1.懺悔と奉仕の桃源郷



 ―――十八と言う年頃は、目にする全てが陽の光を跳ね返す水面のように煌いて見え、
そよぐ風や水のせせらぎまでもがカーニバルで鳴り響くサンバのように聴こえるものだ。
 自身を取り巻く全てのものへ興味を惹かれ、胸を躍らせ、熱く燃え滾るその年頃のことを、
世の人は青春と呼ぶのである。
 “遊びたい盛り”とは良く言ったもので、だからこそ処世と言う名の悪賢さ――少なくとも、
理屈や理論よりも感情に重きを置く若者たちの目には“悪賢さ”と映るのだ――で以って
躍る気持ちに水を差されたとき、強く大きく反発してしまうのだ。
 青春は、今この一瞬しかない。誰にも邪魔などされたくない―――
“世間一般”と言う狭量な括り方をするのは些か乱暴ではあるのだが、大多数の若者は、
おそらくはこの気持ちを共有するところではないだろうか。
 心から楽しいことにだけ素直でありたいと思い、それこそが世界の全てであると固く信じている若者は
決して少なくはない筈だ。

 勉強と名の付く物に対してジンマシンが出るほどの過剰な拒絶反応を示すクラップ・ガーフィールドは、
前述したカテゴリーの典型と言うべきであろう。
 彼は実に本能に忠実だ。人生の最優先事項はファッションやデート、友人と遊びへ繰り出すことにあり、
僅かな小遣いを財布が空になるまで費やそうとも少しも悔やんではいない。
 宵越しの銭を持った経験のないことが自慢のクラップは、貯蓄などと言うしみったれた行為は
無価値であるとさえ考えている。
 他人から過度の散財を窘められても、注意されるべき問題が何処へ所在しているのかを模索する気力すら湧かなかった。

 あるいは、何の恐れも持たず、ひたすらに面白いと思えることへ忠実でいられる時代を
人は“青春”と呼ぶのかも知れない。
 遙か昔にその時代を過ぎ去った大人たちは、彼方に浮かぶ眩い輝きへ無いものねだりの憧憬を抱き、
現在進行形で満喫する若者たちは、視界が真っ白な光で閉ざされていることにも気付かないまま、
日向のような温かみの裡で夢にまどろむのだ。
 そうして目が眩んでいる内に、いつしか光と温もりを憧憬する年頃にまで階段を駆け上っている…と言う次第である。
 それもまた青春と言うものであろう。

 大人は口を揃えて言うものだ。青春は短い。後悔を残さないよう満喫しておきなさい、と。
 そうした意見と照らし合わせると、アルフレッド・S・ライアンは、
青春と言う貴重な時代そのものを完全に無為にしていると言うことになる。
 彼は十八歳と言う青春の真っ只中にも関わらず、自分に許される殆ど全ての時間をメカニックと言う稼業へ充当していた。

 彼なりに達成感はあるのだろうから一概に無味乾燥と断じることは出来ないものの、
華美に着飾って繁華街を練り歩き、愉悦に溺れる同世代を尻目に、
アルフレッドは油と汗に塗れながらスパナやレンチと言った重く冷たい機材と日々向き合っている。
 本人の気持ちはどうあれ、十八歳の青年としてはあまりにも面白みを欠いているように見えてならなかった。

 彼と正反対に青春を全身で満喫するクラップは、
もっと青春を謳歌するよう面白味が足りていなさそうな親友を常々煽っているのだが、
効果は今ひとつと言ったところだった。
 そもそもアルフレッドは、同じ年頃の若者たちが好むような遊びを殆どやらない。
と言うよりも、興味すら示さない。
 端的に言ってしまえば、仲間と繰り出したカラオケで周りがその年にブームとなった歌を選択する中、
一人だけ世代の違うものを唄ってしまい、場の空気を凍りつかせるタイプである。
 現にクラップは、ノリノリだったテンションをアルフレッドのなつメロ選択によって
萎縮させられた経験もあった。
 誰もが耳にしたことのあるようなポップスの次に時代がかったフォークソングのイントロが流れ始め、
あまつさえこれしか知らないとでも言いたげな大真面目な顔で熱唱されたのだから、
クラップがズッコケてしまったのも無理からぬ話であろう。
 熱唱後、「歌詞にはな、魂が宿ってるんだよ」とアルフレッドはしみじみ語ったものだが、
著しく温度差のあるクラップには、言わんとしていた意味は全く通じていなかった。
 尤も、歌詞も曲もノリで唄いきる為にあると捉えているクラップとは、
仮に論議になったところで出口たる答えを得ぬまま平行線を辿った筈だ。

 強いて言えば、シルバーアクセサリーのコレクションを趣味にしていることが唯一の若者らしさだが、
同好の士にひけらかすような真似もせず、自分ひとりで愛でることに終始する為、
誰かと愉悦を共有する青春とは、お世辞にも言い難い。

 余談はさておき、同年代と趣味を合わせることよりもスパナを回すほうが有意義だとまでアルフレッドは考えており、
それが為に朝から晩まで働きづめと言う自身の境遇を苦痛に感じることもないのだ。
 老成していると言えば聴こえは良いが、アルフレッドの場合は読んで字の如く単に爺むさいだけのように思える。
 このままでは了見の狭い大人になると心にゆとりを持つよう促しても、
必要性を感じられないとばかりに理論武装で反論する有様で、最早、周りの人間にも手の施しようがない。
 親友の堅物ぶりをクラップが嘆いた回数は、両手両足の指を総動員しても到底足りなかった。

