ヴィクター・クォードケイン。
【アルテナ】有数の名家に生まれた彼は幼い頃から様々な学問に親しみ、
同年代の子供たちの中では誰よりも早くに【魔法】を習得した才児として前途を嘱望されて育ってきた。
彼には幼少の頃からいつも一緒の親友がいた。

ブライアン・ドゥルーズ。
彼は両親の顔を知らず、吹き溜まりのような路地裏で暮らす孤児だ。
生活の糧と言えば盗難や恐喝。幼い頃から大小の犯罪に手を染めて生きてきた。
日によっては大人たちに捕まり、袋叩きにさえ遭う日もあった。
リスキーな生活を送ってきただけに生きた知恵を備え、誰よりも頭の回転が早かった。

まるで正反対なブライアンとヴィクターが親しくなったきっかけを知る者はいない。
当の二人が忘れるくらい大昔で、物心ついた時には雪の街角を一緒に駆け回っていた。
書物で得た知識を持つヴィクターと、経験から生まれた知恵を備えるブライアンは
相容れないほど正反対の筈なのに不思議と馬が合い、切磋琢磨してお互いを磨きあってきたのだ。

二人がアンジェラと出逢ったのもちょうどその頃だ。
小さな頃からお転婆で通っていたアンジェラが、ある時【ケーリュイケオン】から抜け出し、
城下町へ迷い込むという事件を起こした。
ブライアンとヴィクターは、その時道に迷ってベソをかいていたアンジェラと出逢った。
三人はそれをきっかけに親しくなり、アンジェラが【ケーリュイケオン】を抜け出す時は
決まってブライアンとヴィクターが迎えに行き、陽が暮れるまで、
あるいは血相を変えてやって来たホセに叱られるまで遊び通したのだ。
夢のような時間が永遠に続くと、三人は本気で信じていた。

―――月日は流れる。
ホセの補佐官として抜擢されたブライアンとヴィクターだったが、
そこで待ち構えていたのは過酷な岐路だった。
名門の出自であるヴィクターはホセの秘書として重宝されたものの、
出自不明の孤児であるブライアンには汚い裏の仕事しか与えられなかった。
裏の仕事―――【アルテナ】が発言権を強めるために張り巡らす策謀の工作員である。
時には【アルテナ】に歯向かう要人を暗殺し、時には泥水を啜り生き長らえる、
文字通り穢れた仕事をブライアンは強要された。


「納得がいかないッ! なぜお前ばかりが辛い役目を強いられるんだ!」
「そこでお前ががなったところで変わるもんでもないだろ。
 どんな形だって、【アルテナ】が、俺たちの故郷が安泰ならそれでいいじゃないか」


再三に亘ってヴィクターが提出したブライアンに対する処遇への抗議は
ウヤムヤの内に揉み消され、まとも取り合ってもらえる事は一度も無かった。
自分の出自と現状を理解していたブライアンは、
抗議の声を強めればお前の立場が悪くなる、と逆にヴィクターを抑えるほどだった。
汚い仕事ではあるが、そうする事で【アルテナ】が、愛する故郷が安定を保てるのだ。
ブライアンに不満は無かった。


「―――【革命】?」
「そう、【革命】だよ。私たちで【アルテナ】を転覆させるんだ。
 誰も汚い仕事を強制される事の無い、真の【民主社会】を私たちの手で築くッ!!」


【革命】を持ちかけたのはヴィクターだった。
“表”の仕事をこなす中で【アルテナ】の機密文書の在り処は察知できたし、
決して“表”へ出してはならない“裏”の情報をブライアンは掴んでいる。
国家を根底から覆す二大機密を抱える自分たちになら【革命】を成し遂げられる。
ヴィクターには確信があった。


「そうだな…、お前は今度、【三界同盟】へ潜入する。
 そこでヤツらと【アルテナ】の癒着をできるだけ細かく記録しておいてくれ。
 【三界同盟】の連中には【アルテナ】からの援助にまつわる出納の管理、とか
 適当に理由をつけて誤魔化してさ」
「…成程な。で、【アルテナ】を【革命】した暁には何が待ってるんだ?」
「決まってるだろ。みんなが笑顔でいられる新しい国だ。
 そして―――――――――」


そこから全ての歯車が狂ってしまったのだと、今になってヴィクターは歯噛みする。
【アルテナ】を覆す【革命】の志を同じくするロキ・ザファータキエの手引きで
【三界同盟】へと潜り込んだブライアンは、そこで黒い英雄の思想に感化され、
ただ【アルテナ】を瓦解させる事のみに【革命】の目的を見出してしまった。
四民平等のための政府転覆でなく、政府を倒すためだけの転覆―――それはもはや【革命】とは言えない、
単なる無差別破壊に己の夢を塗り替えてしまったのだ。


「それじゃ意味無いだろう…! 政府を覆すのが目的ではなかっただろう!!」


その事にヴィクターが気付いたのはつい先程の事だ。
【マナ】の研究者のもとへアンジェラが出発したすぐ後にブライアンが姿を消したと
【ケーリュイケオン】の侍従から訊いたヴィクターの脳裏には最悪の可能性が過る。


“ブライアンには【アルテナ】の破壊しか見えていないのではないか?”


