<決戦突入:16時間前>



それは、怯えとも、武者震いとも違う感情。
初めて体験する、不可思議な揺らぎ。
コントロールしようにも自由の効かない、やる瀬の無い無限ループ。
持て余した感情に折り合いをつけられず、アンジェラは頭を垂れた。






(………あー、グチャグチャになってきた………)






決戦を直前に控えた【ジャド】屯所内は、
あの剣戟はどこだ、この防具はどこだ、と慌しく流動している。
絶え間なく流れ続ける混沌の状況は、
同じところをグルグルと巡るアンジェラの感情と鏡合わせのように似ていた。


「またそうやって無意味に膝を抱え込んでいるのか。
 頭を使って答えを捻り出せるほど、お前は器用ではないだろうが。
 …呆れて物も言えんな。何度も同じ轍を踏むなど阿呆のやる事だ」
「―――――――――ッ!」


つっけんどんな物言いだが、どこか気配りを含んだこの言葉。
「まさか、あいつが!?」と反射的に頭を上げるが、
その過程の内に声質もトーンも望む人間の物ではないと理解し、
一瞬の勘違いに肩を落とした。


「やはり猿真似では効果はありませんか」
「ヴィクター………………………」


真面目人間には珍しく茶目っ気を出してウィンクするのは、
声色を真似てアンジェラに声を掛けたのはヴィクターだった。


「あんた、どうしてここへ………」
「それはあんまりな物言いじゃないですか、姫様。
 まさかお忘れではないでしょうね?
 【例の物】を届けるように命じたのは貴女ですよ」
「【例の物】………?」
「最終決戦にどうしても必要だから、すぐに持って来いと【モバイル】で」
「あ…、そっか………」


十六時間後に迫った決戦の要となる【例の物】とやらの搬入へやって来たヴィクターは、
生気の薄い反応を示すアンジェラに肩をすくめ、
無言のまま、その隣へ腰を下ろした。


「…アンジェラは昔からそうだったね。
 普段は無軌道なクセして、悩む時は一人で殻に閉じこもって。
 君は悩むと空返事しかしなくなるって、気付いてたかい?」
「人間なんて、思うところがあれば、みんな、そんなもんでしょ………」
「なるほど。思うところがあるわけだ」
「………………………」
「―――ブライアンの事かな?」
「………………………!?」


誘導尋問と恐れるにはあまりに単純で稚拙なやり取りだが、
感情の袋小路へ迷い込んだアンジェラにはそれさえも衝撃的で、
驚嘆と感嘆を綯い交ぜにしたような表情で呆然とヴィクターを見返すばかりだった。


「大体の経緯は知っているよ。
 君たちが言うところの【決戦】が、ブライアンとの正面激突になる事もね」
「………………………」
「アンジェラはどうしたのかな?」
「………私は、リースの弟を助けるために戦うだけで………」
「それはあくまでも目的だよ。
 私が訊いているのは、君自身がこの決戦へ馳せる想い。
 もっと言えば、ブライアンと相対した時にどうしたいか、という事」
「………私は、だから、
 エリオットを助けるためならブライアンとも………」
「“だから”は私の言葉だ。
 同じことを繰り返すけど、今のはあくまでも目的の延長に過ぎないよ」
「………………………」


ヴィクターに迫られるまでもない。
ブライアンと直接対決となった場合、自分はどうするだろうか?
宣戦布告の通りに全力で戦えるか。【革命】の理想を説得するのか。
どちらにも自信が無かった。
幼馴染み相手にいきなり全力を出せるほどアンジェラの神経は太くできていない。
よって前者は無効。では後者はどうだろう。
【アルテナ】に対して敢然と【革命】を宣言したブライアンを、
自分にとって最大のバックボーンを敵に回す覚悟でいる革命者を
説得できるとは到底思えない。
いつもの如く弁舌で丸め込まれてしまうのは火を見るより明らかだ。






(………手も足も出ないのに、どうすればいいってのよ………)






