロボロだが、それが一風変わった味わいを生み出していた。
 端正な顔立ちに、少しだけ釣り上がった双眸――見てくれだけならば、テレビタレントのようだ。
使い古されたジーンズにデニム地のシャツと言うシンプルな出で立ちも素材≠フ良さを引き立てている。
 彼もまた覇天組隊内ではろくでなし≠フ部類に入る男だった。彼方此方で小賢しい悪事を働いて居場所を失い、
マフィアに追われて殺されそうになった挙げ句、食い扶持を求めて旧友のナタクたちに合流したのである。
 一応は覇天組結成以来のメンバーであり、隊内でも一、二を争う勇名の持ち主なのだが、
余りにも素行不良が目立つ為、ホフリと合わせて問題児扱いされていた。
 両の手首と足首に金属製の枷が見られるのだが、これはマフィアの使い走りをさせられていた頃、
当時の親分(ボス)に逆らって嵌められた物である。肉体に絶対服従の恐怖を刻み込む為の制裁と言うわけだ。
 マフィアから足を洗って覇天組に参加したのであれば、何れの枷も取り除けば良かろう。
実際、錠も鎖も外されており、着脱は自由なのだ。
 ところが、シュテン本人は「男として箔が付く」などと余人には理解不能な美意識を持っており、
一種の勲章≠フ如く自慢して回っている。
 軽率な振る舞いの数々からも察せられるように、「短慮」の二字が服を着て歩いているような男なのだ。
稽古を終えたシンカイとヌボコが戻ってきた途端、エレキギターを奏でていた手――アンプに接続もしていないので、
弦の弾かれる音が微かに聞こえるのみだが――を止め、楽しそうにホフリの醜聞を説いたのだった。
 ナタクの心配はともかくとして――ホフリが女性関係にだらしがないと言う風聞はヌボコの耳にも既に入っており、
今更になって驚くこともない。妊娠の発覚についても「やはり女性で身を滅ぼしそうですね」と、
極めて冷静に受け止めていた。むしろ、冷淡と言って良い。
 代わりに表情を険しくしたのはシンカイであった。今やホフリに軽蔑の眼差しを浴びせている。

「……全く以って分からん。どうしてこんな男に女は引っ掛かるのだ。どこからどう見てもだらしない男に」
「羨ましい? シンちゃん、奥手だもんなぁ〜」
「この表情(かお)が羨ましがっているものだと思うのか?」

 相手にするのも馬鹿馬鹿しいとばかりに床へ腰を下ろしたシンカイは、
着物を開け広げて上半身を剥き出しにすると、流れ落ちる汗をタオルでもって拭い始めた。
ヌボコと模擬戦でもしていたのだろう。全身のあちこちに打撲や裂傷が見て取れた。
 「倫理に引っ掛かる男を羨ましがるバカなどいるものか」と憤慨するシンカイや、
相槌を打つヌボコの前にスポーツドリンクのペットボトルを差し出したのは、気配り上手のニッコウである。
ホフリの醜聞はさて置き、激しい稽古の後に一息つくよう促したわけだ。
 ニッコウに礼を述べてから開栓し、水分を補給したヌボコも、間もなく汗で濡れそぼったシャツを着替え出した。
躍動によって紅潮した頬に銀色の解れ髪が張り付き、少年らしからぬ艶を醸し出している。

「コイツが女だったら、オイラ、放っとかねぇんだけどなぁ〜」
「――そう言う冗談は本当に慎んでくださいっ!」

 後ろ髪を紐で縛るヌボコのうなじを眺め、ホフリが口笛を吹く。
その下劣な冗談に対して、ハハヤが手入れしていた篭手を投げ付けた。
 ハハヤにとってナタクは義兄であり、同時に武術の師匠(センパイ)でもある。
それだけに局長の養子であるヌボコのことは実の弟のように可愛がっているのだ。
ホフリの飛ばした冗談は決して看過することが出来なかった。
 漆黒の篭手を側頭部に直撃されたホフリは、不貞腐れたように床へと身を投げ出した。

「ダチは皆して冷てェし、侍祭ちゃんに慰めてもらおーかな〜」

 ホフリが口にしたのは、先日、不埒な声を掛けた相手のことである。
仲間たちにまで迷惑の及ぶような大問題を引き起こしておきながら、本当に反省していないらしい。
 しかも、今度はシュテンと言う味方まで在る。「短慮」の二字が服を着て歩いているようなこの男は、
ホフリに同調して「オレの見たところ、向こうもお前に興味津々みたいだぜ」と言い出したのである。
 どのように解釈すれば、苦情を入れてきた女性侍祭がホフリに懸想していると見えるのだろうか――
ナタクは腕組みしたまま頭を振った。
 同じ問題児に振り分けられるシュテンであるが、彼の場合はホフリとは別の素行不良が目立つのだ。
女性関係で揉め事を起こしたことはなく、安っぽい暴力沙汰や借金の踏み倒しなどケチ≠ネ悪さばかりである。
 即ち、軟派なホフリとも違う意味で女性の心理に鈍感と言うことだ。実際、シュテンの論理には何の根拠もない。

「教会で働くコってのは世間知らずだ。そう言うコはアプローチの仕方を知らねぇ。
だから、クレームって形でしかお前に返事出来なかったワケよ。
今夜あたり、また迫ってみれば、あっさりぽっきりオチるかも知れねぇな!」
「おうおう、シュテンもガンさんと同じようにアタマが切れるねぇ〜。裏の世界を渡り歩いてきただけのことはあるよ」
「任せろ! 路地裏≠フコトは全部体験済みだからよ! 酸いも甘いも噛み分けたオトナだぜ、オレは!」

