―――奈落の底。
北の地から直接次の任務地へ赴いた邪眼の伯爵と美獣に代わり、
死を喰らう男が二人の【極光霧繭】での任務報告を行っている。
例によって例のごとく、この道化師は、へっぴり腰で三巨頭へ手もみするのも忘れてはいない。


「邪眼の伯爵と美獣、揃って退けられたか…【太母】…望外の進化ではないか」
「………そもそもかの二人の任務は【太母】の神気を高めるにある。
 退転する事にいささかも恥じるものはあるまい」


言葉だけ読めば【太母】の、リースの成長を歓喜するように受け取れるが、
語感には敗北した二人への侮辱が大いに込められており、
直属の配下を皮肉った【竜帝】を、【黒の貴公子】が横目に睨めつけた。


「次なる任務は我が将の一人に当たってもらうのだが、
 ………さて、上等種【魔族】のお二方以上の働きが、果たして出来るだろうか…」


これも、皮肉。それも、【仮面の導師】からの。
両サイドから侮辱に晒された【黒の貴公子】の内心は、平然を装ってはいるが、
屈辱と憤激に煮えくり返っていた。
しかし、ここで取り乱せば、命がけで任務に当たった部下に申し訳が立たない。



―――カツン。



剣呑さを孕み始めた盟主の玉座に、硬質な足音が響いた。
いつ盟主同士の戦いが始まるものかと肝を冷やしていた道化師には何にも勝る救いだろう。
紫水晶の甲冑を身に纏った女戦士が三巨頭らの前へ進み出て、儀礼的な作法で平伏する。
ミディアムボブに切り揃えられたブロンドは、この暗闇に不釣合いな燐光を発していた。


「これより【ガラスの砂漠】へ向けて出陣いたします」
「うむ、万事ぬかりなきように計らえ。
 ………先んじて功を挙げ、【魔族】殿と軋轢など生まぬように、足並みを揃えて、な。
 未だ慣れぬその方にはいささか難しい注文かも知れぬがな………」
「ずいぶんと含みのある言い方ではないか?」
「何を言う。“不浄なる紫槍”は【三界同盟】へ参加して日も浅い。それだけの事よ。
 他意などあるべくもない?」


【セクンダディ】の女戦士へ激励を送る【仮面の導師】に合いの手を入れるのは、
皮肉に耐えかねた【黒の貴公子】ではなく、【竜帝】だ。
示し合わせたかのように挟み撃ちで責め立てられるが、
それでも部下のため、暴発だけはすまいと【黒の貴公子】はそれまで以上に懸命に堪えた。


「あ、そ、それではワタクシめも任務の下拵えがございますのでっ!」


踵を返して玉座を辞す“不浄なる紫槍”の背中へ道化師も随いていった。
このままでは再び喧々諤々とした空気の中へ放り込まれる。
享楽を好む“死を喰らう男”にとってみれば、そのような空気は嫌悪の対象に等しい。
適当なところで手もみを切り上げ、飛び火を受ける前に早退するのも、
彼なりの処世術なのだろう。


「………あの男、【仮面の導師】殿の配下ではないのか?」
「いや、違うが…何故そう思うのだ?」
「“死を喰らう男”という名の通り、あの男は優秀なネクロマンサーと聞き及んでおる。
 死を司るなど、冥府の走狗にしか為せぬ業ではないか。
 それで、な」
「なかなかの慧眼ではあるが、【死】…つまり【生命】を操るなど、
 我ら【不死者(イモータル)】には敵わぬ領域よ………。
 私はてっきり、魔の業を統べる【黒の貴公子】殿の眷属と思うておったのだが………」
「我ら【魔族】にそのような異能を望まれても困るな。
 …手並み鮮やかな【竜(ドラゴン)】と【不死者(イモータル)】とは、
 どうやら出来が違うようなのでな」
「フッ………随分とアジな事を仰られる………」


幼子が喜んで随いていきそうな滑稽な後姿に顔を見合わせる三巨頭。
疑わしきは、そ知らぬ顔でスルリと滑り込んだ道化師の器用さか、
それとも、配下の出自すら把握しきれていない支配層の杜撰さか………。













