アンジェラとカールにとって、リースの戦い方を思い浮かべれば、
もっぱら【プロキシ】を介さない精霊の直接使役による高純度の魔法ばかりで
直接、銀槍【ピナカ】で立ち回る機会は、思えば数える程しか見た事がない。
ともすれば銀槍は魔法の媒介程度で、実は不得手なのではないかと疑っていたくらいだ。
しかし、【イナーシャルキャンセラー】によって魔法を無効化されるこの戦場において、
リースは常時の戦闘力を幾分も削ぐ事なく銀槍を振るって激闘を繰り広げる。


「吹けよッ!! 【ミラージングテンペスト】ッ!!」


リースが繰り出す銀槍は、デュランのパワーアタックとも、
ホークアイやケヴィンのスピード殺法とも異なる武技―――長いリーチを最大限に生かした、
対多数相手にこそ力を発揮する槍術だった。
槍の底『石突き』で突き崩し、長い柄で縦一文字に叩き、横一文字に足元を払い、
【ミラージングテンペスト】…竜巻の如く槍を旋回させて弾き飛ばす技を最後に、
十倍近い手勢をあっと言う間に打ちのめしてしまったのだ。


「さあ! 急いで獣人王さまの後を追いましょうッ!!」


いとも容易く最後の一人を跳ね飛ばしたリースの鮮烈な勝利には、
あまりの強さにポカンと傍観していたアンジェラもカールも
無意識の内に拍手を送っていた程だ。


「っとと、こんなボケかましとる場合やないッ!!
 せや、リースの言う通りや。早くケヴィンんトコへ駆けつけないと、
 えらい事になってまうからなッ!!」
「ええ、急がないとケヴィンが本当に殺されて………」
「ちゃうッ! そんなんやないッ!!」


今も目の前にまざまざと残る獣人王が踏み込んだ破壊痕にリースは
ケヴィンの生命を危ぶんでいたのだが、
どうやらカールの心配は別のところへあるようだ。


「ケヴィンが本気になってもうたら、それこそ取り返しの付かない事になるんやッ!!」
「な、なんで? 本気出せるなら悪いことじゃ………」
「走りながら説明したるッ!!
 ワイがおらんくて、あいつがブチギレたら、どうなってま―――」
「って、なッ、なにアレッ!?」


―――この光景を、果たしてデュランたちも見上げているのだろうか。
獣王人の覇気によって吹き飛ばされた森のカーテンから覗ける夜空の満月には、
互いに全力の蹴りをぶつけ合う、二人の【格闘士(グラップラー)】が写しこまれていた。













三局の戦いの最後の一つを語るには、ケヴィンが跳ね飛ばされた直後まで遡る。


「どうした、この程度の物なのか?
 ………お前が我らを裏切って手に入れたチカラとはッ!」
「く………ッ!!」


烈髪が逆巻くほどに全身から闘気を発して迫り来る獣人王の前に、
ケヴィンはなす術も無く膝を折った。
裏切ってはいないという必死の弁解も届かず、闘う事を余儀なくされたものの、
ここで拳を振るうという事は、【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】への謀反を認めた事になる。
叛意を立証するには拳を下げるしかない。
下げるしかないのだが、そうすればたちまち瞬殺されるだろう。
このアンピバレンツがケヴィンの心に迷いを生み出し、普段の半分も実力を発揮できずにいた。


「話、聴いてくれ、御大将………、………父さんッ!」


―――そう、まして相手は実の父親なのだ。
心優しいケヴィンが、血を分けた家族に対して本気で闘いに臨めるはずもない。
優しさが拳を鈍らせ、繰り出す技の全てを封殺されていた。


「フンッ! 不逞の輩に肩入れしたばかりか、泣き言に肩を震わせるのかッ!!
 父さんだとッ!? 貴様などは既に勘当しておるわッ!!」


木々を震わせる咆哮が上がるにつれてケヴィンの心から、
苦難へ立ち向かうだけの勇気が削ぎ落とされていく。
拳を鈍らせる要因は、どうやら優しさゆえの迷いだけではないらしい。


「………………………オイラの話、なんで、聴いて、くれないんだ?」
「言葉などは無用ッ!! 真に己が潔白と訴えるならばッ!!
 拳で語ってみせよッ、ケヴィンッ!!!!」


