伝説にその称号を残す英雄【ジェマの騎士】までも擁する
【草薙カッツバルゲルズ】にとって、
マサル・フランカー・タカマガハラという男は実にイレギュラーな存在だ。
デュランとの友情から共同戦線に名乗りを上げた点は唯一認められる箇所だが、
それ以外はつとに常軌を逸脱している。
ミーティングの場を持てばすぐに愚にもつかない駄話を切り出して脱線させるは、
なにかにつけて【超激怒岩バン割り】なる奥義でもって問答無用に全てを爆砕させるは、
頭を抱えたルガーの溜息ではないが、どう考えても獅子身中の虫でしかない。
そもそもリースを守りながらの戦いにおいては【三界同盟】の眼を逃れる事がまず先決。
悪目立ちなど持っての他…にも関わらず、シンボルとも言える旗まで勝手に用意し、
仲間たちを大いに困惑させてくれる。
これでは敵に居場所を教えているようなものだ。


「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」


そんなボケかましのマサルにも呆れて絶句する時はある。
一つは、学問にまつわる問題を振られた時(おつむは致命的に足りないので)。
もう一つは、敵として相対している相手が不意に、
それも呑気にフォーマルな普段着で現れた時だ。
祭りの風物詩ともいえる綿菓子やお面といった、
明らかに露天で買い求めた物を両手で抱えているとなれば、
絶句の深度はなおさら底抜けとなる。


「お、お前ェら、なにやってんだ?」


いつもは呆れられる側のマサルが呆れたような声を
出しているだけでも衝撃的なのに、目の前の人々はもっと衝撃的だ。


「き、貴様こそ、こんな往来で何をしているっ?」


耽美な顔立ちを羞恥に染めて精一杯虚勢を張ってみるものの、
永世中立国にはまるで不釣合いな浴衣着用で、
しかも帯に団扇やらお面やらを差込み、
片手に綿菓子の袋という出で立ちでは威圧感のカケラも無い。


「つかよ、お前ェら、なんか別な祭りと勘違いしてねぇか?」
「そ、そんなわけあるものか!
 これこそニンゲンの執り行う祭りの正装であると盟主様がたが
 直々にご用意してくださったのだぞッ!?」


同じ『祭り』でも、実に見当違いの恰好をしてきたものだと引きつっていれば、
どうやら敵組織の上層部が支給した逸品(常軌を“逸”脱した物という意味での)らしい。






(ワケわかんねぇ連中とは思ってたが、…こいつらの天守閣、案外ヤベェんじゃねぇか?)






マサルの【三界同盟】への見方は、それまでの“悪の秘密結社・強大な敵”から、
この巡り会いのお陰で凄まじく一変した。
マサルに危ぶまれるという事は、極めて異例であり、
それだけ危険度数の高いモノと断じざるを得ない。


「くッ、な、なんだその眼はッ!? 我らを愚弄するつもりかッ!?」
「侮辱なんかするもんかッ!
 俺は純粋にお前らの頭が大丈夫かって心配してるんだよッ!」
「なんだとッ!? 貴様、盟主さまを何だと心得ているのだッ!?」
「そーゆー“頭(ヘッド)”じゃなくてだなッ!
 つまり、お上の命令通りにホイホイとTPOもセンスもあったもんじゃねぇ
 コスプレに従えるお前ェらのおつむを心配してんだッ!!」
「なにが侮辱していないものかッ! 十二分に我らを虚仮にしているではないかぁッ!!」


傍目にはアホの戦いである。
珍しく飛び出すマサルの正論に
いちいち歯軋りしてヒステリーを返す邪眼の伯爵という取り合わせは
このまま広場の屋外ステージへ持っていけば
コントショーとして成立しそうなくらい間抜けで、
大いに集客のツールとして利用できそうだ。


「最早我慢の限界だッ!! 今ここで八つ裂きにしてくれるッ!!」
「おぉッ!! やってみやがれ、このコスプレ野郎ッ!!
 てめえなんか【超激怒岩バン割り】で骨のズイからお仕置きしてやンぜッ!!
 ―――ぬぅあああぁぁぁぁぁぁッ!! くらいやがれッ!! 超奥義―――」
「は〜い、そこまでそこまで。
 老若男女パンピーが楽しむ祭りの会場で刃傷沙汰は無粋というモノじゃあないですか」