正面から啖呵を切ってみたところで、
ブライアンを相手に命のやり取りは、アンジェラには出来ないだろう。
いくら強がって見せても、事がここに至ってなお踏ん切りを
付けられないでいるのが最たる証拠と言える。
手も足も出ず、本気で渡り合える自信も無い。
幾つもの潮流が頭の中でぶつかり、砕け、何度も何度も堂々巡りを繰り返す。
やる瀬の無い感情の正体は、まさしくここにあった。


「ブライアンは何を【革命】しようとしているのか、
 君は知っているかい?」
「………知らないわよ。自分で訊いたらどう………?」
「そうだね。
 君は【革命】という言葉だけに注目して、
 あいつが何を、どう、どんな形へ【革命】しようとしているのか、
 全く眼を向けていないね」
「だったら―――」


まるで謎賭けを問答するかのようなヴィクターの物言いへ
苛立ち紛れに「だったらどうなんだ」と文句を決壊させようとした唇を
彼の人差し指が抑えて留めた。
ヴィクターのこの仕種は、黙って聴きなさいという意味のゼスチャーだ。


「だったら、正面からぶつかって、
 今度こそあいつの口から【革命】の真意を引き出せばいい」
「………………………」
「殻に閉じこもる悪癖の割に、
 君は考えれば考えるほど答えから遠ざかるキライがある。今みたいにね。
 だったら、答えなんか無理して探さずに、
 まずは動いてみるのはどうだろう?
 眼で見て、耳で訊いて、それから判断を下すのが
 一等、君らしいと私は思う」
「ヴィクター………」
「無軌道に動き回る中で拾える答えは、
 紛れも無い君だけの物だよ、アンジェラ」



あの日―――【極光霧繭】でリースやプリムとの落差に激しく動揺した日、
ブライアンに掛けられた、不器用な激励と殆ど同じ言葉を
今度はヴィクターに反復されてしまった。
幼馴染みたちの観察眼にはどうやら自分は
いつも、いつまでも同じ問題でウジウジと悩む性情に映っているようだ。


“答えなど探さずに、流れに身を任せてみろ”


ただその言葉だけで、それまでの暗霧が嘘のように晴れ渡り、
アンジェラはもう一度、腰を上げる事ができた。


「…うんうん、瞳に輝きが戻ってきた。
 君はそうでなくちゃいけないよ、アンジェラ」
「…なんか、ゴメンね、いつもいっつも。
 おんなじコト繰り返しちゃ迷惑かけてさ。
 ―――そうよね。
 なんにも知らない内から勝手にアレコレ悩んじゃって、
 ホント、バカみたいよね」
「ブライアンなら、ここで『全くだ』と皮肉の一つでも言うものだけどね」


長い付き合いだからこその賜物か、
「全くだ」と鼻で笑ってみせるヴィクターの物真似は、
真にブライアンの特徴を捉えていたようで、アンジェラはお腹を抱えて笑い出した。
つられてヴィクターも笑い出す。
新たな気組みで決戦へ向かうアンジェラの再起が嬉しくて、つられて笑い出す。


「―――うし、そうとなったらまずは腹ごしらえ!
 ヴィクターも来る? これからマサル主催の壮行会があるんだけど。
 ナベとかいう極東の料理を振舞ってくれるそうよ?」
「正確には鍋料理だよ。
 …極東の食文化も捨てがたいのだけど、
 私もやらなければならない事があってね。
 そちらが早く掃けたらお邪魔させていただくよ」
「あんまり遅くなるようなら、容赦なく全部食べちゃうからね♪
 じゃ、またあとでね」
「ええ、またあとで。
 腹の虫を落胆させないよう、しゃかりき働くとしますよ」


鼻歌交じりどころか、軽やかなスキップで
壮行会とやらが催される食堂へ駆けていくアンジェラの背中を、
「この切り替えの速さも、アンジェラの持ち前だね」と
ヴィクターはいつまでも微笑ましそうに見送った。

