【草薙カッツバルゲルズ】の降り立ったエントランスから
数ブロック離れた区画に布陣したジュリアスは、
思い通りの筋運びとならない戦局を睨みすえて歯軋りしていた。
たかが十数人足らずの、それも矮小なニンゲン風情にこうも梃子摺るとは、
予想外であり、心外であり、バンドール家の御曹司として、
断じて許しがたい状況だった。


「申し上げますッ!! 敵方より三名の賊徒が遊離し、
 『アンドロの回廊』、『クリオの回廊』、『ヒエラコの回廊』へそれぞれ潜入―――」
「―――そのような事は言われずとも解っておるわッ!!」


腹立ち紛れに報告へ参じた部下の横っ面を殴りつけると、
手持ち無沙汰に弄んでいた乗馬鞭を歯茎から出血するほどの力で
噛み締めるジュリアス。
鋭い犬歯がギシギシと鈍い音を立てて鞭を砕いていく。
ジュリアスの憤懣が見て取れ、部下たちの間に戦慄が走った。
勇猛果敢ではあるが短慮、一度頭に血が上ると見境が無くなるという
タマに瑕な性情のジュリアスが鞭を噛み砕くのは、
いよいよの暴走間際の合図だ。


「先ほどから寄越してくる報告と言えばッ!!
 モンスターの数が早くも半数を切っただのッ!!
 三手に分かれた鼠輩が得体も知れない小石をバラまいているだのッ!!
 誰それの首級を取る戦果一つも無いではないかぁッ!!!!
 取るに足らぬ下等種如きに、貴様ら、何をもたついているのかあッ!!!!」
「も、申し上げます………」


地団駄を踏んで憤るジュリアスの烈火の形相に萎縮しながら、
本陣よりの伝令が恐慌した声で報告を続けた。


「こ、黒耀の騎士様よりの伝令にございます。
 『直ちに【キマイラホール】の全ての灯りを吹き消し、
 賊徒を暗黒の檻へと閉じ込めよ。
 現在前衛に出ているゴブリン型から夜目の利くモンスターへ隊列を入れ替え、
 闇の間隙よりの奇襲で殲滅せよ』と―――」
「―――命令を下すなら下すで、貴様ら自身で出向いてこいと、
 今すぐ本陣へ帰って【セクンダディ】共に伝えろぉッ!!!!」


八つ当たりでしかない恫喝に伝令はすっかり怯えきってしまっているが、
誰かに当り散らしたところで鬱憤が晴れるようなら、
ジュリアスが高血圧で悩まされる事は無い。


「各小隊へ急ぎ伝令を走らせよッ!!
 【セクンダディ】のお歴々は闇討ちをお望みのようだッ!!
 今日の勝利の勇ましきは卑怯討ちと、後の世まで語り継ごうではないかッ!!!!」


バンドール家の名へ泥を塗りたくってくれた賊徒どもを
一人残らず八つ裂きにしない限り、ジュリアスの憤激は鎮まりそうにない。
噛み砕かれて足元に散乱した乗馬鞭は、
地団駄によって見るも無残に踏み潰されていた。












「感づかれましたか………っ!」


進路を東に取る『ヒエラコの回廊』を駆けるリースは、
行く手阻むモンスター共を銀槍で討ち祓う傍らに
何やら淡く輝く小石のようなものを落としていく作業の途中、
敵方の動きの妙を感じ取り、緊張の度合いを強めていった。






(暗闇で私たちの視界を遮る魂胆ですね………っ!!)






闇に包まれ先の見えない回廊の向こう側から、順繰りに蝋燭の炎が消えていく。
それはまるで、未知の恐怖が染み出すかのようにも、
怠慢だが確実にやって来る落日のようにも見えた。
フッ…フッ…と、蝋燭が一本ずつ消えていくに従い、常闇の侵食が光を蝕んでいく。
横闇の間隙には、夜目の利くモンスター共の獰悪な爪牙が見え隠れしていた。
静かに、けれど全速力でリースは銀槍の穂先へ光の精霊【ウィスプ】を召喚した。


「――――――【サーチライト】ッ!!」


常闇が行方照らす光を蝕むと言うなら、それ以上の輝きでもって押し返せばいい。
【サーチライト】の魔法で小さな太陽を作り出したリースは、
奈落の底にあって鮮明な灯りを得て、
目前まで迫っていたオルトロス型のモンスターを柄の一撃で叩き伏せた。
続けざまに油断なく穂先を衝きたて、次々と襲い来る魔の眷族には
【マルチプル・ライアット】を叩き込む。
狭い回廊では長い槍は一見不利に思われがちだが、
扱いさえ巧みならば広い場所での戦闘よりも数段恐ろしい威力を発揮する。
例えば今、リースが放った【マルチプル・ライアット】もそうだ。
弾け飛んだ石つぶては狭い石壁にぶつかって跳弾し、縦横無尽に暴れまわる。
全方位を飛び交う跳弾は一挙に大量のモンスターを無力化せしめるのだ。


