「ルッカさん、これ、どこ運べば、いい?」
「んーとね…、それは胴体の右端に置いてくれるかな。
ポポイくんはそれをネジ止めしちゃって!」
「ほいきた! こー見えてもオイラ、手先は器用だからさ♪」
偶然と呼ぶにはあまりに出来すぎな偶然の名前、
“ルッカ”の指示を受けたケヴィンとポポイの年少組は
なにやら巨大な鉄の塊を向こうへあっちへ、せっせと運んでいた。
「すごいね、ポポイ、まるで、シャルみたく、手際がいい。
ポポイだったら、カラクリだけじゃなくて、【マナ】も扱えるんじゃないか?」
「よしてくれよ。そりゃあ今は必要上、関わっちゃいるけど、
ホントは【マナ】なんて不気味なモン、進んで関わりたかないんだからさ」
「えっ!? キミたち【マナ】を実際に見た事あるのッ?」
「うん、オイラ、【マナ】の船に乗ったこと、あるよ」
「あー、なんだっけ、【インビンジブル】つったっけ?
船ン中も散策したって話してたよな」
「まじでっ!? 動く【マナ】を見ただけじゃなく、乗ったこともあるのっ!?」
「お! さすがルッカの姉ちゃん。
カラクリ小町と呼ばれるだけあって、【マナ】にゃイイ反応返してくれるね〜!」
「そ、そりゃあそうだよ〜。
機械に携わる人間にとっちゃ、【マナ】ってのは一種の到達点だからね。
くぁ〜、いいな〜…、私も生きてる内に拝みたかったな〜………」
作業の途中ではイビツなオブジェにしか見えないが、
鉄板と木材を組み合わせて、人型のカラクリが次第に組みあがっている。
「………この様子じゃアンジェラの居場所を知っているはずも無いわね」
「ああ、望むべくもっちゅうやっちゃ」
和気藹々としたその様子を呆れ顔で見守るプリムとカールは
我関せずと手伝いもしない。
肉球完備であるがために鉄筋を掴むのが困難なカールは止む無し、
プリムはアンジェラを探しに立ち寄っただけなので、
最初から労力を貸すつもりすら無い。
「ルッカさんは、
今回どうしてカラクリ芸の披露を決めたのかしら?」
「そりゃあ、国中を挙げてのお祝いですからっ。
それに………―――」
「それに?」
「信じろってほうが無理な話でしょうけど、
この国のお姫様とそのお相手、私の古くからの友達なんですよ」
「そいつはまた、えらく珍しい話やな」
「身分も違うし、今ではお互い忙しくて殆どやり取りも無かったけど、
やっぱり友達の結婚式ですもん。
私にできる精一杯でお祝いしてあげたいなって」
「………………………」
「もう十年以上も前の話になるんですけどね。
まだ子供の頃、よくこの広場で三人して駆け回ったものですよ。
懐かしいなー………なんだかんだいって、
あの頃が一番楽しかったなぁ〜」
簡素な作業服を油で汚したカラクリ小町と王室の人間では、
どう考えても不釣合いで、ともすれば妄想の産物か、作り話にしか聴こえないが、
熱っぽく話すルッカの瞳には、またしても涙が滲んでいた。
「わかる! オイラ、わかるよッ!!」
「いいじゃんか、いいじゃんかッ!! 友情はこうでなくっちゃ!