【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】局長の息子として、
ケヴィンが課せられた試練と修練は、他の隊士よりも凄絶極まるものだった。
周囲からかけられる期待に応えるべく、ケヴィンは誠心誠意研鑽に励み、
血が滲んでも、他の誰に勝ってもまだ足りない、まだ足元にも及ばないと
苛烈なまでの強さを求められてきた。
それでも弛まず修行を積み重ねてきたからこそ他の誰よりも武技に優れ、
精鋭揃いの八番組長を負かされるまでになったのだ。
しかし―――




(勝てっこ、ない…だって、相手は、父さん、なんだぞ………)





―――しかし、そんな彼の眼前には常に獣人王の、父の背中が聳えていた。
どれだけ強くなっても勝てない、絶対存在の背中が。
誰よりも近くで幼い頃より絶対の力を目の当たりにしてきたケヴィンには、
父の存在は強迫観念となって圧し掛かってくる。
勝てるわけが無い―――と『躯』が無条件の内に敗北を受け入れてしまっているのだ。
敗北を享受してしまった心で勝てるほど、闘いの世界は甘くはない。


「それが限界かッ!? 外の世界で何をしてきたのだッ!?
 怠慢に諸国漫遊を行脚してきただけかッ!! それでは潔白を証明するなど夢幻の如き朧ッ!!
 貴様の弱さがッ! 貴様の罪をッ!! 如実に証明しておるのだッ!!!!」


それを見抜いた獣人王は、拳で、蹴りで、更には責めの言葉でケヴィンを追い立てていく。
容赦など一切無い。父から子への恩情も何も無い、罪人を鞭打つような猛襲だ。


「………もう一度、言う。オイラ、みんなを裏切ったのと、違う。
 見ず知らずの人、助けようと、飛び込む、リースの優しさ、
 仲間の危機、自分の身体一つで、庇おうとした、師匠の勇気、
 オイラ、とっても、まぶしかった!
 【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】には無いまぶしさ、
 その秘密、知りたくて、オイラ、みんなに随いていったんだ」


ケヴィンがデュランと師匠と慕い、危険な旅を共にする理由―――………
【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】の輪から外れてまで
旅に同道したのは単なるお人好しはなく、彼なりに考えた末の行動だったのだ。


「そこで、オイラ、いろんなもの、体験した。
 命がけの闘い、たくさん、あった。みんな、死にかけた事も、あった!
 でも、最後は、笑顔でいられる! そのチカラの秘密、知りたくて!
 だって、そのチカラ、わかれば、きっとオイラ、もっと強くなれるからッ!!
 だから、オイラ………ッ!!」
「それで? それでなんだと言うのだ?
 いくら言葉巧みに包み隠しても、貴様が犯罪者と逃亡した現実は覆せぬわッ!!
 優しさ? 勇気? くだらぬッ!! 貴様はそんな紛い物を求めて裏切ったというのかッ!!」
「―――もう一度、言ってみろッ!!!!」


一生懸命に語られる真摯な想いをも踏みにじった獣人王へ、
一瞬だが、それまでとは比較にならない程の爆発的な瞬発力と破壊力を
発揮したケヴィンの拳が伸びた。
難なく受け止められても、ケヴィンは牙を剥き出しにして追いすがる。


「オイラを、裏切り者扱いするのは、いいッ!!
 けど、みんなをッ! みんなの心をバカにするの、絶対に許さないッ!!」
「情に絆された貴様が許さぬ、などと大層な口を聴くものではないわッ!!」


その行為が邪魔だと言わんばかりに息子の腕を掴んだ獣人王は
ゴミでも投げ捨てるような仕草で無造作に雑木の中へケヴィンを放り捨てた。
抗う間もなく投げられたケヴィンだが、今度は空中でバランスを整え、
綺麗に着地し、そのまま姿勢低く構えて次なる一手への備えに移った。
最早なんの迷いも躊躇いもなく、鋭く牙を剥いている。


「………いいだろう、ケヴィン。
 貴様がのたまう優しさも、勇気もッ!! 貴様の目の前で引き裂いてくれるわッ!!」


罵詈雑言で仲間を貶められ、更に突きつけられたのは死刑宣告。
勇気と優しさを教えてくれる、愛しき友を引き裂くという無常の宣告は、
誰よりも情に厚いケヴィンにとって、決定打であり禁句であった。


