<決戦突入・24時間前>


『しゃるのちからぶそくでほんとうにもうしわけないでちが、
 せっかくの【まなすとーん】、しゃるのてにはおえないでち。
 ないぶのじぇねれいたーもしゅうぜんふかのうなくらいやききれてるは、
 がいそうがないぶのかりゅうしゆうごうにたえられないはでさんざんでち。
 っていうか、こんなもんをしゅうりさせようってのが
 どだいむちゃなんでちよ、こののーたりんどもがっ!』


【ガルディア】の結婚祝賀パレードの変が終結した頃、
【マナストーン】の復旧作業に没入していたシャルロットが
最終的に達した結論は無念のお手上げだった。


『かくなるうえはえるふのひきょうへ…【るーいんどさぴえんす】のいさんを
 かんりする【まな】のもうしごたちのもとへいくことをていあんするでち。
 しゃるよりずっともすぐれたぎじゅつをもつえるふなら
 【まなすとーん】をきっとしゅうふくできるはずでち!』


【エルフ】とは、霊長類の頂点に位置する貴種中の貴種であり、
その最大の特徴は不老長寿…数千年とも言われる命数を、
殆ど老いる事のない、瑞々しい若さで生き続ける人智を遥かに超越した存在だ。
現在では【光の司祭】ことルサ・ルカ以外のエルフは人界へ姿を現す事なく、
【エルヴン・セイファート(極めて近く、限りなく遠い彼方)】なる異世界へ去って
人間への不干渉を貫いている…と伝承には語られている―――とは
以前にも語られた事実だが、【マナ】の管理者であったとは、誰もが初耳だ。


『げっ!? それじゃなにかい、【エルヴン・セイファート】へ行くってかっ!?』


ハーフエルフのシャルロットや
【光の司祭】として人間界に帰属しているルサ・ルカを除いたエルフの中で
唯一人間と親交を持ち、【ジェマの騎士】の従者として活動しているポポイが
心底不満たらたらの悲鳴を上げた。


『…? イヤなの? ポポイ? オイラ、ポポイの故郷、見てみたい』
『イヤっつーか、なんつーか…。
 オイラ、「エルフと人間の交流を結び付けてみせる!」とか
 なんとかデカイ事吹いてクニを飛び出してきちったクチじゃん?
 目的の十分の一も達成できてないのに出戻るのはちょっとなー………』


シャルロットの提案に、最初こそ渋っていたポポイだったが、
【エルヴン・セイファート】へ通じると云われる【ランプ花の森】へ
足を踏み入る頃には、「【エルヴン・セイファート】に入ったら、
きっとみんな腰抜かすぜ〜♪」と鼻歌交じりにお郷自慢も披露し始めた。
なんだかんだと勿体つけても生まれ故郷を目前に、里心がついたのだろう。
調子外れな鼻歌をケヴィンと二人で奏でては嬉しそうに笑っていた。


『この祭壇に手を添えれば、アッて間に【エルヴン・セイファート】だ。
 安心しなって! 片道キップなんてケチ臭い逆キセル詐欺は無いから!』


【ランプ花の森】の最奥部にひっそりと設けられている古びた祭壇には、
【草薙カッツバルゲルズ】が所持する【マナストーン】に酷似する部品が
取り付けられていた。


『またあのしんきくさいせかいをみなけりゃならないとかんがえると
 それだけでうつになってしまうでちね』


一種の転送装置か何かと一同が足踏みして訝る中、
シャルロットは慣れた様子で祭壇に手を添え、
次の瞬間、不思議な粒子を残していずこかへと消え去ってしまった。


『今のは【ニルヴァーナ・スクリプト】っつってね、
 一種のテレポーテーションみたいなモンだよ』
『おぉ〜!! なんかよくわっかんねぇけど、面白そうじゃねぇのッ!!
 おっしゃあッ!! 次ぁ俺が行くぜェッ!!』


