5.63 Minutes



「フィー姉ェ、こっち来るって?」
「…と言うよりも俺のほうから頼んだ。ムルグの力も借りなければならなくなりそうなんでな」
「まさか、ベルは来ないよね………?」
「お前のことを心配して、最初はゴネたらしいがな。フィーと母さんでうまく説得してくれたみたいだ。
………実の兄には一度も触れなかったみたいだが………」
「けっけっけ―――お兄ちゃんったらショックだね。声もなんか湿っぽいよ?」
「煩い、黙れ」

 アルフレッドのモバイルへフィーナからのコールが入ったのは、
件の速報が世界中を駆け巡った直後のことであった。
 電話を掛けていた合計時間と、それに応じた料金が通話終了時に表示されるようアルフレッドはモバイルに設定してある。
 年齢の割に何とも几帳面なことで、フィーナはアルフレッドの心がけを倹約家と評し、
シェインとクラップはしみったれた男だとからかっていた。

「一時間と三分か―――我ながらよく喋ったものだ」
「明日は雨でも降るんじゃないの? いつものアル兄ィなら一分も話さないもんな。て言うか、長くて一分だもん」
「用件を簡潔明瞭に伝える。理に適った使い方をしているじゃないか」
「その代わりに面白味も何にもないけどね。アル兄ィの場合、メールだって数行じゃん。
絵文字も使わないしさ。つまんないなーって、いっつも呆れるもん」
「面白味が必要か?」
「ユーモア精神は大事だよ。アル兄ィってば普段から無愛想だし、メールの文章とかも冷たいんだもん。
時々、怒ってんのかなーって心配になるときがあるよ」
「………絵文字を挿れれば、柔らかくなるのか? そうなら検討はするが………」
「―――ごめん、やっぱナシの方向で。アル兄ィが絵文字なんか使い始めたら、
なんかアブない想像しちゃうね。ああ、とうとうコワれたかーって」
「キャラに合わないのは認めるが、コワれたかとはどう言う了見だ。しかも、“とうとう”って。
お前は俺をそんな風に見ていたのか」
「だって、クソ真面目な人ほどコワれ易いって言うしぃ〜」
「普段から壊れ気味のお前に言われるのは侮辱以外の何物でもない。
お前たちがそんな風に壊れているから、俺が気を張るしかなくなるんだろうが」
「うっわー、責任転嫁かよ。そんなんだから可愛い妹に嫌われるんだぜ?」
「………もう一度、言おうじゃないか。煩い、黙れ」

 通話を終えたモバイルをポケットに押し込みながら、
アルフレッドはディスプレイに表示されていた合計時間へと思考を巡らせる。
 無論、通話料金に頭を悩ませているわけではない。さすがにそこまでしみったれた男ではない。
 そもそもフィーナは無制限で通話を出来る相手として設定し、モバイル会社とも契約している為、
どれほど時間を費やしても膨大な料金を案じる必要などないのだ。
 一時間三分―――即ち、六十三分と言う合計通話時間がディスプレイには表示されていた。
 六十三分と言う時間の中で起こった出来事を振り返り、その一つ一つを整理しようと言うのである。

 厳密に言えば、遡るのは通話に要した六十三分とその前後の時間だ。
 早朝、発掘作業へ向かう全ての支度を終えたアルフレッドたちは、
記念セレモニーを執り行う為に『一本のえんぴつ亭』からシェルクザールの町役場へと移動した。

 セレモニーと言っても非常に簡素なもので、無事の成功を祈願する儀礼的なことは一切省かれ、
町長や役員たちによる壮行のスピーチが式典の大部分を占めていた。
 式典の最後に作業全体の工程をアシュレイが説明する手筈となっていたのだが、
町長のスピーチが予定より大幅に長引いた為、それすらも満足に行われなかった。
 せめて安全点検だけはさせて欲しいとアシュレイも食い下がったのだが、
事前に徹底していれば間違いが起こるわけがないと役場側―――否、町長に押し切られてしまった。
 初日から時間が押すことになるが、現場に到着してから改めて安全点検を行うしかないと
歯噛みするアシュレイの横顔が思い出される。

「今日と言う日は間違いなく我が町の歴史にとって輝かしいものになるだろうッ! 
我らの足元には、古代の民が残してくれた大いなる遺産が眠っているのだッ! 
それ即ち、果たすべき先人との約束であるッ!! 富と繁栄を我がシェルクザールに与えてくれるのだッ!! 
さぁ―――胸を張って行き給え、歴史の証人たちよッ!! 我らの前途は必ずや明るいものであろうッ!!」

 件のセレモニーに於いて、もう一つ印象に残ったものがある。
 マイクなど必要ないのではないかと思えるくらいの声量でもって雄弁を垂れていた、
シェルクザール町長のガウニー・ゴールドベーコンである。
 やたらエネルギッシュなそのスピーチが耳にこびり付いて離れないのだ。

 アシュレイの説明によれば、今回の遺跡発掘はガウニーの協力なくしては成立しなかったと言うことだ。
 町長自らがイニシアチブを取り、町を挙げての一大事業として推進したことが発掘へと漕ぎ着けた最大の要因だったと
アシュレイは感慨深げに述懐していた。
 町長のガウニーからして見れば、シェルクザールの名を全世界ネットで売り込むと言う
地域振興の狙いもあったのかも知れない。
 古代遺跡の発掘事業は、これに従事する人材が少ない為に世間の注目を集め易い。
 成る程、天文学的な額面の広告費を使うよりずっと宣伝効果があるだろう。
遺跡発掘が成功すれば御の字である。
 どちらの成果を副次的に見なしているかはガウニー本人に問わねばわからないものの、
この事業がシェルクザールの大きな利益となるのは間違いないのだ。
 これほど旨味のある話を断る理由もあるまい。

 ややあざとい気がしないでもないが、田舎独特の緩やかな空気に浸かり切り、
村を発展させる事業を思考の外へと放り出してしまったグリーニャの村長にも
ガウニーの商魂を少しは見習って欲しいとシェインやクラップと笑い合ったものだ。

 セレモニーのプログラムを全て消化した一行は、住民らの見送りを受けながら発掘予定地へと赴いた。
 ようやくガウニーから解放されると安堵していたのだろう。
セレモニーが終わるとアシュレイは肩の力を抜くよう深呼吸を一つ吐いたのだが、
出発する段階になって急にガウニーが同行すると言い始め、またしても空気が張り詰めた。
 このときばかりはさしものアシュレイも顔を引き攣らせていた。
 ガウニーが同行すれば、当然ながら作業への口出しも懸念される。
発掘作業を開始する前に行うつもりであった安全点検とてガウニーの一存で取り止めになり兼ねなかった。

 穏やかならざるアシュレイの心中を知ってか知らずか、一団の先頭を行くガウニーは意気盛んだ。
 沿道に立って手を振る住民たちへ応じながら「自分が現場の指揮を執る」と言い出すのではないかと
アシュレイたちは肝を冷やしていた。
 幸いなことにアシュレイの心配は取り越し苦労に終わったのだが、
しかし、直接的に現場指揮を執らなくともガウニーの発言力は依然として強い。
 案の定、作業の遅延に?がるとガウニーが強弁し始め、安全点検や工程表の説明は全く行うことができなかった。
 これにはアルフレッドも眉を顰め、「誰のせいで時間が押したと思ったのだ」と吐き捨てたのだが、
さりとて小さな呟きではガウニーに対する抗議としては威力を持たず、
直接的に異論を唱えられる立場にある筈のアシュレイでさえ町長の決定に従わざるを得ないとなると、
もう手の打ちようがない。

