砲撃に揺さぶられる【フォルセナ】城内の混沌は、まさしく地獄絵図そのものだった。
【インビンジブル】に代表される戦いを通じて【マナ】の脅威に慣れていたデュランたちと違い、
【フォルセナ】の人々にとって、上空をたゆたう戦艦も、機械兵団も生まれて初めて見る恐怖だ。
英雄王が誇る【黄金騎士団】はその恐怖に飲み込まれ、早くも総崩れとなっていた。
砲撃による崩落に飲み込まれ、機械兵の剛力に攻撃を防ぐ腕ごとへし折られ、炎に焙られて、
死屍が累々と折り重なっていく。文字通り血で血を洗う死闘に恐怖を覚えない者はいなかった。


「退くなッ!! 退いてはならんッ!! 退いた者は死ぬだけなんだぞッ!!」


機械兵の大軍を相手に【第七遊撃小隊】を率いて中庭を護るブルーザーは
自身も決して軽くは無い怪我を負いながら懸命に二刀を繰り出し、
恐怖に怯える部下たちを叱咤激励した。


「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
「ユリアン、一人で行くなッ!!」


恐怖の狂乱か、勇気の無謀か、新米騎士の一人が機械兵へ身体ごとぶつかっていった。
一矢報いるべく放たれた前のめりの刺突だったが、渾身の力も空しく鋼鉄の肉体に弾き飛ばされ、
人智の通用しない相手に絶望し、愕然と歪む顔面へ重い反撃が振り下ろされた。


「う、うあああぁぁぁあああぁぁぁッ!!」
「ユリアンッ!! …くそぅ…ッ!!!!」


防御する間も無く反撃を受けて額を割られた新入騎士の前へ滑り込んだブルーザーは、
咄嗟に機械兵の首筋を横薙ぎに払った。
ケヴィンがそうしたような知識に基づく一撃では無かったが、取るべき判断としては最も的確で、
AIと動作を連結するケーブルを絶たれた機会兵はその場に崩れ落ちた。






(………ハッ!! 頭を潰せばくたばるなんざ、人間とおんなじじゃねぇか…ッ!!)






これぞ弱点と見たブルーザーの二刀が無尽に乱舞し、
部下たちを追い詰める機械兵どもの首を跳ね飛ばしていく。
睨んだ通りだ。強固な鋼の肉体の中で関節の継ぎ目だけは脆く、攻撃の威力を完全に通す事ができる。
―――勝機が見えた。


「た、隊長…ッ!!」
「見切ったッ!! こいつらの弱点は関節の継ぎ目ッ!! 頚椎を狙えッ!!
 ただその一点のみ狙い、全身全霊で貫けッ!!」


しかし、歩兵の弱点を見極められたところで一度不利になった旗色は
そう容易く立て直せるものではない。
力強い鼓舞は砲撃によって掻き消され、勝機は黒煙に包まれ霞んでいった。


「だ、【第二強襲大隊】隊長、ハリード殿、討ち死にッ!!」
「ハリードが………ッ!?」


【第二強襲大隊】は城下町へ入り、住民の避難を先導する任務に当たっていたはずだ。
最前線で戦う部隊の隊長が戦死したという事は、つまり城下町の護りが崩れたのと同義。
家族が、仲間が、火の海に包まれ、蹂躙される事を意味していた。


「………………………くぅッ!!」


【三界同盟】打倒後にデュランから聞いた話を元に推察するなら、
【インビンジブル】にはロキが乗艦していると考えて間違いない。
愛する【フォルセナ】を守り、【社会正義】の礎となった【黄金の騎士】が、
自ら属する騎士団の象徴である【英雄】が、なぜ、愛してやまない故郷を襲撃し、
家族を、仲間を焼き払おうとしているのか。
幼い頃、ステラと一緒に剣の手ほどきをしてくれた優しい男が、永遠の目標が、………なぜ?