 思わぬ味方を得たホフリは「シュテンは分かってる!」と彼の肩を叩いたが、
内心では「シュテンは何も分かってねぇ」と嘲っている。
 それについてはラーフラも同じ考えを抱いている。副長とシュテンは古くからの付き合いであり、
この男がマフィアの使い走りにまで身を落としてしまったきっかけも知っている。
 懸想した女性に裏切られたことが原因で身を持ち崩し、
坂道を転げ落ちるようにして裏路地≠ヨと追いやられたのだ。
 変転の経緯を知っているだけにホフリへ同調する姿が痛々しく、居た堪れない気持ちになってしまうのである。

「このバカもまとめてちょん切っちまえ。ちったぁ大人しくなるんじゃねぇか」
「アラカネ、幾らなんでもそりゃやり過ぎだ。気持ちは分かるが、俺も性別変えろとは言えねぇ」
「局長のお前が及び腰でどうすんだ。ラーフラさんじゃねぇが、問題が起きてからじゃ遅ェだろ。
つーか、もう起きちまってるけどよ。……これ以上、種蒔き≠ウれる前に何とかしろよ」
「成る程、虚勢したいと言うわけか。それについては俺も反対はせん。ゲット、一思いに摘み取ってやれ」
「さっきもアラカネに同じこと言ったけど、そんな寝覚めの悪いコト、絶対にゴメンだっつーのッ!」
「ならば、致し方ない。切断は俺が引き受けよう。縫合だけは任せるぞ」
「……シンくんってさ、時々、すっごいアホになるよな。そのテの手術は縫合だけすりゃ済むモンじゃないんだよ」
「お前が言うとシャレにならねぇから、ちょっと黙ってろ、シン。ゲットもマジメに取り合うんじゃねぇよ」
「つまらんモノを斬るのは不本意だが、俺は真剣だ」
「尚更、アホだッ!」

 またしても物騒なことを口走るアラカネや、彼に同意するシンカイを押し留めたナタクは、
シュテンとホフリを順繰りに見つめ――ふたりとも股間を両手で覆い隠している――、
局長の立場から改めて両者を窘めた。

「よく聞け、この大馬鹿ども。俺だって私生活に踏み込みたかねぇよ。何でも好きなようにしたら良い。
……でもな、お前らは覇天組の一員だ。一員≠チつーコトは、他にも同じ仲間がたくさんいるってコトじゃねぇか。
みんな、気の良い連中だって知ってるだろ? そう言うヤツらが困ってもお前らは平気なのかよ。
手前ェさえ気持ち良ければ周りは知ったこっちゃねぇって、そりゃガキの考え方だぜ」
「ナタクの――局長の話、胸に留めてやってくれ。資金の工面だけなら、おれたち勘定方で何とか出来るけど、
出張所の手配はなかなか厳しい。教皇庁から二度と教会を使うなって言われたら、それで投了ってもんだ。
いつ襲われるかも分からないから、そこいらのホテルも使えねぇしな。
それでも、ギルガメシュ討伐って任務だけは陽之元の為にもやらなきゃならない。
最悪、覇天組揃って野宿だ。……な? 教会と揉めたって、何ひとつ良いことないだろ?」

 ニッコウもナタクの言葉に頷いている。勘定方の彼は具体的な実害を挙げてふたりを諭していった。

「ハク、お前も旅館の倅ならおれの言いたいことが分かるよな?」
「分かるっつーか、なんちゅ〜か……」

 ニッコウから尋ねられたハクジツソは、頬を掻きつつそっぽを向いてしまった。
 ハクジツソの実家は陽之元全土に展開するホテルチェーンを経営している。彼はその名門の出身であった。
それ故、テロリストを相手に戦う人間が一般の宿泊施設を利用することの危険性をニッコウは質したわけである。
 万が一、敵対勢力に襲撃されようものなら宿泊客から多くの犠牲が出てしまうことだろう。
 改めて尋ねるまでもなく答えが分かり切っているだけにニッコウの語気は強く、ハクジツソは口篭ってしまった。
教皇庁との関係を損ねることは、まさしく覇天組全体の損害なのである。

「もし、本当に男として責任を取るって覚悟したんなら、俺は幾らでも力になるぜ、ホフリ。
シュテンもよぉ、粋がってねぇで自分をもっと大事にしろよ。ホフリを煽ってバカなことになったら、
お前まで風当たり強くなっちまうぜ。……お前の場合、マジで次に行くトコねぇだろ」
「そ〜かぁ? オレ、別に日雇いのバイトでも構わねぇぜ? 
覇天組追い出されたって、せいぜいストリートミュージシャンに戻る程度だもん。
路上生活だって慣れちまえば面白ェんだぜ」
「……どこまでバカなんだ、てめぇは。クズ人間丸出しなことを言ってんじゃねーよ」
「局長のお説教はごもっともだけどさぁ、そうやって責任、責任って杓子定規になんのはどうかと思うんだよ。
そりゃあ、いざとなったら責任くらい取るよ、オイラも。男だからさ。でも、それは今じゃねぇ気もするんだ。
所帯持つってのは、お前、最後の選択肢だろ?」
「おいおい、待て待て。おれの話もハハヤの話も聞いてないのか、お前は。
だから、今がその最後の選択のときだって言ってんだよ」
「ンなこと言い始めたら、てめぇ、そもそも何で相談してきやがったのかっつー話になるんじゃねぇか」
「いやあ〜、局長と勘定方の思いやりで慰謝料を都合して貰おうかな〜って――ひとつ、頼むよ、ニッコウちゃ〜ん」
「分かっちゃいたけど、清々しいくらいのクソっぷりだな! そんなことに隊費なんか使えるかっ!」
「――いや、ホフリは潔い! カネで解決出来るコトは、極力、それでケリつけるのに限るんだ! 
下手に後腐れなんて残したらどんな目に遭うか、そいつは監察方の仕事が証明してるだろ? 
尻尾は掴み放題、影も踏み放題、叩いて埃も飛ばしまくりってヤツさぁ〜」
「……て言うか、何でハクが口を挟むんだよ。てめぇは全く関係ねぇだろうが」
「これは覇天組と言う隊の為に言ってんだよ、ナタク――いや、局長! 
男と女の清算はややこしくなる前に済ませるに限るんだって! カネ払って済むなら、寧ろ儲けモン! 
……いつかおれも世話になるかも知れないしぃ? これは誰にだって起こり得ることなんだぁ!」
「余計な心配すんな。今のてめぇにゃ、そんな可能性は毛ほどもねぇよ」