 掘削機のトラウム――所有者は『クラッシャーJ』と名付けていた――を発動させたアシュレイの社員は、
祈るような面持ちでドリルの尖端を岩盤に宛がっていた。
 創造女神イシュタルにも、幸運を司る神人として知られるティビシ・ズゥにも、
彼は心から祈りを捧げたいに違いない。

 しかし、その祈りは神々には聞き届けられなかった。

 数分ばかり掘り進めたところで違和感を覚えた掘削担当のスタッフはドリルの回転を一時中断し、
アシュレイにその旨を伝えて指示を仰いだ。
 すぐさまにレーダーのトラウム、ワールド・イズ・マインを発動させたアシュレイは、
これに搭載されている機能を使って地中の構造をスキャニングし、導き出された結果に驚愕の声を上げた。
 事前の調査と明らかに地下の状況が変わっている―――
困惑するアシュレイの絶叫が響き渡った瞬間、ドリルの刃が宛がわれていた岩壁が、
甲高い声へ呼応でもしたかのように崩落し始めた。
 幸いにしてスタッフは全員が岩壁から離れていた為、崩落へ巻き込まれるような事故には至らなかったのだが、
ぽっかりと穿たれた空洞から異形の化け物が顔を出したことによって事態は急展開を迎えた。

「あれは―――まさか、ベテルギウスではないのかッ!?」

 真っ先にそう叫んだのは、ガウニーの傍らに侍る秘書らしき男であった。
 ダークパープルのダブルスーツに身を包んだ男から発せられた“ベテルギウス”の意味を、
最初の内は誰も理解していなかった。その段階では、不測の事態に直面した混乱が思考を麻痺させていた。
 だが、混乱はいつまでも持続はしない。
 やがてどこからともなく「ベテルギウスって、毒を喰うって言うクリッターだろ?」、
「汚染物質を撒き散らすとも聞いたぞ!?」との悲鳴が上がり始め、たちまちその場に居合わせた全員へ恐怖が伝播した。

 そこから先はまさに怒涛の一過であった。
 “毒を喰らい、汚染物質を撒き散らす”と言うベテルギウスを恐れた人々はその場から一目散に逃げ出し、
発掘予定地は、一同の到着した直後の賑わいが夢幻であったかのように静まり返った。

 当のベテルギウスは、岩壁から顔を出したまま逃げ惑う群衆を不思議そうに見つめていたのだが、
その様子を視認した人間は数えるほどしかいない。
 『SUPERビャンプ☆ピッチdeぽん!』のスタッフが撮影していたビデオの映像で確認した人間が殆どである。
 直接的にベテルギウスの様子を見て取ったのは、件のビデオを撮影したカーカスか、
アルフレッドたちグリーニャからの参加者のみで、オットーやアシュレイですら人の波に押し流され、
状況の確認すらままならない有様であった。

「おっかないヤツじゃねーんだよ、ベテルギウスは! あいつは確かに毒物や劇物を喰う。
でもよ、喰ったからってそのまま垂れ流したりしねーんだ。体内で消化してるんだよ! 
そーゆー仕組みになってんだよ、あいつの身体は! ………だからよ、そんなに怯えんなよ。
あいつを怖がってやらねぇでくれッ!」

 ホウホウの体で役場まで退避してきた人々の多くが恐怖で肩を震わせている。
 彼らを落ち着けようとクラップは声を嗄らしてそう呼びかけたのだが、
パニック状態へ陥っている群衆の耳には全くの無意味。希望的観測で楽観的なことを言うなと怒鳴り返される始末であった。

 不安に染まった役場や町の様子を撮影しているカーカスがクラップの視界へ入ったのは、丁度、そのときである。
 如何ともし難い非常事態へ直面しているにも関わらず、不謹慎極まりないと彼には思えたのだろう。
兼ねてより抱いていた不信感を爆発させる火種としては、それは充分過ぎるほどの物だった。

「やっぱりてめぇらテレビ屋はカス以下だぜッ! 撮っていいもんと悪いもんがあるだろうがッ!」

 憤怒の形相で殴りかかってくるクラップをカーカスのカメラが捉え―――
それから間もなく、アルフレッドのモバイルへフィーナからコールが入ったと言う次第だ。

 フィーナの電話によれば、全世界ネットで放送されたクラップの短慮を、彼の両親も心から心配していると言う。
 古くから友人付き合いのあるガーフィールド家を案じたルノアリーナが玄関へ駆けつけたときには、
クラップの父は頭を掻き毟って悶絶していたらしい。
 厳格なことでも有名なクラップの父は、事情はどうあれ暴力に訴えると言う醜態を、
よりにもよって世界中に晒した息子を今すぐに始末すると息巻き、
実際に自身のトラウムを握り締めながら肩を震わせていた―――
アルフレッドはそうフィーナから又聞きしている。

 クラップの父が備えるトラウムは、グリーニャの村民の中でも特に殺傷力の高いモノだ。
 『ラスト・メビウス・デッドエンダー』と銘打たれたメリケンサックのトラウムは、
確かに息子の必殺技名と似たり寄ったりのネーミングセンスだが、
クラップの『流星飛翔剣』が懐中電灯を振り回すだけの威嚇であるのに対し、現実に凄まじい攻撃力を発揮する。
 そのような物を持ち出そうものなら、比喩ではなく本当にクラップは始末されてしまうだろう。
 クラップの母とルノアリーナが二人がかりで説得し、どうにか彼のシェルクザール行きは防げたのだが、
当面の危機が去っただけで、最悪の事態を免れたものではない。
 クラップへ彼の両親の様子を説明しながら、アルフレッドは思わず身震いしてしまった。

「聴いたかい? 若いうちはムチャばかりするもんだが、親を泣かせちゃいかんよ、親を」
「どっちかって言うと、死刑宣告に近いけどね。クラ兄ィのお父様、怒るとシャレにならないもんな」
「おま…コラ、シェイン! オレより先にお前が答えんなよッ! そして、不安を煽るなよッ!」

 シェインからの冷やかしに対し、大人気なくがなり声で応じるクラップを眺めていたオットーは、
タコか何かのように真っ赤になっている彼の顔がツボに入ったのか、喫っていた紫煙もろとも笑気を盛大に噴き出した。
 年下相手に本気になって噛み付く器の小ささや、六十三分の間に作ったと思しき頬や額の生傷を
嘲ったと言うわけではない。
 自分の隣に座ってカメラをいじっているカーカスの顔面もクラップと同じ悲惨な状態であり、
両者の酷似を見比べている内にオットーは笑いのツボをくすぐられた様子なのだ。

「世界を動かすのに何が必要なのかもわからないようなバカは、若かろうが老けてようが一緒ですよ。
そんな野郎、放っておけばマジな死刑宣告を喰らう羽目になるでしょ。ザマぁ見ろってヤツです。
親御さんが気の毒ではありますけどね」

 クラップだけでなく自分も笑いものにされていると察知したカーカスは、
むっつりと不貞腐れた声でオットーに異論を唱えた。それも聞こえよがしの大声で、だ。
 自分と同じような傷を負ったクラップへの挑発が含まれているのは明白で、勿論、言われた側も黙ってはいない。

