「よーしッ、できたッ! 完成ッ!! おつかれッ!!!!」
「ィやったぁ〜! 間に合ったんだね? オイラたち、間に合ったんだねッ!!」
「ふぃ〜…、一時はどうなるかと思ったぜ。カールは全然手伝わないしさ〜」
「手伝うもなにも、肉球ハンドにどうやってスパナ持て言うんや」
陽も落ち始めた夕間暮れ。
もうすぐパレードが始まるという頃合になって、
ようやくルッカのカラクリ人形が完成の暁を迎えた。
「名づけて【ゴンザレスJET】ッ!! 私たちの最高傑作だよッ!!」
ネーミングセンスもデザインセンスもボロボロの機体ではあるが、
全身に鋲を打ったハリボテ&タライのようなクラシック・フォルムとは裏腹に、
一つ一つの動作は極めて流麗だ。
ルッカのリモコンによって、まずは小手調べと言わんばかりの滑らかなダンスを踊ってみせた。
全長10メートルもの鋼鉄人形が自由自在に稼働する様は、
そのフォルムにしては意外にも、なかなかに勇壮だ。
「うおおおおおっ!! すげぇ! コレ、ホントにオイラたちが、組み立てたんだ!!」
「くあぁぁぁー…、マンガとかでよくあるシチュエーションだけど、
こうして体験すると、こう…、オトコノコの魂が奮えちゃうな〜」
「だよね、だよね〜!! これぞロマンって言うか!
うんうん、キミたち、ホント、よくわかってるッ!!」
ガッツポーズで互いを労いあう三人の姿は、夕映えと相まって実に爽快だった。
プリムには釘を刺されたが、カールの眼にはこんなに爽やかなカラクリ小町が
狂気を内包しているとはとても思えない。
「よし、それじゃ残るは機能調整だ〜!」
「お! だったらオイラたちにやらしてくんない?
オイラ、一度でい〜から巨大ロボを操縦してみたかったんだ〜!」
「だ〜め! ここから先は専門家のお仕事なの」
「「えぇ〜、ケチンボ〜」」
「ケチ違くて! 今はまだ試運転の段階なのね。
これを完全な状態に仕上げるには、きちんとカラクリの知識を持ってる人間の仕事なの。
キミたちが操作した時に危険な事が無いように、ね。
―――さ、最終チェックが済んだら操縦させたげるから、
それまで露店、回って遊んできなね」
「うー…、でもぉ〜…」
「ほら、お駄賃あげるから」
銀貨の詰まった小さな布袋を手渡されたケヴィンとポポイは、
ルッカに促されるがままに、渋々と、本当に渋々と
何度も何度も振り返りながら、いよいよ隆盛極まる広場へと出かけていった。
30分もあれば完成するから、とルッカに言われた二人の事だ。
時間きっかりに飛んで戻ってくるだろう。
「ワンちゃんは行かなくていいの?」
「ワンちゃん呼ばわりはやめたってや………」
最近ではめっきり少なくなった犬呼ばわりが思いがけないところから噴出し、
久々の不意打ちにカールはガックリとうな垂れた。
いたいけなカールの心にダメージを負わせた張本人のルッカは、
そんなガラスチックなハートに眼もくれず、
【ゴンザレスJET】の右腕を取り外し、なにやらスパナで調節を加えている。
「………これはな、あんさんの身の上話を聞いとって気付いた事やねんけど。
あ、答えたくなかったら無視してくれてかめへんからな」
「? なんだろ? なんかおかしなコト、口走ったかな?」
「おかしなコトっちゅうか、………お前さん、もしかしてな、
今日結婚するお姫様の相手にな、惚れとったんちゃうかな思ってな」
「ちょ、ちょっと、やめてよ。ビックリしてスパナ落としそうになっちゃったよ」
「ほ、ほうか、やっぱりワイの勘違いやったか」
「ううん、図星の大正解。
そ、私たち、親友だったけど恋のライバルでもあったんだ。
それで、私は歯牙ない負け犬ってワケ」
「………………………」
「しょうがないよね、向こうはお姫様で、私は鳴かず飛ばずのカラクリ家業。
