3.一触即発



 弾かれるようにして振り向いたシェインの視線が捉えたのは、
揃いのスタッフジャンパーに身を包んだ数名が口論する様子だった。
 『SUPERビャンプ☆ピッチdeぽん!』のスタッフたちが、同じテーブルに座した仲間同士で睨み合っているのだ。
 口ぶりから察するに番組作りの意見をチーム内で違えたらしいのだが、
クラップとはまた別の意味で周囲の目を憚らずいきり立った彼らは、
いつ殴り合いに発展してもおかしくない険悪にして剣呑な空気を発していた。

「アル兄ィ………」
「………わかってる。厄介ごとは避けるぞ」

 テレビクルーが騒ぎ出した途端、アルフレッドとシェインの顔つきが急速に強張った…が、
それは、にわかに垂れ込め始めた乱闘騒ぎの気配に怯んでいると言うことではない。
 荒事そのものは警戒しているようだが、アルフレッドとシェインの意識は、
揃いのスタッフジャンパーに身を包んだ一団による同士討ちとは異なるところへと飛んでいる。
 ふたりはしきりにクラップへ視線を巡らせている。
 視界に飛び込んできた『SUPERビャンプ☆ピッチdeぽん!』のスタッフに対し、
どう言う理由か、敵愾心を剥き出しにするクラップばかりを注視しているのだ。

 饒舌が鳴りを潜めたクラップを見つめるふたりの額では、冷や汗が玉を結んでいる。
 緊張を孕んだ様子からアルフレッドたちの心情を悟ったカミュは、
「お客さん、お客さん。熱い議論は結構ですけど、他のお客さんもまだ大勢いらっしゃいますからね。
どうせなら、みんなで楽しく食事を楽しみませんか? そのほうがずっと美味しいですよ」と努めて明るく振る舞い、
その場を取り成そうと試みたのだが、残念ながらそれは遅きに失したようだ。

「―――るっせぇんだよ、くそったれどもがァッ!」

 ほんの数秒前まで天井を突き破るほどのハイテンションでデレデレしていたクラップが、
人が変わったように眦を吊り上げ、サルーンを震わすほどの凄絶な怒号を爆発させた。
 サルーンに居合わせた誰もが絶句してしまうほどの、大きな大きな怒りの吼え声であった。

 カミュの柔らかな諌言をほんの一息で掻き消す吼え声が向かう先は、
やはりと言うか、危惧した通りと言うべきか、揃いのスタッフジャンパーに身を包んだ
『SUPERビャンプ☆ピッチdeぽん!』のスタッフたちである。

 カミュの登場によって鎮火されたかに思われていた苛立ちは、
陽気の影に隠れながらもクラップの腹の底にて密かに煮え滾り続けていたようだ。
 騒音とも言える不愉快な大声は、溜め込まれた憤怒を再び表に噴出させる引き金としては十分過ぎるほどの力を持っていた。

「ここはてめぇらの巣じゃねぇんだぞッ!? 今すぐその耳障りな声を止めやがれッ!!
さもなきゃすっこんでろッ!!」

 椅子を蹴って立ち上がり、罵詈雑言を吐き捨てたクラップの豹変にカミュは目を丸くして驚いている。
 一方のアルフレッドとシェインは、来るべきときが来てしまったとでも言うようにきつく双眸を閉じ、
眉間に皺を寄せている。
 苦悶にも近い表情を作るアルフレッドとシェインからは、
彼らの想定する中でも最悪の事態に陥ったと言うことが察せられた。

 思わずのけぞるほどの勢いで罵倒を浴びせかけられたテレビクルーたちは、
肩で息をするクラップへ視線を向けたままでしばし呆然と立ち尽くしていたが、
やがて自分たちに非があることを悟り、場の空気を乱したことを誰からともなく目の前の怒れる青年に詫び始めた。

 つい熱が入ってしまったとは言え、彼らも立派な大人である。
 迷惑を自覚するなり、周りの客たちにも口々に謝罪を述べ、順繰りに頭を下げて回っていった。
節度と言う点では些か踏み外してしまったものの、社会人のマナーを弁えた適切な対応と言えるだろう。
 確かに迷惑行為に違いはないが、さりとて罰せられるような悪事を仕出かしたと言うわけでもない。
客やマスターも彼らの誠意を快く受け容れた。