「オレに言ってんのか、てめぇ―――今のはオレのことかよッ!?」
「がなるんじゃねーよ。手前ェで手前ェのバカさ加減を自覚してるってことだぜ、その反応はよ。
お前は違うだろ? そんな上等なアタマ、持ってるわけねーもんな」
「他人の不幸をメシのタネにするカスにおつむの心配されたかねーな。
どうせてめぇら、この事件を煽りまくるんだろ? 煽って煽って、この町をぶっ潰そうってんだろ? 
見物だな。自称有識者の皆様がたが今度はどんな風に話を膨らませてくれるかねぇ」
「また不幸自慢か。芸がねぇな、てめーも。手前ェだけの世界でグダグダやってねぇで
少しは周りを見てみやがれってんだ。手前ェのバカさ加減が身に染みてわかるだろうぜ」
「不幸自慢とは言ってくれるじゃねーか。その不幸をバラ撒いたのは、一体、どの世界の人間だァ?」
「少なくともおれらのいる世界の人間じゃねーのは確かだよ。………世界は絶えず変わってんだ。
そんな当たり前のことにも気付かないなんてな。てめーはホントのクソガキだぜ」
「ケッ―――長々とゴタク並べやがって………。てめぇの言い訳にはもううんざりだ! 
その汚ェ二枚舌、今すぐ引っこ抜いてやらぁッ!」
「上等だ! てめーの青臭ぇケツ、ペンペンしてやろうじゃねーかッ!」

 乱暴にも椅子を蹴って立ち上がるや否や、カーカスへと駆け寄ったクラップは、その胸倉を両手でもって掴み挙げた。
 カーカスもカーカスで、殆ど同時にクラップの襟元へと手を伸ばしている。
 額を擦り合わせながら互いを睨みつけると言う前時代な張り合いの仕方は、
一触即発の状況でありながらもどこか滑稽に映り、それが為に彼らを取り巻く周囲の人々も強行には仲裁へ入ろうとせず、
成り行きに任せて傍観を決め込んでいる。
 一時的な感情の昂ぶりであり、暫く放っておけば気が済むものと見なしているのだろう。
 それもその筈で、互いを口汚く罵りながらも格闘へ移行する素振りを全く見せず、
意地の張り合いと言う域を出そうになかった。
 即時的な対応を要するほどの事態へ発展しそうにない小競り合いなど、いちいち相手にもしていられまい。

 ましてや状況が状況だ。
 シェルクザール全体が最大レベルの警戒を要する緊張に包まれているのだから、これは当然の措置と言える。

 関係者の責任として一応の仲裁に入るオットーではあるが、あまりやる気は感じられない。
 傷を負った箇所までお揃いと言う二つの顔を笑い飛ばすことはあっても、
いがみ合いそのものについては、積極的な関与は控えるつもりなのだろう。

「おいおい………カーカス、自分が手元にどんだけ高価(おたか)いものを置いてるか、
自覚ってもんがないんかい? クラップ君もクラップ君だぜ。
万が一だよ? 殴りかかった拍子にぶっ壊しちまったなら、こりゃ弁償して貰うしかなくなるんだわ」
「べ、弁償くらいしてやらぁ!」
「それなら安心だ。ちなみに今回の撮影で使ってるカメラはハイブリッドなモンが多いし、
一個につき五千万ディプロは下らないぜ。それを軽くポンと出せるなんて、
君ん家はよっぽどの資産家みたいだね。今度、取材させてくれよ」
「ご、五千ま―――………ッ!」
「ヘッ、チキンが! 値段聞いてビビりやがったな。粋がってるけど、ガキはガキだぜ」
「人のことを言えんのか、カーカス? 社員だって業務上の事故でもない限り、
ぶっ壊しちまったら弁償だぞ。社員割引なんか利かねーからな」
「ロ、ローンなら利くっしょ! 一応、俺、コネありますから!」
「三十年ローンで家買ったばっかりだろ、お前。返済焦げ付かせて首が回らなくなって、
マグロ漁船に乗るしかなくなる―――部下のそんな姿を見るのはゴメンだぜ」
「どっちがチキンだよ。てめぇだってブルッてんじゃねーか」
「お、オトナはガキと違って守るもんが多いんだよ! 同じビビりでも意味が違うんだ!」
「オトナもガキもあるかい。ナントカの沙汰も金次第って言うだろ? 
生きる上で必要じゃねー金なんて払うだけ損だって言いたいんだよ、お兄さんは」
「………………………」
「………………………」
「うんうん、物分りが大変よろしい。弁償なんかの為にアガリを注ぎ込むくらいなら、
女に入れ込んですっからかんになったほうがずっと健全だ」

 消極的な態度を見せておきながら働きかけを行う際には最も効果を発揮する言葉を選ぶあたり、
なかなか食えない男である。
 オットーから発せられたこの一言のみで、クラップとカーカスの動きはぴたりと止まった。
 根深い遺恨があり、また非常に闘争的な状態に陥っている筈のふたりが、
大した威力を持っているとも思えぬ一言で金縛りよろしく萎縮してしまうのには、当然ながら理由があった。
 それを詳らかにするには、クラップが衆人環視の中でカーカスへ殴りかかった時点まで話を遡る必要がある。


 シェルクザールの人々を撮影する為にカメラを構えて両手が塞がっていたカーカスは、
最初、クラップからのパンチを横っ面へまともに食らってしまった。
 このときのクラップは頭に血が昇っており、見境と言うものが全くない状態だ。
 そんな人間が憎い相手を一度ばかり殴っただけで気を鎮めるわけがなく、
カーカスを捉えた手ごたえを確かめるのもそこそこに、二度、三度と拳を繰り出し続けた…が、
格闘技の経験がないクラップのパンチは、ただ腕を振り回しているだけの稚拙なもので、
素人目にも見切るのは容易かった。
 逆上する余り、注意力も著しく鈍っている。後先を考えないフルスイングのパンチに自分の身体が振り回され始め、
勢いを殺しきれず無様に転ぶ一幕もあった。

 そんなクラップの横っ面をカーカスの足が捉えたのは、
横転した彼が体勢を整え直すべく立ち上がりかけたその瞬間(とき)であった。
 サルーンで諍いを起こして以来、クラップに対してずっと抱き続けてきた苛立ちを
大人としての矜持でもってぎりぎりのラインで堪えていたカーカスが、横っ面を被った激痛を火種としてついに爆発したのだ。

 逆襲とばかりに蹴りを見舞ったカーカスは、撮影と言う大切な職務を激情の赴くままに放り出し、
迎撃の構えを見せるクラップへと立ち向かっていく。
 そこから先は言わずもがなの展開だ。大人だの子供だのと論じる余裕もない取っ組み合いの喧嘩が始まり、
クラップとカーカスは、相手の顔面に次から次へと青あざを作っていった。
 互いの面が醜く腫れ上がり、隆起した頬の上に鼻血が滴るのを見て取っても、拳を、脚を繰り出すのを止めようとはしない。
先に相手が意識を失おうものなら馬乗りになってでも打撃を浴びせ続けただろう。
 クラップもカーカスも、激情に基づく暴力衝動によって完全に塗り潰されてしまっていた。

 ―――さて、撮影と言う職務をカーカスが放り出した経緯は前述の通りなのだが、
そうなると彼が構えていたカメラは、果たしてどうなるのか。
 形容でも比喩でもなく物理的に持ち主の手から離れたカメラは、当然ながら硬い地面へ自由落下する羽目になる。
 ほんの少しでも判断力が残っていたのなら、仕事道具を丁重に扱っただろうが、
クラップに勝るとも劣らないレベルで激昂している状態のカーカスに対して繊細な配慮を求めるのは、それ自体に無理がある。
 クラップの手を離れたカメラは、天地が歪曲するかのような不思議な情景を写した後、
冷たく硬い地面を舐め続けた。
 不測のアクシデントを察したスタッフが報道フロアへと画面を切り替えるまでの暫時、
群衆の爪先だけがテレビに映っていた訳である。
 いきなり始まった殴り合いに戸惑う人々の心理を足の動きのみで表現することは、
ある意味では斬新な試みと言えなくもないのだが、今は誰もそんなものは求めておらず、
また、これが計算に基づく映像作品でないことは、マイクの拾った罵詈雑言の嵐が証明している。