コントショーと笑うには尋常でないくらいに殺気立ってきた二人の間に
ヒースが割って入った。
彼もまた邪眼の伯爵と同じく浴衣を着ての登場だが、
こちらは更にその上に白衣を羽織っており、奇妙キテレツさでは数段上と言える。


「あ? てめえもコイツらの仲間かッ!?」
「そういえば貴方とは初対面でしたねぇ。
 …では、改めまして。
 【三界同盟】にて七連宿【セクンダディ】の一人を仰せつかっております。
 ヒース・R・ゲイトウェイアーチと申す者ですよ」
「あッ!! 聴いてるぞ、アンタッ!! シャルのダンナじゃねぇかッ!!」
「ああ、みなまで言っていただかなくとも心得ておりますよ。
 皆さんの間で私が『ロリコン野郎』とか『堪え性ゼロのヒカルゲンジ』とか
 クソミソに罵られているのはね。ええ、想像に難くありませんよ。
 しかし、考えてみてください。うちの家内の実年齢は150歳。
 世間一般で言うところのロリコンには当てはまらないではないですか?
 そりゃあシャルは無垢な天使のように愛らしいのは認めますよ。
 もっと根本的な事を申し上げるならば、愛には色々な形があって然りと―――」
「このままではラチが開かん!
 開かんが、確かに祭事を汚すは美学にも劣る蛮族の所業か」
「おおよ、オレだってそんな無粋なマネはしたかねぇッ!!
 だったらこいつでカタつけようじゃねぇか!!」
「むぅッ!? な、なんだそれはッ!?」
「へッ、祭りで決闘と言やぁコイツで決まりよッ!!」


恐ろしいほどのマイペースで愛妻自慢を始めたヒースを
完全に黙殺したマサルと伯爵だが、彼の言う事も一理ある。
耽美な容貌からして美醜にこだわる伯爵と、粋を好むマサルの双方が
納得の上で決着を果たせる場所に選ばれたのは―――


「【第一回チキチキ金魚すくいデスマッチ】に決まりだぁぁぁああああああッ!!」


―――由緒正しきかどうかはマサルの独断と偏見が
多分に含まれているので隅へ捨て置くが、
確かに周囲を巻き込むガチンコよりずっとも安全に、
祭りの風紀を乱さず戦えるというものだ。
こうして決戦の行く末は、露店名物【金魚すくい】へ持ち越される運びとなった。













「―――っかしいわねぇ、どこほっつき歩いてんだか………」


【ガルディア】挙げての結婚式典でまず間違いなく目玉になるだろう
祝賀パレードの舞台となる【リーヤの広場】には軒狭しズラリと露店が立ち並び、
露店の十倍以上の人だかりが津波のごとく寄せては引いてを繰り返していた。
そうした混沌ならば、行動を共にしていた人間とはぐれてしまうのもよくある類例で、
取り立てて問題にするほどの事では無い。


「仲間同士の輪を平気で乱す調子で統率の取れた【三界同盟】を向こうに回すなど
 土台無理な話ではなかったかしら………っ」


だが、【ジェマの騎士】の従者を務めるプリムに限っては、
やや神経質を思えるくらいに団体行動において
統制が整えられていなければ気が済まない性分らしく、
呼び出しのアナウンスや【モバイル】など、八方手を尽くしても発見できない片割れ、
アンジェラに対する苛立ちを募らせている。


「―――あーッ! やっぱ人ごみの中だと通信の状況が悪いッ!!」


【モバイル】で何度目かの交信を試みるも、コールの途中で通信が途切れてしまい、
それが余計にプリムの苛立ちを逆撫でした。
はぐれた際の集合場所を指定しておかなかった自分の迂闊さと変化の手立てが見られない現状に
腹が立って仕様のないプリムが奇妙な光景へ出くわしたのはそのすぐ後だった。


「あなたたち、何をやっているの?」
「あ、プリムっ!」
「よっ! プリムの姉ちゃんもどうよッ?」


【リーヤの広場】の片隅に巨大なオブジェを発見したプリムは、
まず間の抜けたフォルムに目を引かれ、次いでその巨体の膝元で
ヤンヤヤンヤと歓声を上げる子供二人(+疲労の濃い保護犬)に気が付いた。