 殊勝な陳謝を認めて納得すれば、事態はそこで丸く収まった筈なのだが、
それでもクラップは収まりがつかないらしく、各テーブルを回って陳謝する彼らを冷めた目で蔑視すると
「ろくでもねぇモン撮ってる連中は、何やっても、どこにいてもろくでなしだぜ」と口汚い悪態を吐き捨てた。

 最早、私怨にしか聴こえないクラップの悪態を小耳に挟んでしまったアルフレッドは、
背筋が凍るような焦燥を味わわされたが、それでもテレビクルーたちは耐えてくれた。
 難癖に近い悪態にも耐えて、自分たちのすべき謝罪を粛々と行う彼らの態度に神経を逆撫でされたらしいクラップは、
更に聞こえよがしの悪言を撒き散らしていく。

「お里が知れるってのはこのことだな。お前ら、どうせクソみたいなもんしか撮れないんだろ? 
世間様をふざけたネタで引っ掻き回すくらいしか能がねーもんなぁッ!」

 おとなしく謝罪を続けていたテレビクルーたちではあったものの、
クラップのこの一言ばかりは捨て置くわけにも行かなかったようだ。
 テレビそのものに対する侮辱とも取れるクラップの暴言によって怒髪天を衝いた若いスタッフが
足音もやかましくクラップに詰め寄り、両者の距離は一挙に縮まった。

「黙って聞いてりゃ調子づきやがって………今のは聞き捨てならねぇぞ、小僧!」
「あぁんッ!? なに偉そうにキレてんだよ、とっちゃん坊や! 
クソだからクソっつったまでだぜッ! それとも図星か? 図星だからムカついたんだな!」
「因縁ふっかけるにしても、もう少し言い方ってもんがあるんじゃねぇのか!? 
クソったれてんのは、お前のほうだろうがッ!」
「なんだと、この野郎! 反論できる権利も無いような底辺のくせしやがって生意気だ!」
「どっちが生意気だ、クソガキがッ!」

 特に血の気の多そうな男性スタッフ――胸ポケットに取り付けられたネームプレートには、
『ディレクター カーカス・マイヨ』と書かれている――を中心に数名の若手たちがたちまちクラップを取り囲んだ。
 年配のスタッフは頭を掻きながら若手の暴挙を食い止めに入ろうとするものの、
一触即発の状況を打破し得るだけの力を誰も持ち合わせてはおらず、
それが為に若い力を止められない歯痒さを思って臍を噛むのだ。

「オレたちゃ、グリーニャの出身者なんだよ。てめぇら、テレビの人間見るだけでなぁ、
胸糞が悪くなって仕方ねぇんだッ! バカヤローッ!」

 とりわけ乱暴な男が殴りかかるべく身構えたその瞬間である。
 クラップの口から飛び出したその一言によってテレビクルーたちが一様にたじろいだのだ。
 “グリーニャ出身”と言う自称のどこに相手を退けるだけの威力が秘められているかは不明だが、
クラップの話を耳にした途端にテレビクルーたちは腰が引け、しどろもどろになったのは事実である。

 顔を見合わせ、何事かを小声で談じる同僚が動揺で染まっていく様を目端に捉えながらも、
先頭に立ったカーカスは、クラップと真っ向から睨み合いを続けている。
 どれほど悪言を重ねられても、鋭い眼差しで穿たれても、カーカスは一歩とてクラップに譲らない。
両者の対決は、意地と意地の鬩ぎ合いと化していた。

「どうだよ、えぇ!? 言い返せねぇだろ。言い返せるわけねぇよなァ! 
お前ら、テレビの人間のせいでメチャクチャにされたんだ、こちとらよォッ! 
………ほれ見ろ、結局、このザマじゃねーか。人の一生狂わすような、
そんなクソみたいな真似はしたことゴザイマセンって胸張って言えるんなら、オレにも言い返せるだろ?
言い返せねぇってことはさぁ、てめぇら、身に覚えがあるってことじゃねぇかッ! とんだクソヤローどもだぜッ!!」