 ろくでもない諍いの為にカメラが痛手を被ってしまったとふたりに気付かせたのは、
やはりオットーの大声であった。

「おーいおいおい、カメラ投げ捨てるバカがどの世界にいるんだよ。
使い捨てのカメラと違うんだぜ。お前、これ、ぶっ壊れたんじゃないか」

 オットーのこの一言で我に帰ったクラップとカーカスは、互いの顔を見合わせるなり真っ青になった。
 振り返ってみると、押し合い圧し合いになった際に何度か足蹴にしてしまった覚えがある。
眼下のカメラへと視線を巡らせれば、やはり出来たばかりと思しき疵(キズ)が至る部位で確認できた。
 こうなるともう喧嘩どころではなくなる。
疵だらけのカメラを拾い上げたカーカスは、震える指先で破損を確かめ始めた。
 その様子を呆然と見つめるクラップの肩や指も、怒りとは別の意味で小刻みに震えている。

「よりにもよって最新モデルを落とすなんて、参ったね、ど〜も。
これも不慮の事故に入るんかな………ファイトマネーだっつってギャグで済ますには、
ちと厳しい額だわなぁ。ン千万だもんなぁ〜」

 追い討ちを掛けるようにして発せられたオットーの脅かしには、クラップもカーカスも揃って寿命を縮ませた筈だ。
 詳しく調べた結果、幸いにも表面上の疵以外のダメージは発見されなかった。
 破損を免れたから良いものの、万が一にも弁償を要求されていたら、
クラップとカーカスの人生は揃って終わっていただろう。

 ―――つまり、だ。
 何千万と掛かる高価なカメラを壊しかけたと言う恐怖がふたりの暴力性へストッパーとして作用していると言うワケである。

「いくら言い繕ったって、カスに変わりはねぇだろ―――シェルクザールのみんなが、今、どんな思いでいるのか………。
目の前に辛い思いしてる人たちがいるってのに、よくカメラなんか回せるよな………ッ」

 自業自得に等しいのだが、振り上げた拳をどこにも下せなくなったクラップは、
身の裡にのたうつ憤懣を発散させようと八つ当たり紛いの因縁をオットーに吹っ掛けた。
 反応すれば取っ組み合いになると思って堪えていたカーカスもこればかりは看過できず、
通算して第三ラウンド目のゴングを鳴らすべく腰を浮かせた。
 アルフレッドもカーカスの動きに同調する。とは言え、彼からクラップを守るつもりではない。
 いくら親友とは言え、これ以上の理非な振る舞いを許しておくわけにはいかないと判断し、
いつかと同じく実力行使でクラップを止める決心を固めたのだ。

「それがエンディニオンにとって必要な情報なら、おれたちは包み隠さずに報道する。
それがテレビの仕事なんだよ。オレたちの世界の使命ってヤツだな」

 クラップの放った罵詈雑言も、無礼極まりない彼を力ずくで押しとめようとする動きも、オットーは全て見通している。
その上で彼はクラップと正面から相対した。
 自身に向けられた批難を逃げることなく受け止め、その答えを明確にクラップへと返す。
 穏やかながら確かな重みを持った言葉と、それを発するオットーの眼力の強さにアテられたクラップは、
追い討ちよろしく続けようと思っていた悪言を無意識の内に飲み下してしまった。
 情報を隠蔽もするし、捏造だって平気でするじゃないか―――その悪言が実際に発せられていたら、
おそらくカーカスのパンチとアルフレッドの後ろ回し蹴りがクラップの顔面を同時に捉えていたに違いない…が、
オットーの答弁によって悪言そのものが封殺された。
 自然、クラップへ制裁を加えようとしていたふたりもその動きを止めることになる。

 刹那の沈黙が訪れた四者の間を、誰かが持ち込んだラジオの音声が駆け抜ける。
 これ以上ないタイミングとでも言うべきか、
それは、シェルクザールに出現した毒性の強いクリッターへの対処法を詳報するニュース番組であった。
 最初の速報からまだ一時間しか経過していないと言うのに、ラジオ局では早々に専門家を招致し、
特集コーナーを組んだようだ。
 『SUPERビャンプ☆ピッチdeぽん!』と同様に通常編成から内容を変更して放送を行うとの旨が冒頭で説明され、
緊急速報とのタイトルコールが終わると同時に有識者たちが持論を述べ始めた。
 彼らは、皆、今回の事件を収束し得る有益な意見を持っていると言う。
 仮にそのような妙案を持ち得ているのなら、報道フロアに座って意見を述べていないで現地に入って指導を行え―――
とは、クラップの漏らした皮肉だ。
 これにはオットーも苦笑い混じりで頷いた。

 有識者たちはベテルギウスと遭遇した人々へパニックにならないようを訴えた上で、
毒劇物処理の専門家を現地に派遣して対策に当たるのが妥当だと論じている。
 確かに正論だ。正論ではあるが、各地から出される提案を統括し、全体を取り仕切るような中央機関が存在せず、
町村単位で行政が行われているエンディニオンにおいては実現困難と言わざるを得ない。
 誰がどのようにして毒劇物処理チームを編成し、如何なる権限に基づいて派遣を行うのか―――
天地をひっくり返すような名案を閃いたとしても、
コアとなって提案を束ねる者がいなければ具体的なプロセスを組み立てることが出来ないのだ。

 ベテルギウスや、かのクリッターが飛散させると言う毒性の物質を処理しようと名乗り出る組織があったとしよう。
 それ自体は賞賛されるべきなのだが、受け入れの体制が整う前に勇み足で現地に入られても、
シェルクザールには彼らのスキルを生かしきれないのである。
 救援を求める側にも行う側にもそれぞれ要望や条件がある。需要と供給を擦り合せ、
意思の疎通を万全にするのは容易ならざることであった。
 ふたつの声に耳を傾けると言うことは、一見簡単なように見えなくもないのだが、
双方の動向を冷静に分析し、整理した上で最善のプロセスへと導くと言うことである。
 それには事態を客観視し得る確かな知見と、あらゆる要素を有機的に回転させられるだけの組織力が必要となる。
 意思の疎通や整理も図れないと言う生半可な状態のままで大掛かりなことに手をつけると、
かえって混乱を招く原因になるのだ。
 “言うは易し、するは難し”とは良く言ったものである。

「必要な情報、ねぇ―――もしも、それが間違ったもんだとしても、あんたらは流すのか? 
余計なコト言って不安を煽ったりしてよ、混乱させるだけなんじゃねーのかよ」

 中央機関の不在によって想定される“人災”を指摘した有識者のコメントにクラップの批難が重なる。
 あまりにもタイミングが良かった為、ツボを刺激されたオットーは笑いが込み上げてくるのを我慢できなかった。

「情報に正解も間違いもないんだよ。………ただ一つ、これだけは確かだってもんを挙げるなら、
速報性ってヤツだな。どんなことでもすぐに知らせる。それだけは守らなきゃならね〜のさ」
「答えになってねぇよ。すぐに知らせたことが後で間違いだったってわかることもあるだろ。
最初に聞かされたことが原因でヒデェ目に遭ったらどうすんだ? 
………最初に広まっちまったクソみてーなネタが一人歩きするってケースもまんざら無ぇわけじゃねーんだぜ。
そのケジメはどうすんだよ!?」
「そう言うときはこう思うことにしているんだ。“Eppur si muove”ってね」
「―――ん? なに? なんだって?」
「古い時代の言葉だ。“それでもこの星は回っている”。確か意味はそんなところだったな」