ベッドサイドに立ったホークアイの愕然は、見る者の胸を締め付けた。
彼の瞳に映る少女の痩せこけた顔はそれ以上に痛切だ。


「………………ジェシカ」


呼びかけても応答は無い。
沈痛な寝室には、ただ、少女の荒い呼気だけが空しく木霊していた。
………【死】は、すぐそこまで迫ってきていた。


「………………………」


このような結果を生み出してしまった責任は自分にある。
奇病に罹ったこの少女を救おうと砂漠の外へ飛び出し、
仇とも知らずに【魔族】の口車に乗せられ遠回りを重ねて、
事実を知って戻ってきてみれば、この事態。この最悪の事態だ。
全て自分の落ち度が原因だった。命を懸けてみても何の成果も得られなかった自分の。


「何やってんだよ、お前はよ」
「………うるさいな。独りにしてくれよ………」


自責の念に堪り兼ねて寝室を飛び出したホークアイを追いかける声―――デュランだ。
青ざめて放心するホークアイは、背中に受け止めた言葉へ振り返る事もしない。
振り返らず、きつく、きつく、血が滲むほどに硬く拳を握って反応を示す。
滴り落ちるドス黒い血が、暗闇へ堕ちた彼の心を物語っていた。


「………俺、ホントのヘタレだよな。
 無計画に飛び出して、体よく利用されて、挙句の果てに見殺しだよ………。
 ははは………悪い夢にしちゃ出来すぎだぜ………」
「ホーク、大丈夫、きっと、【マナストーン】、見つかれば、ジェシカさん、元気になるっ!」
「お前、バカだろ」
「し、師匠? な、なにを………」


デュランと一緒にホークアイを追ってきたケヴィンの励ましを、
事もあろうに隣の師匠が無碍に切り捨てた。
言葉自体はホークアイに投げつけられた物だが、
ケヴィンの真摯な優しさを真っ向から否定している。
突き放すような心無いデュランの真意を察しかねるケヴィンは当惑し、絶句した。


「………ああ、そうだよ、俺は大バカ野郎さ………。
 好きな娘一人助けられない、グズでノロマでダメなヘタレ野郎だよ………」
「そうやっていじけてろよ、ヘタレ」


デュランの言葉の一つ一つを肯定していくホークアイの様子は、
捨て鉢と言うよりも、自分の愚かさに居直っているようにも思える。
辛辣なデュランにも驚くケヴィンだが、このホークアイの居直りにも混乱を覚えた。
“本当に大事な人なら、なぜ、最後まで抗おうとしないのか?”
………そうした精神一つを上乗せしただけでは次の一歩を踏み出せない、
深い挫折と絶望を、この純真な少年は知らないからだ。
そして、そんな深い挫折と絶望の只中にあるホークアイにとって、
えぐるようなデュランの言葉は、傷口へ塩を塗りこまれるような激痛である。


「お前、本当は単にビビッてただけだろ?
 地元戻ってくりゃ、イヤでも現実を見なくちゃならねぇからな。
 そいつにビビッちまったから、ああしてゴネてたんじゃねぇのか? ええ、ヘタレ?」
「………………………」
「ご大層に言い訳ブチ上げてくれたけどよ、
 やる事なす事、てめぇは負け犬なんだよな」
「………あー、もー、いいよ、負け犬でもなんでもさ。
 いいから放っとけっつってんだろッ!!」
「よく見とけ、ケヴィン。これが負け犬の遠吠えってヤツだ。
 手前ェ自身に負けちまった、どうしようもねぇクズ野郎だ。
 どうせアレだろ、お前、ジェシカが死んじまったら自分も後を追うとか考えてんだろ?
 どこまでも都合がいいよな………そうやって自分に調子のいい夢だけ見てろよ」
「―――さっきから聴いてりゃ、好き勝手言い過ぎじゃねぇか、お前さッ!!」


ついに我慢の限界を超えたホークアイが、
滲んだ血を散らしながらデュランの胸倉を掴み上げた。
【エルランド】での衝突の比ではない、憎悪さえはらんだ怒りを露にして。
感情を暴発させるホークアイと対照的に、デュランの表情はどこまでも冷徹に突き放している。


「ちょ、二人とも、喧嘩、ダメッ!」
「やめや、ケヴィン。好きにやらせておくんや」
「で、でも、このままじゃ………」
「ええから黙っとけッ」


このままでは大事になると判断し、二人の間に割って入るべく飛び出そうとするケヴィンを
頭上からカールが厳しく見咎めた。
仲間同士の諍いを見ているなど、純朴なケヴィンには耐え難い苦痛だが、
自分よりも経験豊富なカールが制止するのだ。きっと、考えあっての事なのだろう。
子供の自分には、激しく衝突するデュランとホークアイを見守るしかできない。