「………ただでさえ忙しいときにこんなバカげた仕事が舞い込んでくるとはな。
テレビの占いによれば俺の今週の運勢は事の他悪いらしいが、これは見事な大当たりだ。
フィーではないが、ムーンプリンセスの占いは今後も頼りにするとしよう」

 そのアルフレッドが、今時珍しいような勤労青年が、
これから臨む仕事に対して気乗りしないと盛大に愚痴を零している。
 極めて珍しい…と言うよりも、付き合いの古いクラップにもこれは初耳であった。

「運が悪いと一口に言っても、色々と種類があるだろう? 俺の場合は友達運が無いと言えるな。
そんなフレーズは聞いたこともないが、恋愛運だの仕事運だのと細かく分けられているくらいだから、
きっと友達運もあるんだろう。………なぁ、クラップ、そうは思わないか? 
お前の幼馴染みは、この繁忙期を友達運の悪さのせいで余計に引っ掻き回されている。
なんとも嘆かわしいことだな」

 不満が端々に表れている言い回しからも察せられるように、
アルフレッドが生涯で初めて口にした仕事への愚痴は、どうもクラップに対する憤りも混ざっているらしい。
 彼よりも数歩ばかり先を行くクラップ当人は、自身に向けられた矛先をかわすように聞かないフリを決め込んでいる。
 周りの風景を見回しながら、「見ろよ、アル。野苺が生ってるぜ。この辺りのはまだ普通に食えそうだな」などと
愚にも付かない世間話を振るクラップの態度にアルフレッドは露骨に顔を顰めた。
 こうもあからさまに逃げの態度を示されては、アルフレッドとしても不満のやり場がない。

「情けないったらありゃしないなぁ、アル兄ィは。愚痴なんてさ、言った傍から幸せが逃げてくんだぜ?」
「俺は別に愚痴など言っていないぞ、シェイン。受け入れ難い理非へ問題提起しているだけだ」
「そ〜やって小難しい屁理屈こねるって、アル兄ィのいつもの策(て)だけどさ、
今日に限っちゃ通用しないんじゃないの? なにしろアル兄ィが全面的に悪いんだしぃ〜」
「………いちいち反復するな。自分でもよくわかっている」

 口をへの字に曲げ、まるで子供のような態度で不満を表すアルフレッドを見て大笑いしたのは、
彼と肩を並べて歩いていたシェイン・テッド・ダウィットジアクだ。
 色々な道具が詰め込まれてパンパンに膨らんだリュックサックと、
そこに括り付けられた折り畳み式のハシゴを担っているものの、
背中にかかる重量など何の苦とも思っていないらしく、足取りは実に軽やかである。
 軽妙なのは身のこなしだけではない。
 いたずらっぽい笑みを浮かべたシェインは、その場に居合わせる誰よりも重い足取りのアルフレッドを
しきりに茶化していた。

「本当に自分が悪いってわかってんのかなぁ〜? 反省してる人の態度じゃない気がするけどねぇ〜?
アル兄ィはもっとシュショ〜になんなきゃダメだよ、シュショ〜にね。
ホラ、今だって心ン中じゃ、ボクにムカついてるでしょ? 
もうね、何か言われてムカムカするってのが人として終わってるよね。人間失格だよ、アル兄ィ」

 何かにつけて生意気な弟分を理論武装で言い負かすのが日常茶飯事になっているものの、
今回ばかりはシェインの言うことに理がある為、アルフレッドとしてもなかなか強く出られずにいる。
 それが痛快で仕方ないシェインは、この機を逃す手は無いとばかりに日頃の逆襲を果たしていた。

「煩い、黙れ。クラップならいざ知らず、無関係のお前にそんなことを言われる筋合いはない」
「いてて―――クラ兄ィに言えないからってボクに八つ当たりすんなよな〜っ」
「大体、どうしてお前が随いてくるんだ。クラップに呼ばれたのは俺だけだろうが」
「へんッだ。遺跡の発掘なんて面白そうなこと、ボクを抜きにしようって考えるほうがおかしいんだよ。
冒険じゃん。冒険って言ったら、ボクの出番じゃん。それをふたりきりで楽しもうだなんて、
勇者抜きで魔王倒しにいくようなもんじゃんか。それじゃ盛り上がんないっつーの!」
「俺は全く楽しくなどないッ!」
「あだだだだ―――ちょっ…、だから、いてぇってばぁッ!」

 最初の内はイジられるのも止む無しと我慢していたアルフレッドだったが、
シェインのしたり顔にはさすがに堪忍袋の緒が切れたようで、
無用心に近付いてきた弟分の首根っこを掴むと、そのまま腕を回して抱きすくめ、
空いたほうの手でもって頬っぺたを抓り上げた。

「―――このへんまで来るとあと一息って気分になるよな。なァ、おふたりさん」

 そうしてじゃれ合っているアルフレッドとシェインを振り返ったクラップが、
街道の脇に設置してある立て看板を指差して目的地が近いことを知らせた。
 立て看板には“シェルクザール”と刻印されている。