戦う前から勝敗は見えてたんだ。
だったらさ、最後くらい、せっかくの親友たちのお祝いくらい、
負け犬の意地見せて、誰よりも盛り上げなくっちゃウソでしょ」
「あんさん………」
「フラれ女のケジメってヤツだよ」
夕陽に照らされたルッカは、今も泣いているのだろうか。
【ゴンザレスJET】の巨体がブラインドのように間を隔てていて確かめる事はできない。
(まさかと思うたが、この姉ちゃん、プリムの言う通り………―――)
表情までは確認できないが、その口ぶりに、微かに揺らいだ声色に、
言い知れぬ不安を感じ取ったカールは、
気付かれないようにそっとその場から離れた。
残されたのは、夕暮れの儚げな彩に染まる物言わぬ巨体と、
鉄板を叩くハンマーの物悲しい響きのみだった。
†
それは、まさしく青天の霹靂だった。
【常闇のジャングル】での邂逅で敵味方に別れていた事を、
…裏切られていた事実を突きつけられたアンジェラの【モバイル】へ
よりにもよってブライアン自身から着信があったのはつい先日の事だ。
【ガルディア】へ駐屯している間に、一度、話がしたい、と。
「単刀直入に言う。アンジェラ、お前、俺と一緒に来い」
自分と話す時はいつだって喧嘩腰のブライアンの事だ。
いつ戦闘になるとも知れず、臨戦態勢を完璧に整えてきたアンジェラには
彼のその言葉は憎たらしいほどに身体の奥底へと響いた。
「………またアンタは傲慢に出たわね。
あたしたちを裏切っておいて、今度は一緒に来いって?
バカも休み休み言いなさいよ。
そんな誘い、乗るわけないでしょ、常識的に考えて」
「これは誘うじゃない。命令だ」
「………あんたさ、思春期の男子学生じゃないんだから、
もうちょっと年齢相応のネゴシエーションってのを覚えなさいよ」
「………………………」
「………………………」
いつもならここで反撃の狼煙が上がるものなのだが、
やはり今日ばかりはエンジンがかからない。
つっけんどんなアンジェラの物言いを、ブライアンは静かに受け止めては
口元を複雑そうに歪めて、ただ呻くばかりだった。
「………そもそもな、なにやってんだ、お前は。
どうして【太母】なんぞと一緒にいるんだ」
「その【太母】って言い方、やめなさいよ。
リースはリースよ。あんたたちの餌じゃないわ」
「どうだっていいんだよ、今、この場ではそんな論議は。
………お前さえ厄介事に足突っ込まないでいれば、
全て丸く収まったと言うのに………」
「あんたさぁ、それさぁ、人間として、男として、
最低レベルの発言だって気付かない?」
「………気付かなければならないのはお前のほうだろうが。
お前、自分が誰と交誼を結んでいるか、理解しているか?」
「誰と仲良しかって?」
「お前が仲良しこよしとやっている【アークウィンド】の娘にとって、
俺たち【アルテナ】の人間は仇敵なんだぞ。
それをお前、なぜに好き好んで近付いたりしたんだ………」
「………………………」
『踏みにじったほうは痛みを感じねぇけどな、
踏みにじられたほうはそうも行かねぇんだよッ!』
かつて【グレイテストバレー】でデュランに窘められた時の事が
アンジェラの脳裏へ鮮明に蘇り、思わず苦笑いを吹き出してしまった。
「なにもユニークな発言はしていないぞ。
俺は至って真剣にだな―――」
「同じ事、前に仲間にも言われたわ。
…ううん、言われたってよりも叱られた、かな」
「………………………」
「あんたの言う通り、 【ローラント】の人間にとって
【アルテナ】は許されざる人種よ。
でも、それでもリースはあたしを受け入れてくれてるし、
なによりあたし自身がリースの傍にいたいの」
「それこそ傲慢というものじゃないのか?