よ〜し、ケヴィン、ルッカの姉ちゃんの打ち上げる祝いの花火、
オイラたちでしっかり支えてみせようぜ!!」
「もちろん!! オイラ、全身全霊、傾けて、頑張るよッ!!」
「ありがとう! ありがとぅ〜〜〜っ!!」
涙を滲ませるのは、ケヴィンもポポイも一緒。
まるで運命共同体のように三人仲良く滂沱の涙を流して結束を確かめ、
想い出語りに休めていた作業を再開した。
祝賀パレードまで時間は少ない。ここからは急ピッチだ。
「これはもうダメね。
カラクリが完成するまでこっちの世界には戻ってこないわ…」
あまりの単細胞っぷりに痛む頭を抑えながら、プリムは踵を返した。
アンジェラの捜索に年少組の助けがアテにできない以上、今一度足で探すしかないのだ。
見守るだけでも疲れるこの状況に置いてけぼりを食らわせるのかと
カールからは疲労めいた非難が投げかけられた。
「………カール、年少組はもちろんの事、あの娘にも警戒を払ってちょうだい。
なにかあったら、すぐに報せて」
非難の声に振り向いたプリムからの耳打ちは、
背中に氷を放り込まれたような、突然の驚愕と寒気だった。
「お、おいおい、なんや物騒なコト言いよって?」
「………本人は隠しているつもりでしょうけど、あの眼、危険だわ。
瞳の奥底に狂気の炎を忍ばせてる」
「………………………」
「何を企んでいるかはわからないし、祭りの真っ只中で突然捕縛するわけにもいかない。
でも、もしも怪しい素振りを見せたなら、なんとか郊外まで引きずり出して。
………そこで仕留めるわ」
「取り越し苦労とちゃうか?
ワイぁ、あの小僧らよりも鋭いつもりやけど、
お前さんの言うような狂気っちゅうもんは全く見とれへんで?」
「………本当の狂気は人知れず燃え盛る物なのよ。
私は人よりも少しだけそれを見抜く眼力があるわ。だから解るのよ」
「………………………」
「どうしてそんな眼力を養えたのか、とは聴かないでもらえると有難いわね」
【極光霧繭】での戦いの折に咆哮したランディの絶叫がケヴィンの脳裏をよぎる。
世界規模のクーデター【パンドーラの玄日】にてプリムは初恋の男性を失っていた。
デリケートな話題なのでそれ以上踏み込んでは聞けなかったが、
彼女の口ぶりからすると、初恋の男性とやらは、
おそらくクーデターに参加した側の人間だったと推察される。
つまり、最も愛しい人が狂気に染まり、悲劇の最期を迎えるまでの経過を
彼女は一番近くで見て、触れて、感じてきたわけで―――
「………安心せぇ。ワイぁ。あの小僧らよりも心の機微っちゅうもんを心得とる。
乙女心にズカズカ入り込むよなヤボったい真似はせえへんで」
†
「やっぱりライザにはお見通しでしたね………」
「狸寝入りの事ですか? それはそうですよ。
ご自分ではお気づきではないでしょう?
リース様は寝たふりをする時、頑なに眠りの演技をしますから、
それでわかってしまうのですよ。
不自然だな、これは狸寝入りだな、と」
「………自分では全く気づいてませんでした………」
「これでも一番近くでリース様を見守ってきた自信がありますから」
それは、嘘のような幸せな時間。
一度は永久に別れた人と談笑し、手を握っていてもらえる、夢のような時間。
本当は、永久の別れからの再会を果たせた真相や、
どうしてすぐに顔を見せず、敵方に与したのか、尋ねたい事は山ほどあった。
けれども、それを訊いてしまえば、この幸せな夢が覚めてしまう気がして、
リースの口をついて出るのは、夢見心地の談笑ばかり。
誰よりも一番近くで見守ってきたライザも、そんなリースの心中を察して、自分からは何も言わない。
互いに何も触れない分だけ、幸せな夢が続く気がしたから。
「………デュランが疲れているのは一目でわかりましたから、
だから“寝付くまで”と約束したのに、ずっと傍にいてくれるものだから、
寝たふりする側も楽ではありませんでした」
「それだけデュラン様はリース様を大切に想われている、という事ですよ」
「そっ、そうでしょうかっ」
「リース様も、ですね。
デュラン様をとても大切に想われているのでしょう?」
「え、えええ、あ、あの、えっと………」
茶目っ気たっぷりにウィンクを飛ばして冷やかすライザに返す言葉を見つけられず、
熟れたリンゴのように顔を真っ赤にしたリースは
泳がせていた視線を恥ずかしそうに俯かせ、とうとうコクリと首を縦に振った。
「うぅぅ…、とうとうリース様にもお赤飯の日がやって来たのですね…」
「そ、そこで泣きますかっ? お赤飯ってなんですかっ?」
「―――急にデュラン様が憎たらしくなってきましたね。
ちょっと行って一発かましてきますっ」
「ど、どうしてそうなるんですかっ?」
「人の親と言うのはそういうものなのです。
リース様にもいずれ解る日が来ますっ」
「そんな日、絶対に来ませんっ!