「………誰かが仲裁すれば収まるもんでもないんや。
 仲間同士でやり合う喧嘩やったら、なおさら、な………」
「………カールが言うなら、うん…、悲しいけど、わかった………」


辛い事だが、ケヴィンは口を真一文字に結んで耐え、二人の行方を見届ける覚悟を決めた。


「俺がどんな気持ちでここまでやって来たのか、お前にわかるのかッ!?
 好きな娘一人救えないヘタレ野郎の気持ちがさッ!?」
「ヘタレの気持ちなんざ、わからねぇし、わかりたくもねぇな。
 そこまで思いつめてるクセに、いざ現実見せられたらドロンしやがるクズの気持ちなんかよ」
「お前はいいよなッ! リースはピンピンしてるし、順風満帆じゃねぇか!
 ジェシカは違うッ! これから…これから、もう死んでゆくしか…ッ!」
「ハッ、少なくともお前に簡単に捨てられるようなジェシカとやらとは違うわな」
「てめぇッ!!」


目の前で尊敬する師匠が殴られている。顔面を力の限りに何度も。
それでもケヴィンは堪えた。堪えて見守る痛みに耐えながら。
殴る側の拳よりも、殴られる側の横っ面よりも、心に鈍く重い痛みに耐えながら。


「俺がいつジェシカを捨てたッ!? いつ捨てるなんて言ったんだよッ!!」
「てめえの言ってる事はそういう事なんだよッ! そんなんだからてめえはヘタレなんだッ!!」
「俺はジェシカを捨てたりなんかしねぇッ! 最後まで諦めないために俺は―――」






(―――“最後まで諦めない”…ッ!?)






それは、砂漠を飛び出す前夜に誓った言葉だ。
ジェシカを、一番大切な少女を助けるために誓った言葉だった。
諦めたら、死に捕まる。だから諦めない。どんな苦難に陥っても、最後の一瞬まで諦めない。
そこまで覚悟していたからこそ、そこまで大切に想っているからこそ、
人の道を外す行為すら厭わなかったのではないか。命を懸けて、戦ってきたのではないか。
なのに、今の自分の有様は何だ。


「口先だけだな、てめえはよッ!!
 最後まで信念貫けねぇクセにでけぇ口叩くんじゃねぇッ!!」


反論の余地も無く、その通りだ。口だけは偉そうに取り繕って、行動はまるで正反対。
諦めて、立ち尽くして、しかも苦しむジェシカを置いて逃げ出してしまった。


「デュラン………」


どうしようもない現実を前に忘れかけた初心を思い出させてくれた。
憎まれ役を買って、辛辣な責めで詰って、疲弊した信念を引き出してくれた。
本当の負け犬になるところを、このリーダーが、デュランが掬い上げてくれた。


「………バカ野郎………」


腹が立って仕方が無かった。
普段ぶっきら棒に構えているくせに、こんな時だけカッコつけやがって。
本当は誰よりも仲間の事を考えているくせに、
自分一人で悪役を背負い込んで、傷付く選択ばかりを取りやがって。
だから、腹が立った。
腹が立って、でも、どうしようもなく嬉しくて、後から後から涙がこぼれて仕方が無かった。


「これじゃ、俺、ホントのヘタレじゃないかよ………」
「だからさっきからそう言ってんじゃねぇか、ヘタレ。
 ヘタレだったらヘタレらしく、地べた這いずっても前を目指してけよ」


突き放すような硬質な表情のままでいたデュランが、初めて崩し、微笑んだ。
打ちひしがれた仲間が本来の信念を取り戻し、再び立ち上がってくれた事が嬉しくて、
つい浮かべてしまった微笑が照れくさく、すぐに不機嫌そうに眉を顰めて引っ込めてしまったけれど。


「………バカヤロ………」


憎まれ役を進んで引き受けるリーダーへ、感情剥き出しで食ってかかった自分が恥ずかしくて、
そう呟くのが、精一杯の「ありがとう」を込めて呟くしか、ホークアイにはできなかった。


