9.クラムボン・キャンプ 「社長さんの無実を証明するったってよ、一体、どうやろうってんだ? こんなトコに逃げ込んじまったら、かえって身動き取れねぇんじゃねーの?」 「それをカーカスさんが言いますか………」 両手に撮影用の大型カメラとその機材を携え、 耳たぶに差し込んだペンライトで器用にも行く手を照らしているカーカスが前を行く背中にそう問いかけたのは、 暗中模索で足元の安全を確かめていたカミュが、 進むべきか引き返すべきかを決するべく後ろを振り返ったのとほぼ同時であった。 カーカスもカミュも、お互いがお互いで今後の指針を尋ねている。 差し当たって仲間に即答を求めることが出来るのは、物理的に進路を迷うカミュのほうであったのだが、 狭い空間内に反響するカーカスの声で心を折られたのか、二言三言ばかり文句を垂れたきり俯いてしまった。 不満を表すかのように頭を掻き毟って見せるカミュだったが、その様子を返答に窮したと勘違いしたカーカスは 「ま、ひとりで抱え込むことはねーよ。お前に付き合うって決めたんだ。おれたちも知恵を絞るからな」などとダメ押し。 ものの見事に互いの意思が交わらず、肩を落としたカミュは諦め混じりの苦笑いで喉を鳴らすしかなかった。 「カーカスさんが余計なことをしなけりゃ、今頃、ボクはアッシュを―――」 「―――“押し倒してた”ってか? それなら、余計におれのトラウムが要るじゃねーか。 ムードの出る煙幕なんてのもあるんだぜ?」 「こんなときによくアホなことばっかり思いつきますね………」 堪り兼ねて零れ落ちたカミュのぼやきも、それに応じるカーカスのとぼけた返答も、 石と土とで囲まれた空洞の中で鈍く反響した。 “石と土とで囲まれた空洞の中”―――そう、カミュを先頭とする一行の姿は、 現在、発掘調査予定地へ穿たれた大穴の中に在った。 何事か考えのあるらしいフィーナに牽引されて大穴に飛び込む羽目になったカミュたちは、 つまり、ベテルギウスの足跡を直接追尾していると言う次第だ。 大型のクリッターにカテゴライズされるベテルギウスの掘り返した大穴だけあって 成人男性でも身を屈めずに行き交えるだけの広さは確保されている。 だが、クリッターが掘り返して出来た大穴なので、当然、一切の人の手が加えられてはいない。 ましてや、先ほどまでベテルギウスの習性を危ぶんで避難勧告が出されていたのである。 洞穴を行き交うのに便利なよう誰かが気を利かせて照明を立ててくれるなどと言うことは有り得なかった。 無論、土砂崩落を防ぐ為の補強なども施されていない。 いつ崩落するかわからない危険な洞穴の中を、一行はペンライトなど限られた照明機材を駆使して進んでいるのだ。 広域を覆い隠したスモーキング・ブギ・ウギの煙幕も洞穴の内部まで入り込むことはなく、 それだけが唯一の救いと言っても良い。 密閉された空間に煙幕が垂れ込もうものなら、ただでさえ暗い視界の悪化は言うに及ばず、 微かではあるが確実に粘膜を突く刺激によって喉を痛めつけられてしまい、呼吸すら困難となっていたであろう。 無造作に掘り返されただけの洞穴にしては地面が踏み慣らされているように感じるのだが、 ベテルギウスのような巨体が通った後であれば、地均しされたのと同じ状態になっていてもおかしくはない。 カーカスのその推察に納得したカミュたちは、 ゲンキンにも得心をついた端から先ほどまで足裏に残っていた違和感をもう少しも気にしなくなっていた。 「ベテルギウスのところへ辿り着けたら状況は変わるって。そこに行くまでがちょっと大変だけどね」 「変わる…のかなぁ………、よくわかんないけど………」 「絶対に大丈夫! 私が保証するよっ!」 「そ、そっか………」 フィーナはそう言うが、カミュとしてはウソ発見器のトラウムを使ってガウニーやヒックスを尋問し、 悪逆の企てを暴き立てるつもりでいたのだ。そのほうが何よりも手っ取り早い。 思わぬアクシデントによってそのチャンスを逸し、あれよあれよと言う間に薄暗い洞穴の内部まで 連れ込まれてしまっていた。 