しかし、最早決戦へ臨む迷いの無くなったアンジェラは、
あまりに気分が晴れ晴れとし過ぎて大事な事を見落としていた。
ブライアンと敵対するようになった経緯を、本来ヴィクターは知る筈が無いのだ。
定期連絡こそ取っているいるものの、
ブライアンが【紅蓮の魔導師】として【三界同盟】に回った事を
アンジェラはヴィクターに伝えた事は一度も無かった。
例えば、【アルテナ】の大国ならではの情報ネットワークに引っかかったり、
デュランあたりが情報の共有としてヴィクターに話していれば別だが、
それにしても、彼の口ぶりには、
ブライアンの叛旗も全て知っていたような印象を受ける。


『ブライアンは何を【革命】しようとしているのか、
 “君は”知っているかい?』


―――“君は”、とさも自分はブライアンの【革命】について
熟知しているかのような口ぶりで、葛藤するアンジェラの背中を押していた。


「ああして元気になるのはいいのだけれど、
 なんだかな、やはり恋敵に塩を送るのは複雑かな。
 …ブライアンめ、今度会ったら、一発、ケツバット決めてやる」


含みがあると疑わざるを得ない態度のヴィクターの裏側にある物を、
やや切なげな呟きも耳に入らないアンジェラには見抜ける筈も無い。
















<決戦突入:20時間前>



異世界という単語がある。
現代の常識では計り知れない文明や生命が存在する別次元を意味し、
しばしばコミックやライトノベルの題材として取り上げられている。
そう言った意味では、【草薙カッツバルゲルズ】が足を踏み入れたこの場所は、
まさしく異世界と呼ぶに相応しい。
数字とも神代文字とも覚束ない、緑色発光の羅列が一面真っ暗な空に浮かんでは消え、
その不可思議な空間を無数の鋼鉄の浮島が漂い、世界の大地となっている。
【エルヴン・セイファート】。
太古の昔に人類と袂を分かったエルフたちの移り住んだとされる世界は、
ありとあらゆる物が人智を外れた構造物で形成されていた。
―――だが、それ以上に驚愕を招いたのは、突きつけられた真実と現実だった。


「ちょっと待ってくれよ…、それじゃ何か?
 【マナストーン】はクソの役にも立たないって事かよ…ッ?」
「下品な物言いをしてくれるな、人間の仔よ。
 無断土足で【エクソダスアーク】まで起動させておいて、
 さも期待外れだと言いたげな顔をされても迷惑なのだよ」


愕然の色をにじませるホークアイの追求を、
光沢を放つ材質の民族衣装に身を包んだエルフの族長――名をファヴォスと言うが、
その端整な容貌から【妖精王】と敬称されている――は一片の同情も無く
あっさりと切り捨てた。
【エルヴン・セイファート】へ突入してすぐ直々に姿を現した妖精王は
先ほどからこんな調子で酷薄に突き放してくる。
人間を忌み嫌うエルフだけにこうした状況は予想済みで、
現に【エルヴン・セイファート】入りしてからと言うもの、
妖精王以外のエルフ族は誰一人姿を見せず、
たまに好奇の視線が感じられる程度しか気配は無い。
しかし、こうもあからさまに態度に出されては、怒りや憤りを通り越し、
逆に首尾一貫が清々しいくらいだ。
…実際に突き放される【草薙カッツバルゲルズ】からすれば、憎々しいだけだが。


「それじゃ、しゃるのてつやのふんばりは………」
「無為である事も気付かずに尽力するなど浅薄と嘲れば、あまりに浅薄。
 断片しか持たない知識で、
 身の程知らずにも【マナ】を復古させようなどと企てた報いだな。
 ………忌まわしきハーフエルフめ…!」
「おいおい、妖精王サンよぉ、
 そいつは差別的発言ってヤツじゃないかよ。
 っつーか、未だにニンゲンだの、ハーフエルフだの、
 埃っぽい考え方してんじゃねっつの」
「ポポイ…。貴様も他人を庇える身では無かろう。
 里を捨てた身でノコノコと舞い戻ってくるなど、
 どの神経が突き動かせば足を向けられるのか教えて欲しいものだな」
「あーッ、言われると思ったよ、ソレ!!」