「久しぶりのシェルクザールだぁ。俄然楽しみになってくるぜぇ〜」
「そうなの? ボク、シェルクザールならよくロードワークがてら遊びに行くよ」
「俺だって別に久しぶりでもなんでもない。納品や修理で毎週のように訪ねている。
お前の言う“雇い主”とも顔を合わせていると思うぞ」
「………マジ? お前ら、どんな鍛え方してんだよ。往復二十キロ効かねぇじゃん」
「そう? 往復二十キロって、別にそんな大した距離でもないよ? たまにベルだって一緒だし」
「いくらなんでも運動不足が過ぎるんじゃないか、クラップ」
「お、お前らみたいな体力オバケと一緒にすんな! オ、オレはアレだよ、文系なの! 文系!」
「ハイスクールで理系のコースを取っていたヤツがそれを言うか」
「つーか、クラ兄ィん家の本棚、漫画本しかないじゃん。漫画読んでりゃ文系なの? 
そりゃ全世界の文系の皆様に土下座で謝るレベルだよ」
「それは名案だな。さっさと座れ、クラップ。それとも往生際悪く言い訳を垂れるのか?」
「なんだこの空前絶後のアウェー感ッ!!」

 ブリッジでもするかのように上体を反り返らして憤激を体現したクラップの悲鳴が、
朝靄垂れ込む田園地帯へと響き渡った。
 目を細めると深緑のカーペットを敷き詰めたようにも見える長閑な風景が見渡す限りどこまでも広がっている。
辺り一面、果てしない緑の世界であった。
 このまま地平線の彼方まで緑の世界が続いていくのではないかと思いを馳せ、
淡い希望を灯しながら視線を巡らせるのだが、間もなく岩肌を露出させるベルエイア山にぶつかってしまい、
幻想的な錯覚へ埋没していた人々もそこで意識を現実に引き戻されるのだ。
 朝露が草木を滑り落ちるような時間帯であるせいか、周囲には雑音一つとして立っておらず、
それが為に川のせせらぎが必要以上に鼓膜をノックする。
 時折、川魚が水面を跳ねる音もする。
どこからともなく聴こえてくる水音によって幻想への誘いが断たれることも少なくないのだが、
よくよく考えるとこれもまた矛盾を孕んだ話だ。
 天然自然が誘う幻想を同じ天然自然が断つと言うのだから皮肉としか言いようがあるまい。

 その役目は、今朝はクラップが譲られた様子だ。
 水音など比較にならないような大袈裟な喚き声を上げてはアルフレッドやシェインに食って掛かり、
「こんの〜………お前らがオレに口答えできる立場かよ! 特にアルだッ! 
土下座はお前のほうこそやるべきじゃねーのッ!?」と歯軋りしている。
 こんな賑々しい喧騒を振り撒かれたのでは、朝のけだるい空気も霧散してしまうと言うものだ…が、
田舎の緩慢な時間など感知しないとばかりにクラップは更にヒートアップしていった。
 「シェルクザールは、オレにとっちゃ運命の町なんだよッ!」と大声を張り上げたのが、
おそらくはその頂点であろう。

 クラップの言う通り、三人はグリーニャの村と隣接する山間の町、
シェルクザールを目指して田園風景のど真ん中に切り開かれた街道を通っていた。
 彼らの故郷と同じく霊峰ベルエィア山を背にするシェルクザールは、
丁度、グリーニャの裏側に所在している為、共同使用で農作物を育てている田園をぐるりと迂回し、
山間部へ回り込まなければ到達することができない。
 そうは言っても、クリッターが出没すると言うような話題は今のところ挙がってはおらず、
田園地域そのものは至って静かなものである。
 時間ともなれば、器具を満載したリアカーを押し引く農家の人々で田園は溢れかえることだろう。

「おいおい、そんな強気に出ちまってもいいのか? オレは働き口を紹介してやるっつってんだぞ。
債権者のオレが、負債者のお前にだぞ! シェルクザール入ったら、
それこそ死に物狂いで労働してもらわなきゃなァ!」
「弁償はさせて貰うが、しかしな、今回のケースに債務を持ち出すのは不適切だろう」
「えぇい、黙らっしゃいッ!」

 そんな牧歌的な田園風景と、苛立ちが最高潮に達したかのように髪を掻き毟るクラップの姿を
交互に見比べていたアルフレッドが人知れず溜め息を吐いたのには、れっきとした理由がある。
 そして、その内容を詳らかにするには、ここに至るまでの経緯を三日ほど遡る必要があった。


「………アル、大事なお話があります」

 一日の仕事を終えて着替えの為に自室へ戻ったアルフレッドだったが、そこには既に先客の姿があった。
 義理の妹にして恋人のフィーナと、彼女のパートナーである鳥型クリッターのムルグが
彼愛用のベッドの上に鎮座ましましていたのである。
 それだけならば何の変哲もない日常の一コマなのだが、どうも態度がおかしい。
 ………否、おかしいどころの騒ぎではない。
 眉間に皺を寄せるフィーナの表情は一目でわかるほどに険しく、
ムルグに至ってはいつでもアルフレッドの眉間へクチバシを突き立てられるよう
両翼を広げて臨戦体勢を整えているではないか。