 ここを先途とばかりにテレビ番組と言うものに対して常日頃から抱いていた鬱憤をぶちまけ続けるクラップだったが、
“グリーニャの人間”と言う名乗りが効果を発揮しているのか、
最初こそいきり立っていたスタッフたちも次第に消沈していき、
異論・反論を唱える者は一人またひとりと舞台を去っていった。

 しかし、カーカスだけは違う。
 同僚たちは恐れをなしたかのようにクラップへの反論を憚るが、彼だけは怒りのボルテージをなお一層高め続けている。
眉間には青筋すら立たせていた。
 己の仕事に何ら恥じるものが無いのであろう。侮辱的な暴言に対して彼は完全と立ち向かっていった。

「なんだそれ? お前、もしかして同情でも引いてるのか? ………バカとしか言いようがねぇな」
「おいおい、てめぇ、少しは物考えて喋れよ。同情も何も無いだろうが。
テレビの人間がオレらの村に何をしてくれやがったのか、もう忘れたんか? それとも知らねぇのかよ?」
「ひとつ教えておいてやろうか、小僧。手前ェが受けた被害とやらの責任をな、
同業他社にまで押し付けるバカが何を言っても無駄なんだよ。そーゆーのは言いがかりって言うんだ。
自分の被害を武器にする………てめぇのほうこそ最低の加害者だよッ!」
「変わんねーだろうが! どこのどいつもみんな一緒だ! 
お前らみたいな寄生虫を選り分ける必要なんかあるもんかよッ!!」
「変わらない? ………いいや、変わっているね。お前らの被害は何年前の話だ? 
その間、何も変わってねーと思ったら大間違いだぜ。もっと大人になりな、クソガキ」
「ニュアンスを取り違えるてめぇにガキ扱いされたかねーんだよ! 小学生低学年からやり直せよ!」
「………読解力ないだろ、お前」
「残念でした! オレ様はバリバリの文系だよッ!」
「この期に及んでまだ言うか………。やはり土下座は免れないな、クラップ」
「おま………アルぅっ! 乱入するならするで、オレの味方になってくださいよっ!」

 クラップとカーカスの言い争いが頂点に達しようとする中、ついにアルフレッドが動いた。
 無論、クラップに味方してカーカスとこと構えようと言うのではない。
 万が一、クラップがカーカスと取っ組み合いになった場合、
両者の間に割って入って乱闘騒ぎを食い止めようとしているのだ。
 場合によっては実力行使も辞さない覚悟を決めたらしく、
両者の動静へ細心の注意を払いながら靴紐が解けていないかと自身のコンディションを確かめている。
 アルフレッドは“喧嘩両成敗”にも備えていた。

 不安げにしているマスターとカミュに自分が取り静めると視線でもって訴え、
シェインに手出しをしないよう目配せしたアルフレッドは、誰にも気取られぬよう音もなく足を運び、
両者の中間まで歩を進めた。
 いつ何時でも両者の動きに対応し得る間合いに陣取ったのである。

「口で言ってもわかんねぇみてーだな、お前のドタマは………」
「………上等じゃねーか。流星飛翔剣の味、とくと教えてやらぁよ!」

 双眸を血走らせるクラップとカーカスが互いに距離を詰め、
それを見て取ったアルフレッドが床を蹴って飛び出そうとしたその瞬間、
まるで見計らったかのようなタイミングで玄関のスウィングドアが開け放たれた。

 反射的にスウィングドアへと視線を巡らせたカミュは、そこに見つけたシルエットに目を見開き、
それから安堵しきった様子で破顔した。
 待ち望んでいた救世主の到来を喜ぶその面には、なにやら別の感情が働いているようにも見える。
 スウィングドアが開け放たれる乾いた音と、続いて打ち鳴らされた靴音を耳にして反応したマスターも
「ヒーローってのは遅れて登場するものだけど、ホント、気を持たせてくれるわねン」と顔を綻ばせているが、
こちらはカミュと異なり、単に状況を打破し得る人間を迎えた喜びの一色である。
 危機的状況にも関わらず、カミュの頬だけが紅潮している。
それこそが只ならぬ感情の働きを示す何よりの証拠であろう。