お前は【アークウィンド】の娘の厚意に甘えているだけではないか」
これも、今までさんざん言われてきた事。
ブライアンの中では、アンジェラはいつまで経っても成長のない、
傍若無人なお姫様のイメージのままでいるようだ。
リースとの間には、既に誰に何と詰られようと揺るがない絆を築けているだけに、
過去のイメージから一方的に決め付けて切り捨てようとするブライアンの熱弁は
アンジェラには滑稽で仕方無かった。
「言っとくけど、償いとか、そんなつもりで一緒にいるんじゃないからね。
あたしはリースやみんなとバカやってるのが楽しいから一緒にいるの」
「………………………それで、
それでお前は本当に良いと思っているのか?」
「良いと思ってるからこうして一緒に旅しているんじゃないの。
ホ〜ント、あんたってオトメ心を解ってないんだか―――」
「―――そういう事を言っているのではないッ!!」
いつもの調子で分からず屋のブライアンを諭しにかかったアンジェラの、
冷やかすような声を灼火の如き檄が焼き尽くした。
「歩みを共にする事だけが、踏みにじられた者の痛みを癒す手段じゃないッ!!
にも関わらず、お前は自らを腐らせる温床に浸りきっているッ!!
平和の芽吹きを育苗しなければならない立場の人間が、だぞッ!?」
「ブ、ブライアン…?」
「謝罪し、非を認め、相手が受け止めてくれればそれで満足なのかッ!?
満足に終始し、発展を忘れた世界に未来をどう導くつもりだッ!?」
「………あんた、ちょっとおかしいわよ?
なにかおかしなクスリでもキメてきてるわけッ?」
「おかしいのはお前たちだ、アンジェラッ!!
世界を導く【モラルリーダー】の意味を、お前たちは一度でも真剣に考えた事があるのか?
否ッ! あるまいッ!!!!」
「………………………」
「過去の過ちを雪いだからといって、
踏みにじられた者の痛みが消えるわけじゃない!!
それすら視野から弾き飛ばし、お前たちは未来の旭に何を視るッ!?
お前たちが温床に浸っているから、
いつまでも旧態依然とした【社会】が繰り返されるんだッ!!」
堰を切ったように理論を決壊させたブライアンに、
反論する間もなくアンジェラは押し流されてしまった。
長い付き合いの中で、一度もアンジェラが見た事の無い姿だった。
「………あんた、一体何の目的があって【三界同盟】に従ってるわけ?」
荒く息を継ぐブライアンに感じた疑問をアンジェラが投げかける。
見た事の無い顔を曝け出した今だからこそ、問い質さなければならなかった。
怯えか、狼狽か。
アンジェラの声は、ひどく震えていた。
「―――革命だ」
「革…命………?」
「俺たちは腐敗した【アルテナ】政権を覆し、
真に【共産】たる平等の【社会】を築くッ!!
その為にこそ、葬界の七連宿は、【セクンダディ】は存在するッ!!」
信じ難い返答だった。
彼の雄弁から予想こそしていたものの、受け止めるにはあまりに壮烈な返答だった。
自分にとって最大のバックボーンに対して、
一番近しい人間が牙を剥こうとしている。
足元から崩れ落ちそうになるショックに曝されたアンジェラは
愕然と立ち尽くすしかなかった。
不意に差し出された、見慣れた手の平を呆然と見つめる事しか出来なかった。
「今日を境に俺たちは完全な敵同士となる。
そうなる前に、殺し合いをする前に、今一度だけ言うぞ。
………俺と一緒に来い」
†
少し風が強くなってきた頃、いよいよ祝賀パレードの幕が開かれた。
選りすぐりの衛兵が先導する路を、
絵にも描けないほど華美な意匠を凝らされた馬車が、
世界中の幸福を集めたような笑顔を浮かべる王女たちを乗せた馬車が往く。
【ガルディア】城下町をぐるりと一巡し、最後に【リーヤの広場】へ辿り着く。
祝賀パレードの順路は大々的に掲示されていた。
「あちゃー…、もう一時間も過ぎちゃってるよ………」
「パレード、始まっちゃった。ルッカさん、怒ってるかな………」
