<決戦突入:2時間前>
「なんだか騒がしくなってきたけど、なにかあったの?」
子供向けの小説やコミック雑誌を蔵書する本棚や至るところに散乱された玩具の数々が部
屋の雰囲気を明るいトーンに飾っている。
そうした装飾だけでなく、社会に何の疑問も持たないような無邪気な少年の笑顔が
この部屋の太陽となって照らしているせいもあるだろう。
突然騒がしくなった部屋の外に向けて好奇心が輝いていた。
「外の様子を気にかけるよりも前に、まずはお部屋の内を整頓なさいっ」
部屋に入るなり目くじらを立てるライザを気にも留めず、
鋼鉄性の頑強なドアにへばりついて外の喧騒に聞耳を立てる。
ドアの上部には鉄格子で遮蔽された覗き穴もあるのだが、
年の頃を10超えたばかりの彼の身長ではまだ届かない。
散らかすばかりで片付けなど考えもしない少年にライザは大きな大きな溜め息を吐いた。
「あ、なーんか今の溜め息やだなぁ。
すっごくイヤんな感じ呆れてるでしょ、ボクのこと」
「ご自覚があるなら是非もなく善処してください。
…これではリース様に合わせる顔がありません」
「また姉上の話!?
もういいよ〜、せっかく鬼の居ぬ間の洗濯してるのにさぁ〜」
「リース様がお聞きになられたらさぞお嘆きになりますよ。
エリオット様をお救いされるために日々…」
「はい、そーですねっ」
「エリオット様っ」
「頑張ってくれるのは嬉しいけどさ、
それならライザがこっから出してくれたら万事解決でしょ」
「………それが出来ない大人の事情を察してください」
「子供に大人のご都合主義わかれっていうのが無茶なんだよな〜」
どうもこの少年は他人に対して観察眼が欠如しているようだ。
なんとも言えない表情に顔を歪めたライザの心内などまるで気にした風もなく、
なおもブーブーと垂れ続けた。
「大体さ、救助活動する前に彼氏のひとりでも作ればいいんだよ。
そしたらも少しは落ち着くだろうし!
青春も捨てて地獄へGOなんて、よっぽどのフェチかブラコンだよね。
…やめてよ、ちょっと。ボクにそのケは無いんだから」
しかし、そんな幼稚な少年がライザには愛しくて仕方がない。
溜め息は尽きないが、得意気に自分の考えを並べ立てる少年のすまし顔には、
母が子を慈しむような眼差しがずっと向けられていた。
「っていうかさ、ここに連れてこられてから、『何で?』ばっかしだよ」
「それはまたどうして?」
「どうしてもこーしてもっ!誘拐だよ、これ?
なのに身代金を要求するとか、いかにもな儀式の生贄にされるとか、
びっくりするくらいなんもないじゃん!
しかも三食おやつに玩具マンガなんでもござれ!
これじゃ嗜虐性が足りないよ、まるで!」
「はぁ………」
「人質ってのはもっと悲惨な目に遭わないといけないもんなの!
例えばね、曲がった鉄パイプを熱して直すのをね、
人間の性格に見立て修正してみせるとか!」
「おっしゃる意味がわかりませんが………」
「首輪もかけない人質なんて人質じゃないの!