 ギルガメシュから死の象徴などと恐れられる覇天組局長とは思えないほど温情に満ちた諌めの言葉だったが、
案の定、シュテンとホフリには少しも響いておらず、屁理屈で言い返される始末である。
 それどころか、今ではハクジツソまでホフリたちの擁護に回っている。
女を知っている<zフリに肖ろうと言うわけだ。
 先程、ニッコウから投げ掛けられた厳しい言葉も欲望の前には霞んでしまうらしい。
それはホテルチェーンの御曹司と言う自身の経歴を失念していることにも等しかった。
 ナタクと一緒になって説得を試みていたニッコウも手の施しようがないと肩を竦めてしまっている。
「タマなし三兄弟でキメちまえよ、もう」と鼻を鳴らしたアラカネを窘める声は、最早、何処からも上がらなかった。
 一方、ハハヤはヌボコの両の耳を掌で強く押さえ付けている。教育に悪いとしか言いようのない下種な話を
彼に聞かせないように図ったわけだ。
 電子メールをやり取りしているのだろうか――大人たちが聞くに堪えない応酬を繰り広げる間にも、
ヌボコはモバイルを操作し続けていた。両耳を蓋≠ノよって塞がれたことを受けて、
モバイルの画面と眼前の醜い光景と言った具合に、世界をふたつに切り分けたのかも知れない。

「オレの経験から推理するとだな――向こうさん、カネ目当てでウソ八百をフッ掛けてきたかもだぜ!? 
美人局(つつもたせ)って可能性もあらぁよ。オンナってのは怖ぇからよ」
「――あっ! シュテン、名探偵だねぇッ! それがイチバン可能性高いよ! 
騙し取られる前に気付いて良かった! 実際、スレッスレだったぜ、ホフリぃ!」
「オイラ、手玉に取られちゃった? 確かに溺れさせてくれるような年上のお姉サマだったけど――
ま、そんなら、後はもうシカト通せば良いかな! 
鬱陶しいババアよりウブでお清楚な侍祭ちゃんだよ、これからの時代は!」
「だ、だったらさ――お、お、おれも一緒していいかな!? いや、スケベ目的じゃなくてさ、
今後の人生の為にも知っておいた≠ルうが何かと良いんじゃね〜のかって思って!」
「オレも、オレも! 楽しいコトは皆で分かち合おうぜッ!」
「……てめぇらは――」

 ハクジツソの発言が事態を拗れさせていると見做したナタクは、
正座した状態から瞬時にして彼の背後まで回り込み、後頭部に強烈な頭突きを見舞った。
 覇天組と言う恐るべき武闘集団を束ねるナタクは、当然ながら武術の達人である。
そのような男の頭突きを急所に喰らわされては一溜まりもなく、
視界が真っ暗になったハクジツソは、その身をぐらりと傾がせた。
 だが、武術の達人より仕掛けられた技が一発のみで終わる筈もない。
打撃によって相手の体勢を崩すのは序の口に過ぎないのだ。

「――手前ェを呪いなッ!」

 傾きつつあるハクジツソの左腕を己の左膝裏で挟み込んだナタクは、
続けて左掌でもって後頭部を押さえ付け、彼の身を前方に叩き伏せた。
 反動で浮き上がったハクジツソの首をすかさず右膝裏で挟み、気道を押し潰しに掛かる。
股で絞め付けるのではなく、より短い動作で力を加えられる膝裏にて銜え込んだのだ。
 反射的にもがくハクジツソであるが、ナタクは後頭部に右拳を振り落として沈黙させ、
更には掌を開いて頚椎を後ろから掴む。五指に力を込めれば、首筋の経絡を惨たらしく抉ることが出来るだろう。
 このようにして組み敷く寸前にハクジツソの右腕を左の五指でもって掴み上げておいたナタクは、
その肘裏を己の右下腕に引っ掛ける。互いの右腕を交差させることで関節をも極めてしまおうと言うのだ。
 ハクジツソの右腕を反り返らせると、連動して彼の上体も引き起こされ、
更なる圧が首に加わると言う計算に基づいている。強引に捻りを加える為、背骨にまで甚大な痛手が及ぶのだ。
杭の如く床に突いた左膝は、これらの動きの要――所謂、支点としても作用していた。
 しかも、ハクジツソの背に腰を下ろした状態である為、自身の全体重を技に反映させられる。
ありとあらゆる動作が絞め技を完成させる要素として機能しているわけだ。

「……ナ……タ……ク……」
「世が世なら、てめぇ、こいつで首級(くび)を落とされてるぜ。そう言う業なんだからよ」

 元より組み伏せられた状況だ。身体の動きは大幅に制限されており、尚且つ左腕も肘から上が完全に固定されている。
唯一、自由な足を乱暴に振り動かしてみたものの、その程度で達人の技を外せるわけがなく、
いよいよハクジツソには為す術がなかった。