何やら琴線に触れる物があったらしく、
不思議な粒子に目を輝かせたマサルがシャルロットの後に続いて祭壇に手を置いた。


『…DNAパターンヲオートフィードバックシマス。
 DNAパターンノトウロクハ、コンゴコノ【エクソダスアーク・システム】ヲ
 キドウスルサイニヒツヨウトナリマス。 
 ナオ、トウロクヲオエタカタハ、ソノママノタイセイデ、オマチクダサイ。
 【エルヴン・セイファート】ヘノ【エクソダスアーク・システム】ハ
 コノガイダンスゴ、スグニキドウシマス…』


恐ろしいくらいに感情の無いガイダンスが流れた数秒後、
マサルの姿はシャルロットと同じように掻き消えた。
そこまで来て、ようやくこの転送装置が無害だと認めた一同は
続々と粒子の拡散の中へと身を躍らせていく。
次にランディ(プリムにケツを蹴りだされた)とフェアリー→
プリム+リース+アンジェラのトリオ→
おっかなびっくりしながらホークアイ→「先に言ってるね」と元気にケヴィン→
最後まで残ると言うポポイを置いてデュランが、
極めて近く、限りなく遠い彼方へと旅立っていった。


「な、なんやっちゅうねん、ここは………」


学術的興味から最後まで観察し、
ポポイと一緒に【ニルヴァーナ・スクリプト】の粒子に
捉えられた―――ところまではカールもしっかりと把握していた。
しかし、今、自分が置かれている状況はどうだろうか。
つい先ほど網膜に焼き付けた光景が、次から次へと幻影として目の前に
飛び込んでくる。
奇妙な表現だが、それ以外にこの不思議な空間を形容する言葉を
カールは語彙に持ち合わせていなかった。


「これが【ニルヴァーナ・スクリプト】だよ、カール」


そこは、白雪の銀世界ともまた違う、どこまでも真っ白な空間。
切り抜いた写真のように昨日まで脳裏に収めてきた
ありとあらゆる想い出が幻像に姿を映して飛び交う、情報の海。
絵にも描けない不可思議な世界に呆然自失するカールは
背後からかけられたポポイの声でようやく我に返ることができた。


「ポポイ………」
「シャルのうんちくみたく、ちょっと専門的な話になっちゃうけど、
 【エルヴン・セイファート】ってのはさ、
 【イシュタリア】と別次元の狭間に漂白する浮き島みたいなもんなんだよ」
「世界の狭間………?」
「次元と次元の間に広がる溝って言ったほうがいいんかな。
 世界であって、世界じゃない、亜次元の空間っていうか。
 それこそ、ヒトの手の届かない場所ってヤツだよ」
「ようわからんが…、
 【魔族】らの言う【魔界】や死後の世界たらと似たようなもんか…?」
「【イシュタリアス】から隔絶された、よくわかんない世界って点じゃ同じだね」 
「ほしたらこのワケのわからん現象も………」
「こいつは違うよ、ここはまだ【エルヴン・セイファート】じゃない。
 亜次元空間への連絡路みたいなもん。
 この面白現象は、【イシュタリアス】の存在する次元から
 遊離した事象の焼き写し。写真のネガみたいなもんさ。
 現実も、過去の出来事も、時間の流れに関係なくアトランダムに存在する空間がここ。
 だってここは、どの次元の法則性にも作用されない、完全な無の世界だからね。
 そりゃあムチャクチャにもなるさ」
「………………………」


人智を超えた不思議な空間も、ヒトの手の届かない場所ならではの現象と
定義づけてひとまず納得しようとしていたカールには、
ポポイの話はより一層の混乱を招く澱となって無秩序に逆巻くものだった。


「【ニルヴァーナ・スクリプト】は、
 早い話、異世界へ渡るための物理演算なんだよ。
 オイラは専門家じゃないから、詳しいメカニズムまではわかんないけど、
 【旧人類(ルーインドサピエンス)】時代には、
 こんなわけわかんない現象も簡単に操作できたらしいよ」
「【女神】を超えるほどの威力っちゅう謳い文句の正体は、
 つまりこういう事かい………」