 ただならぬ空気に包まれた自室へ足を踏み入れた瞬間、アルフレッドの脳裏にイヤな予感が過ぎった。
 指差しでもって促され、カーペットで覆われていない冷たく硬いフローリングの上に
わざわざ座らされたことでその予感は確信へと変わり、次いで背筋に悪寒を走らせた。

 何らかの隠し事を内包している人間と言うのは、こうした場合、最初にその露見を疑うものだ。
 悲しい哉、隠し事の露見を危惧した段階で既に手遅れと言うケースは非常に多く、
大抵は最悪の事態が起きた後なのだ。
 一種の虫の知らせなのか、こう言う状況での直感は実によく当たる。
 当たって欲しくない予感に限って的中するのだから、むしろ因果応報と喩えるほうが似つかわしいのかも知れない。

「………『世界制服旅情〜懺悔と奉仕の桃源郷より』」
「―――ッ!」

 フィーナが口にした意味不明の長いフレーズにアルフレッドは肩をビクつかせた。
 それはつまり、彼にとって最悪の事態が起こってしまったことの証左である。

「どう言うことか説明していただけますか、アル?」
「コォォォカァァァ………!」

 アルフレッドが最も触れて欲しくないだろう核心へ躊躇なく踏み込んでいくフィーナの声は、
激しく怒りをぶちまけられたほうが数段マシだと思えてしまうくらい冷淡だった。
 感情と言うものを微かにも感じられない重低なトーンほど恐怖感を煽られるものはない。
有体に言えば、取り付く島もないような状態であった。

 アルフレッドに向けられた難詰がもたらす結果へある種の期待感を持っているらしいムルグは、
怨敵抹殺の大義名分を得たといきり立っている。
 この鳥型のクリッターは、パートナーであるフィーナへ並々ならない慕情を抱いており、
本来ならば独占しておきたい彼女の愛を、自分と同じように分与されているアルフレッドのことは
抹殺対象と見なしているのだ。
 ムルグとしては、まさに千載一遇のチャンスであろう。
 つぶらな瞳の奥底では、怖気が走るような殺意と迸らんばかりの昂奮が爛々と輝いていた。

「そ、それはその…クラップ! そう、クラップに無理やり押し付けられたんだ! 
俺は要らないと言い張ったんだが、あいつ、聴く耳を持たなくて………。
だからその、お前が勘違いしているようなことでは断じてないのだぞ。
そうだ、これはちょっとした行き違いから起こった誤解であって、過去の裁判を紐解けば、
こうしたケースに適用される法律も―――」
「―――見たの?」
「だから、俺は………」
「―――見たの?」
「フィー、話を………」
「―――見たの?」
「………はい、見ました。隅々まで読ませていただきました」

 背筋が凍りつくような冷ややかな眼差しで問い詰められては隠し通せるものもできなくなる。
 とうとうアルフレッドは自白に追い込まれてしまった。

「まぁ、アルも男の子なんだし、ああ言う本に興味を持つのは仕方のないことですけど………。
この部屋はシェイン君もベルも出入りするんだから、教育上よくない物を置いて欲しくはありません。
せめて人目につかない場所に隠しておいてください。それなら私も文句は言いません。
アルを縛りたくないと言うか、個人的な趣味にまで口を出したくありませんし………」

 白状された内容へと耳を傾け、アルフレッドに対しては過分なほど寛大な言葉を並べ立ててはいるものの、
その顔は思い切り引き攣っており、お世辞にも彼のことを許したようには見えない。
 それが証拠に、丁寧語から発せられる穏やかならざるプレッシャーは、先ほどよりもずっと強まっていた。
 軽薄な人間であれば、相手が寛大な態度を取った途端に安心して許されたと誤解するだろうが、
人から朴念仁とまで揶揄されるアルフレッドでもそこまで愚鈍ではない。
 自分の置かれた立場とフィーナの心根を察し、この如何ともし難い状況へ思わず嘆息してしまった。
 身から出た錆とは言え、克てる見込みが絶無なのはあまりにも辛い。

「一応、私はアルの彼女さんですよね? いえ、もうアルの気持ちが私から離れているのなら
話は別ですけど。なので、参考までに聞かせて貰えませんか? どう言う娘が好みなのか」
「フィー、俺は何も………」
「アルはグラマーな娘がいいのですか? 五十八ページに載ってた巫女服の女の子みたいな? 
名前はサヨコさんでしたね。女の私から見ても魅力的だと思いますよ? 
だって、普通はあんな過激なポーズ取れませんもの」
「お、俺にはお前が一番だ! あんな写真なんか―――」
「あっはっはっは―――隅々まで熟読して勉強なさったのでしょ? さぞ目移りしたんでしょうね。
百八ページのアンヌさんなんか、アル好みっぽいですものね。見開きにヘンなクセがついてましたよ? 
ナース服はロマンですか。ロマンなんですねぇ」
「………………………」

 『世界制服旅情〜懺悔と奉仕の桃源郷より』とやらの具体的な内容だけでなく、
それらの記載されていたページをもフィーナは正確に挙げていく。
 時折皮肉っぽい笑い声を交えるのだが、やはり抑揚がなく、アルフレッドはもう生きた心地がしなかった。