「まだまだっ!! 【クルス】ッ!!」


そして、無力化したモンスター共は即座に浄化の閃光によって焼き払われる。
槍術と魔法を組み合わせて獅子奮迅の戦いを魅せるリースには、
さしもの魔族もモンスターも怯えのどよめきを禁じえない。


「ひ、怯むな!! 手練と言っても敵はたかが一匹っ!!
 い、一斉にかかれば一たまりもあるまいっ!!」


個々の戦闘力では敵わないと悟った魔族の一人が一斉攻撃の号令を飛ばした。
確かに、個人で勝てないのなら、物量作戦しか切れるカードは無い。
敵方にしてみれば、最後の賭けでもあったのだろうが、
リースにしてみれば、この号令こそ待ち望んだ筋運びである。





(敵の注意は引き付けられましたね………よし、今ですっ!!)





戦術の鬼才・ランディ発案による秘策、
【オペレーション・デスインテグレート】の要たる一声を得たリースは、
作戦の第二段階へ移行すべく、今来た順路に踵を返した―――その時、
今、この状況下では最もしてはならないめぐり逢いに直面する事となる。


「姉…上…?」
「エリ…オット…っ!」


―――鋼鉄製の大扉の上方に設えられた覗き窓を目端に捉えた瞬間、
鉄格子にへばり付いて乱闘を目撃していた幼い少年を、
命を懸けても取り戻す覚悟でいた弟を、
エリオット・アークウィンドの顔を発見し、
全速力で駆け抜けなければならない足が
地面に吸いつけらたまま、リースは硬直してしまった。













デュランが駆け込んだ【アンドロの回廊】でも、
行き詰る常闇の死闘は繰り広げられていた。
灯りを生成する【サーチライト】などの魔法を使えないだけに、
デュランの苦戦はより深刻だ。


「ちぃッ!! そこかぁッ!!」


気配のみを見極めて振るわれるツヴァイハンダーは
地の利に乗って一挙に組み伏せようとするモンスターどもを
一瞬の内に薙いでいくが、激闘するのは何分にも狭い回廊だ。
常闇だけに自分のいる空間がどれくらい広いのかわからず、
ツヴァイハンダーを振るう度に気配の無い石壁まで削る事になる。
それが剣の威力を減殺させてしまい、時に巨剣の重撃をもってしても
致命傷を与えられない場合があるのだ。






(なかなかマジなピンチじゃねぇか………ッ!)






仕留め切れなかったモンスターは獰猛な牙を容赦なく突き立てに飛び掛る。
ガントレットで凌ぎ、鎖帷子で直撃を防いでもダメージが積み重なっていく。
加えて危機的なのは、常闇だけに進路も退路も覚束ないという事。
気配だけ察知して眼前のモンスターを倒せば良いと言うわけではない以上、
いずれジリ貧に陥るのは明白だ。


「それ、怯んだぞ、かかれッ!! かかれぇーッ!!」
「へッ!! 来るなら来やがれッ!!
 かたっぱしから叩き落してやらぁッ!!」


剣閃だけでなく蹴りやボディーブローといった
我流の体術を交えて戦うデュランの劣勢を見るや、
モンスターを操っていた魔族が集中攻撃を命じた。
その一声は【オペレーション・デスインテグレート】の要であり、
デュランの待ち望んだ物だったのだが、状況が状況だけに喜ぶわけにも行かず、
苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちするしか無かった。


「おうらぁぁぁああああああッ!! 【最強!烈風正拳突き】ィィィイイイッ!!」





(―――ったく、こっちゃ追い込まれてるってのに、
 向こうはえらい余裕そうじゃねぇかよ………!)




ブロックを幾つも隔てた回廊にいるマサルの気合いが
ここまで聞こえてきた事をデュランは嬉しい半面恨めしくさえ思った。
魔法によって照らす光を得られるリースと異なり、
【サーチライト】の魔法をエミュレーションできるなら話は別だが、
マサルも自分と同じ苦境に立たされているに違いない。
暗闘の中、不意にそう考えた矢先に元気そうな声が聞こえては、
自分ばかりが苦戦しているようで悔しい限りだ。


「しゃあねぇッ!! 大技は最後まで温存しときたかったんだけどよッ!!
 一丁自分に喝入れてみるかッ!! ―――【爆陣】ッ!!!!」


こちらもこちらで力の限りを尽くしている―――
―――ブロックを隔てて戦う仲間たちにも伝われと
云わんばかりの破壊力を生み出した剣気の炸裂は、
一挙大量に飛び掛ってきたモンスターと魔族を一気に吹き飛ばした。


「さて、次はどうしてやろうか………ッ!!」


滝を作る汗を拭う暇も無く続く、行き詰る激闘、死闘、爆闘………。
回廊を揺るがす必殺剣で勢いを削ぐ事は出来たが、
進退窮まる状況は依然として変わってはいない。
石壁とツヴァイハンダーが激突した瞬間に生じた火花に照らされる
敵方の数もまだまだ尽きない。