「どうよって言われても…、コレは何?」
「見てわかんないの? 姉ちゃんの目も案外フシ穴だねぇ」
「これ見て何かわかるアンタの目のほうがどうかしてるわよ」
「オイラたち、今、カラクリ、作ってるんだ!」
「カラクリ………ねぇ」


カラクリとは単純な構造の歯車で動作する機械の総称であり、
主にお茶組人形や自動演奏するピアノ等、その指向性は殆ど娯楽に定められている。
ルッカのカラクリもその体系に属する物で、先ほど巨大なオブジェと見間違えたそれも、
どうやら人形細工の一週らしい。
接近して観察すると、人間で言うところの四肢が伸びきっている。


「【ガルディア王国】では、これでもカラクリ小町と呼ばれてるんですよ、私」
「あなたは…?」
「カラクリ小町も捨てがたいですが、無難にルッカと本名で呼んでやってください」


少し遅れてパツンパツンに大量の工具を詰め込んだリュックを背負って
ルッカが姿を現した。


「そう、ルッカさん。
 どうやらこの子たちが迷惑をかけているようね。申し訳ないわ」
「とんでもない! 迷惑をかけているのは私の方なんです!」
「そーそー! オイラたちを捕まえりゃあ、
 一にも二にも悪さばっかしてると思わないで欲しいんだよな〜」
「オイラたち、ルッカさん、手伝ってる。
 今夜、結婚式の、祝賀パレード、あるでしょ?
 そこで、ルッカさん、カラクリ芸、披露する。
 そのための、最後の調整、オイラたち、手伝ってるんだ!」
「………っちゅうワケや。
 知らん人にいらん世話焼くな言うてもコイツらまるで聴かんし。
 丁度ワイもお手上げ通告したとこやったんよ」
「―――って、な、なぜ急に泣き出すのかしらっ?」
「あ、あああぁぁぁ、すみません!
 私、琴線が人一倍緩いもので、ついつい感動の涙が………」


人前で突然泣き出す人間など、まるで大衆に媚びているようで
平素のプリムには唾棄したくなるような人種だが、そこは今日のお日柄。
国を挙げての慶事だ。






(―――“結婚式”という単語を聞いた途端に落涙したけど………。
 国民として心から王女の結婚を喜んでいる、という事なのかしら?)






ケヴィンとポポイのまるでらしくない人助けと同じくらいに
なんとも不思議な落涙の背景をそう推察し、締めくくったプリムは、
ハタと一瞬忘れていた苛立ちを改めて瞬間沸騰させ、
任された区画にカラクリを設置していく三人と一匹へ訪ねた。


「一緒に祭りを回る内にはぐれてしまったのだけど、アンジェラを見なかったかしら?」













リースが静かな寝息を立て始めた頃、
慣れない状況と胸の鼓動もだいぶ落ち着いたデュランの意識は
柔らかな右手の体温でなく、窓の外の祭り騒ぎに向けられていた。






(約束しちまった手前、ココを離れるわけにはいかねぇが、あんな会議の後だ。
 気分転換に一杯ひっかけてぇんだけどなぁ………)






祭りとくれば祝い酒に各種露店の食べ物。
窓を閉め切った部屋にも香ばしい匂いが漂ってきそうだ。
昼食も返上して会議に出席させられていたデュランは、
腹の虫もストレスも限界に達しようとしていた。
とはいえ、ここで握った手を離せば、せっかく寝付いたリースを起こしてしまうし、
デュラン自身も何故か惜しい気持ちに満たされる。
酒を飲みたいけれど起こすわけにもいかない。
二律背反のジレンマにデュランが「畜生」と頭を抱えていると、
不意にコンコン、と控えめなノックが木質の戸板を打ち、ドアが開けられた。