「だってどうしようもないじゃんか。
こんな人ごみじゃ、あと三時間あったって辿りつけねぇよ!」
祝賀パレードが始まるという事は、それまで屋内にいた人々も
一斉に順路へ押しかけるという事。
それだけ界隈に敷き詰まる人間の数も膨大な物となり、
動こうにも満足に動けない混雑が発生してしまうのだ。
ケヴィンとポポイはそうした混雑を失念していた為に
時間ギリギリまで遊び呆けてしまい、
現在、人ごみの押し合い圧し合いに巻き込まれて立ち往生していた。
「悔しいけど、もう諦めるっきゃないか………」
「そんな! せっかく三人して頑張ったのに!」
「ルッカの姉ちゃんのカラクリ芸はこっから見物させてもらおうぜ。
【ゴンザレスJET】はムダにデカイからさ、
頭一つ抜いて、こっからでもきっとよく見えるって」
「う〜………、でも、この人だかりじゃ、どうしようも、ないか………」
「操縦はパレード終わってからだなぁ〜」
【ゴンザレスJET】の活躍を誰よりも楽しみにしていたケヴィンは、
ルッカと一緒にカラクリ芸を楽しめない事がどうしても悔しく、
未練と哀しさとで毛むくじゃらな耳をヘタリと弱らせた。
「―――あれ? おい、ケヴィン、あれ、デュランの兄ちゃんじゃないか?」
「…え? 師匠? どこに?」
「違う違う! あっちだ、あっち! …って、ありゃ、もういやしね………」
驚いてポポイの指差す方向をキョロキョロと探すが、
隙間もない人壁の中に、ツヴァイハンダーの切っ先一つも認められない。
かく言うポポイも一瞬しか後姿を捉えられなかったが、
何よりも目印になるあのツヴァイハンダーは、確実にデュランの物だ。
間違えるわけはない。
ただ、一つ気にかかるのは、
甲冑を身に纏った騎士団風の小隊を引き連れていた事だ。
「なにか、あったのかな………」
弟子の案じる通り、デュランは焦りに駆られながら、人ごみを掻き分けて進んでいた。
額のバンダナはぐっしょりと濡れそぼっている。
銀の甲冑に身を包んだブルーザーも同じく額に汗して「そこをどけッ!」と大音声を張り上げた。
腰に携えた二振りの剣が、甲冑の側面に擦っては金打つ音を立て、
否が応にも焦燥を掻き毟った。
「これも計画の内だろうな。
土地勘の無い俺たちじゃ、人だかりを超えるだけで精一杯だ」
「対して奴さんは地元の人間だ。
人だかりを抜ける裏道も知り尽くしてるだろうよ」
「【ガルディア】自慢の自衛騎士団はどないしたんやッ!?
ウンともスンとも言って来ぃへんやないかッ!?」
「パレードの警護が最重要とされていて、取り締まりには手を回せないそうだ!!
まったく大した身分だよッ!!」
デュランの頭にはカールがしがみ付いている。
この火急の緊急出動自体、カールが手引きした物だ。
プリムが推察した狂気をルッカに感じたカールは、
偶然通りかかったデュランとブルーザーに助けを求めた。
そうしたところ………
「おっかない女猫(めびょう)とプリムは推理しちょったが、
よもやテロリストとは思わなんだな…!」
「名前も特徴も全て合致している。同一人物を見て間違いないだろうな」
「お手柄っつーか、その場で捕まえとけっつーか、
なにはともあれ、カールのお陰でテロを未然に防げそうだぜ」
「そいつぁこの人波を踏み越えてからやなッ!!」
―――ルッカ・キヴォーキアン。
彼女こそ、祝賀パレードを狙うテロリストだった。
犯行の動機は今更確かめるまでもない。
つまり、ケヴィンとポポイは、知らない間にテロリストへ加担していた事になる。
嫌疑がかかる事を危惧したカールは、三人の交流を伏せ、
ルッカの所在だけをデュランへ伝達した。なかなかに賢い選択だ。
【ジェマの騎士】の一員ではあるものの、社会的には何ら権限の無いプリムよりも
歴然とした警察権を有した【フォルセナ騎士団】と連携を取るデュランを
選んだあたりにもカールの賢さが窺える。
「お手柄には変わりないよ。