そこんとこ、上の人達にちゃんと伝えといてよっ!」
暗い奈落に幽閉された少年を不敏に思うライザは、
彼が求める小説やコミック雑誌などを買い与えていた。
それがどうにもおかしな方向へ少年を導いてしまったようだ。
教育上にふさわしくない図書の規制、とはどこで聴いた言葉だったか。
自分には関係ないと深く考えずにいた言葉の重みが
ライザの肩にずっしりとのしかかっていた。
「それに一番不思議なのは―――………」
立て板に水を流すように喋くり倒していた少年が不意に口ごもった。
ほんの一瞬だけ泣きそうになり、その様子を心配そうに見つめるライザから
慌ててプイと顔を反らす。
キテレツはいつもの言事だが、変化の一つ一つについ反応してしまうのは親心である。
「どうなさったのです? 急に塞ぎこんでしまわれて」
「そんなこと無いっ」
「そうしてそっぽを向くのは落ち込んでいる時です。
…人に弱さを見せないヤセ我慢です」
「う……………」
「なにか辛いのであれば何でもお話になってください。
独りで抱えこまずに誰かに相談できるのは、弱さでなく強さです」
「それでも…ダメっ、内緒っ」
あくまで優しく促すライザにふと洩らしそうにはなるが、
男の子の意地でもってギリギリで踏み止まった。
「………………」
これ以上は何も話さない、とライザに背中を向けて意思表示する少年だったが、
やがてポツリと一言呟いた。
「だって、これ訊いたら、
きっと、ライザ、いなくなっちゃうから」
「いなくなる? …………あっ」
『死んだはずのライザがどうして生きているのか』
目の前で彼女が闘死する様を見せられた少年には、
決して口に出せない疑問だった。
言葉に紡いではっきり表せば、ライザが、
戻ってきてくれた家族が、そのまま霞のように
かき消えてしまうんじゃないかと怖くなるから。
無限の愛情をくれる笑顔も、厳しいけれど優しい怒り声も、
もう二度と喪いたくないから。
だから少年は口をつぐむ。意固地と呆れられても
黙秘権を行使する決心で押し黙った。
「いつまでも甘えん坊では、
リース様に笑われてしまいますよ」
少年の心の内を察したライザは、
嬉しそうに、けれどどこか寂しそうに微笑し、彼の頭を優しく撫でた。
「ほっといてよっ」
などと強気に出てはいるものの、優しく撫でてくれる温かな手を拒む事は無い。
「そんな事言ったら姉上だって甘えん坊だよ。
こないだ熱出した時、ライザにつきっきりで看病してもらったんでしょ?
彼氏のひとりもいないから、いざって時困るってあれほど言っといたのにさ」
「つきっきりではありませんでしたよ。
その前にデュラン様という旅のお仲間が」
「えっ!? もしかして男っ!?」
「はい、男性の方です」
「そーゆー意味の『男』じゃなくて。
………なんだよ、姉上、ちゃっかりうまい事やってるんじゃないの」
邪推を巡らせているのが手に取ってわかる下品な含み笑いを
注意する事はライザにはできなかった。
(うっかり喋ってしまいました………)
詳細こそ明かしていないものの、リースからきつく口止めされていた内緒を
ついうっかり話してしまった。
しかも少年のこの下世話ぶり。姉弟再会の暁には、
真っ先にこの事をからかいそうだ。
リースになんと謝ればよいものか。考えただけで頭の痛いライザだった。
自業自得だが。
「―――さ、さて、それでは私はそろそろ行きますのでっ」
「思いっきりどもってるね」
「く、口どもってなどいませんっ。
………いいですね、部外で何が起きても、
決して好奇心を出さずにこの部屋でじっとしていること。
くれぐれも、くれぐれも」
「あのさぁ、過保護もいいんだけどさぁ、外から錠してあるんだから、
どっちみちボク独りじゃ外へ出られないからさ」
「あ………………」
「ったく、しっかりしてよねっ。
心配されてるこっちが心配になっちゃうよ」
「………………………」
「はいはい、ここでへこんでお仲間に迷惑かけちゃダメでしょ。
さっさと行く行くっ。
―――っと、姉上によろしくね」
「―――えっ!?」
「だって姉上たちが攻めてくるんでしょ、これから」
「ど、どうしてご存知なのですか?」
驚きの隠せないライザの頭や胸元など全身数箇所を指差していく少年。
そこまでされて自分が甲冑に身を包む戦装束でいる事を、
ライザはようやく思い出した。
「あーあ、鬼ならぬ姉の居ぬ間の洗濯も終わりかぁ。
短い平和だったなぁ………」