 カミュやマスター同様にアルフレッドもスウィングドアを開け放った人物のことは見知っていた。
 正確に言い表すならば、「その人物のことだけは」と言う枕詞が必要になる。
 サルーンの天井に跳ね返る靴音は二つある。
先に入ってきたその人物の背を追うようにして後続してきたもうひとりの男の顔には見覚えがなかった。

 先頭を行く人物と比較すると如何にも軽薄そうな印象な男だ。
 白いカーディガンを肩から羽織り、似合いもしないサングラスをかけた風貌は、
絵に描いたようなテレビディレクターあるいはプロディーザーのイメージである。
 事実、その男が店内に姿を見せた途端、テレビクルーたちは「オットーさん」と口々に名前で呼びかけ、
ある人は直立不動で、またある人は腰を浮かせながら彼を出迎えた。
 彼らの様子から察するに、オットーと呼ばれたこの男はテレビクルーの上司なのだろう。
 胸元で交差させたカーディガンの隙間からは首に提げたパスケースが見え隠れするのだが、
そこにはやはりテレビクルーが着込むスタッフジャンパーと揃いのロゴがプリントされている。
 パスケースに納められた名刺には、オットー・コンカノンと言うフルネームと共に
プロデューサーと言う肩書きも添えられていた。

 オットーに先んじて店内に入った人物の足が向かう先は、ただ一点だ。
 待ってましたと言って出迎えてくれたマスターに会釈で返し、カミュの頬を左の指先で優しく撫で、
その様子を冷やかすような口笛を背に受けながら、目的の地点へと一直線に向かっていく。
 視線の先には、互いの胸倉を掴み合うクラップとカーカスの姿が在る。

「―――アシュレイさん!」

 背中で受けたカミュの声に振り返ることなく片手を上げて応じたその人物―――アシュレイへ
再びオットーの口笛が飛んだ。

 カミュの容姿を可憐、オットーの風体を軽薄と言い表すならば、
アシュレイのそれは無骨の二文字が最も似つかわしいであろう。
 顔立ちは端正である。ほつれ一つなく整えられたオールバックの頭髪は見目の麗しさをより際立たせているし、
左目の下の泣きボクロが引き締まったマスクへ更なる彩りを添えている。
 幾分、線が細いように見受けられるものの、その痩身を包む作業用のツナギや横顔に付着した埃と汚れは、
アシュレイがこの場に居合わせる誰よりも過酷な環境で仕事をこなしていると言う実績(こと)を
如実に表していた。
 右の脇に抱える黄色のヘルメットの前面には暗所を照らすライトが備え付けてあり、
後頭部あたりには何やらロゴマークが刻印されている。
 フォークリフトを模したと思しきロゴマークには黒字で社名が振ってあるが、
如何せん、あまりにも汚れや擦れた傷痕が激しい為に一見では正確には読み取れない。
 その汚れもまたアシュレイにとっては実績を物語る碑文のようなものであった。

 一触即発の状態となったふたりにどのようなアクションを起こすのか、
注視へ一層の力を込めるアルフレッドに気付いたアシュレイは、
自分が事態を収拾すると宣言するかのように強く頷いて見せた。

 そこまで明確に自信を示されてはアルフレッドとしても踏み止まるしかない。
 オットーを真似て冷やかしめいた口笛を吹くシェインではないが、
臨戦体勢を解くとお手並み拝見とばかりにアシュレイに道を譲った。

「………キミは確かガーフィールド君だったな。クラップ・ガーフィールド君。
そちらのキミはカーカス君。カーカス・マイヨ君」
「なんだい、アンタ。………邪魔しないでくれねーか。こっから先はオレの見せ場なんだぜ?」
「口の利き方に気をつけろよ、クソガキ。この人は手前ェの雇い主だろーが。
今すぐクビになりたいのか? 俺の知ったことじゃないがね」
「紹介感謝するよ、カーカス君。しかしだね、雇い主が誰だとか、この場合は瑣末な問題だよ―――」
「ふ〜ん―――あんたがどう考えるのかは、俺の知ったことじゃあないがね」
「雇い主サンだったら、余計に見といて欲しいもんだね。オレがどれだけ役に立つ男かをさぁ」
「―――明日にも発掘が始まると言うときにくだらないことでエネルギーを使う人間が、
どうして役立つと言うんだ、クラップ・ガーフィールドッ!? 
大事な日を前にケガでもしたら、誰が大切なカメラを担うんだ、カーカス・マイヨッ!?」
「―――ッ!?」
「………………ッ!」
「誰が雇い主か、どんな仕事をするのかは関係ないッ! 仕事をする気がない者は直ちにここから去れッ! 
求められているのは、意欲ある者のみだッ!!」