「さすがはデュラン様ですね。
 すっかりリース様も安心してお休みになられたようです」
「あ、あんた………」


軍議を終えたホークアイかランディだろうと踏んでいたデュランは
予想すらしていなかったその訪問客に、思わず呻いて絶句した。


「ご安心ください。今日はオフの日ですので、一切任務抜きの訪問です。
 ………? どうかされたのですか、デュラン様?」
「い、いや、べ、別に………」


ドアの向こう側から現れたのはライザその人だった。
と言っても、以前に砂漠で対決した時と異なり、甲冑は身に着けてはいない。
淡い色合いのツーピースの出で立ちに清楚な色香を感じたデュランは、
眠っているとは言えリースの目の前にも関わらず、ドギマギと言葉を詰まらせてしまう。
今時天然記念物さながらに、本当の本当に女性慣れしていないのだ。


「―――って…オフだぁッ!? 【三界同盟】にはそんなモンもあんのかよ?」
「“悪の秘密結社”を気取ってみても、中身は人間社会の組織と大差はありません。
 一年まるまる勤続するのは不可能です。休暇も賞与も当然用意されていますよ」
「はぁ………、なんつーか、訊かなきゃよかったような小ネタだな。
 どんだけ大仰な相手かと思えば、その実態は中小企業とおんなじかよ………」


こちらは軍議まで開いて万全の攻略体勢を整えているというのに、それはどうなのか。
拍子抜けしてしまう【三界同盟】の内部事情にデュランは苦笑を通り越して
虚脱感を覚えるくらいだった。


「人間ですもの。みな、時には羽根を休める日も必要です。
 明日に向かって力強く飛び立つための息抜きは堕落とは違います」
「その訓戒は【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】の連中に
 説法してやってくれや、訥々と。
 あいつら、血の気が多いは軍議は長いは、
 年がら年中アドレナリン全開でこっちまで熱気にあてられちまう」
「………休息が必要なのはデュラン様も同じようですね」
「………?」
「毎日へ一所懸命に打ち込むあまりストレスが溜まっているのでしょう。
 具体的な対象への愚痴が多いというのは、心が疲弊している証拠です」
「………………………」


ストレスが溜まっていないといえば嘘になる。
和解と協力を取り付けたとは言え、騙し討ちに付き合わされた挙句、
永続するのかと錯覚するような軍議の席に座らされて、
その上「もっと頭を使え」などと専門外の能力を強いられてはたまったものではない。
だからこそ、美味い食事と酒で疲れを癒したいと
窓の外の祭り騒ぎへ渇望の意識を飛ばしたのだ。


「………あんた、よくわかるな、これっぱかのダベりで」
「デュラン様よりも私には人生において一日の長がありますから………」
「そっか、…すげぇな、なんか………」
「優れた技術というわけではありませんよ。
 己の碑文へ経験を刻む内に、これはおのずと備わる物です」
「それでも、やっぱすげぇよ。今の俺じゃとてもマネできねぇよ」


誰にも悟られずにいた心の疲弊を、他愛のない会話から看破してしまうライザに
デュランは感嘆の溜息を漏らした。
【大人】の余裕と器量を全身から漂わせるライザに、デュランは人間的な憧憬を抱いていた。
合法磊落なフレイムカーンにも当てはまる事だが、自分の周囲にいないタイプの【大人】に対して、
彼は素直な尊敬と憧憬を抱く傾向がある。
気に入らない相手にはとことん噛み付き、【狂牙】と畏敬されるまでに悪ぶるデュランの、
根っこの部分に息づく健全な人格と教育者の手塩がそこから透けて見えた。


「ですから、ここは私に預けて、ゆっくりと骨を休めてきてください」
「え………? あ、いや、それはできねぇよ。
 そりゃあんたの申し出はありがてぇんだけど、俺、こいつと約束しちまったし…」
「このままこうして傍にいる、と?」
「………盗み聞きしてやがったな………いい大人が趣味悪ぃぞ………」
「良識ある大人だからこそ、過ちが起こらないように監視する義務があるのですよ」
「なんだよ過ちって………」


“過ち”が意味するところを察して赤くなったデュランの右手に、
リースの温もりを包む右手に、そっとライザの右手が重ねられた。
突然妙齢の女性に触れられて思い切り緊張する女性免疫の無いデュランの耳元へ
いたずらっぽくライザが囁いた。