当初の予定を破綻させる原因を作った張本人とも言うべきフィーナは、ガッツポーズまで取ってカミュのことを励ましている。 一切の悪気を感じられない。ただフィーナは、自分の考え得る最良の手で以ってカミュを手助けしたいだけなのだ。 悪気がないから余計にタチが悪いと言う指摘はひとまず捨て置くとして――― 屈託のない全力のエールを目の前にしては怒るに怒れず、カミュは不満の捌け口をフィーナ以外に求めるしかなかった。 「………カスレディさんと良いカーカスさんと良い、カスって名前がつくヤツにロクなのはいないよなぁ………」 「ん? 呼んだか、今?」 「カーカスさんは、徹頭徹尾、カーカスさんだって思っただけですよ」 「意味わかんねーけど、とりあえず誉め言葉ってことにしとくわ」 「うん、そうそう。超誉めまくりでしたよ」 「………? なんでそんな棒読み?」 スケープゴートは、カーカスに決まったようだ。 そもそもフォグマシーンのトラウム『スモーキング・ブギ・ウギ』の煙幕によってパニックが呼び込まれなければ、 ここまで状況がこじれることもなかったのだとカミュは胸中の中で鬱憤をぼやき始めた。 そう言った意味では、カーカスを状況悪化の元凶のひとりに数えて差し支えはあるまいが、 彼も彼で自分の行動に不満を持たれているとは露とも思っていない様子である。 それどころか、ガウニーやヒックスへの義憤は他の誰よりも強い。 「必ずあいつらの化けの皮を剥ぎ取ってやる!」、 「おれだって社長さんの無実を信じてるよ。なァに、嘘っぱちなんぞに真実は負けねぇよ」と 幾度となく繰り返しているくらいだ。 「………カーカスさんには、カスレディさんから剥奪した“マル”の二文字を進呈します。 これからはカーマルさんと名乗ってください。今日からあなたはカスじゃありません」 「いや、まずマルって何―――って、おれ、今日までカスだったんかい!?」 「カス卒業おめでとうございます、カーマルさん」 「ありがとう―――って、アホゥ! なにがめでたいんだ! ………もしかして、おめでたいのはおれの頭? 知らない間に周りからカス扱いだったの? おれってカスだったのかッ!? カスかぁッ!?」 「いえ、今日からカーマルさんです」 「だから、意味がわかんねーっつってんだろ! 何がカーマルだ! マルはどっから飛んできたんだ、マルは!? ………それからな、“今日から”って微妙な言い回しがかなり突き刺さるんだよ、ハートにッ!」 自分の為にここまで義憤を燃やされては、カミュとしてもカーカスを批難できなくなってしまう。 彼の激励に背中を押されていることもまた揺るぎない事実なのだ。 悪態を吐こうにも、憎みきれないのだから仕方がない。 「勿体つけずに教えてやればいいだろ。フィーもアルに性格が似てきたな。今のはかなり底意地悪かったぜ」 「わ、私もアルも性格悪いわけじゃないもん! 一年中スケベなことしか考えてないクラ君に言われたくないよ!」 「ヘンッ、悔しかったらオレの妄想に入るくらい色気を出してみろっての、このチンクシャ娘め」 「何一つ悔しくないし、今のは明らかにセクハラだし。………これはアルに報告だね。 うん、チンクシャ呼ばわりまで、全部、言いつけてやる」 「………それはアレですか、幼馴染みに死ねって言ってるんですか、フィーさん」 「さすがにアルも手加減するって。制裁って言っても親友相手なんだし。 良くて一ヶ月ってところじゃないかな。全治ね。打ち所悪かったら、もっと伸びそうだけど………」 「―――ほら見ろ、やっぱし根性捻じ曲がってんじゃねーかッ! このドSカップルめぇッ!」 洞穴の内部へうっとうしいくらい響いていた漫談のような応酬は、 耳を傾ける人々の心の中だけでなく、薄暗い足元にもこれを照らし得る明るい灯火をもたらした。 発掘作業参加者に配布されたライアン電機謹製のペンライト以外に新たな灯りが増強されたのである。 ペンライトとは比較にならないほどの輝度と光量でもって一行の行く手を照らす灯りを遡上すると、 カーカスの背後に控えていたクラップが懐中電灯を翳しているではないか。 つまり、その灯りとはクラップの持つ懐中電灯のトラウムであった。 