 今にも暴力に訴えようとしていたクラップとカーカスを一喝で沈黙させたアシュレイは、
彼らが直立不動のまま固まったのを見計らうと強引にその間へ割って入り、物理的に両者を引き離した。

「いいじゃないの、若いんだからさ。若いうちの特権だよ、暴れて許されるのはさ。
仕事に支障が出たって構わないさ。何のために大人がいると思う? そーゆーときに面倒見てやる為にいるんだよ」
「オットーさん、俺はもう今年で三十路なんですけど…」
「そうやってトシを自己申告するところが青い証拠なんだぜ、カーカス? 三十路? まだまだ青いぜ、若過ぎるぜ」

 アシュレイから飛んだ叱声のショックが消えずにいるクラップとカーカスに向かって
煽るようなことを言い放ったオットーは、この状況を心底愉しんでいる様子だ。
シガーを咥えた口元は、明白な笑気で歪んでいた。

「―――おや? ガーフィールド君から送られた申し込みの中に知った名前があったから、
まさかとは思ったが、そのまさかとはね」
「その節はライアン電機でお世話になりましたね、アッシュ社長。
自分の店で納品した機械を自分の手で使うことになりそうですよ」
「因果な話だ。しかし、キミの噂はカミュからも聞いているよ。
自慢の腕っ節を存分に発揮して欲しい。………尤も、キミの本当の得意は脚らしいがね」
「ドリルを通さないような硬い岩があったら声をかけてください。
俺の蹴りはシェルクザールの岩を相手に鍛えたものですからね」
「これは頼もしい。よろしく頼むよ」

 アルフレッドとアシュレイの間にて交わされたこの会話がきっかけとなり、
意識を現実へと引き戻せたクラップは、バツが悪そうにオットーへ謝罪しているカーカスを押しのけて
自分の雇い主に食って掛かっていった。

 要領の良いクラップにしては珍しい行動だ。
 打算と言うものに敏な彼は、例えばこのようにバイトを解雇されかねない状況へ身を投じるタイプではない。
むしろそのような短慮を斜に見て嘲る側の人間であった。
 にも関わらず、雇用関係も無視して噛み付こうと言うのだから、
アシュレイの言に対してよほど腹に据え兼ねるものがあったのだろう。

「アンタなぁ―――」
「―――シェルクザール地下に眠っていると思われる古代遺跡の発掘は大掛かりなプロジェクトになる。
その為、テレビ局の取材が入ることを予め了承して頂きたい。
………アルバイトの募集要項にはそう明記しておいた筈だが、私の記憶違いだったかな、ガーフィールド君?」
「ぅぐッ―――」
「マスコミと一緒になるのがイヤなら、どうしてこの仕事に応募した? 
応募した以上、キミにはこちらの出した条件に従う責任がある。
理不尽な命令に従う権利も同時に持つことになるがね、この場合はそれには当てはまらない筈だ。
………決定事項であり、雇用関係によってこれを認めてしまった場合、
不得手な仕事相手であろうと黙って承認して貰うしかない。それが仕事と言うものではないかね」

 何事か言いかけたクラップの唇へ右の指先を押し当てて出鼻を挫いたアシュレイは、
遮ったついでとばかりに自分が提示していた就業の条件を彼へと突きつけた。
 念の為に…と募集要項が列記されたアルバイト申込用紙の控えをリュックサックから引っ張り出したシェインは、
アシュレイが並べたことと全く同じ内容が書かれていると確認し、クラップへ兜を脱ぐよう促した。