「………もういいから、アル。済んだことをいつまでも引き摺ってても仕方ないよね」
「フィー………っ!」

 赤の他人へ接するような冷淡な態度を長らく続けられたことによってすっかり憔悴していたアルフレッドは、
フィーナの口調が普段のそれに戻った瞬間、ようやく事態が好転したと俯き加減であった顔を上げたのだが、
そこに待ち受けていたのは、決して彼の望んだものではなかった。

 怨敵の処刑が待ち遠しく、喉の奥で威嚇めいた唸り声を震わせていたムルグをフィーナが宥めたことも
アルフレッドに淡い期待を抱かせる要因の一つではあった。
 よくよく考えると身勝手な思い込みでしかないのだが、本気で怒っているのなら、
殺意滾らすムルグを嗾けこそすれ止めはしないだろうとアルフレッドは自分に都合良く解釈したのだ。
 誰に対しても無限の慈愛を示すと言うフィーナの人柄を踏まえて推察するならば、
そう考えてしまうのも無理からぬ話だ…が、人間の気持ちと言うものは、
単純な足し引きで計算できるものではない。
 結局、待ち望んだ好転であるどころか、考え得る最悪の事態がアルフレッドに襲い掛かった。

「あの本は私が責任をもって捨てておいたよ。やっぱりベルやシェイン君の教育に良くないもんね。
お姉さん的には一生縁のない生活送って欲しいけど、
………どうしても読むなら、せめてもうちょっと大人になってから、だよね」
「す、捨―――え…、何ィッ!?」
「ん? 何か不満があるのかな?」
「い、いや、不満ってわけじゃ………」
「不満でも?」
「あのな、その………」
「不満?」
「………いえ、フィーの判断は正しかったです。あんなものをわざわざ捨てて貰うなんて、
お手を煩わせて申し訳ない限りです、本当」
「そう言って貰えると私も気が楽になるよ。安心したね、ムルグ?」
「コカッ!」
「………………………」

 困ったように眉をハの字に曲げながらも許してくれるとばかり思っていたフィーナは、
期待を込めて巡らせた視線の先で、汚物でも見るかのような剣呑な面持ちを作っている。
 想定の範囲外の事態に混乱し、閉口したまま固まってしまったアルフレッドに対して
フィーナは今回の件を処理する為に行った措置を通達した。
 無論、彼には一切の反論の余地を与えない。
 通達すべき事由のみを一方的に突きつけたフィーナは、
「あ〜あ、私がいるのになぁ…」と聞こえよがしに呟きながら彼の部屋から出て行った。
 淡い期待を粉々に打ち砕かれて呆然と立ち尽くすアルフレッドの頬へ唾を吐きかけたムルグも
パートナーの背中を追った。

 それから三日間、アルフレッドはフィーナに口を聞いて貰えなくなったのだが、
恋人への裏切りとも言うべき所業――平たく言えば、おピンクな写真集を見つけられてしまった――への
ペナルティとしては当然の措置であろう。
 恋人との関係がギクシャクすると言う差しあたっての窮状は、
ほとぼりが冷める頃には修復されているだろうが、そのような事柄が瑣末に思えてならないほど、
この件はもっと重大な問題を抱えていた。
 そして、それこそが『世界制服旅情〜懺悔と奉仕の桃源郷より』にまつわる最大の難関だった。

 フィーナはアルフレッドが自ら購入したものと思い込み、
それが為に廃品に出すと言う強硬手段に出たのだが、実際には彼の言い訳の中にもあった通り、
クラップから借り受けたものであった。
 不運は重なるもので、『世界制服旅情〜懺悔と奉仕の桃源郷より』は発刊数が少なかったせいもあり、
今ではマニア垂涎のプレミアものとなっていたのだ。
 オークションに出そうものなら数万ディプロは下らないと言うそのプレミア本を、
クラップは古本屋を駆けずり回り、数年越しで手に入れたばかりだった。

「―――ちょ、ちょ、ちょっと待った。待った待った待った待った。
お、おお、おち、おちち、落ち着こうぜ。なァ、一回落ち着こう。
………え? なんて言ったん? お前に貸したオレの本が、何だって?」
「何と言って詫びたら良いのか、言葉も見つからないんだが………。
俺が部屋に戻ったときには、もうあの本は捨てられた後だったんだ………!」
「あーあー、あの本ね! はいはいはいはい。アレだろ? アレだよな? 
『ファイっちんぐリチャード先生』な。十一巻? 『新奥義肉体言語物理学』のアレ? 
そんな気にすんなよ! コンビニ本くらい買い直すからよ」
「気をしっかり持って聴いてくれ。これは現実なんだ、クラップ! 
お前の『世界制服旅情』は、もう焼却炉の中なんだよ!」
「はっはっは―――いくら燃えたからって焼却炉って表現はあんまりだろ〜。
それじゃ物理的に燃えちまったみたいで縁起でもねぇってば」
「クラップ………」
「は…ははは―――冗談きついぜ、お前、真顔でそんなこと言うんだもんよ。
そうさ、真っ直ぐな目でウソつくなんて、マジで人が悪いっての。
………あ、そうか。なるほどね! わかった、わかったよ! お前、サヨコちゃんにぞっこんだったもんな。
アレはオレたちふたりの共通財産ってことにしてやっからよ、読みたくなったら、いつでも言えばいいよ。
なァに、いいってことよ! だから、独り占めなんてちょろくせーことすんなよな〜」
「サヨコは………昼下がりのご神木で微笑んでいたあいつは………もう俺の瞼の裏にしかいない………」
「―――とんちの利いたことを言ってる場合かァッ!?」