ど、どうしてもデュランを殴ると言うのなら、
まず私の屍を超えてからにしてくださいっ!」
「………………………」
「………………………ラ、ライザ?」
「………………………」
「あの、もしかして、笑っていませんか?」
「リース様は本っ当にデュラン様を大切に想われているのですね♪」
「あぅ………っ!?」
やはり自分の全てを知っていてくれる人間には勝ち目は無い。
良いように担がれ、恥ずかしい心根を暴露させられたリースの頬が
再び瞬間沸騰した。
「リース様、顔、真っ赤ですよ?」
「し、知りませんっ! もう知りませんっ! ライザのばかぁっ!」
なおも追い討ちを仕掛けてくるライザから逃れるように
毛布を引っかぶって顔を覆い隠してしまうリース。
仲間にも、デュランにも見せた事の無い、本当に無邪気な姿。
家族にしか見せない、ありのままのリースが愛しくて、
毛布があと少し覆い切れなかったブロンドの頭をライザの右手がそっと撫でた。
「デュラン様のどんなところに惹かれたのです?」
「………………………」
「もう冷やかしたりしませんから」
「………………………だ、誰にも言わないと約束してくれますか?」
「王様の秘密を封じ込めた大穴にだって漏らしません。誓います」
「………………………そ、その、私にもよくわからないんです。
第一印象はとにかく最悪で、できる事なら早く別れたいと考えていました」
「あらあら………」
「でも、一緒に旅をする内に、ただ粗暴なだけの人では無いと解ってきたんです。
無愛想だけど本当はとても仲間想いで、責任感があって、
悪いと思えば仲間でも、いえ、仲間だからこそ本気で叱ってくれる。
体当たりの優しさを秘めているんだなって、それで―――――――――」
「………………………」
「―――そこからは、私にもよく解りません。
気が付いた時には、どうしようもなく意識していて、
隣にいてくれるだけで安心できる………そんな人なんです、デュランは」
「………………………」
「ヘ、ヘンでしょうか、やっぱり。
どういう理由で相手を、その、す、好きになったか自分で解らないなんて………」
「おかしい事なんてありませんよ。それが人間と言うものです。
自分の気持ちを、自分の中で持て余してしまう。それが人間なのです」
「そ、そうなのでしょうか………」
「そうなのです。
………それだけ、リース様がデュラン様を強く想われている―――
―――という事にも繋がるのですから」
「ほ、本当に誰にも言わないでくださいねっ!?」
「なんだか自信が無くなってきました。
人の秘密はついつい打ち明けてしまいたくなる物ですから。
特に恋愛の話となると、お酒の肴に欠かせませんし」
「そっ、そんなコトしたら、一生、ライザと口聞きませんからねっ!」
促されるままにデュランへの慕情を告白してしまったリースは、
今、きっと毛布の中で恥ずかしさのあまり焼け焦げているだろう。
優しく髪を梳かしていくライザの手のひらは、火照ったリースの身体には心地よく、
いつしか睡魔が彼女の周りを取り囲み始めていた。
「ライザの手、気持ちいいです………」
「リース様はこうして頭を撫でられるのが昔から大好きでしたね………」
「………でも、ライザの手、こんなに冷たかったですか?」
「………………………」
「もっと、こう、温かかったような、
じんわりと、心に、染み込む温もりだった気が、します………」
「………………………………………………」
「…ううん、冷たくても、温かくても、ライザの手が、私は大好きなんです………
だから………………―――――――――」