よし、後で最高級のドッグフードを俺から進呈―――いだだだだだッ!?」
「犬扱いしてええんは気心知れた仲間とピチピチギャルだけやッ!!」
「………この非常事態にコントなんざ、えらい余裕だな」
不届きな発言をしたブルーザーの横っ面へ思い切り噛み付いたカールだったが、
人壁から頭一つ飛びぬけて現れた巨体を目端に捉えた瞬間、
眼を見開いて絶句した。
「おい、カール、あれがまさか………」
「ご…、【ゴンザレスJET】や………!」
祝賀パレードは、もうじきクライマックスの【リーヤの広場】へ向かおうとしていた。
†
「ちょ…、このっ! 一体何のつもりっ!?」
「きゅ、急にどうしちまったってんだッ!?」
その頃、露店が立ち並ぶ区画でも
抜き差しならない戦いの火蓋が切られようとしていた。
「【ヘルフレグランス】はヒトの脳を支配する妖しの芳香…。
本調子が整わずとも造作も無いわ」
「いや、その事については、私は誰よりも理解しているつもりだが、
なぜに私まで………?」
言わずもがな【ヘルフレグランス】とは、
砂漠の戦いでさんざんデュランたちを苦しめた美獣が秘術の一つだ。
芳香は脳へ直接浸入し、人間の身体の自由を奪う。
美獣の意のままに操られた露店のテキ屋たちが一斉にプリムやマサルへ襲い掛かり、
身動き取れないよう後ろから羽交い絞めにしてしまった。
これが悪党なら容赦なくねじ伏せるところだが、相手は罪なき一般人だ。
力ずくというわけにも行かず、いよいよ万事休すだ。
「無様な恰好になったものだな。
それとも、分相応の恰好と表現するが正しいか?」
「当てつけのつもりかしら? それにしてはいささか小賢しいわね」
「なんとでも言うがよい、無様な小娘よ。
…くっくくくくくく、くーっくくくくく………!!」
最も隠しておきたい素の自分を目撃されたのがよほど応えたのか、
プリムに対しては執拗に勝ち誇って見せる美獣。
毅然と睨み返すプリムの傍らでは、なぜか一緒に締め上げられた邪眼の伯爵が
顔中に“?”マークを浮かべていた。
「私たちをどうするつもりなのかしら?
当てつけついでに捕虜へ取るつもり?
…そちらの方が私たちには好都合だと、予め伝えておくわよ。
一般人に危害が及ばなければ、世界中の皆さんが
ドン引きするくらいに暴れられるからね」
「いや、それはどうでもよいのだが、なぜに私まで………?」
「血なまぐさい事を言うな。
今日という日に水を差すほど私とて野暮ではない。
今しばしそのまま大人しくしていれば解放やる」
「今日? へぇ、冷たいだけのネエちゃんかと思ったけど、
お国の祭りに義理立てするたぁ、思ったよりも筋が通ってンじゃねぇの。
プリムもちょっと見習えよ?」
「人間のくだらぬ催しなどに興味は無い。
私が野暮と言っているのはだな、…その…、か、かけおちの事であってだな………」
“かけおち”という単語を出すのが照れくさいのか、
右と左の人差し指を突き合わせながら、真っ赤になってボソボソと呟いた。
「………………………アホか」
直後にイヤンイヤンとカマトトぶる美獣にアンジェラの冷たい視線が突き刺さる。
初めて見る愛らしい態度を堪能した伯爵は、不条理に締め上げられているのも忘れて
「素敵だ、イザベラ」などと色ボケをかましているが。
「はぁっ!? かけおちぃッ?
あ、あんた、アンジェラたちの事、言ってるわけッ!?」
小さな翼を摘まれたフェアリーがあんぐりと口を開いて呆れ返った。
さぞかしご大層な理由があって穏便にしているのだと緊張していたら
飛び出したのが“かけおち”だ。
これで納得しろ、呆れるなというのが無茶である。
「私たちとしても【セクンダディ】の一人を失うのは手痛いが、
そ、その、人の、こ、ここ、恋路をだな、邪魔するのはよくない。
お前たちが後を追うなどと言うから、こうして強行手段を………」
「エロいバディではち切っておきながら、生娘ぶってんじゃないよ!