「ちょ……マジで……こ、これ……首ッ……チョーク……入って……!」
「間抜けなコトをほざくんじゃねぇよ、入れてんだよ」

 床に突いた両の膝のみで高速移動し、標的の背後へ回り込むや否や、足でもって首を脅かす絞め技のことを、
ナタクが修めた流派では『霧風巻(きりしまき)』と呼称していた。
 ハクジツソを脅かした技は、その中でも基礎の型である。
現在は気道を潰すのみに留めているが、本来、首と両腕の骨を同時に圧し折る技なのだ。
場合によっては、確実に仕留め切れるよう中空から技に入り、急降下の勢いをも利用することがある。
 そして、ナタクが説いたように組み敷いたままで頚椎へ白刃を宛がうこともある――と言うよりも、
それこそが本来の用途であった。
 四肢の柔軟性を求められる他、体勢に無理があるのでナタク本人にも大きな負担が圧し掛かるのだが、
首を絞める関節が悲鳴を上げる前にハクジツソのほうが保つまい。
 『最凶』と畏怖されるような隊を率いるには、ときに「拳で語る」と言うことも求められるのだろう。
どれだけ言葉を尽くしても右から左へと受け流す手合いは、身体に罰を刻み込むしかないわけだ。
 首を搦め取られた瞬間、さしものハクジツソも調子に乗りすぎたと自覚したのだが、今となっては手遅れである。
気道を圧迫されている為、謝罪の声を絞り出すことも不可能となっていた。

「首がバッキリ行かないで絞め込むだけってのもキツいだろうなぁ。真綿でナントヤラってヤツだ。
ま、優しい局長に感謝しろよっつーコトで」

 憐れみを孕んだニッコウの声が耳へ届く前に、ハクジツソの意識は砂嵐≠ノ飲み込まれていった。
 あるいは、この程度で済まされたことはハクジツソにとって幸いだったのかも知れない。
隊の規律を守ることを己の役目として心得ている副長の目は、今や全く笑っていなかった。
彼が腰を上げていたなら、虚勢どころではなくなっていた筈なのだ。

「……ハクジツソさんに同意するようで面白くありませんが、詐取と言う予想は的中したみたいです」

 ハクジツソが気絶するのと同時に、ヌボコはモバイルの液晶画面からホフリへと目を転じた。
 ゲットに向かってハクジツソを放り投げ――遊戯の最中だったゲット当人からは抗議されてしまったが――、
次なる標的として定めたシュテンを睨み付けるナタクも息子の真意を測り兼ね、
「一体全体、何のことを言ってんだ、そりゃ?」と問い掛ける。
 一方のシュテンは手元に置いていたエレキギターを咄嗟に抱えたが、
目にも留まらぬ速度で動き回るナタクが相手では、おそらく盾の代わりにもなるまい。

「――僕も訊きたいね。ヌボコ君、詐取って言うのはホフリさんのことなのかい?」

 ヌボコの耳から両手を離したハハヤも首を傾げている。

「ご明察――慰謝料を請求してきた女性のことですよ。随分と賢いというか、狡賢い人に引っ掛かったようですね。
同じ手口で金銭を騙し取られた男性は他にもたくさん居たみたいです」

 ヌボコ曰く――妊娠を仄めかしてホフリの動揺を煽り、多額の慰謝料をせしめようとした女性は、
その筋≠ナは有名な詐欺師であった。被害者は数知れず、シェリフに逮捕されたことも一度や二度ではないと言う。
 賢いと言うよりも狡賢い人――ヌボコが飛ばした比喩は実に的確であったわけだ。
大人顔負けの頭脳と冷静な判断力を兼ね備えたこの少年のこと、比喩でなく揶揄のつもりであったのかも知れない。

「……バカは死ななきゃ直らねぇってか……」

 ナタクは呆れを通り越して何も言えなくなってしまっている。
 何故ならば、詐欺であったことを確認したホフリが、能天気にも「セーフ!」と両手を水平に開閉させたからである。
 身に覚えがある時点で詐欺師の罠など関係なく猛省しなくてはならない筈だが、
重大と言っても差し支えのない己の過失をホフリは未だに自覚していないらしい。

「――って、ちょい待った! なんで、ヌボコがンなことを知ってんの!? おかしくねッ!?」

 ことなきを得た祝いとばかりにジャガンナートより手渡された地酒を空にするホフリであったが、
瓶を口から離すと同時に新たな疑念を喚き出した。どうやら酒を呷っている間に思考が働いたようだ。
 随分と焦点がズレているようにも思えるものの、それはホフリにとって看過し難い事態である。

「ここ最近のあなたの行動には不審なことが多過ぎます。
監察方の一部がホフリさんの日常的な振る舞いを監視していたのですよ。これ以上、問題を起こさないようにね。
……もしかしたら、接触した人間のことまで調べているんじゃないかと考えまして、
監察の隊士(なかま)に確認したところ、ビンゴだった――と言うわけです」

 監察方にホフリの身辺を探るよう命じたのは、隊内の規律を守る役割を担ったラーフラである――が、
彼の記憶が間違いでなければ、件の調査はヌボコ以外の隊士に指示を出していた筈であった。
 しかし、勘働きの鋭いヌボコは伏せられていたことも敏感に察知してしまう。
大人たちのやり取りからあらましを悟ると、電子メールでもって監察方の同僚に仔細を確かめたのだった。
 ヌボコにとっては推理の答え合わせと言うわけだ。実際にホフリの身辺調査に携わっていた者は、
彼も事情を知るひとりと捉え、件の詐欺師の情報を提供したのである。

「そ、そ、素行調査なんてしてやがったのかようっ!」

 ホフリが憤慨するのも無理からぬ話であろう。今し方、局長は隊士の自由を束縛しないと語ったばかりである――が、
現実はどうであったか。隊士の素行を監視していたと言うではないか。
 これはプライバシーの侵害に他ならず、断じて許すわけには行かない。
シュテンまでもが「ナメた真似してくれるじゃねーかッ!」と怒り出し、肩を組みつつホフリと一緒に立ち上がりると、
「おめーら、こんな独裁が我慢出来んのか!?」と、仲間たちにも抗議するよう促した。
 だが、皆から向けられたのは賛成ではなく冷ややかな視線のみである。