「あんたしゃんらはさっきからなにをせいしゅんごっこやってるでちか。
 あすなろきどりもたいがいにしとかないと、ろくなおとなになれないでちよ」


二人の闘いの結末までを、涙を溜めて見守っていたケヴィンの背後からシャルロットが顔を出した。
アンジェラとリースもシャルロットに倣ってジェシカの眠る寝室から出てきた。


「そこでデュランとイチャついてるヒマがあるなら、
 さっさとジェシカさんのとこへ行ってやんなさいよ。
 彼女、あんたを待ってるわよ」
「ああ、そのつもりさ。
 もうちょい待っててくれって、ちゃんと話してこなきゃだしな」
「“まっててくれ?” あんたしゃん、なにをねぼけたことぬかしてやがるでちか?」
「いや、だから、【マナストーン】はまだ見つからないからって………」
「だから、そんなんもう必要ないじゃないの」
「あの、アンジェラもシャルロットも、
 説明を端折ってしまっては、
 ホークアイには何の事だか解らないと思いますよ」


腰を上げた状態で目を点にするホークアイには、女性陣が何を言っているのかさっぱり理解できない。
彼女の罹った奇病―正確には【魔族】の呪いだったのだが―を癒せるだろう【マナストーン】は
いまだに手に入っていない。
だからもう少しだけ辛抱してくれ、と今度こそ現実と向き合い、告知しなければならないと言うのに、
その必要が無いとは一体どういう了見なのか。


「こないだの【まぞく】どもとのたたかいのときにせつめいしたじゃないでちか。
 【まぞく】のかけたのろいなんぞ、しゃるにとっちゃあさめしまえ。
 おちゃのこさいさいだって。それともあんたしゃん、しゃるのじつりょくをうたがってるんでちか?」
「ま〜たそんな事言っちゃって。ホントはリースに手伝ってもらって、ようやく解呪できたんじゃない」
「………アンジェラしゃんねぇ、ながいきしたければ、
 だれにもいっちゃいけないきみつじこうをひとくするすべを
 えとくしたほうがみのためでちよ…」
「い、いや、だからさ、それってどういう………」
「つまり、もうジェシカさんの心配はいらないという事ですよ」
「まさか、呪いを解いた………のか?」
「じべたにはいつくばってかんしゃするでち、くつをなめるがいいでち、このぐみんめが」


リースとシャルロットの力量を微塵も疑ってはいなかったが、
まさか、【魔族】の呪いを跳ね除けてしまうとは、考えも寄らなかった。
感心したように溜息を吐くカールの前で、ガバッと勢いよくホークアイが立ち上がり、
飛び掛るようにリースとシャルロットへ抱きついた。


「ぎゃあああああぁぁぁぁぁぁっ! あんたしゃん、なにするでちかァっ!?」
「ど、どうしたんですか、ホークアイっ!?」
「どうしたもこうしたも無いだろっ! ありがとう、マジでありがとうッ!!
 最高だよッ、シャルもリースもッ!
 ホークアイ感激ッ! こうなりゃリップサービスもお徳用でオマケしちゃう♪」
「ぐああああああぁぁぁぁぁぁっ! へんたいがいるでちっ! ごうかんまがいるでちぃっ!
 おまわりさんッ! そこのケヴィンしゃんっ!
 いぬのおまわりしゃんらしく、このへんたいをどうにかするでちっ! ずっころすでちっ!」
「ちょ…、ホークアイ、こんな所をジェシカさんに見られたら大変ですよっ!?」


ホークアイにしてみれば、言い表しきれない感謝の気持ちをぶつける手段なのだろうが、
世が世ならセクシャルハラスメントで告訴物である。
「だんちづまでちかっ、しゃるはっ!」ともがくシャルロットは別として、
ホークアイに他意も悪気も無いと理解しているリースは、無碍に彼を突き飛ばす事ができずにいた。
それでもリップサービスは躱わしているが。


「いいの〜、デュラン? ホークにリースのほっぺた、奪われちゃうわよ〜♪」
「な、なんで俺にそんなん聞くんだよッ?
 つーか、ホークだってジョークでやってんだから、本気に、キ、キスなんかしね―――


