「くっそ〜、あのバカ姉めぇ…。
帰るに帰れなくなっちゃったじゃないかぁ〜」
パラッシュ家に程近い空き地の片隅、横置きに打ち捨てられた土管の中で、
悩めるエリオットは途方に暮れていた。
【ペダン】でやらかした無謀な振る舞いのペナルティにビラビラのドレスを着せられ、
あまつさえこのまま買い物へ行くなどと(鼻血を垂らしながら)のたまった変態に
とうとう耐え切れなくなり、こうして飛び出してきたわけだが、これが人生最大の失敗に繋がった。
微妙なお年頃の男の子が、女装させられたままで往来を歩けるか。…歩けるわけがない。
家へ辿り着く前に恥ずかしさでスタボロに悶死してしまうだろう。
ウェンディ曰くするところの“高いプライド”以前の問題である。
「み〜つけたっ♪」
そして、悶死には行き倒れ以外にもう1パターンのバリエーションが存在する。
それは、この世で最も見られたくない人物に、最も見られたくない姿を見られる事だ。
世の中うまく回った物で、そうした最悪の状況に限って、いつでも最高のタイミングでやって来るもの。
膝を抱えて座り込む土管の中を覗き込んできた顔を見た瞬間、
エリオットは絶望のあまり意識を失いそうになった。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?」
「うるさいッ!! 見るなッ!! バカヤロッ!!」
「なッ!? 顔を見るなりバカはひどいんじゃないの!?」
「黙れ、まな板女ッ!! いいからさっさとどっか行っちまえッ!!」
「ま、まな板言うなぁっ!!」
この世で最も見られたくない人物に遭遇した最悪の状況を切り抜ける方法は一つ。
悪態に悪態を重ねて相手を怒らせ、そっぽ向かせてご退場願う事だ。
心労で倒れそうになるくらいのアフターフォローが必要となる切り札だが、
恥ずかしさに脳と心臓を焼き尽くされて悶死するよりはずっといい。
最後の切り札に賭けた目論見は功を奏し、エリオットめがけて何かを投げつけたウェンディは
覗き込む顔を土管から引っ込めた。
「いってぇな、この暴力女………。物理攻撃仕掛ける事は無いだろ―――」
―――ウェンディが投擲した物体は何か布のような物を丸めた球体で、
広げてみればワークパンツとパーカーの一組が姿を現した。
「これ………」
「キミの服!! せっかく持ってきてあげたってのにさっ!!」
「………………………」
頭上から響くのはウェンディの声。どうやら土管の上に腰掛けているらしい。
(………悪い事ってのは、どうして、こう………)
悶死の危機を回避するためだったとは言え、
いつも着用している普段着を持ってきてくれたウェンディの厚意を
辛辣な言葉で踏みにじってしまった結果に、再びエリオットは頭を抱えた。
ウェンディの目的が女装を嘲笑するだけだったなら、どれほど気持ちが楽だったか。
相手の言葉に耳を貸さずに親切心を罵倒してしまった以上、
アフターフォローで取り戻せる段階の綻びでは済まされまい。
「その…、悪かったよ………」
「………………………」
御託や策を使えば使った分だけこじれると判断したエリオットは
渋々ながら素直に謝る道を選んだ。
普段着に着替えながら土管の上へ陳謝の言葉を上申すると、案の定、何の反応も返ってこなかった。
(………やっべぇなぁ………)
予想はしていたが、ウェンディの怒りは相当に高まっているようだ。
これまでに計り知れない回数の口論を繰り返してきたが、
こうも完璧に黙殺されるのは初めてで、その事がエリオットの憔悴を更に煽る。
『てめぇ、うちの妹を傷物にしてくれたってかッ!?』
『覚悟はできてるんだろうね。何の覚悟か? …無論、八つ裂きにされる覚悟さねッ!!』
『なんと情けないっ!! あなたとは今日を持って勘当ですっ!! 赤の他人に容赦はしませんっ!!』
憔悴は阿修羅の如き形相で仁王立ちする三人のビジョンを脳裏へ焼き付け、
エリオットは真っ青になって竦み上がった。
(こっ、こここ、殺される………ッ!!!! 間違いなくミンチにされちゃうッ!!)