 横から割って入ってきたアルフレッドの差し出口をオットーは口笛を鳴らして歓迎した。

「天の星が巡るのと同じように止まることなく回り続ける情報の中で自分が何をするべきか―――
どのような形にも解釈できる言葉だが、あなたの場合はそんなところじゃないのか?」
「ほっほぉ〜、ライアン君は実にロマンチストだねェ〜」
「俺も知り合いの受け売りだけどな。いちいちこんな風に芝居がかったことを言う奴がいるんだ。
“Eppur si muove”もそいつから聴いたんだけどな」
「オレはダメだな。芸術的素養って言うの? そーゆーのにはとんと縁がないんだわ。
オレの場合はもっと即物的でね。コレを言った学者さんに共感しちまうわけよ」

 報道の在り方について論じていたと言うのに何の脈絡もなく別次元の話に切り替わり、
尚且つ、ルーインドサピエンスの格言だの、解釈だのと加速度的に小難しさが増している。
 置いてけぼりにされるクラップとしては面白いわけがない。

「俺もその学者の話は聞いたことがある。ガリレオ・ガリレイと言ったかな。
大胆と言うか、何と言うか、先を読み過ぎた男だったのかも知れないな―――」
「あの、ちょっと、おふたりさん?」
「―――正しいことを言ったのに同調圧力みたいなもんで潰されちまうってのがさ、
マスメディアに足突っ込んでる身としちゃあ他人事に思えねーんだよ。
ま、ガリレオさんの生きてた時代ってのは、もうちょっと複雑だったらしいけどな―――」
「あんたがやられるのは同調圧力じゃなくて、世間の皆様のご意見であるからして………」
「―――評価の流動か。成る程、あんたがたの仕事と照らし合わせると意味深長に聞こえるな―――」
「―――何が原因でひっくり返るか、読めないのがこの世の中だからねェ。
だからこそコレが必要だって手前ェに言い聞かせてんのよ。今と後とで評価が変わっても後悔しねぇって。
手前ェのやることには胸張っていたいじゃねーか。胸張れなきゃ、この仕事は勤まらねーよ」
「………………………」

 “Eppur si muove”なる聞いたこともない格言ばかりが論じられる流れを堰き止め、
本来のトピックへふたりを復帰させようと努めるクラップであったが、
ぶち抜こうにも壁はあまりに厚く、試みの途中で理解力と情報処理能力が限界を超えてしまった。
 最後にはちんぷんかんぷんと言った面を晒して立ち尽くす始末。
これを見たカーカスが意地悪く嘲笑を浮かべたのにも気付けないほどクラップの飽和状態は手酷かった。
 なにしろ求めて止まなかった議論が目の前で再開されていることにも気付けない有様なのだ。
 彼と同じく“Eppur si muove”をこの場で初めて聴いたシェインですら
ふたりのやり取りや前後の脈絡から意味を感じ取っている。それにも関わらず、だ。
 文系を標榜する人間としては、あまりにもお粗末な読解力である。

 後に読解力の欠落をあげつらったアルフレッドとシェインから
全世界の文系の皆様へ土下座で謝罪するよう再び求められることになるのだが、これは余談。


 ―――アルフレッドたちの六十三分がほんの些細なトラブルを除いて最小限の起伏で過ぎたのに対し、
アシュレイたちウィリアムスン・オーダーの面々が要した六十三分は、
鳴動と言っても過言ではない激烈なものであった。
 発掘が安全に進むどころか、初っ端から最悪の事態に陥ったのだ。
アシュレイの混乱と焦燥は生半可なものではなかった。
 全く予測出来なかったアクシデントではあるが、それを言い訳にしてはならないと言う責任感と、
何よりもウィリアムスン・オーダー社長としての矜持がある。
 発掘予定地に陣取るベテルギウスの対策と併せて発掘計画をも全面的に見直さなくてはならない状況にありながら、
アシュレイは一つとして弱音を吐かない。
 だからこそ、社員も絶望ではなく希望を胸に燃やして社長の背中を追えるのだ。
 想定外の事態が突きつけられたのならば、それすら跳ね除け得る完璧な善後策を整えよう―――
その覚悟と意志力をウィリアムスン・オーダーの社員一同は共有していた。

 シェルクザールの地図や、ワールド・イズ・マインで観測した最新のデータと格闘し、
ときには怒号めいた指示を部下たちへ飛ばすアシュレイの横顔を、カミュは遠巻きに見守っている。
 今にも崩れ落ちそうなくらい沈痛な表情(かお)だ…が、胸に当てた拳は、
面に滲む弱々しさと裏腹に固くきつく握り締められ、その甲には血管すら見て取れる。
 白く綺麗な手が赤く燃え滾る様からは、アシュレイたちを案じるカミュの心中が透けて見えるようだった。

 カミュが身心を気遣ってしまうのも無理からぬ話だ。
 アシュレイがその面に宿しているのは尋常ではない鬼気である。
 非力を気遣い、性情を考慮し、現場に入るよりも炊事係へ回ったほうが力を発揮できるだろうと勧めてくれた
優しい眼差しを現在のアシュレイに見つけるのは、カミュとて困難を極めるだろう。
 それほどまでにアシュレイの全身から発せられるオーラが刺々しいのだ。それでいて痛ましい。
 殴り合いに発展しかけたクラップとカーカスを言いくるめた冷静さは完全になりを潜め、
今ではデスクを叩いて部下の尻を蹴り出している。
 本人はこうした恫喝には不慣れであるらしく、相当に無理を重ねて怒鳴っているのだろう、
部下を叱咤する度に目に見えて疲労が蓄積されていった。
 その疲労から生じたストレスが更にアシュレイの身心を蝕み、
地獄の責め苦に等しい悪循環を作り出してしまっているのだ。
 部下も社長の異変には感づいており、だからこそもう無理をさせないよう
気遣いながらミーティングを進めようとするものの、それがアシュレイには癪に障って仕方がないのだ。
 せっかくの気遣いを「他に力を入れることがあるだろう!? そんなバカなことを考える社員には
うちの会社を辞めてもらうぞ! 優先順位を考えろッ!!」と怒鳴り散らされては、
部下としても最早打つ手がない。
 ストレスを防ぐ為の措置が、また別のストレスの温床となっている。
 最悪のサイクルだ。最悪のサイクルが六十三分の間に出来上がりつつあった。

 発掘作業へ関わる筈だった一同は、アシュレイが最悪のサイクルを生み出してしまったこの六十三分の間に
宿舎として指定されている『一本のえんぴつ亭』へ引き上げてきた。
 発掘予定地でベテルギウス出現に遭遇した見物人や町役場の役員たちは自宅に帰還するか、
保育園の施設内へ集められている為、サルーンの中にはアシュレイを始めとする発掘作業員と
オットー率いるテレビクルーの姿しか見られない。
 例外はマスターと炊事係を社長直々に仰せつかったカミュであるが、
ふたりもふたりで戻ってきた作業員たちの注文に応対している為、右へ左へ駆け回っていて全く落ち着かない様子だ。

 六十三分―――
クラップとカーカスの衝突やアシュレイたちの奮戦など、この三千七百八十秒の間に起こった全ての出来事は、
発掘予定地から程近い一本のえんぴつ亭内が主な舞台だったわけである。