懐中電灯と言う便利なトラウムを持っているなら最初から発動させるよう口先を尖らせて見せたカーカスは、 話に割り込めるチャンスを見計らったかのようにしか思えないタイミングで懐中電灯を具現化させたクラップに 「もったいつけてんのはてめーだろ。持ち主に似てクソの役にも立たねぇな、その電灯」とケチをつけた。 仲間たちがペンライトによる探索で苦戦しているのを尻目に、 自分は懐中電灯のユーザーだからと余裕の表情を崩さないクラップは確かに無作法で不躾だ。 一寸先は闇とも言うべき暗い道のりを、一行は危険を顧みずに旅しているのである。 なおのことタイミングなど計らずに最初から発動させるのが常識的判断と言うものであろう。 「お前に言われたくねーんだよ! 発煙機のトラウムなんてどこでどう生かすっつーんだよ! お前、ドキュメンタリーとか撮ってんだろ? 尚更使い道がねぇハズだろ」 「使い道がないとは何だ。てめーのちっさい電灯とおれのスモーキング・ブギ・ウギなんて 便利さに差がつき過ぎでならねぇぜ! 後生大事に抱えててどうすんだ」 「演出に役立ってるわ! オレも、オレのトラウムちゃんもおんなじような。 大体、てめぇ、演出のノウハウなんか持ってねぇだろ」 「演出入りのドキュメンタリーなんてドキュメンタリーじゃないわい! ケッ―――なにがドキュメンタリーだよ。てめぇら、バラエティー番組と一緒じゃねぇか! アレだろ、見せ場になったらてめぇがスモーク焚くんだろ。そんでカメラもアオリ位置にしてな! ………てめぇらの都合良い風に手ぇ加えたら、そこでドキュメンタリーなんて死んじまうぜ!」 「視聴者が喜ぶ画を撮ってんだよ、オレたちゃ! ………考えてみろ、煙幕がどれだけテレビ番組で活躍してるか。 上質なドキュメンタリーを一個の作品として完成させるにはフォグマシーンは欠かせねぇよ」 「作品とか抜かしてる時点でおめーにドキュメンタリー班を名乗る資格はねぇ!」 そう言ってクラップは大きく振りかぶったハンドライトを真下へと一閃、 強烈な光をカーカスの顔面目掛けて浴びせかけた。 彼は光の剣に見立てたハンドライトを振り下ろすと言う必殺技を『流星飛翔剣』などと呼んでいるが、 如何せん、彼の手に握られているのは何の変哲もないごくごく一般的なライトでしかない。 照明以外の機能を一つたりとも実装していないライトを振り回したところで光の刃が実際に現出されるわけでもなく、 単なる目くらましの域を出なかった。 「クラップ君もフィーちゃんも打開策を持っているの!?」 「おうとも。………その為にオレはここにいるんだからね」 罵り罵り合いと言う不毛な口喧嘩はともかく、これはカミュにとって一大ニュースである。 ウソ発見器を駆使しての尋問によってガウニーたちの悪事を暴けなくなった今、 事態を打開し得る代替の秘策は喉から手が出る程欲しかった。 「要はベテルギウスと社長が何も関係ねーってことを証明すりゃいいんだろ」 「正確にはウィリアムスン・オーダーが持ち込んだって濡れ衣着せられてるモンと無関係ってことだな」 勢い勇んでカミュとの共闘を決意したまでは良かったものの、 具体的な策も持たないままここまでやって来てしまったカーカスも興味津々の様子だ。 「うん…、それを立証できれば、とりあえず町の人たちの怒りは解ける」 「どこのバカが濡れ衣着せやがったかってのは二の次でいいんだな。………だったら、尚更、やりようがあるってもんだ」 「ほ、ホントに?」 「オレはキミにだけはウソをつかないぜ、カミュちゃん」 藁にも縋るような想いで秘策の披露を待つカミュの小さな手を自分の掌で包み込んだクラップは、 交わった眼差しに向かって勇気付けるかのように深く強く頷いて見せた。 「ベルエィア山の地下に走ってる『クラムボン・キャンプ』―――オレらはまずそこを目指そう」 「クラムボン・キャンプ………? そんな誰も近付かないような遺跡に一体―――」 クラムボン・キャンプ―――クラップは、もう一度、自分たちが目指すべき場所の名を繰り返した。 