弟を救うために生死の境をさ迷うような苦労を重ねてきたリースが聞こうものなら、
彼女に代わってデュランが「根性叩き直したらぁッ!」と
息まき大変な血みどろに発展しそうな暴言をあっけらかんと吐き続ける少年、
エリオット・アークウィンドに対して、
完全にたじたじになってしまったライザには、もはや何の戒めも出なかった。
†
<決戦突入:9時間前>
独りきりになった途端に思い出す、あの顔。
思い出してしまうと、若草を腐らせ落とす黴のように
脳裏へこびりついて消えない、あの声。
そして、雪原での―――――――――………………………
「………うざってぇ………ッ」
酒盛りの楽しい余韻を塗り替えていく、呪わしい感情(カタチ)。
振り払おうとすればするほど、こみ上げてくる形容し難い感情に
デュランの苛立ちは増すばかりだった。
(………チラついて仕方が無ぇ………ッ)
見知った顔ではない。名前を知ったのも、彼女と対峙するほんの数分前。
向かい合ったと言っても、満足に言葉を交わす事も無かった。
言葉を交わすよりも先に、白刃の餌食となったのだから。
誰かの名前を呟きながら眠りに就いた哀しき謀反人。
「…………………………」
プロの傭兵として活動してきて、
人間の【死】に立ち会った事は数限りなくある。
時には自ら手を汚した事も、共に依頼にあたった同業者の亡骸を背負った事もある。
【死】そのものは、デュランにとってそれほど質量のある存在ではなかった。
なのに今度の【死】はどうだ。
網膜に焼き付いて、ふとした瞬間にフラッシュバックし続ける。
「………………………ッ」
絡みつくのは哀しき謀反人の【死】の衝撃ではない。
その背後に息づくモノが、デュランの神経を逆撫でして止まないのだ。
「………………………くそったれッ!!」
白刃を突き立てた騎士たちを動かしたのは、紛れも無く背後に息づくモノ。
【社会悪】を何の疑いも、何の考えも無しに処断できる思想を植えつけた、
彼がこの世で最も憎悪してやまないモノ。
うんざりするぐらいに足掻いても、いつまでも、いつまでもまとわりついてくるモノ。
かき抱いた胸の中で冷たくなっていった哀しき謀反人は、
この呪縛が永遠に終わらないという現実を、イヤと言うほど刻み込んでくれた。
(二度とチラつかねぇように、徹底的に叩いてやらぁ………ッ!!)
禍根を芽吹かせたとも言える男と雌雄を決する時はもう目の前だ。
腰に携えた布切れの下からチリンチリンと金打つ音が響いてくる。
一種の共鳴か。あの男への憎悪が昂ぶると決まって騒ぎ出す。
警告音のように、チリンチリン、と。
「デュラン………」
「あ………っ?」
独りきりになれば思い出してしまうのに、
独りきりにならなければ持て余してしまいそうな感情のハケ口を捜し求める内に
自然と足の向いていた【ジャド】郊外の造成地で、誰もいないこの場所で
自分以外の声した事に驚いたデュランが振り向くと、
いつの間にかすぐ近くまでリースがやって来ていた。
どういうわけか、ひどく心配そうな眼差しを浮かべている。
「どうしたんだよ、こんな人気の無ぇ郊外くんだりまで」
「それはこちらの言葉ですよ。
思いつめたような顔でふらりと出ていってしまって………」
「それは………」
万が一に呪いが決壊した時、不様な恰好を仲間に曝したくないから、
人気の無い場所を選んだのだけど。
「………そういや、ココでケヴィンとやり合ったんだっけな」
「あ、話をすり替えましたね」
「ああ、すり替えたさ。
辛気臭ぇのはガラじゃねぇからな」
「まったくもう………」
頬を膨らませても、無理やり話の軌道を戻そうとはしない。
デュランの意図を、………これ以上この話に触れないで欲しいという
無言の願いを察して、リースは何一つ問いただす事なく彼の言葉に耳を傾けた。
「あん時はもう最悪だったよな。
どっかのバカのお陰でとんだ濡れ衣着せられてよ。
あんなカタチでブタ箱へブチこまれるなんて考えた事もなかったぜ」
「その事件については、アンジェラも反省しているのですから、
蒸し返すのはやめましょうよ」
「………何言ってんだ。
アンジェラじゃなくてお前の事言ってんだよ。
俺らをまとめて巻き込んでくれたお嬢様よ?」
「………デュランのド鬼畜。
自分では話をすり替えておいて、私は見逃してくれないのですかっ」
「ああ、そうさ。俺はド鬼畜だからな」
慣れだろうか? 諦めだろうか?