 ………そして、六十三分が経過した現在(いま)、新たな役者がその舞台へ上がろうとしていた。

「アシュレイ! アシュレイ・ウィリアムスンはどこにいる!? 出て来い、このペテン師めッ!!」

 ガラガラのダミ声でそう喚き散らし、スイングドアを乱暴に開け放ってサルーンへ踏み込んできたのは、
六十三分と言う豊かな時間に恵まれながら雲隠れでもしてしまったかのように
これまで姿を見せずにいたガウニー町長である。
 傍らにはベテルギウスの正体を言い当てた秘書らしきダブルスーツの男の姿もある。

 事件発生以来の登場には、サルーンに居合わせた人々の間にどよめきが起こった。
 先頭切って発掘予定地まで赴いたガウニーであったが、事件発生の混乱の中で姿を消し、今まで行方知れずであったのだ。
先ほどアシュレイが役場に問い合わせた段階ではまだ戻っていないとの返答があった。
 自分だけ安全な場所に逃げ遂せたのではないかとの疑惑が囁かれている最中であっただけに
この唐突な出現には誰もが面食らっている。

「今頃になってノコノコと………何の用だよ、タヌキオヤジが」

 ベテルギウスの出現によって錯乱した群衆を宥めることも、
避難の指揮を執ることもしなかったと言うのに、どの面を下げて自分たちの前に出て来たのかとカーカスは小さく吐き捨てた。
 この悪態を耳ざとく拾っていたクラップは、全く気が合わないわけではないのだな…と苦笑を漏らした。

 ガウニーが現れてからと言うもの、サルーンの空気は尋常ではないくらいに張り詰めている。
 極めて攻撃性の強い空気はガウニーとその傍らに立つ黒服の秘書へ集中しており、
その様子から察するに、悪態を吐かねば破裂してしまうような激しい憤りは、
カーカスとクラップのふたりのみが共有する感情(もの)ではないらしい。
 確かにベテルギウスが出現した当初に比べれば、完全な収束とは行かないまでも混乱は鎮まりつつある。
 動揺こそ残しているものの、善後策を論じられる程度には冷静さも戻ってきた。
 まるでその兆候を見計らって秘密の避難場所から舞い戻ってきたようなタイミングの良さである。
これで不信感を持つなと強いるほうが無理と言うものであろう。

 自分に向けられる激烈な視線などお構いなしにガウニーはアシュレイへと詰め寄った。
 卑怯と罵られても反論できないようなことを仕出かしておきながらも悪びれた素振りなど見せず、
そればかりか、感情任せに大音声を上げているせいで先ほどよりも横柄さが増しているかのような印象を受ける。

「ペテン師とはご挨拶ですね、町長。一体、何を根拠にそのような―――」
「―――黙れッ! 黙れ黙れ黙れィッ!! さんざん我らを騙しておいて、この上更に居直りとは………! 
救いようのない大悪党とは貴様のことだ! 恥を知れィ、痴れ者がァッ!!」
「ちょっと待ってください! 私たちがいつあなたを騙し―――」
「―――貴様はッ! アシュレイ・ウィリアムスンはッ!! 発掘場所を完璧に調査したと言ったなッ!?
何の危険もないッ!! だから、発掘調査は自分たちに任せろとッ!! そうだなッ!?」
「事前の調査は徹底的に、且つ慎重に行いました。それは確かです。
しかし、我々とてエスパーではありません。不測の事態までは避けられませんよ。
だからこそ私たちは善後策を練っているんです! あなたが不在だったこの六十三分間、ずっとね! 
それに発掘調査の可否は町長が承認―――」
「―――言い訳をするかァッ!? 開き直るかァッ!! 調査の不手際は貴様の全責任ッ!! 
どう詫びるつもりだ、言ってみろ、アシュレイ・ウィリアムスンッ!!」
「少しはこちらの言うことにも耳を傾けてください! 善後策を練っていると説明を―――」
「―――責任の取り方を尋ねる人間に対して御託を返す。その腐乱した人間性が
全てを物語っていると言えようなッ!!」
「………………………」

 アシュレイに対する強硬な言行は、確かにその火勢を増している。
 アシュレイの口が開きそうになると、それを封殺するようにして怒号を重ね、反論の芽を悉く潰していく。
 相手に反論の機会すら許さずに自分の強弁を押し通そうとしているのは明白。あまりにも下劣なやり口だ。

「………貴様の口車に乗せられた我が身を深く恥じ入るよ、アシュレイ。まんまと騙された」
「な………ッ!?」
「成功の暁にはシェルクザールの名声が一気に上がる―――貴様のこの甘言に釣られたワシが阿呆であった。
ワシを、いや、シェルクザールはさぞや使い勝手の良い小切手であったろうな? 
我が村民の金を、果たして貴様はどれほど無駄に使い込んだことやら………。
こんなことになるとわかっていれば、貴様の専横を厳しく監視したのだがな………」
「それは違うッ!! 一体、何をおっしゃっているのですかッ!?」

 さすがのアシュレイもガウニーのこの弁には声を荒げた。
 サルーンの床から天井までを烈震させるほどの、大きな大きな怒声が飛んだ。

「町長、あなたはご自分が何を言っているのかわかっていますか!? 
確かに発掘調査を打診したのは私たちです。しかし、プロジェクトの主導権はあなたが握っていた!
町興しになるからと喜んだのは、他ならぬあなたではありませんかッ!」
「言うにこと欠いてワシを耄碌呼ばわりするかァッ!! ワシの言うことになど耳を貸さず、
自分勝手に計画を進め、挙句の果てにこの始末ッ!! 地中に潜むクリッターへの備えを
ワシが何度説いたことか………!」
「バカな―――この地のクリッターの情報を求めても応じなかったのはあなたのほうだッ!
我々は必要資料を求めていたッ!!」
「やれやれ………耄碌呼ばわりの次は責任転嫁か。見下げ果てた忘八者だの、貴様は。
遺跡の発掘を強引に進めたのは、紛れもなく貴様なのだぞ、アシュレイ・ウィリアムスン。
どう言い逃れする? 言い逃れできる立場か、貴様ッ!?」

 この期に及んで自己弁護を重ねたところで、所詮は言い訳にしか聴こえぬ―――
アシュレイが唱えた反論をガウニーはにべもなくそう切り捨てたが、しかし、それはガウニー当人とて同じことである。
 微に入り細に入り、安全な発掘調査の完遂に努めてきたアシュレイに対して、
ガウニーの仕出かしたことはあまりにも醜かった。

 スタッフの命を預かる立場として安全点検の義務を果たそうとするアシュレイを急かし、
発掘の開始を優先させたのは他ならぬガウニーである。
 ベテルギウスが出現した際には、自身の秘書が混乱を煽ったと言うのにその責任を取ろうともせず、
パニックを起こした群衆から離れて行方をくらました。
 混乱が落ち着くタイミングを見計らって舞い戻るなりアシュレイひとりに一切の責任をなすりつけようとしている。
それも恫喝紛いのやり口で、だ。
 アシュレイとガウニー、どちらに信憑性があるかは、審議を挟むまでもなく一目瞭然であろう。
 人間性を疑われるような卑怯を繰り返した身でありながら、誠意を尽くしたアシュレイを批難するなど厚顔にも程がある。

 「我に正義あり」とでも言うかのようにガウニーは自身の正当性に胸を張っている様子だが、
この場に居合わせた誰ひとりとしてこの町長に信を寄せる者はいなかった。

「………そう言えば、貴様、随分と必死になって発掘を進めようとしていたな。
今にして思えば、異常なほどの執念であったわ」
「お言葉を返すようで僭越ですが、それはあなたのほうで―――」
「―――貴様の目的は本当に発掘か? それとも別の目的があったのではあるまいな?
いや、そうとしか考えられぬぞ、あの異常な執念………ッ!」
「はぁッ!? ………一体、私が何を企むと―――」
「―――それを問い質しているのではないか、アシュレイ・ウィリアムスンッ!!
貴様の目的は何だッ!? 何を隠しておるのかァッ!!」
「………………………」