遺失技術【マナ】に付いて回るフレーズに、
『【女神】を超えた威力』というものがある。
今日まで伝わる女神の恩恵【魔法】は超自然的・霊的な物だが、
【マナ】のベクトルは、あくまで物理的。
世界を渡る力も、全てを滅ぼし得る力も、
演算と物理的な素材をもとに組み上げられた、人智からの発祥物だ。
ヒトの発展の頂点こそ、【マナ】と言い換えられるかもしれない。






(さしずめ、ヒトの手にて産み出されし神通力っちゅうトコロかい………)






【女神】の超越を吹聴するのは人間の傲慢と危ぶむべきだが、
そうやって誇るに相応しいのも確かである。


「―――――――――って、ちょう待て、ポポイ!
 今、振り向いたらアカンッ!!」


未知の世界の知識に改めて呆然となっていたカールが
ポポイの背後に何か忌避すべき物を発見し、
焦りの冷や汗を滴らせて静止を絶叫する。


『―――国賊ッ!!』


聞き覚えのある、それも人生の中で一、二を争うほどに耳障りな吼え声が
白い因果の事象の彼方を揺らがせ、厭味この上なく鮮血の追想幻像(ビジョン)を
カールとポポイの目の前に滑り込ませた。






(なんちゅうタイミングの良さや!! おまけに音声付きとはご丁寧やないかッ!!)






カールが再会の約束をでっち上げた、ルッカの最期の瞬間が
ポポイの目の前に曝け出されたのだ。
なます斬りにされたルッカが、デュランの胸の中で最期に『クロノ…』と呟き、
事切れる瞬間まで、まざまざと、残酷なくらい見せ付けてから、
フッと白んで弾け飛んだ。


「あんな、ポポイな、これはな………」
「カールには気を使わせちゃったんだよな。
 ………いいって、オイラ、ルッカの姉ちゃんの事は知ってたからさ」
「知っとった…んか………?」
「ケヴィンと違って、オイラ、社会面まで新聞はきちんと読むしね」
「………………………」
「社会面以前にドコの新聞でも一面トップを飾ってたし、
 【ガルディア】の人たちがあんだけ大仰に騒いでたら、
 イヤでも耳に入ってくるっしょ」


確かにポポイの言うとおりで、よくよく考えてみれば、
あれだけの大事件を新聞や風聞が話題に持ち出さないわけがない。
誰の耳にもルッカの顛末は聞き及ぶところとなり、隠しようがない。
そうした社会情勢を子供組は気にも留めまい、と油断したカールの完全な失策だった。


「こーゆー言い方ってイヤだけどさ、ルッカの姉ちゃんは、
 きっとあの形の最期しか選べなかったと思う。
 命を投げ捨てるのも、集団で斬りかかるのも、
 どっちも正しいとは考えられないけどね」
「………ただ、ルッカは最期の最後にホンマに満足そうな顔しとった。
 正しいか、間違いかは別として、あの結末に無念は無かったはずやで」
「だから、オイラは人間が嫌いなんだよ」
「………………………?」


どこへ向かえば良いのか、方位磁石も定まらない無の迷い路を
一人で歩き始めたポポイの背中からは、憤りと哀しみが滲み出していた。
彼の心中を察したカールは決して追いつかず、
けれど置いていかれる事の無い距離を取って、小さな背中の語りに耳を傾ける。


「オイラ、今の【イシュタリアス】は本来の世界の姿じゃないとか、
 わけわかんない理由で人間と交流を立ったエルフも嫌いだけど、
 いつまで経っても発展のハの字も見せない人間も大嫌いなんだよ」
「………ほうか………」
「自主性っての? 自分たちで自分たちのケツも持ててないじゃん。
 どっかのお偉いさんに寄りかかったきりでさ」
「暗にどこぞのお国のコト、言うとるやないか」
「声高に【民主】を謳っても、ちょっと首を挿げ替えただけで、
 結局、言いなりになってた頃の悪習引きずったまんま。
 ………そんなだからルッカ姉ちゃんの最期もさ………」
「………【社会悪】への即時処断か。
 やっとる事ぁお前さんらも大して変わっとらんけんどな」
「そりゃそうさ。
 オイラも、プリムの姉ちゃんも【悪即滅】には
 この世で一ッ番の皮肉を込めてるんだからね」