なりふり構っている場合じゃない。
着替え終わるなり土管から這い出したエリオットは、ちょこんと腰掛けていたウェンディの正面に座り込み、
許してもらえるまで何度も謝罪し続けた。
「ごめんっ!! ホント、ごめんなさいッ!!
せっかく服届けてもらったのに、ボク、最低最悪でしたッ!!
全身全霊でごめんなさいッ!! 生まれてきてごめんなさいでしたぁッ!!!!」
恥も外聞もない怒涛の土下座にポカンと口を開け広げていたウェンディは、
彼が何に対してそんなに怯えているのか看破し、「あの三人ならやりかねないかも」と、
エリオットの怯える阿鼻叫喚の地獄絵図を想像して噴き出した。
「べ、別に怒ってないって。そ、それより、
ぷくく…、もうそのへんに、しといてもらわないと、…っ…、
わ、私のお腹、よじれちゃうよっ、あは、あはははははっ!!」
「わッ、笑う事ないだろっ!? 人が誠心誠意込めて謝ってるのにさっ!!」
「誠心誠意を自分で口にする人ほど、心の中じゃ自分が悪いと思ってないもんだけど?」
「ボクをそこいらの政治家と一緒にすんなっ!! ………ホントに悪いと思ってんだよ」
「ホントに〜? お兄ちゃんたちに八つ裂きにされるのが怖くって、
私のご機嫌を取ろうとしてるだけじゃないの?」
「いや、その、それもあるっちゃあるけど―――って、なんでそれを…ッ!?」
「エリオットクンの考えてる事なんかお見通しだよ♪」
「くっそ…、うざいな、お前っ!」
「あーっ、またお前って呼んだ〜! 私の方が年上なんだよ! 生意気ナマイキ〜っ!」
「お前なんかお前呼ばわりで十分だッ」
「せめて名前で呼んでよね〜っ!」
「ウェンディ」
「…んぎっ!! ウェ・ン・ディ・さ・んッ!! 敬称はどこ飛んでっちゃったのっ!?」
「はっは〜ん。敬称ってのは、敬う人に使うもんだろぉ。
ウェンディのどこに敬う部分があるってんだよっ!?」
「………いいもん。お義母さんとお姉ちゃんに言いつけてやるもんっ!」
「すんませんでした、ウェンディさん」
「―――うっわ、早ッ!!」
エリオットの失策によって剣呑に落ち込んでしまった空気も、
今のやりとりを経てすっかりいつも通り回復。仲良く口論するまでに持ち直した。
改めて土管の上、ウェンディの隣へ腰掛けたエリオットは、
一時生命の危機を感じただけに、奇跡的な復旧に際し、心の中で【女神】へ感謝の祈祷を捧げた。
「………にしても、よくここがわかったよな。
土管の中へ隠れるなんて発想、我ながらビックリしてるくらいなのにさ」
「言ったじゃん、エリオットクンの考えてる事くらいお見通しだって。
大方、日が暮れるまで隠れてるつもりだったんでしょ。人がいなくなるまでさ」
「………………………」
「ほら、図星♪」
「しょ、しょうがないだろ。あんなフザケた恰好、人目にさらすくらいなら死んだ方がマシだっ!!」
「こないだ無茶して本当に死にかかったクセに」
「だ、誰から聴いたっ!? 姉様かッ!?
…くっそー、余計な事ばっか吹き込みやがって、あの変態めぇ…」
「お姉ちゃんを悪く言ったらダメだよ」
「デビュー戦だったんだ、そりゃ無茶もするよっ!!
でもな、驚くなよ、ボク、もう一歩で敵をやっつけられるとこまで行ったんだぜっ!」
「…相手の反撃でやっつけられそうになったのに?」
「あ、わかったッ、ホークのヤツだな、お前に吹き込んでんのはッ!!