辛辣な言葉を浴びせられて青ざめてしまったシャルロットを
庇おうとポポイが立ちはだかったが、【妖精王】は同族にも容赦が無い。
一番気に障る図星を突かれたポポイは、シャルロットの擁護もそこそこに
頭を掻き毟って呻き声を上げた。


「―――そもそもお前たちは【マナ】について、あまりに知識が欠如している。
 【マナストーン】を魔力の発動体などと、どうして誤解できようか」
「ンなもん当たり前じゃねぇか!
 そうやってコケにしくさる前になぁ、人間界に【マナ】を回してから言いやがれ!
 てめえの土俵でしか語れねぇクセして、デケェ面構えてんじゃねぇってんだ!!」


断片的にしか遺されていない情報からようやく遺産の姿を組み上げる人間と、
こうして無尽蔵に【マナ】を活用する管理者の間には超え難い溝があるのは当然の話なのだが、
それすらニンゲンの脆弱と言い切る態度はどこまでも高慢極まりない。


「………ルサ・ルカもルサ・ルカだ。
 ポポイ同様に無断で人間と交わって何を始めるかと思えば、
 己の白痴がいたずらに他者を掻き乱す結果も考えずに一炊の夢を与えるなど!
 何が【光の司祭】だ。言語道断の愚者ではないか」
「けれど、ルカ様の言葉があったからこそ、
 私たちは今日、ここに立てるのです。全てが無駄足ではありませんっ」
「ルサ・ルカを庇い立てするつもりなら、
 それ相応の立場にある人間に任せてはどうだ。
 なによりも愚かで蒙昧なるは、貴様なのだぞ、アークウィンドの末裔よ!」
「―――はっ!?」


高慢を嫌うデュランの逆鱗に触発されたリースも、
ルカを貶める【妖精王】に毅然と立ち向かうが、
突如名指しで、それも身に覚えの無い非難にさらされ、
顔中に『?』マークを浮かべて絶句した。


「おい、ちょっと待ちやがれ、
 そこでなんでリースの名前が出てくんだよッ!?
 こいつは何の関わりも―――」
「―――【マナ】の封印も満足に護れず、
 そればかりか本来禁忌としておくべき【神獣】をも復古させようと目論んだ、
 愚かな血族とは大いに関わりがあると思うがな」
「―――【マナ】…ッ、【神獣】ッ!?」


聴きなれない【神獣】という固有名詞に一同が小首を傾げる中、
『?』を『!』に換えて、リースだけが激しい反応を示した。
傍らで彼女の動揺を見ていたデュランは、その反応からある一つの仮説を閃いた。


「まさか、【ローラント】が封印してきた【禁咒】ってのは………」
「―――【マナ】………だったのですね」


口をついて出たデュランとリースの呻きに
【草薙カッツバルゲルズ】全員の視線が集中する。
妖精王は「ようやく気付いたのか、察しの悪い者どもめ」と悪態を吐いているが、
こじ開けられた真実の衝撃の大きさの前では、誰の耳にも入らない。


「………だんだん辻褄が合ってきたな。
 魔法を要とする大国【アルテナ】にとっちゃ、
 特別な技能も無く【女神】以上のパワーを発揮できる【マナ】なんぞ復活されちゃ、
 都合悪いコト、この上無いわな」
「一般に普及したとは言え、魔法の才覚に恵まれない人間はいるわけですし、
 誰にも扱える【マナ】の復活は、大国の発言権を斜陽に導くでしょうね」
「ほんで【ローラント】の目論見を事前に察知した【アルテナ】は、
 【社会悪】の名目でもって【マナ】ごと闇へ葬ったっちゅうわけか………」


【草薙カッツバルゲルズ】の“文殊の知恵”こと
ホークアイ、ランディ、カールの推論はおそらくは正解だろう。
自分の祖国の事ながらアンジェラもしきりに頷いている。


「そういう国なのよ、【アルテナ】は………」
「アンジェラ………」
「どういう風の吹き回し?
 権力の暈を着るのが大好きな貴女らしくも無いわね」
「あのねぇ、決めドコロで茶々入れないでくれる、プリム。
 あたしだってね、あんたたちと一緒に戦ってきて、
 どこがどうおかしいのか、きちんと観察できるくらいにはなったんだからね」