苦情の表現としてすっかり定着した『ド鬼畜』という物言いに
デュランも目くじらを立てる事は無くなった。
最初はあんなに過剰に反応して、やめるように言い聞かせていたというのに。
「………あの頃から、ずいぶん遠くへ来たもんだな」
疑問の答えは、デュランの呟きにこそあるのかもしれない。
第一印象が最悪だったデュランとリースは、
今では軽口を言い合える関係に深まっていた。
それは、積み重ねだ。諍いも信頼も、たくさんのものを積み重ねて、絆を深めていく。
『ド鬼畜』の醸す響きも同じように積み重なって、
デュランの中で日常の一コマとなっているのだろう。
「【ウェンデル】までの護衛のはずが、こんなに遠くまで連れ歩いてしまって、
本当、デュランにはお礼のしようもありませんね」
「よしてくれ。礼なんかされる筋合いは無ぇよ。
俺が好きで随いてきてるだけだからよ」
「それでも………、ありがとうございます」
「………ん」
精一杯の感謝を込めて下げられた頭を、デュランは力いっぱい撫で付ける。
押さえつけられたような姿勢のリースには見えないが、
きっと、今、デュランは照れ臭さを噛み殺そうと、
必死で口元をへの字に曲げているはずだ。
ぶっきらぼうな態度を取る時のデュランは、大抵、照れている時なのだ。
積み重ねてきたリースだからこそ、
デュランの性格は手に取るようにわかっていた。
「これからどうするんだ、お前?」
「これから、とは…?」
「今度の決戦でエリオットを助け出せたら、それでお前の旅は終わりだ。
ライザも戻ってくる事だし、万々歳じゃねぇか。
また三人で暮らすんだろ?」
「………そう言えば、考えた事もありませんでした。
目の前の目的にばかり気を取られていましたから………」
「ま、そこんとこは仕方無ぇわな、状況が状況だけによ。
これからゆっくり探していけばいいし―――」
「―――ただ、漠然とですが、やりたい事はあるんです」
「おっ?」
思い込めば一直線で、先の事は全く考えていない。
だからお前はいつまで経ってもお嬢様なんだよ、などと
からかうつもりでいたデュランには、リースの返答は意外なものだった。
「今度は何をやらかそうってんだよ?」
「知りたいですか?」
「そりゃぁな。俺に手伝える事なら、手ぇ貸してやりてぇし」
「せっかくの申し出ですが、
今度はデュランの手を借りる事はできないと思います」
「なんだよ、俺じゃ不足してるってのかよ。
ますます聴きたくなっちまうじゃねぇか」
「デュランも悪趣味ですね。
女の子の秘密を暴きたてようなんて」
「………おお、そうさ!! 俺ぁ悪趣味でガラの悪ィド鬼畜だからなッ!!」
「―――でも、秘密ですっ♪」
「お前なぁ〜………」
いたずらっぽく笑うリースに、デュランもつられて笑い出した。
心が軋むくらいに絡みつく呪縛を癒してくれる、
そんな笑い声が人気の無い造成地へ、春風のような朗らかな空気を呼び込んだ。
「にしても、変わったな、お前。
ちょっと前まではそんな風にもったいぶらずにぶつかって、
その度にベソかいてたのによ」
「泣かせてくれたのは、あなたじゃないですか」
「………それに、そんな風に明るく笑う事も無かったよな」
「私も成長したという証です」
「自分で言っちゃおしまいだろ」
「みんな、みんな少しずつ前進しているのですよ。
ホークも、アンジェラも、ケヴィンも、シャルも、みんな、みんな…。
だって、デュランもすごく変わったじゃないですか」
「―――はぁ? 俺がッ?」
今日はリースに驚かされてばかりだ。
明るく笑えるようになったリースも、依然としてヘタレではあるものの、
それでも臆する事なく突き進めるまでに強くなったホークアイも、
皆、出会った頃に比べて成長していると思うが、
デュラン自身には成長の自覚はこれっぽちも無かった。
昨夜だって、不躾な物言いの若者たちを路地裏に連れ出して大喧嘩を
やらかしてしまったというのに。
………未だに【英雄】への憎悪と呪縛を引きずっているというのに。
「最初に会った時のデュランったら、行儀悪く背中を丸めていたのに、
今はシャキッと背筋を伸ばしているじゃありませんか」
「―――って、なんだよ、変わったって、そんなトコかよ!!」
「何を怒っているのですか。一番大事な事ですよ。
デュランはどうして背筋を伸ばすようになったのですか?」
「禅問答みたく深く考えた事なんか無ぇよ。
周りの連中が背筋伸ばして歩いてんのに、俺だけ丸まってたら不恰好だろ。
それでいつの間にか引っ張られちまってな」
「不恰好で見るに耐えないから、背筋を伸ばしていると?」
「俺だけならいいけどよ、ほら、お前らにも悪ぃだろ?