あんなヘタレの言う事なんか信用したらダメなんだからなッ!!」
「言っとくけど、私が喋ってる内容、全部予想だからね。
誰もこの間の事について話してないし」
「………………………」
「キミがやりそうな事もお見通しだよ」
「クソ…、こ、コノヤロ………」
いたずらっぽい揶揄に堪り兼ねてウェンディの横顔を睨みつけた瞬間、
エリオットは金縛りにあったように身動き一つ取れなくなってしまった。
てっきりイヤミな笑顔を浮かべているかと思ったウェンディの横顔には、
今にも泣き出しそうな寂しさがいっぱいに宿っていた。
「………エリオットクンも男の子だね」
「なっ、なんだよ、急にしんみりしちゃってさ」
「剣を振るのって、楽しい?」
「そ、そりゃあね。男に生まれたからには剣だってずっと決めてたし」
「騎士になるのが夢なの、やっぱり?」
「騎士って言うか、剣士になりたいんだ、ボクは。
兄貴みたいに強い剣士になって、色んな強いヤツと戦ってみたい」
「強く…なりたいんだ」
「男ってのはみんなそういうもんなんだよ。
今より強く、もっと強くなりたい。もっともっと稽古して、ガンガン戦って、
いつかは兄貴よりも強くなってみせる!」
「………お兄ちゃんのは、多分、エリオットクンの目指してる強さとは違うよ」
「はぇ? 強くなるって目標に違いも何も無いだろ?」
「………………………」
女装させられても肌身から離さなかった脇差を翳して熱弁するエリオットを見ている内に
ますますウェンディの表情が翳っていく。
理由はわからないが気落ちしてしまったウェンディを元気付けようと
せっかく奮起してみせたのに、これでは逆効果ではないか。
さっきからやる事なす事裏目に出ている自分に、エリオットも落胆の溜息を吐くしかなかった。
「私のお父さんはね、この国のえらい騎士様だったんだって」
「………みたいだな。
【黄金の騎士】ロキ・ザファータキエ。知らないヤツはいない名前だ」
「うん。………あ、ごめんね、エリオットクンにはイヤな名前だったかな」
「気にすんなって。第一、ボクがまだ赤ん坊の頃の話なんだぜ、【ローラント】征伐って。
父様や母様には申し訳無いけど、別に恨みとか感じるわけでもないし。
っていうか、故郷も両親も実際に見た事無いから、ピンと来ないんだよな」
「………だけど…ごめん………」
「も一回謝ったら、ひっぱたくからそのつもりでな。
…それより、ほら、話続けてくれよ」
リースとエリオットが【ローラント】の末裔である事をパラッシュ家の人々は既に知らされている。
気を使って欲しくないから黙っていたいというリースの願いを、
これから一緒に暮らす人間なのだから、後ろめたい隠し事は抜きにしろとデュランが説得したのだ。
俺の家族は、そんな瑣末な事は気にしない、と。
果たしてデュランの言葉通り、戦災者として特別に扱うでなく、
ステラもウェンディもアークウィンドの姉弟を新たな家族として受け入れてくれた。
だからこそ二人も、故郷を滅ぼした【黄金の騎士】と関わり深い人々に囲まれながら、
心穏やかに過ごせていた。
「私もエリオットクンと同じ。
【黄金の騎士】が父親って言われても全然わかんないんだ。
物心もついてない頃だったし、顔も覚えてない。
生んでくれたお母さんだって知らないんだよ。
私のおかあさんは、ステラ義母さんだけ」
「なんだよ、ホントにボクとそっくりじゃないか」
「お兄ちゃんはお父さんもお母さんも覚えてるみたいだけどね。
…覚えてるから、多分、あんなに強くなろうとしてるんだと思う」
「脈絡なさ過ぎてわけわかんないな。テストだったら文法赤点だ」
「ごめん、なんかまとまんなくて………」
「………赤点ウェンディに代わってまとめてやるなら、
尊敬してる親父さんに追いつきたいから、必死に強くなろうとしてるって事だろ、兄貴は。
だったらボクと変わらないじゃん」
「その…逆。お兄ちゃんは、お父さんを軽蔑してるんだよ」
「え………………………」
ウェンディの手前、強がっては見せたが、正直なところ、
エリオットとて【黄金の騎士】の雷名に快い物は持っていない。
しかし、相手は腐っても【英雄】。その息子とくれば、てっきりデュランはロキを尊敬し、
力強い背中へ追いつこうと努力しているのだとばかり考えていた。
ところが真実は尊敬ではなく、正反対の軽蔑………。
「【アルテナ】の言いなりになって【ローラント】を攻め滅ぼしたお父さん…、
【黄金の騎士】と騎士さまを心の底から軽蔑してるんだよ」