出逢った頃に比べてアンジェラが驚くほどに成長している事は
もちろんプリムにも解っていた。
にも関わらず茶々を入れたのは、腐っても祖国である【アルテナ】を非難された
アンジェラへの気遣いのつもりだったのだが、
どうやら良い意味で徒労に終わったようだ。
仲間との触れ合いが成長の階と、胸を張って答えるアンジェラに
過保護なまでのフォローは必要ない。


「でも、わかんない事、ある。
 リース、【神獣】って聴いて、すごく、驚いてた。
 【神獣】って、なんなの?」
「ずっとずっと大昔、【旧人類(ルーインド・サピエンス)】時代に
 【女神】へ向けて放たれた、八柱のケモノだよ。
 八柱を一まとめにして、【神獣】って呼んでるらしいね」
「フェアリー………?」
「恐れ多くも【女神】を滅ぼそうと目論んだ
 ニンゲンの負の帰結点なのだよ、【神獣】とはな。
 八柱が現世に蘇れば、間違いなく世界は瞬時に蒸発する。
 ………滅びの種子とは、何とも的を射た例えよな」
「【しんじゅう】なんて、しゃる、うまれてはじめてきいたでちよ………」
「ワタシも先代から伝聞したきりで、詳しい事までは知らないけどね。
 【女神】は世襲の際に必要最低限の知識しか継承されないから。
 その中で、きつく言いつけられたのは、【神獣】を決して世に出させない事。
 それがどんな物で、どうやって世界を滅ぼすのかさえ
 教えられなかったけれど、…ううん、もしかしたら、
 【神獣】の正体は、【女神】の継承者にさえ、易々と口伝してはいけない物なのかもしれない。
 ………今、改めて考えてみると、だけど」
「それはそうだ。【マナ】の管理者である我々とて、
 考えるだけで怖気の走る悪魔の泪なのだからな」


デュランたち現代人よりも【旧人類(ルーインド・サピエンス)】の造詣に深い
フェアリーと妖精王は【神獣】なる滅びの種子に格別の憎悪がある様子だ。
【神獣】と言葉に出す度に苦みばしった表情を見せている。
だが、【旧人類(ルーインド・サピエンス)】にまつわる知識の希薄な現代人とは言え、
世界を滅ぼす種子などと目の前で話されては心穏やかではいられない。
ヘタレを地で行くホークアイなどは上ずった声でリースに縋りついたくらいだ。


「じゃ、じゃあ【ローラント】では
 大昔っから【神獣】とやらを封印してきたのか、リース?
 もしかして【神獣】とやらを【アルテナ】がかっぱらったとか、
 どっかで復活されちゃいそうな筋書きとか、
 お決まり勇者伝記コースの話は無いよなっ!? 無いって言ってくれよッ!?」
「………すみません。
 情けない話ですが、私も今になって初めて、
 自分たちの一族が封印を護ってきた【禁咒】の正体を知ったところなので、
 所在はおろか、【神獣】がどんな形状なのかさえ………。
 ただ、世界を滅ぼす種子であるとは、幼い頃からきつく教えられてきました。
 決して触れてはならない、と………」
「それが蒙昧と言うのだ、アークウィンドの娘よ。
 【女神】より【神獣】の管理を委任されし血族の末裔よ。
 【マナ】について正しき知識を後継しないなど、怠慢にも程があ―――」
「―――それ、先代が私に【神獣】や【マナ】について、
 端々しか知識を授けてくれなかったのと、動機は同じだと思うよ」
「………何?」
「次の世代に、自分の子供に、重い使命を背負わせたくなかったんじゃないかな。
 もちろんこれはワタシの推理だけどさ。
 でも、先代の【イシュタル】は、私にハッキリと言ったよ。
 祖先と同じ道を辿ろうとしなくても良い。
 世界中を回って見聞きして、そこから導くべき未来を見つけなさいって。
 ………つまりそういう事だと思うな」
「【女神】の後継者ともあろう者が、なんと安易な考えを………」
「………あはは♪ 今の言葉を安易としか感じないなんて、
 妖精王とかご大層な名前を頂いちゃってるクセしてボキャブラリーが貧相だね★
 ン千年も年月を重ねてきたのはダテなのかなぁ?
 手前ぇの物差しを腐らせてるような精神的ハゲが、【女神】相手に悟ったような高説垂れんじゃねぇよ★」
「………………………」
 