 それだけにクラップの慟哭は凄まじい。
 マニアにとってどれほど価値があるのかを知らないフィーナに本を捨てられてしまったと告げられた際には、
身も世もないような泣き方をして周囲の人間を引かせたものである。

「マジで!? ドッキリじゃなくて、マジに灰ィッ!? オレ、まだ二回しか目ぇ通してねぇぞッ!? 
現物手に入れた後より夢ん中で妄想してる回数のほうが圧倒的に多いって………
こんなんどーすりゃいいんだよ! マジでやるせねーじゃんッ!」
「お前の分まで俺が読んでおいたから………」
「そーゆー問題じゃねーよッ! ………オ、オレのエカテリーナ様は………」
「………あの豪華なドレスも火には敵わない」
「一番の楽しみに取っといたパープルトン女史………」
「………仕事一筋、秘書歴十年のキャリアウーマンは燃え上がるのも早いだろう」
「フェルナンデスちゃんもダメかよ! 板前なんて、すっげー貴重なのに…なのにィッ!」
「お前が入れ込んでいた双子女医も俺の心の中で生き続けている。安心…してくれるか?」
「何をどう安心できるんだ、オレぁ!? ひとりでめちゃくちゃエンジョイしまくってんじゃねーかァッ!」
「女医だけにか?」
「うるっさいわァッ!! ………はあああぁぁぁ―――………オレの…オレのアイドルたちが………」

 アルフレッドの失態やフィーナの強行策を非難することはなかったものの、
それは幼馴染みに配慮したわけではなく、彼の嘆きが外罰の意識をも凌駕していただけの話だった。
 エッチな本の為にもんどり打ってまで慟哭する様を見せられれば、
アルフレッドでなくてもドン引きするのは当たり前であるが、
マニアの価値観と言うものは常人のそれとは等しくならないものだ。
 クラップにとって『世界制服旅情〜懺悔と奉仕の桃源郷より』の価値がどれほど重かったのかは、
涙と鼻水でグチャグチャになった満面を見れば自ずと察せられよう。

 当然、借り受けている期間内にフィーナに破棄されると言う失態を犯したアルフレッドが
この本を弁償すると言う話になったのだが、入手までに想像を絶する苦労を重ねたクラップには、
件の写真集が一朝一夕で手に入るものではないことは身に染みて判っている。
 一先ず現物での弁償を諦めたクラップは、平謝りする親友へ自分の請け負ったアルバイトを
手伝って欲しいと代替案を提示した。

「―――いョし、オレも男だ! 誰が悪いわけでもねーんだし、今回のことはスッパリ諦めるぜ!
………その代わりと言っちゃなんだが、ちょいと手ぇ貸してくんねーか? 
今度な、隣町で遺跡の発掘調査をするらしーんだが、小遣い稼ぎでオレも出張ることになってよ。
お前、体力には自信アリじゃん? 勿論、オレは誰よりも張り切るつもりなんだけどさ、
いざってときの為に一緒に来てくれると心強いんだよ。な? なっ? なァッ?」

 この代替案を断る理由がアルフレッドにある筈もなく、即座に協力を約束した。


 ―――以上が、今日と言う日に至るまでの間に起きた事件の全容である。
 弁償に対する代替と言う事情がある中、二つ返事で協力を約束したアルフレッドが
どうして不満を漏らすまでになったのかと言えば、ひとえにクラップのスケジュール管理ミスであった。

 あろうことかクラップはアルバイトに入る日程を一ヶ月も間違えていたのだ。
 最初に提示された日程に合わせて本業のスケジュールを調整していたアルフレッドには、
これは大迷惑な話であり、父親でメカニックの師匠にあたるカッツェがフォローを申し出てくれなければ、
代替案すらも頓挫していただろう。

 結果的に本業にもカッツェにも迷惑をかけることになってしまい、
それでアルフレッドは「こんなバカげた仕事」などと文句を垂れているのだが、
しかし、踵を返してグリーニャに戻ることもなくクラップへ歩調を合わせている。
 負い目を感じているのは確かだが、弁償と言う背景が無かったとしても、
クラップに請われれば文句を言いながらも力を貸した筈だ。

「楽しみが待ってるって考えるとさ、ほんの数キロの道のりにももどかしさを感じるよな。
期待が高まりまくってボンッて行くのも、オレはけっこー好みだけどよ〜♪」

 そんな親友の内心を知ってか知らずか、シェルクザールへ一歩また一歩と近付くごとに
クラップのテンションはどんどん上がっている。
 鼻歌まで歌い始め、アルバイトと言うより祭りにでも繰り出すような調子であった。

「………随分と嬉しそうだな?」
「ま、な。シェルクザールにはイイ想い出があるからねぇ〜」
「想い出?」

 思わず小躍りしてしまうくらいご陽気なクラップがシェルクザールに対してどのような想い出があるものなのか、
物心つく前から行動を共にしているアルフレッドにも全く見当が付かない。
 少なくとも、クラップと一緒にシェルクザールへ繰り出したと言う覚えは、
記憶を深く深く掘り起こしても探し当てられなかった。
 接点と言う意味では、数日に一度の間隔で赴いている自分のほうが遙かに密であるとも考えている。