それきり聞こえてくるのは、規則正しい静かな寝息だけになった。
幸せな夢の続きは、更なる夢の幻影へと持ち越されたようだ。
一人残されたライザは、リースが深い眠りに就いてからも髪を梳くのをやめず、
いつまでも、いつまでも、幼い頃より整えてきた美しいブロンドを撫で続けていた。
この幸せな時間が終わる瞬間を少しでも先延ばしにしようと、
いつまでも、いつまでも………。
「………まだ、喪服を着ていらっしゃるのですね、リース様………」
けれど、覚めない夢は決して存在しない。
ハンガーに掛けられた黒革の【喪服】が目に入った瞬間、
ライザはほんの刹那、泣き出しそうに瞳を揺らがせ、けれど涙は零さず、
最後には、安らかに眠るリースへ一番の笑顔で別れを告げた。
「この先の人生を支えてくれる人が見つかったのなら、
貴女には過去を弔う【喪服】を羽織る必要は無いのです。
想い出の小箱へ埋葬した過去よりも、
想い出が翼に換わる未来に輝きを見つけた時、
いつか、気づいたその時には………………………」
届かぬ声と知りながら、愛しい寝顔へそっと呟きかけると、
ライザは風と共に姿を消した。
†
“【女神】の後継者”と聴いて、一般にどんなイメージを抱くか、
街頭で百人アンケートを実施した新聞が以前あったが、
およそ九割の人間が『荘厳』『人智を超えた神々しさを放つ者』と答えた。
殆どの人間が、幼体とはいえ【女神】を継承する存在に対して神性を禁じえないようだ。
例外的として、伝承に残るその容姿に「つるぺた萌え」だの「嗚呼、女神様…」だのと
理解不明な感情を口走る向きもあるようだが。
「まったくうっとうしい限りだねぇ。
たまの祭りだからって、ここぞとばかりにゴミみたくワラワラと。
あんま天下泰平でボケてっといつか痛い目見るって、
ここらに隕石でもブチ落として警告してやろうかな★」
―――が、【女神】の後継者の実態とは、大衆の淡い想いを嘲るかのように奔放(かつ有毒)で、
今も堅苦しい軍議に辟易して勝手に抜け出してきたところだった。
世界の行く末を左右するほどの軍議をエスケープするなど、
【女神】としての自覚に足りないと断じざるを得ないが、誰に何と言われようと知った事じゃない。
フェアリーにとっては、世界の行く末を左右する堅苦しさよりも
自分にとって気持ちの良い開放感の方が魅力的なのだ。
『思うが侭に世界の全てを見て回りなさい。
いずれ世界の命運を握ったその時、自然のままで感じた全てが
選択を英断する黄金の杖となるのですから』
先代の【イシュタル】が消失する寸前、
その寵児であるフェアリーはそう託を預かっていた。
果たして先代の言う“思うが侭”とフェアリーの満喫する“思うが侭”の意味が
同義かどうかは、まさに神のみぞ知る。
いや、先代が消滅した今となっては、神すら知りえない永遠の謎。
自由奔放に飛び回る飄々とした笑顔を見る限りでは、
先代の思惑とは大きなブレがあるのは明白だが、これも推察の域を出ない。
「ぬくぁッ!! ま、また負けたッ!? たかがニンゲンごときにこの私がッ!!」
「かっかっかッ!! これがジツリキってヤツだよ、赤目クンッ!!」
と、突然ブロックを跨いだ露店の軒からけたたましい大音声が飛び込んできた。
なにやら勝負事をしているらしく、敗者の遠吠えに観客の野次や声援が混じっている。
「お? なになに、なんかどえらく盛り上がってるじゃん★
頭の足りないバカのもんじゃ焼きとか、楽しげなコト、やってるのかな?」
楽しい事が待ち構えているならば、参加しないわけにはいかない。
興味と衝動の赴くままにひとっ飛びで喧騒の中心へ向かったフェアリーは、