全身を使って大仰に呆れを体現する妖精王を向こうに回し、
フェアリーは確信を持って言い切った。
未来の在り方を次世代へ委ねるという選択は、
果たして妖精王が言うような安易なものだろうか。
人類の自主を信じて全てを託す英断ではないか。
………親が子に抱く情愛と少しも変わらないではないか。


「寿命ってモンから解放されたエルフにゃ、わかんない考えだよ、そりゃあ。
 絶対的に個体数が減少しないし、必死こいて汗流さなくても【マナ】で何でも叶う。
 そんなんだから、子孫繁栄を考える必要もないしね」
「………ポポイ、何が言いたいのだ?」
「あんたらは進化の袋小路に差し掛かってるのさ。
 オイラは外へ出て色んな人たちに会ってきたから、
 そこんとこがよ〜くわかるんだ」
「………………………」
「次の世代のために、今を懸命に生きて、未来を選んでいく。
 そうやって世界は【発展】してくんだよな。
 自分たちの苦しみ、子供たちにまで押し付けたくないって親心さ」


現代人よりも遥かに高い水準の文明を誇るがゆえに
飽食を貪り【発展】を止めたエルフの族長、妖精王にはとても理解できなかった。
エルフ族としてはまだまだ若輩のポポイが、族長である自分に
世界の在り方を説いている。
取るに足らない矮小だと見下していたポポイの、
狭い世界から広い世界へ駆け出した者の言葉が妖精王の心を突き刺し、
拒絶の罵詈を押し黙らせた。
机上の空論でなく、自分の足で駆け回って見つけた言葉には、
凍て付いた心をも揺るがす説得力が込められていたからだ。


「よゥしッ!! そうと解りゃダッシュで戻ろうぜ!
 次の策を考えねぇとなッ!!
 …っと、その前にアレだ、鍋やろーぜ、鍋!」
「…【マナストーン】が切り札足りえぬ以上、
 お前たちに手立てなどあるものか」
「手立てが無いんだったら、これから作りゃいいじゃねーか。
 俺たちゃ、そうやって、これまで無茶を通してきたんだしな。
 な、デュラン?」
「通さなけりゃならねぇ無茶を増やしてくれたのは、
 主にお前だろうが!」
「―――話は最後まで聴け」


これ以上長々とした説法はご免なマサルが
皆を率いて後戻りしようと逸るのを妖精王の静かな声が制止させた。


「リーダーの…、デュランと言ったか。
 今一度問うが、【マナストーン】がお前たちの望む物では無く、
 再び始発点に戻った現在、ここからどう駆け出すつもりなのだ?」
「…あんたの言う通り、【マナストーン】は、
 俺たちにとって持ち腐れるお宝になっちまったよ。
 【マナ】のエンジンとか、俺にゃ意味が全く解らねぇよ。
 でもな―――」


これまでデュランたちはルサ・ルカの言葉や各地に根付く伝承から
【マナストーン】を一種の魔力の発動体と仮説し、
対【三界同盟】の切り札と据えるべく修復に力を注いできた。
―――説明が前後してしまったが、人智を超えた世界絵図以上に
【草薙カッツバルゲルズ】へ衝撃を与えた真実と現実について語ろう。