二人の行く路を、過去に【アルテナ】が行った
社会制裁の幻像が通り過ぎていく。
焚書坑儒・宗教弾圧・民族淘汰………【アルテナ】が一極支配に仇名す者を
徹底的に始末してきた、忌まわしい過去の追想だ。


「悪いヤツは許せないし、悪さを見かけたらソッコーでブッ飛ばす。
 これ、正義定規で測ってみても、間違ったことじゃないよね?」
「程度と状況にもようけんどな。
 悪党を許さへんのは、おかしな事やないわな」
「【ジェマの騎士】としての正義と、オイラたち個人の正義、
 全部ひっくるめたのが【悪即滅】なんだよ。
 前にプリムの姉ちゃんも宣言してたっしょ?
 何を言われても、オイラたちの正義は揺るがないって。
 ………揺るがせちゃいけないんだよ、こればっかりはさ」


無軌道な暴れ方正当化する免罪符と見なしていた【悪即滅】の理念に
腐敗した社会への宣戦という意味があったとは思いも寄らなかった。
やり方にいささか過激な面はあるものの、彼らは紛れも無い【ジェマの騎士】なのだ。
彼らの正義の在り方を掘り下げず、表層的な暴れ方だけで判断していた自分が
恥ずかしくなったカールにとって、付かず離れずのこの距離感は、
恥じて赤みが差した顔をポポイに見られずに幸いだった。


「だから、オイラは、エルフだけじゃなくて、人間も嫌い。
 あ、もちろん【草薙カッツバルゲルズ】のみんなは好きだぜ?
 人間も、エルフも、みんな、【草薙カッツバルゲルズ】みたいだったら、
 きっともっと住みやすい世界になると思うんだ」
「………………………」
「オイラが見てみたいのは、そんな世界だよ。
 みんながみんな、誰かのために戦って、自分のために踏ん張ってる。
 そんな世界を見てみたいから、そのためにオイラは頑張るっ!」


ポポイが高らかに決意を咆哮した時、全ての幻像が白み、歪んで消え去り、
次の瞬間、ワッと世界が彩りを取り戻した。
急激な変化に追いつけず、目を眩ませてよろけたカールは、
頭を振って意識を定めたが、その瞬間に飛び込んできた情景に、
再び目が眩ませよろけてしまった。
なぜならそこは―――――――――













<決戦突入・12時間前>


最後の軍議の終結後から出立までのおよそ8時間は
各人の自由に休息を取ることに決定した。
ある者は仮眠を取り、ある者は決戦に備えて怠り無く武装を整えている。
誰もが昂ぶり、決戦へ想いを巡らせる、そんな緊迫の8時間。
屯所の廊下にヒールの音を響かせるプリムもまた、決戦に昂ぶる者の一人だった。


「決戦を明日に控えて、休めと言うのが無理なのよ。
 今にも飛び出してしまいそうなこの高揚―――」
「おおお〜!! いい飲みっぷりじゃねぇか、ルガーッ!!
 デュランも飲めって!! おい、ランディ、てめ、何逃げようとしてんだよッ!?」


休息と言っても、この緊張下では、誰もが昂ぶり、仮眠すらままならない筈だ。
そう頑なに信じていたからこそ、
差し掛かった食堂で開かれていた酒盛りを目の当たりにし、
らしくもなく盛大にズッコケてしまったのだ。


「な、な、ななな………っ!?」
「おう、プリムも来たか!
 ンなトコでボケーッとしてねぇでこっち来いって!!
 ちょうど今、鶏の水炊きが美味い具合に出来てよぉ〜!」


食堂で開かれた酒盛りには、
自分以外の【草薙カッツバルゲルズ】の面々が顔を揃えているばかりか、
【黄金騎士団第7遊撃小隊】や【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】からの
参加者も多く、人数的には酒盛りというよりパーティーだ。
何やら食堂のテーブルを真ん中へ固め、極東に古くから伝わる鍋料理を突付いている。