そこに見知った二つの顔を発見するなり揚力を失って地面へランディングした。
しかも顔面からという律儀なお約束を全うして、だ。
「おッ!? なんでぇ、フェアリーも抜け出して来たんかよ!」
「ぬッ!? フェアリーだとッ!?」
【魔族】にとって因縁浅からぬ【女神】の継承者が現れたとあっては、
さしもの伯爵も緊張の面持ちで周囲の様子を窺った。
ニンゲンなど取るに足らぬ存在だが、この者たちは別格だ。
これまでに何度も煮え湯を飲まされている上に伏兵奇襲もお手の物。
どこに尖兵が隠れているとも知れない以上、侮るわけにはいかない。
「………キミたち、何やってんの?」
「な、何と言われてもだな………」
「おうッ!! 【第一回チキチキ輪投げデスマッチ】よォッ!!」
「………ワタシがツッコんでんのはそこじゃないって」
邪眼の伯爵がいるという事は、当然、彼と激突するマサルもいて然りだ。
対決の種目がいつの間にか『金魚すくい』から『輪投げ』に変わっており、
伯爵も「また負けた」と悲鳴を上げていたのだから、
最初の対決に始まり、種目を変えては何度もガチンコを張ってきたものと思われる。
それが証拠にマサルと伯爵の全身からは滝のような汗が滴り落ちていた。
「キミたちのその恰好は何さね?」
「な、何と言われてもだな………」
「おうッ!! 漢(オトコ)の勝負服ってヤツよぉッ!!」
「………………………」
【イシュタリアス】極東の島国には、フンドシと言う男性下着がある。
いわゆるブリーフやトランクスといった一般的な下着と異なり、
一枚の布で巻き上げるように締めるのが特徴だが、
なぜかマサルの故郷には、祭りに際して男衆が裸にフンドシ一丁で赴く風習が根付いている。
また、祭りの席のいさかいが原因で始まる喧嘩も極東特有の文化と見なされおり、
その際にもフンドシ一丁は、マサル曰くの通り、勝負服として重宝される。
時に荒々しく、時に漢の色気を演出する(ある意味)勝負下着として見なされているようだ。
「き、貴様、私を謀ったのかッ!? な、なぜフェアリーは呆れているのだッ?
私の姿を見て嘲笑っているのではないか…ッ!?
ぬうう、やはりおかしいと思ったのだ!!
このような薄手の布切れが正式な勝負服であるはずもない!!」
古来伝統の風習にマサルが則っるのは理解できるが、なぜか邪眼の伯爵までフンドシ姿。
嘲るニンゲンと何ら変わらない色白な体つきからは、
いつもなら貴人めいた耽美なオーラが発せられているはずだが、
今日に限っては、なまじ美形だけにフンドシとのギャップが滑稽な笑いを醸し出している。
「バカだな、フェアリーは女だから知らねぇだけだって!!
漢にとっちゃ祭りの特攻服はフンドシかハッピと決まってんだよ、大昔っから!!
お前もタマついてるなら、それくらい知っとかなけりゃダメだろうが!!」
「わ、私は下賤なニンゲンの風習など………」
「だーかーら!! そんなみみっちいコト抜かしてっから、
お前、何度張り合っても勝てねぇんだって!!」
「ぬ、ぬぅぅぅ………!! も、もう一回ッ!! もう一回勝負だッ!!
勘を掴んできたからな、今度は負けんぞッ!!」
「へっへっへッ!! いいぜ、リターンマッチは何度でも受け付けてるぜぇッ!!」
どうやらマサルの強引さに押し切られ、
半ば騙されるような形でフンドシを履かされているようだ。
尤もマサル当人には誑かす意思は無く、骨の髄から正式な漢の勝負服と考えているのだから、
厳密には騙した事にはならないのか。
「【女神】に対して公然猥褻で猛襲するか、フツーッ!?