「………そう…なのか………」
「だから、お兄ちゃんは【黄金の騎士】を踏み越えるために強くなろうとしてる。
追いつくとか、追い越すとかじゃないの。ただ、踏み潰すためだけに」
「………兄貴が言ってたのか?」
「実際に話してくれた事は無いけど、態度とか言葉の端々から、なんとなく、ね………」
「………………………」
「俺は騎士が嫌いだ」と公言して憚らないデュランの真意は、
おそらくウェンディが推察した物と見て間違いないだろう。
無頼の剣は、かぶき者を気取っているわけでなく、弱者をいたぶる権力への反意が込められていたのだ。
デュランの太刀筋に宿る信念を知ったエリオットは、
目を丸くする意外さと何物にも揺るがない力強さを感じ、噛み締めるように何度も頷いた。
「私は剣を握った事が無いし、握ろうとも思わない。………戦いだって嫌いだよ。
お兄ちゃんやエリオットクンが喜んで戦場へ飛び込んでいくのとか、全然わかんない」
「………………………」
「戦って、戦って、お父さんは命を落として、そのショックでお母さんも死んじゃった…」
「顔も知らないんだろ?」
「顔も知る事が出来なかったから、余計に悲しいんだよ」
「………………………」
「お兄ちゃんだけじゃない、私もね、お父さんなんか大嫌い。
そんなお父さんを尊敬してる騎士の人たちも本当は大嫌い」
「………ブルーザーが聴いたら泣くな、それ」
「………………………へ? どうしてそこでブルーザーさんが出てくるの?」
「そっからは本人に聴いてくれ。責任は持たないけどな」
「………………………?」
「―――ウェンディッ!!」
「は、はい………っ!?」
ポツリ、ポツリと内に秘めた心情を吐露したウェンディの悲しみ、寂しさを
突然張り上げられたエリオットの大音声が掻き消す。
驚きに目を瞬かせている彼女の肩を掴み、エリオットは更に続けた。
「お前が騎士を嫌いになるのは勝手だけどな、いいか、これだけは履き違えんなよ」
「な、なんだろ………」
「ボクは【黄金の騎士】なんかにはならないからなッ!! それから兄貴みたいにもならないッ!!」
「………………………」
「ボクは強くなるために剣を習ってるけど、
それは戦いが好きだとか、傷付けたいとか、そんなんじゃないからなッ!!
ボクが強くなりたいのは、えぇっと、その…、なんだぁ………」
「………………………」
「なんだかまとまんなくなっちゃったけど、ボクが言いたいのは、
いろんなもの、全部ひっくるめて強くなりたいんだよッ!!」
「………………………」
「ロキ・ザファータキエよりも強くなるから、
………ボクは絶対に死なないッ!!」
「エリオットクン………」
何一つ要領を得ない上に半ばヤケクソで言い放ったエリオットの言葉はどこまでも不恰好。
意味が通じているのか通じていないのか解らない不恰好を投げかけられたウェンディは、
言葉以上に彼の想いを語る、熱意の篭った瞳に見惚れてしまい、
数秒後、そんな自分の情況に気付き、真っ赤になって慌てふためいた挙句、
目の前にあったエリオットの横っ面を平手で殴り倒していた。
「なッ、なにすんだよッ!?」
「あッ、ご、ごめん、つい………」
「“つい”って、お前なぁ………」
―――ガタン、と遠くで物音が響いた。
「………………………」
見れば、空き地の入り口でブルーザーが立ち尽くしていた。
なぜか打ちひしがれたように顔中をボロボロに崩し、尻餅ついて肩を震わせている。
「う………うぅ…、うわぁぁぁぁぁぁあああああああああッ!!!!」
賢明な諸氏は既にお気づきの事と思うが、
どう見ても恋人同士の語らいでしかないエリオットとウェンディのやり取りを
目の当たりにしたブルーザーは二人の関係を思いっきり誤解し、
傷心の叫び声を引きずりつつ、あちこちの塀へ激突しながら駆け去っていったわけである。
「ど、どしたんだろ、ブルーザーさん………」
「どうしたっつーか………、まぁ、ご愁傷様とでも言っとけ」
「………? 誰か亡くなったの?」
「………お前がそんな事言ってる限り、あいつの不幸はずっと続くよ」
奇行以外の何物でもない彼の想いにも気付かず首を傾げるウェンディの様子を見ている内に、
エリオットは今なお町中に轟き続ける傷心の叫びへ例えようの無い憐憫を感じ、
居た堪れなくて仕方が無かった。
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