まるで答え合わせでも求めるかのようにクラップがフィーナへと目配せする。 クラップの意図に気付いたフィーナは、自分と彼とが同意見であることを示すようにピンと親指を立てた。 しかし、彼の挙げたクラムボン・キャンプなる場所は、カミュにとっては大いに意表を突くものであったらしい。 その名を聞いた瞬間に面食らった様子で首を傾げてしまったくらいだ。 「クラムボン・キャンプはさ―――………ベテルギウスの根城なんだよ」 「ベテ―――ええッ!?」 ………そして、クラップが次に発した言葉は、カミュのみならず誰しもの意表を突き、 その度肝を抜くものであった。 クラップのその説明を拝聴した者の中で目を剥かなかったのは、 最初から彼が言わんとすることを察していたフィーナただひとりだった。 クラップが最終目的地として定め、フィーナがこれに同意したクラムボン・キャンプとは、 ベルエィア山の地中深くに穿たれた地下空洞のことである。 地形等の構造を含めてより深くクラムボン・キャンプについて説明するには、 まずはベルエィア山の特徴の段を経ねばならなかった。 天を突くとまでは行かないまでも峻険に聳え立ち、南北に広く伸びたベルエィア山は、 その懐に豊富な鉱石を抱えていた。 鉱石と言っても鉄や水晶の含有率は絶無に等しく、資源的な価値は薄いと言わざるを得ないのだが、 採取される石の中には、研磨することで宝玉にも劣らぬほどの光沢を発揮し、 尚且つ鉄にも匹敵する硬さを兼ね備えたものが確かに確認されている。 ベルエイア山独特の小豆色の石は、建築物の柱やタイル等の用途に世界中で好まれており、 そのニーズに応えるべくシェルクザールから更に南下した場所へ専用の採掘場まで設えられたくらいだ。 ベルエイア山を背にする幾つかの町村が出資し合って結成された、一種の合弁会社である。 採掘に携わるスタッフのアナウンスによると、過去数百年の間に起こった地震によって生じた地殻変動が ベルエイア山周辺の地層へ影響を及ぼし、層の内部に人智を超えるほどの長大なひずみを作り出した。 岩盤が砕け、崩れ、ねじれ―――次第に天然の大洞窟クラムボン・キャンプとなっていたのである。 クラムボン・キャンプとは、天然自然の奇跡とも言うべき産物であった。 大地の隆起と変動のみで穿たれた地下空洞には人の手は全く加えられておらず、 それゆえに洞窟内へ踏み入った人々は自然の力の凄まじさを思い知る。 場所によっては数キロにも及ぶトンネルが土の下を縦横無尽に行き交い、ある種の迷宮と化している。 そのような大洞窟が、偶発的に発生する自然現象の作用のみで完成されたのだ。 人為が加わっていない為、モグラが這いずる穴如く複雑怪奇に入り組み、 且つ十キロ以上歩かされた挙句に行き止まりと言う無意味極まりないトンネルも中にはあるのだが、 それ自体が奇跡の芸術なのである。 人の手の介入を許さぬ、偶然の運命の産物にしか完成し得ない“無意味の美”――― クラムボン・キャンプを踏破したとある冒険家は、過去にそのような感想を残していた。 地層内の水脈より染み出した湧き水が岩石と岩石の間のひずみをすり抜け、更なる下層部へと真っ逆様に滑り落ちていく。 液体が漏斗を通して下方へ向かうように湧き水は空洞を流れる地下水となり、 奈落の底に穿たれたすり鉢型の窪みへと溜まり込むのだ。 やがて“岩の杯”は清らかな雫でもって満たされ、溢れ出した。 地下水の溜まりは、今では完全なる地底湖と化しており、その天井には白濁した鍾乳石が幾つも垂れ下がっている。 一度目にした人間は二度とその光景を忘れないとまで言わしめる明媚な地底湖である。 侵し難いほどの清らかなクラムボン・キャンプは、誰が音頭を取ったと言うことでもなく、 いつしか暗黙の取り決めによって保全が徹底されるようになった。 自然現象の生み出した奇跡の地が、人の手によって汚されることを誰もが憚り、惜しんだ結果と言えよう。 ウワサを聞きつけ、遠方より訪ねてくる冒険者も多いのだが、恩恵豊かなベルエィア山を背にする人々は、 人の手が入っていない洞窟ゆえに崩落の危険性が高いと説明し、 不逞の輩がクラムボン・キャンプへ踏み入ることがないよう努めていた。 