「どう考えても、お前だけに向けられた特別措置ではないか。
よしんば同じような監視があるとしても、シュテンとハクジツソだろうな。お前たち、三馬鹿は本当にタチが悪い」
「――だろうな。監察だって暇じゃねぇんだ。いちいち隊士全員の動きなんぞ探ってられっかよ。
つーか、何を仕出かすか分からねぇクズに目ェ光らせるのは当たり前だろーが」

 シンカイとアラカネは特に辛辣だ。それでいて、正論しか口にしていない。
 常日頃から素行に問題があり、教皇庁とまで揉めごとを起こした上に
再犯≠フ可能性もあるホフリを警戒するのは当然と言えよう。
 ようやく己の立場と状況を認識したホフリは、「これまた失礼しました〜!」と、すっ呆けたように舌を出した。

「よもや、ヌボコに読み抜かれるとは思わなんだが――その通りじゃ。監察方にホフリを探らせておったのじゃよ。
……ワシより先にヌボコに調査結果が届くのは、何とも複雑じゃが……」
「『複雑』ってのは俺の台詞だぜ。素行調査なんて聞いてねぇぞ、ラーフラ?」
「局長の耳に入れるまでもないと判断したのじゃ。監視と言うても短期間のつもりでおったしの」

 ホフリに対する素行調査は副長の一存で決められたことであり、局長のナタクさえ知らなかった――が、
さりとてこれを咎める気はない。結果的にラーフラの判断が覇天組を醜聞から救ったのである。
 ヌボコを経由して報(しら)されたことではあるものの、
ホフリの身に降り掛かったことが詐欺であると把握していなければ、あるいは判断を誤ったかも知れない。
慰謝料を騙し取られたと言う風聞は、覇天組が纏う『最凶』の武威を大いに毀損したことだろう。

「それにしても――ヌボコ、お主、どうしてワシの命令を知り得たのじゃ? 
お主には……いや、今回同行しておる者には誰にも話しておらんかった筈じゃ」
「近しい人間に知られては厳正な調査の妨げになりますからね」
「左様」
「ホフリさんの置かれた状況を考えれば、ラーフラさんは必ず監察方を動かすと思いましたよ。
アラカネさんも仰いましたが、何を仕出かすか分からない人を野放しにはしておけない。
そんなとき、あなたならどうするか――自ずと答えは出ると言うものです」
「……隠しごとにも一苦労じゃわい」
「そもそも隠しごとをすんな。せめて、俺やルドラさんには相談しとけよ」
「うむ――善処しよう」
「……ヌボコ、このクソジジィに何か不審なトコロを見つけたら速攻で俺に言えよ」
「父様、敢えて泳がせて様子を見るのもひとつの策だと思うのですが」
「――それもそうだな。よっしゃ、そのあたりの見切りはお前に任せるぜ。
ただし、コイツをブッ飛ばす仕事だけは父ちゃんに取っておいてくれよ」
「ターゲットの追い込みも監察の仕事ですから、そこは抜かりません」
「……ここぞとばかりに親子のコンビネーションを見せつけおってからに……」

 ナタクとヌボコ――義理の親子と言うこともあって顔の造りは似ても似つかないふたりだ。
肌の色は同じだが、毛髪はナタクが黒、ヌボコは銀と言う具合に異なっている。
 ヌボコが二親を亡くしたときに養父として名乗りを上げたのがナタクであった。
ふたりの父が親友同士だった縁もあって昔から互いのことを良く知っており、養子縁組は滞りなく進んだ。
 正確にはナタクのほうで手配りし、万難を排したと言うべきかも知れなかった。
 ヌボコの父親は陽之元の要人であり、孤児となった彼を政治的な目論見から引き取ろうとした者も少なくない。
下卑た企みの為にヌボコの人生を狂わされることがナタクには許せず、
養子縁組に異論を唱える者は武威を示して黙らせていった。
 養父の思いはヌボコも深い感謝と共に受け止めており、今では血の繋がりに等しい絆で結ばれていた。
 生来、折り目正しい性格なので、親子になった後もヌボコは敬語が抜けないのだが、
ナタクとしては「父様」ではなく「親父」と気安く呼んで欲しいと願っている。

「――と言うわけで、俺の話はこれで済みました。煮るなり焼くなり好きなようにどうぞ。後の事は知らんので……」

 自分の役目≠ヘ終わったとばかりに一礼をしたヌボコは、袴を押さえつつ膝頭でもって後方へと下がった。
 わざわざ頭を下げたのは、それがひとつの合図であるからだ。
そして、ヌボコが誰に何を促したのかを悟ったハハヤは、双眸を驚愕に見開き、思わず仰け反った。
 ヌボコが合図を送ったのは今まで沈黙を守っていたルドラであり、その総長は満面の笑みを浮かべている。
しかし、全身から立ち上る気配は殺伐以外の何物でもなかった。

「シンカイ君、木刀を一振り貸しては貰えないだろうか」
「あ、は、はい――」

 ルドラより請われたシンカイは、手元に置いてあった木刀を反射的に差し出した。
 シンカイとて笑顔の裏の殺気は感じ取っている――と言うよりも、
この場に居合わせた誰もが総長の変調に慄いていた。ホフリとシュテンに至っては抱き合いながら全身を震わせている。
 ルドラが本気で怒っていることは、最早、誰の目にも明らかであった。
 隊の運営を実務レベルで管理するのが総長の役目である。風紀の維持に関しても副長と同等の責任感を抱いており、
これを軽々しく乱し、尚且つ反省もしないような隊士を決して許さないのだ。
 「逆鱗に触れる」と言う諺があるが、ホフリとシュテン、更にハクジツソの言行は、まさしくこの通りのもの。
今の今までルドラが沈黙を貫いていたのは、身の裡から噴き出しそうになる怒りを抑えていたからに他ならない。
 後方を振り返って黒装束に一礼したルドラは、次いでホフリとシュテンに目を転じる。
総長より発せられる憤怒に気圧され、彼の進路を遮っていた者たちは、すぐさま左右に分かれた。
 局長のナタクも例外ではなく、後ろで縛った長い髪を指先でもって弄びながら、
目の前を通り過ぎていく総長へ「……お手柔らかにな」と手加減を促すのが精一杯だった。