【エルヴン・セイファート】に到着し、妖精王と謁見した彼らは
すぐさま【マナストーン】修復の交渉に入った。
ポポイやシャルロットの仲立ちの元、事情を説明すれば、
打ち解ける事はできなくとも多少の助力を望めると考えたからだ。
しかし、味も素っ気も無い返答は「【マナストーン】など修理したところで
お前たちのチカラにはならない」。

【マナストーン】の正しい用途とは、重機型の【マナ】へ埋め込む事で
エネルギーを供給する、一種の動力装置(エンジン)だった。
半永久的にエネルギーを供給できる機関として、
確かに【女神】を超える威力を発揮する事はできるが、
生身の人間の一行にその恩恵が舞い降りる事は無い。
よしんば用途を理解した上で【マナストーン】を修理できたとしても、
人間界に現存する重機型の【マナ】は長年遺跡深くに埋もれていた為、
動力を埋めこんだところで起動できないほどに損傷してしまっている。

―――つまり、これまでの【マナストーン】への執着は
完全な無駄骨だったと妖精王は結論付けて嘲り笑った。

長年を研究に費やしてきたシャルロットにとって、
これまで誤解を真実と信じてきたショックは大きく、
妖精王の嘲笑にも何も言い返せないほどに落ち込んでしまった。


「―――でも、マサルの言う通り、俺たち【草薙カッツバルゲルズ】は、
 その無駄足のお陰で集まったんだ。
 …かえってスッキリしたぜ。
 今日からは【マナストーン】なんてモンに振り回されねぇで、
 自分たちの力一つで新しい道を模索できるんだからな」


けれど、これまでの旅路は決して無駄では無い。誰もが断言する。
偽りに振り回された旅路の成果は、ここに翻る【草薙カッツバルゲルズ】の旗が
百万回の言葉よりも如実に証明している。
奇妙な縁で集った仲間たちの、今すぐにでも新しい道へ駆け出しそうな覇気が
【マナストーン】を上回るパワーを醸し出していた。
そうだ、手立てが無いなら、これから作ればいい。
若さが生み出す圧倒的なパワーこそ、【草薙カッツバルゲルズ】の真骨頂なのだから。


「………………………」


ジッと瞑目したまま沈黙していた妖精王は、
どうやら眠ってしまったようだから、起きない内に帰ろうと
プリムがデュランへ耳打ちする頃になってようやく瞳を開き、
二度ほどパチンと指を弾いた。


「―――【三界同盟】の本拠地、【キマイラホール】の見取り図だ。
 餞別代わりに持っていけ」


弾かれた音に共鳴して空間が揺らめき、
そこから何枚かの白い紙が風と踊りながらデュランの手元へと落ち着いた。


「見取り図だって!?」
「なんでこんなもんがあんたの手元にあんだよ…っ?」


驚きを隠せない一同の目の前に、複数の【映像投射光板(デジタル・ウィンドウ)】が表示される。
内容は紙面にプリントアウトされた物と同じ見取り図だ。


「我々は【マナ】を管理する者。ゆえに【マナ】の所在は常に把握している。
 【三界同盟】なる結社の中には【マナ】を
 災いの芽に換えようと企てている者もいるようでな。
 ………こうしてスキャン画像にて監視しているのだ」
「スキャンとかカッチョいい横文字並べてっけど、
 早い話が盗撮じゃんか! 相変わらず趣味悪いな、あんた!」
「でも! これで、オイラたち、守りから攻めに転じられる!
 一気に決着、つけること、できるんだ!!」
「【グレイテストバレー】の頂より口を広げる奈落の大穴こそ
【キマイラホール】への入り口だ。
 ………お前たちが高説を垂れた未来とやら、試してみるといい」
「けっ、すなおじゃないでちね、このおっさんは。
 まあ、そこでゆびをしゃぶってみてるといいでち。
 しゃるたちのゆうじょうぱわーであんたしゃんを
 ぎゃふんといわせたあげくにどげざでくつをなめさせてやるでち。
 いまのうちにせいぜいはみがきしてくつのよごれにそなえるがいいでちよ、
 このみみくそやろうがっ」
「お〜い、このオッサンにギャフンと言わせてど〜すんのさ〜」