「ナベと言ったか…?
 こうして皆で一つの料理を突付くのも悪くないな」
「だろ? だろだろ? よくわかってんじゃねーか、こいつ!
 おし、ルガー、ジョッキ寄越せ、グイッと行けよ、グイッと」


上機嫌で酒盛りの音頭を取るのは、
皆さんご存知【草薙カッツバルゲルズ】きってのお祭り男のマサルだ。
彼の周りには群を抜いて多くの空き瓶が転がっている。
人一倍飲み、人一倍飲ませる、八面六臂の宴会部長っぷりに
すぐさまプリムは噛み付いた。


「な、なにを考えているのよ、この大事な時間にっ!?
 というか、あなたのその恰好は何ッ!?」
「飲んだら脱ぐっ! コレ常識じゃねぇか!」
「そんな常識、どこにあんだよ………」
「俺の生まれ育った祖国(クニ)で伝わる常識だよ!
 デュランもそんなツッコミ入れる前にまず脱げって!
 裸の色気を見せてやれって!」
「裸の色気も何も無い!! 今すぐお開きになさいッ!!」


フンドシ一丁という公然わいせつ罪ぎりぎりの恰好でデュランに迫るマサルを
得意の鞭で文字通りにぴしゃりと押し止めたプリムは
烈火の如き憤激でもって参加者全員を叱り飛ばた。
負けん気の強いアンジェラあたりは反論しそうなものだが、
尋常ならざるプリムの怒り方に気圧され、すっかり言葉を無くしてしまっている。


「これは一体なんの騒ぎなのかしらッ!?
 察しの悪い私にも理解できるように説明していただける、マサル!?」
「えッ!? なんで俺ピンポイントよッ!?」
「あなたが首謀者というのは既にお見通しなのよッ!」
「なん、おま、ちょ、超能力者かッ!?」
「フンドシ一丁で誰よりもフィーバーしていた人間の言う事かッ!!」


行動原理が攻撃的で、少々行き過ぎなところも多いが、
【ジェマの騎士】の従者である事をプリムは何よりの誇りとしていた。
豪商の名家に生まれ、厳格に育てられたというバックボーンと誇りは
まるでパズルのピースのように合致し、気位が高いながらもクールなプリムを形成。
気弱なランディと気ままなポポイを引っ張り、
悪に立ち向かってきた経験と自信も融合された現在では、まさしく“できる女”。
【草薙カッツバルゲルズ】の姉貴分はプリムだと誰もが頷くだろう。
そんなプリムにとって、やれ宴会だ、やれお祭りだと脱線しては士気を掻き回し、
自分勝手な行動ばかりのマサルは唾棄したくなるような人間だった。
「デュランの友人でなければ、即刻クビにするところ」と忌み嫌って憚らないほどに。


「デュラン! あなたはリーダーとしての自覚が足らな過ぎるわ!
 大事の直前だと言うのに自ら率先して酒盛りなんてどういうつもりッ!?」
「………リーダーにだって憩いの時間くらい許してくれや」
「リース! あなたまでマサルの雑菌に冒されてしまったのかしらッ!?
 他の皆がダメでも、【草薙カッツバルゲルズ】最後の良心が傾いではダメ!!
 そうなったらもう誰にも止められなくなってしまうのだから!!」
「す、すみません…、軽率でした………」
「シャルロット! 明日はダンナをブチのめさなきゃならないのだから、
 気分が落ち込むのもわかるけど、それは酒盛りの理由にはならないわ!!」
「がっきゅういいんちょうきどりでちか、このはばねろおんながっ!」
「アンジェラ! あなたもシャルロットと同じ!
 さっきまで『ブライアンと戦うなんて…』とか
 ウジウジやってたくせにどういう開き直りなのッ!?
 イヤな事を忘れようとする酒ほど悪酔いするものはないわよッ!!」
「イヤな事っていうか、明日のために景気付けっていうか………」
「ケヴィン! まさか酒なんか飲んでないでしょうね!?
 非行なんかに走ったら、鞭でお尻ペンペンの刑よッ!!」
「ご、ごめんなさい! ルガーに誘われて、ちょっとだけ、飲んじゃいました!
 い、今から、トイレ行って、吐いてきます!」
「カール! ケヴィンを保護する立場のあなたが何をやっているの!!」
「ま、幻の銘酒【鬼殺し】と聞いて、ついフラフラ〜とやな………」
「ホークアイ! ………このヘタレめッ!!」
「あれッ!? 俺ん時だけなんかおかしくないッ!? なんでッ!?」
「仕方ないじゃん、キミ、特徴も変哲も無くただの単細胞な“チンカス”なんだから★」
「だからさ、プリムもフェアリーも、なんで俺だけ普通に悪口なんだよ! 」