(あの町の知り合いからクラップの名前が出たことは一度もなかった。
こんな特徴の塊みたいなヤツが噂にも上らないと言うことは―――
少なくとも、想い出とやらはここ数年内の出来事とは考えにくい、か)

 それに、だ。
 仕事の取引を抜きにしても、アルフレッドにとってはシェルクザールは馴染みの深い場所であった。
 そのような町での出来事であれば、大抵のことは記憶に残っていて、引き出しからすぐに見つけられるものである。

 にも関わらず、先ほどからクラップが陶酔しながら繰り返し続けている“イイ想い出”とやらに思い当たる節がない。
それがアルフレッドには妙に気に障るのだ。
 喉に刺さった魚の小骨が取れないようなじれったさは、自分で自分を抱きしめた上に
「オレのハートはいつだって春一番!」などと全身をクネクネさせるクラップへの嫌悪と融合して
吐き気を伴うほどの不快感を引き起こす。
 眉間に皺を寄せるアルフレッドは、不快感の根源であるクラップのどん尻を
尾てい骨が粉砕するくらい強く蹴り上げたい衝動と格闘していた。
 借り物を台無しにしてしまったと言う負い目がストッパーになっていなかったなら、
クラップは向こう三ヶ月椅子に座ることも出来ないような身体にされていただろう。

「アル兄ィが格闘技の稽古をしたのもシェルクザールなんだよね?」

 人目を憚らず想い出に酔い痴れ、ゴロゴロと転がっているクラップをジト目で見、
「クラ兄ィの動きがいちいちキモイっつーか、癪に障る」と吐き捨てたシェインは、
話題を替えるようにもう一人の兄貴分へそう切り出した。
 アルフレッドと同じく眉間に皺を寄せるシェインからは、
一刻も早くクラップのことを思考の外へ追い出してしまいたいと言う切なる願いがひしひしと感じられた。
 アルフレッドとしても、これには全面的に同意するところだ。

「………俺に格闘技を教えた男と、その師匠に連れられてな。町の外れの岩場が稽古場だったんだ。
………小さな頃から通っていたせいか、今でも町の人には子供扱いされることがある。
それが少しだけやり辛いな」

 クラップを思考のみならず視界からも追い出したアルフレッドは、
アルバムのページを一枚ずつめくるかのように懐かしい記憶を振り返っていく。
 過ぎ去った日々が途切れることなく現在にまで?がっていることが照れ臭いのか、
「骨接ぎの前を通るときなんか最悪だぞ? あそこの先生、必ず窓から顔を出すんだ。
『またどこかケガしたのか? 棒付きキャンディーやるから、泣かずに診察を受けろ』ってさ。
良い笑い者だよ」と話しながら気恥ずかしそうに微笑んだ。

「んーと―――師匠の師匠って、アルのおじいちゃんだっけ? 確か、そう、ストラスバーグさん! 
ボクは名前しか知らないんだけどさ」
「そう、父方の祖父だよ。尤も、爺さんは、お前が生まれる前の年には亡くなった―――」
「あ、そっか…そうなんだ………」
「―――ことになってるからな」
「………ん? なに? ………えぇ!?」

 祖父であるストラスバーグ・ライアンのことに話が及んだとき、
アルフレッドの声がしめやかな空気を孕んだ―――のだが、それも一瞬のことで、
不意打ち気味に予想外の展開に持っていかれたシェインは、目を丸くして絶句した。
 驚嘆以外の何物でもないシェインの反応を見て取ったアルフレッドは、他に説明のしようがなかったと指で頬を掻いた。
 どうやらアルフレッドとしてもストラスバーグの件は扱いに困っている様子だ。

「あのバケモノジジィがくたばるかっつーの。今、八十ナンボだろ? まだまだだって。
オレが思うに二百歳まで生き続けると思うぜ、スーさんは。
っつーか、どうすりゃくたばるんだ、あのジジィは」

 クラップがシェインの頭に乗りかかりながら話へ割り込んできたのは、
丁度、アルフレッドが頬を掻き始めたときだった。
 アルフレッドもシェインも、クラップの闖入には「うわ、入ってきやがった」と露骨に後退りしたものの、
先ほどのような痴態はナリを潜めている。
 口元を引き攣らせつつも頷き合ったふたりは、とりあえず様子見することに決めた。

「小腹が空いたっつって道端這ってたマムシを生で喰うわ、トリカブトを喰うわで、
ハチャメチャだったもんなぁ、スーさん」
「どっちも猛毒じゃん! ………え? そんなことして無事だったの!?」
「腹壊したって話は聞いた覚えがないな。それどころか、身体の調子が良いとかどうとか………」
「腹下すとか下さないとかってレベルじゃないでしょ! 
しかも、なんで漢方薬みたいになっちゃってんのさ!?」
「俺に言うな。爺さんがそう言ってたんだ。………実際に調子は良かったみたいだぞ。
その日のリバースボストンクラブは通常の五割り増しでキツかった」
「逆エビ固め!?」
「マムシ喰うのもトリカブト喰うのも、ついでに言うなら逆エビ固めもマジで危ないから、
良い子は絶対に真似しちゃダメだぞ。クラップ兄さんとの約束だ!」
「真似できるかぁッ!」