「局長と副長にここまで骨折りをさせてしまったんだ。総長としても隊の益になることをしなくてはならないね。
例えば、そうだな――」

 ルドラは右手でもって木刀を軽く振るい、これを左の掌で受け止める。乾いた音が高い天井に跳ね返った。

「――特別研修≠ヘどうだろう?」

 ルドラ自らが教官を担当すると宣言した直後、ふたつの悲鳴が教会の敷地内に響き渡った。





 ホフリ、シュテン、更には無理やり叩き起こされたハクジツソが仮屯所の屋根から逆さ吊りにされている頃、
ジャガンナートは昼間から開いている酒場にて独りグラスを傾けていた。
 問題児たちの性格を熟知している覇天組の軍師は、必ずや事態が拗れると見越して仮屯所から避難したわけだ。
 地下室を改造した酒場は独特の雰囲気を醸し出しており、奥まった箇所に設えられた舞台(ステージ)では、
地元でも名の知れたグループが流行り歌を披露している。
 メンバーのひとりである女性がステージの脇にて奏でるピアノの調べは季節を運ぶ風のように心地良く、
ジャガンナートは瞑目したまま聞き入っている。
 覇天組では血腥い任務を取り仕切るジャガンナートだが、彼は軍師であると同時に優れた演奏家でもある。
ピアノを中心にトランペットやヴァイオリンなど、ありとあらゆる楽器に精通しているのだ。
 心から音楽を愛するこの男にとって、今が至福の時間であった。
 ジャガンナートが座る独り用のテーブルに新しいカクテルが運ばれてきたのは、
グループの曲目が別のものに切り替わった直後である。
 自分は注文していないと押し返そうとするジャガンナートをウェイトレスは先手を取って制し、
流行歌によって声を掻き消されないよう「あちらの方からです」と耳元で囁いた。
 ウェイトレスが示した方向を一瞥したジャガンナートは、そこに見つけた顔に思わず眉を顰めた。
 自身のグラスとオードブルの皿を手に軽やかな足取りで近寄ってきたのは見知った男であり、
それだけに煩わしさが込み上げてくるのだ。知り合いに発見された瞬間、至福の時間は終わりを告げたわけである。
 桃色に染めた髪を耳の裏の辺りでふたつに結わえ、ゼブラ柄のシャツにサングラスと言う出で立ちで現れたのは、
ミカヅチなる名の男であった。
 覇天組と同じ陽之元国の所属であり、やはり首都警護や対テロリストの取り締まりを任務とする
『鬼道衆(きどうしゅう)』と言う組織の幹部である。
 覇天組と鬼道衆は任務上の好敵手と言う関係で、共同戦線を張ることも少なくない。
ジャガンナートは軍師として局長に付き従い、鬼道衆の幹部との会合にも参加している。
そうした縁からミカヅチとは幾度となく顔を合わせていたのだ。
 尤も、付き合い自体は覇天組を結成する以前に始まっており、親しい間柄と言えなくもなかった。
 ウェイトレスに椅子を用意させ、ジャガンナートのテーブルへ強引に自分のスペースを作ったミカヅチは、
不機嫌を隠そうともしない正面の顔を「独りで呑んでるから、そんな辛気臭い顔になるんだよ」と陽気に笑い飛ばした。

「隠密の調査だと遊ぶに遊べねぇだろ? 地元の酒や食いもんを喫(や)るくらいしか楽しみもねぇじゃん。
そんで、ヒマを持て余してたら知った顔。偶然ってのはあるもんだなぁ――シュテンたちも来てんのか?」

 相手の反応も待たず、己の事情を好き勝手に喋るあたり、
ミカヅチが場の空気と言うものを読まない手合いであることは察せられた。
事実、ジャガンナートは相槌を打つ拍子すら見失い、辟易した様子で頭(かぶり)を振っている。
 ジャガンナートが次に言葉を発したのは、ミカヅチの声が途切れた瞬間である。
息継ぎによって生じる言葉の合間を見逃してしまうと、次の機会を長く待たなくてはならないので大忙しだ。

「隠密の調査って……この国に――かい?」
「モチのロンよ。しかも、休暇扱いなんだぜ、これ。ケチくせーと思わねぇかよ。
事務処理だけは休暇なのにホントはバリバリの任務だから観光も出来ねぇし。
だったら、せめて出張にしてくれってんだ。ただでさえ休みが少ねぇんだからさ。
そこらへん、うちの『与頭(くみがしら)』はカタいんだよなぁ」

 ミカヅチが口にした『与頭』とは鬼道衆を率いる隊長のことを指している。
覇天組に於ける『局長』に相当する役職と言うわけだ。

「何らかのトラブルに巻き込まれたとき、見せ掛けじゃなくて本当の休暇としておいたほうが有利な場合もあるんだよ。
身元の照会をされたときに相手が引っ掛かって騙されるかも知れないだろう? 立派な危機回避の工夫だよ」
「そこよ、それ! そういう世の中の杓子定規な考え方が俺は気に食わねぇんだよなぁ。
人間、働く時間と遊ぶ時間はしっかりメリハリ付けねぇと!」
「さてはキミ、人の話を聞く気がないな」