「ムチャはデュランの兄ィの専売特許ですけども、
 それじゃあ身体が保たないっしょ!」


一匹、二匹、三匹と新たにモンスターを斬り捨てた時、
突然背後から聞き覚えのある声が投げかけられ、
戦闘中であるにも関わらず、デュランは思わず後ろを振り返った。


「お前―――――――――」
「ここは俺にお任せあれっ!」













「―――罠だな」


伝令から戦況の報告を受けた黒騎士は、
【草薙カッツバルゲルズ】の動きの中へ張り巡らされた謀略を
即座に看破した。


「罠、とは?」
「中心戦力は未だにエントランスホールへ踏みとどまって戦っている。
 そこから遊離した三者の動きはどうか?
 懐へ飛び込むかと思えば、まるでモンスターを引き付けるかのような動きだ。
 ………解せぬのだよ」
「暗闇に惑い、立ち往生しているのではないのか?
 夜目の利かぬ人間では常闇に進退を見極めるのも難しい」
「それも考えたが、それでは戦力を分けた説明がつかん。
 しかし、今の報告を受けて疑問は確信に変わった。
 彼奴らはこちらの戦力をエントランスホールへ集中させようとしている」
「中心戦力同士をぶつけるための陽動作戦か。
 考えたものだが、それならば最初から踏みとどまって
 迎撃に徹する方が戦力を温存できるのではないか?」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、という事だよ。
 迎撃に徹していては、嗾けられるは雑魚のモンスターのみ。
 ならばあえて打って出て、中心戦力を掻き出す腹でいるのだろう」
「成程………素人の私には解せぬ動きも、
 武人殿にはハキと理解できるようだな」


相手の出方さえ見極められれば、座礁した戦況も覆せるものだが、
武人の慧眼に感服こそしながらも、伯爵の眉間から皺が消える事は無かった。


「………卿は存外に心配性なのだな」
「伝令の報告について、二つの疑問を持った。
 まず一つ。報告によれば、三手に分かれた鼠輩の中に、
 黄金の髪を振り乱して戦う美しい娘がいたという」
「女子くらいはいるだろう。
 斥候によれば、何名か女性戦士が構成員に名を連ねているようだ」
「引っかかるのは、その黄金の髪の戦乙女…、
 常闇にあっても鮮やかな【喪服】を羽織っているらしいな」
「………………………」
「三盟主と共に在る筈の【太母】と、
 いささか符合する箇所が多すぎはしないだろうか」
「尖兵の誤認では無いのか?
 卿の推察を進めるならば、それでは【太母】は双子という事になるぞ。
 死を喰らう男が【常闇のジャングル】にて捕縛した【太母】以外に
 もう一人存在する事になる」
「それゆえに疑問なのだ。
 本人と思わざるを得ないほどに符号が多過ぎるが、
 だからといって双子などという事もあり得ぬ」
「あるいはどちらかが偽者…か。
 突飛な仮説ではあるが、それもこれも全て三盟主が
 【超神(トリニティ・マグナ)】へ進化の至りし時、
 解き明かされるだろう。
 今は座して待つより他無―――
「―――そして、もう一つ―――」


人智を超える範疇にまで及ぼうとする仮説を
区切ろうとした黒騎士の言葉を強引に遮り、伯爵は彼の真正面に立った。
フルフェイスの兜に隠されて奥底の見えない瞳を捉えるため、
真正面から向かい合った。


「―――最も不可解なのは、貴方の采配だよ、黒騎士殿。
 敵方の罠を瞬時に見極めながら、
 先陣へと取って返した伝令にその旨を通達しないのか。
 もっと言うならば、ただ危機を伝えるだけに留まらず、
 陣形を編成し直し、改めて奴らを包囲する手立てを
 言い渡せたではないか。
 三国一の武人である貴方には、それだけの技量が備わっている」
「………………………」
「まるでこちらの中心戦力を
 敵方へ差し出しているようにも見える。
 ………どういうおつもりか、お聞かせ願えるだろうか?」
「………卿は私を買い被り過ぎておられる。
 報告を聞いただけで天啓を授かるほど、私は信心深くも無く、
 まだまだ武人として未熟の域だよ」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」


座礁した戦局に至ったからこそ、
一致団結して大事に望まなければならない時に本陣では
互いの腹を探り合うかのようなこの衝突。
先陣では突撃しか頭に無い猛将が士気をメチャクチャに破壊し、
頼みの【セクンダディ】は不協和音によって統率力を内部崩壊させつつある。
まるで、頭を潰され、尾っぽだけが激しくのたうつ蛇のようだ。
―――思えばこの時には既に磐石と思われた【三界同盟】の終焉の序曲が
始まっていたのかも知れない。






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