―――唐突に、突然に。
デュランの言葉を掻き消して、アンジェラとの間を何らかの物体が猛スピードでカッ飛んでいった。
直後、数メートル後方でグシャッという激突音。


「なッ、なんだ、なんだぁッ!?」


激突音のした後方を振り返ると、そこには盛大に煙を巻き上げて床へめり込むホークアイの二本足。
つい数秒前までリースとシャルロットにリップサービス(未遂)を敢行していたホークアイだ。
あまりの急展開に彼女たちのいる方向へ視線を戻し、そこで目の当たりにしたモノに、
「ひッ!?」と軽く悲鳴を上げて、デュランもアンジェラ凍りついた。
―――鬼がいた。
獰猛な瞳を爛々と輝かせ、獰悪な牙を剥き出しにする、一匹の鬼が。


「ホォォォォォォクゥゥゥゥゥゥ………ッ!!」


地獄の底から轟くような鬼の雄叫びは、砂の海をも揺るがせ、
屈強の戦士の集まりである『チーム・デュラン』の誰をも竦み上がらせた。
誰よりも戦慄したのは、この鬼に首根っこを捕まれ、ブン投げられたホークアイである。
壮絶に滴る鼻血を抑える事も忘れ、土下座して必死に弁明を繰り返す。
………やはり超絶なヘタレである。


「…ヒトがゼーゼーと苦しんどる時に、おどれはチャラチャラとナンパかぃぃぃ………」
「ちッ、違うんだってッ、これはナンパじゃなくて、
 お前を助けてくれた感謝の気持ちをだなッ!」
「感謝の気持ちで強姦罪に問われる人間がどこにおるかああああああぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
「ちょ、待…ッ! ジェシ………ごッ!? ぎゃッ!? ぐばッ!?」


※ここからは電波法に引っかかるような、衝撃のショッキングサスペンス描写となります。
自主規制のため、音声中継のみでお楽しみください。


「うわッ!? すげぇッ! 地獄突きだよ、オイッ! 俺、初めて見るぜ。
 ………ありゃヤベェな、首筋に危険な角度で決まったよ」
「…えっ? そ、そこで足を掴んじゃうんですか…っ?
 えええっ!? ジャ、ジャイアントスウィングですかっ!?」
「ほう! しぶいでちねっ!
 なげとばしたあとはかんぱついれない、むーんさるとえるぼーときまちたかっ!
 ぶらんちゃとおもわせておいてくろうどごのみのわざへいくとは、なかなかのてくにしゃんでちっ!」
「ありゃあ、ローリングクレイドルやないかっ!
 今日び使い手も少のうなった技やが、まさかこの目で拝める日が来るとはの………!」
「嘘ッ!? ローリングクレイドルからDDTなんて裏技アリッ!? 直撃よ、アレッ!?
 うわー………、ホークのヤツ、完全に白目剥いちゃってるわ………」
「起き上がり様、首を、両足で、挟んで………あわわわッ、フランケンシュタイナーだッ!?
 ―――って、ま、まだ続けるのッ!? あ、後ろから、引きずり起こして…、
 な…ッ! あ、あの構え、もしかしてッ!?」
「―――どっせぇぇぇえええイッ!!」
「「「「「「原爆固め(G・スープレックスホールド)だァ――――――ッ」」」」」」













―――さて、いささか説明が遅れたが、
ホークアイの足が生えるココは船の甲板の上。
それも、海の上を渡る船ではなく、砂の上を走るために設計された特殊な船舶、
【砂上艇(サンドシップ)】である。
帆に【ナバール魁盗団】の名が意匠化されたメインマストの下、
夜の帳が下りた【砂上艇(サンドシップ)】、“オアシス・オブ・ディーン”の上では、
かの義賊集団による盛大な宴が催されていた。


「おう、ケヴィン、アレやったれ、アレっ! 宴会言うたらアレしかあらへんでっ!」
「うん、オイラ、気分、すっごい、ノッてきた! ここでアレやらなきゃ、漢、廃るっ!」
「―――って、ちょっ、ケヴィンッ! なに服脱いでんのよッ!?」
「え? だって、『もののけ節』やるのに、服、着てたら、邪魔だから」
「は、はしたないですよ、ケヴィン…」
「………はしたないのはあんたしゃんじゃないでちか。
 はなぢしたたらせながらたしなめても、なんのせっとくりょくもないでちよ…」


ホークアイの帰還と、ジェシカの回復を祝う宴だ。
その首座に招かれたデュランたち五人(甲板の花と化しているホークアイ除く)と一匹は、
飲めや歌えやの大騒ぎに、最初こそ緊張していたが、砂漠の民の気風の良さにたちまち気をほぐされ、
ケヴィンに至っては獣人の間に伝わる『もののけ節』なる舞踊を披露するまでにリラックスしていった。
…一部、リラックスし過ぎという懸念もあるが。