アンジェラやデュランたちの行動は、黒い英雄が目指す【革命】を妨げにはなるが、
自分たちが夢見た【革命】には何一つ直接的な影響を及ぼさない。
それなのにわざわざブライアンが出かけた理由はどこにある?
黒い英雄の【革命】を阻むアンジェラの後を追った理由はどこにある?
そこに行き着いた時、ヴィクターは自分の思慮の至らなさを悔やんで駆け出した。
違っていて欲しい。自分の藪睨みに決まっている。
何度も何度も繰り返して、ブライアンが持つ【モバイル】の軌跡から現在地を割り出した時、
願いは絶望に打ち砕かれた。
アンジェラの【モバイル】の発信地点と、ブライアンの【モバイル】の発信地点が合致し、
二人へ同時に通信した時には、既に最悪の決戦の火蓋は切られた後だった。


『―――後悔するさ、キミは、必ず』
『そうやって気丈に振舞っているけど、心の奥底には恐怖を抱いてる。
 違うかい? …いや、違わない。
 私はキミの事を誰よりも知っているつもりだからね』
『怖いのは、そう、失う事だ。
 面と向かって戦う事でこれまでの関係を壊してしまう。
 キミはそれが怖いんだろう?』
『果たしてそうかな? 言い切れるのかい?』
『キミにとって【未来享受原理】とは何だ?』
『それがキミの【未来享受原理】か………』
『………………………』


全て、全て、突き放して挫折させるための言葉だった。
ブライアンの戦意を喪失させ、アンジェラを挫けさせる。
そうする事で戦いを終わらせようと考えたヴィクターだったが、
彼の願いは最も悪い形で的を外す結果となってしまった。


「民主とか、社会とか、そんなものは関係ないッ!!
 俺は故郷を救いたい!! 誰に憎まれるでもなく、誰を憎む事もない故郷に変えてみせるッ!!
 ………そうだ! そのために俺は【英雄】に賭けたんだ…!
 だからこそ、【英雄】を阻む者は俺が引き受ける………ッ!!」
「そうよ!! これがアタシの貫く信念よッ!!
 だからッ、だからこそアタシはここで挫けるわけにはいかないのッ!!
 アイツに、ブライアンに【アルテナ】と同じ過ちを繰り返させたりしないためにッ!!」


戦意を奪い、挫けさせるはずの言葉が、失った力を奮い立たせ、
親友たちを骨肉相食む死地へと駆り立ててしまった。


「………【革命】って、なんなんだよ………」


夢見た願いが最悪の形で崩れようとしている。
絶望の淵に立たされた時、ヴィクターは限界を忘れ、ひたすらに全力で走った。
自分が間に合えば二人を止められる。二人を止められるのは自分しかいない。
だから、脇目も振らず、一心不乱に森林地帯を走り抜け、
【マナ】の遺跡を迷おうが転ぼうが駆けずり回った。


『な、なんだぁ? あいつ、バカデカい鉄兜なんか持ち出しやがったぞ!?』
『どう見ても鉄兜なんかじゃねぇだろ!
 あれじゃまるでフルフェイスの兜が、ブライアンの頭を喰ってるみてぇな………』
『その例えは遠からずですよ。 あの兜の名は【ボナパルト】…!
 装備者の精神に寄生し、魔力を増幅させる』
『精神に寄生やなんて…、そないなことがでけるわけが………』
『ぶつりてきなきせいとはべつじげんのはなしでちよ!
 のうはにしんくろしてせんざいのうりょくをむりやりこじあけるんでち!』
『潜在能力、無理やり、こじ開けるなんて、そんな事して、大丈夫なの!?』
『ごたいまんぞくですむわけないでち!
 あんなものをつかったらさいご、のうへかかるふたんでこころがくだけるでち!!』
『心が砕けるなんて、まさか、そんな………』
『―――平たく言えば、廃人になる…というわけですよ、リースさん』