「あなたの温もりは、私が引き継ぎます。
 リース様には私から取り成しておきますから、どうぞそっと抜け出してくださいな」
「そ、そうは言われてもな………」


任務一切抜きのオフとは言え、リースの家族とは言え、
目の前のブロンディはれっきとした敵対勢力【三界同盟】の一員だ。
リースとの約束以前に、このまま二人きりにしてしまって良いものか、
さすがに躊躇するものがある。


「………ん………っ」


一瞬波立った躊躇は、次の瞬間には完全に立ち消えていた。
寝返りを打つリースを見つめるライザの眼差しが、
どこまでも優しく、どこまでも母性に満ちていたから。
これ以上、デュランには彼女の悪意を疑心暗鬼する必要は無かった。


「―――わかった。ここはあんたに任せるよ」
「………お察しいただき、感謝します、デュラン様」


おそらくライザは、斥候かに何かから聞きつけたリースの不調を心配し、
貴重な休暇を削ってまで駆けつけてくれたのだ。
そうでなければ、いくらリースの家族と言えど、
単身で敵の懐へ飛び込むなどという危険を冒すとは思えない。
そんなライザの愛情をどうして疑えるものか。
ならば後はライザに、リースの家族に任せるべきだろう。
時間の許す限り、彼女に看病をしてもらうべきだろう。


「くれぐれも気をつけろよ?
 ちょっとでも騒ぎになれば、たちまち厄介な連中が雪崩れ込んでくるからな」
「心得ておりますよ。
 寝室で立ち回りなど始めては、
 リース様の風邪も悪化してしまうに違いありませんし」
「違いねぇな。………小一時間ほど貰うぜ」
「ええ、どうぞごゆるりと………」


握り締めたリースの右手から、スッと自分の右手を引き抜くと、
その間隙を縫ったライザが改めてリースの右手を両手で包み込んだ。
デュランが右手を引き抜いた瞬間は、夢見にも心地悪かったのか、
眉間に皺が寄ったが、ライザに包まれるとすぐに元の穏やかな寝顔に戻る。
ライザのこの細やかな心配りも、自分には到底真似できないし、考えもつかなかった。
リースの寝顔を幸せそうに見守るライザの背中に
【大人】の包容力と母親の慈愛を見たデュランは、
せめて家族の幸せを邪魔しないよう、それきり口を噤んで静かに部屋を出て行った。


「………………もういいでしょうか?
 デュランは部屋の外へ行ってしまいましたか?」
「はい。………もう寝たふりを決め込む必要はありませんよ、リース様」
「………それならよかったです」


窓から覗く街路にデュランの後姿を見送ったライザは、
周囲の様子を窺うように細く瞼を開いたリースに微笑みで答えた。


「あぁ、いけませんよ、リース様。
 お風邪を召しているというのに起き上がっては」
「熱は引いているので、それほど身体に負担はありません。
 むしろ寝たきりでいると気分が落ち込んでしまうから、
 少しでも起き上がっていたほうが気が楽になるんです」
「治りかけにこそ、なお一層の静養が必要です。
 さ、毛布をかけて、温かくして、もう一度寝直しましょう」
「目が冴えてしまって眠れないのです。
 無理やり布団に包まるのは、精神衛生上、むしろ身体に毒ですよ」


上体を起こそうとするリースをライザが慌てて制止にかかる。
まるで幼い娘のわがままに手を焼く母親のような慌て方は
砂漠での一戦で見せた凛然たる戦士の姿とはまるで正反対で、
起きる起きないと押し問答する二人の様子は、愛らしく、微笑ましかった。













宿を出た瞬間、露店から漂う美味しそうな匂いにくすぐられた胃袋が悲鳴を上げ、
隣を行く人々の注目を集めた。
悪目立ちを嫌う普段のデュランならば、きつい一瞥でもって蹴散らすところだが、
空腹にやられ、食べ物に注意を絞られている現在では、周囲の好奇も目に入らない。


「出店で適当に見繕うか? いや、こういう時こそ活気づく酒場でも探すか?」


ライザが作ってくれた貴重な時間だ。しかも、この祭り騒ぎ。
深酒厳禁とわかってはいるものの、一杯くらいなら引っ掛けても叱られないだろう。
美味いトンカツと冷酒を求めて、デュランの足は自然と繁華街へ向けられていた。






(―――にしても………)