「あなたは、………あんたは、生まれ育った国を滅ぼすつもりなのか………ッ!!
 むごたらしくブチ壊して、空の彼方で高笑いしているのかぁ………ッ!!」


物思いに耽る余裕など無い筈に、マイナスの怨嗟は止め処なく脳裏を駆け巡り、
正常な判断をドス黒く焦がしていく。


「卑怯者のロキ・ザファータキエよッ!! 歴史に永劫の汚名を刻むつもりかぁッ!!
 一度【英雄】と謳われたからには【英雄】としての矜持捨てず、
 黒く染まろうと正々堂々自らの手で刃交えるべきではないかぁぁぁあああッ!!」


裏切られた失望への怨念が込められた二刀を狂ったよう繰り出すブルーザーは
機械兵の首を跳ね飛ばす度に天上にて鎮座する【英雄】へ向けて、
あらん限りの侮蔑と憎悪を絶叫した。


「こんなんでテンパッてたら、ロキ本人と向かい合ったらボロカスよ」
「アンジェラ王女ッ!? それにクォードケインもッ!!」
「怪我をされた騎士の方を早く安全な場所へ移さねばなりませんね」
「わざわざ危険な場所へやって来る賓客があるか!?
 あんたたち、自分の立場がわかってるのかよ………」
「城ン中に閉じこもってて状況が変わるわけ? 陥落に巻き込まれるなんてまっぴらよ!」
「自らの安全は自ら打って出て確保しなければならない状況です。
 お気になさらないでください」
「―――………すまん、恩に着る」


激しさを増す砲撃を炎の弾丸が横っ腹から突っ込んで噛み砕いていく。
【ファランクス】の対空迎撃で【第7遊撃小隊】の窮地を救ったのはアンジェラとヴィクターだ。
賓客として英雄王に招かれていた二人は、城内へ避難させられていたが、
かつて背中を預けた仲間の窮地を見て取ると、自らの危険も顧みずに援軍に駆けつけてくれたのだ。


「手の届かない空から狙い撃ちにされたのでは、こちらも手の出しようがありません。
 とにもかくにも、今は反撃よりここから逃れる道を切り開きましょう」
「そうね。雨も霰もざんざん降りのこの雲行きじゃ、いつまで城が持つかわからないし」
「し、しかし、城をみすみす明け渡すなど、国の護りである我ら騎士団には―――」
「―――騎士団は国の【護り】である以前に【誇り】だ。
 そして、国とは誇りある民の石垣。
 死に花を防衛に咲かすのでなく、生き延びる事を渇望せよ」
「陛下ッ!!」


ミスリル銀の魔力を帯びた甲冑に身を包む英雄王は戦場へ姿を見せるなり、
電光石火の速度で王家伝承の秘剣【ブライオン】を閃かせ、
一瞬のうちに機械兵どもを破壊してしまった。
アンジェラと二人でいる時のデレデレさ加減には呆れて物も言えないが、
無双なる紫電一閃に騎士たちの賞賛を集め、絶望に瀕した彼らに生きる希望を与えるその姿は
軍神さながらであり、【英雄】のすめらぎを名乗る威厳と覇気に満ち満ちている。


「ヤツの目的は【アルテナ】の威厳を踏みにじる事。【社会正義】の要たるこの城砦の陥落にある。
 しかし、城砦など作り直せば良い。石垣の命には代えられぬ。
 …【黄金騎士団第7小隊】に命じる。
 城内に残った侍従ほか全ての人間を誘導し、安全を確保せよ。
 災厄の炎から人々を護り、共に生き抜け」
「―――応ォッ!!」


国の威信の象徴である城の護りでなく、彼曰くするところの【国の石垣】である民の命を救えと
命じた英雄王の言葉の中に違和感を覚えたアンジェラは、
ブルーザーはじめ騎士たちを鼓舞する父の耳元へ疑問を打った。


「………パパ、今、“ヤツの目的”って言ったわよね?
 お空の戦艦…、【インビンジブル】に乗ってるのが誰だか………」
「………わかっているとも。今しがた顔を見せにやって来たばかりだからな」
「ロキ・ザファータキエが………ッ!?」


部下を率いて城内へ突入したブルーザーに成り代わり、ヴィクターが身を乗り出して英雄王に問い質す。
今しがた顔を見せにやって来た、と英雄王は話した。
彼の言葉を信じるなら、【マナ】による焼き討ちした最大の謀反人は天上から降り立ち、
【フォルセナ】の大地へ入り込んだという事になる。
地獄絵図へ更に焦熱の暗夢が降り注ぐ最悪の事態だ。


「い、いつ現れたのです!? いえ、まさか今もまだ城内に留まって…!?」
「勝手知ったる仲というのもやりにくいものだ。
 戦支度の最中、ズカズカと私室へ入り込んできた」
「うそまじッ!? 怪我とかさせられてないわけ!?」
「案ずるな。私は無事だ…が、あいつめ、一つ重大な問題を残しおった」