「クラ兄ィさぁ―――申込書にサインしちゃった時点でクラ兄ィの負けだよ。
そんときにもっと内容を読めば良かったじゃないのさ。
これでまだゴネるんなら、クラ兄ィ、まじでこのバイト辞めなきゃならなくなるよ?」
「う…むむむ………ッ!」

 シェインの掲げた申込用紙の控えによって完全に反論を失ったクラップではあったが、
さりとて一度振り上げた拳を簡単に下せるほどにはまだ達観してはおらず、
せめてもの抵抗とばかりにアシュレイへ虚勢の睨みを利かせている。
 あまりにも虚しいその姿にアルフレッドとシェインは互いに肩を竦め合った。

「グリーニャ生まれのキミたちがテレビに、もっと言えばマスコミに対して良い感情を抱いていないのは知っている。
………世界中の誰もが知っていることだ。だから無理強いはしない」

 言いながらオットーの様子を窺い、彼が何事か承諾したように頷いたのを見止めてからアシュレイは話を続けた。

「キミがどうしても彼らと仕事をしたくないと言うのであれば、今回は縁が無―――」
「―――冗談言わないでくれよ、社長さん。ここで辞めて帰ったら、こいつらに尻尾巻いて逃げたみたいじゃんか。
そんなのはゴメンだぜ」
「では、続けるかい? ガーフィールド君?」
「………最後まで見届けてやるよ。あんたの仕事も、こいつらの悪事もどっちもだ。
もしも、ふざけたことをやりやがったら、そんとき手ェ出さずにいられるかは保障できないぜ。
それでもいいんだよな!?」
「―――良い気合いだ。それでこそ雇った甲斐があると言うものだよ」

 逆襲とばかりに声を張り上げてアシュレイの話を遮ったクラップは、
横目でカーカスを睨めつけながら発掘調査へ臨む決意を語った。
 カーカスもカーカスでクラップと視線を交えて火花を散らしており、
決意の程を語って聞かせたと言うよりは宣戦布告と表すほうが正しいかも知れない。

 口では了承と答えたものの、やはりテレビが入ることへ強い蟠りを残しているクラップの物言いは、
あからさまに刺々しく、身の裡より迸らんとする憤懣を隠そうともしていない。
 けれどもそうした憮然とした態度こそがクラップの未熟を表すものに他ならず、
これに正面から応じるカーカスもまた然り。
 子供じみたいがみ合いを興味深げに眺めていたオットーは、半ばアシュレイに乗せられる恰好で呉越同舟を余儀なくされ、
しかし、そのことに気付いていない両者が可笑しくて仕方がなくなり、ついに盛大に噴き出してしまった。
 知らぬ内に他者の敷いたレールの上を何の疑いもなく走り出したクラップとカーカスは、
ある意味に於いては似た者同士と言えよう。あえて悪態を吐くならば単細胞仲間か。
 自分たちを見て噴き出すと言う不届きなオットーへ殆ど同時に剣呑な眼差しを向けたあたり、
意外と息が合っているのではなかろうか。
 そう考えたオットーは、またしても腹の底から込み上げる笑気を抑え切れなかった。

「―――明日より我が社を中心にシェルクザールの古代遺跡発掘が始まる。
事前に説明しておいた通り、今回は『SUPERビャンプ☆ピッチdeぽん!』とタイアップしている為、
発掘作業の模様をテレビカメラで撮影していく。………一部のスタッフの中には、
マスメディアが介入してくることに眉を顰める向きもあるかも知れない。
だが、世紀の発見が如何にして行われたかを記憶することも、意義有るものだとも理解してくれ。
発掘の全てを記憶し、電波に乗せてお茶の間に届けると言うことは、人と人との夢を繋ぐのと同じことだと私は信じている」

 僅かな逡巡の後に初心を貫徹することに決したクラップの姿を頼もしそうに見つめたアシュレイは、
自分の愛用するヘルメットを彼に手渡し、居合わせた“チームメイト”たちに発掘作業の心得を説いていく。

「勿論、記録を担当するテレビの皆には、発掘作業は出来ない。
人手が要るときに取材など邪魔だと思うときがあるかも知れない。予め言っておくが、それは違うぞ。
彼らには彼らの仕事がある。我々の仕事をエンディニオン中に伝えることだ」