 会話として成立させる気がないようなミカヅチに呆れつつも、必要な情報を抽出することが出来たジャガンナートは、
適当に相槌を打ちながら鬼道衆の動向を考察し始めた。
 鬼道衆(かれら)も陽之元国外に任務を帯びて出向いていると言う。
覇天組の軍師として、これほど関心を引かれる話はない。
 鬼道衆は覇天組と違って教皇庁に出撃を要請されてはいない。
即ち、ミカヅチは教皇庁以外の意思によって国外に潜入しているのであり、だからこそ「隠密」と言明したわけだ。
 危険を冒してまで幹部を潜入させるからには、おそらくは相当に重大な調査なのであろう。
ミカヅチは鬼道衆に於いて『肝煎(きもいり)』と言う地位にあり、これは覇天組の副長や総長に相当する。

「実はこの国に『艮家(こんけ)』の末裔が潜伏しているってウワサがあるんだよ。
そのウワサがマジかどうか、俺は調べてるってワケさ」
「艮家……だって……!?」

 ミカヅチが小声で語った『艮家(こんけ)』とは、覇天組が陽之元の内戦――『北東落日の大乱』の折に
最後まで戦い続けた政敵である。陽之元に蔓延っていた旧権力の象徴とも言うべき名門であり、
国家の中興から現代に至るまで、数世代に亘って隠然と支配力を発揮してきた血族であった。
 陽之元と言う島国に血肉と化して溶け込んでいたと言っても過言ではない。
そのような存在は国を腐らせる原因であり、世代を重ねるにつれて膿≠ェ噴き出し、
やがて大規模な内戦の時代にまで発展したのだ。
 婚姻と言う政略を駆使して権力の土台を築き上げてきた艮家は、陽之元と言う島国に細胞の如く息衝いており、
根絶は不可能かと思われた――が、反乱の指導者のひとりが奇跡と称される『秘策』を打ち出し、
これによって艮家の権力は完全に消え失せてしまった。
 艮家の凋落を受けて、陽之元の内乱は終焉に向かった次第である。
 そもそも、『北東落日の大乱』と言う呼び名は艮家の凋落を表したものなのだ。
曰く、東に日が落ちるような有り得ない事態が起きた――と。
 しかし、権力は剥奪しても人材(にんげん)は残る。艮家は中央政権だけでなく各地の有力者とも婚姻を結んでいた。
そうした者たちが新政権に加わり、国を操るようになっては艮家の時代の繰り返しとなる。
そこで覇天組は老若男女を問わず艮家を族滅せしめたのだ。
 史上類を見ない恐るべき所業と言えよう。鬼道衆もこの任務を分かち合い、
両隊は『凶』の一字を以って畏怖されるようになったのである。
 血筋の全てを根絶やしに出来たとは思えないが、少なくとも現世代に於いて陽之元の国体に影響を及ぼし得る者は、
「国家を腐らせた天下の罪人」と言う大義名分を掲げて残らず始末した筈だ。
 仮に艮家の残党を名乗る者が現れたときには、覇天組も鬼道衆も全力を以って討ち滅ぼすだろう。
艮家の名を掲げる者が二度と現れなくなる日まで、『最凶』の恐怖を刻み込むと決意している。
 現在の陽之元は旧権力の屍の上に成り立っているのだった。

「……艮家……」

 忌まわしい家名を陽之元の国外(そと)で耳にすると思わなかったジャガンナートは、さすがに表情を曇らせた。

「『乗星(じょうせい)』とか古くから貿易で交わっていた国もある。そのツテで海外に移った者もいる。
ボクのご先祖≠ェいにしえの故郷から陽之元に流れ着いた頃の伝承でもね。
……だからと言って、今更、そんな時代の子孫が現れるなんて」
「『伝承が牙を剥いた』とか言ったらサマになるかなぁ。
……カッコつけたところで、良いことなんかひとつもねぇけどさ」
「こうなってくると、トルピリ・ベイド移民にもかなり混ざっているんじゃないかと思えてくるよ」
「これ以上は勘弁してくれや。向こう≠ナ何人仕留めたか……」

 呻くような声で語らうジャガンナートもミカヅチも、今や店内の演奏は全く耳に入っていない。

「それにしても艮家の血筋なんて噂、一体、どうやって掴んだんだい? しかも、国外のことだろう。
うちの監察方でもさすがに知らないと思うよ」
「偶然っちゃ偶然なんだよ。このあたりに潜んでるっつーテロリストの電話回線を傍受してるときに、
ポロッと艮家の名前を出しやがったのさ。しかも、手前ェんとこのルーツだって言ってな。
……艮家のコトは他国まで知れ渡っていたから、何かのジョークに使われたって不思議じゃねぇよ? 
権力(おえらがた)を皮肉るには最高だろ。『驕れる者は久しからず』ってな」
「ジョークだとは思いつつも、聞いてしまった以上は真偽を確かめなくてはならない――ってワケね」
「そーゆーこと。休暇旅行なら可愛い女の子と遊びてェところだけど、事情が事情なんで仕方ねぇ」
「……もしも、本当に艮家の血筋だった場合は、……また怨霊に悩まされる夜が始まるってコトか」
「――どんなもんでも根は絶っておかねぇとな。……そうでなけれや、先に死んでったヤツらに申し訳が立たねぇよ」

 先に死んでいった者に申し訳が立たない――ミカヅチの言葉が記憶の扉を叩いたのであろう。
人の好さそうな毛むくじゃらの大男がジャガンナートの脳裏を過ぎり、
温かみのある笑い声が鼓膜に蘇ったような気がした。
 郷愁にも似た感情が心に差し込む。それはとても心地良かったが、
現在(いま)は過ぎた想い出に浸っている場合ではない。記憶の底より染み出す誘惑を振り払ったジャガンナートは、
改めてミカヅチに向き直る。面には軍師としての責任感を湛えていた。