 にわかには信じられない話だが、当時を振り返って思いっきり顔面を引き攣らせたふたりの兄貴分を見るにつけ、
誇張や捏造でなく実際にあった出来事なのだとシェインは納得した。
 普段から悪ふざけばかりしているクラップが言うのならともかく、
朴訥なアルフレッドが、自ら語った内容の荒唐無稽さに乾いた笑い声を漏らしているのだ。
 自分の話に自分でドン引きするような、そのような姿を見せられては、シェインとしても納得せざるを得なかった。

 “スーさん”ことアルフレッドの祖父の思い出話、いやさ武勇伝は更に続く。
 「暴れ馬に飛び掛るや頭へかぶりつき、そのまま一頭丸ごと平らげた」、
「幻の恐竜が出没すると言う噂の湖へ潜り、水底で一時間ほど格闘して件の恐竜をシメ上げてきた」、
「世界最大規模のコネクションを持つ武器シンジケートをゲンコツのみで制圧した」―――
そうした尋常でない逸話すらストラスバーグと言う人物を語る上では序の口も良いところであった。
 極めつけは、同世代の中で最強とも言われた鳥型クリッターとの戦闘である。
 戦う内に誤って大気圏にまで出てしまったが、それを意に介さないどころか、
これ幸いとばかりに地上へ急降下し、クリッターを焼き尽くしたと言うのだ。

 さすがにこれは作り話だろうとシェインも疑ったのだが、
モバイルからアクセスしたとあるホームページをクラップに見せられた途端、息を呑んで声を失った。
 「エンディニオン仰天スクープ特集」と銘打たれたそのページには、
焼け焦げた残骸と化している巨大な鳥型クリッターを掲げながら闊達に笑う老人の写真がアップロードされていた。
 鮮やかな銀髪は孫のアルフレッドと、シアンの瞳は息子のカッツェとそっくり同じで、
剽悍な顔つきもふたりへの色濃い遺伝が感じられた。
 頭髪を含む体毛が孫子よりも濃いらしく、中でもモミアゲがまるで森林のように
こんもりと盛り上がっているのが印象的だった。

「“決め技・パワーボム”って書いてあるんだけど、これは………」
「読んで字の如く、パワーボムの体勢で大気圏突入したんだよ」
「ホントは背負い投げでシメたかったっつってけど、大気圏から突っ込んだ熱で殆どブッ飛んでんだから、
ぶっちゃけパワーボムでも背負い投げでも、あんま変わんねーんだよな」
「本人曰く、美学の問題らしいが………我が祖父ながらスーさんの考えは理解できない」

 写真に添えられた、『人呼んで“陸の無敵艦隊”ライアン氏、
大怪鳥バイブ・カハとの宇宙大決戦!』なる紹介文がやたら目を引く。
 物的証拠まで提示されては、この信じ難い話にも首を縦に振るしかなかった。
 「世界広しと言えども、空飛ぶジジィなんかスーさんしかいねぇよ」と言い添えたクラップに
アルフレッドはまたしても乾いた笑い声を漏らした。

「てか、なんでスーさんなの?」
「ストラスバーグだから、スーさん。いつまでも若いつもりでいるらしくてな、
爺さんと呼ばれるのを極端に嫌がる人だったんだよ。
俺もフィーも、スーさんとニックネームで呼ぶように言いつけられてたんだ」
「オレだってスーさん呼びを強制されたぜ!? しかも、スーさんってばよ、
間違って爺さんとか年齢感じさせるような呼び方すると、そりゃもうおっかねーんだ」
「呼び方だけじゃないぞ。トレーニングが終わった後な、気を遣って肩を揉もうとしたら
『年寄り扱いすんな』とか凄まじい勢いでどやしつけられて。………トドメはカカト落としだったよ」
「トドメってことはその前にも何か喰らってたってことだね………」
「カカト落としで済んで御の字じゃねぇか! オレなんかパイルドライバーだぞ!?
いたずら半分でクソジジィっつったら、お前、コンクリの地面にパイルドライバーだよッ!
周りのヤツらも『他所の子のしつけが出来るスーさんを見習わなくちゃ』みたいな感じで止めねぇし! 
パイルドライバーをしつけの一環にしちゃうグリーニャがすげーよッ!」
「他所の子にはパイルドライバーで済ますんだな………自分の孫子には―――」
「まさか、アル、お前………」
「―――知らなかったようだな、クラップ。ライアン家最強のお仕置きは、
スーさんのゴールデンギロチンネックブリーカードロップだ」
「ア、アル………お前ってヤツは………ッ!」
「ごめん、どっから突っ込んだらいいか、ボク、もうわかんないよッ! お手上げだよッ!!」

 想像を絶するストラスバーグ像に唖然とするシェインの前で、アルフレッドとクラップは互いに古傷を慰め合う。
当時の恐怖を思い出しているのは、見合わせた面には明確な戦慄が滲んでいた。
 過去から来襲する逃れ難いトラウマの前に恐れ戦いたふたりの緊張は、
シェルクザールへ到着するまで一秒たりともほぐれることがなかった。

 ………尤も、シェルクザールへ入った途端に、また新たな緊張に包まれることになるのだが――――――




←BACK ・ 番外編トップへ戻る ・ NEXT→