決戦に向けて高揚するコンセントレーションを
よりにもよって最も嫌いな人間にかき乱されたプリムの憤激の矛先は
順繰りに一同を突き刺していく。
こうなったプリムは誰にも止められないと肌で知っているランディは
諦めたの溜息を吐いた。


「そこッ! 何を溜息ついているのッ!!」


―――気取られないように細心の注意を払って吐いた溜息を
地獄耳に察知されたランディの横っ面を風切る鞭が
したたか打ち据えた事を忘れずに付け加えておく。


「ちょっと皆、どうかしてるわよッ!? 12時間後には最終決戦なのよッ!?
 どうしてそうリラックスして構えていられるわけッ!?
 少しは緊張感を持って行動しなさいよッ!!!!」
「―――あー、なるほどな、お前もビビッちまってるわけだ。
 はっはっは〜!! だったら尚のこと、こっち来て一杯やれや〜!」


癇癪を起こしたかのようなプリムの物言いに皆が押し黙る中、
マサル一人が高笑いで返した。
緊張感を持てと叱られたばかりだと言うのに、
余裕しゃくしゃくな態度をとるマサルにプリムの神経はますます逆なでされる。


「なぜ私が怯まなければならないのよッ!!
 そして、それがどうして酒盛りに結びつ―――」
「ま、飲めって。お説教はそれからゆっくり聴こうじゃねえの。
 それともアレか、お前さん、酒も呑んだことが無い箱入り娘かい?」
「なっ、み、見くびらないで欲しいわねッ!!
 アルコールなんて慣れっこなのよ!!」


ズイと眼前に差し出されたグラスには、
エール酒以外にも茶化しの入った挑発が並々注がれている。
ここで酒を断ろうものなら、今後はこれをネタにからかわれるだろう。
それは耐え難い屈辱だ。ならば正々堂々と戦って屈服させてやる。
マサルから引っ手繰ったグラスをプリムは一気に呷ってみせた。


「おっ!! なんだよ、プリムもイケるクチなんじゃねぇか!」
「下品な形容詞をつけないで欲しいわね!
 大体あなたはいつだってそうなのよ。粗野で下品で勢いだけでッ!!」
「そりゃどうもすんませんねェ」
「本当よ! 勝手にイモなデザインの旗をこさえてくるわ、
 なにかにつけてマグロの尾頭付き持ってくるわ、非常識にも程がある!!
 特にチーム全体に関わる事はなんとかしてもらいたいわね!!
 せめてデュランに相談して決めるとか―――」
「まーまー、そんなにガナッてりゃ喉が渇くだろ。
 ほら、もう一杯!」
「おいおい、マッちゃん、酒ばっか呑ますなよ。
 せっかく鍋があんだから、こっちも美味しく頂こうぜぇ〜♪」
「ホークの勧めではありませんけど、
 美味しいお料理を捨て置くなんて勿体無いですよ、プリムさん。
 見てください、お肉もプルプルです」
「リース、プリムに少し見繕ってやれよ。
 ランディ、余ってる小鉢があったらこっちに回してくれ」
「わかりました〜。
 あ、プリムは酸っぱいものが好きだから、一緒にポン酢も渡しますね」
「お! いいね、いいね、いい飲みっぷりだ!
 もう瓶が空んなっちまったよ!
 ルガー、そこの誰も口つけてねぇヤツ、投げてくれや〜」
「投げるか! ほら、ケヴィンから順繰りでリレーしてやる」