「このことをナタク――局長の耳に入れても良いかな?」
「当たり前よ。お前らの力を借りることになるかも知れねぇしな。コレを呑み終わったら挨拶に行こうじゃねーか」

 サングラスを外し、次いで自身の酒を呷ったミカヅチは、
「……で? その後、やっこさんの具合はどうなんだ?」と、控えめな語調でジャガンナートに訊ねた。

「局長かい? 至ってフツー、いつも通りだよ」
「……どう言う意味で『いつも通り』なんだか。曖昧な答えがメチャクチャ怖ぇぞ」
「そんなこと言ったって次期局長まで内定してるしぃ? 何かあって隊に支障は来たさないよ」
「それ、全然フツーじゃねーから!」

 ミカヅチからは「悪い冗談だぜ」と呆れられてしまったが、
常に最悪の事態を想定して策を練っておくのが軍師の務めだとジャガンナートは心得ている。
局長の身に最悪の事態が発生することを前提にした計算には、副長も総長も良い表情(かお)をしないだろうが、
やるべきことをやっておかなくてはならないのだ。
 隊内の事情を外部に明かすことは本来ならば避けるべきなのだが、
ミカヅチはナタクにとって完全な他人とは言い難いのだ。
 内戦の中期に初めて遭遇した両者は敵対し合う組織に身を置いており、幾度となく命の遣り取りを演じていたのだ。
その関係が変わったのは内戦の末期である。旧権力に対する反乱の同志として交わるようになり、
現在では「戦友」とも呼べる間柄となっていた。
 陽之元には傑出した四人の戦士に『四天王(してんのう)』なる尊称を付ける慣わしがあるのだが、
ナタクもミカヅチもこの中に数えられている。なお、残るふたりも鬼道衆に『肝煎』として参加している。
 このような背景もあり、ミカヅチはナタクのことを本気で案じているわけだ。
戦友に対する思いの深さは、真剣な面持ちを見れば瞭然であった。

「あの半分ボケちまったような目を見たときゃ、俺ぁ、ゾッとしたぜ。いや、正直な話ね」
「ボクは未だに背筋が寒くなるけどね。偶に――いや、往々にして、何処見てるか分かんないときがあるし」
「だったら、何とかしたらどうだよ? ええ、覇天組の軍師サンよ。……お前になら出来るんじゃねーのか?」
「……買い被りだよ。ボクにだって人の感情まではどうしようもない」

 『北東落日の大乱』の前後でナタクは大きく変わってしまった――そのことを論じるふたりの声は、
艮家の血族について語らっていたときよりも遥かに重苦しかった。

「ナタクの野郎を『戦いの申し子』みたいに言う人がいるけどよ、
……今のアレ≠ヘ、戦うことしか出来なかった時代の反動なのかねぇ」
「戦いを虚しく思っていた時期はあったんだよ、実際。でも、その中で意味をちゃんと見つけ出して立ち上がったんだ。
戦って戦って戦い抜いて、生きていくだけの理由をね。だから、どんなに苦しいときでも諦めなかった。
最後まで戦い抜くことが出来た。……キミの言う反動って例えは、あながち間違ってはいないね」
「だけど、気ィ張っていられたのも『北東落日の大乱』の最中だけってこと……かよ」
「そう……最後まで戦い抜いたとき、局長(あいつ)には何も残っていなかった。
ボクはナタク本人じゃないから、想像でしか語れないけど――今まで生きてきた意味も、これから生きていく理由も、
あいつはいっぺんに失くしてしまったんじゃないかな」
「誰が何が悪ィなんて言えねぇ分、余計に辛いな……」
「あいつはバカだからね。どうしようもない大バカだから、何もかも自分が悪いんだって、そう考えてしまうんだ――」

 そこで言葉を区切ったジャガンナートは、ミカヅチからの差し入れであるカクテルを一気に飲み干した。
 しかし、そのようなことをしても苦い思いを洗い流すことは出来ない。
ほんの一瞬だけ心の奥底へ閉じ込めたに過ぎず、疼くような痛みは引く気配すらなかった。

「――今のあいつは鞘をなくした刀と一緒だよ。ヒビが入ったことに気付いても納まるべき場所がない。
だから、折れてしまう日まで戦うしかないんだ。ヘタしたら、それでもあいつは戦い続けるかも知れない。
本当に全部が全部、バラバラになるまでね。……『戦いの申し子』とは良く言ったもんだ」
「……本格的に壊れちまってるじゃねぇか」
「壊れてるような、ギリギリ正気を保っているような……ひとつだけ確かなことは、
今のナタクを生かしてるのは局長って言う責任感だよ。
それがなかったら、今頃、覇天組の局長は本当に代替わりしているハズだ」
「……マジで救えねぇバカ野郎じゃねぇか……」
「例えば、引き取った養子(むすこ)がもっと世話の焼けるヤンチャ坊主だったら、
何かが違っていたかも知れないんだけどね。如何せん、彼も彼で出来が良い。養父がいなくても平気なくらいね。
……何もかも上手く行かないよ、ナタクのことは」

 暫しの沈黙の後、ジャガンナートは深い溜め息を吐いた。
 それは、余りにも重い溜め息であった。

「自分の人生が何ひとつ報われないと悟ってしまった瞬間――人間は終わる≠だろうな……」

 その呟きを最後にジャガンナートは口を真一文字に結んだ。
 冷酷とも言うべき判断力でもって局長の代替わりまで想定していたジャガンナートだが、
それはあくまでも軍師としての務め。本心は別のところに置いてある。
 そして、今――ミカヅチは覇天組の軍師ではないジャガンナートと言う一個人の本来の心を見つめていた。




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