「………………待て………………ッ!!」


宣告通りに刑を執行すべく背を向けて元来た道を戻り始めた獣人王の眼前へ、
気配も、目測も読めないほどの速度でケヴィンが回り込んだ。
残像に続いて、烈風が彼の軌跡を撫でていく。
烈風には何かが混じっていた。


「怒るか、ケヴィンッ! ワシに牙を向けるかッ!!
 そうだッ!! 怒れッ!! 己の身を焦がすほどにッ!!
 お前の目の前にいる男はお前の大事なモノを破壊せんとする悪魔ッ!!
 怒って倒せッ!! 倒してみせろッ!!」


まるで電流のような何かは、烈風を立てたケヴィンから発せられている。
バチバチ、と耳を劈く音を奏でながら爆ぜるスパークは黄金に輝き、
その眩さはケヴィン本人の昂ぶりに呼応して激しさを増していった。


「ヒトを超えッ! 獣を超えッ!!
 黄金の牙を剥く凄(スサ)の化身となるのだッ!! ケヴィンッ!!!!」


ルゥオオオオオオオオォォォォォォォォォ………―――


月下の死合いを激震させる吼え声を上げるケヴィンの髪は黄金色に逆立ち、
まるで雷火を纏う百獣の王が如き神々しさと荒々しさを象っている。


「【アグレッシブビースト】ッ!!
 貴様如きに御せるか否か見極めてくれるわッ!!」


極限まで高まった怒りが弾け、野生の魂を覚醒させたケヴィンに倣うかのように、
獣人王までも百獣の王の威容へとシェイプ・シフトした。
黄金の闘気は互いに共鳴し、更に熱く、更に眩く猛威を巻き上げていき、
ついには夜を照らす突然の太陽さながらにまで達する。


「来いッ!! 貴様が我らが元を離れて今日までその手に掴んだ全てッ!!
 ワシにぶつけてみせよッ!! 今こそ超えてみせよ、ケヴィンッ!!!!」
「行くぞッ!! クソ親父ッ!!!!」


激震と共に大地を蹴って翔け上がった両者の攻防は満月を背にして、
凄絶に、激烈に、白熱に夜空で十字に交錯し、爆発した。













ここで時間は元に、アンジェラが決意を固めて駆け出したところへ至る。


「えーっと………あれは、………何?」
「【アグレッシブビースト】………ッ!! 獣人の間に伝わる伝説の闘術やッ!!」


満月に映った親子闘戯に思わず立ち止まり、
見上げた光景のあまりの凄まじさに呆然と固まってしまった二人へカールが説明するには、
【アグレッシブビースト】とは、獣人の魂が限りなく野生へ立ち戻った時に発動される
一種のハイパーモードのようなもので、もともと極めて高い身体能力が普段の十倍、二十倍へと
爆発的に増幅されるのだと言う。
最大の特徴は、絶え間なく全身から黄金の闘気を放射するようになり、
それに合わせて髪の毛も逆立ち、黄金色に染まる―――との事だった。


「ケヴィンに本気を、【アグレッシブビースト】を使わせんように
 サポートするのがワイの使命なんやが…!」
「でも、本気を出しているということは、
 少なくとも獣人王さまにケヴィンが斃される危険性は…」
「せやから言うとろーがッ! ありゃあ、そないに甘いもんとちゃうッ!
 お前さんらはケヴィンの【アグレッシブビースト】の凄まじさを知らんから
 そないに呑気に構えていられるんやッ!!
 アレが起爆されたからには一刻も早く止めんとここら辺一帯根こそぎブッ飛ぶでッ!!」
「ウソ…でしょ?」
「おまけに御大将まで【アグレッシブビースト】になっとるッ!!
 断言してもええッ!! あと五分で二人を止められなんだら、
 この辺一帯どころやない、世界の三分の一は間違いなく壊滅してまうでッ!!」


聴けば聴くほどウソ臭く、傍で聴いていればまるで子供だましのジョークだが、
カールの焦り方は冗談を言っている様子ではない。


「………あながち大袈裟ではないかも知れませんね………」
「っていうかッ! アンタやマサルとはまた別の意味で
 自然界の常識を超えちゃってないッ!? なんで急に金髪になるのッ!?
 どうすりゃ地上数十メートルもカッ飛べるよーになるわけッ!?」
「だから言うとるやろッ! それが【アグレッシブビースト】なんやッ!!」