他の者に聴かれないよう、周囲を見計らい、困惑する二人の耳元へ英雄王から密命が下された。


「今すぐにでも追いたいところなのだが、私には騎士を導く役目がある。
 離れる事の叶わぬ私の代わりをお前たちに託したいのだ。
 ………今すぐにデュランの自宅へ、パラッシュ家へ走ってくれ」
「ど、どういう事なの?」
「ロキの最大の狙いは、【フォルセナ】などではない。標的は、パラッシュ家だ」













「早かったな。もっと焦らしてくれると思っていたんだが?」
「………恋人同士の待ち合わせでもあるまいに、気色の悪い事を言うな」


再会は、いつもの調子。騎士と王族という互いの立場を忘れ、
減らず口を叩き合える若い頃と同じ調子で幕を開かれた。
苦戦を強いられるブルーザーを助けに行くと決意したアンジェラとヴィクターを送り出した直後の事である。
そろそろやって来る頃合と見ていた英雄王…リチャードは、
私室のセラーに秘蔵しておいたビンテージの赤ワインを取り出し、クリスタル製のワイングラスを二つ用意した。
どちらも今日という日のためだけに前々から用意しておいた物だ。
ツマミと呼べる物は無いが、懐かしい声が、顔が、最高の肴になってくれるだろう。
そこへロキがやって来た。音も無く、風を立てる事もなく、ふらり亡霊のように。


「表を見てみろ。国中が未曾有の危機に喘いでいる。
 国難を前にお前は酒などかっくらうつもりか」
「おいおい、そいつは国難に火を点けたお前さんが言う科白じゃないだろう?
 それにこの杯は、愉快に宴する類のもんじゃあねえ。
 …喉に火を呑む俺とお前の戦よ、ロキ」
「………違いない」


向かい合わせに座った二人の目の前には、クリスタルのワイングラス。
「味わって呑めよ」と一等の醸造を自慢しながら、リチャードがそこへ赤ワインを注いだ。
シャンデリアの輝きとクリスタルの流麗、血のようなワインの赤が混ざり合い、
テーブルへ透き通った光が落とし込まれる。
吸い込まれそうな彩と芳醇が部屋中を満たしていくが、二人とも見ているばかりで手を出そうとはしない。


「驚かないところを見ると、お前もヴァルダも、
 俺が生き残っていた事を知っていたようだな」
「お前もボケが始まったか? デュランとやり合ったのはつい最近だろ?」
「………あの子が俺の事を誰かに漏らす可能性はゼロだ………」
「あー…、それもそうか」
「【アルテナ】は俺の戦死が伝えられた直後から掴んでいたな。
 そして、お前もその事は周知していた。違うか?」
「当然だろ? ダチの安否を気遣わないヤツはいねぇさ」
「俺が【ローラント】で何を目の当たりにし、何を思い、ここに至ったのか。
 それすらお前たちは把握していた。にも関わらず抑止へ動かなかったところから推察するに、
 大方泳がせておこうというハラだったのだろう。
 お陰で悠々と泳がせてもらったよ」
「で、泳ぎに泳いで泳ぎ疲れて、腹いせに篝火炊いたってわけかい?」
「温もり通らぬ身に篝火などは不要。この炎は、【アルテナ】への宣戦布告の狼煙だ。
 【悪の枢軸】とは言え、腐っても【アルテナ】はモラルリーダーを自負する大国。
 【社会】を相手に事構える狼煙として、これ以上に望ましいものはなかろう」
「機は熟したってか」
「機などは既に熟れて腐っていたよ、リチャード。
 【女神】に呪われた世界の事実を突き止めながら、それは遠い次元の話と目もくれず、
 利己のみに囚われる【アルテナ】が再生する機など、な。
 腐った【社会】を甘受するヴァルダとて同じ事。だから俺は―――――――――」
「―――はいはい、ご高説ありがとうございました」
「聞いていないのかッ? 俺はあるべき理想の【未来享受原理】をだな………」


熱の篭り始めたロキの力説を、唐突なリチャードの拍手が押しとめた。
興が乗るのはこれからと用意していたロキは、親友からのぞんざいな扱いに
不満の咳払いを立ててやり返した。