「ホークの友人と言うから、俺はてっきり女ばかりかと心配していたが、
 どうしてどうして、同じ年頃の男との付き合いも覚えていたようだな。
 はっはっは、なによりなにより」
「いや、あいつが一番調子いいのは、女の前だけッスから、
 オヤジさんの心配は当たらずとも遠からずってところッスよ」
「全くもってどうしようもないドラ息子だッ!
 はっはっは! さあ、デュラン君、今宵はドラ息子を肴に、大いに呑もうじゃないか」
「ブッ潰れるまでお供するッスよ」
「おう、その意気や良しッ! 随いてこいッ!!」
「………あっちはあっちですっかりでちか………」


デュランの杯へ酒瓶を傾けながら、嬉しそうに顔を崩すこの男の名は、
フレイムカーン・ザ・“オアシス・オブ・ディーン”。
その名の通り、この砂上艇の船長であり、砂漠の海に根を張る義賊集団【ナバール】の頭目である。
鍛え上げられた褐色の筋肉にターバン、シャムシール(堰月刀)の佩刀という
砂漠の民の出で立ちは、見た目にも力強く、『強くなる事』を目的に武者修行をしてきたデュランが、
思わず手合わせを願い出てしまう程に精悍だった。
デュランは半ば本気で申し出たのだが、これも強さの証か、やんわりと断られてしまった。
そうした【大人】な態度もデュランにはたまらなく、酒が回る頃にはすっかりフレイムカーンの虜となっていた。
おかしな意味でなく。


「誰を肴にするってぇ?
 …カンベンしてくれよな、これ以上ジェシカにエサ与えるようなマネすんのは」
「エサっつーか、お前の素行不良が原因なんだから、自業自得じゃねぇか」
「おう、やっと復活したか、ホーク! お前の友人方から色々聴いているぞ!」
「たとえば宿へエロ本持ち込んだのがアンジェラにバレて、
 危うく焼死しかけた時の話とかな」
「おま…デュランッ、それ、絶対にジェシカに言うなよッ!?
 そんな事になったら原爆固めじゃ済まないんだからッ!」


ジェシカの猛ラッシュによって身体中を青アザだらけにされたホークアイが、
酒を酌み交わすデュランとフレイムカーンのもとへ、ヨロヨロと這いずってやって来た。
当のジェシカは、病み上がりのムチャが祟ったのか、ホークアイを始末したすぐ後、
貧血を起こして再び寝室へ引っ込んでしまった。
…つい数分前まで生死の境を彷徨っていた状態で大立ち回りを繰り広げたのだから、
貧血だけで済んだのを、むしろ喜ばなければならないのかもしれないが。


「てゆーか、なんだよ、人が陥没してる間になに意気投合しちゃってんだよ。
 俺の入る隙間も無いじゃん。ジェラシるよ、まじに」
「―――おッ! ケヴィンと言ったか、あの獣人の少年、面白い事を始めたなっ!
 こいつは馳せ参じないわけにはいかんなッ!」
「手加減してやってくださいよ。あれでも、俺の可愛い弟子なんスから〜」


素っ裸になって『もののけ節』を披露するケヴィンへ興味を引かれたフレイムカーンは
甲板でグロッキーしているホークアイを踏みつけにして、座興の中心へ踊り出した。
年甲斐もない陽気な後姿を見送りながら、デュランが自分の杯をホークアイへ差し出してやる。
中身はよく冷えた蒸留酒だ。
踏み台にされた背中の汚れを払って起き上がったホークアイは、
「駆けつけ三杯は基本だよな」と差し出された蒸留酒を一気に呷った。


「………安心したよ、ほら、サンドベージュ(砂塵色の鷲)の一件もあったから」
「イーグル………か。確かにな………」


ホークアイが落ち着きを取り戻した頃合を見計らって、デュランが切り出した。
砂漠の掟を、【ナバール魁盗団】を無断で抜け出した咎でホークアイは
イーグルから襲撃を受けたのだが、フレイムカーンから正式に認可を得て出奔した彼には
身に覚えのない濡れ衣だった。
その証明に、こうして一行は“オアシス・オブ・ディーン”へ招かれ、歓待を受けているのだ。