注がれたエール酒を律儀に煽っては、
クドクドとマサルに対する日々の鬱憤を吐き出すプリムはきっと気づいていないだろう。
すっかり口車に乗せられて、酒盛りの席へ加えられている事実に。
中間管理職の悪酔いさながらの説教癖が発露している事も、
それが皆の最高の肴となっている事も、
気づく間もなく回ったアルコールにすっかり揉み消されてしまっている。


「わ! 水炊きって、ホントに美味しい!
 ポポイも、もっと食べようよ」
「あー、うん、ガッツリ行きたいのはヤマヤマなんだけどさ………」
「? どうした、ルガー? なんか、怖い顔、してるけど?」
「………そんな事は無い。
 ―――おい、ちょっと貴様、こっちへ来い」
「っつーかさぁ、ルガーっチさぁ、オイラにジェラシってるでしょ」
「な、なぜそれを…じゃない!! なぜそうなるッ!?
 お、俺は別にケヴィンと貴様が仲良さそうだから、
 ほんの少し寂しくて、思い余って後ろから貴様を刺し殺そうなどとは………」
「―――黒ッ!!
 ほんのちょっとの寂しさで発展するようなサスペンスじゃないだろ、ソレ!!」
「二人でナイショ話、ズルイ。オイラも、混ぜて!」
「なあ、ケヴィン、ルガーっチがオイラに言った事、教えてやろっか?」
「貴様!! 俺とケヴィンを引き裂くつもりか!!
 ええい、許せんッ!! 表へ出ろッ!!」


意味不明な絶叫を上げるルガーを「うるさい」の一言でもって
鞭で沈黙させるあたり、場の空気に染まりすぎだ。
酒盛りを糾弾した最初の威勢どこへ消えたのか。


「もう、デュランったら。
 お肉ばかりでなく、お野菜もバランスよく摂らなければダメじゃないですか」
「うっせぇな〜、スタミナ付けとかねぇとならねえだろうが」
「いけませんっ。お野菜を摂っておかないと持久力が保ちませんっ!」
「ひゅ〜♪ すっかり良妻っぷりを発揮してんじゃん、リース。
 よかったな、デュラン。これでお前の栄養管理はバッチシだな♪」
「どこが良妻だ! 栄養を破壊し尽くすような料理しか出来ねぇヤツが
 バランスもクソも無ぇだろうッ!?」
「ど、どうしてそこで料理の腕に話が飛ぶんですか!
 それに最近、解ってきたんです、料理というモノの極意が!
 料理は味や見た目ではなく愛情ですっ!」
「ひゃっひゃっひゃっ。
 ここまでおかぼれされたらデュランしゃんもほんもうでちね。
 あいじょうをちょうみりょうにして、
 じごくごくらくまっさかさまなふるこーすをあじわいつづけるがいいでち!
 いっしょうぬけだせないそこなしぬまでもがくがいいでちよ!」
「地獄じゃありません、毎日極楽ですっ」
「うわわ〜、リースさんって、意外と大胆なんですねぇ。
 ………プリムにも少しくらいこんな可愛げがあってもいいのになぁ」
「ひゅ〜♪ これでデュランの一生は決まったね♪」
「てめえ、ホーク、今度ジェシカに会ったら、あの事バラすからな!!」
「―――うWぇッ!? まじッ!? ちょ…、か、カンベンしてくれ!
 アレをバラされたら、今度は地獄突きじゃすまねぇよ!!
 確実にケブラドーラ・コン・ヒーロ食らうって!!」
「なんでぇ、ホークは尻の下タイプかよ。ダメだなぁ〜、二人とも。
 その点、俺のカミさんは違うぜ?
 ちょいとガサツだけど、可愛いし料理も美味いし万々歳で言う事ねぇからな♪」
「ハッタリぶっこいてんじゃねぇよ!!
 レイの、お前のカミさんのどこが文句ナシだってんだ!!
 こないだもお前、土産がリクエストした物じゃないって
 家から追い出されてたじゃねぇかッ!!」
「はっはっは〜! 上っ面しか見てねぇヤツはこれだもんな〜。
 アレは愛情の裏返しってヤツさ〜!」
「―――っていうか、マッちゃん、妻帯者だったのかよッ!?」