お前たちにどこまでできるものか、と嘲り半分で手渡された見取り図だが、
【マナストーン】という切り札を失った
【草薙カッツバルゲルズ】には一番の僥倖だ。


「よゥし、今度こそ走るぜッ!! 一気に走り抜けようぜッ!!」
「応ッ!!」


ベルトに差し込んで背中で固定していた隊旗を両手に持ち替えたマサルを先頭に、
勢いづいた士気の赴くまま、【草薙カッツバルゲルズ】は
もと来た道を一直線に駆け出した。
たなびく隊旗のもとに集った若者たちの疾走は、
このままどこまでも走り抜けていけそうなくらいに軽妙で、
翔ぶが如く、風の如く、影を残して駆けていった。


「………あれをあわただしいとこけにするか、
 すがすがしさにむねをすずしくするかによって、
 そのひとのにんげんせいがひょうげんされるでちね」
「それもそうだな。
 ………と、その前に、その甘えた喋り方は何とかならないか?
 仲間の手前でも無いのだから、無理に取り繕う必要は無いと思うのだが」
「―――それもそうね」


駆けていく仲間を何故か妖精王と共に見送るシャルロットの声質が
突然ハスキーな音程に変化した。
ハスキーボイスだけでなく、目つきも普段のクリクリと可愛げある物から
切れ長の冷眼へと鋭さを増している。
妖怪変化のような変身を妖精王は驚いた風でもない。


「昨夜、お前から電信があった時はいささか驚いたがな。
 いや、驚いたのはこのホンだな………」


デュランたちがいる時は一等厳しくシャルロットに当たっていた妖精王が
表情を崩し、苦笑混じりに懐から一冊の本を取り出した。


「明日、【エルヴン・セイファート】へ向かうが、
 その時はこのシナリオ通りに芝居を打ってくれ。
 ………最初は何のつもりかと我が目を疑ったものだが、な」
「急にすまなかったわね。
 ヒースから準備が整ったと連絡が入ったのも急だったものだから」
「準備…か。そろそろ頃合、と見極めての算段と言うわけだな」
「リース・アークウィンドに【禁咒】の正体を…、
 【神獣】の存在を知らしめるには、このタイミングしか無かったからね」
「【三界同盟】もその役目を終える事となるな」
「そ。特に【キマイラホール】の見取り図。
 いくら【ジェマの騎士】が戦上手と言えど、
 見取り図も無しに正確な戦略も立てられないでしょう?
 かと言って、私が急に差し出すのもおかしい話。
 だけども人智を超えるエルフの族長からの餞にすれば、
 連中も何の疑いも無く受け取ると踏んでいたからね」
「間違いなく荒れるぞ、三界は。
 盟主が悉く消されるのだからな」
「権力闘争でも内乱でも好きにするがいいわ。私たちには関係の無い話だもの。
 私たちが望む役目が終わった以上、
 ロートルは早々に始末をつけておかないとね」
「………怖い娘だ。背筋が凍て付くよ」
「そう? 昔から変わらないわよ、私は。
 目的を果たすためなら―――」


背筋が凍るような会話に違いない。
これまで一緒に戦ってきた仲間たちの事を
まるで盤上の駒のように話すシャルロットのハスキーボイスは、
感情表現豊かな表の顔とは似ても似つかず無機質で、
聴く者の心臓をザラリと一撫でして恐怖を植えつける。


「―――ルサ・ルカだろうが、………【草薙カッツバルゲルズ】だろうが、
 利用できるものは全て有効に活用させてもらうつもりよ」
「重ねて言おう。………怖い娘だ」


愛すべき手駒たちの後を追って歩き出したシャルロットの小さな背中は、
今日に限っては、思わず跪いてしまうほどの威圧感に満ち、
刻んだ足跡には不可侵の冷気を放っているようにさえ思え、
妖精王は身震いして影が消えていくのを見送った。


「我が孫ながら、尊敬に値するよ、その冷徹さ、その明晰さ。
 シャルロット、お前は、残酷なほどに―――………」







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