「砂漠のド真ん中へ放り出された時は焦ったよな。
 お前にも行き先の見当がつかねぇとか言いやがるから」
「ヒヤヒヤしたのは俺のほうだっつのッ!
 刺客を寄越して俺を消そうとしてる“オアシス・オブ・ディーン”が
 通りかかった時ぁ、俺、もう終わりだと思ったもん」
「あー、なんかグダグダ言ってたよな、お前。
 ホントはこっそり忍び込むつもりだったとか、真正面から乗り込んだらアウトだとか」
「………うっせぇ。もうヘタレでいいよ」


イーグルとの一件もあり、脱走者としてかつての仲間から追われる立場にあると
考えていたホークアイは、根城の砂漠へ戻ってきたと言え、
果たして無事にジェシカのもとへ辿り着く事ができるのかずっと危惧していた。
個人的な理由で仲間たちを危険な目に遭わせる事なりはしないか、と。


「―――お前の仲間が歓迎ムードとなると、ますますわからねぇな」
「………ああ」


ますます理解に苦しむ。
どうしてホークアイを【ナバール魁盗団】の裏切り者と目して襲い掛かってきたのか、
今はルサの転送魔法によって遠い彼方へ飛ばされたイーグルの真意が解らない。
錯乱しているとしか言いようのない、イーグルの真意が。


「誰かに操られていた、とは考えられないかな」
「“誰かに”か………心当たりが多過ぎて検討つかねぇぞ、オイ」
「だよな〜………まず疑わしいのはあのヘンタイ【魔族】どもだろ、
 それからシャルのダンナも怪しいよな。
 あのテの顔は、他人の精神(ココロ)を踏みにじるの、絶対好きそうだもんな」
「おう、なんの心当たりが多過ぎるって?
 ホークを路上で狙う、スキャンダラスな女性の皆様の事かな?」
「………あのさぁ、オヤジは俺をどんな目で見てるわけ?」
「言いえてズバリじゃねぇか。理解ある頭目持って幸せだな、ホーク」
「うむ、デュラン君、キミは本当に俺好みの反応を返してくれるな!
 さあ、呑もう、ドンと呑もう!」
「ウス、ヘベレケんなるまでお付き合いしまスよ!」
「………勝手にやってろ、酔っ払いめッ!」


郎党から【オヤジ】と愛称されるフレイムカーンが
騒ぎの中心から離れたところで酒を酌み交わしていた二人のもとへ上機嫌で戻ってきた。
どうやら勢い余ってケヴィンの『もののけ節』へ便乗してしまったらしく、
引き締まった半裸体をフンドシ一丁になって披露している。
六尺のフンドシへはシャムシールが強引に差し込まれていた。


「何時も得物を離さない…剣士の身だしなみだな」
「お前、オッサンの濃ゆいスネ毛がカワイ娘ちゃんのおみ足に見えるような、
 未来コンセプトのコンタクトでも付けてんのかっ?」


蓄えた口ひげの片方がチリチリに焼け焦げているのは、
オッサンの酒癖の悪さに大顰蹙を上げたアンジェラの仕業だろう。
そんなホロ酔い気分のオッサンのどこに感動する箇所があるのか見つけられないホークアイには、
感銘を受けたようなデュランの様子は気色悪いだけだった。


「お前にはオヤジさんのハートが理解できねぇのかっ?
 こいつめ、本当のドラ息子じゃねぇかっ!」
「俺にはそうやって汚いスネ毛をキレイに脳内変換できる、
 お前の頭の巡りが理解できないって―――って、うん?
 ………なんだ、この甘ったるい匂いは」


ほのかに、甘い香りが鼻へ飛び込んできた。
脳を蕩けさせるような甘い香りは、てっきり料理から漂う物かと勘違いしてしまいそうだが、
砂漠の民の料理は香辛料を数多く盛り込むため、鼻先と胃袋を強く刺激する。
この包み込むような香気の発生源は、もっと別の何か―――


「―――やべぇッ! おい、みんなッ、今すぐ息を止め―――」


―――『止めろ』と警告を最後まで言い終える前に、
凄まじく早い一閃が言霊を薙ぎ払った。
香気から身を護るために慌ててスカーフで覆った口先スレスレで閃いたその電光は、
フレイムカーンのシャムシールが放った物だった。






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