それにしてもおかしく思えるのは、今、自分が置かれている状況だ。
フリーランスの傭兵を気取って武者修行の独り旅を住処にしていた自分が、
今では十人もの大所帯チームに所属し、済し崩しでリーダーまで任されている。
誰にも媚びない一匹狼を性分としていた筈なのに、なんて著しい環境の変化だろう。






(マジでガラにもねぇよなー………)






【英雄】と尊ばれる父親への反目が高じて、
父親を超えるくらい強くなる事だけを目的に剣を振るっていた自分が、
今では仲間を守るため、とてつもなく巨大な悪を誅滅するために戦っている。


「―――デュラン? デュランじゃないかっ!」


ガラにもない事に命を懸けるようになったのは、リースと出会ってからだ。
リースも漏らしていたが、第一印象はとにかくお互いに最悪だった。
礼儀正しいガチガチのお姫サマタイプは、粗野なデュランにとって鬼門だったし、
なにより辛気臭い雰囲気は見ているだけで癪に障る。


「―――おーい、デュラーン! …おかしいな、聴こえてないのか?」


そのくせ弱者の泣く場所には自分の危険も常識も顧みずに飛び込んでいく。
リースが辛気臭さや礼儀にうるさいだけのつまらない人間でないと知ってからは、
苦手意識は徐々に解消され、いつしか気を許せる間柄になっていた。
まるでアンバランスな気質が気に入ったからこそ、
だからこそ護衛任務を遂げてからも、こうして旅を同道しているわけである。


「―――デューラーン! 俺だよ、俺っ! 無視すんなって!!」


気に入ってはいるが、最近では何だか妙に意識をしてしまい、
以前よりも交わす会話の数が減ってきているような気もする。
寝室で手を繋いだ時だって、本当は緊張して緊張して仕方が無かったのだ。
これじゃ本格的に少女マンガの世界じゃないか―――と、
こんな事を考える事自体がガラにもないデュランは、苦笑まじりに頬を赤く染めた。






(ウェンディに見られたらなんて言われるか…おばさんに見つかりゃ大笑いされるだろうな…)






思えば“遠く”へ来たものだと、
本当にひさしぶりの“ひとりきり”に立ち戻って真っ先に思うのは、
数ヶ月前とは一変してしまった運命の不思議さだった。


「おいッ! いい加減にしろよ、デュラン! さんざ無視しやがってさッ!」


先ほどから他人様の物思いへ土足で入り込んでくる小うるさい声も懐かしい。
歩いてきて気付いた“遠く”を測る物差しには、
一匹狼の根城だった昨日の故郷の風景には、いつもこの小うるさい声があって―――


「…って、ブルーザーッ!?」
「うっわ、カッティーンと来たよ、コレ。白々しくとぼけてくれちゃってさー!
 いいよ、デュランにいぢめられたってウェンディちゃんにチクッとくから!」


白銀の甲冑に身を包んだ騎士が半ばいじけたような声を上げる。
白々しくも何も、思いがけない人物に巡り会ったなら、驚くのは当然の道理だ。
遠い故郷にいる筈の友人、ブルーザー・K・ジャマダハルがそこにいた。


「………なにしてんだお前、こんなとこで」
「それはこっちの科白だ!
 天下の往来でボサーッとして、声をかけても無視しやがるし」
「うっせぇな。考え事してる時に話しかけてくるヤツが悪ィんだよ」
「んぎ!? ああ、そうかい、そういう事言うわけかい。
 ドタマ来たッ!! 師匠に言いつけてやるからなッ!!
 折檻地獄を味わえ、コノヤロー!!」
「ガキか、お前は………」


地団駄を踏んで拗ねたブルーザーと漫才じみたやり取りを交わすデュラン。
ブルーザーとの掛け合いは、遠い故郷で過ごした頃の感覚を心の奥底へ蘇らせていき、
何とも言えない郷愁と寂しさが小波のように心の浜辺へ押し寄せた。


「っていうか、マジでお前がなんでこんなトコにいんだよ、ブルーザー?
 【フォルセナ騎士団】はどうしたよ? サボりか?」
「サボりで甲冑なんか着てくるか! 仕事だよ、仕事!」
「仕事、ねぇ………」