アンジェラが持つ【モバイル】から受信した戦いの光景にも胸を痛め、
竹馬の友の変わり果てた姿に心を引き裂かれても、歯を食いしばって走った。


『どうする事もできないのですかっ!? 今からブライアンさんを元に戻す方法はっ!?』
『残念ながらありません。あれを寄生させたが最期。
 心が砕けるまで戦い続けるのみです』
『そうだ! あのフルフェイスをブッ壊せばどうだ!?
 寄生してる大元を叩けばさ!?』
『しんくろしたのうはがおーばーろーどしてそのばでぶらっくあうとでち。
 ………【まな】はそれほどつごうよくできちゃいないんでちよ………』
『ベチャクチャやってる暇をくれるつもりは無ぇらしいな…ッ!
 ―――来るぞッ!!』
『クッ…、やるしかないんかい………ッ!!』


戦いは壮絶を極めた。
【ボナパルト】なる【マナ】の影響で極限以上の魔力を発揮するブライアンは、
ヴィクターにさえ制御しきれない爆熱を無軌道に放出し続け、
アンジェラを、幼い頃から睦まじく遊んできた親友の命を奪おうと咆哮を上げる。
人間の言葉ではない。闘争本能に理性を吹き飛ばしたケダモノの叫びだった。


『ホーク、ヤツをかく乱してくれッ!! ケヴィンは俺と近接攻撃を仕掛けるッ!!
 シャルロットは後方支援。リース、お前はエリオットを守れ!!』
『なんでさ!? ボクも前線で戦うよぉ!!』
『我侭を言うんじゃありません…!
 これは…、この戦いは遊びで通じるものではないのですからっ!!』
『おやおや、私には指示を出してくれないのですか、デュランくん』
『悪ィな。俺たちは組んでからずっとこの連携でやってきたんでね。
 邪魔にならないようにドンパチやってくれッ!!』
『ていうか、いるだけじゃまなんでちよ、このぬけさくがっ』
『ひ、酷い言われようだぁ〜………』
『ちょ、ちょっと待ってよ、アタシは? アタシも戦うわよ!!』
『アンジェラ、お前は………』
『いちいち気を使わなくたっていいのッ!!
 こんな戦いだからこそ、アタシは全力を傾けるッ!!』
『―――――――――心得た。
 アンジェラはヤツの火炎魔法に対抗して【パーマフロスト】をッ!!
 タイミング見計らって【レフレクター・クィジナート】だッ!!』
『わかったわッ!!
 ………もう止まらないのなら、アタシの手で止めるんだッ!!』


対するアンジェラたちの反撃も壮絶極まりなく、
開戦当初こそ圧倒的な魔力の前に劣勢を強いられていたが、徐々に徐々に押し返し、
得意のコンビネーションを駆使して完全に優劣を逆転している。
経験の差とでも言うべきか。強敵との戦い方を熟知するパーティの手にかかれば、
地獄の爆熱も一辺倒の猛進にしか過ぎず、早々に決定力を封殺された。


『―――ルゥゥゥオオオオオオオオオォォォォォォッ!!!!!!』


歴然たる戦闘経験の差に追い詰められても、ブライアンは攻撃の手を緩めない。
最早、自分が追い詰められている事さえ理解できていない。
ケダモノの絶叫を絞り上げ、滲み出す血潮をも炎で焼け焦がした。
【マナ】は、思考も何もかもブライアンから奪っていた。






(もうよせ! もう止まるんだ………ッ!)






あともう少し。もう少しで【モバイル】の発信源へ、決戦場へ辿り着く。
【ペダン】最奥部までの一直線に、全身全霊のラストスパートをかける。
もう少しでこの悲しい戦いを終わらせられるのだ。
一刻も早く終わらせなければならない悲劇を。


『このままでは、ただブライアンさんを傷つけるだけですッ!!
 このままじゃ…止められませんっ!!』
『師匠…、オイラ、こんな戦い、イヤだよ…! こんな、こんな………』
『………………………ヒース、あの兜を破壊すれば、
 ブライアンは【マナ】の呪縛から解けるのよね』
『ええ。マインドコネクトが遮断されれば、元に戻りますが、
 その時には廃人同然に………』
『ちょ、ちょっとまつでち! あ、あんたしゃん、まさか………』
『………………………』
『アンジェラ………』
『………―――デュラン、お願い、ブライアンを、
 アタシの大事な仲間を救ってあげて………ッ』
『ちょ、ちょう待て、お前、それがどういう事かわかっとるんか!?』
『オイラ、もっと頑張るから、アンジェラ、それだけは、やっちゃいけな―――』
『―――あいつを助けるには、あいつを、本当の意味で助けてあげるには、
 これしか方法が無いのよ…ッ! だから………ッ!!』