無論、住民たちの説明や保全への願いを聞き入れず、強引に、あるいは秘密裏に侵入を試みる不届者も決して少なくはない…が、 不思議なことにクラムボン・キャンプの環境保全が取り決められて以降、 地底湖のある最深部まで辿り着いた人間は絶無に等しかった。 岩盤の耐久性や水質の調査に立ち入った研究員や、 ベルエィア山が人々へ恒久の豊穣をもたらすよう祈願する儀式を執り行った神人の信徒が数少ない例外であった。 神人の信徒と言っても、創造の女神イシュタルとその仔ら、神人は、 エンディニオンに於いて広く信仰の対象となっており、特別に選ばれた者が儀式を選任すると言うことはない。 独自のコロニーを築いて世俗を絶ち、その内側にて原始的な信仰活動を行うマコシカなる古代民族も存在はしているのだが、 殆どの場合は彼らを招聘もせず、民間単位で伝承されてきた儀礼を 町村の長老格あるいは役場の代表者が執り行うことで簡易に済ませている。 余談はさておき、一部の例外を除いて侵入者がクラムボン・キャンプの最深部まで辿り着けないことには、 実は明確な理由があった。 人間は言うに及ばずクリッターさえ棲みついていない筈の洞窟内で、 地獄の底から響いてくるような、極めて重低なケモノの吼え声が聴こえると言うのだ。 住民たちの安全確保の為に一応は最深部の調査も行われたのだが、 大規模かつ入念な捜索にも関わらず、ついに吼え声の主を発見することは出来なかった。 そして、誰にも発見出来なかったと言う点に“いわく”が生じた。 “いわく付き”と言うものが拡散するのは異常なまでに早い。 程なくしてクラムボン・キャンプに響き渡る吼え声は、 冥界からやって来た死者が命ある者をいざなう呪詛であると言う荒唐無稽なウワサが飛び出し、 いつの間にやら都市伝説と化していた。 都市伝説と言うものは、とかくヒトの心へ入り込み易い。 永い時代を隔てた神話と比べて身近に感じられる所為か、 “もしかしたら本当にあるのかも知れない”と言う観念が一定のリアリティを以ってそのヒトに圧し掛かるのだ。 しかも、誰にも正体が確かめられていないと言う神秘性がその観念へ不可思議な論拠を付与するのである。 “冥界からの使者”を人々が畏怖するようになるまで然程長くは掛からなかった。 「―――つまり何か? そのクラムボン・キャンプとやらには地獄の使者みたいな化け物が棲みついてるってか。 そーゆーウワサに皆が皆、惑わされてるってわけかい」 「なに他人事みたいな言い方してんだ。テレビの人間ってのは下調べっつーもんをしないのかよ。ぶっつけ本番かぁ?」 「うるせーな、こっちゃドキュメンタリー班なんだよ。バラエティー専門でもねぇのに民間伝承まで予習してられっか。 そーゆー小道具使って話盛り上げるチームじゃねぇんだよ」 「スモーク焚いて演出入れるドキュメンタリーかよ。聞いて呆れるぜ。やっぱりあんたはただのカーカスだぜ」 「だから、人の名前をカス扱いすんじゃねーっつのッ! ………話盛り上げるって言えばよ、 その地獄だか冥界だかの使者ってのも同じだわな。ウワサがウワサを呼んでってパターンな。 どっかで誰かが大袈裟にしてんだよ、それ」 「………あんたにしては良い読みじゃねーの」 「少し頭捻ればわかんだろ。ケモノが吼えるような声って判ってんのに、どうして地獄の使者になっちまうんだよ。 いや、地獄の使者が犬ッコロだってんなら話はまた変わってくるけどな、そんな得体の知れないもんじゃなくて、 まずクリッターとかじゃねーかって疑うだろ。ケモノっぽいんだし」 「人のウワサなんてそんなもん―――ってぶったぎっちまったらそれまでだがな」 「………ナルホドな。ウワサだとか、都市伝説だとか、胡散臭ェ部分を削ぎ落として行きゃあ、 ベテルギウスにブチ当たっても納得出来るかな」 ベルエィア山を背にしながら暮らす人々にとってクラムボン・キャンプとは、 その背景にある心理的な恐怖心も含めて侵し難い場所であったのだが、 クラップの説明を信じるのなら、人心を脅かす都市伝説の正体は、ベテルギウスと言うことになる。 