折り目正しい中に独りだけヤンキーがいたら、お前らも悪く見られちまう」
「そうなのですか?」
「だからよ、お前、俺一人ん時ぁ、結構背中丸めて―――」
「―――そこが変わったと思うところです、デュラン」
足りないおつむを総動員して熟考に熟考を重ねてみても、
リースの言葉の意味はまるで解読できそうにない。
仲間が自分と同じバカに見られるのが癪に障るから背筋を伸ばしただけの事が
どうして成長に繋がるというのか。
「以前は誰の目も気にしていなかったのに、今は違うのですよね」
「他人に媚び売る事覚えたってか?」
「誰かと手を取り合う事を覚えた、という事だと思います」
「………………………」
「デュランは私たちのチームメイトの事を、
いつでも本気で考えてくれています。
誰かのために本気になる事、私たちと出会うまでありましたか?」
「………いや、無ぇな」
「だから、きっと、デュランも変わったんですよ。
私たちのために背筋も伸ばしてくださいました」
「………………………」
依頼主や同業者との協力を含むなら、
第三者のために力を尽くした事は幾らでもあるが、
利害を抜きにして、仲間と呼べる人たちのために本気になった事は一度も無い。
強いて挙げれるなら、幼馴染みのブルーザーくらいだろうか。
“強いて”と付け加えなければ候補を挙げられないくらい、
デュランは他人と馴れ合う事を拒んできた。
媚びるなんて恰好の悪い真似ができるか、俺は一人でも強いのだ、と。
「深く考え過ぎだっつの。
っつーか、お前は人の事じゃなく、自分の心配してろよ。
今日くらいはお得意の特攻(ぶっこみ)も許してやるからさ」
「あう………っ」
真顔で恥ずかしい台詞を投げかけてくるリースの頭が
ガシガシとデュランの掌に再び押さえつけられた。
自分の目的だけでなく周りの人間にも気を配れる、
広い視野を得たリースの成長は素直に嬉しいが、
今日だけは猪突猛進・一心不乱に突き進まなければならない。
それなら脇目を振るんじゃない…などと大仰に説教してみせると、掌の下からは笑い声。
照れ隠しを見透かされているような気がして、
ますます掌に込める力が強まっていった。
ガシガシが強くなるに伴って頬の赤みが紅潮していくのも、リースにはお見通しなのだが。
「あ、デュラン、髪もだいぶ伸びましたね」
「もう伸びるトークは勘弁してくれや………」
「だから言ったじゃないですか。
私たちみたくこまめに散髪しなくちゃダメですって」
「ホークじゃあるまいし、美容院なんか行けるかよ」
「床屋さんだっていいじゃありませんか。
そういう事に無頓着そうなケヴィンですら、
二月に一度は散髪へ出かけているのですよ。
なのにデュランときたら、伸びたら伸ばしっぱなしじゃないですか」
「うっせぇな、趣味だよ、趣味。
伸ばしてんだよ、今」
「物ぐさな人に限ってそういう言い訳をするものです」
「………………………」
「リースってこんなキャラだったか…?」と溜息を吐くデュランには、
まだまだ乙女心が理解できないようだ。
本当に、本当に気の置けない人にだけ見せる素顔が、どれだけ嬉しいものなのか。
本当に、本当に好きな人にだけ見せる素直な自分が、どれだけ愛しいものなのか。
「これ以上髪を伸ばすようでしたら、私のリボンをお貸ししますよ?」
「いらねぇよッ!!」
「いるとかいらないとかでなく、これは強制です。
後ろ髪にちょこんと結んであげますからね♪」
憎悪も、苛立ちも、全て拭い去ってくれる癒しの風が二人の間を吹き抜ける。
気がつけば、腰に携えた布切れの下で金打つチリンという音は止んでいた。
←BACK 【本編TOPへ】 NEXT→