目の前が真っ暗になった。
最も恐れる事態が、最悪の結末が寸前まで迫っていた。
あと少しで、もうあと数百メートルのところまで最善の結末が見えているのに、
どうして届かないのか、どうしてこの直線が永遠に続くのか。
走って、走って、どれだけ走っても、ゴールは遠ざかっていく。


『………………………わかった………』
『了解したのはデュランだけじゃないぜ………俺も一緒に背負ってやる』
『ホーク………』
『行きましょう、アンジェラ。
 あなたの想いも、ブライアンさんの想いも、私たちみんなが受け止めます…っ!』


あと、300メートル――――――なおも猛攻するブライアンの右腕をリースの銀槍が貫いた。
あと、200メートル――――――右腕の自由を奪う【ピナカ】から逃れようともがく左腕を、ホークアイの鉄糸が捉えた。
あと、100メートル――――――最後の爆熱は、アンジェラの【パーマフロスト】で吹き飛ばされた。


「やめろぉ………ッ!!」


あと、10メートル――――――ヴィクターの絶叫を聴きとめる者は無く、
【ツヴァイハンダー】の縦一文字が、【ボナパルト】を叩き割った。


「………………………………………………………………………」


決戦の観測センターへ到着したヴィクターが目の当たりにしたのは、
虚ろな瞳でどこか遠くを見つめたまま、体力も魔力も底を尽き、
火の粉さえ作り出せない重傷の右手を上げてなおも戦おうと前へ出る親友の姿。
【ボナパルト】が破壊された頭から一筋の鮮血が滴っていた。
鮮血と共に彼を【彼】たらしめるモノが流れ落ちていた。
―――――――――ココロが、壊れていた。


「ブライアン………」


破壊にしか夢を重ねる事のできなくなったブライアンを
アンジェラが背中から抱きつき、懸命に止めようとしていた。
虚ろに漂う瞳には、ゆっくりと首を振って敗北を宣告するデュランの苦い顔も届いていない。


「もう…、もういいんだ、ブライアン。
 戦いは、私たちの【革命】は終わったんだよ………」


懸命の疾走も間に合わず、全ての終焉を見る事になったヴィクターが、
親友へかけてやれる最後の言葉は、短くもそこに何もかもが集約される労いの言葉。


「………………………………………………………………………」


その言葉は優しいナイフとなって、前へ進むしかないからくり人形の糸を切った。
大きく息を吐いてから、脱力するように崩れ落ちたブライアンを
アンジェラとヴィクターの二人が抱きとめる。
身を躍らせたブライアンは、抱きとめてくれた二人に礼を述べる事も、
傷付いた身体に苦悶する事もなく、虚ろな瞳で遠くを見つめていた。


「………なんとか言えよ、なぁ、迷惑かけてすまなかったとか、
 くだらない夢に付き合わせやがってとか、
 何とか言ったらどうなんだ、ブライアン…ッ!!」
「ヴィクター………」
「黙ってないでさぁ!! なぁッ!! いつもみたいに減らず口叩けよッ!!」


視覚すら働いていないだろう瞳が見るとすれば、それは夢の続きなのかもしれない。
【英雄】に託した【革命】の夢が叶った瞬間を、
愛した故郷が大罪よりの禊を果たした光景なのかもしれない。
穢れを強要される事のない新社会では、きっと誰もが笑顔でいるはずだ。
その傍らでは、きっと一番の笑顔を、二人の親友は見せていてくれる。
真の悲しみは、心を壊してしまうほどに焦がれた夢へ抱かれるブライアンの表情は
痛ましいほどに何の感情も宿していない事。苦痛も、感動も、歓喜も、何一つ宿せない事だ。


「また一人…、【英雄】の餌食にされちまった………………ッ!!」


一人の青年の夢の終わりに重なる【英雄】の後姿が、デュランは苦くて仕方が無かった。
【ガルディア】では哀しきテロリストが膾斬りにされる様を見殺しにしてしまい、
今度はアンジェラの大事な友人を、かつては協力関係にあった人間を、
デュランは倒す事でしか救えなかった。






(このザマをどっかで見てやがんのか…!?
 てめぇが吹き込んだいらねぇ夢のせいで、また一人、人生を棒に振っちまったんだぞ!?
 この責任を、てめぇはどう果たすつもりなんだよ………ッ!!
 えぇ、ロキ・ザファータキエよぉッ!!)







【英雄】が撒き散らした種子は、デュランの身体を絡め取る若枝となって生い茂り、
彼の進む行く手を蝕んでいく。
逃れようと足掻いても決して抜け出せず、若枝は眼前に巨木となって立ちはだかった。


「………くそったれがぁぁぁああああああッ!!」


割れた【ボナパルト】の破片を力任せに踏み砕き、デュランは心の底から慟哭した。






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