彼はクラムボン・キャンプをベテルギウスの根城と明言し、フィーナもこれに頷いている。 「………………………」 「な、なんだよ。なんでそこで黙るんだよ。そんなに的外れなコトは言ってねぇと思うぜ?」 「………いや、したり顔でベラベラ喋るヤツって、見てると無性にイラッと来るなーって思ってよ。 余所者の分際で訳知り顔ってのがまたムカつくんだよな〜」 「………………………」 「今度はあんたがダンマリかい。さては図星だな? 自覚あったんだな? えぇ?」 「………いやいや、おめーの気持ちもわかるぜ、おれ。余所者に手前ェんとこの事情をズバズバ言い当てられたら、 そりゃあ面白くねーもんな。しかも、全部必中と来たもんだ。田舎っぺには堪えるよなぁ。 なにしろ言い当ててるのは、大嫌いな都会人だもんなァ」 「………………………」 「こう言うのを図星って言うんだぜ。覚えておくんだな、クソガキ」 「………お前、ホント、アホのカスだろ。反論できねーから黙ったとでも思ったろ。全然違うわ。 都会人だの田舎っぺだの言い方でしか自分をアゲらんねーお前さんがもう不憫で不憫で………。 あんまり不憫でよォ、ケンカ買うのも可哀想になっちまったんだよ」 「おいおい………まさか可哀想と言われるとは想像してなかったぜ。こちとら善意で付き合ってやったってのにな。 お前、人の善意を悪くするもんじゃねぇぞ。おれが相手してやらなかったら、 お前の妄言なんぞ誰も聴いちゃくれねぇんだぞ。 『やだ、あの人………アレよぉ!』ってな具合に生暖かい目で見られてさ。それでお終いだってのに………」 「はっはっはっは―――てめぇ、これ終わったら、体育館の裏に来いや」 「上等だよ。教育的指導だ、クソガキ」 口論の兆しを見せるふたりに向かってフィーナは制止の声を投げかけた………のだが、 「なんで、体育館!? ふたりきりになりたいなら夜のプールでもいいじゃない! 荒い呼吸と水しぶきだけの世界なんて―――それはもう………トロピカルだよ!」と言う具合に 全く諌言の態をなしておらず、傍らで聞いていたカミュからそのことを指摘される始末であった。 ………尤も、カミュもカミュで「例えがマニアック過ぎるよ! トイレの個室で十分でしょ!?」などと 意味不明な弁を飛ばしており、殆どボケ殺しに等しい。 フィーナを心の底から思慕するムルグではあるものの、さすがにこの妄言には随いていけなかったようだ。 カミュの肩を叩きながら「なかなかわかってるね、カミュちゃん! このシチュエーションの鬼!」と 先ほどの妄言を賞賛するフィーナには顔を引き攣らせてドン引きしている。 ムルグの愛を以ってしてもカバーできないほどの醜態である。 もしも、この場にアルフレッドが居合わせたなら、実力行使でフィーナの口を閉ざしたに違いない。 おそらくその行動に限っては、ムルグも横槍を入れたりはしないだろう。 フィーナとカミュの乱痴気――と言い表す以外にあるまい――はさて置き、 クラップが何事かを話すたびにカーカスから合いの手が入るようになっていた。 時折、皮肉っぽい言い回しがクラップの対抗心に火を点けて口論へと発展しそうになるのだが、 カーカスも彼との付き合い方には慣れてきているらしく、 言い争いのようなイレギュラーな状況を除いては上手い具合に話を転がしている。 憎たらしく思っているカーカスに自分の話を要約されるのが気に障るらしいクラップは、 しばしば説明の中に痛烈な悪態を混ぜていたが、彼の加える補足が適切だと言うことはさすがに心得ており、 会話のキャッチボール自体を忌避するような真似はしなかった。 それはカーカス当人にも同じことが言える。 ほんの数時間前までクラップのことを聞き分けのない小僧だと唾棄し、 何かにつけて喧しいがなり声を一笑に付していたカーカスだったが、 彼の弁に有益な価値と、何より強い信念を見出して以降は、軽々に横槍を入れて話の腰を折るような浅慮を自ら律していた。 依然として意地の張り合いは続けているが、それでもクラップの言葉を神妙に拝聴するようになったのは、 それまでの険悪な関係を振り返れば、大いなる進歩と言えよう。 