 アシュレイの透き通った声がサルーンの高い天井に跳ね返って微かに反響する。
 テノールとアルトの中間のような、やや太めの声質で語られる心得へサルーンに居合わせた誰もが聴き入っている。
 アシュレイの弁に何か感動を覚えたらしく、カミュとシェインはともに瞳を輝かせていた――
尤も、両者の感想は大きく食い違っているに違いないが。

「人には人の仕事がある。テレビの人間がテレビしか相手に出来ないよう、
発掘を担う人間には泥や岩と格闘することしか出来ない。どれか一つでも欠けては、この発掘調査は成立しないんだよ。
皆の気持ちと仕事を一つに束ね、新しい伝説を作り出すことが私の使命だと本気で考えているよ」

 心得の語りを続けながら右手を天井目掛けて突き出したカミュは、人にはそれぞれ与えられた役割があると続けた。
 翳した右手に幾筋もの光の帯が収束し、その一点で増幅された燐光が爆ぜ、
辺り一面に飛び散っていた輝ける粒子が掻き消えると、
手品か何かの如く先ほどまで持っていなかった筈の立方体がその手の中に握られていた。
 光の燐光の先に現れるのは、エンディニオンの人間が創造の女神より等しく与えられたと伝承される【夢】の具現化―――
トラウムと呼ばれる機械である。

 一見するとその立方体はモバイルにしか見えないのだが、入力キーが省かれ、
ほぼ全体が液晶画面で構成されているあたり、通常の電話とはかけ離れた機械だと察せられる。
 タッチパネル式になっているのか、液晶画面の下部に指先でクリックするよう促す小さなウィンドゥが表示されていた。
 珍妙なのは、液晶画面を跨ぐようにして機体の上部から下部まで鉄製のアーチが施されている点だ。
二本のレールから成るアーチの上をコンパスの尖端のような針が自由に行き交う造りとなっている。
 今現在はXY両軸に何ら動きの見られない中心点で沈黙を保っているものの、
アシュレイに言わせれば、金属等を探知した場合にはこの針が動き回り、目的の場所まで導いてくれると言うのだ。
 ディスプレイと針とを併用して発掘物の情報を探知及び精査していくこのレーダーのトラウムを、
アシュレイは『ワールド・イズ・マイン』と呼んだ。

「人にはそれぞれ与えられた役割がある。それが理解できたなら、さぁ、やるべきことはただ一つだ。
自分に与えられた役割をこなしていこう。皆が皆、同じ気持ちで仕事に向き合ったときにこそ、
望むままの成果が得られるのだからね」

 自分の話に耳を傾けてくれるアルフレッドたちへワールド・イズ・マインを翳したアシュレイは、
「私にだって出来ない仕事は山ほどある。だからチームがあるんだよ。
レーダーを使って正確な位置を探知し、作業の絵図を描く。それが私に与えられた役割であり、
チームの為に果たす責任なんだ」と言い添えた。

「ここに集った皆が仲間だ。一つのチームなんだ。………手を取り合って進もう」

 一同を見回しながらそう締めくくったアシュレイの満面には喜色が浮かんでいる。
 どことなく前時代的な匂いが感じられたアシュレイの雄弁を冷やかすような輩は一人としておらず、
誰もがリーダーの発することへ真剣に耳を傾けていた。
 クラップやカーカスの間に垂れ込める緊張感のように細かな部分での問題こそ孕んでいるものの、
チームワーク自体は決して悪くはない。むしろ出来過ぎなくらいに良好と判断できる。

(アッシュ―――アシュレイ・ウィリアムソン、か。恐れ入るとはこのことだ)

 これから発掘作業を共にするチームメイトを密かに観察していたアルフレッドは、
ともすれば利害に基づくに集団でありながら共有する目的の為に結束できたことへ感嘆し、
それと同時に、一瞬にして強固なチームワークを作り上げたアシュレイの人心掌握の妙へ畏敬…いや、畏怖の念を抱いた。




←BACK ・ 番外編トップへ戻る ・ NEXT→