 血走った眼でアシュレイの陰謀論を唱え始めたガウニーには、誰もが言葉を失った―――と言うよりも、
開いた口が塞がらないと表現するほうが正しいか。際限なく飛躍するガウニーの妄想には、
最早、誰も随いてはいけなかった。
 突拍子もない推理――全く“理”足り得ていないのだが――でもって責め立てられたアシュレイも、
反論以前にガウニーの発想そのものが理解できず、ただただ当惑するばかりである。

「………町長、あまり大きな声を出されてはお体に触ります」
「ワシのことなど気にするな、ヒックス。それよりも………それよりもシェルクザールの町民に
何と詫びたら良いことか―――皆の善意が踏み躙られた………そのことが悔やまれてならんのだ………」

 黒服の秘書――ガウニーは彼のことをヒックスと呼んだ――から気遣わしげな声を掛けられた途端、
言うこと為すこと、万事がしおらしくなったのには、さしものクラップもズッコケてしまった。
 興奮するあまり血圧が過度に高まるのを危ぶんだ…と捉えられなくはないのだが、
ヒックスの一声をきっかけとするには唐突過ぎるし、掌を返したような態度の急変もどこか芝居がかって見えた。
 思い出したように騙された側の憐憫を演じたところで、サルーンに集まった人々の同情を引くことは出来まい。
 フォローのしようがないレベルの理不尽を強行に押し通そうとする様を嫌と言うほど見せ付けられた直後でもある。

 本人が想像していた以上に周囲の反応が薄かった為に危機感を覚えたのか、
それともあらかじめ用意された台本にでも書いてあるのかはわからないが、
「町民が裏切られた。踏み躙られた」と聞こえよがしにしつこく繰り返すガウニーは、
先ほどまで大言壮語を発していたのがウソのように身を萎縮させ、双肩を震わせている。
 同情を買おうと言う愚かな魂胆以外の何物も汲み取ることができず、
この救いようのない憐れな老人へ篤い配慮を向ける動きは微かにも起こらなかった。
 ガウニーには甚だ不本意であろうが、これもまた自業自得と言うものだ。

「な〜んか引っ込みつかなくなっちゃったってカンジだね、あのジジィ。
ボクらを味方につけてシャチョさんをリンチにしようとか企んでたんじゃないのかな」
「………………………」
「ん? どったの、アル兄ィ?」
「………………………」

 露骨としか言いようのない変貌ぶりに肩を竦めるシェインの隣では、
アルフレッドが恐ろしく冷ややかな眼差しでガウニーを睥睨している。
 シェインやクラップが絡みでもしない限り、彼は饒舌とは正反対の位置へ陣取るタイプはないのだが、
それにしても物言わず、身じろぎもせずにジッと一点に視線を固定していると言うのは、
やはり何とも言い表しがたい不気味さを禁じ得なかった。
 そこは弟分も心得たもので、アルフレッドが何事か思案に耽っているのだと察してからは、
彼の妨げにならないよう人一倍喧しい口にチャックをしている。

「―――いずれにせよ、天が…イシュタルが悪事を許しておくわけがないッ!
良いな、アシュレイ・ウィリアムスンッ! いつまでも陰謀を隠し通せると思うなよッ!?
必ずや化けの皮を剥いでくれるわッ!! 首を洗って待っておれィッ!!」

 同情を集めるのが難しいと見極めて開き直ったのか、
つい数秒前までのしおらしさを粉々に粉砕する本性を表したガウニーは、
最後にもう一度だけアシュレイを大喝し、威嚇してから踵を返した。

 ふんぞり返りながら大股で去っていくガウニーの背中へ呼び止めようとする声が掛かったのは、
義憤に駆られたクラップが自分の革靴を彼の後頭部へ投げつけようと身構えた瞬間のことだ。
 声の主へと視線を巡らせれば、聞き覚えがあると思った通り、見慣れた顔が一同の最前列へと進み出ようとしていた。
 アルフレッドだ。それまで静観を貫いていたアルフレッドが、
好き放題に暴れて帰路へ着こうとするガウニーの行く手を阻んだのである。

 その眼差しは依然として冷徹で、肩越しに視線を交えたガウニーが思わず小さな悲鳴を上げてしまうほどに
攻撃性の強い光が宿っていた。
 瞳の奥で静かに炎が燃え盛っている。
 ………殺気と言い換えても良い昏い情念が。

「―――町長にいくつかお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「………何ィ?」
「手間は取らせません。すぐに済ませます」

 言葉尻のイントネーションを高く上げ、これが質問であることを明確に示しているものの、
アルフレッド自身にはガウニーに答えを貰おうと言う意識は皆無である。
 ガウニーが応じると了承するのを待たず、「町長はすぐに血圧を測らなければ危険なのだ」と
ヒックスが苦言を呈するのも無視してアルフレッドは一方的に問い詰問の事項を並べ立てていく。
 およそ問いかけをする人間の態度ではない。詰問どころか、完全に難詰の様相である。

「ベテルギウスには俺もちょっと因縁がありましてね。こんなこともあろうかと思って、
地質データを昨夜からずっと調べていたんですよ。この町のね。
あいつは何しろ汚染物質や毒物に反応しますから、出現するとしたら地中に埋まった毒物か、
あるいは汚染された土壌だ。………いや、仲間からも言われるんですが、俺は心配性でしてね。
後顧の憂いを絶っておかなければ発掘へ身が入らないんですよ。言ってやってください、臆病者だと」
「………何が言いたいんだ、貴様」
「ここ十数年間で調査されたシェルクザールの地質データを拝見したんですよ。
役場で貸し出ししてくれたものをね。そうしたらこれがまたおかしなことになっているんですよ。
町長、ご覧になったことはありますか?」
「………………………」
「ないみたいですね。いや、町長の仕事は発掘事業の推進など多岐に亘りますから、
分野によっては専門家にまかせっきりにもなるでしょう。では、僭越ながらご説明しましょう。
十三年もの間、シェルクザールの地質データには殆ど変遷が見られない。誤差がある程度ですか」
「………………………」
「この地質データがどうにも俺には引っ掛かりましてね。
隣村に家族が住んでいるものですから、妹に頼んですぐに役場に走ってもらいましたよ。
六十三分もあれば、案外、調べ物もできるもんだ」
「隣村? 貴様は―――」
「―――グリーニャとシェルクザールの地質データを照合してわかったんですが、
やはりこの町の土壌は少し不可思議だ。不可思議と言うよりも不自然、不可解と言うべきかも知れませんな。
………あぁ、さっき、何か言いかけていましたね。一体、何か御用でも?」
「貴様は隣―――」
「―――用は無いようですから続けましょうか。ここからが本番だ」
「貴様、小僧ォ………ッ」

 淡々と重ねられていく難詰を前にして、ガウニーの額に浮かぶ青筋の本数は加速度的に増えていく。
 アルフレッドもアルフレッドで底意地悪く、ガウニーの顔色など眼中に入れていない。
比喩でなく物理的にもガウニーの顔を視界の外へと追い出していた。
 最初から眼に入っていないものには、気をつけようもないと言う痛烈なとんちである。
 あたかもそれは、アシュレイに反論の機会すら与えず野放図な物言いをし続けたガウニーに対する意趣返しと同義であった。