国を挙げての祭事に万全の警備を敷くべく、
【ガルディア王国】から要請があって派遣されてきた…といったところだろう。
社会への反逆者【ローラント】追討以来、【フォルセナ】が誇る騎士団は
社会悪から市民を護る正義の盾として各地へ派兵されていた。


「お前、今、なんか仕事請け負っているのか?」
「あー…、なんつーか、仕事じゃあねぇな。
 ワケあって一ヤマ終えてからも長旅しちゃいるけどよ」
「………今、時間あるか?」
「ちょうど休憩に入ったとこだからな。なんだ? いい飲み屋、知ってんのか?」


流れ着いた郷愁と寂しさに、故郷を離れて“遠く”へ来た事を
ますます噛み締めるデュランへ、周囲に注意を払いながらブルーザーがそっと耳打ちした。


「ちょいと手伝って欲しいヤマがあるんだよ。もちろん報酬は弾むぜ。
 ………実は祝賀パレードを狙うテロ予告があってな」
「はぁ? テロぉ!?」
「バカ! 声がデカイってのッ!!」


慌てて窘めるブルーザーの叱声通り、それは人目を憚る内容だった。
今も昔もテロリストが好んで狙うのは、大きな行事の間隙だ。
規模が大きければ大きいほど社会の注目は集まり、自分たちの主義と主張が浸透させやすくなる。
現に【パンドーラの玄日】では、世界規模の首脳会議が標的となった。
首脳会議には遠く及ばないものの、国を挙げての祝賀パレードとなれば、
テロリズムを振り下ろす行事としては極めて上等と言える。


「………予告って事は犯人像は絞られてんだな?」
「ああ、ご丁寧に個人名と併せて住所まで記載の上、郵送されてきたよ」
「お役所へ提出する書類は住所に不備があると門前払いで突っ返されてくるからな。
 …ハッ! なかなかトンチの利いた犯行声明じゃねぇか」
「笑い事じゃねぇよ…。
 記載された住所を奇襲してみたけど、その時には既にもぬけの殻。
 犯人のいた形跡は確認できたけどな」
「………犯人の情報は?」
「今回犯行声明を突きつけてきた人間の名前は、ルッカ・キヴォーキアン。
 散発的に活動してる他のテロ組織とは繋がりの無い単独犯だ。
 もともとはここ【ガルディア】の出身らしい」
「ルッカ・キヴォーキアン………」


『ガルディア王女の結婚披露パレードを爆破する』―――

犯人はまずガルディア王宛に犯行声明を送りつけ、
その後、社会正義を挑発するかのように【フォルセナ騎士団】へも
同様の書面を叩きつけてきたとの事だった。
こうして【フェルセナ】と【ガリディア】両騎士国の威信をかけての
共同防衛戦が決定されたのだが、犯行の動機や要求についてはどこにも明記されていない。
ただ、パレードを爆破する、とだけ記された檄文からは社会への理由なき反抗が窺えるとは
高名な心理学者の推察だ。


「厄介だな………。地元だけに抜け道を知り尽くしてるんじゃねぇか?」
「今も【ガルディア】の騎士団と合同で捜査を急いでるんだが、
 お前の言う通り、犯人にしか見えない抜け道を使ってるのか、
 影も尻尾も捕まえられていない」
「世間にゃバレねぇようにしとけよ?
 たった一人の犯人も捕まえられねぇのか、とまたうるせぇからな。
 ………徒党を組んで闊歩する組織犯よりも単独犯のが網にかけにくいって、
 ヤツらは知らねぇんだからよ」
「………網目を細かくしたところで、
 網の材質を断ち切るハサミでちょん切ってくるからな、今度の相手は。
 万一検挙できなかった時の事考えたら、もう胃が痛くて痛くて…」
「胃が痛ぇのはこっちだ! これでまた食いっぱぐれちまうじゃねぇか………」
「―――って事はデュラン………」
「ヤマが片付いたら奢れよ、コノヤロ。
 財布が空っぽになるまで呑んで食ってしてやっからな」


―――“ルッカ・キヴォーキアン”。
デュランも傭兵という危険な職業柄、
世間へは決して出る事なくアンダーグラウンドでせき止められる
テロ組織の情報や固有名詞には一般人よりも詳しいつもりだが、
その名前には全く聞き覚えがなかった。







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