地中を潜って発掘予定地に顔を出したベテルギウスと、 その根城と目されているクラムボン・キャンプ―――この二点を手がかりに推理し、 かのクリッターが掘削した穴と地底の根城とが一本の道で通じていて然りと言う答えに行き着いたカーカスを クラップは口笛吹き鳴らして賞賛した。 それすら数時間前までは想像だに出来なかった光景である。 「ま、冷静に考えたらガキでもわかりそうなもんだけどな」 「そんなのわからねーだろ。ベテルギウスが別荘でも営巣してたらどうすんだよ。 クラムボンなんたらへ一直線とは行かねーかもじゃねぇか」 「おいおい、手前ェで閃いた答えを手前ェで否定していやがるぜ、このオッサン。 それじゃ、オッサンはベテルギウスの別荘探しの旅ってことでな。ここで別れて探索しようぜ! 手前ェで立てた仮説なんだから証明して見せろよ、オッサン」 「別にいいんだぜ、ここで別れても」 「おぉ? えらい強気じゃねぇか。煙幕焚くしか芸がねぇってのに、“敵”に出くわしたらどうすんだ?」 「そう言うお前も、大ボケの二連勝単式をどうやってさばくつもりだぁ? あいつらにツッコめんのか? どっちかって言うと三連勝複式になりそ〜なお前が。 ………へへっ、胃に穴が開くおめーの姿が目に浮かぶぜ!」 「どーゆー脅し文句だよッ! 死ぬほど怖ぇじゃねーかッ!」 ………傍目には売り言葉に買い言葉の口論が絶えないように見えるが、 当事者同士はこの関係をすこぶる良好と考えていることだろう。 「なんかとんでもなく失礼なことを言われた気がするんだけど、クラ君は私とカミュちゃんになんか恨みでもあるの? カーマルさんもえげつないこと、さらりと言ってくれましたよね」 「フィーちゃん、フィーちゃん………“カーマルさん”、なんて呼ばなくて良いよ、もう」 「そうだね。こんな人、カーカスさんで十分だよねっ。失礼しちゃうよっ!」 「失礼しちゃうのは、こっちだっつの! 寄ってたかって人の名前をカス扱いすなッ!」 クラップとカーカスの会話を聞きつけたフィーナは不満を体現するように頬を丸々と膨らまし、 傍らに立つカミュもこれに倣って口先を尖らせる。無論、カーカスに対する抗議の表明だ。 ふたりから抗議への同意と援護射撃を求められるとでも思ったらしいムルグは、 偵察と称して一行より先を飛び、ペンライトや懐中電灯の光が届かない真っ暗闇の只中へと消えていった。 つまるところ、御し難い厄介へ巻き込まれる前に先手を打ってその場を離れたと言うワケだ。 一般的に鳥目は暗闇が大弱点の筈なのだが、 ムルグの場合、自身の眼球をライト如く発光させて灯りを取ることが出来るので、 暗所を行き交うのに問題や障害はなさそうだ。 自家発電的な能力と言うか何と言うか、つくづくなんでもアリである。 状況が状況だけにピクニック気分とまでは行かないものの、 しかし、談笑を交わしながら闇路を行き、少なからず和んではいられた。 ………そんなときに限って―――否、心より満喫しているからこそ、人は忘却してしまうのだ。 愉快な時間に限って、短く、早く過ぎると言うことを。 「コカカーカッ! コーコココッ! カッカコッケーッ!!」 先んじて闇の底を探っていたムルグが大慌てで戻ってきたのを境に事態は再び逼迫の色を濃くする。 「ど、どうしたの!? 一体、何が―――」 「ケッケケココッ! ケコッ! コケッ! コココココ…コココーケッ!!」 ムルグの言葉を訳すことが出来るのはフィーナただひとりだ…が、 彼女らのやり取りを傍観する他の面々にも何かよからぬ事態が起きたと即座に直感できた。 今日初めて出会ったカーカスにも察せられるほどにムルグの嘶く声は急々とした焦りをと孕んでおり、 またこれに耳を傾けるフィーナの顔つきも見る間に険しくなっている。 「この先で………“マカフィー”が―――ベテルギウスが倒れているってムルグが………っ!」 血の気が引き、殆ど紫に変色している唇を震わせながらフィーナは皆に事態の急転を伝えた。 ←BACK ・ 番外編トップへ戻る ・ NEXT→ |