「グリーニャの土壌に毎年変化が見られるのに対して、シェルクザールは全く変化していない。
こんなこと、考えられるとお思いですか、町長?」
「………どう考えると問われてもな―――」
「家畜の餌にする草や農産物を毎年品種改良しているのに? 土壌にも改良を加えられているはずなのに?
………念には念を思いましてね、地質以外の資料も一通りチェックしておいたんですよ。
毎年、品種や土壌に手を加えている形跡は確認できるのですが、
どう言うわけか、観測データの数字に大きな変化が見られないのです。十三年ですよ? 
十三年も続けて効果がないのなら、普通はやり方を変える筈ですよね。
俺の地元でも農業が盛んなものでね、そのあたりの事情も多少はわかります」
「それはお前―――改良を失敗したのに気付かなかったのか、
数字を誤って記録していたかのどちらかだろう。………いずれにせよ、これを管理していた者の杜撰に間違いはない。
我が町の恥として厳罰を与えねばなるまい」
「さすがは音に聞く名町長。統率力には脱帽します」
「だがな、小僧。それが、一体―――」
「―――しかし、シェルクザールと同じ改良方法を導入した近隣の村や町では、
年々、地中の養分や性質にはっきりと変化が見られるんですよ。数字でもグラフでも。
育てる作物によっては必ずしもシェルクザールの土壌とは一致しないものですが、
良かれ悪しかれ状態の変化はやはり起きています」
「………………………」
「今は便利ですね。正確ではないにしろ、モバイル一つあれば村役場や農家のホームページにアクセスして
必要な情報を簡単に引き出せます。過去数年の土壌の状態も、そこに施した改良も簡単にね。
………俺は心配性ですから、どうも」
「………………………」

 グリーニャやシェルクザールの地質について論じ続けるアルフレッドは、
ガウニーが口を開こうとする度にそれを遮る。悉く遮り、彼の神経を逆撫でにしていった。
 傍らに立つヒックスまでもが顔を顰める程に徹底した反論潰しを受けたガウニーの面は、
さながら猿のように真っ赤に染まっている。眉間に寄せられた皺も極めて深い。
 誰でもこのような仕打ちを強いられれば、腹の一つも立つものであろうが、
果たしてガウニーのそれは、アシュレイの意趣返しを受けてのことなのか。
 度し難い激情家であるガウニーのこと、アルフレッドの小生意気な態度に立腹していると思えなくもないのだが、
額を滑り落ちる発汗の量が異常であり、鋭い指摘が突き刺さると目が泳ぐこともある。
 どうしても怒りや憤りとは違う意味合いの発汗ではないかと疑えてしまうのだ。

 反論の目を潰されたと言う以外の理由で異常発汗を見せ、顔を真っ赤に染めているのであれば、
それは、ガウニーがアシュレイに向かって突きつけたのと同義である。
 表立って注目されている原因を建前だと見なし、言葉の裏に潜む真意…否、陰謀を穿とうとすることは、
ガウニー自身が皆の目の前でアシュレイ相手に試みたことだ。

 当のアシュレイは、寄り添い立つカミュの肩をそっと撫でながら動向を静かに見守っている。
 本来ならばアルフレッドの加勢へ入るのが筋であろうが、両者の間に立ち込める空気は激烈そのもので、
余人が間に割って入れるような状態ではなかった。

「あー、はいはいはいはい! そ〜ゆ〜ことね。アル兄ィにそこら中のデータを集めろって
言われたときは意味わかんなかったよ。ンなヒマね〜よって思ってたけどさ」

 素っ頓狂な声を上げたのはシェインである。
 アルフレッドがフィーナを介してグリーニャの地質データを調べている間、
シェインはモバイルのインターネット機能を使ってベルエィア山周辺に点在する各町村の地質データを
ダウンロードあるいはメモしていたのだが、これもアルフレッドの依頼である。
 依頼された当初は自身の仕事が意味するところを何ら理解していなかったのだろうか。
ようやく納得できた、と大袈裟なくらい首を縦に振っている。
 そう、リアクションが大きいと言うよりも大袈裟・大仰であった。

「貴様ら、どう言うつもりだ? 地質? 土壌? それが何だと言うのだッ!!
管理者、記録者の失敗を責めている場合かッ!? クリッターに、ベテルギウスに我が町が汚染されようとしているのだ―――」
「―――ベテルギウスと言えば、この町の地質データに変化が見られなくなったのは、
俺たちの村にあいつが出現した後からなんですよ。お気づきでしたか、町長?」
「………なんだと………?」
「『ベテルギウスの悪夢』が起きたその年から、シェルクザールの大地は進化を止めた。
………俺の言っている意味がおわかりになりますか?」

 またしても強弁でもって押し切ろうとするガウニーであったが、手の内を読みきっているアルフレッドには全く通用しない。
 畳み掛けるようにして発せられたガウニーの強弁を、
シェルクザールの背後に聳え立つベルエィア山のような泰然自若とした態度でもって跳ね返したアルフレッドは、
報復とばかりに痛烈な一撃を返す。
 言葉と言葉の果し合いにも、相手の攻撃力を何倍にも増幅させて跳ね返すカウンターがあるわけだ。

「―――先ほど、発掘予定地に現れたベテルギウスは、数年前にグリーニャに現れたのと同一でしょう。
同種ではなく、あいつがグリーニャに現れた。それは俺が保証しましょう」
「………………………」
「シェルクザールの地質データが数字の推移を止めた年と、あいつが俺たちの村に現れた時期は一致する。
………ふたつの関連性について、何かご存知ではありませんか、町長?」
「―――――――――ッ!」

 『ベテルギウスの悪魔』と、シェルクザールの町の地質データが殆ど動かなくなったこと―――
この二点の関連性をアルフレッドから問い詰められたガウニーは、ついに声を失った。
 せめて虚栄を保たん血走った双眸を見開いて粋がろうとするものの、
しかし、明らかな動揺が滲んでいる為に力んだところで逆効果でしかない。

 額の発汗量が更に加速した様子のガウニーをアルフレッドはまるで蔑むかのように冷瞥している。
 温度差と言う三文字では到底表しきれない、情念の壁のようなモノが両者の間を隔てていた。
 その壁はガラスのように透き通ってはいるが、一枚隔てた彼方と此方では別世界の様相―――
両者の隔たりを表現するには、最早、世界そのものが別れたと言い喩える以外にない。

「………貴様はグリーニャの人間なのか?」

 アルフレッドから向けられた問いへガウニーは一切答えず、逆に自らの問いでもって返した。
 猛烈に喉が渇いているらしく、擦れた声は先ほどまでのような張りも勢いも失っている。

「………アルフレッド・S・ライアン。ストラスバーグの孫と言えば自己紹介に足りるか?」
「―――貴様、あの………ッ!?」

 ストラスバーグの名を耳にした途端、双眸に宿っていた動揺が満面にまで広がる。
最早、ガウニー自身にも動揺の波及を抑えることはできなくなっていた。
 彼の傍らに立ち、鋭い眼差しでもってアルフレッドを威嚇していたヒックスもストラスバーグと言う名前には
芳しいとは言えない反応を示した。
 なにしろ反射的に舌打ちをしてしまった程だ。
 ストラスバーグに対して何らかの蟠りを抱いているのかも知れない。

「先に言った筈だ。ベテルギウスには因縁があると―――」

 アルフレッドの吐き捨てた言葉を最後に、両者は物言わぬ睨み合いへと縺れ込んだ。
 その睨み合いは、我に返ったヒックスから役場へ戻って住民たちの指揮を執るようにと促されたガウニーが引き下がるまで
三十分近く続くことになる。




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