っていうか、どうでもいいから、早く仕舞いなよ、その粗品ッ!!
………ああー、もう、いい加減に隠しなさいってッ! 本気でもぎとるよッ!?」
汗に濡れた布からは微かに肌色めいたモノが透けて見え、
世が世なら公然猥褻でしょっ引かれるところである。
呆れ果てておきながら、しっかりとその部分を凝視しているフェアリーは
お年頃と言えばそれまでだが………。
「おッ! さっきよりも引っかかるようになってきたじゃねぇか!!」
「言ったであろう、勘を掴んだとッ!! 今度こそ私の勝ちだ、フランカーッ!!」
「へッ!! 言ってくれるじゃねぇのッ!!
だがよ、昨日今日齧ったばかりのお前さんにゃ、まだまだ負けられねぇぜッ!!」
標的となる棒目掛けて一心不乱に輪を投げ続ける伯爵とマサルは
周囲に歓声を起こすほどのデッドヒートにもつれ込んでいった。
お祭り好きのマサルならいざ知らず、
いつの間にか伯爵にまで躍動感溢れる笑顔が宿っていた。
無機質な、ニンゲンを卑下する冷たさしか持たなかった赤い瞳が、
無邪気な、ニンゲンと鎬を削る楽しさに輝いていた。
いつもの高貴な立ち居振る舞いをどこかへ置き忘れて、
まるで子供のように髪を振り乱して。
「いい表情(かお)、できるじゃないですか。
今後はイメチェンをお勧めしますよ」
その様子を傍観していたヒースが、珍しくイヤミの無い微笑みを零して呟いた。
†
「す、すす、すすす、すごいモノ見ちゃった、すごいモノ見ちゃった…っ」
その日は本当におかしな連中ばかりが集まっていたと、
【リーヤの広場】へ出向いた人々は後に語る。
そして、ここにも“おかしな”カテゴリーに分類される人物が一人。
頬を紅潮させながら、イヤンイヤンと頭を振り回しているのは、
艶やかな浴衣を着こなした美獣である。
人ごみの波間に何か驚くべきモノを発見してしまったらしく、
「どーしよどーしよ」とだいぶテンパッている。
「あ、あれってばそういう事よね…、いわゆる密会ってヤツ?
ううん、あのただならぬ表情は、も、もしかして、
ウワサにのみ聴くかけおちってヤツじゃ………」
「さっきから何をブツブツ独り言やっているのかしら…?」
「―――――――――ッ!!!!」
驚くべきモノが押し流されていった人ごみを眺めては
真っ赤になって、けれど瞳を輝かせては「それって素敵」と
溜息を吐いてやまない美獣の襟足へ、
粗大ゴミを投棄かのような冷たい声が突き刺さった。
飛び上がって驚いた上にバランスを崩して
尻餅を付くという醜態を晒してしまった美獣は、
声がけしてきた人間の顔を認めるや真っ青になった。
「…き、きき、ききき貴様は【ジェマの騎士】の………ッ!!」
「砂漠の一件で手酷くやられたと聴いていたけれど、
その時、雑菌にでもお脳を侵されたのかしらねぇ、イザベラさん?」
「弁えよッ!! 私をイザベラと呼んでいいのはアークデーモン様だけだッ!!」
「今更恰好をつけられても決まらないのよねぇ。
あなた、あれでしょう? セクシー路線を気取っておきながら、
その実、枕元にはクマさん人形、
本棚にはレディースコミックを置いてるタイプね」
「む、むぐ………っ!?」
「ほら見なさい、図星」
これが同じ【セクンダディ】の同胞であったなら、
多少の羞恥はあれど耐え切れない事も無かった。
しかし、素の部分を見られたのがよりにもよって不倶戴天の一味が一人、
プリムだったのだからたまらない。
毅然さを、妖艶さを取り繕おうにも、徹底的に傾いでしまった矜持は脆く、
少し突っ込まれただけで崩れ落ちそうだ。
どれだけ虚勢を張っても、まるで締まらない。
「しかもその浴衣は何? 呑気にお祭り気分なのかしら?」
「こ、これは敵情視察であって………」
「子供向けのプリントが光る綿菓子の袋を片手に抗弁するだけ、
返ってくる異議申し立てが辛くなるだけよ」
「………………………」
敵情視察という任務自体に偽りは無いものの、
物珍しい人間の催しをすっかり満喫してしまっているのだから、
美獣には返す言葉も無い。
「けれど、まあ、こちらとしては好都合に代わりは無いわね」
「な、なんのことだっ?」
「だってそうでしょう?