実際、天空の交錯の後に二人が着地したと思われる地点からは
局地的な地響きと黄金の閃光が絶えず走っている。
極大質量の爆弾が連爆したような衝撃がこれ以上続けば、
カールの言葉そのままに間違いなく周囲一帯が焦土と化すだろう。


「とにかくッ! 事は急を要するって事ねッ!!」
「飲み込みが早うなってきとるやないかッ!
 せやッ! 全力疾走で行くでぇッ!!」


一刻も早く二人を止めなければならない、と全速力で駆け出したアンジェラとカールを、
なぜかリースはその場に留まり見送った。


「………いつまでも隠れていないで姿を見せてはどうですか?
 潜んでいるのは解っています」
「―――それはありがたい限りですねェ♪
 ワタクシとしましても、
 ウジウジ息を潜めているのは性分に合わないものですから♪」


暗闇を引き裂いて、道化師の嘲笑がケタケタと響き渡る。
微かな気配を察知したリースは、アンジェラとカールにケヴィンを任せ、
二人を護るべくこの場に留まったのだ。
………それこそが、道化師の狙いとも知らずに。


「そんな気前のよろしい貴女に心ばかりのお礼でェす♪」
「―――え? きゃっ!?」


どこまでも人を虚仮にしたような嘲笑へ痺れを切らし始めたリースの足元から
何の前触れもなく何羽もの真っ白な鳩が飛び上がり、彼女の視界を奪う。


「危ねぇッ!! リースッ!!」
「おっほほほ♪ もう遅うございまァすよォ♪」


想像や予想といった人間の限界の隙間へ入り込む奇術に幻惑され、
張り詰めた警戒を一瞬解いてしまったリースの背後から道化師の鎌が一閃した。
駆けつけてきたデュランの悲鳴も空しく、大鎌は一薙ぎでもってリースの―――


「え………?」
「はァい、確かに【太母】サマの御徴(みしるし)、頂戴しましたよォ♪」


―――リースの美しい髪を一束ね刈り取り、
そのままケタケタと嘲笑を引きずりながら闇夜へ姿を眩ました。
ケタケタケタケタと、いつまでもいつまでも耳障りな嘲笑をこだませて。


「大丈夫かッ!? どこもやられてねぇのかッ!?」
「は、はい、怪我自体は無いのですけど………」
「本当なんだなッ!? 痛ぇところとか無ぇんだろうなッ!?
 ヤセ我慢なんかしてやがったら怒るぞ、俺ぁッ!!」
「あ、あの、デュラン…?」
「くっそぅ…ッ! 俺がもっとしっかりしてりゃ、
 こんな不覚を取る事には無かったってのに………」
「お、落ち着きましょう? デュラン。
 私は、だからどこも悪くないんですって」
「けどよ、もしかしたら今のでお前をやられてたかも知れねぇじゃねぇか!
 もしもそんな事になってたらって考えたら、
 落ち着いてなんかいられねぇ…ッ!」


取り乱したように狼狽しながらリースの状態を確かめるデュランに
少し落ち着けと珍しくホークアイが諌めのツッコミを入れた。


「ミシルシがどうのって言ってたけど、アイツになんか奪われたもんとかある?」
「いえ、何も………ただ、髪の毛を少しばかり切り取られはしましたが………」
「なんだそりゃ?」
「へっ、なんだよなんだよ、大口叩いた割に、奴さん失敗してんじゃないの。
 髪の毛なんか持って帰ってどーするってんだい!」


刹那へ割って入った混乱に目をパチパチと瞬かせるリースを囲み、
男二人が安堵の溜息を漏らす傍らで、
ただ一人シャルロットだけは道化師が跳ねて消えた闇の方角へ鋭い眼光を向けたまま、
何事か思案に耽っているようだった。



「………かくて、【さんかい】のあるじに【たいぼ】のあかし、わたる…でちか………」


緊張を孕んだ呟きの意味する物は、まだ、誰も知らない………………………。






←BACK     【本編TOPへ】     NEXT→