「言葉が多くなったな、英雄サン」
「………………………」
「昔のお前は雄弁なんざ鼻にもかけねぇ男だった。
 頭で考えるよりもまず身体を動かして、
 そうして選んだ道が間違ってた時には死ぬほど後悔する、そんな男だったよな」
「………人は変わる。俺も十年を経て知識を得たのだ」
「悪いがお前の虎の子は知識でもなんでもねぇよ」
「何…?」
「他人の言葉を借りてるだけだ。虎の意を狩る狐だよ、今のお前はな」
「………………………」
「らしくもないのに頭使って引きこもってたお前の能弁はな、ロキ、
 お前が詰る【アルテナ】よりずっとも腐ってんだよ。錆だらけで見るに耐えねぇ」


スコーピオン団の打倒に先走った時も、【ローラント】征伐に名乗りを上げた時も、
いつだって【黄金の騎士】は頭でっかちに考えるのでなく、
自らの身一つを頼りに飛び込み、傷付きながら後悔しながら、未来を切り開いてきた。
だからこそ“戦死”から今日までその雷名は語り継がれ、
世界中の人々にも愛され、親しまれ、敬われているのだ。
ところが“戦死”の以降、親友が歩んできた生き方は全くの真逆。
リチャードはその生き方を詰り、ストレートに軽蔑の言葉を吐き捨てた。


「お前が生きていたのは知ってた。
 【イシュタル】に見切りをつけて【マナ】の研究に没頭しているのもな。
 お前はまた一つ大きくなって帰ってくる。
 そう思って楽しみにしてたのに、成程、見込み違いだったみてぇだな」
「………もういい」
「おいおい、自分の話は飽きるくらい話しておいて、人の話には耳を塞ぐつもりなのかよ。
 オツムだけでなく、どうやら立場も偉くおなりのようだ」
「―――俺をウェンディを斬る」
「―――――――――ッ!?」
「デュランとて同じだ。次に戦場で相打つ時、必ず首を取る」


一気呵成に軽蔑を並べ立てていたリチャードも突きつけられた突然の宣告には凍りつく。


「【フォルセナ】の焼き討ちに始まる全ての【比例贖罪】は
 それをもって完結となるのだ」
「【比例贖罪】………ッ!?」
「俺が【革命】の頂へと登るため、避けては通れぬ道だよ。
 はじまりの日へ罪を購い、禊をもって世界を【偽り】から解き放つ」
「自分のやろうとしている事がどういう事か、頭で理解できてないのか!?
 ご大層なお題目なんかいらねぇッ!! お前は何をやらかすつもりなんだよッ!?」
「黙して語らぬのが【黄金の騎士】の性分なのだろう?
 ………雄弁でなく、正義の刃に【革命】の灯火を見るのだな」
「待てッ!!」


【比例贖罪】なる謎めいた言葉を残して席を立ったロキの歩みに
秘剣【ブライオン】を抜いたリチャードが立ちはだかる。
親友に抜き身の刃を首筋へ当てる事がどういう意味か、
親友に抜き身の刃を首筋へ当てられる事がどのような意味を持つのか、
互いに理解しているからこそ、引けない覚悟が火花を散らせた。


「このままお前を行かせるわけにはいかねぇ…。
 あの二人を犠牲にしちゃあ、シモーヌに合わせるもねえってもんだ!!」
「相変わらず流麗な太刀さばきだな。
 しかし、ピークを過ぎた今のお前に俺の首を刎ねる事が果たして可能か?」
「自信はあるがね。穢れ、濁り、明鏡止水を失った者の剣を刎ね飛ばす自信はなッ!!」
「………笑止」
「笑いたけりゃ笑えッ!!
 ………あの日の【約束】、お前の呪い、今日この場で断ち切るッ!!」


初老の域に入り、肉体的なピークを過ぎたとロキに嘲られたリチャードだが、
太刀筋は衰えなどとは無縁の鋭さを発揮し、一点突破の凄絶な刺突が
黒い英雄の喉元へ閃光の速度で突き立てられ―――


「………【約束】、か。断ち切れぬものよな、互いに………」


―――捉えたと確信した瞬間、ロキの姿は残像さえ残さず霞のように掻き消え、
白銀の牙は虚しく空を切った。


「………ロキ………」


激しさを増す砲撃に揺られたワイングラスはとうの昔に横倒しになっており、
再会の日のために秘蔵していた赤ワインがカーペットを濡らしていた。
二度とグラスへ戻る事のないワインが、真っ白なカーペットを真っ赤に、真っ赤に染め抜いていた。
亡霊を思わせる奇術でもって姿をくらました親友の行方を戦場へ馳せながら、
まるで、自分たちの友情のようだとリチャード…英雄王は、
深紅のカーペットへ踏み出し、震える嘆息を漏らした。






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