病み上がりの敵将が、それも単身でほっつき歩いているのよ?
鴨が葱を背負ってやって来る、とはこの事じゃない………」
「―――――――――ッ!」
嘲笑うようにニヤついたプリムの眼光が
急速に鋭くなるのを美獣は見逃さなかった。
迂闊だった。共連れもない単独行動の中で敵に見つかれば、談笑で済む筈もない。
「捕虜に取るか、盾として翳すかは後の機会にじっくり値踏みするとして、
まずは黙らせる必要があるわね………」
「猥雑な…! 場も弁えずに武器を取るつもりか…?」
「私としても実に心外よ。
イザコザ程度の火種なら観察処分で済ませるけれど、
相手が【支配階級魔族(サタン)】ともなれば話は別。
【悪即滅】、適用させていただくわッ!!」
邪眼の伯爵も別行動を取っていて、今は傍にいない。
負傷の癒えきらないこの身体で果たして切り抜けられる相手か。
今度の相手は【ジェマの騎士】の一員だ。
色香を強調するべく開かれた胸元を冷や汗が伝って落ちた。
「お、おうおう、プリム、お前、こんなとこにいたんかッ!!」
「ぬッ、イザベラも一緒だと…!? まさか…貴様、イザベラに何をしたぁッ!?」
「………………………」
プリムお得意の鉄鞭が唸りを上げて打ち据えたのは美獣ではなく、
彼女の背後から駆け寄ってきたマサルと邪眼の伯爵の二人だった。
渾身の力が漲る鞭でもってしたたか叩きのめされた二人は
仲良くもんどり打って倒れこんだ。
「「な、なんで………?」」
「………変態を撃退するのに理由も弁明も必要無いわ」
鼻息荒くフンドシ一丁で駆けて来られたら、そりゃ誰だって迎撃するだろう。
二人の後を追って飛んできたフェアリーも、プリムの正論にしきりに頷いている。
さきほどまでフンドシたちと一緒にいたヒースの姿は見当たらない。
どうやらこちらの後を追いかけては来なかったようだ。
「………しかも何?
あなたたち、いつの間にペアルックで出歩く仲に発展したわけ?」
「「―――ペアルックで出歩く仲ッ!!」」
プリムの軽蔑に声を揃えて反応を示した二人のフンドシは、
見ようによっては「愛には色々な形があって良いはずだ」と
主張するグループの組み合わせに捉えられなくも無い。
「それだよ、それッ!! 俺たち、今そこで大変なモン、見ちまってよッ!!」
「そ、そうなのだ! 貴様もイザベラも、これを聞いたら腰を抜かすぞッ!!」
「………十秒だけ進呈するから要点だけ述べなさい。
十秒以上そのむさくるしい恰好で私の前に立つなら、
ちょん切るわよ、口ではとても言えない場所を」
「かいつまんで説明するなら、ブライアン…だっけ?
“貧弱露出魔C式・改(※アンジェラ)”とその野郎の逢引を目撃しちゃったってわけ」
「「―――そこで割って入るかチビっ娘ぉ!!」」
「そこ! 黙るッ!!」
耳障りにやかましくハモるバカ二人を、今度こそプリムの鉄鞭が完全に沈黙させた。
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