酒も回り、談笑も弾み、いつしか水炊きも
クライマックスの雑炊が投下される頃合となっていた。


「………私に言わせれば、どいつもこいつもダメ男よ」
「【草薙カッツバルゲルズ】の面子に色男を求めるのは無駄だって、
 あたしは最初からわかってたけどね」
「え〜、“歩く桃色リビドー”はけっこイイ線、行ってると思うんだけどな〜★
 売約済みなのが玉にキズだけど、あれは将来でっかくなるタイプだよ。
 ヤンキー、故郷に錦を飾る、みたいな。ジャリの時分にやんちゃくれだったバラガキほど
 実は将来性があるもんだし。
 他の連中は、まあ、どいつもこいつもお先真っ暗どんぐりの背比べだけどさ」
「【女神】の後継者が俗っぽい事を言うんじゃないわよ………」


マサルの奥さんを巡る談笑を尻目に、
プリムは美味しく出来上がった雑炊へ一番に箸を付けた。
小鉢に盛った雑炊は鶏のスープがこれでもかと言うくらいに染み込んでいて、
口にした瞬間に濃厚な味わいが全身を駆け巡った。


「………あんたさ、途中から気づいてたでしょ。
 マサルがどうして決戦直前にこんなバカ騒ぎを催したか、さ」
「………………………」
「ホ〜ント、“アナフィラキシー”ってあだ名通り、素直じゃないんだから。
 それで人気取ってるつもり? 媚びてるつもりなの?
 んっもう、ウザいなぁ〜★」


雑炊を頬張りながら顔を薄く紅潮させるプリムの様子に
図星を感じ取ったアンジェラとフェアリーは顔を見合わせて微笑む。
微笑みの間に挟まれたプリムの頬は、ますます赤の色相を強めていった。


「………あの男に言われたとおりよ。
 決戦を12時間後に控えて、私、正直怯んでいたわ」


緊張を緩めるなと誰かを叱り飛ばす事で、
今にも崩れそうな自分をプリムは必死で取り繕っていただけだった。
最初は無自覚的に、けれど、鍋パーティーが進むにつれて自覚的に、
自分の内包する決戦への怯えを初めて意識したのだ。


「そんなの誰だって同じよ。
 リースの弟を助けるための旅が、
 いつの間にか世界の危機を救うような大戦にまで発展してたんだもの」
「みんな、みんな怖かったのよね。それをあの男は感じ取ってた」
「感じ取っても、フツーはこんな思い切った行動は出来ないよ?
 みんなの緊張を解すために飲み会だなんて」


自分の怯えを意識して初めて見えてきたものもある。
なぜマサルが、こんなにも非常識なタイミングで酒盛りを企画したのか、だ。
戦士として立つからには、ある程度の緊張は不可欠だが、度が過ぎては焦りを生む。
戦場での焦りはそのまま死に繋がると、プロの傭兵であるマサルは誰より理解している。


・死を招く緊張をリラックスさせるにはどうするべきか?
・それも出来るだけ多くの仲間たちの。


この命題に対するマサルなりの回答こそ、今回の鍋パーティーだったのだ。


「………あのバカ男に一杯食わされたのは、少しだけ腹立たしいけれどね」


豪放磊落なようで実に繊細な気配り。
ガチガチに緊張していた怯みをすっかり解きほぐされたプリムは
アルコールで顔中真っ赤にして大笑いするマサルへ、
悔しそうに――けれど感謝の念を込めて――悪態をついた。






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