まじで脳に雑菌でも湧いてんじゃないのッ!?」
「だ、黙れ、チビッ娘女神!! 貴様に、こ、恋の何たるかが解るものか!!」
「………さっきから何をくっちゃべってるかと思ったら、
誰が誰とかけおちするですって?」
「えっ!? …き、貴様は………」
「なんであたしがブライアンなんかとかけおちしなくちゃならないわけ?
それ、恋話特有のでっち上げ通り越して、既に妄想よ、妄想」
さんざん命のやり取りを繰り広げた魔族の後姿を見つけ、
羽交い絞めにされている仲間を助けようと駆けつけてみれば
預かり知らないところでどうも話が錯綜していたようだ。
あまりに根も葉もない美獣の物言いを、アンジェラが溜息でもって吹き飛ばした。
「つまりは早とちりですよ、あなたのね」
「お、堕ちた聖者………っ!?」
パチン、と指を鳴らす音がしたかと思えば、一陣の風が舞い上がり、
妖しの芳香を霧散させ、【ヘルフレグランス】の支配から人々を解放した。
以前にライザが施した物と同じ風に乗って現れたのは、
どこへ出かけていたのか、今の今まで姿を見せずにいたヒースだ。
「確かにあたしとブライアンはさっきまで一緒にいたけどさ、
かけおちなんて甘っちょろい話してたわけじゃないわよ」
「で、でもでも、二人きりで人気のないほうへ入っていって………」
妖艶な魔女を気取っている筈の美獣は、
素の自分に始まり、乙女な内面、早とちり…と
人に見られたくない部分をこれでもかと言うくらいに露見させてしまい、
取り繕う事もままならないくらいにボロボロになっていた。
余裕の無さの証拠に、注力して気取っていた立ち居振る舞いまで素に戻っている。
「どうでもいいけど、あんたら、人の心配する前に、まず自分の心配したら?」
「な、なに………?」
アンジェラの言葉で気付かされたのは、
手に角材などの武器を持って殺気立っているテキ屋の皆さんだった。
祭りを楽しむ上での鉄則は、テキ屋を怒らせない事。
その点で美獣はどうか。
完全にタブーを踏みにじり、あまつさえ「祭りなどくだらない」とまでのたまった。
重ねて付け加えておくと、【ヘルフレグランス】の支配領域は運動中枢に限定されており、
操る対象の意識は自由だ。
「よくも俺らの祭りにミソつけてくれたな、姉ちゃん………」
「しかもくだらねぇとか言ってくれたじゃあねぇかよ………」
「………………………」
「はっはっは、ここは三十六計を決め込むのが最良の策らしいですねぇ」
「き、貴様も貴様で何を呑気に! 今の今までどこへ行っていたぁっ!?」
「私に当たらないでくださいよ。
………ちょっと人に会ってきていましてね」
ヒースのメガネが不気味な輝きを反射する。
右手に宿った発光が、顔面を照らしているのだ。
やがて光は美獣を包み込み、いずこかへと消失させてしまった。
「転送魔法…! 逃げるつもり…!?」
「無論です。ここで荒事を起こすわけには行きませんからね。
さ、伯爵さん、我々も帰りましょうか」
「むう…あ、いや、ちょっと待て、その前に―――」
一旦ヒースを制し、邪眼の伯爵がマサルを指差して宣言した。
「―――次は、勝つ」
「…へっ! ナマ言ってんじゃねぇよ。次も返り討ちにしてやるぜッ!!」
力瘤を作って応じたマサルに、フッと微笑みを投げかけ、
今度こそヒースと連れ立って奈落の底へと帰還していった。
驚くべき光景にテキ屋たちがポカンと呆けている中、
三人を見送ったアンジェラへプリムがそっと耳打ちを立てた。
「―――何の話をしていたのかしら?
あなたたちの関係からして、穏やかならざるとは思うけれど?」
「………ビンタ食らわしてやっただけよ。
よくもコケにしてくれたわねって」
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